ラグランジュ5 ソレスタルビーイング整備ドック
腹を空かせた霊夢に必要なのは大量のカロリーと栄養だった。食堂に着いて野菜ジュースとプロテインバーを受け取って星空を映す窓際のバーに腰を固定した。本当は肉や魚を食べたいが、宇宙でアスリート並の生活を強いられては他に手立てはない。食べ慣れた味。よく噛んで、嚥下して、胃に入る。そこには義務感だけが支配する。食事の時だけは切実に地上に戻りたかった。
「そこ、座っていいかな」
霊夢が空腹に苛まされていた真っ只中に大学生ぐらいの女性が隣に腰かけた。
「別にいいわよ」
「じゃあ、失礼して。……あれ、君もしかして噂の四人目?」
「ガンダムマイスターって意味ならその通りね」
「やっぱり。私はクリスティナ・シエラ。クリスって呼んで」
明るい雰囲気を放つクリスティナは戦況オペレーター兼プログラマーだ。霊夢と同年代とあって最初にアプローチを掛けてきた積極性は女子力向上にも健在であり、オシャレのためなら衝動買いもしてしまう可愛らしい側面に対し、任務には己を厳しく律する逞しさも有している。既にチームプトレマイオスに抜擢されていたものの、業務引き継ぎが忙しく、霊夢と長らくすれ違っていた。
「それにしても霊夢さんってすごく肌がきれいね。どうやってるの?」
「化粧水以外これといってしてないけど」
「ええ~!?うっそでしょ。その肌で化粧水だけ?信じられないんですけど」
大きな声で頬を抑えているクリスティナを尻目に霊夢はジュースをじゅるじゅる吸う。
「学校で化粧の仕方教えてくれないし、なんか聞きづらいし。何使ったらいいかもよくわからない」
トーンを落として恥ずかしげに新人マイスターが告解する。そもそも霊夢が独特な近寄りがたい雰囲気を出しすぎて、また容貌が並はずれて優れていたがために誰も指摘しようとしなかったのも悪かったし、家庭環境を差し引いても霊夢自身があまり化粧に…というより自己に興味がなかったのも悪い。今更化粧の社交性に気づきました、誰か教えてくださいと大学の年上の人達に言いにくかったりもする。もっとも工学科の宿命である絶望的な男女比が後押ししたのは言うまでもない。
その結果、クリスティナは初対面で年相応な素顔に遭遇してしまったのだ。まあ、ちょっと先輩面してみたかったのだから、クリスティーナにしてはありがたかったりする。
「え、じゃあ。クレンジングとか」
「なによそれ」
「ファウンデーションはケーキ?クリーム?それともリキッド?」
「そんなに種類あるの?」
「口紅は」
「こないだ試供品を使ってみたくらいね」
「アイブローもしないの?」
「そういうのに時間かけたくなかったし」
「う、ううう。あんまりだぁ」
頭を抱えたくなるほど化粧に無知だった。クリスティナはどうしたものかとストローをじゅるじゅる吸ったが、ここが彼女のムードメーカーたるのだろうか、あっさり視点を切り替えてみることにした。すなわち、今の霊夢は最高級のキャンバスなのだから、私が上質な絵具と筆を活かす方法を教えてやればいいのではないか、と。
「そっか、わかったわ。なら今度のオフ、一緒に出掛けよっか。フェルトも連れて」
「あの子も?まだ小さいじゃない」
「女はすぐに育っちゃうからいいのいいの。ほんとは思春期なりのメイクも必要なのよ。それにそれに――」
ここぞとばかりにお姉さんぶるクリスティナのまくし立てに、霊夢は珍しく狼狽して聞き入っていた。
そんな面白おかしな二人を少し離れたテーブルからのほほんとリヒテンダール・ツェーリは観賞していた。具体的にはかわいすぎる二人に見惚れていた。
「いいっすね。どっちも甲乙つけにくいっす」
「リヒティ。いくらクルーでも不躾にジロジロ見るのはよせ」
浮ついている彼の隣で黙々と食事をしているラッセ・アイオンは、友人の軽さを静かに窘めた。彼らはプトレマイオスの操舵を任されており、腕は一級を誇る。それ故にラッセはリヒテンダールの軽率な言動がいつか手痛いしっぺ返しにつながるのではないかと心配していた。これから少なくとも五年は一緒に狭い艦内で呼吸する仲間が、セクハラごときで居心地の悪い空間を作ってしまわないか。宇宙空間で、ましてや軍事作戦で大切になるのは人間同士の円滑なコミュニケーションだ。
ただのプライベートな問題ではない。命に関わる問題に発展しかねないのだ。
「すいません。でも気になるんですよ。ラッセさんはあの二人をどう思うんすか」
「どうって言ってもな。優秀なクルーだと思っている」
「そうじゃなくって。女性としてどうなんすか」
「さて、な」
目を閉じてコーヒーをすする。ラッセには恋愛に興じる余裕がなかったし、過去の事もあって恋愛は危険だと考えていさえする。殺伐とした命のやりとりに、もし家族や恋人が巻き込まれたら?考えるだけでも恐ろしい結末に、果たして自分は冷静に作戦を続行できるだろうか。ラッセは自信家でもなければ、楽観主義でもないと自覚している。だからこそ、必要以上に対人関係を密接にしないよう努めてきたのだ。
全てはソレスタルビーイングのために。
全ては過去の贖罪のために。
舌全体に苦味が広がっていく。
一方、リヒテンダールは彼のぼかした反応が面白くなかった。あれだけ目立つ少女二人に男として何も感じない方がおかしいのだ。『人間を半分失った』自分だから、人間の根幹に正直にあるべきだと思っている。人間が当然抱く感情を当然のように体と言葉で表せる事がどれだけ素晴らしい事か、人はなかなか理解していない。当たり前ができない恐ろしさを身に染みているリヒテンダールは、それ故にできる事は今のうちにしておこうと心掛けている。クルーには先に挨拶しようとするし、少し嫌がられてもどんどんおしゃべりしてみる。たまに空回りしてしまうが、チームがリラックスできるように気を遣ったりもする。気になるクリスティーナを食事に誘ったりと今まで六回はアタックして撃沈した。その度にへこんでしまうも、後悔はしていない。
リヒテンダールにしてみれば、何か絶対思っているはずなのに何も表面に出さないラッセは人生をかなり損している気がしてならないのだ。人間黙って察せられるほど頭はよくはない。
甘いクロワッサンをあぐっと口に入れて、もぐもぐ噛んで嚥下した。
「ラッセさん。前から思っていたんすけど、ちょっと女性に一歩引いてるんじゃないですか」
「ズカズカ上がり込む奴よりはマシだ。それに俺はソレスタルビーイングの一員としてはきっちり協調するつもりだ」
「あんまりビジネスライクに生きて後々後悔しても知らないっすよ」
「俺の生き方を今の俺は悔やまん。そんな事は全てが終わってからにするさ」
お互いが異なる環境、異なる経緯で対立する考え方を育てていたが、ラッセもリヒテンダールもなんとなく理解し合っており、むやみに否定はしない。
それが人間だから。それがソレスタルビーイングだから。
☆☆☆☆
これが、俺のガンダムか。
武器をかつて持たされた元少年兵、刹那=F=セイエイは憧れの『神の具現』を前にして静かに黙考していた。格納庫には非常用の蛍光灯が灯るのみであり、傷一つない蒼天の騎士はヴァルキュリーの彫像のようで、それそのものが芸術品だった。
騎士の名はガンダムエクシア。刹那が選ばれた、否、刹那を選んだ機体である。高潔な印象を与える色のコントラストに怜悧な容貌、何よりも雄弁に語る鋼の剣は、遠くないうちに幾千の兵士を殺し、戦場を切り裂き、世界を断罪するのだろう。
俺は、ガンダムになれるのか。
一度は洗脳され、両親を殺した刹那は、刹那の死を救ったかつての『天使』に今度は己がなれるのか不安だった。母が血に沈む姿と、熱砂にまみれても神を信じ、蜂の巣にされた少年兵の姿が脳裏をよぎる。
こんなに罪深い俺が、ガンダムになれるのか。
MSの銃口が刹那を捉えた瞬間、彼を救ったのは一条の閃光だった。廃墟を這い回る機械の悪魔が次々と光の槍に貫かれ、爆散する。圧倒的だった。
黄昏に佇む虹の天使が愚かな地上の子を睥睨する。
そう、あれがガンダムなのだ。どうしようもない世界の歪みを糺す正義の刃こそガンダムなのだ。
だというのに、刹那自身は唯の親殺しで、人殺しで、何も知らない子供だ。
ソレスタルビーイングに入り、いよいよ憧れのガンダムに乗ろうとする前ですら、刹那はあの頃から己が全く変わったとは思えなかった。
「俺はまだ、クルジスにいるのか」
思わず胸がざわつく。ガンダムに選ばれても、ガンダムを今のままでは体現できないと悟ってしまった。いったい何が足りないのか。
「よぉ、刹那。夜更かしは体に悪いぞ」
「ロックオンか。どうかしたのか」
横合いの通路から長身の男性が歩み寄ってきた。ロックオン・ストラトス、狙撃のデュナミスを担うガンダムマイスターだ。
「いや。夜更かしをしに来た」
「体に悪いんじゃなかったのか」
「そりゃお子様だけだな。世の男女は夜更かしが義務だ」
「初めて聞いた」
「聞かずともわかるんだがな」
ロックオンは苦笑する。彼は他のマイスターよりちょっと年上というだけで、一癖も二癖もあるマイスター達を繋ぎ留めなければならなくなってしまった。
ティエリア、刹那は趣味もなければ遊びもない。霊夢はあるにはあるが、プライベートは専ら寝るかお茶を淹れるか、はたまた掃除をしているか。枯れているとしか言いようがない。
互いに親交を深めようとする事もほとんどなく、ティエリアはヴェーダにかかりっきり、アレルヤは趣味も娯楽もなくぼうっとしており、霊夢は無重力の空をふよふよ浮いているか女子クルー達と話している。
社会不適合者の集団をなんとかしろというのだから、ロックオンの苦労は推して知るべし。しかしながら、曲がりなりにも紳士なロックオンは平然として笑顔を振りまく。日頃から余裕のない奴に誰が信頼してくれるだろうか。
「そんなに浮かねえ顔して、何かあったのか」
「俺は、ガンダムになれるのか」
刹那はどうも素朴で抽象めいた会話をしがちだ。馬鹿ではないとロックオンは見抜いてはいるけれども、行間を省く悪癖はどうにかしてほしいものだ。
「何?」
「…アンタにとって、デュナメスは何だ」
「そうだな。あんまり考えちゃいないが、デュナメスはチームのみんなを護り、邪悪を撃ち抜く一蓮托生の相棒ってとこだ。それがどうかしたのか」
言い淀む刹那。まあ、人生経験豊富なロックオンは初めから察してはいた。
「自信がないって顔をしてるな。大方エクシアを使いこなせるか不安なんだろ」
返事がないが、表情を見る限り図星だろう。実際ロックオンの推測はそこまで的外れではなかった。
さすがに刹那に根差すガンダムへのある種の信仰には気付けなかったが。
「誰だって初めはそんなもんだ。お前が向う見ずな自信家だったら俺は絶対信用しないだろう。だがな、刹那。たとえお前に自信がなくとも必ず守らなきゃならない約束がある。何だと思う」
「紛争根絶への覚悟か」
「そんなものは後回しだ。いいか。俺たちソレスタルビーイングは、チームプトレマイオスは命を預け合う仲間だ。スメラギ、クリス、フェルト、イアン、モアレ、リヒティ、ラッセ、霊夢、ティエリア、アレルヤ、刹那、そして俺。誰も替えがきかない運命共同体だ。だから、俺たちは絶対に仲間を信じる。どんなに困難な状況でも、最後まで仲間を信じ続けろ」
それは、今までの人生を不毛な闘争に費やしてきた刹那には新鮮な言葉だった。
砂漠と荒野の心に一陣の緑の息吹がすっと舞った瞬間だった。
「仲間を、信じる」
「本当の自信ってのは、誰かにずっと信じてもらえてようやく形になる。手前だけが信じる自信は折れるとあっけないもんさ」
ロックオンは胸のポケットから煙草を取り出してライターで火を点けた。
一服して天井を向いたまま、口ずさむように心が漏れた。
「『一番大切なものは目に見えないんだ。……人はこの真実を忘れてしまった。君は心を開かせた相手をずっと背負っていくんだ。』妹が好きだったお話の言い回しだ」
刹那からは背の高いロックオンの顔はよく見えなかった。
赤く燃えていた灰が儚く落ちて崩れた。
無音が痛く感じる。
どこか憂いを帯びた背中を刹那に向け、ゆっくりと去っていく。
「俺は生憎先生には向いてなくってな。後は刹那自身で考えてみろ」
ロックオンが消えた後も刹那は通路を見つめ続けた。
刹那の精神はまだ未熟ではあったが、人の機微には敏感に感じていた。
「お前も哀しいのか、ロックオン」
暗い通路は何も答えなかった。通気孔の風が落ちた灰をのこさず吸い込んでいった。
モンハンとGOWは時間を奪う…