雪風の少女と北の島国   作:志真 文

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第2話 はじまりの祝福

「…タバサが、失敗した?」

 

 誰かの声に、アイスランドは我に返った。

 急いで背後を振り返ったが、あの鏡のようなものは、もう影も形もない。

 これで帰り道は絶たれてしまったのだ。

 

 焦りつつも周囲を見回してみると、やはり今いる場所は広い草原の中だった。

 それほど遠くない距離に、城のような大きくて古めかしい建物がある。

 気候は寒くも暑くもない。

 

 そして――自分と、タバサと名乗った少女を囲むようにして、数十人の人間がこちらを見ていた。

 

 全員彼女と同年代で、似たような格好をした、少年少女たちだった。

 ただ一人、頭髪が寂しいことになっている中年の男が立っているが、この集団のリーダー格だろうか?

 

「おいおい、ゼロのルイズじゃあるまいし」

「平民の使い魔なんて、聞いたことないわ!」

「珍しいことがあるもんだ」

「トライアングルメイジのタバサが? ありえない!」 

 

 子供たちの驚きの声が、その場に溢れる。

 

(…意味わかんない)

 

 状況が、さっぱり飲み込めない。

 呆然と膝を立てて座り込んだままのアイスランドに、タバサが歩み寄ってくる。

 

「ねえ、何これ。ここはどこ? なんで僕、ここにいるの」

 

「後で説明する。周りは気にしないで」 

 

 問い掛けるアイスランドにそれだけを言って、彼女はアイスランドの目の前で屈み込み、目線を合わせた。

 深い湖を思わせるタバサの青い瞳が、困惑するアイスランドの表情を映す。

 

「気にしないで、って…」

 

 周りの視線はちくちくと痛いし、相変わらず状況は理解出来ないしで、納得できずに口を開いたアイスランドを遮るように、

 

 

「我が名はタバサ。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

 

 

 まるで呪文のような、わけの分からない言葉を、彼女は紡ぐ。

 

「え? 何言っ……」

 

 眉根を寄せたアイスランドの額に、タバサの持つ杖の先端が押しつけられる。

 黙れということなのだろうか、とアイスランドは思わず口を噤んだ。

 

 その唇に。

 

 少女のそれが、重なった。

 

 

「――え?」

 

 

 あまりにも何気なく、唐突で、そしてすぐに離れたせいで、一瞬何をされたのか分からなかった。

 加えて、タバサの表情がまったく動いていないのも手伝って、今のは気のせいかと思ってしまいそうになる。

 だが、それでも脳は勝手に理解をして、じわじわと、今されたことを実感していって。

 

 

「なっ……ななななな、なにっ……!?」

 

 

 アイスランドは口を押さえ、勢いよく身を引いた。

 顔は当然、湯でも沸かせそうなくらいに真っ赤だ。

 

「契約」

 

 一方のタバサは、相変わらず平然としていた。

 声も淡々としていて淀みもなく、耳の端すら赤くなっていない。

 

「い、意味わかんない! な、なんで、いきなり、そのっ……!?」

 

 言いたいことはいろいろあるけれど、言葉に出来ないし口が回らない。

 最終的に絶句したアイスランドを見つめるタバサの無表情が、どこか面白そうに見えるのは気のせいか。

 

 ――そんな、緊張感のない時間は、ふいに破られる。

 

「いっ……!?」

 

 突然、体中に焼け付くような痛みが走って、アイスランドは喉を引きつらせた。

 特に左肩の後ろが、痛い。まるで焼鏝を押しつけられているようだ。

 思わず地に伏せ、肩を押さえるが、痛みが和らぐ気配すらない。

 その時。

 

「すぐに終わる」

 

 熱さとは真逆の、透き通った涼やかな声が、降ってきた。

 次の瞬間。

 始まりと同じく唐突に、それは終わった。

 

「……え?」

 

 余韻すらなく、耐え難い痛みの記憶さえ、一瞬ごとに失われていくようだ。

 肺に溜まっていた息を吐き出して、アイスランドはタバサを見上げた。

 

「今の、何」

 

「使い魔のルーンを刻んだ」

 

「意味わかんない」

 

 ふらつく頭を押さえながら立ち上がって、アイスランドは憮然と返した。

 ほんの数秒の出来事だったが、額は汗で濡れ、前髪が張り付いていた。

 それを煩わしそうに払い、アイスランドはもう一度溜息を吐く。

 今日はなんて厄日なんだろう。

 本当に、さっぱり意味が分からない。

 

「ふむ、珍しい例だが、契約は成功したようだね。では、使い魔を中庭へ連れていきなさい」

 

 手元の本に何かを書き込み、禿頭の男性がタバサを促した。

 

「こっち」

 

 タバサがアイスランドの手を引いて、人の輪の外へ連れ出そうとする。

 アイスランドも、このまま衆目に晒され続けるのは嫌だったので、釈然としないまま素直に従った。

 

「次!」

 

 タバサたちが退いたところで、男は声を張り上げた。

 すぐに人垣の中から、緊張した面持ちの少年が、アイスランドたちとすれ違って中央へと進み出て行く。

 人垣の外側へ出ると、いくらかアイスランドに注がれる視線の数は減って、ようやく少年は安堵の息を吐いた。

 外側から今までいた人垣を見ると、まるでどこかの学校の課外授業のような風景だが、やはり彼らの奇妙な格好や言動が、それらを現実味のないものへと変えている。

 その集団から目を離して、アイスランドはタバサへと視線を向けた。

 

「……で? ちゃんと説明してくれるよね?」

 

 自然と不機嫌な声を出してしまったが、タバサは揺らいだ様子すらない。

 そして、やはり平坦な声で、

 

「あなたは今日から私の使い魔」

 

 と、よく分からない一言を、呟くように言い放った。

 

「いや、だから使い魔って何」

 

 アイスランドが思わず眉間に皺を寄せた、その時。

 

 

「もう、あんたはいっつも結論から言っちゃうんだから」

 

 

 横から、女の呆れたような声がかけられた。

 そちらを向くと、一人の少女が腰に手を当てて立っていた。

 

 健康的な褐色の肌に、燃え上がる炎を思わせる赤毛のロングヘア。

 年の頃は恐らく、十代後半。二十歳は越えていまい。

 しかし彼女の纏う大人びた雰囲気や、すらりとしなやかに伸びた手足、そして大胆に広げられたシャツの胸元から覗く豊かな膨らみが、少女を限りなく『大人の女性』へと近づけている。

 深い胸の谷間や、露わになった太股が、なんとも目のやり場に困る色気をこれでもかと言わんばかりに放っているが――今は、それよりも無視できないものが、彼女の後ろにあった。

 

 大トカゲである。

 

 体長は、ニメートルくらいはあるだろうか。

 人間など余裕で捕食しそうな図体のその生物は、躾の行き届いた犬のように、少女の背後に大人しく控えている。

 固そうな体表の色は、触れれば火傷しそうな、鮮やかな赤。

 いや――実際、熱気を放っていた。

 まるでストーブを前にしているかのようだ。

 さらにありえないことに、そのトカゲは尻尾の先が燃えていた。

 

 ――そんな生物など、存在するはずがない。

 

 非現実的な光景に、しばしアイスランドの思考は停止した。

 呆然としている少年の前で、少女二人の会話は進んでいく。

 

「…サラマンダー?」

 

「そう! 火竜山脈のサラマンダーよ! あたしにぴったりだと思わない? まだ名前はつけてないんだけど、とびきりいい名前を考えてあげるの!」

 

「そう」

 

「それにしても、あんたが人間を召喚するなんて驚いたわ。しかもすっごい美少年じゃない! それなら人間でもちょっと羨ましいわ」

 

 静かな印象のタバサとはどこまでも対照的に、赤い少女は嬉々として騒いでいる。

 しかしタバサはそんな彼女を疎ましく感じている様子もなく、短く相槌を打っている。

 相手の少女の方も、反応の薄いタバサを不満に思っている様子は欠片もない。

 恐らく、この二人は普段からこんな感じなのだろうと、容易に想像がついた。

 

「……まず君、誰」

 

 アイスランドは二人の会話に割り込んだ。

 このままでは埒が明かない。

 

「あら、人の名前を訊く時はまず自分から、でしょ?」

 

 ぶっきらぼうなアイスランドの言動に臆した様子も見せず、少女は艶然と微笑み、ウインクを返した。

そう言われて、自分はタバサの名前を訊いておいて名乗ってなかったと、アイスランドは今更ながら気付いた。

 

「…アイスランド」 

 

 隣に立つタバサにも向けて名乗ると、少女はにっこりと笑う。

 年相応の、少女らしい明るい笑顔だった。

 

「そう、いい名前ね。あたしはキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー。キュルケでいいわ。よろしくね、アイスランドくん」

 

 『アイスランド』という国名にまったく反応しない少女――キュルケに、そんなに自分は知名度がないのかと、アイスランドは憮然とした。

 だがしかし、ふと浮かんだ嫌な予感に、今度は困惑に眉を顰める。

 今現在体験している、不思議な出来事の数々。

 ドッキリにしてはあまりにも大がかりで、そもそもどんな仕掛けなのかも分からない。

 まるで、これでは物語の中のような――

 

「…ねえ、ここってもしかしてイギリス?」

 

 浮かんだいくつかの可能性の中で、一番安心できる答えを求め、アイスランドはキュルケに尋ねた。

 あの不思議国家なら、こんなハ○ー・○ッターまがいの施設の一つや二つありそうだ、とアイスランドは自分や兄を棚に上げて、そう思った。

 しかし、キュルケとタバサは、怪訝な顔をして首を傾げた。

 

「イギリス…? ここはトリステインよ。トリステイン魔法学院」

 

 トリステイン。

 そんな国の名前など、聞いたことがなかった。

 さらに今、とんでもない単語が続いたような気がするが、あえて触れず、再び問う。

 

「ヨーロッパのどの辺り?」

 

 ヨーロッパの、と限定したのは、向こうにある建物の様式や、周りの人々の人種から判断しただけである。

 別に、ここがアフリカだろうとアジアだろうと太平洋の孤島だろうと、どうでもいい。

 一番嫌な答えでなければ。

 だがしかし、それはキュルケの口から、簡単に否定される。

 

「ヨーロッパ…? よく分からないけど、トリステインはハルケギニア大陸の西の端にある国よ」

 

 ……ハルケギニア。

 そんな名前の大陸など、存在しない。

 存在する余地など、あるはずがない。

 目眩がした。

 瞬間移動。「契約」と言っていた、あの行動と謎の痛み。存在しない大陸や国。極めつけに、目の前にいるUMA。そして――

 何かの影が、混乱するアイスランドの頭上を、すうっと通過していった。

 

「……うそ」

 

 空を仰ぐと、とんでもない光景が目に飛び込んできた。

 先程輪の中央へ向かった少年が、一匹の猫を抱えて、空を飛んでいたのだ。

 もちろん、ワイヤーなどない。

 …手品?

 こんな何もない、ただっ広い草原で?

 そんなわけない。タネも仕掛けもないのに、こんな大がかりな手品など、できるわけがない。

 さすがにここまで見せられて、分からないわけにはいかなかった。

 

 ――ここは、自分の生きてきた地球ではない、別の世界なのだと。

 

 なんだこれは。どこのファンタジー小説だ。

 まさかこんな奇想天外な出来事に、自分が巻き込まれるなんて、思ってもみなかった。

 本日何度目になるか分からない溜息を吐いて、眉間を抑えるアイスランドに、タバサが声をかける。

 

「どうしたの?」 

 

 感情の籠もらない声ではあったが、なんとなく気遣っているようにも聞こえ、アイスランドは小さく首を振った。

 

「……いい。後で話す」

 

 こうなったら自分のことをさっさ話して、色々質問したい所だが、立ち話で済ませられる話でもないだろう。

 まずは、少しでもこの世界の情報を知らなければ。

 

「……会議、出られないな……」

 

 今日は各国の漁獲量についての話し合いもあったのに。

 遠い目をして呟くアイスランドを、タバサは首を傾げて見上げていた。 

 

 

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