花のうへの露   作:なんじょ

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 ふ、と目を開くと視界が明るかった。今は夜ではなかったかと混乱したが、すぐにそれが夢だったのだと気づく。

(……あぁ……)

 鼻がつんと痛い。頬に触れた指先が水滴に濡れたので、朝顔は吐息を漏らした。

(昔の夢を見て泣くなんて)

 ――図々しいにも程がある。あれはすべて、己で成した事。それを認めこそすれ、悔やむ権利など、自分には無いというのに。

(何であれを、思い出したかね)

 重苦しい気持ちで涙を拭った朝顔は、すん、と鼻をすすりながら、周囲に視線を走らせた。

 今朝顔がいるのは、どうやら屋敷の一室――それも、これまで起居していた部屋のようだ。

 あのまま土牢で過ごすのかと思っていたが、どうやら移動させられたらしい。しかもまたもや、清潔な着物に着替えさせられ、あれだけ熱を放って痛みを訴えていたわき腹のけがも、改めて治療されているようだ。

(ひとまず生かされたらしい)

 伊達にしてみれば、まだ探るべき情報を持っているかもしれない侵入者を、あのまま死なせるわけにはいかなかったのだろう。

(でも、する事はしてる、か)

 朝顔は目だけ動かして、障子を見やった。ちゅん、ちゅんと雀の可愛らしい鳴き声が聞こえる。朝の柔らかい光が障子紙を通して差し込んでいるが、黒い影も二つ、映っている。

(そして、上に二人)

 屋根裏からこちらを見張る気配も容易く感じ取れる。その内の一つがふっと消えたのは、こちらが気づいた事に察した為だろうか。

(さすがに、お客様待遇とはいかなくなったね)

 いくら手負いとはいえ、しのびを一人放置しておくほど、伊達もお人好しではないという事だ。こうしたあからさまな警戒をするのは、下手な真似をすればただではおかない、という警告でもあるのだろう。

(……当然、そうあるべきさね)

 国主の腹心たる小十郎が、素性の知れないしのびを警戒するのは当然だ。生かされてるだけで、感謝しなければならないのだろう。

 しかしそう考えた途端、皮肉な笑みが浮かぶ。朝顔はひそり、と呟く。

「……あのまま死なせてくれりゃ、良かったのに」

 あのまま死ねれば、あんな夢を見ず、こんな苦しい気持ちにならず、全てを投げ捨てる事が出来たのに。

 筋違いとはいえ、恨みがましい気持ちでつぶやき、目を閉じた。

 やはり体力が落ちているのだろうか、緩慢な眠気がそろりとしのびより、そのままうとうと寝入りそうになる。

 しかし、その眠りはすぐに遮られる。寝入りかけた朝顔の耳が遠くの足音を聞きつけた。それはまっすぐにこの部屋に向かってきている。

(これは……稲尾の先生だね)

 小柄な老人の軽い足音を聞き分け、朝顔は目を開けて訪れを待った。ほどなくして、

「朝顔さん、目を覚ましたそうだね。入っても構わないかな?」

 障子に小さな影が映り、穏和な声がかけられる。どうやら上の一人は、朝顔の目覚めを伝えにいったらしい。音もなく戻ってきた気配を感じながら、朝顔は答える。

「あぁ構わないよ、先生。どうぞ」

「では、失礼しますよ」

 稲尾老人は静かに部屋の中に入ってくる。障子の向こうに、強面の兵が仁王像の如く居座っているのが見えたが、すぐに障子が締められて見えなくなる。

「さて、具合はどうですか、朝顔さん」

 稲尾はおっとりとした口調で問う。以前とは異なる警戒態勢にこの大けがだ、朝顔がただの旅人ではないと分かっているだろうに、態度に変化はない。医者故に、多少のことには動じないのだろうか。

「また世話になっちまったようだね、先生。おかげさまで、だいぶ良いよ」

 物柔らかな対応に少しほっとして微笑むと、稲尾も頬を緩める。薬箱を開け、

「それは良かった。今、薬を処方します。それを飲んだら、消化によいものを用意してもらいましょう。食欲はありますか?」

「あぁ……そうだね、軽いものなら、お願いしたいよ」

「分かりました。……もし、もし」

 稲尾は再び障子を開け、廊下の男達に声をかけた。お手数ですが、粥を一杯頼みます、と丁寧にお願いされ、相手は躊躇したが、やがて腰をあげる。ありがとうございます、と礼を言ってからこちらに向き直り稲尾は、朝顔の肩にとん、と触れた。

「今、持ってきてもらいますからね。少しお待ち下さい」

 その声に、表情に、労りを込めて言う。優しさに満ちた稲尾の態度は、それ自体が薬であるかのように、ささくれ立つ心にしみ入るようだ。

(いやだ、泣いちまいそうだよ)

「あぁ、ありがとうよ、先生」

 照れつつ礼を言うと、稲尾は何の何の、と朗らかに笑って、薬づくりを始めた。静かな所作で作業する稲尾の気配に落ち着きを感じながら、朝顔はふと、問いを口にした。

「先生。あたしは、どれくらい寝てたんだい?」

「さて、かれこれ八日ほどでしょうか」

「八日も……」

 道理で。怪我のせいもあるだろうが、全身がやけに重い。昔ならこんなに長いこと寝込まず、三日もあれば起きあがる事が出来ていたというのに。やはり、石田三成の剣閃をまともに食らってしまったのはまずかった。

(自分じゃそのつもり無かったけど、かなり鈍ってるみたいだね)

 すでに怪我をしていたせいもあるだろうが、しのびとして仕事をしていた頃ならば、敵の間合いに正面から突っ込むなんて無様な真似はしなかっただろう。

(いつまでも若い頃のつもりじゃいけないって事かねぇ)

 まさかしのびに戻りたいとは思わないが、時の経過と共に失ったものを思うと、なかなか受け入れがたいものがある。つい渋い顔をしていると、稲尾が薬草をすりつぶして溶かした薬湯をすっと差し出してきた。

「さ、少し起きられますか、朝顔さん。これを飲んでしまいましょう」

「あぁ……ありがとうよ」

 手を借り、体のあちこちの痛みにイテテと呻きながら身を起こした朝顔は、湯気を立てる茶碗にそっと口をつけた。するりと飲めば、苦い味が口の中に広がって、思わず顔を歪めてしまう。

「まずい……」

「良薬口に苦し、と申しますからね。それを飲めば、今よりもっと楽になれるはずですから、がんばってください」

 口調は優しいが、有無を言わせない。見かけによらず怖い先生だねと思いつつ、朝顔は何とかそれを飲み干し、深いため息をつきながら再び床についた。

「では、今度は腕を看させてもらいますよ。そろそろ代え時ですから」

 そういって稲尾は掛布をめくり、包帯の巻かれた朝顔の手を取る。朝顔は素直になすがままにされていたが、そこへ先ほどの兵が戻ってきた。

「先生、もう少ししたら、粥ができあがるそうです」

 がっしりした体格の男がこちらをのぞき込み、むすりと言う。稲尾が「そうですか、ありがとうございます」と礼を言うとすぐに引っ込み、しかし同僚の方へ身を寄せ、

「おい、聞いたか? 筆頭が徳川と、同盟なさるおつもりらしいぞ」

 ぐっと声を絞って囁きかけた。常人であれば聞き逃してしまうほど小さな小さな声だが、朝顔の耳はたやすく拾い上げる。興味を引かれ、上の者達に悟られないようあくまで自然に横たわったまま、朝顔はその話に集中した。相方もぼそぼそと小さな声で応える。

「……何だって? この間申し出をお断りになったと聞いていたが」

「それが、徳川は石田と相対する事になりそうでな。敵の敵は味方、という事らしい」

「そうか。ではまた、近く戦があるやもしれんな」

「だろうよ。あぁ、腕が鳴るな。石田に殺された者達の為にも、目に物見せてくれるわ」

(……伊達が徳川と、同盟……)

 天井を見つめ、朝顔は目を細める。

 織田の侵略から立ち直ったばかりの伊達が、単独で石田軍に立ち向かうは難しい。なれば敵の敵は味方、徳川と手を組もうとしているのか。

 伊達政宗の案か、はたまた小十郎によるものかは分からないが、しかしその同盟のきっかけとなったのが、領地を荒らした石田への意趣返しであることは、想像に難くない。

(もしそうなら……石田をこの地に呼び込んだ、あたしのせいじゃないか)

 領民を死なせただけでなく、この国を戦に駆り立てる事になるなんて、空恐ろしい。事の大きさに驚き、

「先生、右目の、」

 旦那を呼んでおくれ。そう言おうとした朝顔はしかし、最後に見た小十郎の姿を思いだし、残りの言葉が喉に詰まった。

『信じられねぇな』

 どんな言葉も信用すまいというようにとがった声。

『うるせぇ! 俺はそんな話をしにきたんじゃねぇ、軽口はそれまでにしろ!』

 強い不信と、警戒心にみちみちた、あの眼差し。

 それは以前の、堅苦しく不器用だが、芯から優しかった小十郎とは、まるで別人だ。

 嫌われて、疑われるのは当然だ。そうあるべきだ。自分は元とはいえ、しのびなのだから。

 理性はそう結論づけるが、一方で思う。

 嫌だ、あんな恐ろしい目で見ないで欲しい。あの優しい人に、下賤の者と蔑まれたくは、ない。

(だめだ、とても顔を合わせられない)

 怪我で気が弱くなっているのか、あるいはあんな夢を見たせいか。相対した時、自分に向けられるだろう小十郎の怒りを思うと、震えるほどに、怖い。朝顔はたまらなくなって、空いた腕で目を覆った。

「朝顔さん? どうしました、痛みますか?」

 それに気づいた稲尾は治療の手を止めて、心配そうに声をかけてくる。

「何でもないよ、先生……何でも、ない」

 唇から漏れた声は自分でも驚くほどに、弱々しい。

 所詮自業自得でしかないのに、こみ上げてきた恐怖と悲しみは重くのしかかってくるようだ。朝顔は胸の息苦しさに耐えかね、きつく目を閉じた。

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