捨て魔法少女とリーゼント   作:雨魂

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第二十七話

 

 

 ◇

 

 

 

 オムぎりで腹を満たした後もまだ、俺たちは輪になったまま下駄箱近くの廊下に座っていた。

 

 理由はもちろん、この魔法少女の魔力とやらがまだ回復していないから。

 

 

「ノラちゃんが喜ぶ話かぁ。改めて考えてみると難しいね」

 

「そうねぇ。普段なら簡単にできるのに、意識しちゃうと全然浮かんでこないわぁ」

 

 

 俺たちはアプローチの仕方を変え、この女が喜ぶ話をする、という方法でこいつの魔力の回復をさせようとしていたが、それもなかなか上手くいかない。面白い話をしろ、と言われた時ほどそれができないのは、この世界の理みたいなものなんだろう。

 

 

「どうしましょう。まだ魔力が足りません」

 

「ならどうすりゃいいんだよ。つーか、こんなもん無理に決まってんだろ」

 

「だから、この方法は難しいと言ったんです。こうなると無理をしてでも魔物と戦う他ありません。勝てる可能性は低くなりますが、魔力が回復しないのでは仕方ありません」

 

 

 魔法少女のめずらしい後ろ向きの言葉を聞き、再び廊下に沈黙が落ちる。

 

 

「ねぇ、ノラちゃん」

 

 

 そんな時、親父が静寂を破り、奴の名前を呼んだ。

 

 

「どうしました、おとーさん」

 

「ノラちゃんが喜ぶ話っていうのは、例えばノラちゃんとは関係ない話でもいいのかい?」

 

「? 私の感情が動いてくれるのならば、それでも問題ないと思います」

 

 

 魔法少女が首を傾げながら答えると、親父は頷いてから確信を持ったような顔で言う。

 

 

「それならちょうどいい。ノラちゃんが喜びそうな話があるんだ。聞いてくれるかい?」

 

「んだよ。そういうのあんなら最初から言えっつーの」

 

「魁人が嫌がりそうだから言えなかったんだよ。でも、今はそんな事を気にしている場合じゃないだろ。だから我慢して聞きなさい、魁人」

 

「あ? なんで俺が」

 

 

 この話の流れでなぜ我慢などしなければならないのか。それに、俺が嫌がりそうな話ってなんだ。

 

 

「それで構いません。おとーさん、聞かせてください」

 

「分かった。じゃあ、次はママにも話してもらうから考えておいてね」

 

「あら、分かったわ。それってどんな話?」

 

「それはね」

 

 

 親父は隣に座る母親に何かを耳打ちする。それを聞いた母親はまぁ、と口に手を当てながら嬉しそうな顔でこちらを見つめてきた。なんだ。すげぇ気になる。

 

 

「いいわよパパ。お母さん、この話題ならいくらでも話せる気がするわぁ」

 

「だよね。きっと、ノラちゃんも気に入ってくれるはずだ。魁人は嫌がるだろうけど」

 

「だから何なんだよ。もったいぶらずに早く話せっての」

 

「いいんだな、魁人。絶対後悔するなよ」

 

「前置きの意味が分からねぇが、いいぜ。絶対に後悔しねぇって約束してやるよ」

 

 

 しつこい親父に早く話をさせるため、考える間もなくそう言ってみせる。

 

 すると両親は途端に笑顔を浮かべ、魔法少女の方を向いた。

 

 

「魁人にもオーケーをもらえたし、始めようかノラちゃん」

 

「はい。何の話でしょう。すごく気になります」

 

「ふふ、そうだよね。ノラちゃんが喜びそうな話っていうのは」

 

 

 ワクワクした面持ちで見つめる魔法少女に向かい、語られる言葉。

 

 

「────魁人が小さかった頃の話、だよ」

 

「ちょっと待てクソ親父」

 

 

 しかし、その試みは一瞬で頓挫した。

 

 

「ダメよ魁人。約束したでしょ? 絶対に後悔しないって」

 

「確かにしたがそれだけはダメだ。息子がいる前で息子の昔話をする? 俺を殺す気か」

 

 

 そんなもんを聞かされたら俺は間違いなく自殺の一途を辿る。そんな未来しか見えない。

 

 

「…………たい、です」

 

「あ?」

 

「私、その話を聞きたいですっ! カイトさんの小さい頃の話? ああ、その手がありましたっ。なんで気づかなかったんでしょう!? おとーさんはやっぱりすごいですっ!」

 

 

 俺の逃げ場を失くすように、ハイテンションで親父と母親の前に移動する魔法少女。こんな状況だというのに、そのこめかみに全力のアイアンクローを食らわせてやりたい衝動に駆られた。

 

 

「だよね。ノラちゃんならそう言ってくれると思ったんだ」

 

「はいっ! そんな面白そうな話を聞かずに向こうの世界に帰るだなんて、私にはできませんっ!」

 

「いいから早く帰れ」

 

「カイトさんは黙っててください! さぁ、おとーさんおかーさんっ。今すぐ私にカイトさんが小さかった頃のお話をしてくださいっ! それを聞けば魔力が満タンになる気がしますっ!」

 

 

 そうして急に鼻息荒くなるクソガキ。その様子を見て、両親は再び魔法少女へと視線を戻した。

 

 

「もちろんいいよ。じゃあ、何から話そうかな」

 

「ふふ、たくさんあり過ぎてお母さんも悩んじゃうわぁ」

 

「お前ら、マジでいい加減に」

 

「煩いですカイトさん。ジッとしていてください」

 

「何ぃ!? 身体が動かねぇっ! てめぇ何しやがった!」

 

 

 バカな両親に物申してやるために立ち上がろうとした時、突如として動かなくなる俺の身体。戦犯は間違いなくこのクソ魔法少女。全力でぶっ飛ばしてやりたいが、今はそれも叶わない。

 

 

「そうだね。なら、まずは魁人が生まれた時の話をしようか」

 

 

 親父はそんな前置きを置いてから語り出す。動かない身体の代わりに声で邪魔してやろうと思ったが、今度は口までも開かなくなった。この女。マジで後で覚えてろよ。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「……魁人が生まれたのはね、ちょうど桜が咲き始めた季節だった。ノラちゃんは桜の花を見た事が無いかもしれないけど、ママが入院していた病室から見えた桜は、本当に鮮やかで綺麗だったんだ。きっと、一生忘れられないくらいに」

 

 

 

 静かな口調で語り始める親父。魔法少女も母親もみかんも、黙ってその声に耳を傾けていた。

 

 

「今はこんな怖い見た目をしてるけど、生まれたばかりの魁人は天使みたいに可愛かった。ママと結婚して、何年も経ってからようやく生まれて来てくれた子どもだったからね。それはもう、可愛くて可愛くてしょうがなかった。たぶん口の中に入れたって痛くなかったよ」

 

「いや、お口の中はさすがにダメだと思います、おとーさん」

 

 

 目じゃねぇのかよ、と心の中でツッコミを入れた後、魔法少女が代わりに言ってくれる。

 

 

「でもそれくらい、魁人は可愛かったんだ。目はママとそっくりで、鼻の形はお父さんによく似ていた。大きくなって行く度に、それがもっと分かるようになった。歳を重ねるごとにね、この子は本当に自分の子どもなんだ、って魁人から言われている気がしたよ」

 

 

 親父は一度言葉を区切り、すぐに続ける。

 

 

「小さい頃、魁人はとっても泣き虫でね。何かあるとすぐ泣いてたんだ。ママとお父さんとちょと離れただけでふにゃぁって泣いていたし、公園で大きな犬に顔を舐められて大泣きした事もあったなぁ。あの頃はママもお父さんも心配していたんだよ。こんなに泣き虫だったら、大人になってもひ弱なままなんじゃないか、って。それは杞憂だったけどね」

 

「カイトさんが泣き虫…………ぷふっ」

 

 

 口に手を当てながらこちらを見てくる魔法少女。だが、俺は何も言えなかった(物理的に)。

 

 

「確かあれは、魁人が小学生になってすぐの事だったかな。ある日の夕方、魁人は身体中泥だらけになって家に帰ってきたんだ。ママとお父さんは驚いて何があったのか訊いたんだけど、魁人は答えてくれなかった。黙って部屋に戻って、一人でしくしく泣いてたんだよ」

 

「っ!」

 

 

 このクソガキに聞かれたくない話が始まり、俺は咄嗟に親父の喋りを止めようとした。

 

 だが、魔法にかけられた身体はそれを許してはくれず、話は前へと進んで行く。

 

 

「まさか誰かに虐められたのかと思って、魁人と仲の良い女の子のお父さんに訊いてみたんだ。そしたら、その理由はすぐに分かったよ」

 

「ん? その仲の良い女の子って、もしかしなくてもあかりさんですか?」

 

「そうだよ。今も昔も、魁人はあかりちゃんが大好きだからね」

 

 

 身体が動くようになったらぶっ飛ばすリストに、親父の名前が刻まれた。

 

 

「そのとき魁人は、上級生たちに虐められていたあかりちゃんを助けていたんだ。体格が全然違う年上の男の子たちに立ち向かって、泥だらけにされながらもね。何度も立ち上がって、苛めっ子をやっつけようとしていた。そのしつこさに負けた苛めっ子はどこかに行って、魁人はあかりちゃんを守ったんだ。そう、あかりちゃんのお父さんから教えてもらったんだよ。ついでに、あかりちゃんが魁人を好きになっちゃったって事もね」

 

「うわぁ、本当に小さい頃から同じ事やってたんですね、カイトさんとあかりさん」

 

 

 頼むから死んでくれ。それか俺を殺せ。

 

 

「それで、ママとお父さんは分かったんだ。この子はとても優しい子なんだって。優しくて、何があっても諦めない、強い男の子だって。喧嘩をするのはいけない事だけれど、ママもお父さんも何も言わなかった。褒めもしなかったし、叱りもしなかった。そうしていたらいつの間にか、見事な不良に育っちゃったけどね」

 

 

 親父は微笑みながら、動けない俺の前でしゃがみ込む。

 

 そして、この目を見ながら口を開いた。

 

 

「…………あの子がいなくなってから、魁人が苦しんでるのは分かってた。でもね、それはお父さんたちも同じだったんだ。どうすればいいのか分からなくて、ずっと悩んでいた。またいつも通りに戻そうと頑張るほど、魁人は離れて行って、やがて不良になってしまった。魁人とはもう二度と面と向かって話せない。そう思ってた時、ノラちゃんがやって来たんだ」

 

「………………」

 

「ノラちゃんのおかげでまた魁人と話ができるようになって、お父さんは感じたんだ。魁人はやっぱり、小さい頃の魁人のままだ、って。見た目が変わっても、髪型が変わっても、魁人は魁人なんだ。不良になって問題を起こしていても、俺の息子である事は変わらない」

 

 

 だから、と親父は言った後、この身体をそっと抱き締めてくる。

 

 

「強くて優しい男の子に育ってくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 そして、そう語りかけてから温もりは離れて行った。その目が潤んでいるように見えたのは、気の所為なんかじゃない。隣に座る魔法少女も、きっとそれに気づいている。

 

 

「…………おとー、さん」

 

「さぁ次はママの番だよ。ノラちゃんのために、とっておきの話を聞かせてね」

 

「もちろんよ、パパ」

 

 

 今度は親父の話を黙って聞いていた母親が前に出てくる。母親はいつも通りの温かい笑顔を浮かべて、俺たちに向かって口を開く。

 

 

「じゃあ、お母さんはパパが話さなかった魁人の恥ずかしい話をしちゃおうかしら」

 

「ホントですかっ!? じゃあカイトさんが真っ赤になるような話をお願いしますっ!」

 

「うふふ、分かったわ。でも、魁人がかわいそうだから少しだけね」

 

 

 その前置きを聞いてヒートアップする魔法少女。フォローが無かったらリストに母親の名前も載るところだった。しかし、話の内容次第ではそうなる可能性も十二分にあり得る。

 

 

「なら、まずは魁人とあかりちゃんのお話からね」

 

 

 ぶっ飛ばすリストが更新された。もうダメだ。死のう。

 

 

「魁人とあかりちゃんはね、同じ病院で生まれたの。あかりちゃんのお父さんとお母さんは家のご近所さんだったから、魁人が生まれてくる前から仲良しだったのよ」

 

「なるほど、カイトさんとあかりさんが結ばれるのは生まれる前から決まってたのですね」

 

 

 なるほどじゃねぇよこのクソガキ。決まってねぇっつーの。

 

 

「それで、あかりちゃんが生まれた次の日に魁人が生まれて、二人は小さい頃からずーっと一緒だったの。お姫様と王子様ごっこをしたり、手をつないで幼稚園に行ったりしてね。ああ、あの頃の二人は本当に可愛かったわぁ」

 

「うわぁ見たいっ! すごく見たいですその光景っ! 考えるだけでドキドキしますっ!」

 

 

 そのまま破裂しろ心臓。

 

 

「でも、小学生になった頃くらい、かしら? 魁人はあかりちゃんにツンツンするようになっちゃってねぇ。魁人からはあかりちゃんを遊びに誘わなくなっちゃったのよ」

 

「…………カイトさん」

 

 

 母親の話を聞いた魔法少女は動けない俺にステッキを向けてくる。昔の話なのになんで今の俺をしばこうとしてんだよ。意味分かんねぇ。

 

 

「魁人は恥ずかしがり屋だから、大好きな女の子を自分から誘えなくなっちゃったの。けど、あかりちゃんもああいう積極的な子だから魁人を色んな所に連れて行ってくれてね。本当、あかりちゃんには感謝してるわぁ。早くお嫁に来ないかしら?」

 

「分かります、その気持ち。カイトさんはさっさとあかりさんにプロポーズしてください」

 

 

 好き勝手言いながらこちらを見てくる女二人組。こいつらはなんで俺が進む人生の方向を勝手に選択してるんだろう。馬鹿なんだろうか。

 

 

「お母さんはね、ちゃーんと知ってるのよ? あかりちゃんの誕生日にプレゼントあげるためにお菓子を買うのを我慢してお小遣いを貯めてた事も。毎年バレンタインデーの時にあかりちゃんからもらうチョコにラブレターが入ってて、それを魁人が楽しみにしてる事も」

 

「え。マジですかおかーさん。おいしすぎるんですけど、その話」

 

 

 なんで知ってんだこのクソババァ。俺の部屋には監視カメラでも仕掛けられてんのか。

 

 

「お母さんには分かるのよ。子どもが誰を、何を好きになるのか。魁人みたいに素直な子じゃなくても、自然と分かるの。それは、なんでか分かる?」

 

 

 何も言えずに固まっていると、母親は俺の頬に手を伸ばし、その答えを言った。

 

 

「それはね魁人。お母さんが、あなたを世界で一番愛しているからよ」

 

「…………」

 

「お母さんは誰よりもあなたを見ているの。きっと、魁人が思っている何十倍もね。あなたがどれだけ大きくなっても、それだけは変わらないわ」

 

 

 母親は目を細めて語る。頬に触れている手からは、どこか懐かしい温かさを感じた。

 

 

「この世界はね、何かを愛する気持ちがすべてなの。それさえあれば、どれだけ悲しい事があってもまた頑張ろうって思えるの。あの子がいなくなった事は、本当に悲しかった。それでもお母さんが大丈夫だったのは、魁人がいてくれたからよ。あなたが不良になった事なんて、そんなのどうでもいい。お母さんはね、ただ魁人が生きていてくれればそれでいいの。あなたがいてくれるなら、どれだけの悲しみがあろうとも生きていけるのよ。だから」

 

 

 それから母親は親父と同じように俺の身体を抱きしめてくれる。

 

 

「愛してるわ、魁人。パパとお母さんの所に生まれて来てくれて──ありがとう」

 

 

 なに言ってんだ、こいつら。

 

 なんで、こんな時に。

 

 本当に、このバカ親共は。

 

 

「…………あ。魔力が」

 

 

 母親が離れて行くと同時に、魔法少女の身体に薄っすらと白いベールのようなものが現れ、やがてその全身を包み込んだ。

 

 

「すごい、です。二人のお話のおかげで、いつの間にかとんでもない量の魔力が回復してますっ。これだけあれば間違いなくあの魔物を倒せます!!!」

 

「そうか。それならよかったよ」

 

「そうね。やっぱりパパの言う通りだったわぁ」

 

 

 驚く魔法少女に声をかける両親。

 

 二人の話により、どうやら奴が必要としていた魔力とやらは満ちたらしい。

 

 だが、まだ満たされてないものがある。

 

 

「では、これから早速」

 

「…………待て」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 気づけば自由になっていたこの身体。ようやく話せるようになった口で、俺は魔法少女を止めた。両親も不思議そうな顔でこちらを見てくる。みかんはにゃん、と鳴いた。

 

 満たされてないのは、この心。他の誰のものでも無い、俺の心にはまだ隙間が空いたまま。

 

 自分たちだけ言いたい放題言いやがって。

 

 そんなの、俺が許すわけねぇだろ。

 

 

「カイトさん?」

 

「…………ざけんな」

 

「え?」

 

「ふざけんじゃねぇって言ってんだ、このバカ親共」

 

 

 精いっぱい拳を握り締めながら込み上げてくる何かを我慢し、目の前にいる両親を睨みつけた。

 

 そうでもしなければ、俺は。

 

 

「魁人?」

 

「どう、したの?」

 

「どうしたのじゃねぇ。何なんだよ、あんたらは。なんで、俺にそんな事を言えんだよ」

 

 

 震える声で訴える。本当に意味が分からず、感情が迷走していた。

 

 

「好き放題わけわかんねぇ事ばっか言いやがって。なに考えてんだ。なんでこんなグレた息子に向かってそこまで言えんだよ。俺は、あんたたちを突き放したんだぞ? あんたらが困んのを知ってて不良になったんだぞ? なのに、なんで」

 

 

 思っている事を打ち明けると、両親は少し驚いた様子でこちらを見て来た。

 

 

「なんでだよ。どうして親不孝者にそこまで優しくできんだよっ。感謝してる? ありがとう? そんなもん、俺の方がしてるに決まってんだろっ!?」

 

 

 込み上げてくる感情をそのままに、俺は迷わず吐き捨てる。

 

 それ以外の方法で、行き場を見失った気持ちを治める事が出来なかった。

 

 どう足掻いても無視をしても、この二人に対する感謝なんていうとうに忘れ去ったはずの想いだけが、消えない。消えてくれない。

 

 だから、俺は。

 

 

「あんたらはずっとそうだったよな。俺が誰かと喧嘩して帰ってきても、何も言わずにいつも通り接してくれた。どんだけ夜中に帰ってきても、俺より先には寝なかった。仕事で忙しいくせに、何がなんでも朝飯だけは作って置いてった」

 

 

 潤み始める視界。だが絶対に()()を外に出さないよう、グッと唇を噛んだ。

 

 

「知ってんだよ、俺は。喧嘩してボコボコになって帰ってきてから救急箱を開けると、前に使ったはずの包帯やら絆創膏やらが毎回新品になってんのも。傷に沁みねぇように風呂がぬるめに入れられてんのもっ。そういう時に限って俺の好物ばっか机に置いてあんのも!」

 

 

 それでも、その温い水は理性の壁を越えて溢れてくる。

 

 耐えようとすればするほど、()()は頬を流れて行った。

 

 

「あんたらはずっとそうだ。俺がどんだけ間違った事をしても、絶対に怒鳴ったり殴ったりしなかった。こんな訳わかんねぇ女を拾ってきても、それを一瞬で受け入れてくれた」

 

「魁、人っ」

 

「感謝してんのは俺の方だっつーのっ! 俺はな! こんなバカみてぇに優しい親の所に生まれて来なかったら、とっくにただの腐った不良にしかならなかったっ。こんな家じゃなかったら、一生つまんねぇ毎日を生きるクソ野郎になってたっ!」

 

 

 泣きながら想いを叫ぶと、同じように涙を流した両親はまたこの身体を包み込んでくる。

 

 

 本当に、この家族は。

 

 

 

「俺は、あんたらの息子に生まれて来てよかったっ。言いてぇ事はそれだけだ、バカ野郎っ!」

 

 

 

 ────救いようもないくらい、バカな家族だ。

 

 

 




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