第20話、記憶の中の
『───ゲンコツのガープ、仏のセンゴク、大参謀おつる、そして既に前線を退いた黒腕のゼファー。彼らが最も活躍した時代こそ、かの海賊王ゴールド・ロジャーがまだ海の上に君臨していた頃である。彼らは海賊王と数多の戦いを繰り広げた海軍の功労者にして───』
「ナキちゃん」
自分を呼ぶ声が聞こえて、ナキはゆっくりと顔を上げた。
「そろそろマリンフォードにつく。ガープ中将が呼んでいるから一緒に行こうか」
笑みを浮かべるボガードの言葉に、小さく頷いて本を閉じる。両手でしっかり抱える本の表紙には『海軍黄金世代』のタイトルがやけに大きく書いていて、ボガードは苦笑した。
「その本はどこで見つけたんだい?」
優しく聞かれて、ナキは無言でベッドフレームの備え付き本棚を指さした。
そこには幼児向けの絵本や生き物図鑑などがナキの為に置いてあったのだが、それと一緒に1桁代の子供が読むとは思えないような、専門用語を大量に使った海軍に関する自己啓発本的な物が数冊あった。
真面目で常識人な大人のボガードは、難しい本を一人で読み切ったナキに純粋に感心した。
本を本棚に戻して、ボガードと共に部屋を後にする。甲板までの距離は子供の足にはそこそこ長いものだが、長年サバイバルを乗り越えて鍛えられた足腰はそれしきの事で音を上げはしない。
ナキがコルボ山を去ってから、時は早くも数日を経過していた。
突然ガープが「孫も1人連れていく」なんて言い出した時は部下達一同どうなる事かと思ったが、一緒に来たのが大人しいナキであると知って皆が胸をなでおろした。
確実にガープの遺伝子を引き継いでいる方の孫だと、どんな苦労が起きるものかわかったもんじゃねぇからだ。
「ガープ中将、ナキちゃんを連れてきましたよ」
「お〜ナキ!こっちじゃこっちじゃ!」
ぱっと満面の笑みを浮かべて手招きするガープに、ナキはててっと素早く駆け寄った。愛らしい姿に周りの海兵も思わずほっこりしてしまう。
ガープはひょいっとナキを腕に乗せると、船首の方に向かった。ギラギラと太陽の日差しが輝いていて、ナキが眩しそうに目を細めると、どこからともなく現れた女性の部下がナキの頭にカンカン帽子をそっと被せた。
「ほれ、ナキ。見えるか?」
ガープの声にナキがカンカン帽子のつばを持ち上げながら視界を上げると、大きな島が目視できた。たくさんの家が建ち並び、その中心には更に大きな建物があるのがわかる。
「あれがワシらの職場、その名も“海軍本部”じゃ!!」
建物の壁にデカデカと書いてある“海軍”の2文字を見つめながら、ナキはぼんやりとガープの声を聞いていた。
・
───マリンフォード“海軍本部”、その一室。
「…………はぁ」
海軍元帥センゴクは、ガープのコートをきゅっと握り締め傍から離れようとしない幼子を見て、深いため息をついた。
センゴクの隣に座っているのは、2人の同期の海軍中将おつる。そして海軍の三大将、サカズキ、ボルサリーノ、クザンの3名。
新兵の教育中で姿のないガープのもう1人の同期、ゼファーを除いた事実上の最高戦力が───今、ここに集結していた。
それも、ガープの孫娘───ナキ1人の為だけに、である。
「……その子が例の?」
「おう。可愛いじゃろ!」
まるで自分の事のように自慢げなドヤ顔をしてそう言ったガープの言葉を、この中で唯一の女性であるおつるは否定はしなかった。だって、可愛いのは本当の事だからだ。
真っ白なセーラーワンピースは夏らしく爽やかであるし、肩のあたりで揃えた黒髪とカンカン帽子はよく似合っている。
おつるの目利きは本物だった。伊達に女ばかり率いてはいないのだ。
「……海兵にするつもりですかい」
「まぁ本人が希望すればゆくゆくはな!」
そして叶うなら自分の艦で直属の部下になってもらって、一緒にお仕事がしたい。なんなら事務の方でも全然良いので。
ガープは己の心に忠実だった。おじいちゃんはいつだって孫と一緒にいたいものなのである。
問いを投げかけたサカズキは、怪訝な顔になってナキを見た。祖父にピッタリくっついて離れようとしない姿は、まぁ人見知りをする幼子らしいとは思う。けれど同時に、そんなザマで本当に海兵になんてなれるのか、とも思っていた。
物心ついた時には立派な海賊絶対殺すマンとなっていたサカズキには、兄弟全員が海賊を夢見ているという特殊環境に置かれた臆病者の幼子の気持ちはわからなかったのだ。
まぁそんな訳だったので、サカズキはナキを海兵というガープの言葉に反対した。本人の気質に合ってないなら、正義の為とはいえ無理にならせる必要はないだろう、と。正直、理性的でまともな大人の至極真っ当な判断であると言わざるを得ない。
センゴクもサカズキの意見に同意した。子供を育ててゆくゆくは海兵に、なんてトラウマが刺激されまくりである。控えめに言ってしんどい。
脳裏に蘇る本当の息子のように育てたドジっ子の事を思い出して、センゴクはちょっと泣きそうになった。
「あー…俺は別に良いと思いますけど?」
と、呑気な声で口を挟んだのはクザンだった。面倒くさそうにガシガシと自分の頭をかきながら、けれど真剣な目をしてジッとナキを見据えている。
「なるかならねぇかなんて、決めるのはあくまで本人だ。俺達がとやかく言う事じゃないでしょう」
「それは勿論そうだが……」
「……まぁそもそも、今はその子が能力を制御する事の方が先なんすよね?じゃあそんな未来の話は後に置いときましょうよ」
これはクザンの言う通りだった。
何度も言うようだが、ナキが兄弟のもとを離れてはるばる海軍本部にやってきたのは、悪魔の実の能力を制御する力を身につける為なのである。
野放しにしておくにはあまりに危険な水銀の能力。その事は、ナキもよく理解している。理解しているからこそここに来たのだ。
「……はぁ」
再びセンゴクがため息をついた。椅子にもたれかかり、こめかみを指で抑えながら改めてナキを見やる。
同じように、黒く、それでいて輝く宝石のような瞳が、センゴクを見つめ返した。
『なぁ、センゴク』
『ん?何だ、お前が俺に話しかけてくるなんて珍しいな』
『……妊婦って、一体何なら食べてもいいんだ……?』
『ちょっと待て、順を追って話は聞くからまず私の頭の整理をさせろ』
「……全く」
小さな声で吐息のように呟くと、センゴクは額に手を当てて俯いた。
もっと自分が若かった頃の記憶を思い出す。前線で活躍していた、今よりずっと海が荒れていた頃の事。
まぶたの裏で自分を見つめる黒い瞳が自分を見ている。なんとなくいたたまれなくなって、その瞳から逃げたい一心からまぶたを開く。
「……同じだな」
まぶたを開いた視線の先には、記憶と同じ黒い瞳が、まるで逃げるなとでも言うようにセンゴクの事を見つめていた。