花のうへの露   作:なんじょ

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あかぬ君にも

「あ……待って、右目の旦那……」

 かそけき声と共に白い手が小十郎の腕を止める。閨に横たわる女、その腰帯に触れていた小十郎は、

「……気分でも悪いのか」

 宴で酒が進みすぎたのかも知れないと、はやる心を抑えて問いかけた。

 灯台のあえかな光の下、小十郎と同じく白い夜着だけをまとった朝顔は、常の世慣れた雰囲気が薄れ、新床に臨んだ花嫁らしくどこか初々しい。

 その頬を紅潮させた朝顔は問いに首を振り、

「……あの……灯りを、消してくれないかい?」

 おずおずと言った。

 その言葉が少々意外に聞こえて、小十郎は眉を上げる。消してもいいが、とつぶやきながら、

「今更何を恥ずかしがる必要がある? 明るい中でなら、その……もう、あった事じゃねぇか」

 耳がぼっと火照るのを感じる。

 初めて朝顔を抱いたのは昼日中で、今新婚夫婦の為に用意されたこの寝所よりも、よほど明るかったはずだ。当然、その時互いの裸身は目にしている。

「そうだけど……だってあの時は、半分服を着てただろう?」

 朝顔も赤面したまま、ちらりと左奥にある灯台へと視線を投げる。

「明るいのは嫌なんだよ。色々、見えちまうから」

「……おめぇの顔や体なら、むしろ隅々まで見たいくらいだがな」

 初夜を迎えて、花嫁らしく殊勝な事を言うとは、可愛らしい面もあったものだ。

 笑いを口に上らせた小十郎が朝顔の両脇から腰の辺りまで、服の上から両手でゆっくりなで下ろしていくと、「んっ……」と吐息が漏れる。心地よいだろう愛撫に、しかし朝顔は耐えるようにきゅっと眉根を寄せ、

「――お願いだよ、灯りを消して。でなきゃ、あたしは逃げ出すしかない」

 妙に強い口調で抗してきた。

 これはじらしでも何でもない、本音のようだと気づいて、小十郎は真顔になってしまう。

(初夜で花嫁に逃げられるなんてのはごめんだな)

 様々に手を打ってようやくここまでこぎつけたというのに、この期に及んでご破算になるなど冗談ではない。

 小十郎は朝顔から手を離し、身を起こした。

「朝顔、どうしてそんなに灯りを嫌がる? その方が雰囲気があるから、なんて理由なら分からなくもねぇが、消さなきゃ逃げ出すなんてのはいきすぎだろう」

「それは……まぁ、そうだけどさ」

 同じく夜具の上に座って小十郎と向き合った朝顔は、しばし迷う様子を見せた後、小さくため息を漏らした。

「旦那からすれば、今更かもしれないけど……あたしはずっと、あんたに裸を見せるのは、気が進まなかったんだよ」

「何? そんなそぶり、見せた事があるか?」

「旦那は最初、耳を貸すどころじゃなかったからねぇ。

 その後ずるずるきちまって、あたしも仕方ないと思ってたけど、今日、あんな立派な祝言を挙げてもらっちまって、改めて気になってね」

「……何が気になるっていうんだ?」

 最初に肌を合わせた時はなしくずしだったのを思いだし、小十郎はいささか気まずくなる。確かにあの時に拒まれたとしても、聞く耳を持たなかっただろう。

「……あんまり人様に見せるようなものじゃないんだけど」

 相手は浅くため息をつくと、静かに帯を解き始めた。

 何事かと見守っていると、朝顔は帯を外して着物のあわせをずらし、右腰の辺りを灯りの中で露わにする――その白い肌を無惨に切り裂いた、ぎざぎざの傷跡を。

(……あぁ。確かに、一度は驚いた)

 合点がいって小十郎は目を細める。無論、その存在には気づいていたが、これまで言及した事はなかった。

 最初の時は、自分が我を失っていたから全く気にかけなかった。

 その後、幾度かその肌に触れる機会があった時も、朝顔が自分で何も言わないのなら、こちらから話題に出す事も無かろうと思っていたのである。

「そいつは、奥州に来た頃に負っていた傷の跡か。確か稲尾のじいさんがその事を言っていた気がするが」

 岩牢から部屋へ移した時、こんな怪我で良く動けたものだ、と医師の老人が驚いていたのを覚えている。

 記憶を辿って言うと、朝顔は再び着物の下に傷を隠して頷いた。

「これは竹中半兵衛と戦った時の傷でね、ずいぶん長いこと、塞がらなかったんだ」

「竹中だと? おめぇ、あの男とやりあったのか」

 豊臣秀吉の軍師として辣腕を振るった竹中の名は、小十郎も知っている。

 驚いてつい声を大きくしてしまった小十郎の前で、ふ、と朝顔の顔に影のある笑みがよぎった。

「……あぁ。前田の旦那は豊臣秀吉を、あたしは竹中半兵衛を倒す、そういう分担をしたからね」

「――前田が大阪に乗り込んだ時の事か」

 そういえば朝顔が奥州に現れる前に、豊臣秀吉が襲撃を受けて不自由な体になった、という情報を聞いていた気がする。

 ではあの折り、朝顔は竹中と戦って、その時に負った傷が癒えぬまま、石田の追撃を逃れて北へ北へと移動していた、という事か。朝顔は説明を続ける。

「あのお人が使っていた剣はちょいと特殊でね。

 普段は一振りの刀なんだけど、刃が複数に分かれるようになっていて、鞭みたいに伸ばす事が出来るんだよ」

 朝顔は元の長さと、伸びた時の長さを、腕を広げて表してみせる。

「だから剣筋も読みにくいし、一度切りつけられると、同じ傷口を二重三重、めちゃくちゃに切り刻まれる。

 そのせいで傷が重くなって治りも遅くなるし、さっき見せたみたいに、どうしても消えない跡も残っちまうんだよ」

「それはまた、聞く限り、相当けたいな代物だが……おめぇは結局、竹中に勝ったのか」

「そうでなかったら、ここにはいないよ。

 まぁ勝ったといっても色々小細工を弄したし、手痛い一撃を食らっちまって、この通りだけどね」

(……つくづく、大した女だな、こいつは)

 小十郎は竹中を直接は知らない。だが、彼の得物が朝顔の言うような形状なら、よほど卓越した剣の腕が必要になるだろう。

 知略に長け、剣術にも秀でた相手と対峙して生き残ったのなら、朝顔も並の女ではない。

 関ヶ原での戦いぶりを見て理解していたはずだが、改めて実感してしまう。

「傷はどうにか治ったけど、跡は残る。まさか今更、清廉潔白な身の上でございます、とうそぶくつもりはないけどね」

 感心する小十郎をよそに、朝顔は暗い表情になって、腰に手を当てた。その下にある傷跡を探るように撫でながら、

「……片倉家のご当主様に嫁いだ女が、こんな醜い体じゃ恥ずかしいだろ?

 だから、消す事はもう無理だろうけど、せめてあんたの目に触れないよう、灯りを消して欲しいんだよ」

 静かに頼みを口にする。対する小十郎は、軽く目をみはってしまった。そんな発想は微塵も無かったからだ。

(――しのびをやめようが、こいつが背負ってきたものは消えない)

 その事を改めて思い知らされる。

 いくら普通の人と同じように生きようとしても、朝顔の心身に刻まれたその生き様は、これからも影を差し続ける。それを完全に取り払う事は、誰であっても出来ないだろう。

(だが、影を薄くする事くらいは、俺にも出来るかもしれない)

 小十郎は静かに膝を寄せると、腰に触れる朝顔の手に、自分の手をそっと重ねる。びくっとして顔を上げた朝顔に微笑を向け、

「……この傷は、おめぇが必死で生き延びた証だ。

 俺はおめぇが、どんなに苦しい目に遭っても生き抜いて、俺と出会ってくれた事に、感謝している。愛しいと思いこそすれ、この傷を醜いとは、全く思わねぇな」

 こつ、と額と額をつきあわせる。目を瞬かせて息を飲んだ朝顔は、伏せたまつげをふるわせ、

「……あんたは優しすぎるよ。本当だったらあたしみたいな女が、旦那の正室になんてなれるはずもないのに」

「おめぇみたいな女だから、だ。あんまり俺の目を見くびるなよ、朝顔。おめぇは自分で思ってるより、ずっと上等な女だ。俺には勿体ないくらいのな」

「右目の旦那……」

 優しく囁きかけた小十郎は顔を傾け、目を潤ませた朝顔と唇を重ねた。

 もはや馴染みとなった柔らかい感触を味わい、輪郭をなぞり、下唇を軽くはみながら、重ねた手の指を絡める。互いの手のひらを合わせてしっかりと握り合いながら朝顔を横たえると、その滑らかな髪がふわりと散り広がった。

「……気にかかっていたといえば、俺もあるな」

「んっ……何だい、旦那……」

 無防備な姿を晒して彼を見上げる朝顔を見ると、いつもたまらない気持ちにさせられる。その髪に顔を埋め、合間からのぞく耳に吐息を吹き込むように語りかけると、朝顔は浅く乱れながら答えた。それだ、と小十郎は続ける。

「おめぇはいつまで、俺を右目の旦那と呼び続ける気だ?」

「え……」

 予想外の問いだったのか、朝顔がこちらへ顔を向けて目をみはる。もしや無意識だったのか知らないが、小十郎はこれをずっと気にしていたので、思わず口を曲げてしまった。

「伊達の殿様と呼んでいた政宗様の事は、奥州に帰って早々、呼び方を変えただろう」

「そりゃ……これからあたしもここの民になるんだから、あだ名みたいなのより、きちんとした方がいいと思って」

「それなら俺だって同じだろう? 大体、文七郎や義直は、最初から名前で呼んでるじゃねぇか。何だって俺だけいつまでも、他人行儀な呼び方をされるんだ」

 日頃の不満が口をついて出てしまう。小さな事、こだわるのも馬鹿馬鹿しいと普段の小十郎なら一蹴しているはずだが、自分でも考えていた以上にひっかかっていたのかもしれない。

「どうなんだ、朝顔。何故、名で呼ばない」

 逃がすまいというように、握り合わせていた手もほどいて、朝顔の顔の脇に腕をついて、至近距離からのぞき込む。吐息がかかりそうなほど間近で問いかけると、

「そ……れは、その……」

 かぁぁぁっ、と朝顔は髪の付け根まで真っ赤になって、視線をうろつかせた。何をそこまで照れているのかと疑問に思ったのが表情に出たのだろう、朝顔はちらっとこちらを見上げてからすぐ顔を背け、

「…………だ……だ、だって、は、恥ずかしい、じゃないか」

 蚊の鳴くような声で呟いた。

「……何?」

 意味が分からない。小十郎が眉根を寄せてしまうと、朝顔は手で顔を隠しながら、

「だから、あ、改まって名前で呼ぶのが、は、恥ずかしくって、む、無理……」

 くぐもった声でそんな事を言うものだから、

「…………お…………おめぇ、おめぇって奴は」

 その真意を理解した途端、小十郎は思わずぶるるっと震えてしまった。体の熱が上がったのか、じわりと汗がにじんだ手で、朝顔の両手を取り払い、

「そいつを狙い澄まして言ってるんじゃなけりゃ、おめぇはとんでもねぇ女だぞ、分かってるのか?」

 眉を八の字にして子供のように困惑している彼女に言う。わ、わかんないよ何言ってんだか、とおそらく本気で言っているところを見ると、

(こいつは案外、本気の色恋沙汰には不慣れなんじゃねぇか)

 と思ってしまう。しのびという因果もあって、閨の手練手管には人並み以上に長けていようとも、たぶんこれまで誰とも心を通わせた事がないのだろう。こんな風に心の内を明かすのも、きっと不得手なのだ。

(……それなら一つ一つ、俺が教えてやらねぇとな)

 下心を見透かされてからかわれる事の多い小十郎にしてみれば、ちょうどいい意趣返しだ。焦って汗をかく朝顔の瞳をのぞき、低く囁く。

「――小十郎。俺の名を呼んでみろ、朝顔」

「っ……」

 捕まれた手をも真っ赤にして、朝顔が縮こまる。

 足が折り畳まれるのを察知して、小十郎は自分の足でそれをぎゅっと挟み込んだ。

「や、ちょっと旦那っ……!」

 手を取られ、足を取られ、身動き叶わなくなった朝顔がますます眉尻を下げる。それが可愛らしくてたまらない。

 自身の胸の奥で、心の臓が刻一刻と高鳴っていくのを感じながら、小十郎は更に促す。

「呼んでくれ、朝顔。俺は、おめぇの声で、自分の名前が呼ばれるのが聞きてぇんだ」

「…………の、…………」

 呼吸が乱れる。視線が恥ずかしげに俯くも、やがて覚悟したように上向く。朝顔は肩をすくめて、小さく震えると、

「…………こ……こじゅうろ、様…………」

 やっとの思いで名を紡ぎ、紡いだ途端、羞恥に耐えきれなくなった様子で目をぎゅっと閉じてしまった。

「……や、やっぱり、恥ずかしいよ……」

 泣き出しそうにまでなって縮こまるのは、本当に稚い子供のようだ。

 いつもとまるで雰囲気の違うその様に、小十郎はハァッと震える吐息を漏らしてしまった。

「……おめぇは全く、他に類を見ねぇ女だな。名前を呼ぶだけで、これだけ俺を高ぶらせられるんだから、大したもんだ」

 朝顔もまた、形良く盛り上がった胸元を大きく上下させて息を吐き出し、

「……あたしを、こんなにめちゃくちゃにするあんたも相当だよ……。あぁ、灯りがついていようがいまいが、もうどうでも良くなっちまった」

 腕の拘束をするりと外した両手を、着物がはだけた小十郎の、鍛え上げられた胸板に滑りこませた。体の内で燃える火を煽るように撫でさすりながら、

「今宵はあんたの妻になって初めての夜なんだから、優しくしておくれよ――小十郎様?」

 糖蜜のように甘く囁いて、婉然とした微笑に口元を綻ばせる。濡れて輝くぬばだまの瞳で見上げられ、

「あぁ、もちろんだ。一生涯、忘れられない夜にしてやるから、覚悟しておけよ――朝顔」

 小十郎もまた笑みを浮かべ、再び朝顔に覆い被さった。

 やがて灯台の油が切れて闇の幕が静かに降りたが、もはや互いだけしか見えていない二人には何の障りもなく――こうして新婚初夜は、しめやかに過ぎていったのだった。

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