花のうへの露   作:なんじょ

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 開戦を間近に控え、兵達のざわめきが聞こえる。熱気に満ちた空気に自らも高揚感を覚えながら小十郎は陣の中で一人、気を整えていた。

 伊達軍は二手に分かれ、先鋒を小十郎がつとめる事になっている。石田三成との決着を望む主の為、その前に立ちはだかる雑賀、伊予の露払いの任を負ったのである。

(女子供とやりあうのは性にあわねぇが……)

 戦闘集団である雑賀の孫市はともかく、箱入り娘の巫女率いる軍相手はやや気がそがれる思いもするが、戦場で対峙するのであれば、致し方ない。

(政宗様の御為だ。誰が相手だろうと、引く事はねぇ)

 決意を胸に、光り冴える瞳を関ヶ原へ見据えたその時。

 

 ふ、と前触れもなく背後に現れた気配に、一瞬胸の内で殺意と歓喜がわき起こる。

 

「!」

 小十郎は反射的に振り返り、

「おっと、お手打ちは勘弁してくれよ、右目の旦那。あんたに喧嘩売りに来たわけじゃあないんでね」

 しかし旗の陰に隠れるようにして立っていたのは、飄々と笑う真田のしのび、猿飛佐助だった。

「猿飛……てめぇか」

(しのびと思ったが……朝顔ではなかった、か)

 小十郎は我知らず失意に顔を曇らせたが、刀の柄をきつく握り直して、相手をにらみつけた。

「ここで何をしてやがる。大合戦の前にのこのこ顔を出すとは、武田はよほど暇をもてあましてるらしいな」

 緊張を乱された苛立ちに皮肉を投げるが、猿飛は頓着しない。小十郎の間合いから慎重に距離をとりつつ、ひらひらと空の手を見せて、

「いやいや、そりゃ忙しくて猫の手も借りたいほどだけどね。ちょっとあんたに折り入って話があるんだ、聞いちゃくれないかな」

 言葉通り、戦意のない事を示してみせる。しかし隙だらけの格好でも、猿飛佐助が手練れのしのびだという事は、小十郎も重々承知していた。刀から手を離さぬまま目を鋭くする。

「ほう。単身でわざわざ乗り込んでくるってんなら、よっぽど重大な用件なんだな。よもや政宗様のお命でも狙いに来たか」

 同じ陣営に属するとはいえ、元は敵同士。まさか今この時に暗殺をしかけてこようとは思わないが、万が一ということもある。気迫を込めて睨みつけたが、猿飛は違う違う、と気安く首を振った。へらへらと軟派な笑みを浮かべた顔が不意に引き締まり、

「右目の旦那。あんた、桔梗姐さんを知ってるよな?」

 探る声音で低く言う。

(桔梗?)

 相手の言葉に、小十郎は眉根を寄せた。

「知らねぇな。そいつはてめぇの仲間か。他に草が紛れ込んでるとでも――」

 聞き覚えのない名に問いを口にしかけ……自ら発した草、という言葉でハッと思い当たった。

「桔梗ってのはもしかして、朝顔の事か?」

 しのびなら複数の名を使い分けてもおかしくない。果たして猿飛は頷き、

「あぁ、そうだよ。……だけどその様子じゃ、そう親しい仲ってわけでもないか」

 当てが外れたというように口を曲げた。

「それは……顔見知り、だが」

 あの女との関係をどう言い表せばいいのか分からず、言葉を詰まらせる小十郎の前で、しのびはすっと身を引く。

「その程度なら、話すまでもない。邪魔して悪かった、右目の旦那。今のは忘れてくれ」

 そのまますっとかき消える――のを、

「待て、猿飛! てめぇ、……朝顔の事で何か話があるのか」

 小十郎は語気鋭く呼び止める。猿飛は動きを止め、値踏みするようにこちらを窺った。

「あぁ、まぁね。姐さんが一時伊達に身を寄せたって話を聞いたもんだから、もし知ってたら、ちょいと頼み事があったんだが……。あんた、姐さんとはどういう関係なんだ?」

「……」

 これまでの経緯を思い返した小十郎は、つい渋面になった。が、とりあえず接ぎ穂を足す。

「俺があいつに怪我をさせちまったんでな。奥州にいる間、面倒はみていた」

「へぇ、やっぱり」

「なんだ、やっぱりってのは」

 確信の言葉に根拠を問いかけると、猿飛は苦笑した。その手が何気なく、腰に帯びた脇差しの鞘に触れ、離れる。

「――いや、あんたは姐さんの好みだろうと思ってたんでね。案の定だ、昔っから男の好みが変わっちゃいないな、あの人は」

「……話ってのは何だ」

 昔、というのが色々気にかかったが、つっこむと話があらぬ方向にいきそうだ。柄から手を離し、小十郎は先を促した。すると猿飛は再び顔を引き締め、

「あんたがもし姐さんと懇意なら、一つ頼まれてくれないか。この戦で姐さんを、死なさないでやってほしいんだ」

 思いがけない頼みを口にした。一瞬理解できず、小十郎は沈黙した。ややあって眉根を寄せ、

「どういう意味だ。あれだけの手練れなら、そうそう命を落とすような下手を打たねぇだろう」

 いってから、取って付けたように言い足す。

「それにあいつは徳川の者だ。どうなろうと、俺には関係ねぇ。守ってほしいと頼むにゃ、筋を間違っちゃいねぇか」

「そうかもしれないけど、こっちは藁にもすがる心境でね。これが他の事なら、姐さんの命乞いなんてしやしないんだが……」

 佐助はため息をもらし、顔を曇らせる。

「姐さん自身が死ぬ気満々でこの戦に臨んでるとあっちゃあ、ほっとくわけにもいかなくてさ」

「な――」

 息が詰まり、心の臓が跳ねる。朝顔が、死ぬつもりだと?

「――なぜ、そう思う」

 まさか、と思いながらかすれ声で問いかけると、佐助は頭をかきながら、

「何でか知らないが、姐さんは豊臣をどうあっても滅ぼさなきゃならない、そのためなら我が身がどうなっても構わないと、覚悟を決めてるみたいなんだな、これが」

「どうして……そうなる。確かに、豊臣を野放しに出来なかったとは言っていたが……」

 岩牢で語った事が嘘でなければ、残虐非道な豊臣軍に懸念を抱いていたのは確かだ。しかしそれにしても、命を捨ててまで止めなければならないと思いこむのは尋常ではない。

「さぁね。姐さんが豊臣のしのびだった時に、よほどひどい目にあったのか、あるいは」

 ふと、佐助の手が再び脇差しに触れた。それは攻撃の意志があってのことではなく、まるで何かを思い起こすような柔らかい手つきで、

「――あるいは、よほど情を移しちまったか、かな」

 ぼそりと呟いた言葉は妙に優しく響いた。

(朝顔が……豊臣に、情を?)

 それならばなぜ朝顔は、豊臣を滅ぼす手はずを整えたのか。豊臣は後少しで天下を掴むところだったというのに、なぜその野望をくじいたのか。

『あんな……あんな、ひどい事を、する奴に、好き放題、させてるような、豊臣秀吉を……あたしは、許せなかったんだ』

『だから……あたしは、豊臣を、裏切った』

 息も絶え絶えになりながら語った朝顔の思い。あれが単なる憎悪や怒りだけでなく、情を持つが故の悲しみであったとしたら。

 もしそうなら――

「……豊臣の最後の残党たる石田三成を殺して、自分も後追いするつもりってことか……?」

 脳裏に浮かぶのは、石田を殺したその手で、自らの命を絶つ朝顔の姿。

 それがあまりにも生々しくはっきり目に浮かんで、みっともないほど声が震える。戦でさえ感じた事のない恐怖に、身がすくむ。

「……そんな事が、あいつが死ぬ必要が、どこにある!」

 こみ上げる熱い固まりが何なのか理解出来ないまま、小十郎は苛立ちに声をあらげた。その様子を見つめる猿飛は目を細め、それから苦く笑う。

「別に死ぬ必要なんかありゃしないんだけどさ、姐さんはそう思いこんでる。

 ――あの人は生まれてこの方、しのびとしての生き方しか知らないんだよ、右目の旦那。

 人じゃなく草だから、死ぬのも簡単だと思ってる。そいつを他人にも押しつけるもんだから、俺様も一時、殺したいほど憎んだ事もあったが……今は、姐さんが死んだら悲しい」

 ざり、と足で地面を削り、俯きながら猿飛は言う。それは待ちぼうけを食らった子供のように寂しげな様子で、言葉に真が籠もっていた。小十郎は表情を僅かに緩め、静かに問う。

「……てめぇは朝顔と長いのか」

「まぁね、ガキの頃から口うるさく仕込まれてきた、いわばお師さんみたいなもんかな」

 そこで不意に猿飛の姿がかき消えた。風の鳴る音にはっとして振り返ると、陣幕を支える棒の上に移動している。

 細い足場に一本足で危なげなく立ちながら、猿飛はニッと笑って見せた。

「俺様がいってもいいんだけどさ、生憎弟子の話に耳を傾けてくれるようなお人じゃないんでね。あんたみたいな色男の方が効き目があるだろうから。

 もし少しでも、あの人に思うところがあるのなら頼むよ、右目の旦那。どうか、姐さんを――」

 助けてやってくれ。

 その言葉が小十郎に届くか否かの際に、猿飛は現れた時と同じく、唐突に消え失せた。

 途端、耳にざわめきが蘇ったので、小十郎はハッとして周囲を見渡す。そういえばずいぶん声を荒げたのに、誰も陣の中に入ってこなかった。どうやら猿飛が何かの技を使って、人払いをしていたらしい。

(――よっぽど、朝顔の命が大事なんだな)

 小十郎に是が非でもと頼む為に、この大事な時にわざわざやってきた……その行動には猿飛の必死さがにじみ出ている。師匠のようなものと言っていたが、おそらくは猿飛にとって朝顔は、家族に等しいほど掛け替えのない存在なのだろう。

 小十郎はふー、と長く息を吐き、視線を下げた。そして下げた先にある己の手が、細かく震えている事に気づき、

(……くそっ……しっかりしろ)

 毒づき、もう片方の手で押さえつけた時、

 

 ……ぶぉぉぉ……

 

 低く広く、野太い音が空気を震わせる。続いて鬨の声 、興奮した大軍が一斉に足踏みし、大地が地響きを立てて揺れる。そして、

「小十郎様、出陣でございます!」

 槍を手に意気込む兵達が陣幕の内に入ってきて、わらわらと彼を取り囲んだ。

「あぁ……今、行く」

 興奮する者どもを押しのけ、率先して陣を出ながら、小十郎はまだ己の手を押さえていた。眉間のしわが深く刻まれ、息が乱れる。

(集中しろ、片倉小十郎。俺は、伊達軍の軍師で先鋒だ)

 史上類を見ない大決戦、その先鋒をつとめ、己が主を敵のもとまで導く大役。それに集中しなければならないと思っているのに、鎧を身につけ、愛馬にまたがり、

「……行くぞ、てめぇら! 伊達の力を西の連中に見せつけてやれ!」

 居並ぶ兵達に号令をかける段になってもまだ、その震えは止まらないままだった。

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