第3話、フーシャ村の小さな姉弟
——四つの海の中で最も平和だと言われている
そこには今、ある海賊達が拠点として滞在していた。
「…ルフィ、もう大丈夫?」
「ゔん!ぜんぜんいだぐながっだ!」
「嘘つけ涙声じゃねぇか」
村の酒場では海賊達が集まって、昼間から酒盛りを楽しんでいる。
海賊達の頭である麦わら帽子を被った男——赤髪のシャンクスは、村の少年——モンキー・D・ルフィに、呆れたように笑って話す。
「だいたい、お前なんかが海賊になれるか!カナヅチってのは海賊にとって致命的だぜ!」
「カナヅチでも船から落ちなきゃいいじゃないか!それに戦っても俺は強い!ちゃんと鍛えてるから、俺のパンチはピストルのように強いんだ!」
「ま、それと自分で傷つけた事に関しては、全くの別問題だけどな」
「うぐぅ…!」
やれやれとでも言わんばかりの態度で肩をすくめるシャンクス。言い返せないルフィは、ただ不満そうに顔をしかめた。
「だいたい、ナキに心配かけたらダメだろーが。ちゃんと心配かけてごめんって謝ったのか?」
「おう!心配かけてごめん、ねーちゃん!」
「あ…うん、平気なら…別にそれで…」
突然話を振られた少女——ナキは、ぼそぼそと小さな声でそう呟く。シャンクスは苦笑しながらため息をつき、二人の頭をわしゃわしゃと撫で回した。
「ま、なんだ、ルフィ。要するにお前はガキすぎるんだ。せめてあと10歳年とるか、ナキみたいにしっかり者になったら考えてやるよ」
「俺はガキじゃない!」
「一つしか違わない筈のナキと比べたら、お前なんてまだまだガキだよ」
一切悪びれる様子のないシャンクスに、ルフィは更にムカムカと頬を膨らませる。ぶんっ、とルフィが自分の頭に乗っているシャンクスの手を叩こうと腕を振るうも、それもまた容易くいなされた。
「むきーっ!」
「はっはっは!遅いぞルフィ!」
「…お頭、ナキが困ってる。撫で回すのはもうやめてやれ」
「ん?おぉ、ごめんなナキ」
副船長のベン・ベックマンの言葉に、シャンクスはナキの頭から手を離した。ルフィの相手をしている間もずっと撫で回していたせいで、ナキの黒髪はぐしゃぐしゃになってしまっている。
「悪かったなぁ、せっかく綺麗に整ってたのに…そうだ、俺が整えてやろうか?」
「あ…だい、じょうぶ…」
「そう言うなよ、これでも器用なんだぞ?」
「じ、自分でやるから、いい…」
そう言うと、ナキは一番静かに酒を飲んでいるベックマンの傍に駆け寄り、彼の近くの椅子に座って、手ぐしで自分の髪を整え始めた。ベックマンは苦笑して、どこか羨ましそうに睨んでくる己の船長の視線を無視した。
別に、ナキはシャンクスを嫌っている訳ではない。ただ、大人しく物静かな性格である故に、常に誰かと共にいる太陽のようなシャンクスより、静かで落ち着いているベックマンの方が、内心安心するというだけだ。
あと単純に、陰キャが陽キャと話をして、緊張しない訳がない。
要はそういう事である。
少女——ナキには、所謂前世の記憶というものがある。
前世の自分がどう生きていたのかとか、“グリム・リーパー”を名乗る謎の人物との会話だとか。
思い出したのは物心ついたかどうかという頃だったし、その前世自体、全てを細かく覚えている訳ではない。
そして、そんな不思議な記憶を持っているナキだが、彼女は自分の両親の顔を知らない。
村人の話では、ナキは世界的に名の知れた海兵であるガープが、ある日突然連れてきたのだという。
そしてナキがフーシャ村にやって来た翌年にルフィが生まれ、二人は血の繋がりこそないものの、ガープの孫…つまり義理の姉弟として、二人で一緒に暮らしてきた。
前世、実の家族から関心される事なく育っていたナキにとって、この世界で得た家族という存在は、本当に宝のようなものだった。
ルフィはナキと血が繋がっていない事を知っていても、気にする様子なんて少しもなく「ねーちゃん」と呼んで慕っている。たまに帰ってくるガープも、ルフィとナキを分け隔てなく“孫”と呼んで慈しんでくれる。
性格は正反対。それでもナキは二人の事を、とても大切に想っているのだ。
「—……?」
ふと、ナキが目を丸くして、酒場の扉の方を向いた。近くにいたベックマンがそれに気付き、声をかける。
「どうした、ナキ」
「…ベックマンさん達って、他にも仲間、まだいるの?」
「仲間?いや、今日は全員揃ってるが…」
「…?じゃあ、何であんな…」
——バキッ!
「——邪魔するぜェ」
「……!」
突然、酒場の扉が吹っ飛んで、同時に男の低い声がした。
和気藹々とした空気が一瞬で静まり返り、額に傷のある男を筆頭にぞろぞろと男達が中に入ってくる。
「ほう…これが海賊って輩かい、初めて見たぜ…間抜けた顔してやがる」
男——山賊棟梁のヒグマはそう言うと、歩きながら店の中を見渡した。ルフィはぽかんとしてただ男を見ているが、ナキは突然現れたガラの悪い男達に若干怯えている。気付いたベックマンが自分の後ろにナキを隠し、男達から身を隠させる。
ヒグマはカウンターの前で立ち止まると、笑みを浮かべながら店主のマキノに話しかけた。
「俺達は山賊だ。…が、別に店を荒らしに来た訳じゃねぇ。酒を売ってくれ、樽で10個ほど」
「あ…ごめんなさい、お酒は今、ちょうど切らしてるんです」
「…おかしな話だな、海賊共が何か飲んでいるようだが?ありゃ水か?」
「ですから、今出てるお酒で、全部なので」
マキノがそう言うと、ヒグマがすっと目を細めた。瞬間、ぞわっとナキの背筋を悪寒が走る。
思わずベックマンの服の裾を掴もうとしたその時、ヒグマの近くにいたシャンクスが口を開いた。
「これは悪い事をしたなァ。俺達が店の酒を飲み尽くしちまったみたいで」
すまん、とシャンクスはヒグマに謝罪して、手元のボトルの酒を男に差し出した。
「これでよかったらやるよ。まだ栓もあけてない」
「……!」
——瞬間、ヒグマが拳を振って、思いきりボトルを叩き割った。
すぐ近くにいたマキノとルフィは驚愕で目を見開き、ナキはビクッと肩を跳ねさせて思わず目をつむる。
髪や服にかかった酒が、ポタポタと音を立てて床に滴り落ちていく。
「俺を誰だと思ってる…舐めたマネするんじゃねぇ…」
「あーあー、床がびしょびしょだ」
「…これを見ろ。八百万ベリーが俺の首にかかってる。第一級のお尋ね者って訳だ。56人殺したのさ…てめェのように生意気な奴をな」
「悪かったなァマキノさん。ぞうきんあるか?」
ヒグマの目が更にキツくなる。話を無視されたように感じたのだろうか、殺気のような感覚が鋭さを増していく。実際、どこから見てもあれは無視だ。
「ぁ、や…ベックマンさん、止めて、あれ、止めて…」
「まぁ待て。大丈夫、お頭も相手も馬鹿じゃない」
「でも、でも…」
ヒグマのまとう空気がピキピキと冷たくなっていくのを、ナキは痛い程感じていた。
おそらく、56人殺したというヒグマの話は嘘ではないのだろう。少なくともナキには、それが嘘ではないという事が理解できてしまった。
「……!」
「ひっ…、!」
ヒグマは腰のサーベルを勢いよく引き抜き、カウンターの酒を全てさっきのように叩き割った。しゃがみこんで真下にいたシャンクスに、勢いよく酒が襲いかかる。
ぎゅ、とすがりつくようにベックマンの服を強く掴む。ベックマンは苦笑を浮かべてナキの頭に手を置いて、なだめるようにそっと撫でた。
「ケッ…じゃあな、腰ヌケ共」
捨て台詞のようにヒグマはそう吐き捨てると、踵を返して酒場から出て行った。他の山賊達もその後を追い、ようやく全員がいなくなってから、ナキはへなへなとその場に座り込んだ。
「おっと…大丈夫か、ナキ」
「…シャ、シャンクスさん、怪我…ガ、ガラス、いっぱい…」
「お頭、ナキがお頭の怪我の心配してくれてるぜ」
「お?大丈夫だぞー、怪我なんてどこにもしちゃいない!」
ほら見ろ、なんて言って両手を広げてみせるシャンクス。
ガラス、刺さってない?と震える声で問いかければ、刺さってない刺さってない、と陽気な声が返ってくる。
ほっ、とナキが胸を撫で下ろすのと同時に、静まり返っていた酒場に響く大きな笑い声。
「だーっはっはっは!!何てざまだお頭!!」
「派手にやられたなぁ!!」
「はっはっはっはっは!!」
己の船の船長が馬鹿にされたというのに、心底おかしそうに笑うクルー達。当人のシャンクスでさえ、大きく口を開けてからからと笑っている。
「何で笑ってんだよ!」
響き渡る笑い声の中、負けじとルフィが大声で叫ぶ。シャンクス達の笑い声も、ほんの一瞬ピタリと止まる。
「あんなのかっこ悪いじゃないか!何で戦わないんだよ!いくらあいつらが大勢で強そうでも!あんな事されて笑ってるなんて男じゃないぞ!海賊じゃない!」
「…気持ちはわからんでもないが、ただ酒をかけられただけだ。怒る程の事じゃないだろう?」
「ねーちゃん心配してたじゃねぇか!心配かけるなって言ったのはシャンクスなのに!」
「うっ…それを言われると返す言葉がない」
ついさっきその事でルフィに説教した身とあって、思わずシャンクスの笑みがわずかに引きつる。
実際ナキは、シャンクスが酒をぶっかけられた時、顔面蒼白になってシャンクスを心配した。ずっと一緒にいるルフィが、それに気付かない訳がない。
「〜っ、もう知らねぇ!」
「おい待てよル、フィ…」
「知るかっ!もう知らん弱虫がうつる!」
シャンクスがルフィの腕を掴み引き止めようとするも、ルフィは怒りながらずんずん前に進んでいく。
進んでいく。
腕を掴まれていながら、ずんずん前に。
「…ぇ」
「ん?」
「な…!?」
「…ル、ルフィ……うで…」
震えた声でナキに指摘され、ルフィは首を傾げながら自分の腕を見た。
…びょーんと伸びた、自分の腕を。
「何だこれぇぇぇぇっ!!!??」
「あぁぁぁぁぁあぁぁ!!!??」
「……!?…!!?」
さっきの笑い声以上の絶叫が、これでもかと酒場に響き渡った。