『What? 小十郎、お前今なんて言った』
『は』
『は、じゃねぇ。あの女が今どんな状態か知りません、詳しい事は稲尾に聞いてくれ、だと? 自分で見舞いに行ってねぇのか』
『それは……仕事が立て込んでおります故』
『No kidding! 留守にして溜めた分は二日で終わらせただろ。その後五日、お前はずっとGuestを放っておいたってわけか』
『政宗様、そうお声を立てずに。朝顔の世話なら、浜殿が十二分に手配りをしております』
『Shut up, 小十郎。今すぐ女のところへ行け』
『何を仰せられます。この小十郎、政宗様のおそばにお仕えするのが勤めにございます。見舞いならば、後ほど』
『Ha, もうガキじゃねぇんだ、四六時中オレについてる必要はねぇ。それより朝顔の咲き具合でも見に行ってやれ。知ってる顔ひとつねぇ場所に放り出されて、すっかりしおれてるかもしれないぜ』
(……慎重が裏目に出たか)
政宗にせっつかれ、小十郎は渋々、朝顔の部屋へと足を向けた。小十郎としては、朝顔に構い過ぎて妙な噂を立てられぬように、と距離を置いていたのだが、それがかえって主の機嫌を損ねてしまった。
(せめてもう少し、日を置いて訪ねるべきだったな)
政宗の小言を食らったのも堪えるが、朝顔自身にも悪いことをした。
確かに、怪我をして満足に動けないというのに、知人の居ない場所で一人取り残されては、心細くなっていてもおかしくはない。せめて二、三日に一度顔を見に行くくらいはしておくべきだった。
(退屈させちまってるかもしれねぇ。謝らなきゃいけねぇな)
そう思いながら、いつの間にか速い足取りで廊下を進んでいた小十郎の耳に、ふと、笑い声が届いた。
「ん?」
まだ遠くだが、なにやら楽しげな気配がかすかに感じ取れる。どうやら男のものらしいそれを聞いて、小十郎の眉間に一本しわが寄る。
また部下達が、昼間から仕事をさぼって遊んでいるのだろうか。それなら見つけてどやしつけなければならない、と行き先を変更し、声が聞こえる方へと歩を進めた小十郎だったが、しかし、
(あそこは……朝顔の部屋じゃねぇか)
たどり着いたのは、最初の目的地と同じ場所だった。障子を半分ほど開いた部屋の中から、楽しげに語らい笑う声が幾重にも重なり、響いていく。音を立てぬように気を付けながら、小十郎が障子の手前までそっと近づくと、中の会話が聞こえてきた。
「……にしてもさっきはびっくりしたっすよ。いきなり脱いで、なんて言われて、頭ん中真っ白になっちまった」
「はは、そりゃ悪かったねぇ。気になったもんだから、つい、ね」
(あれは……文七郎か?)
世話を命じてもいないのに、なぜ朝顔の部屋にいるのだろう。そう思ったところで、
「いやぁしかし、見事なもんすねぇ姐さん」
「こいつは筆頭が好きそうな柄物だ」
「これ、都で流行りの柄っすよね?」
(良直、左馬助に孫兵衛まで?)
聞き慣れた声が次々と聞こえてきて、小十郎は面食らった。こいつら、こんなところで何をしているんだ?
「おや、よく知ってるね」
「へへ、婆娑羅者のダチに教えてもらったっす」
「まあ、今じゃ流行り遅れかもしれないけどね。都はすぐ新しいものに取って代わるから」
「えーそうなんすか……ひとつ、筆頭に仕立てて差し上げたらいいんじゃないかと思ったんすけどね」
すると衣擦れの音がして、朝顔の声に苦笑が混ざり込む。
「そいつぁちょいと、僭越じゃないかねぇ。あたしみたいな野良者の仕立てなんて、伊達の殿様のお気に召すかどうか」
「そんな野良者なんて、何言うんですか、姐さん!」
義直が床でも叩いたのか、どん、と音が響く。
(……いかん。ぼうっとしてる場合じゃねぇ)
それで小十郎は我に返った。これではまるきり、盗み聞きではないか。それに話が弾んでいるようだが、部下の怠慢をこのまま見逃すわけにはいかない。
「筆頭は身分なんかで人を差別するような事しやせんよ」
「そうっすよ! 俺らみたいなのにも良くしてくれて、そりゃあ立派なお方なんすから!」
「……その立派なお方の部下が、ここで何してるんだ?」
会話の合間を縫って、小十郎はすっと部屋の前に立った。中にいたのは声の通りの面々で、
「ひっ……」
「か、片倉さま……」
小十郎の姿を目にした途端、ぱきーんと凍り付く。朝顔の床を取り囲んでどっしり腰をおろし、あまつさえ、茶菓子まで持ち込んですっかりくつろいでいるのを見て取り、小十郎の眉間のしわがさらにもう一本、深く刻まれる。そして、
「てめぇら、怪我人の部屋に押し掛けて、油を売ってやがるとはいい度胸だ!」
びりびりと空気を震わせる怒声がその口からほとばしり出た。
「うひぃっ」
「む、むぐぅっ!?」
文七郎が縮こまり、饅頭を口いっぱいにほおばっていた孫兵衛は喉に詰まらせて目を白黒させ、
「ち、違います片倉様っ」
「俺らはさぼってたわけじゃなくて……」
怒声に押されてのけぞりながらも、義直と左馬助が言い訳をしようとしたが、小十郎はそれを許さなかった。半ば開いていた障子をすぱーんと払いのけ、
「御託はいい、とっとと仕事に戻れ!」
『は、はぃいすみませんでした!!』
小十郎の一喝に飛び上がり、四人は茶碗と菓子、それになぜか、幾枚かの羽織を手にして、どたばたと部屋を駆け出ていった。こけつまろびつ廊下を走っていくのを見送り、小十郎はやれやれ、とため息をついた。
(全く、油断も隙もあったもんじゃねぇ)
忍耐強いと自負している己でさえ揺らぐような、色気たっぷりの女が客人として現れれば、伊達軍の兵達が浮き足立つのは目に見えている。
そのため、朝顔の周りに男を近寄らせないように気を付けていたつもりだったのだが、いったいどうしたものか。
「……あぁ、驚いた」
改めて朝顔に目を向けると、床で身を起こした朝顔は、目を丸くし、胸を押さえて小十郎を見上げていた。視線が合うと、驚きの表情が微笑のそれに変わる。
「右目の旦那ったら、ずいぶんおっかないんだねぇ。あんな風に怒鳴ったりしなくてもいいだろうに」
「……」
よく考えれば、怪我人の前で大声を出すのもいかがなものか。
「……済まなかったな、騒々しくして。あいつらにも、後でよぅく言い聞かせておく」
いささか気まずい思いで謝ると、朝顔はあらいいんだよ、と手招きした。招きに従って部屋に入り、腰をおろす小十郎。久しぶりに見る朝顔は初日よりは良い顔色で、はつらつと元気そうだ。肩をすくめて、笑う。
「あの子らは叱らないでやっておくれよ。あたしが集めたようなもんなんだから」
「あんたが集めた、だと?」
いったい何のために、と疑問に思ったところで、小十郎は朝顔の手元に気づいた。柔らかそうな指には針と糸、掛布の上には羽織が大きく広がり、その背には細やかな文様が縫われている最中だった。小十郎の視線の先にあるものに気づき、朝顔は布に針を刺して軽く持ち上げて見せた。
「さっきの子……文七郎といったっけね。あの子の裾が解れてるのを見つけたから、直してやってさ。ついでに何か繕いもんは無いかって聞いたら、色々持ってきてくれたんだ」
「何でそんなことを。あんたは客なんだ、使用人のまねごとなんてする必要はねぇ」
すると朝顔は柳眉を潜め、心持ち唇の端をあげて苦笑した。
「うぅん、でもねぇ右目の旦那。ここで横になって日がな一日、天井の染みを数えてるだけってのは、退屈でならないんだよ。ただ飯ぐらいってのも性に合わなくてね」
「む……」
退屈、という言葉に小十郎もまた、眉根を寄せてしまった。やはり、放置が過ぎたらしい。
「……すまねぇな、あんたを放っておいちまって」
後ろめたさに居心地悪く感じながら頭を下げると、朝顔は慌てて寝床から手を伸ばし(離れていたので届かなかったが)、
「まぁ右目の旦那、そんな事気にしなくていいんだよ。旦那は忙しいお人だろう、わざわざ手間とらせるのも申し訳ないからさ。いいからほら、頭上げておくれよ」
「いや……」
政宗の言った通り、見舞いに来られないほど忙しかったわけではないのだ。背筋を伸ばした小十郎は首を振り、
「あんたを怪我させたのは俺だ。俺が面倒見るのが、筋ってもんだろう。これからは毎日、こっちに寄らせてもらう」
きっぱり言い放つ。朝顔はますます困惑顔になった。
「いやだねぇ、そんな四角四角に考えないでおくれよ。あたしの怪我なんて、どうせそのうち治るんだ。旦那みたいなお人が、そこまで気にかける事ないんだよ」
よほど、こちらの手間をとらせるのが嫌らしいが、頑な過ぎる朝顔の言葉に、小十郎はぴくっと眉を跳ね上げた。
「俺みたいな人ってのは、どういう意味だ?」
低い声で尋ねると、朝顔はそりゃあさ、と首を傾げた。
「右目の旦那は、伊達の殿様に厚く信頼されてる、立派なお武家様だろ?」
「だったら、何だってんだ」
「何だって……だからさ、そんなおえらい方が、あたしみたいな野良者の面倒見るなんて、ちょいと大げさすぎるよ」
それなら、と小十郎の口が、勢いで声を発する。
「文七郎達はよくて、俺の顔は見るのも嫌ってことか」
「えぇ?」
途端、朝顔がぱちくりと目を瞠ったので、小十郎はハッと硬直した。
(なっ、俺はいったい何を言ってるんだ!)
世話をさせろとしつこく食い下がって、拒まれれば俺は駄目なのかと拗ねるなんて、まるで子供の駄々のようだ。朝顔は遠慮しているだけで、顔も見たくないなどという他意は、恐らく無いだろうに。
「あ、いや、……その、今のは忘れてくれ。意味はねぇ」
カッ、と顔が赤くなるのを感じ、やや俯きがちになりながらもごもご呟く。しかし、瞬きをした朝顔は、
「……ふっ、ふふふっ」
口に手を当てて、小さく笑った。そして、袖に口元を隠し、長いまつげを伏せ、小十郎へ艶めかしい流し目をくれる。
「何言ってるんだい、久しぶりに旦那の顔が見られて、あたしはとっても嬉しいよ。それに、旦那みたいな良い男に、手取り足取り世話されるのが嫌な女なんて、いるもんかねぇ?」
しかも、しっとり濡れるように甘い口調でそんな事を言い出したものだから、小十郎は背中にどっと汗が吹き出す心地になった。
「て、手取り足取りするつもりはねぇが」
わざと妖しげな言葉を選んだのだろうと察しがついたが、その言葉遊びがもたらす想像は、やけに生々しい。
(か、考えるな小十郎!)
想像を振り払いながらもますます赤面してしまうのを隠すため、小十郎は明後日の方向に顔を向けた。
「と、とにかく、あんたが迷惑じゃなければ、面倒を見させてくれ。頼む」
不自然な仕草をごまかすように早口でそう言うと、
「わかった。旦那がそこまで言ってくれるんなら、好意に甘えるとしようかね。……それにしても、旦那は真面目なお人だねぇ」
朝顔は背を丸めてくっくっくっ、と笑い出しながら、ようやく了解してくれた。
……どうやら、からかわれたらしい。