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家から車で数十分の場所に目的の遊園地はある。飛ばせば三十分くらいで着くが、タクシードライバーを生業としている親父の運転は普段から超安全運転。
しかし親父曰く、それは車に客と家族を乗せているとき限定、らしい。その言葉の真意は分からないが、親父が昔は走り屋をやっていた、という話を雅さんから聞いた事があった。もしかしたらそのこだわりはそれと何か関係あるのかもしれない。興味ないけど。
「おぉー…………」
大人三人分の入場券を買い、俺たちは遊園地に入場する。一番最初に門をくぐり抜けた自称・魔法少女はその先で立ち止まり、目の前に広がる光景を見て感嘆の声を零していた。
「はは、ノラちゃん驚いてるね」
「ふふ、そうね。初めて来る所でしょうから、無理もないわ」
奴の後ろを追う親父と母親は、その後ろ姿を見て嬉しそうに微笑んでいる。
「ここが遊園地、ですか」
「そうだよ。今日はノラちゃんが乗ってみたいものに付き合うから、遠慮なく言ってね」
「おい、気を付けろ」
「おっと、そうだった。ごめん魁人、ついうっかりしていた」
園内にあるアトラクションと人間の群れを見つめて驚いていた自称・魔法少女に声をかける親父。だが、それがあまりにも自然に見えたので、すかさず注意を入れる。
「ふふ、やっぱり魁人が一緒なら安心ね」
「そうだな。魁人がいてくれて助かるよ、本当に」
両親はそう言って微笑みかけてくる。別にこいつらが変に見られようが構わないけれど、一日中ともに行動をするのであれば軽率な行動は慎んでもらいたい。
「ほら、突っ立ってねぇで行くぞ。ぐずぐずすんな」
「あ、待ってくださいよカイトさん」
茫然としている自称・魔法少女にそう言い、俺は先に歩き出す。
どうでもいいが、こいつの頭の上にはみかんが乗っている。居候のクソ主曰く、『どうせ見えないんですから連れて行っても大丈夫です』との事で、強制的に連行されてきたらしい。かわいそうに。
「魁人が一番はしゃいでるみたいに見えるね、ママ」
「そうね、パパ。みんなでお出かけできて嬉しいのかしらぁ」
んな訳ねぇだろバカ親共。なんで来たのか後悔してるくらいだっつーの。
◇
自称・魔法少女がどれから乗ればいいのか分からない、と言ってきたので、俺たち四人と一匹はひとまず園内を歩き回る事に。そうして遊園地という場所が何たるかをだいたい理解したこのクソガキは、初っ端からジェットコースターに乗る事を選択した。
しかし早速、ここで事件が発生。人生初のスリルを体感した自称・魔法少女は降りた直後に『もっと乗りたいですっ!』とか訳の分からない事を言い出し、最終的に俺は七回連続でジェットコースターに乗った。入園から一時間で既に疲労度はピーク。今すぐ帰りたい。
「ほら、どうだいノラちゃん」
「わーっ。おとーさんは見かけによらず力持ちですっ」
「ふふ、ノラちゃんくらいの女の子を肩車するのなんてどうって事ないよ」
「こうしているとカイトさんを見下せるので、実に良い気分です」
「落としていいぞ親父。どうせ誰にも見えちゃいねぇんだ。思いっ切っていけ」
次のアトラクションに向かう道中、親父は自称・魔法少女を肩車するとか言い出し、奴も喜んで同意。他人の目に不自然に映らないよう、念のため親父にはバッグを背負わせた。
「さぁノラちゃん。次はどこに行きたい?」
「えーっとですね。それじゃあ、あの左右に揺れてる船に乗ってみたいですっ」
「頼むからあれはやめろ。てめぇはそろそろ絶叫系から離れやがれ」
「えー。だってあれも面白そうなんですもん」
「もっといろいろあんだろうが。このペースで行ったらあと二種類くらいしか乗れねぇぞ」
「大丈夫です。今度は五回くらいで満足します、たぶん」
「最後の言葉の所為で信用もクソもねぇからな」
「まぁまぁ魁人。今日はノラちゃんの好きなものに乗るって約束しただろ?」
だが、いつも通りこのクソガキにとことん甘い親父はその我が儘に賛成する。
「ほらー、おとーさんもそう言ってますよカイトさん」
「はは、一緒に乗るのは魁人だけどね」
「なに勝手に人の事を人質にしてんだこのクソ親父」
しれっと実の父親に身を売られた。こいつは俺に死ねと言っているのだろうか。
「じゃあこうしよう。ノラちゃんも同じ乗り物に乗るのは二回までにする事。それなら魁人も一緒に乗ってくれるだろうから。ね?」
親父は肩に乗る自称・魔法少女に向かって言う。いま俺たちが歩いているエリアには人が疎らにしかいないので、この女の姿が見えなくとも誰も違和感は抱かない。
「うーん、なら仕方ありませんね。私も出来るだけ沢山の乗り物に乗りたいですから」
「なんでそんなに上から目線なんだよ」
「今はカイトさんよりも上にいますからっ」
「自信満々みてぇだが、ぜんぜん上手くねぇからな」
そしてドヤ顔で見下すのやめろ。
「よし、じゃあ行こう。落ちないように気をつけてねノラちゃん」
「はいっ、出発進行ですおとーさんっ」
そう言って、自称・魔法少女を乗せた親父はバイキングに向かって歩いていく。ため息を吐いてからその背中を追おうとした時、さっきから黙っている母親の存在に気づいた。
「おい、どうした」
立ち止まったまま親父とあの女の背中を見つめていた母親は、俺に声をかけられてハッと目を見開いた。普段から鈍くさいが、今日はいつにも増して動きが鈍い気がする。
「ううん、何でもないの。ノラちゃんは今日も可愛いわぁ、って思ってただけよ」
「あんまりあいつの事を見すぎんなよ。鋭い奴は目線だけでも違和感に気づくからな」
「うん、気を付けるわ。ありがとね魁人」
そう言うと、母親はいつものほんわかした笑顔を顔に浮かべる。
俺は何も言わずに前を行く二人を追おうとした。でも、その足はまた止まる事になる。
「魁人」
「あ? どうした」
半身になって振り返ると、母親はまだ立ち止まったままあの笑顔を顔に浮かべていた。
「こうして話せるようになったの、いつ以来かしらね。お母さん、とっても嬉しいわ」
「…………」
「ふふ。本当、あの頃に戻ったみたい。そう思わない?」
母親はそう問いかけてくる。だが、俺は何も答えなかった。
今は昔とは違う。思っている事を素直にありのままの形で吐くのは、不良の俺にとって最も難しい事のひとつ。だから、再び前を向いて言う。
「知らねぇよ、バーカ」
本当は、まったく同じ事を思っていたくせに。
◇
それからアトラクションに乗りまくり、時刻は気づけば正午をオーバーランしてしまっていた。そのおかげと言っては何だが、俺たちは現時点で既にこの遊園地にあるアトラクションのほとんどを制覇しつつある。誰にも見えないのを良い事に、ちゃっかりタダで楽しみまくってるこの女にはいつか天罰が下ればいい。
テンションが上がりっぱなしだった自称・魔法少女も、いつの間にか自分の腹が減っていた事に気づいたらしく、ゴーカートのコースを何十周もさせられている最中に『お腹が空いたので少し休みましょう』と言い出し、ようやくフードコートに行く事ができた。しかし、飯を食い終わったらすぐにまた完全制覇を目指して園内へと繰り出すという。帰りたい。
「はい、これがノラちゃんの分のお弁当よ」
「わーいっ。開けてもいいですか、おかーさんっ」
「もちろんいいわよ。ちゃんといただきますをしてから食べてね?」
「大丈夫か魁人。食欲はあるか?」
「……誰か俺を助けろ」
母親に弁当を渡されて喜ぶ自称・魔法少女だが、俺はその隣でグロッキー状態。親父は俺の介抱をしてくれている。腹は減ってるが、乗り物酔いの所為でまったく食欲が湧かない。
「おおお!? これはもしかしなくてもおかーさん特製のオムライスじゃないですかっ!」
「ふふ、ノラちゃんの好物だものね。たくさん作ったからいっぱい食べてね」
「はいっ。私はおかーさんのオムライスが一番大好きですっ! ほらカイトさんっ、いつまでもそんな風にしてるとカイトさんの分も食べちゃいますよっ!?」
「てめぇは俺に恨みでもあんのか」
俺が恨む事はあれど、こいつに恨まれるような事をした覚えは無い。神に誓ってもいい。
「みかんちゃんもごはん食べようね。はい」
「なんとっ。皆さんの分のみならず、まさかみーちゃんのお弁当まで作っていたとは。やっぱりおかーさんは料理の魔法使いですっ」
「ふふ、本物の魔法使いのノラちゃんには敵わないわ」
母親はタッパーに入れたみかん用の昼飯を取り出し、机の上に置く。するとみかんはすぐさま載っていた俺の腹からジャンプしてタッパーの前へと移動した。
「それじゃあ──いただきますっ!」
自称・魔法少女が手を合わせて大きな声でそう言い、それに続いて俺たち三人も同じようにいただきますをする。みかんはにゃん、と鳴いてからエサに飛びついていた。
「ふふ。ノラちゃんはなんでも美味しそうに食べてくれるから、お母さんも嬉しい」
「当然ですっ。こんなに美味しいものを食べたら自然とそういう顔になりますっ」
自称・魔法少女は心底幸せそうに微笑みながら、母親に向かって言う。
「おかーさん。いつか私も、おかーさんみたいに料理ができるようになりたいですっ」
「あら。じゃあお家に帰ったら一緒に練習をしなきゃね。ノラちゃんもいつかは誰かのお嫁さんになるんだもの。それまでに美味しい料理を作れるようにならなくちゃ」
母親がそう答えると、自称・魔法少女は少し驚いたような表情をして動きをぴたりと止めた。それから困ったような笑顔を浮かべ、あはは、と乾いた笑い声を出す。
「お嫁さん、ですか。そうですね。私もいつかは、誰かと結婚しなきゃいけないんですよね」
「そうよ。素敵なお嫁さんになるにはたくさん練習をしなくちゃね」
「えへへ、そうすれば私もおとーさんみたいに優しい人と結婚できるでしょうか?」
「うっ……の、ノラちゃん。お父さんはそれを言われると嬉しすぎて死んじゃうんだ」
「でも、私はおとーさんみたいな人と結婚したいですっ。おかーさんがうらやましいですっ」
「あらあら。もう、ノラちゃんったら上手なんだからぁ」
「魁人、お父さんはもうダメかもしれない…………」
「勝手に死んどけクソジジィ」
「息子だけは全然うらやましくないですけど」
「てめぇも一緒に墓場に行きてぇかクソガキ」
今ならこの女をぶん殴っても罪には問われないような気がする。
「でも、そうですよね。女の子は普通、お料理やお掃除ができなくちゃいけないんですよね」
小さな声で言う自称・魔法少女。それは何となく、俺たち家族に向けた言葉ではなく、自分自身に言い聞かせたメッセージのように聞こえた。
「そうね。けど大丈夫。お母さんが教えたらノラちゃんもきっと上手になるから」
「はい。頑張って覚えたいと思いますっ」
さっきの言葉を不安になっているからだと解釈した母親はそう言い、それを聞いた自称・魔法少女はあの困ったような笑顔を消していつも通りの顔に戻った。
それからその話を終わらせるように口いっぱいにオムライスを詰め込み、リスのような顔でもぐもぐと咀嚼し始める。
「ふふ。ノラちゃん、口にケチャップが付いちゃってるわよ」
「んむ? んっ────あぁ、ごめんなさい。お行儀が悪かったです」
「いいのよ。お母さんが拭いてあげるから、ジッとしてて?」
そう言って、赤くなった口元を拭き始める母親。そうされている間、自称・魔法少女は目を丸くして固まり、母親になされるがままになっていた。もしかしたらこいつ、こういう事をされるのに慣れていないのかもしれない。
「なぁ、魁人」
名前を呼ばれ、顔を向ける。
親父は茫然と、母親と自称・魔法少女の姿を見つめていた。
「俺は、夢を見てるのかな」
そして、ポツリとそう呟く。それが俺に対して吐いた言葉なのかは分からない。でも、名前を呼んでから言ったという事は、やっぱり俺に向けて口にした言葉なんだろう。
「バカか。んな訳ねぇだろ」
そんな風に答えて、オムライスをかきこんだ。
すると、それを見ていた自称・魔法少女はこちらを見てニヤッと不敵な笑みを浮かべる。
「カイトさんもお口にケチャップが付いてます。おかーさん、取ってあげてくださいっ」
「なっ、てめっ」
「あらあら、魁人もまだ子どもなのねぇ」
「ぶっ飛ばされてぇかクソババァ」
「ほら動かない。服に付いちゃったらどうするの?」
「…………っ」
「あははっ、カイトさんがおかーさんに口を拭いてもらってますっ。子どもみたいですっ」
「ふふ、大きくなっても魁人はパパとお母さんの子どもだもの」
そうして、主藤家の昼時は過ぎていく。