確かに、と下田も思っていた。彼には戦う手段どころか、自分の身を守る力さえ備わっていないに等しい。ここまでついてきたのはいいが、これ以上彼のやれることはないと。
「どうしろと言われても。お前は、なぜついてきた?」
「なるべくぎりぎりまで見送りたかったもので。もう戻っても大丈夫ですか」
「いや、こちらが指定した時間が経つまで、火守女は篝火をつながない。今家の中の火にもどっても、何も起こらない。どうしたものか」
カルラが溜息をつくと、ユリアも嫌そうに言う。
「おとなしく祭祀場にいればよかったものを。他の灰達の足を引っ張るつもりか」
「余計な行動は慎んでほしいわ」
ミレーヌまで非難したので、下田は意外に思った。どうも、貴樹は彼女らからよく思われていないらしい。一体彼のどこが気に入らないのだろうか。
「皆の荷物になるのは嫌だな。この場に残った方が良いですね」
「ここも安全というわけではない。誰か、彼を護衛する者を置いていかなければ」
ジ―クバルドが自分を指差す。
「駄目だ。貴公は不死街の掃討に一番慣れている。灰達を指導する役割に不可欠だ」
「ウーム」
誰がやるか、議論が硬直しかけた時、ずっと黙っていたシ―リスが声を上げた。
「私が、残ります。責任を持って彼を守りましょう」
「大丈夫か?」
ユリアに訊かれても、彼女は意志を曲げない。
「はい。一人を守れるくらいの実力はあると自負しています。どうかやらせてください」
「貴公の能力は当然認めているが…」
「いいではないか。彼女ももう一人前の戦士だ。任せてみては」
ジ―クバルドが賛成したのを皮切りに、シ―リスと貴樹の二人を残して出発することになった。何となく流れに違和感を感じたが、何も根拠はない。彼が何を考えているにせよ、自分達生徒を思いやっていることは伝わってきたので、邪推するのは良くないと考えた。
◆
「どうなることかと思いました。タカキさんが戻るって言い出した時は」
「何とか上手くいったって感じだ。半分賭けだった。僕の意志を汲んでくれて助かったよ」
「かなりわかりやすかったですよ。もう少し彼らが行ってから、始めましょう」
貴樹は、肩を揉んで大きくなりつつある切迫感を紛らわしていた。
『で、だ』
(あん?)
『もう一度訊くが本気なのか? 本当に成功できるかどうか、怪しいもんだぜ』
(いいか、俺がやれるかじゃない。お前だ。全責任がお前にかかっている)
場面は、彼の起床時にまでさかのぼる。
シ―リスの祖父を救う方法を何一つとして思い浮かんでいなかった。この日が来なければいいと、何度も思ったほどだ。逃避行動として火守女と距離を縮めにかかったものの、彼女は貴樹含めた灰達を完全に仕えるべき対象としか考えていないようで、満足な会話すらできなかった。
気の進まないまま起き上がると、それはいたのである。
「ようやく、見つけましたぞ。貴方からは膨大な力を感じます。間違いない、貴方こそ我らの王となるべき存在。どうか、ロンドールに栄光を取り戻してくださいませ…」
(ヨエルじゃん。へええ、このタイミングで接触してくるわけね。こっちから見つけに行かなくてもよくなったな)
『この、気色悪い奴はそんなに重要なのか』
(そこそこ。こいつから暗い穴をもらって亡者に近付けば、ロンドール側とコンタクトが取れるようになるんだ。これで、ユリアの態度も柔らかくなるな)
既に滅びているロンドールは、亡者を集めた国だった。精神を病み不死身の殻だけが残る忌むべき存在を統制し、最初の火を強奪しようと目論んでいる。その上位組織である黒教会で指揮を執っていた三剣士。内一人が、ユリアだった。彼女がどうして現在暗月に所属しているかは謎である。
『でも、明らかにやばそうじゃね。こいつらに協力するつもりなのか』
(そこなんだよ。暗い穴を貰う時に、亡者化が進行する。見た目が気持ち悪くなるのは避けたいんだよなあ。無効化できる?)
『問題ない。お前に悪影響を及ぼそうとする異物は全部浄化されるみたいだ。カルラの魅了が効かなかったのも、おそらく残り火の作用だな』
(おっけ)
「わかった。協力しよう」
「おお、おお。我らの未来は今、保証された。ささ、その御手をこちらへ。私から、祝福を与えましょう」
(気持ち悪っ。さっさとしてくれ)
ヨエルは貴樹の手に自分の杖を当てる。その先から黒い靄が出てきて、彼の体内に入り込んでいく。その光景は不安にさせるものだったが、体に変化は起きなかった。
(お前の言う通りだな。ん?)
『おい、ちょっと』
異変は、ヨエルの方に起こった。
杖はいつの間にか赤く発光し、ほとんどが溶けていた。そしてその熱がヨエルの体にまで及び、炎が発生する。瞬きをする間に全体へ広がり、不気味な風体は鮮やかに彩られる。
ヨエルは隠れている顔を抑え、枯れた声で呻いた。大きくもがいて消そうとするも、炎の勢いは衰えない。彼の末端は既に灰へと変わり始め、見ているこちらが胸の悪くなるような姿をさらしていた。
「おのれ、おのれ」
ぴたりと動きをやめ、憎悪を呟いた。
「謀ったな。貴様、大王の手先か。どこまでも小
残りは意味のつかめない呪詛になり、ヨエルは灰になった。溜まった灰はやがて消えていき、何も残らなくなった。年季の入った石の床だけだ。
『え、え?』
(おいおいおいおいおいおい。何だこれ。ヨエル死んじまったじゃねえかあああああああ! しかも、これでロンドールと敵対したくさいぞ。どうしてくれんだよノミ)
『待て。おれにもよくわからん。あ、あれ? おかしいぞ。残り火の数が一つ減ってる。十八個しかない』
(はあ?)
『何となく、わかったぞ。あいつの亡者の呪いはかなり強力だったんだ。だから、防衛反応として、残り火が勝手にヨエルの体に入って、浄化したんだ。亡者にとっては苦手どころの話じゃないから』
(これ、洒落になってないんだけど。つ―か残り火ってそもそも譲渡できるものなのか)
『知らなかった。おれも今、初めて見たんだ』
(くそ、ただでさえ問題が山積みだってのに)
ひらめきは、突然降りてきた。
文句しかなかった頭の中が、即座に切り替えられる。ヨエルの問題はとにかく、シ―リスのことを解決できる糸口が見つかったのだ。
(残り火は、亡者を浄化できるんだよな)
『そうだけど』
(つまり、亡者になりかけている人間に使えば、正常に戻せるんじゃないか)
『あっ…。いやでも、おれが自分の意志で他人に残り火を与えられるとは限らないし。それに下手したら、フォドリックを殺すことにつながるんじゃないか』
(やれ。他に手はないんだ。死ぬ気でやれ。成功以外は認められないからな)
『そんな無茶なあ』
こうした事情で、貴樹はどうにか解決法を見つけ出し、今に至っていた。
集団が橋を渡っていき、瓦礫の陰に消えていった所で、シ―リスは剣を抜いた。先の細い、レイピアに通じる形状のもの。エストックという名前の刺突剣だったはずだ。
「祖父のいそうな場所にはいくつか心当たりがあります。順に回っていきましょう。私の側を決して離れないでください」
再び家に入り、反対側の出口から抜ける。貴樹が記憶にはない道がいくつもある。プレイヤーが歩く範囲は、ほんの一部でしかないのだ。さすがに街と言われるだけあって、人探しには苦労する場所だった。
見たところ、敵はいない。亡者があふれているイメージだったが、さきほどのカルラの言葉からもわかる通り、ある程度の掃除はされているようだ。せめてあと一日遅かったら、無駄な緊張はしないで済んだだろう。どんな怪物が出てこようが、何の脅威にもならない。
道は、下りが多い。かなり急勾配の斜面もある中、シ―リスは鎧を着ているのにもかかわらず、すいすい進んでいく。草が肌に絡んで苦労している貴樹は、己の体力の明らかな衰えを痛感していた。
(もう、息が上がってきたんだけど。ただ歩いてるだけだぜ? 何だこの貧弱さ)
『こんな状態で敵に襲われたら、ピンチどころじゃねえな』
(やめろよ。そんなこと言うもんじゃ)
何かが崩れる音がした。
振り向くと、欠けた木材の溜まり場から起き上がる影。汚れた赤の布切れを被り、背に大きな壺を背負った二メートルを優に超える巨体の男だ。血の滴る出刃包丁を握り、貴樹の存在を認めた途端、突進してきた。
「伏せてっ!」
反射的に従い、彼は身を丸めて、坂を転げ落ちた。その頭上を、ソウルで形作られた矢が取りすぎ、敵の足に当たる。そこで動きが止まったものの、まるで正気の感じられない叫びを発してからすぐに体勢を立て直していた。
(あっぶねえええええ! 死ぬかと思ったんだけど)
『あれ強そうだな』
(そこらの亡者なんかよりは、ずっとやりづらい相手だ。慣れないうちはそこそこやられたな。シ―リスちゃん、大丈夫か?)
彼女は地面にうずくまる貴樹を跳びこえ、あっという間に坂を駆け上がると、相手の武器の届くぎりぎりのところで一旦止まった。男の方はすぐに接近し、彼女の首をかき切ろうとしてくる。
その華奢な体を一撃で割いてしまいそうな規格外の包丁を、一瞬だけ細身の刃で受け止め、貴樹の眼にはとらえきれない速さで下に弾いた。地面に刺さる出刃包丁の上に乗り、掴んでこようとする男のもう片方の手をかわしながら、その肩の上まで一気に登った。短く息を吸って、彼女は男の脳天を一撃で刺し貫く。倒れかかる相手の体から飛び上がり、既に空中に発現させていたソウルの矢を一斉に放つ。男の首が裂け、どす黒い血を伴って転がった。
剣先の血を一振りで払ってから、シ―リスは慌てたように近づいてくる。
「大丈夫ですか? 怪我は?」
「う、腕を少し擦りむいた程度で」
「治します。見せてください」
指先から白い光を発し、貴樹の擦り傷は瞬時に元通りになった。
(つっよ)
『やっぱ実戦になると段違いだ。お前との組み合いでは本気出してなかったな。これの師匠だっていう、フォドリックは何者だよ』
(なんにせよ、接近して残り火を流しこまないといけないんだ。ある程度の怪我は覚悟しないと)
『おれが失敗したら死にますよね』
(だからお前が全てだ。一蓮托生なんだろ?)
『頑張ります…』
同じ姿の敵が、進んでいくごとに何度も出てきた。中には農具を持った亡者と同時に相手をしなければならない場面もあったが、シ―リスは特に危なげもなく処理していく。虫も殺せなさそうな風貌だというのに、襲いかかる相手に対しては容赦なかった。貴樹にとっては返り血でどんどん汚れていく彼女の姿にも興奮できたので、どんどんやれという思いだ。そうして、失敗が許されない状況が迫ってくる恐ろしさを和らげる。
斜面も、終わりが来た。亡者達の転がる橋の下の河川に突き当たった。一見澄んでいるように見えるが、端の方で鼠が走りまわり、衛生面では非常に難がありそうだ。
シ―リスは迷いなく水につかり、岩壁に備え付けられた鉄格子を外しにかかる。開いた先は下水道のようで、長く続いていそうだった。
「ここから行けば、近いです。多少汚れてしまうことになりますが、構いませんか?」
「フォドリックさんの安否を確かめる方が大事だよ。行こう」
「…そうですね」
彼女の諦観のこもった笑みを、貴樹は見逃していなかった。
中はかなり暗い。シ―リスが魔術の灯りを常にともしていなければ、歩くのもままならない。途中、熊よりも大きい鼠の集団に出会ったが、彼女は貫通性の高いソウルの太矢で一気に蹴散らしていった。一体どこが最弱NPCなのだろう。ゲームでは使っていなかったはずの技も、次から次へと出てくる。
段々と異臭のする環境に
「凄い仕組みだな」
「私と、祖父だけが知っていることです。この先は、大樹の地下にある空洞になっています。よくあそこで、稽古をつけてもらいました」
懐かしむ声音とは対照的に、シ―リスの顔にはあえて感情を抑えている気配があった。そこに隠しきれない悲壮感があるのは、近くで見ている貴樹にもわかった。
「行きましょう」
貴樹は確信している。
(亡者の穴倉か。予想通りだ)
『じゃあ、いるんだな』
(ああ、彼女が最初からここを目指していたんだろう。他にも心当たりがあるなんてことは、嘘だ)
ただ一人残った肉親を殺めようとする、彼女の覚悟の重さは想像できない。だが、貴樹は彼女が自身の命を燃やしてまで使命を遂げることを、認めるわけにはいかなかった。
穴を進んでいく中、彼女がそっと話しかけてくる。
「ここまで付き合わせてしまって、すみませんでした」
「僕は勝負に負けたから。当然のことだ」
「いえ、それでも、私の、私達の約束を支えてくれて、言葉もありません」
そこは、水が薄くたまるかすかに明るい空間だった。中でもろうそくが並べられ、淡い光が集まっている場所に、誰かが立っていた。
かつては、黄昏色に輝いていたであろう鎧は、所々塗装がはがれ、生の金属部分が露出している。腕甲や足甲もその大部分が破壊され、もはや意味をなしていなかった。胸元から顔にかけて乱雑に巻かれている布のせいで、顔立ちはよくわからない。が、唯一露わになっている目は焦点を結んでおらず、真っ赤に充血して、滲む狂気を感じさせる。
シ―リスは薄く目を閉じ、エストックに手をかざしてソウルを纏わせた。貴樹も見たことのない属性付与だ。
「私は、嘘をつきました。祖父が手遅れであることは初めから知っていました。あの人は、もう、味方と敵の区別もつきません。今すぐに貴方は逃げてください。道中の障害はできる限り排除しました。転送されてきた場所まで戻れば、安全です。…こんな小さな、私の使命に巻き込んでしまって、申し訳ありません」
歩き出そうとする彼女の肩を、貴樹は掴んで止めた。
「シ―リス。死のうなんて考えるな」
「え……?」
彼女とフォドリックの間に立ち、彼は拳を構えた。
「君の家族は、僕が救ってみせる」
(あ―、くそ。始まっちゃった)
『やれる。おれはやれる…やれるぞ……』
パンツ一丁という締まらない格好で、歴戦の戦士に向かっていくのだった。
◆
早くも下田は、この街が嫌いになりかけていた。
そもそも、ここが街と呼べる資格があるのかすら疑問だ。まともな形を保っている家屋は一つとしてなく、住人は正気を失った亡者ときている。
奥へと進んでいく途中で、何度も襲撃を受けた。墓所にいた、ただの亡者だけではない。細身で見るからに非力そうな普通の亡者達よりもずっと大柄で、両手ノコギリといった武器を振り回す敵も出てきた。
恐怖はもちろんあったが、自分の身に危険が及ばないとはわかりきっていた。奴らが生徒達にまで到達することなく、ジ―クバルド達に殺されていたからだ。
特にジ―クバルド本人は、真正面から立ち向かい、大剣を振るって襲いかかる者達を屠っていた。どうして、あんな動きにくそうな鎧で戦えるのかはわからない。その謎は、数日ずっと隊で手合わせしていても解けなかった。
「すごいすごい。反応がどんどん消えてく。無敵じゃん」
「結構数いるの?」
「ん―? まあ、私達目立ってんだろうね。最初は囲まれてたけど、もうすっかすか」
芳野の能力は、思った以上に精度が高いようだった。彼女の感覚を他者と共有することは叶わないが、情報が入ってくるだけでも段違いだ。彼女がいれば、不意をうたれることはなくなるのだから。
特に誰かが傷つくような場面もなく、彼らは目的の場所へと到着した。
周りの木々よりも高い、金属の建物だった。蔦に覆われて細かい判別はしにくい、宗教的な絵がいたるところに描かれている。かつては聖堂だったのだろうか。栄華を誇ったであろう内部は崩れかけ、中庭までの道が開けている。
そして広い庭では、吹き抜けを通り越し、幹もふくよかに育った大樹が鎮座していた。
「なんだ、あいつら。祈ってるのか」
草野が驚いたようにつぶやく。
そのふもとには、大勢の亡者達が集まっている。皆が一様に大樹を見上げ、崇めるかのように両手を合わせていた。
「奴らを全て討伐することが、貴公達の役目だ」
あれだけ動きまわって息一つ切らしていないジ―クバルドが、生徒全員に向かって言う。
「我々は、ここから動かない。よほどのことがない限り、手出しもしない。貴公達だけで、やってみせるのだ。隊の連携も形になってきた。敵ではないはずだ」
「それと、」
アンリが、彼の言葉を引き継ぐ。彼女の教えはまだ受けていないが、聞こえてくる話によると、見た目にそぐわず、相当厳しいものであったらしい。でもそれは、他の皆にも言えることだ。
「あの亡者達の中には、手ごわい個体も混ざっています。赤目を見たら、用心してください。動きが他よりも俊敏です。連携を密にして、落ち着いて対処すれば大丈夫。健闘を祈ります」
ここまで守ってくれていた彼女らは脇に下がり、生徒達だけが残された。
「おし、一番乗りだ。走るぞ」
草野が剣を抜き、下田の肩を叩く。
「え、そんな誰かと競うわけでもないのに」
「でも、誰かが踏み出さないといけないしね」
国広も続き、他三人の女子もお―っと叫んだ。その声で、一番近い地点にいた亡者が振り返る。これは駄目ではないだろうか。後ろからそっと近づいた方が良かったに違いない。
「何してんの、下田。あんたも大事な役目あるんだし。誰かが怪我した時は、頑張ってもらうかんね」
「それは、うん。任せて」
高原と一緒に、既に走り出した草野達を追う。怯えて足が動かないなんてことはない。散々ジ―クバルドに教えられて、隊としての技術を磨いてきたという自負もある。
自負? ただの学生が? こんなのまるで、ゲーム気分じゃないか。
頭の中に響いた冷笑は気にしない。今は、そう、仕方がないのだ。祭祀場の者達の言うことを聞くしかない。 駄々をこねても、どうにもならないのだ。現実に戻るためには、まず、自分が無事でいることを考えなければならない。
亡者達の大部分が近づいてくる生徒達に気づき、立ち上がる。置いていた短剣やら熊手やらを手にし、唸り声を上げて走ってくる。
「数が多いな」
「囲まれないようにしないと。一体一体、確実にいこう」
前衛である草野と国広が、一体の亡者を同時に相手取る。一方が相手の得物を、もう一方が腰を切りつけ、崩れた所を、草野がとどめをさした。
「うわ、えっぐ」
分断された顔の切り口から、黒い血があふれる。枯れた体を切った感触がまだ残っているのか、血に汚れた剣を嫌そうに見る彼に、国広がたしなめるように言った。
「訓練の時とは違う。相手はこっちを殺そうとしてくるんだ。覚悟しなきゃいけない」
「よし…」
「高原達は、援護を。俺と草野が対応しきれない奴をやってくれ!」
草野の脇から抜けた亡者が、迫ってくる。下田は落ち着こうと努めながら、青白い光の矢を射出した。同時に三つのソウルの矢と、呪術の炎を付けた亡者は人の形を失って、地面に転がる。
「わあ、オーバーキル。グロい」
「私達全員で一体狙ってどうすんの。めぐ、周りの数は?」
訊かれた芳野は、飛びつこうとしてくる亡者に炎を投げつけていた。
「十とかそんくらい! 目で見た方が早いって。もう力解くから、こっちに集中させてよ」
高原が、ロープを出現させ、かなり接近していた一体の足に絡ませる。目の前に倒れてきた亡者の頭に、下田は夢中で魔術を叩きこんだ。ただの球体から矢の形状に変化させることにはもう慣れた。
確かに気持ち悪い。自分の手で直接行ったのではないにせよ、動いていた者の命を取るのは嫌な気分だった。ただ、見た目が普通の人間とかけ離れているせいか、その感情はすぐに次の準備に切り替わる。
「祐馬君、危ない!」
亡者の攻撃を受け止めていた国広の背に、もう一体が斬りかかる。向き直るほどの時間は残されていなかったが、彼は冷静に対処した。
国広の腰に刺されていたもう一本の剣がひとりでに動き、鞘から抜けて亡者の腹を貫いた。まるでその剣は自分の意志を持っているかのようで、亡者の腹部を横薙ぎに裂いた後、国広の横に浮かんだ。そして彼の正面の亡者に向かい、上から頭を叩き斬った。
彼の固有能力は、不可視の第三の手を生やせることだった。いわく、体のどこからでも伸ばせるらしく、死角にも対応することができるという。隊の中では、一番実戦に向く力だった。
「いったん下がろう。他がどんどん前に出て、こぼれた亡者がこっちに集まり始めてる」
「くそ、雑な仕事しやがって」
「あの大樹、嫌な感じだ。なるべくあれからは離れた所で戦おう。下田を中心にして、円陣を組むんだ。高原は俺の隣りに来て、目についた亡者の動きをどんどん止めてくれ」
さらには、周りも良く見えている。国広が司令塔になっていくのは自然なことだった。
この数日で、自分達の連携が劇的に良くなったとは思わない。初めの醜態から抜け出すのは、困難だった。それぞれのやるべきことをはっきりと決め、お互いに邪魔にならないよう立ちまわることだけを意識してやってきたのだ。だから、それなりにやれている。迷いなく引っ張ってくれる、国広の存在も大きかった。
それでも慣れない多数の敵との戦闘では、消耗も激しい。ほとんど攻撃をしていない下田でさえも、息の詰まるような状態に疲労が高まっていた。
嬉しいことに、亡者の数は確実に減っている。今も草野が一体打ち倒し、自分達の周りがぽっかり空いた状況になった。
今まで誰かが怪我をしないかずっと見張っていた下田は、他のグループのことが気になり始めた。
危険な状況に追い込まれている所はない。やはりというか、一番動きがあるのは宇部の隊だ。丸戸と砂川、高坂の男子に加え、新宮、実織、そして下田と同じ奇跡使いである小柄な女子、上島がいる。彼らの周りにも亡者はほとんど残っていなく、全員で一体を相手にしていた。
「あれって」
「赤目だ。速いな確かに。他のトロい亡者とは大違いだ。でも、余裕そうじゃないか?」
実際には、宇部が一人で圧倒しているようなものだった。確かに、赤目の亡者は他よりも明らかに違う。両手に鋭くとがった短剣を持ち、軽い身のこなしで動き回っている。だが、その上を行くのが宇部だった。赤目が攻勢に全く出れないほど、絶え間ない連撃を加えていた。
片腕が切り落とされ、胴体に刃を突き入れられた赤目は、呆気なく息絶える。それを最後に、中庭で動いている亡者はいなくなった。
「終わりか」
草野が息をついて、剣を収める。
「彰浩、頼む」
座りこんだ彼に、下田は近づき、手をかざした。回復の光が草野を包み、その疲労を癒していく。ただ傷を治すだけではない。回復の奇跡は最初の印象以上に、役立つものだった。
「下田、こっちもお願い―」
高原が手で顔をあおいでいる。
「お前は、そんなに疲れてねえだろ。無駄うちさせんなよ」
「うっさいな。見た目以上にきついんだって。ずっと集中してたしさあ。ね、下田ならわかるよね」
「う、うん」
「おい、お前最近、女子達に甘くなったよなあ? 関わりが多くなったから、慣れましたってか。昔の彰浩はどこに行ったんだよ! 女には媚びないって、誓い合ったじゃねえか…」
そんな記憶は一切ない。
「下田とアンタを一緒にされてもね」
「むしろ草野のがっつきようが引くし」
高原に奇跡をかけた直後、後ろからいきなり抱きつかれる。どこかほっとする甘いにおいと、わずかな膨らみを背中に感じた。
「な、なに?」
久慈のにやけた顔が間近にある。
「ほら、顔真っ赤。草野にも、これくらいの可愛げがあったらね。ま、そうだったとしても見た目との落差で吐くけど」
「あ、の、離れて」
「睫毛長いよね―。女の子みたい」
「う、羨ましいなんて思わないんだからね! そんな胸ない女子に抱かれたって、何の感慨もわかねえし。彰浩、冷静になれ。そいつは実織じゃねえぞ」
「意味、わかんないから。なんで、そこであの人が出てくるの!」
「やっばあ。顔、トマトみたい。ういうい、ほっぺたもやわらかーい」
「触らせてよ、朱音」
「マジ天然記念物」
彼女たちの玩具にされそうになった所で、国広が切羽詰まった調子で叫んだ。
「皆、樹が」
がさがさと、葉同士が擦り合う音が、大きく響いた。生徒達全員が、その元の方へ注目する。
常識では考えられない光景だ。それまで奥の方で静かに植えられていた大樹が、動きだしていた。ゆっくりとではあるが確実に、立ち上がろうとしている。
なぜ、今まで気がつかなかったのだろうか。よくよく見てみれば、それは植物としての外見を大きく逸脱していた。幹の中心に白い卵のようなものがいくつもこびりつき、そこからおぞましいことに、人間の手が飛び出している。四方向にのびる太い枝もまた人間の四肢に酷似していて、今まさに両の足で立っていた。
「こんなのがいるなんて、聞いてねえぞ」
「亡者だけのはずじゃ」
下田は聖堂の入口の方を見やった。ジ―クバルド達は、一向に助けに来る気配がない。彼らにとっては、あれの存在も織り込み済みだったのか。それはつまり、生徒達だけであの大樹もどうにかしなければならないのだ。
大樹は鈍重な足取りで庭の中央に向かってくる。生徒達は端に寄って、その進行から逃れていた。それは彼らに危害を加えようとはせずに、やがて立ち止まった。
「意外と、のんびりしてんな。もしかして、いける?」
徐々にその巨大な足を曲げ、大樹は腰を下ろそうとしてくる。
国広は大樹の姿と、下の地面を見比べ、何かに気がついたように息を呑んだ。
「いや、駄目だ。今すぐに、ここから離れるんだ。早く―――」
その速度とは裏腹に、大樹が座りこんだ衝撃はかなり大きかった。離れていても地鳴りが伝わり、下田は転びそうになる。しかし、危険なのはここからだった。
枯れていた地面に大樹の周りからヒビが広がっていく。あっという間に中庭の全体にまで広がり、ついには決壊した。下田は突然の浮遊感に襲われる。
既に足場がなくなっていたのに気がついた時には、落下が始まっていた。
◆
(無理)
『なんだって?』
(無理だろこれ。お前が成功するしないとか以前に、確実に殺される)
格好つけてフォドリックの前に立ったものの、貴樹は冷汗を大量にかいていた。
フォドリックは今にも力尽きてしまいそうな容貌だ。どこもかしこもぼろぼろで、全盛期の頃の面影は、おそらく何も残っていないだろう。
それでも、接近して目的を果たせる未来が浮かばなかった。つけこめそうな隙が全くない。異常なほどの威圧感で、こちらの方が集中を保てなくなる。
(こ、怖いよおおおおおおお、捕食者だ、あれは。食われるううう)
『多少の痛みは我慢する覚悟だろ?』
(そういう次元じゃないって。だめだめだめ。はい無理。一撃で首がとばされるだろ)
『じゃあ、逃げろよ。元はと言えば、お前がシ―リスを助けたいからここまで来たんだろうが』
(くっそおおおおおお! そう言われると、やらなきゃいけないんだよなあ。見栄張る場面でもねえ。シ―リスの協力が必要だ)
「何を、何をしているんですか」
シ―リスが彼の前に出てくる。フォドリックへ剣を向けながらも、貴樹を睨んでくる。
「灰の方々を、傷つけるわけにはいきません。それに、これは私と祖父の戦いです。邪魔をしないでください!」
「諦めるな。まだ彼を元に戻せるかもしれない」
「そんなことは、あり得ません。私が、何の手も打たなかったとでも思っているんですか? いくら探しても、亡者に心を取り戻させる方法は見つかりませんでした。だから、もう、彼を楽にさせてあげるしかないんです。祖父のこともよく知らないのに、貴方に何ができますか?」
「聞いて!」
詰め寄る彼女を落ち着かせるために、貴樹は大声を上げた。フォドリックがそれに反応し、武器を構える。刃の長い大剣。ゆっくりと近づいてくるのを一瞥して、早口でシ―リスに説明をする。
「君は、あの人の動きを止めてくれ。どんな手を使ってでもいい、たった数秒、それだけでいいんだ。あとは、僕が何とかしてみせる」
「無理です! どうか祖父は、私に殺させて」
「彼は死なせない。頼んだから」
彼女の両肩を強く叩いてから、貴樹は腹をくくって、フォドリックに接近した。片手で持った大剣を振るってくる。あえて、彼は避けなかった。シ―リスの行動に、期待していたからだ。
フォドリックの武器を握る手に、ソウルの矢が命中する。連続で三つも炸裂し、その手から大剣が吹っ飛んだ。
(よっし、いまだあああああああああ!)
貴樹は突っ込み、フォドリックの体に組みついた。その首筋に手を押し付け、いちかばちかの賭けをしようとする。
当然、フォドリックはおとなしくしてはいなかった。片腕を振り上げると、籠手のついた部分を向けて、貴樹の腕を殴りつけた。正気を失った状態でも健在の並み外れた膂力で、その骨を叩き折る。
激痛に顔を歪めながらも、貴樹は決して離そうとしなかった。
(いだああああああああああああああ、畜生、完全に折れた。ノミ、はよやれえええええ!)
『おおおおどうにでもなれええええ』
無事な方の腕に、ほんのかすかな炎が灯る。勢いは弱くとも色鮮やかな炎は、フォドリックの胸に吸い込まれるように消えていった。
再度貴樹へ叩きつけられようとしていた拳が、止まった。しがみつく力も失せた貴樹は、フォドリックから離れ、地面に倒れる。そこに血の気を失って駆け寄ったシ―リスは、自身の祖父の変化に、目を見張った。
その体に一瞬、大きな火柱が立ち昇る。それが消えた後、フォドリックはしばらくの間静止し、それから彼女の方を見た。
「…シ―」
轟音が鳴り、地下空洞に光が差した。開いた大穴から大量の瓦礫と、気味の悪い姿をした大樹が降ってくる。
(もう、呪腹の大樹が起動したのか? ふ、ざけんな。間が悪いにもほどが)
逃げようにも、折れた右腕の痛みで立ち上がることすらできない。シ―リスも、迫ってくる危険に対応しきれずにいるようだった。
当たれば無事ではすまない岩の塊が視界に広がる。今度ばかりは、彼も覚悟をした。せめてあと一日遅ければ、という後悔を噛みしめる。覆いかぶさってくるシ―リスの顔を、最後の思い出にしようと心に刻み込んだ。
だが、運は彼に味方をした。
迫っていた岩が急に止まり、真横に放り投げられる。状況を理解する前に、シ―リスと共に抱え上げられた。
「事態はよくわからんが、さっさと脱出するのが先か」
巻きついていた布が取れ、髭を蓄えた老人が上を見上げた。
(ふぉどりいいいいいいっっく! ぶらぼおおおおおおおおお)
『奇跡だ…奇跡が起きたで……』
二人分の体重がかかっているのにもかかわらず、彼は軽々とした身のこなしで落ちてくる瓦礫に乗り、次々と飛び移りながら上の出口へと向かった。
(忍者かよお前はあああああ!)
『見たか、おれの力を!』
(やばくね? 俺、最強じゃん。奇跡を起こしたぞ)
『おいいいいいいいい』
老人とは思えない脚力で登り切り、崩壊した地面に端から外に上がった。そこには先客が大勢いる。
「何じゃ。お前達も来ていたのか。とすると、いつもの大樹狩りだな。おかしい、儂はとうに正気を失ったのではなかったか…」
「お爺ちゃん……!」
こらえきれなくなったのか、シ―リスが彼に抱きついた。
「信じられない。本当に、本当にお爺ちゃんが戻ってきた…。もう二度と、帰ってこないと思ってたのに」
「おお、孫娘よ。悪いがそろそろ下りてくれ。腰が辛くなってきたわ。それに、このけしからん格好をした男は?」
はっと彼女は気がついたかのように息を呑み、貴樹を抱きかかえてゆっくりと下におろした。上腕の折れ曲がって紫色に腫れている部分に手を向け、奇跡での応急処置を施し始める。
「これは、驚きましたな」
「ジ―ク。そやつらが灰というわけか。記憶が定まらん。儂はどれくらい亡者の穴倉にいたんだ? なぜ、元に戻れた?」
「それは、まさか、タカキが……?」
「誰の事だ」
「そこで倒れている男ですよ」
注目されている貴樹は、シ―リスの治療を受け、痛みが和らいでいくのを感じていた。
「何が、何だかわかりません」
頬に、彼女の涙が落ちてくる。回復を促す両手は震え、泣き笑いのような表情で貴樹をじっと見下ろしている。
「貴方は、貴方は一体? 亡者を人間に戻すなど、灰の方でさえ、不可能なことだったはずです。未だに、受け止めきれない自分がいます」
「よかったよ。成功して」
「…初めから、こうするつもりだったんですね? 私の覚悟も、全て見通した上で」
貴樹は答えない。残り火の力のことを、どう説明すればいいのかわからなかったからだ。自分でも、フォドリックを救えたのは幸運としか思えない。彼女は口元で小さく笑うと、すっと顔を近づけてきた。
「もしそうなら、事前に言ってくださればよかったのに。これでは、私の格好がつかなくなってしまいます」
「うん…それは」
「フフフっ、嘘ですよ。話せない事情があるなら、それでも構いません。…貴方は、とても、優しき方ですね…」
見つめてくるシ―リスの瞳の輝きに、貴樹はようやく、自分がかなりやりすぎたことに気がついたのである。避けられなかったこととはいえ、既に展開を動かしたことには変わらなかった。
残り火は、これで十七個となった。
◆
大樹は、初め生徒達の手で討伐される手筈だったらしい。祭祀場に戻ってから、聞いた事だ。
だが、ジ―クバルド達にとっても中庭地下に巨大な空間が存在しているのは、予想外だった、だから、下田達が落ちるのを、すぐに助けに来た。
アンリとカルラ、ユリアがそれぞれ魔術で足場をいくつも形成し、ほとんどの生徒達を受け止めた。ほとんどという表現を使ったのは、下田だけはカルラに直接引き上げられたからだ。
「想定外だったな。予定が狂ってしまったが、灰達をこんな所で死なせてしまうわけにもいかない。大丈夫か」
「は、はい」
「お前の隊は中々良い動きをしていた」
「ありがとう、ございます」
「これからも精進しろ」
また頭を妙に優しく撫でられて、下田は聖堂の外に着いた。そして、女子生徒の人だかりの方に目を向ける。
どういうわけか、自分達の担任がいた。しかも大けがをしている。高原達が心配そうに見守る中、前に貴樹と残ると言っていたシ―リスという少女が治しているようだ。謎なのは彼らが崩壊した穴の下から出てきたことだった。しかも、新たに出てきた老人が一緒だ。
「何があったんだろうな」
「さあ」
貴樹には貴樹で、何か考えがあったのか。いつも皆の先生という立場で動いているわけではない。彼なりに、この世界に馴染もうとする努力をしているのだろう。ただ、怪我だけはしない方がいい。心配する人がたくさんいるのだから。
ぼうっと、下に落ちた大樹に上空から攻撃しているカルラを見やる。彼女の手の感触は、まだ頭の隅に残っていた。自分の頭を撫でてくるような人間は、彼女を含めて二人しかいない。そのせいだろうか。寂しさが、また込み上げてきた。
あの人を、母さんに重ねるのは失礼だ。
下田は溜息をつき、雲のかかった薄暗い空を眺めた。