花のうへの露   作:なんじょ

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 うららかな陽気の日、森の空気は清浄で心地が良い。さわさわと木々を撫でて通り過ぎていく風の音に耳を楽しませながら、

「今度の事で思い知ったけどさ、人間、無理に我慢しちゃいけないね。まぁ、側にいられるだけでいいと思ってたのも本当なんだけど、いざ抱かれてみると、側にいるだけじゃ足りない、もっと欲しいって思うようになっちゃってさ。旦那も同じ事考えてるみたいだからちょうどよかったよ。おかげで心身ともに充足した日々が送れて、少し寝不足になっちまったけどね」

 頬杖をつきながらしみじみ、最近の心境について語って聞かせたら、

「……いや姐さん、そういう生々しいのろけはやめてくれるかな。知り合いの夜事情なんて、俺様聞きたくないんだけど」

 枝の上で佐助がげっそりした様子でうなだれた。おやまぁ、と朝顔はわざとらしく驚いた表情を作り、

「あらごめんよ、独り身には聞き苦しい話だったかね。寂しい独り身を早く脱出出来るといいねぇ、佐助」

 からかったら、相手からはへいへい、と気のない返事が投げ捨てられた。それはともかく、と佐助は咳払いをして、道ばたの石に腰掛けたこちらを見下ろす。

「ところで姐さん、こっちにも届いたかい? 前田からの文」

「あぁ、数日前にね」

 おそらく話題になるだろうと見当をつけていたので、持ってきている。朝顔は懐から文を取り出し、ぱらりと広げた。

 前田の風来坊らしい、勢いのある筆致でつづられた手紙の内容は、もちろん石田とのその後についてである。

「説得にどれだけかかったのか分からないけど、前田の旦那は大したもんだね。あの石田と一緒に、外国(とつくに)へ行こうだなんて」

「それ、ほんとなのかね? 何でわざわざ、外の国に行こうなんて考えついたのか、ちょっと信じがたいな」

 何事にも用心深い佐助は疑念を声に乗せる。前田、石田との関わりがそれほど深くなく、石田が武田信玄を狙っている要注意人物であるからこその用心だろう。

「前田の旦那が、わざわざ嘘を書いて寄越したりはしないよ」

 仕込んだ通りの良いしのびになっているものだ、と心中喜びながら、朝顔は文に指を滑らせた。

 空を隠すように生い茂る木の枝の隙間からこぼれ落ちた陽光が、紙の上でちらちら踊る。

「――たぶん、豊臣秀吉が目指した世界を、その目で見に行きたくなったんだろ」

 手紙の中に、海を渡る理由までは書いていない。だがきっとそうに違いない、と朝顔は確信している。

(あのお人が目を向け続けていたものが何なのか、確かめにいこうとしているのだろう)

 そうでなければ、いくら説得されたところで、石田が亡き主の眠るこの国を離れるはずがない。いや、もしかしたらこれは前田の意向ではなく、石田自身の願いなのかもしれない。

(妄執の僕(しもべ)だったあの男も、変わろうとしている)

 石田三成。豊臣秀吉への忠誠に殉じ、嘆きを斬撃に変え、数多の命と共に没しようとしていた男。あの姿を恐れ、憎み、殺さねばならないと朝顔が決意したのは、あれがもう一人の自分であるかのような錯覚を覚えたからではないか……全てが終わった今、そんな事を考えてしまう。

「……いろんなものを見聞きして、少しは頭を柔らかくしてくるといいね、あの石頭は」

 石田だけなら路頭に迷いそうだが、前田も共にいるというのなら、きっと何とかなるだろう。そう思ってふっと笑うと、

「担ぐ御輿がなくなって、大谷をはじめとした元西軍の連中もおとなしくしてるし、俺様としちゃ、そのまま帰ってこなくていいよ」

 佐助がなかば本気の口調で続けた。

 それも尤もだ、石田は嵐の目になりやすい性分のようだから、外へ去ったのなら、二度と戻らなくて良いと思ってしまうだろう。自分とてそう思う――はずなのに、

(……不思議だね。あたしはこれを嬉しいとも、残念だとも思ったり、帰ってくる日を気にかけたりしている)

 一度は命をとると決めた相手の身をこうして案じている自分の心持ちが、不思議だ。こんな風に石田を思う日が来るなんて。

(時が過ぎたからか、奥州に腰を落ち着けたからなのか……それとも、その両方なのかもしれない)

 かつてなく穏やかな心境に我ながら驚きつつ、文を畳んでしまっていると、

「――ねえ様!」

 しゅ、と枝葉を揺らして、もう一つの影が頭上に現れる。その接近を聞いていた朝顔は驚く事なく、仰ぎ見て笑いかけた。

「ああ、かすが。あんたも来てくれたのかい」

「はい、桔梗……いえ、朝顔ねえ様。知らせを受けて、謙信様にお許しを頂きました」

 あどけない少女だったかすがも、佐助のように見違えるようなしのびとなっている。

 星を散らした黒装束に覆われたその体は、一人の女人として妖しいほどの色気を纏っているが、それがあざとくならないのはひとえに、かすがの性格によるものだろう。

 しのびにしては無防備なほど、その顔を喜色に輝かせ、

「ねえ様がこのたびご結婚なさるとの事、心よりお喜び申し上げます! とるものもとりあえず来てしまったので、手ぶらになってしまいましたが」

 祝いの言葉を口にした。人に言われると何やらこそばゆくて、朝顔は頬を指でかいてしまう。

「あぁ、ありがとうよ、かすが。わざわざ出向いてもらって、申し訳ないね」

「あれ姐さん、俺様と対応が違くない?」

「なんだい、さっきちゃんと礼は言っただろ」

「えー、わざわざ出向いて申し訳ないなんて事言われなかったなー。からかいに来たのかとか、野次ならいらないとか、心外な反応ばっかりだったじゃないの」

「それはお前が面白半分にふざけるからだろう! ねえ様が幸せになられるというのに、どうして素直に喜べないんだ」

「何だそれ。俺様も素直に喜んでるから、わざわざ奥州くんだりまで来たのにさぁ、ひどい……」

 かすがにまで噛みつかれ、佐助はがっくり肩を落としてしまう。ふん、と鼻を鳴らしたかすがは、一転して笑顔をこちらに向けた。

「それでねえ様、祝言はいつごろ挙げられるんですか」

「あぁ、一月後の予定だよ。先日養子の手続きも終わったから、これでいよいよ逃げられなくなっちまったねぇ」

 まさか生きている内に、武家の子になる機会があろうとは、夢想だにしなかった。

 朝顔を受け入れたのは片倉家の分家で、そこそこの家柄の身分らしい。

 いくら本家当主の命とはいえ、こんな素性怪しい女を養子に入れるとはどんな家だと思ったが、神職に尽くして世事に疎い、おっとりした男が主だった。

 なるほどこれなら、さほどの反発もなく受諾するはずだと納得するような人柄なので、かえって悪い気がして、朝顔は義両親の家にもついつい、気を配ってしまう。今日も、義父の好物である伽羅蕗を作ろうと山に入っていたくらいだ。

「……ま、年貢の納め時って奴だね、姐さん。どうせ逃げる気なんてぜんぜん無いんだから、おとなしく聞き分けの良い花嫁になって、右目の旦那に可愛がってもらいなよ」

 顔を上げた佐助がそんな事を口にすると、再びかすがの眦がきっと上がる。

「だからお前は! どうしてそんな皮肉しか言えないんだ!!」

「えぇー皮肉じゃないっしょ、ちゃんと祝福してるじゃない。かすが、お前のほうこそ俺様をひねた目で見てないか?」

「誤解だと言うのなら、お前がそういう言い回しをするのがいけないんじゃないか」

「いやいや、前から思ってたけど、かすがは俺様に対して思いこみが過ぎるよ。何を言っても悪いように取られるんじゃ、俺様だって素直に気持ちを口にする甲斐がない。例えば」

 ふっと佐助の姿がかき消え、次の瞬間にはかすがの隣に移動している。何っ、と硬直するかすがの顔をのぞき込み、

「姐さんが結婚するんならこの際、お前も俺様と一緒にならないか?」

 ぐっと声を低めて囁きかける。

「なっ……な、な!?」

 意味を理解した途端、かすがの白い頬がぼっと赤くなった。はうはう、と口をぱくぱくさせるのを見上げて、

(ああ……右目の旦那に求婚された時のあたしも、あんなだったのかねぇ)

 朝顔はくっと笑ってしまった。

「佐助。邪魔はしたくないけどね、そういう話は二人きりの時にすべきじゃないかい? こっちの用件はもう済んだし、行っても構わないよ」

 ひらひら手を振ると、佐助ははいはい、と立ち上がった。混乱状態で目を回しているかすがの手を引き、

「それじゃ姐さん、今度はちゃんと祝いの品を持ってくる。祝言となりゃ、真田の大将もきっと来たがるから、独眼竜にもよろしく伝えておいてよ」

 くるっと背を向けて、跳ぼうと身を屈める。

「ああ、わかっ……、!」

 それを見送ろうとして、朝顔はハッと息を飲んだ。目に止まったのは、佐助が腰に帯びている脇差しだ。佐助、と思わず呼び止める。

「ん? まだ何か、姐さん?」

 肩越しに振り返る佐助。その顔に、まだ幼さを残したかつての少年の顔が重なる。朝顔の非情を詰り、殺意さえ抱いて睨みつけていた、あの表情が。

「――佐助」

 胸が締め付けられる。かつて自身が成した所行は取り返しがつかず、誰に詫びる事も出来ない。けれどもこれだけは伝えなくてはならないのだと、朝顔は小さく囁いた。

「あたしは……あたしは、鷹通様も、頼鷹様も……好きだったよ」

 最初から裏切る為に潜入した佐久家。何の疑いもなく桔梗を受け入れ、その働きを認めてくれた人々。

 あの時自分はしのびに徹するあまり、そのありがたみを、尊さを、何も理解していなかった。

 だから今、痛切に悔いている。あの優しい人たちの期待を裏切り、踏みにじってしまった、自分の無知と傲慢さを。

「…………」

 佐助は真っ直ぐ立ち、じっとこちらへ視線を向けている。鋭利な刃物のように光る目で朝顔を見据えた後、その肩からふっと力が抜けた。

「――馬鹿だなぁ、姐さん」

 唇を笑みの形に変えて、佐助は目を細める。

「そんな事、俺様はとっくの昔に知ってたよ」

「さす……」

 優しい、許しの言葉が、胸をつく。がばっと立ち上がって側へ行こうとしたが、その時ざぁぁぁっ、と風が吹き抜け、乾いた土が舞い上がった。

 咄嗟に目を閉じてそれをやり過ごした朝顔は、風がおさまる頃にそっと瞼を持ち上げたが、樹上のしのび達の姿はすでにかき消えていた。

「……ありがとうよ、佐助」

 そっとつぶやき、朝顔は地面に投げ出してしまった山菜を、ざるに拾い集める。指先に伝わるふきの葉の感触は、柔らかいながらも確かに生きる自然の力強さを感じさせて、胸が締め付けられるようだ。

(あぁ、そうだった。あたしは佐久も、豊臣も、好きだった。失いたくないと、心のどこかで思い続けていた)

 草として生きる為にはそんな感傷など必要ないと思っていた。

 だがそれは過ちだった。

 手の中に収まるこの草の葉にさえ、命は宿っている。ならば人である己がいくら非情に徹しようとも、他者の命はもちろん、自身の命をも取るに足らないものだと断じるなんて、傲慢でしかなかった。

(……罪は消えない。あたしは一生、自分が奪った命を背負って生きていく)

 ざるを手に立ち上がり、朝顔は歩き出した。山道を引き返していくとその途中、木々が途切れて、奥州の地が眼前に現れる。

 初めてここを訪れた時、ぬかるんだ土を晒していた田は今、収穫の時期を迎えて黄金の稲穂に覆い尽くされている。息を飲むほどに美しい金色の大地は、風が吹くたびに優しく揺れて、全てを包み込むようだ。その奥、全てを見守るかのように鎮座している伊達屋敷の偉容に、朝顔は目を細めて笑いかけた。

(だからあたしは、一生ここを守っていく。草としてではなく、今度は人として――この国を、あの人を守っていく)

 それはかつて掲げた悲痛な覚悟とは全く違う、静かに心を満たす、確固たる誓い。

 決して違える事のないそれを刻んだ胸にそっと手を当て、朝顔は再び歩き始める。

 その背後の森に再び吹き付けた風が木々を撫で、まるで見送るかのようにさわさわと優しい葉ずれの音を立てていた――

 




これにて「花のうへの露」は終了となります。
ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました!
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