捨て魔法少女とリーゼント   作:雨魂

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第二十五話

 

 

 ◇

 

 

 目を開けると、満天の星空が広がっていた。

 

 そう言えばもうすぐ七夕の時期だった気がする。今年も織姫と彦星は、天の川を渡って年で一度の一夜を過ごすんだろう。くだらねぇな。

 

 にゃん、と耳元で聞こえる鳴き声。目だけを動かすと、みかんが俺の頬を舌で舐めていた。そのざらざらとした感触がくすぐったい。でもそれは、全身に感じる痛みを僅かに癒してくれる気がした。

 

 

「…………ん?」

 

 

 痛みを感じている。って事は、俺はまだ生きてんのか? そんな風に自問して、ようやくその事実に気づいた。でも、身体は動かない。この状態を生きている、と表現していいのかはかなり微妙だ。

 

 なんとか顔を動かすと、屋上の入り口の上に伸びた避雷針がプスプスと音を立てて焼けているのが見えた。その下ではついさっきまで俺の愛車だったバイクの亡骸が、粉々になって燃えている。この視界に映る映像が現実ならば、やっぱり俺はまだ生きているらしい。

 

 

「…………貴様、何をした。何故まだ生きている」

 

 

 今度は怒りに満ちた男の声が聞こえてくる。

 

 ああ、って事は間違いねぇ。

 

 俺はまだ、死んでない。

 

 

「はは、っ」

 

 

 その事実が自分でも信じられず、思わず笑ってしまう。俺があんな無謀な賭けに勝つなんて、あのグラウスとかいう男はこれっぽっちも思っちゃいなかっただろう。

 

 

「質問に答えろ人間。私の魔法が、貴様如きに防げるはずが無い」

 

 

 近づいてきたグラウスは仰向けに倒れる俺の横に立ち、銀色の剣を突きつけてくる。

 

 その言葉に、微笑みを浮かべて答えた。

 

 

「教えねぇ。さっさと負けを認めて元の世界に帰りやがれ、このレモン野郎」

 

「ふざけるなっ! 人間の分際での私を侮辱するとは。貴様、ただでは殺さんぞ」

 

 

 喧嘩を売るとグラウスは鬼のような形相でそう言ってくる。でも今は何もかも、ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。猫をなめんじゃねぇバーカ。

 

 

「ああそうか。なら早く殺せよ。なめてた人間様に負けたから悔しくなって殺しましたー、なんて、負けを認めねぇガキみてぇな真似をしてみろよ。ほら、早く」

 

 

 煽られて怒りが頂点に達したのか、グラウスは握っていた銀の剣を振り上げる。その剣が振り下ろされればどっちにしろ死ぬんだが、負けっぱなしで死ぬよりは百倍マシだ。

 

 

「痛──ッ!? な、なんだこの動物はっ! 離れろっ!」

 

 

 そうして諦めながらその時を待っていると、傍にいたみかんがグラウスの身体を駆け上がり、無防備だったその顔に噛みついた。

 

 グラウスはよろめきながら顔に付いているみかんを剥がそうとする。

 

 だが、みかんもそれを許さない。頬に爪を立て、鼻に噛みつき必死にしがみついていた。

 

 

「みかんっ!」

 

「いい加減に、しろっ!」

 

 

 しかし、ただの子猫が魔法使いに敵うわけないのは分かり切っている。グラウスに振り払われたみかんはぎゃっ、という鳴き声を上げてフェンスを越えて屋上から落ちて行った。

 

 

「な────何しやがんだてめぇッ!」

 

 

 起き上がり、グラウスの顔に殴りかかる。

 

 だが、その拳は奴の手の平で受け止められた。

 

 

「…………あんな動物に傷をつけられるとはな。結局、最後まで私に一撃も与える事ができなかった貴様よりもよっぽど勇敢だ」

 

 

 それから鳩尾を殴られ、その場に跪く。

 

 ちくしょう。こいつの言った通りだ。賭けには勝ったが、俺はこいつに一発も当てられてない。あの魔法少女が指示したのは、時間を稼ぎながらこいつに一撃を与える事。

 

 俺は結局、それを果たす事ができなかった。

 

 

「さらばだ人間。あの動物とともに、私との勝負に勝った事を誇りながら死んで行け」

 

 

 グラウスが剣を掲げるのが分かる。でも、もう身体は動かない。

 

 万事休す、なんて言葉はこんな時に使うのかもしれない。

 

 

「…………くそ」

 

 

 何もできなかったわけじゃない。でも、死んだらそれも無駄になる。

 

 俺が死ねば、両親はどうなるんだろう。やっぱり、こいつに殺されるのだろうか。ここまでボロボロになるまで頑張ったんだ。せめてあの二人だけは、生きていてほしい。

 

 そして、あの二人を守れるのはあいつしかいない。

 

 

「ノラ……ッ!」

 

 

 最後に、その名前を呼ぶ。そう言えば、面と向かってあいつの名前を読んだ事って一度も無かった気がする。まぁいい。どうせ俺はここで終わりなんだから。

 

 死ぬ前にあと一回だけ、あの金髪とバカ面を拝みたかった。

 

 それも、もう叶わないけれど。

 

 そんな似合わない事を考えた時。

 

 

 

「お待たせしましたカイトさんっ!」

 

 

 

 あのバカの声が、静かな屋上に響いた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「な──姫様ッ!?」

 

 

 グラウスの焦る声が聞こえ、それと同時に固まっていたこの身体が突然動き方を思い出したように自由になる。俺はその隙を見逃さず、よそ見をしているグラウスの右手首を蹴り上げて奴が握っていた銀色の剣を手離させた。

 

 

「しまっ」

 

「よそ見してんじゃねぇこのクソ野郎ッ!」

 

 

 間髪入れず、全力の右ストレートを整った顔面に叩き込む。

 

 やられっぱなしで忘れかけていた、拳から伝わる誰かを殴った時の、あの感触。

 

 グラウスは鼻血を出しながらぶっ飛ばされ、勢いよく屋上のフェンスにぶつかった。

 

 一発も当てられなかった相手をぶん殴る快感。

 

 最っ高の気分だぜ。見たかこの色男。

 

 

「ぐふ、っ…………こ、この魔法は、まさか」

 

「そのまさかですよ、グラウス。私が犯した罪は、この世界にやって来る事とワスレダマを持ち出した事だけじゃありません。あなたのような騎士が追って来た時のために、もうひとつの大禁術をマスターしてから来たんです」

 

 

 グラウスは驚愕の表情を浮かべながら、宙に浮いている魔法少女を見めている。奴の腕の中には、屋上から落ちて行ったはずのみかんがいた。どうやらあの女に受け止められていたらしい。よかった。

 

 

「バカなっ!? この魔法は、何千年も前に封印されていた禁術だったはずっ!」

 

「だから、私はそれを破ったんですよ。どうせひとつの罪で罪人になるのなら、他に罪を犯しても同じです。そうでしょう?」

 

「い、いやだがしかしっ。この魔法を発動させるには対象者の血液が必要になるはずだっ。私は血など一滴も流していないっ。なのに何故っ!?」

 

 

 そう言われ、魔法少女は腕に抱くみかんの小さな前足を掴んでみせる。

 

 それを見たグラウスは、ハッと何かに気づくような表情を浮かべた。

 

 

「忘れたんですか? この子がちゃーんと、あなたの血を持ってきてくれましたよ?」

 

「…………嘘だ。ひ、姫さま」

 

「さぁ、覚悟しなさいグラウス。これであなたはもう魔法が使えない。私の命令に背いた罰です。あなたが嘲った人間に負ける屈辱を、思う存分味わいなさい」

 

 

 魔法少女はそう言って、こちらを見つめてくる。

 

 

「カイトさん、もう恐れる事は何もありません。今の彼は魔法も剣も失くした、言ってみればただの人間です。遠慮はいりません。正々堂々、殴り合いで決着をつけてください」

 

「…………はっ。よく分からねぇが、こっからは純粋な喧嘩ってわけか。面白れぇ」

 

 

 魔法少女にそう言われ、拳の骨を鳴らしながらグラウスの方へと歩み寄る。それ以上後ろに下がる事はできないのに、奴はフェンスの向こうへと後退ろうとしていた。

 

 

「や……やめろ。来るな人間」

 

「てめぇ、今まで散々俺を虚仮にしてくれたよなぁ。今度はこっちの番だぜ色男」

 

「近寄るなっ、これ以上近づけば──」

 

「良い言葉を教えてやる。この世界にはな、やられたらやり返せ、っつー最高の格言があんだよ」

 

 

 右手の拳を握り締め、恐怖に染まる表情を浮かべながら喚くグラウスに向かって言う。

 

 

「あんま人間をなめんじゃねぇ、クソ魔法使い」

 

 

 そして、俺は腕を振り下ろした。

 

 

 





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