西暦二三〇三年六月、ユニオン第一国際大学
ユニオン領にあるこの大学では今年も優秀な学生を世に送り出す行事を執り行った。殊MS工学においては他大学の追随を許さず、ユニオンの新型可変MSフラッグの開発にも多数の卒業生が携わっている。超一流の技術者を目指すならここ、と言わしめるこの大学に不思議な留学生がいた。経済特区日本から留学してきた弱冠17歳の異才の少女、博麗霊夢。MS工学を専攻し、重粒子崩壊現象で発生する特殊なフォトンとEカーボンの衝突による炭素のフェルミ縮退と機械強度の変化を量子化学面から予想し、実験値と0.01%の誤差で的中させた卒業論文が世論に注目され、当然のように世界中の軍や研究機関からスカウトされた。容姿もケチのつけようがない大和撫子で、化粧っ気もなく若く見える民族的体質からローティーンと勘違いされる始末。おまけにワークローダーコンペティションで退役軍人を抑えて操縦個人部門でぶっちぎりの優勝を飾っている。
あちこちの方面からかかるアプローチを淡々と断ってきた霊夢だが、今日の相手は彼女にとって少々分が悪かった。
普段のぶっきらぼうさを露出するにはTPOが不利なのだ。
「今日は私を招待してくれてありがとうございます。エイフマン教授」
「いやいや、わしの我儘に付き合ってくれたのだ。楽にしたまえ」
著名な旧世紀の科学者達が議論のノートをマスターに預かってもらったというエピソードで有名なレストランでレイフ・エイフマンは教え子とディナーをとっていた。ここはユニオンでは珍しいロシア流のレストランで、メジュドナロードナヤ・ホテルのラウンジにある三ツ星だ。給仕にサーブされた前菜はどちらも多めで、グラタンの一種であるジュリアン、アセトリーナの燻製、スモークサーモン、ニシンの塩漬け、キャビア、ブラッディウインナー、白パン、ブリンヌィ、ハム、チーズ、エビと紫蘇のサラダ、ローストビーフ、ホースラディッシュの酢漬けが運ばれてきた。ロシアでは日本などとは違ってレストランは休日に一気にがっつり食べる場所であり、夕方の開店から閉店ギリギリまで利用する慣習がある。
エイフマンは古風な英国の第一正装を着こなし、霊夢は髪をアップにして小さな紅いリボンで留め、赤いイブニングドレスで着飾っていた。老紳士と極東美女の構図と題打てば名画になりうる光景だった。
「君が大学に残らないと聞いて残念だよ、霊夢君。あの論文は十年後の未来を変える第一歩になるじゃろうて」
「あれは教授の口添えで重粒子発生研究所を借りれたおかげで、なんとか針先を一瞬弄れた程度の代物です。MSに応用するには技術的にも困難でしょうし、まして重粒子を保存するにはそれこそ巨大な惑星圏でモノポールを相当採取しなければならないでしょう。国家事業に軌道がシフトしない限り実現には程遠いです」
「わしが生きている間に永久機関を見るのは難しいかもしれんか。過去の偉人も似た口惜しさを感じておったのやもしれんの」
「教授。もしかして私に研究を引き継いでほしい、なんて流れに持っていこうとしていませんか」
スピリタスが気管に入ってエイフマンは咽てしまった。どうやら図星のようだ。
「わかっておるなら、なぜ」
「私の夢が真の意味で叶わないと気付いたからです」
霊夢は灘で生産されたブランドの清酒をワイングラスで飲み干す。喉につっかかる言葉を吐き出しやすくするために。どことなくぼんやりとした彼女の雰囲気が怜悧に変わったのをエイフマンは感じとる。
「教授。今から言う話は誰にも打ち明けた事はありません。聞いた後も誰にも言わないでくれませんか」
「もちろん約束しよう」
霊夢は大きく深呼吸する。よほど周りに話しづらかったのだろう。エイフマンにできる事は静かに頷いてあげる位しかない。
「……私の両親が亡くなった十年前の出来事です」
「ご両親を亡くしておったのか」
「はい。家族旅行でタリビアを訪れた時、私達は強盗団に襲われました。父は闇夜の路上で殺され、私と母は身代金目当てで誘拐されました」
彼女の澄み過ぎて奥の知れない眼差しにエイフマンは息をのむ。衝撃すぎる告白に言葉も出ない。
「人間を金になる商品とみなしている奴らに捕まった時、身の毛がよだつ気分でした。父が殺されてもまだ実感が湧かなかった。怪我をして倒れたのかな。大丈夫なのかな。誰か助けてくれるのかな。そう悠長に泣いていたら、ガムテープで目と口を閉ざされて、ライトに照らされました。頭に冷たい鉄の感触があって、それからよく覚えていません。結果として、父と母は殺され、私は身代金と引き換えに解放されました」
「まさかそんな事が」
「そのまさかです。強盗団が私を誘拐したのは麻薬を購入するお金が不足していたからだったそうで、母が殺されたのは日本政府の対応が遅々極まってタリビア政府とも連携がろくに取れなかったせいです。政府軍が強盗団を掃討したそうですが、何も、かもが、遅すぎました」
俯く霊夢の表情は髪に隠れていたが、エイフマンは直視するに耐えられなかった。
七歳の子供に対するあまりにも惨い仕打ちに、彼の涙腺にもジンジン痛みが走る。
そうなれば、彼女がここに来てMS工学を専攻した理由がくっきりとしてくる。
「父と母は麻薬に殺されました。私には何の力もありませんでした。どうすれば二人の無念を晴らし、復讐を果たせるか考えに考えた末に、ユニオン軍に入営すればいいと思いました。ですが、日本の国防軍はユニオン軍とは独立しており専守防衛のみを目的としています。南米の麻薬プラントには到底届きません。ユニオン軍に入営するにも国籍が邪魔をしました。日本は二重国籍を認めませんし、市民権を得るには年数がかかりすぎます。直接軍属になれないなら、MS開発で間接的にカルテル撲滅に関わろうと決意して、ここにやってきました。私はあの大学に通えて、教授に出会えた事に感謝しています。ですが、ユニオンの政治には失望を禁じ得ませんでした」
「議会の事勿れ主義じゃな」
「その通りです。議員のバックボーンには巨大企業の影があります。彼らは国家と国民の安寧ではなく、自分達を支援してくれる企業の御意向を窺って有利な法案を通し、触れれば火傷を負いそうな汚物に蓋をして票を奪い合う。人間がする仕事じゃありませんよ、あれは。魑魅魍魎の蛇蝎か何かです。三世紀も前からメキシコの国境から麻薬と犯罪者が流入しているのに、議員や州知事は『幾度も国境を調査しており、あの地帯を誰よりも知っています。国境地帯はこれまで通り安全だと断言します。』こんな体たらくで到底ユニオンには期待できないのですよ」
エイフマンもユニオンの国政には忸怩たる思いを飲み込んだ経験がある。研究補助金予算の増減に宗教が絡んでくるのだ。現在のアメリカの政党は民主党と共和党、そして新イスラム自由党の三大政党制で、議員の宗派もそれぞれカトリック、プロテスタント、スンニでほぼ構成されている。これは州の地勢と密接に関わっており、州は各政党の色に染まった教育を子供に施している。いまだにこの世が聖書で回っていると本気で信じている国民が全国の四割を超えているという信じられない統計が公表されている。その洗脳教育もあって、少々強引な公約を掲げても選挙で通ってしまう場合もある。それは大統領の選出でも同じだ。大統領が根っからのカトリック教徒になった場合、科学方面の予算が大幅に削られてしまう滑稽な出来事が現実になる。過去にエイフマンも参加していた新型粒子加速器の建設が凍結されてしまったのもカトリック政権が原因だった。
醜悪な巨人は霊夢の目にどう映っただろう。聡い少女だ。すぐに理解してしまったに違いない。
巨人の剣は巨人の為に振るわれるものであり、足元の蟻の為に振るわれはしないのだ。
「もうユニオンでは私の夢は叶いません。ですが、もしかしたら夢を叶えられる職場が見つかりました。技術的にも、心情的にも私を満足させられる職業です」
「AEUか、それとも人類革新連盟かの」
「詳しい内容は守秘義務があるので答えられませんが、どの国家群にも属していません。ただの非営利組織です」
PMCかと推測して、その当ては外れた。エイフマンはいったいどんな組織だと尋ねたかったが、霊夢は口を割ろうとはしないだろう。
食後のデザート、アラモードプリンを食して二人はしばらく無言の間が続いた。
「そうか。それなら引き留められなんだ。霊夢君、最後に老婆心からささやかな忠告を贈ろう。過去に囚われて今を見失ってはならんぞ」
「わかりました、エイフマン教授。あなたの教鞭の下で学べて嬉しかったです。迎えが来ていますので、これにて」
立ち上がり、エイフマンのエスコートを断って自分の代金をテーブルに置き、霊夢は静かに立ち去った。
「さようなら、エイフマン教授。お達者で」
「再会を願うよ、霊夢君」
エイフマンは霊夢の後ろ姿を黒塗りの車中に消えるまで見送った。
あの華奢な背中にそこまで業を背負っていたとは、彼も己の盲目さに悲しみが心臓を貫いた。
もし気づいていたら、何かしてやれただろうか。
自分の責任ではないと理屈でわかっていても、彼は自責の念に覆われていた。
「そうか。彼女はこうなるとわかっていて、誰にも言わなかったのか。本当に、聡く、愚かな娘じゃ」
見上げると満月は煌々と輝いていた。軌道エレベーターがあるこの時代、月には文字通り手が届いているが、やはり地上からは絶望的に孤高だった。温かい色、冷たい光。ほろ酔いの脳が矛盾した三流の詩を紡いでいく。度し難いわだかまりをどうしてくれよう。科学の先端を走るエイフマンは思索に耽る。
一方、同じ月を少女が後部座席でぼうっと見上げていた。
「ありがとう。ゆうよをくりぇて」
「別に構わなくてよ。別れの挨拶ぐらい、二百年の時に比べれば些細な砂粒ですもの」
「あんらがいわらくてもいいわ」
「あら、ひどい。ところで博麗霊夢、あなたは未成年ではなくて」
「られりもめえわくかけれらいもん」
「法律では飲酒は禁じられてい」「わらしだからそんらろいいにょ。いじげんれにょみまくっれるわ」
酔っ払いに道理は通じない。霊夢のエージェントを務める王留美は会話を諦めた。それよりも霊夢達が所属する私設武力組織ソレスタルビーイングの未来を考える方が建設的である。四人目のガンダムマイスターが見つかり、残りはガンダムエクシアのパイロット一人となった。プトレマイオスチームはまもなく完成し、四年後に大々的な活動を開始するだろう。紛争の根絶を掲げるイオリア計画の武力介入は世界の秩序を破壊し、新たな秩序を再生するだろう。否応なく世界中が変革の序曲を聞き、賞賛と怨嗟の声をあげるに違いない。
「それでも灰色の世界が変わるなら」
橙色の照明灯が後背へ疾走する。バックミラー越しには少女がすやすや寝息を立てている。
これが果たしてヴェーダが選んだガンダムマイスターなのか疑問だ。