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さらに時間は流れ、ついさっきまで青かったはずの空がいつの間にか橙色に染まっていた事に気づく。俺たちはお化け屋敷の後もペースを保ったままアトラクションを回りまくり、全制覇を達成するまであと一歩という所まで来ていた。
「これであと一つですねっ。いやぁ、さすがにちょっと疲れちゃいましたー」
うーん、と背伸びをする金色の女。言葉とは裏腹に、そのバイタリティにはまだまだ余裕がありそうだった。こんだけ遊んでおいてちょっとしか疲れないこのクソガキの体力の限界はどこにあるんだろうか。知りたくもないが。
「では最後の一つは……」
自称・魔法少女はある方向を見て言った。
そこには、ここに来てからずっと見えていたであろうアトラクションがある。
「あれは観覧車、というのですよね」
「そうだよ。そろそろ暗くなっちゃうから、あれに乗って最後にしようか」
疲れた様子の親父がナチュラルに帰る事を提案しながら言う。夕日に照らされる観覧車を見つめながら、金髪がこくりと頷いた。
「少し名残惜しいですが、暗くなっては仕方ありません。今回はあれで最後にします」
もう二度と来ねぇよ、という本音が出てしまいそうになったが、それを言ったらまた来週もここに訪れる最悪のビジョンが見えたので、咄嗟にその衝動を抑える。
「あそこでいいんじゃないかしら、パパ」
「そうだね、ママ。うん、ちょうどいいかもしれない」
頭の上にみかんを乗せた自称・魔法少女が先に観覧車へ歩き出した直後、両親はそんな言葉を交わしていた。だが、抽象的過ぎて内容は分からない。訝しみながらもそれについては触れないまま、女の後を追った。
そうして観覧車の下に辿り着き、俺たちはひとつの箱の中に入る。少し狭いけれど、隣にいるこの女にとってそんな事はどうでもよかったらしい。
「おおおっ、本当に上がって行きますよカイトさんっ。魔法を使わなくても空を飛べるだなんて、何だか不思議な感じがしますっ」
窓に顔を貼りつけながら、徐々に離れていく地面を眺めている魔法使いの女。そんな無邪気な姿を、向かいに座る両親はいつも通りの笑顔を浮かべながら見ていた。
柔和な夕日が観覧車に乗る俺たちを染めている。他の誰かには見えなくても、確かにここにいる一人の魔法使いの全身も例外なく、その温かな光に当てられていた。
それから箱の中に小さな沈黙が落ちる。聞こえてくるのは観覧車が鳴らす何かが擦れるような音と、寝ているみかんの微かな寝息だけ。
一分間ほど静寂が流れた後、向かいに座る親父が徐に口を開いた。
「ねぇ、ノラちゃん」
「はい? なんですか、おとーさん」
親父の優し気な声音に反応する魔法使い。たぶん、そのトーンがいつもとは違っている事にはこいつも気づいている。俺でさえも分かったんだから。
「大事な話を、してもいいかな?」
確認を取るように親父が言うと、窓の外を向いていた金髪の女は向かい側に座る二人の方を見て姿勢を正した。それから何も言わずにこくりと頭を頷かせる。
「よかった。ありがとうノラちゃん」
親父はそう言って、微笑みを浮かべたまま続ける。
「今日は、楽しかったかい?」
「……はい。とても、楽しかったです」
「それはよかった。お父さんたちもとっても楽しかった。久しぶりにこんな一日を過ごせた気がして、すごく幸せだったよ」
親父の言葉に母親は頷く。その穏やかな目は確かに、前に座る女を見ていた。
「今日だけじゃない。魁人がノラちゃんを連れて来てから、毎日がずっと楽しかった。まるで、本当に夢を見てるんじゃないかって思うくらいにね」
親父はそう言い、窓の外に目を向ける。その横顔に、優しさで塗り固められた嘘は見つけられなかった。
「ノラちゃんが魔法使いで、何か事情があってうちに住んでいるのは分かってる。君はもしかしたら俺たちが都合の良い家族だと思っているのかもしれない。でもね」
親父は言葉を切り、向かいにいる少女の方へ視線を向けた。
「それはお父さんたちも同じなんだよ、ノラちゃん」
「…………同じ?」
「そう、同じ。お父さんもママも。きっと魁人もね」
そして、親父は本音を語り出す。それを聞いて、母親は顔を悲し気に歪め始めた。
「奇妙だよね、こんな話。分かってるよ。でも、こんなのあり得ないって頭で分かっていても、心を鬼にする事が、できなかった」
親父は語りながら涙を目に浮かべる。
「君が何者であっても関係ない。ただ、あの子によく似た君が家の中にいてくれるだけでよかった。それだけで、本当に…………」
やがて母親の泣き声が聞こえてくる。それでようやく、この二人が何をこいつに言いたいのか理解した。きっと、この女も気づいている。その何かを悟ったような顔を見れば明白だった。
「だから、ノラちゃん」
親父はその名前を呼び、手を伸ばして小さな手を掴む。
そして、自分の前にいる魔法使いに向かって、その願いを口にした。
「本物の家族に、ならないかい?」
そんな、許される訳もない──哀れな願いを。
「…………かぞ、く?」
「そうだよ。これからは居候なんかじゃない。本物のうちの家族としてあの家に住むんだ」
金髪の少女は目を丸くしながら、その言葉を聞いていた。
「そうすればもう、今日みたいに姿を隠さなくてもいい。どこにだって一緒に行けるようになる。ノラちゃんが行きたいのなら、学校にだって通えるかもしれない」
「そうよ、ノラちゃん。家族になれば人目を気にしなくても大丈夫なの。お母さんと買い物に行ったり、公園をお散歩したりできるようになるのよ?」
両親はそう言い、少女の手を優しく握り締める。そんな言葉を聞いて、魔法使いは少しだけ困ったような顔をした。
「私は、魔法使いなんですよ?」
「関係ないわ。それが本当だとしても、ノラちゃんはノラちゃんだもの」
「──────」
「魔法使いさんでも、あなたは私の可愛いノラちゃん。だから、何も気にしなくていいの」
母親はそう言って、小さな身体をそっと抱き締めた。その言葉と行為がよほど予想外だったのか、少女は母親に抱き締められたまま、目を見開きながら茫然としていた。
観覧車はようやく頂上付近に近づく。これから時間をかけて、元の場所に戻るんだろう。
「…………おとーさん、おかーさん」
しばらくして、ポツリと零される声。母親は抱き締めていた腕を解き、その身体から離れた。親父も手を離して、目の前にいる金色を見つめた。
俯き、垂れた長い金髪がその表情を隠す。
観覧車が頂上に来た所で、俺たちが乗る箱の中に言葉が紡がれる。
少女の儚い声音は、どこか憂いを含んでいるようだった。
「嬉しい、です。こんなに嬉しいのは、この世界に来てから初めてです」
魔法使いは隠していた表情を露わにし、潤んだ緋色の瞳で両親を見つめた。
「私も、おとーさんとおかーさん、カイトさんと家族になりたいです。あの家でずっと暮らしたい。私が魔法使いでも受け入れてくれる皆さんと、一緒にいたいです」
「なら」
母親がそう言うと、魔法使いは首を横に振る。それからその続きを語り出した。
「でも、それはできません。魔法使いと人間は、ずっと一緒にいるべきではないんです。例え皆さんが家族として迎えてくれたとしても、私は人間になる事はできないのですから」
そこで一度言葉は切られ、数秒の間を置いてから再び口は開かれた。
「それに、私は迷惑をかけないために姿を見せてないわけじゃないんです。もし家族になったとしてもそれは同じ。私はどうしても、皆さん以外の人間には姿を見せられないんです」
困ったような顔でそう語る金色の魔法使い。確かにこいつは俺と出会った時、三人以上には姿を見せられない、と言った。俺はその理由を追及しなかったし、この女も言及しなかった。
「それは、どうして?」
「…………そこまで言ってくれたおとーさんとおかーさんに、これ以上嘘は吐けません。二人が本音を語ってくれたのですから、私もこれから真実を語ります」
魔法使いはそこで言葉を止め、一呼吸置いてから口を開く。
「──────ッ!?」
はずだった。