◇
捨てられていたおんぼろの自転車を飛ばし、街外れにある廃工場を目指す。そこは俺がいた繁華街から距離にして五キロくらいの位置にある。普通なら十五分以上はかかるだろうが、今日は十分もかからなかった。
溢れてくるアドレナリンのおかげで疲れを感じない。考えていた事もすべて忘れた。今はただ、あかりを連れて行った北高の連中をぶん殴る事しか考えられない。
そうして人気の無い廃工場の前に到着し、自転車を放り投げて奴らが待つ場所へと走る。
「あかり……」
あいつが不良共に何をされてるのかは、だいたい想像がつく。さっきの電話からして、まず間違いないだろう。それを考えるだけでさらに全身に力が入った。
そして、突き当りにある鉄の扉を蹴り破り、俺はアジトの中へと足を踏み入れた。
「────やったぁっ! あーがりぃーっ!」
「うわっ、またあかりちゃんが大富豪かよー」
「かーっ、あかりちゃん引き強すぎだろ。二連ちゃんで革命返しとかあり得なくね?」
「ふふんっ、運の良さなら負けないんだからっ。ほら大貧民の佐久間くん、早く私に良いカードを渡しなさ…………あ、魁人だ」
そして、アジトの状況を目にする。そこには想像を遥かに越える酷い現実が待っていたという事も知らずに。
「……何してんだ、てめぇら」
「おお、来たか主藤魁人。なんだよ、思ったより早かったじゃねぇか」
「悪ぃがちょっと待ってろ。次のゲームでラストにするからよ」
「てかお前の彼女、運良すぎな。もう十回以上やってんのに貧民にもならねぇんだよ」
と、俺の質問を無視して奴らはそう言い、机の上に置かれたトランプの方へと顔を向ける。今の言葉だけでこの状況を理解できる奴がいたら、そいつはきっと魔法が使えると思う。
「…………大富豪?」
「だから、あかりちゃんと楽しんでるっつったろ」
「みんなで楽しむって言ったら大富豪以外あり得なくね? なに考えてんだお前」
「てめぇらが何を考えてるかの方が理解できねぇっつーの」
そう言って俺は頭を抱えた。しかし、そんな俺を見ても、廃工場で屯していた不良たちは挙って首を傾げるだけだった。マジで何やってんだこいつら。頭大丈夫か。
アジトの中に入った直後、目にしたのは北高の不良たち数人と人質に取られていたはずのあかりが丸机の前に座って大富豪をしていた光景。他の不良たちはその後ろに立ち、繰り広げられるそのゲームを応援で盛り上げていた。意味が分からない。ヤクでもやってんのかこいつら。
「俺に仕返しするためにあかりを攫って、手篭めようとか考えてたんじゃねぇのか?」
「は、はぁ? んなこと俺らがするわけねぇだろ」
「こ、こんな可愛い子にそんなひどい真似できるかよ」
「お前こそなに変な事考えてんだよ。変態」
などなど。見た目だけは不良の男共が吐く言い訳の数々。間違いない、こいつらは全員童貞だ。こんな時に世界一どうでもいい事実を知った。頬染めんなっつーの、気持ちわりぃな。
「じゃあなんでそいつはてめぇらについてきてんだよ」
「ん? なんか普通に遊ぼうぜ、って言ったら来てくれたぞ」
「お前を誘き出すつもりもあったんだよ。途中から大富豪大会になったけどな」
聞けば聞くほど、理解できなくなっていくこの状況。帰ってもいいだろうか。そう思いながら、俺をここに呼び寄せた張本人に顔を向ける。
「…………」
あかりは目を背け、こちらを向こうとしない。たぶん、というか確実に、あいつはさっきの事を気にしている。こんな場所でもそうしているのはつまり、そういう事。
「だがまぁ何にせよ、お前を誘き出す事はできた。あかりちゃんには悪いが、俺たちの目的は主藤魁人をボコる事だ。ここに来た以上、お前も覚悟はできてんだろうな」
北高のリーダー・佐久間は手に持っていたトランプを机に置き、立ち上がる。それを見た他の不良たちも、こちらを見ながら臨戦態勢を整えていた。
「上等だよクソ野郎。またこの前みてぇに返り討ちにしてやる」
「言うじゃねぇか。けど、今回すんのはタイマンじゃねぇ。お前に負け続けて俺ら北高のメンツも潰れまくってんだわ。だから、今日はここにいる全員で相手してやるよ」
佐久間が学ランを脱ぎながらそう言うと、近くでそれを聞いていたあかりが顔を上げる。
「ま、待って佐久間くんっ。それは」
「悪いねあかりちゃん。いくらあいつが彼氏でも、俺たち不良には守らなきゃならないプライドってものがあるんだよ。同じ相手に負けたままじゃいられないんだ」
声をかけたあかりに、佐久間は優し気な口調で答える。
「それはあいつだって同じ。何人相手だって、不良は逃げるわけにはいかないんだ。それが自分の彼女の前ならなおさら。そうだろ、主藤魁人」
「うるせぇバーカ。あと彼女じゃねぇっつーの」
「え、マジ? そうなの? じゃああかりちゃん、俺と付き合ってくださいっ!」
「ごめん佐久間くん。無理です」
「佐久間さんが倒れた!?」
「おいっ、誰か起こしに行けっ!」
あかりに一瞬でフラれてぶっ倒れた佐久間を、不良数名がダッシュで立ち上がらせに行く。喧嘩でしか関わった事は無かったが、あいつは思ったより良い奴なのかもしれない。って、やり合う前になに考えてんだ、俺は。
「……く、やるじゃねぇか主藤魁人。喧嘩の前に精神攻撃で俺を弱らせてくるとはな」
「ここにいる奴ら全員知ってるかも知れねぇが、俺は何もしてねぇよ」
不良たちに支えられて立ち上がり、吐血した血を手の甲で拭いながらそう言ってくる佐久間。奴を見る部下たちの顔は明らかに死んでいた。
「よし、じゃあ行くぞお前ら。相手はあの狂犬のリーゼントだ。手加減したらどうなるか、お前らが一番分かってんだろ」
その名で呼ぶんじゃねぇよ、と心の底から叫びたがったが、場がシリアスな雰囲気になったのを察し、開きかけた口を閉じた。それから俺はいつもの姿勢を取る。
ざっと見て、相手は二十人弱。昨日、公園でやり合った時と数はほぼ変わらないが、その中にはリーダーの佐久間がいる。奴とやり合うのはこれで二度目。前はタイマンで俺が圧勝したが、喧嘩のやり方は既に知られている。加えて、今回は他の不良たちも相手にしなければならない。いま分かるのは、無傷ではここから出られないという事だけ。
離れた所に立つあかりがこちらを見ている。だけど、俺はそっちを向かなかった。いま顔を見てしまえば、また揺らぎが出てしまう。言いたい事は後で話せばいい。
「来いよ、佐久間」
俺が右手でかかってくるようアピールすると、北高の連中は一斉に駆け寄ってくる。
ああ、分かってる。こんな大人数を一人で相手にして、勝ち目なんて最初から無い。
でも、しょうがないだろ。俺には、どんな状況でも立ち向かう選択肢しか選べない。
それが、大切な奴の前でならなおさらだ。
「魁人っ!」
◇
喧嘩が始まって数分が経過した。興奮している所為か、時の流れが遅く感じる。俺としては数分の出来事かもしれないけれど、本当はもっと長い時間が経っていたのかもしれない。
「な、なんだこいつ。なんで倒れねぇんだよ」
「こっちはこの人数だぞ。しかも何発も当ててんのに、なんで立ってられんだ」
肩で息をしながら、そんな声を耳にする。周りには十人ほどになった不良たちが俺を囲うようにして立っている。残りの奴らは離れた所で地に伏せていた。誰がそうさせたのかは、血だらけになったこの拳を見りゃ分かるだろう。
始まってから数分で何人かノックアウトしたが、その勢いが最後まで続かないのは自明の理。マラソンランナーがスタートから全力で飛び出したら終盤でペースが落ちるように、俺も全員を倒す前に疲れ果てていた。
だけど、一度も倒れてはいない。何度殴られようとも、蹴りを入れられようとも、身体を地面につける事だけはまだしていなかった。これはたぶん、男の意地。そんなくだらない言葉でしか、こうして立っていられる理由を説明できない。
「んだよ、もう終わりか。主藤魁人」
「……るせぇ、まだまだ行けるに決まってんだろ」
前に立つ佐久間に言われ、条件反射のように強がった。俺ほどではないが、佐久間もかなり疲労している。前のように一対一だったら確実に勝てる。それは何度やっても同じ。でも、この大人数を相手にしながらではあまりにもハンデが大きすぎる。しかし、そうも言っていられないのが辛いところ。
「らぁッ!」
右斜め前から来た奴の蹴りを躱し、鳩尾に右腕を叩き込む。奥まで届いた、確かな感触。予想通り、そいつは気を失うようにして仰向けに倒れた。
「……ほら、どうだ佐久間。てめぇら全員をぶっ飛ばすまで、俺は絶対に倒れねぇ」
顔に無理やり笑みを浮かべながら、俺は言う。このでまかせがどれだけ奴らに響いたのかは知らない。少なくとも、数人が驚愕の表情を浮かべたのは目に映った。
「やっぱ強ぇな、お前は。狂犬のリーゼントと呼ばれるだけはある」
「その名前で呼ぶんじゃねぇ。ダサくて恥ずいんだよ」
「だが、それもここまでだ」
「あ? どういう意味だ?」
「こういう事だ」
佐久間はそう言って、スマートフォンの画面をこちらに見せてくる。
「ゲームオーバー。この時間まで俺たちを全滅させられなかった、お前の負けだ主藤魁人」
そこに映っていたのは、何かをカウントしていた時間。それがちょうどゼロになった瞬間、スマートフォンからアラーム音が鳴り響く。
そして、その音に反応するように、どこからともなく現れた不良たちが俺を取り囲んだ。ここに来ての増援。その数はおそらく、ここまで倒した三倍以上はいる。
「お前を倒せば俺たち北高の名前は腐らねぇ。だから今日は潔く負けれくれや」
この疲労感と怪我の状態で、こいつら全員を相手するのはどう考えても不可能。それは他の誰でもなく、俺自身が一番分かってる。今までは何人が相手でも、なんとか形勢逆転する手段を見つけてきた。そして、俺はそのすべてで勝ってきたんだ。
「魁人っ!」
あかりが俺の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。それが少し鼻声だったのはきっと、あいつが泣いている所為だろう。泣かせているのはたぶん、俺なんだろうけれど。
ガキの頃、上級生数人にいじめられていたあかりを助けたあの時だって、俺は絶対に倒れなかった。泣きながら、ボロボロになってもガキ大将共に立ち向かっていた。
「…………ははっ」
やっぱり、あいつが言った通りかもしれない。今の俺はあの頃と何も変わってない。髪型を変えても、何をしても俺は俺のまま。いくら虚勢を張っても、そう簡単に人間は変れない。
だから、こんな状況でも絶対に負けは認めない。
「なめんじゃねぇぞクソ野郎ッ!」
そう叫び、俺は不良の群れに突っ込んで行く。
そして、声に呼応するようにその群れはこちらに向かってくる。
絶対に勝ち目はない。それでも立ち向かうのは、果たして利口と言えるのだろうか?
今はそんな事はどうでもいい。ただ、限界を迎えるまで戦い続ける。
それが、どんな状況であろうとも。俺はそうやって現実を見ないようにしてきたんだ。
大切なものばかりを奪って行くこんな世界と縁を切るために、俺は現実から目を背けて生きていこうとした。
それが間違いだって事も、分かっていたのに。
それが、自分から地獄に向かって歩いて行く行為だっていう事も、知っていたのに。
「────やれやれ。私の主はどうしてそんなに無鉄砲なんでしょうか。手助けが要るのなら、素直に助けを求めてくれればいいというのに」
「…………あ?」
「知っていますか? 無謀と勇気は異なるものなんです。あなたがやっているのはただの無謀です。そんなもの、私の主であるあなたには必要ありません。そうでしょう?」
唐突に聞こえてきた、その声。次の瞬間、周りにいた不良たちが爆撃を受けたかのように吹き飛んで行く。俺はすぐに声がした方向へ顔を向けた。
そこには予想通り、ピンクの衣装を身に纏った金髪の女が立っていた。
「…………てめぇ、何しに来やがった」
「懐いた動物は主が敵に教われている時、主を守るために敵に噛みつくという話を聞いた事があります。だから私も、カイトさんを守るために噛みつこうと思ったんです」
微笑みながら馬鹿みたいな事を言うその女。例の如く、ここにいる他の奴らにこの会話は聞こえていないけれど、どうやら北高の連中はそれどころでは無いらしい。
「な、何が起きたっ!?」
「気を付けろっ。こいつ、昨日みてぇにまた何かやるつもりだ!」
金髪女の魔法によりぶっ飛ばされた奴らを見て、北高の連中は明らかな焦りを見せ始める。今のは俺が何かをやったわけではないが、あいつらにはそう見えたんだろう。
「ちっ、余計な真似しやがって」
「戦いを好むやんきーさんには、こういう時にこそ私が必要なんじゃありませんか? だというのにこんな無謀を犯すだなんて。カイトさんはもう少し、私を頼るべきだと思います」
自称・魔法少女は腕組みをしながらそう言ってくる。奴の言っている事は十割正しい。だが、俺の中にある固定観念やプライド、その他諸々が心を素直にさせてくれなかった。
「うるせぇ。こんな奴ら、俺一人で十分だっつーの」
「ふふ。じゃあこのまま何もせずに見ていていいですか? カイトさんがあかりさんの前で情けなく他のやんきーさんに負けていくところを、じっくり眺めていてあげますよ」
「嘘だ。黙っててめぇも手伝え」
「それでこそ我が主です。いいでしょう。その願い、私が果たしてみせます」
この捻くれた性格もこいつは二日で理解してくれたらしい。ありがたいが、ムカつく事に変わりはない。
「行くぞ。足引っ張ったら後でぶっ飛ばしてやる」
「カイトさんは誰にものを言っているんですか? いったい私を何だと思っているんです」
手の関節を鳴らしながらそう言うと、気に食わなそうな声が返って来る。俺はその質問にすぐには答えず、少しの間を空けてから口を開いた。
「どっかの世界から来た、クソ生意気な魔法使いだろ」
「ぶっぶー、不正解でーす。もう、帰ったらちゃんとレクチャーしてあげますからね」
「誰が聞くんだっつーのそんなもん」
そして再び、不良たちは散り行く桜の花びらの如く、派手に宙を舞った。
────この喧嘩の後、俺は数十人の不良を一人で倒した伝説の男として、この町の学生たちに名前を覚えられる事になる。
そして狂犬のリーゼントという二つ名は、伝説のリーゼントに格上げされたらしい。