◇
遊園地を出た後、俺たち三人と一匹は駐車場に停めていた親父の車へと戻り、そこで一時間ほど休んでから家に向かった。事故らないか心配だったが、長年タクシードライバーをやってきた親父の運転は、これくらいでは精度を落とさないらしい。
「…………」
眠ったままの母親をソファの上に寝かせ、その横に腰掛ける。頭に乗っていたみかんはようやくそこから降りて、今度は俺の膝の上に座った。
痛む手でみかんの頭を撫でながら、目を閉じる。時刻はおそらく夜の十時前。静かなリビングの中には、時計が奏でる一秒を刻む音だけが鳴っていた。
「お茶、淹れてくるよ。魁人も飲むか?」
ソファの前で母親の額の傷を診ていた親父がそう言ってくる。俺は黙って頷いた。
「分かった。なら、ママを見ていてくれ」
親父は台所へと向かう。それから、俺は横で寝ている母親へと目を向けた。
「…………なんなんだよ」
何故こうなったのかを改めて思い返す。だが、それも上手くいかなかった。いや、そもそも理解が出来ないのだからそれも当たり前だろう。
「姫、さま」
あいつは、確かにそう呼ばれていた。現実だけじゃなく、夢の中でも。
煌びやかな衣装を身に纏い、つまらなそうに椅子に座っていたあの金髪の女。あれがあいつである事は間違いない。なら、あの女は元の世界ではお姫様だったってのか? 思い返せば、何者であったかを訊ねてもあいつはその話を自然に往なしていた気がする。
だけど、もしそうだったとしても、そんな事は俺たちには関係ない。それはあいつ自身も分かっていたはず。なのに、その事実をあえて隠そうとした。
自分を知っている奴がいない世界で、素性を隠す理由。
「分かるわけねぇだろ、バカ」
天井に向かって悪態を吐く。こんなの、目を瞑りながら迷路から出るみたいなもんだ。
「お待たせ」
しばらくして、親父がお茶が入ったカップを持って戻ってくる。
そうして俺と親父は黙ったまま、その緑茶を飲んだ。腹は減っているけれど、何も食う気にはなれない。
「魁人」
「……んだよ」
沈黙を破って親父が名前を呼んでくる。俺は目線を膝の上に乗ったみかんの耳に向けたまま、ぶっきらぼうにそう答えた。
長い間を置き、浅いため息を吐いてから目線を下に向けたまま、親父は口を開く。
「やっぱり、俺たちはおかしいのかな」
「……何がだよ」
「魁人だって、本当は分かってるんだろ」
親父は静かな声で語る。だが俺は何も言わなかった。
「俺たちのように壊れた家庭じゃなければ、あんな女の子を居候させる訳ない。そうだろ?」
「ああ」
「だからやっぱり、俺たちはおかしいんだ。ずっと、おかしい家族だったんだ」
親父は顔を歪ませながら唇を噛み、続ける。
「壊れてるからこそ、俺たちはあの子を受け入れられた。そして……救われたんだ」
涙を浮かべながら、親父は見つめてくる。その顔を見た瞬間、胸が少し痛んだ。
「おかしい家族でいい。それでも、俺はノラちゃんと暮らしたい。じゃないと、また」
そう、親父が言った時、玄関の方から物音が聞こえてくる。
俺と親父は同時に立ち上がり、俺たちはリビングに入ってくる女を迎えた。
「…………ノラ、ちゃん」
「おとーさん、カイトさん。ただいまです。ごめんなさい。少し遅くなっちゃいました」
そう言ってあはは、と笑う魔法少女。だが、俺には笑っていられる意味が分からなかった。
魔法少女は、ボロボロだった。服は裂け、焼かれ、血が滲んでいる。腫れた右目はほとんど開いておらず、白いはずの頬はまるで、血の化粧を施しているかのように赤く染まっている。奴はリビングの入り口に肩を預けて、何とかその満身創痍の身体を立たせていた。
「お前……」
「さっき言いましたよね。必ず帰ります、って。私は約束を破らないんです。私は、とってもお利口さんですから。ちょっと怪我はしちゃいましたけど」
リビングに響く笑い声。だが言葉にはいつもの覇気が無い。
「全然ちょっとじゃないだろうっ! 大丈夫かいノラちゃんっ」
「平気ですよ、おとーさん。こういうのには慣れているんです」
「でも!」
「心配してくれて、ありがとうございます。私は、その優しさが欲しかったんです。─
薄緑色に淡く光る、魔法少女の全身。
しばらくしてその光が消えると、その身体にあった傷はほとんど無くなっていた。
「…………魔法で治せんなら使ってから入って来い、バカ」
「無茶言わないでください。私にだってできない事はあるんです。今の回復魔法は、おとーさんが心配してくれたからこそ何とか使えたんです」
「は?」
「カイトさんは知らなくていいです。今はそれより、もっと大事な話をしなくちゃいけません。おかーさんは……まだ起きていませんか」
魔法少女はソファに横たわる母親を一瞥する。
それから俺と親父を交互に見て、口を開いた。
「あんまり悠長に話をしている時間はありません。なので、先に結論から言います」
その独白は、そんな前置きを置いてから始まった。
「私は、この家から出て行きます。それを伝えるために帰って来たんです」
◇
「え…………?」
「ごめんなさい、おとーさん。さっきああ言ってくれたばかりだというのに、こんな事になるだなんて。でも、仕方ないんです。いつかこの日が来るのは、私も分かっていましたから」
その言葉を聞いて、親父は声を零す。その表情を見つめて、魔法少女は再び語り始めた。
「まず、私の正体から話します。一度しか言わないので、よく聞いていてください」
俺たちに何も言わせないように、奴は淡々と話を進める。
「先ほど遊園地に現れたあの男や魔物たちが言っていたように、私は向こうの世界にある国家の王の娘──いわゆるお姫さまなんです。自分で言うのもなんですけど、こう見えてすごく偉い存在だったんです。それはもう、いなくなったら大きな国がおかしくなってしまうくらいに」
その真面目な表情に、嘘を吐いている雰囲気は感じられなかった。
その言葉を聞いて、俺はずっと前から気になっていた事を訊ねる。
「なら、てめぇはなんでこの世界に来た」
「簡単です。あなたと同じですよ、カイトさん」
「なんだと?」
予想外の返答に素で訊き返す。魔法少女は一度頷いてから口を開いた。
「面倒だったからです、何もかも」
「あ?」
「やんきーのカイトさんなら分かるはずです。あの世界で私に与えられる仕事のすべてが、くだらなかったんです」
魔法少女は微笑みを浮かべながら続ける。
「想像してください。来る日も来る日も城の中に幽閉されて、外に出られるのは戦争の時だけ。当然、友達なんて誰もいなくて、私に許されたのは小さな魔物の子どもと部屋の中で戯れる事だけでした」
リビングの白い壁を見つめながら、魔法少女は何かを思い出している。それは多分、こいつにとって思い出したくないであろう記憶。その悲しげな顔を見れば、一目で分かった。
「私は子どもの頃から王族としての権威やら、姫としての誇り高い生き方やら、興味の無い事ばかり教えられて育ちました。お父様やお母様に会えるのは、仕事の話をする時だけ。赤ん坊の頃は分かりませんが、両親に頭を撫でられたり抱っこをしたりしてもらった記憶は、一度もありません。私は生まれた時からただ、国のために生きる道具として育てられたんです」
呆れるようなため息。それから、また言葉は紡がれる。
「私は、そんな事なんて何ひとつやりたくなかった。他の子どもみたいに自由に外に出て、一緒に遊びたかった。魔法使いを殺すための魔法や剣の使い方なんかじゃなく、もっと楽しい事を学びたかった。なのに、私にはそんな事すら許されなかった。王様と女王様の娘として生まれたという、ただそれだけの理由で。私は、何も悪い事なんてしてないのに」
「……ノラちゃん」
「それをくだらないと言わず、なんと言えばいいんです? なんで私がそんな面倒な事をしなくちゃいけないんですか? 私は、そんな事をするために生まれたんじゃない。どれだけ素晴らしい戦果を上げたって、私にはせいぜい新しい魔物の子どもを与えられるだけ。あの世界の大人たちはそれで私が満足すると、本気で思っていたんですよ?」
苛立ちを露わにする魔法少女。その殺気を感じ取ったのか、みかんは俺の影に隠れた。
「…………でもある日。私はこっそり部屋から抜け出して、本が保管されている倉庫に忍び込みました。そこには、私の知らない世界の事が書いてある本が沢山あったんです。メイドや騎士たちに見つからないように時々そこに行って、いろんな本を読み漁りました。いつしかそれが、私の唯一の楽しみになっていたんです」
魔法少女は少しの間を空けて、再び語り出す。
「そして、私はある一冊の本を見つけました。そこに書いてある内容は、すべて私の心を揺さぶりました。それが、この世界の本です」
「この世界?」
「そうです。誰が書いたのかは知りませんが、私がいた世界にもこの世界の事が記された本があったんです。特に、海に浮かんだ小さな島──日本という国の内容を何度も読み返しました。そこには魔法も無くて、私の嫌いな貴族もいない。戦争も無くて、みんなが自由に暮らしている。四季があって、猫という可愛い動物がいて、優しい人間が多い国。ここまで言えば、私がここにいる理由もなんとなく分かりますよね?」
その質問に俺と親父はこくりと頷いた。それを見て、魔法少女は少し笑う。
「私は、どうしてもその世界に行ってみたくなったんです。何もかも投げ出して、こんなくだらない世界を抜け出して、地球に行きたい、と。だから、十二歳になった日。私は禁忌を犯してこの世界に来ました。そして、捨てられた少女のフリをして、拾ってくれそうな人間を探していた時、変な髪型の人間と出会ったんです」
驚いた俺を見つめる魔法少女。その反応は予想通りだ、と奴は何も言わずに語った。
「この世界に来たのは、ほんの出来心だったんです。何もかもドロップアウトして、あのくだらない世界から自由になりたかった。だから、私はカイトさんと同じなんです」
「あの男がてめぇを連れ戻しにやって来たのは、それが理由か」
「ご名答。やっぱり、何も言わずに家出をすると誰かしら追いかけてくるんですね」
魔法少女は腰に巻いた白いベルトを外し、そこに付いている三つの透明な球を俺たちに見せてくる。
「世界を越える魔法というのは、私の世界では禁術として扱われているんです。だから、普通の魔法使いには使えません。でも、最強の魔法使いである私にはそれが使えました」
「なんなんだ、そりゃ」
「まぁ、先に話を聞いてください。世界を越える魔法は問題なく使えました。ですが、それで万事解決というわけでは無い。魔法使いには無駄な制約が本当に多いんです」
魔法少女はその透明な球をひとつ外し、それをこちらに見せてくる。
「それが、
意味が分からず首を傾げると、魔法少女は手の平の上で球を転がしながら語り出す。
「これは、ワスレダマと呼ばれる、私がいた世界に語り継がれる宝玉です。その名の通り、この透明な玉に魔力を込めると、特定の相手のある記憶を失くさせる事ができます。例えばそれは、私の姿を見た人間にも使えます。すると、どうなると思いますか?」
そう言われ、散らばっていた謎がカチン、と音を立てて繋がる感じがした。
「…………俺たちはお前の事を忘れて、お前は元の世界に帰れるようになる」
「その通りです。これが、私が三人にしか姿を見せられなかった理由です」
ただ、と魔法少女は続ける。
「当然、私の後を追って来たグラウスも同じ禁術を使っています。でも、彼はこのワスレダマを持っていない。つまり、この世界には二人の魔法使いがいて、皆さんはその二人の姿を見てしまっている。そして、ワスレダマは三つしかない。という事は?」
魔法少女がそう訊ねてくる。その答えはすぐに浮かんだ。それは親父も一緒だったらしい。
「どちらかの魔法使いは、元の世界に帰れなくなる…………?」
「そういう事です、おとーさん。だから、あの男は私を連れ戻そうとしただけではなく、皆さんを殺そうとしたんです。カイトさんたちを抹殺すれば、グラウスはワスレダマを使わなくとも私を連れて元の世界へと帰る事ができる。存在が消えれば当然、記憶も残りませんから」
「────」
「それに、もしワスレダマが六つあったとしても、グラウスはそれを使おうとはしないでしょう。必ず、皆さんを殺しにやって来ます。ここに来る前に重傷を負わせたので、しばらくは彼も動けないでしょうけど」
「なら、どうすりゃいい」
どうすれば俺たちはあいつに殺されなくて済む。そんなニュアンスを込めて訊ねた。
「決まっています。魔法使いが二人いるのなら、どちらか一方を殺せばいい。だから」
魔法少女はそこで言葉を切り、俺の顔を真剣な眼差しで見つめながら、言った。
「私は──あの男を殺します。あなたたちを守るには、それしかないんです」
そんな、あまりにも残酷な決意を。
「皆さんをこんな事に巻き込んでしまったのは、私の責任です。だから、この落とし前は私がつけてきます。そうすればあなたたちはもう、安心していつも通りの暮らしに戻れます」
「でも、それはっ」
親父は魔法少女の言葉を遮り、言った。そうだ。こいつが言っているのは、つまり。
「……それは、俺たちがノラちゃんを忘れる、っていう事なんだろう?」
「残念ですが、そうなります。私が帰るためには、それしか無いんです」
魔法少女がそう言った瞬間、親父はカウチから勢いよく立ち上がる。
「なら帰らないでいいじゃないかっ! あの男を倒せば、ノラちゃんはまたここで暮らせるようになる。そうだよね?」
「確かにそれは正しいです、おとーさん」
「だったら!」
似合わない大きな声を出す親父を冷たい目で見上げて、魔法少女は言う。
「ですが、もしグラウスが私を連れて帰らなければ、不審に思った私の両親が次の刺客を送って来ます。それでは結局、イタチごっこになってしまいます」
「…………ぁ」
「それに、あのグラウスは良心的な方です。だって、自分の姿を見せたのを私と同じ三人に留めたんですから。そうすれば三人以上の殺害は必要なくなる。でも、次に来る刺客はあなたたちだけではなく、他の人間にも姿を見せるかもしれない。そうなれば、その刺客は自分の記憶を消すために無関係の人間を殺す事になる。そうなる可能性があるとしても、おとーさんは私をこの家に住まわせますか?」
でも、こいつは嘘を吐いている。
「それにね、おとーさん。私は別にこの家じゃなくてもよかったんですよ。ただ、自分がこの世界で居心地よく暮らせる場所なら、どこだってよかったんです」
親父の事を見上げながら、魔法少女は語る。
「さっき、観覧車でおとーさんが言った通りです。私は、あなたたちを都合の良い家族だと思っていました。理由はどうあれ、こんな見知らぬ少女を家に住まわせ、タダでご飯を食べさせてくれた。いやぁ、家出先の宿としては最高でしたよ。私はここを選んで正解でした」
魔法少女はそう言いながら立ち上がり、対する親父は床にへたり込んだ。
「ノラ、ちゃん」
「こう言えば分かるでしょう、おとーさん。この家は、私にとってただそれだけのものだったんです。家族になる? 図が高いにもほどがあります。私は、お姫さまなんですよ?」
ハハハ、と空笑いしながら
親父は絶望したような表情を浮かべたまま、その最低な言葉を聞いていた。
それでもやっぱり、こいつは嘘を吐いている。
「おい、そこのクソ魔法少女」
「ノラです。どうしました、カイトさん」
奴は悪びれる様子もなくこちらを見てきた。そんな恩知らずに向かって、俺は言う。
「てめぇ、嘘吐いてんだろ」
「…………なんの事です?」
「とぼけんじゃねぇ。俺には分かんだよ。はっ、格好つけらんなくて残念だったな」
魔法少女は本当に分からない、というように首を傾げる。
それを見て、俺はもうひとつだけ言いたい事を奴にぶつけた。
「てめぇがここを出て行くのなんてどうでもいいけどよ。最後にひとつだけ訊いてやる」
「なんですか?」
「てめぇ、ホントに一人であの男に勝てんのか?」
その問いかけを聞いて、魔法少女は
「もちろんです。私を誰だと思ってるんですか? あんな男、私一人で十分です。まぁ、あなたたちを守る理由も、この家に泊めてくれたからっていうだけなんですけどねー」
ああ、やっぱりな。
「そうかよ。じゃあさっさと出てけ。てめぇの顔を忘れられんなら、こっちも清々するぜ」
そう言うと、クソガキは
それからふん、と鼻を鳴らし、背を向ける。
「言われなくてもそうします。私だって、カイトさんみたいな優しくないやんきーさんとお別れできて嬉しいですよーっ、だ」
「そうか。なら向こうでも達者でな。くだらねぇ世界でクソつまんねぇ生活送って、この世界の事をうらやみながら、勝手に死んどけ」
「──────ッ!」
挑発するようにそう言ってやると、魔法少女はグッと両手の拳を握りしめてからようやくその足を動かした。そして何も言わぬまま、早足でリビングから出て行く。
やがて玄関が勢いよく閉まる音がして、家には再び静寂が戻った。
奴が閉めて行ったリビングの出入り口を黙って見つめる。親父は相当なショックを受けたのか、あのガキが出て行っても動く事は無かった。やっぱり、親父は気づいていない。
俺が芝居をしてああ言った事も。
あの女が俺たちに嘘を吐いていた事も。
「おい、いつまで狸寝入りしてんだ」
「あら? 気づいていたのね」
そして、母親が寝たフリをしていた事にも。
「え…………?」
「当たりめぇだっつーの。何ちゃっかり薄眼であいつの様子を見てんだよ、気持ちわりぃな」
「だって、ノラちゃん嘘を吐くのが下手っぴなんだもの。そういうところも可愛いわぁ」
「え? 嘘? え?」
むくりと起き上がった母親に俺がそう言うと、親父は俺たちの事を忙しなく交互に見ながら狼狽えていた。やっぱり、この家にはバカしかいないらしい。
「ほら、早く準備すんぞ。もたもたしてっとマジで死ぬからな」
「そうねぇ。じゃあお母さん、久しぶりにとっておきを見せちゃうわぁ」
「そうだ。なら、あれを持っていかねぇと」
携帯を取り出し、ある家へと電話をかける。数コール鳴った後、聞き慣れた声が聞こえてきた。
『もしもし、乾です』
「俺だ」
『どうしよう雅兄ぃ! こんな時間にオレオレ詐欺から電話がかかって来たよ!』
『なんだとあかりっ! 絶対に通帳の番号は教えるなよっ!』
「てめぇら兄妹はまず落ち着け。俺だ、魁人だ」
『ふぇ? 魁、人?』
電話に出たあかりはとぼけた声で名前を呼んでくる。今のは俺も悪かったな。
「ああ。こんな時間に悪いな」
『別にいいけど、どうしたの? もしかして、急にあたしの声が聞きたくなっちゃった?』
「んな訳ねぇだろばーか」
訳の分からない事を言ってくるあかり。電話口の向こうにいるであろう雅さんの『なにぃ!? 許さねぇぞ魁人ォっ!』という声もしっかり聞こえた。
「じゃあ何よ。本当に嫌がらせ?」
「ちげぇよ。雅さんに用があったんだ。いるなら変わってくれ」
「雅兄ぃに? まぁいいけど。ちょっと待ってね」
それから微かな話声が聞こえ、数秒の間を置いてから雅さんは電話に出た。
『妹はやらんぞ』
「いらねぇよ。じゃなくて、雅さん。あれはもう直りましたか?」
『ん? あぁ、あれか。ほぼ直ったぞ。ちょうど明日連絡するつもりだったんだ』
右手を握り締める。よかった。あれがあれば俺でも少しは力になれるはずだ。
「ありがとうございます。急な話で悪いんですけど、今から取りに行ってもいいっすか?」
『今から? 別にいいが、何に使うんだ?』
俺の頼みを聞いた途端、真面目な声になる電話口の雅さん。こんな夜更けにあれを使う。確かに、それだけを聞いたら良い事は想像しないだろう。
「それは、ちょっと言えないっす」
『ダメだ。お前が使い道を言わない限り、あいつは返さない。いつも言ってんだろ。お前に危険な事をさせるために、俺はあいつを渡したわけじゃない』
厳しい雅さんはそう言ってくれる。それはこの身を案じての事。俺が危険な真似をしないために、雅さんは警告してくれている。それでも、今はあれが要るんだ。
「…………大事なもんを守るために、どうしても必要なんです。だから、お願いします」
柄にも無く本音を言うと、電話口の雅さんはしばらく黙っていた。これでダメなら、あれ無しで行くしかない。そんな事を思った時、耳元からため息が聞こえてくる。
『お前がそこまで言うだなんて、相当本気なんだな』
「はい。だから、雅さん」
『仕方ねぇ。いいぞ、いつでも取りに来い。理由は聞かないが、人生には一回くらい命を賭けるライドがあった方がいい。それが、走り屋の生き様ってもんだろ』
雅さんはそんな格好良い台詞をくれる。それを聞いて、ようやく覚悟が決まった。
「マジでありがとうございます。じゃあ、少ししたら取りに行きます」
『おう。調整して待っててやるよ』
そうして電話を切り、携帯をポケットに仕舞った。これで俺の準備はほとんど整った。後は、このバカ親が必要なものを揃えるだけ。
「ほら、さっさと準備しろ。いつまで座ってんだ」
「そうよ、パパ。早くしないと」
「ママ、魁人。さっきから何を言って」
立ち上がる俺と母親を見上げてくる親父。ここまで来たらいい加減気づけっつーの。
「俺たちも行くんだよ」
「? 行くって、どこに」
「あ? んなもん決まってんだろ」
俺は拳の骨を鳴らしながら、親父の質問に答えた。
「あの生意気なクソガキを助けに、だよ」
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