火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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11.薪

『あ、戻った』

 

 雌伏の時は、ついに、終わりを迎えたのである。

 

(え、マジ?)

『マジマジ。今やるから。そらっ』

 

 貴樹は近くの石壁を指先で弾いてみた。剣で斬っても傷一つつかなそうな壁に、大きなヒビがはいる。さらに少しの力で垂直飛びをすると、天井に頭がぶつかった。それでも、まるで痛くない。

 

(しゃあああああああああああああああああああきたあああああああああああああああ! 長かった、暗黒の一週間が終わったぞオオオオオオオオオオオオっ。これから全部、俺のターンだオラアアアアアアアアアアア)

 

 彼の喜びも、ひとしおである。

 

『残り十六個になったな。もう五分の一使い切ったわけだ』

(んなことはどうでもいい。この喜びを早速ひもりんと共有だ)

『懲りねえなあ』

(でも、ちょっとこれ力強すぎないか。誰かと握手するだけで惨事になりそう)

『そこらへんはおれが調整しといてやるよ。戦闘中でない限り、残り火の力は最小限に抑える』

(オッッケエエエエエエエエエエエイ!) 

 

 すぐに広場へと向かう。生徒達は既に集まっていた。彼らには一切意識を向けることなく、石段のあたりで座っている火守女を見つけると、さらに気分が高揚してきた。

 

「タカキさん」

 

 喜色の帯びた声で呼び止められ、瞬時に冷静になる。

 

(やべ、見つかった)

 

 フォドリックと話していたシ―リスが、小走りで向かってくる。彼の腕に手をやると、心配そうに見上げてきた。

 

「あの後、痛みはありませんでしたか? 私の治療が効いていると良いのですが」

「うん。おかげさまで完治に近いよ。凄いね、骨折がたった一日で治るなんて」

「いえ、そんな…。私ではまだ力不足で」

 

 まだ、腕を離そうとしない彼女に周りもざわつき始めていた。

 

(やばいやばいやばい。シ―リスちゃん、完全にやられてるよ。くそ、面倒くさいことになった)

『最低だなお前』

(俺はひもりんとくっつきたいんだ。超絶イケメンで性格が最高峰な俺に惚れるのは仕方のないことだが、シ―リスには応えられない。てへへ、罪作りだよな俺)

『股間が腐り落ちればいいのに』

 

 最低軽薄男の本性を知らずにいるシ―リスが哀れでならない。彼の普段の思考がもし伝われば、幻滅し相手にもしなくなることは確実だろう。だが、ここでばれるようなら、今の貴樹は存在していないのである。過去に騙されてきた人全てに謝れと、この男に言いたい。

 

「まだちゃんと感謝を伝えていませんでした」

「いいよ、僕がやりたくてやったんだから」

「いいえ。貴方のしてくださったことは、私の一生を捧げても、お返しできるものではありません。お願いがあるのですが、どうか、貴方に騎士の誓いをさせてくれませんか。忠誠を誓うにたる人を、ようやく見つけた気がするのです」

 

 彼女の視線は、純粋な憧れに満ちていた。貴樹の手を尊いものであるかのように握り、膝をつく。掌の甲へ唇を近付けた。最後に確認するために、遠慮がちな上目遣いをしてくる。

 

「誓いを、許してくださいますか?」

(可愛いなこのヤロウ。もう許すぅ)

『こいつ絶対浮気するな』

 

 貴樹が許可を出す前に、フォドリックがほとんど強引に二人の間に割って入った。

 

「待った。シ―リス、待ってくれんか」

「なぜ?」

「少し落ち着け。周りを見なさい。皆、ついていけていないぞ」

 

 そこでやっと注目されているのがわかったのか、彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。

 

「タカキとやら。あちらで話をしよう。そんなに身構えるでない。話によれば、儂を助けてくれたそうじゃな。お礼も言いたい」

 

 亡者の時とは対照的に、笑顔で貴樹と肩を組んでくる。だが有無を言わさぬ迫力を、彼は感じ取っていた。半ば引きずられるようにして、洞窟の奥へ向かう。

 そこには、祭祀場の侍女も待っていた。

 

「何じゃ婆。お前の出る幕はないぞ」

「うるさいよ。あの子を見てきた身としては、気になるじゃないか。主人となる男がどんな奴か」

「まだ決まっておらんわ」

 

 フォドリックと老婆に挟まれる形で、貴樹は壁に寄りかかった。

 さて、とフォドリックが顔を向けてくる。もう既に、とってつけたような笑顔は消えていた。

 

「まずは礼だな。どうやったのかは知らんが、儂はもう、人に戻れることはないと思っていた。最大限の感謝はしよう。が、それとシ―リスのことは別問題だ。わかるな」

「はい」

「わが孫娘には、一通りの教育はしてきたつもりだ。だがどうしても、生き抜くための力を磨くことが中心になってしまった。そのせいで、なんだ、あいつは少々、常識が欠けている所がある。普通は、あんなに軽々と騎士の誓いを立ててはならんのだ。わかるな」

「はい」

(目が怖い)

「薄暮の国では、誓いは大変重要なものだ。一度忠誠を捧げれば、言い方は悪いが、その相手の奴隷になることと等しい。男女が婚姻を結ぶ際にも、使われたという記録もある」

「そ、それはかなり重いですね」

「だろう? 家族として、簡単に認められるものではない…。お前のその格好も、こちらの常識では到底考えられないほどひどい。それでも、あえて訊こう。シ―リスをその命を賭けてでも支え、守り通す覚悟があるのか」

「えっと、そこまでは」

「そこまで?」

 

 フォドリックはさらに目を剥いて、顔を寄せてきた。

 

「あの素晴らしい子には、そこまでの価値がないと? いくら恩人といえど、シ―リスの侮辱は許さんぞ。さあ、はっきりと言葉に出せ」

(え、これ、イエスしか選択肢ないんですか)

『はい、ざまあ』

 

 追いつめられた所で、助け船がやってきた。

 

「やめてください! タカキさんを困らせないで」

 

 ろくな話にはならないと予感していたのか、シ―リス本人が姿を現す。

 

「しかしじゃな。お前はもっと冷静になるべきだ。本当にこの男を好いているのなら、別の方法があるはず」

「なっ…」

 

 整った目を大きく開いてから、フォドリックを睨んだ。

 

「何を、何を言ってるの? 私はそんな邪な気持ちで彼を見ていません! それは彼にも、私にとっても失礼なことですよ。お爺ちゃんが何を考えているかは知らないけど、私はただこの人を尊敬しているだけ」

「本当かねえ」

「お婆ちゃんまで…。からかうのはやめてください」

「そうですよ」

 

 貴樹は自分の発言ができたことにほっとして、続けた。

 

「シ―リスさんは確かにいい子だと思います。他にこれほどできた女性を、僕は知りません。でも、彼女に協力する上で何かを期待するような思いは少しもありませんでした。信じてください」

 

 嘘をさらっと吐けるのは、一種の才能である。

 

「君も。そこまでの思いを抱いてくれているのは嬉しい。でも、まだ僕達は会って間もないんだ。僕が、忠誠を誓われるほどできた人間かどうかも自信はない。だから、これからも見ていてくれないか。僕のいろんな要素を理解した上で、それでも思いが変わらないなら、喜んで誓いを結ぼう」

『こいつ性懲りもなくよくほざけるな』

 

 シ―リスはきらきらとした目で、貴樹に向かって頷いた。

 

「わかりました。そこまで言われるのなら、今は我慢します」

 

 フォドリックが安心したように言う。

 

「思いとどまってくれて助かったの。少々長くなってしまった。戻ろうではないか」

「つまらないね。結局現状維持かい」

「これでいいんじゃ。黙っとれ」

「フン。じじいにもなって過保護とは嘆かわしいねぇ」

 

 侍女とフォドリックの会話を聞きながら、広場に向かった。

 既に生徒達のほとんどはいなくなっており、宇部と丸戸を含めた数人の男子達がジ―クバルドのもとに集まっていた。アンリと珍しいことにホレイス、グンダ、そしてヨルシカが篝火の周りに並んでいる。

 

「何かあったんですか」

 

 緊張した空気を感じ取り、貴樹は尋ねた。

 

「ことが起こるとしたら、これからだな。不死街の掃討も終わったことだし、ロスリックへの足がかりを作る時が来たのだ。この場に集まっている面々で、高壁の入口へと向かう。灰達の中からも有志の戦力を加えた」

「戦いになるってことですか。ヨルシカさんも、行くんですね」

 

 彼女の戦う姿は一度も見たことがない。そもそも、それだけの能力があるのかすらわからなかった。

 

「あら、私だってまだ現役ですよ。暗月の総長として、皆の前に出て戦うこともあります」

 

 細腕でこぶを作ってみせるヨルシカに、宇部が見惚れていた。貴樹は愛想笑いをして、、何気なく一歩下がる。

 

「ミレーヌ達からの情報によれば、厄介な門番がうろついている。イルシ―ルの戦士だ。集団でかからねば、苦戦は確実だろう」

 

(ボルドね。このタイミングでか)

 

 ロスリックの高壁と不死街を訪れる順番は、本来の逆になっていた。つまり、祭祀場から直接ロスリックの高壁に転送され、そこから不死街に向かうというのがゲームでのルートだ。通るエリアの順番が変わっているというのもまた、注意しておくべき変化だろう。

 

(自ら志願して、か。どうりで糞ガキ共の中でも、さらにゴミみたいな奴らしか集まっていないわけだ)

 

 宇部を筆頭として、残っている男子達は高校でもあまり貴樹と絡みのない生徒ばかりだった。つまり、それだけ素行が良くないということだ。

 

「で、もう出発すると?」

「間もなくだ。今度ばかりは、危険も大きい。悪いがタカキはここにいてくれると助かる」

「もちろんです。健闘を願ってますよ」

『お、珍しく素直だな』

(アホ。なわけねえだろ)

 

 全員が転送されるのを待ってから、少し時間を置く。周りに人がいないのを何度も確かめた。シ―リスとフォドリックは、鍛錬のために外に出ていったようだ。

 

(あ、こいつの存在忘れてた)

 

 広場の上部には、五つの玉座が並んでいる。復活した薪の王達が座るはずだった場所だ。埋まっている唯一の玉座には、ルドレスが常にいた。視線が合うと、深い笑みを向けてくる。

 

「灰よ。私は何も見ていない。望むままにするといい」

(じゃ、お言葉に甘えて)

 

 戻っていこうとする火守女に話しかける。

 

「ひもりん、げ、元気?」

 

 彼女は振り向くと、深々と頭を下げた。

 

「はい。務めはつつがなく果たさせていただいています」

「そうなんだ。えっと、あ、握手いいですか? ははは」

『何だその中学生みたいな話し方』

 

 ここ数日で火守女との距離が全く変わっていないのは、彼女との意識のすれ違いだけが原因ではなかった。貴樹は、少しも慣れていなかったのである。話しかけたのは良いが、あまりの緊張で続かず、その場から逃げてしまうのがほとんどだった。普段の傲慢さは一体どこに行ったのだろう。気持ち悪いにもほどがある。

 またか、と嫌な顔をすることもなく、火守女は遠慮がちに手を伸ばした。

 

「ありがとう、ありがとう!」

 

 食いつくように火守女の手を握り、上下に振る。それだけで何かを成し遂げたような気分になった。彼女といるだけですぐ満足してしまうのも、関係性が発展しない要因の一つを担っている。

 

(はっ、違う違う。危うく本筋を見失う所だった)

「できれば、俺も不死街に転送して欲しいんだ。ジ―クさん達を追いかける」

「しかし、灰の方に危険が及ぶのは」

「頼むよ。今の俺は最強だからね。余裕だぜほんと」

「貴方達にお仕えしている身として、その意志は尊重します。ですが、どうかお気をつけて」

「う、うん」

『おえ、きっも。なに照れてんねん』

(うるちゃい)

 

 

 

 

 前回と同じく、小屋の中に貴樹は現れた。すぐさま外に出て、遠くにジ―クバルド達の集団を認める。

 

(へっへ。生ボルドを拝めるチャンスだ。逃すわけにはいかねえ)

『その好奇心が命取りにならないと良いけどな』

(言ってろ。今の俺は無敵だろうが)

『まあな。それじゃあ、解放するぜ』

 

 彼らを尾行するついでに、自身の身体能力も確かめる。

 驚くほど体が軽かった。そこらに転がっている瓦礫も楽々と持ち上げることができる。跳び上がれば優に二階建ての家屋をも超えた。走力も以上に高まっていたが、これは調節が必要だった。気を抜けば、、すぐにどこかへぶつかってしまう。

 ここまでくれば動いている相手にも試してみたい所だ。しかし、先日の掃討のせいで、亡者の一匹すら見かけなかった。中途半端な気分のまま、不死街の高台にまでたどり着いた。

 既に、ジ―クバルド達は空だ。不死街からロスリックの高壁までは深い谷がそびえているために、普通の方法では行けない。プレイヤーはロスリックの小環旗という重要アイテムを所定の場所で掲げることで、やってきた白いデーモンに運んでもらうのだ。  

 

『で、お前は? どうすんだよ』

(よく見てみろ、さすがに持ってはいけなかったんだろう。小環旗が置いてある)

『何という都合のよさ』

 

 早速拾い、上に広げる。わくわくとした気持ちで待っていると、二匹のデーモンが飛んできた。貴樹の両腕を足でつかみ、あっという間に空へ上がっていく。

 

(たっけええええええええええ! 気持ちいいなあ)

『え、怖くないの。おれ限界なんだけど。うぷ』

(実体ないくせに何言ってんの)

 

 景色を存分に堪能して、高壁に降り立った。

 すぐ目の前に、大きな建物が立っている。あの中で、ボルドと戦ったのだ。ちょうどその門を、グンダが開けようとしていた。

 

『混ざるのか?』

(まだだ。油断はできない。下手に手出しして、残り火の耐久力を減らすのは避けたい。できればこの一個で、最後まで乗り切りたいからな)

 

 門が完全に開く。ジ―クバルド達は既に、全員武器を抜いていた。貴樹としては、まだ実力を見せていないホレイスとヨルシカがどう戦うのか、興味があった。未来のためにも、戦力の把握は重要である。味方になるしろ、敵になるにしろ。

 中には、予想通りボルドがいた。もはやほとんど獣へと意識が変わっているその甲冑姿からは、冷気が漂っている。なぜロスリックと敵対しているはずのイルシ―ルの戦士がここで侵入者を狩っているのか。その真意はわからないが、既にボルドが正気を保っていないことは明白だった。

 そこまでは、よかったのだ。

 押し入ろうとしていたグンダが、歩みを止めた。続くジ―クバルドも、そこで初めて、大きな驚きを顔に表した。

 ボルドの上に、得体の知れない膿が乗っていた。それは彼の体の中に入り込んでいるようで、不気味に蠢いていた。

 その膿の中心に人のようなものがいる。透き通るような肌を持ち、おそらく美貌を誇るであろう顔は、金の太陽を模した兜で隠れていた。

 

(なんで、こいつが)

 

 本来ならば終盤のエリア、アノ―ル・ロンドで戦うことになる敵。

 人食に手を染めたかつての聖職者、そして薪の王。

 入ってきたジ―クバルド達を認めると、妖しく唇を吊り上げた。

 

「おや、いい顔ぶれが揃っているねぇ。貴重な時間になりそうだ」

「エルドリッチ」

 

 真っ先に声を上げたのは、アンリだった。その声にはっきりと憎悪を込め、走り出そうとする所を、ホレイスに止められる。

 

「人食らいの怪物め。生きて帰れると思うな」

「アンリぃ。久方ぶりだ。ホレイスも、元気そうでなにより」

「…ウウ」

 

 ホレイスも、戦斧を振り上げ、相手を威嚇する。

 

「いかん。今すぐ灰だけでも不死街に退却させなければ。こんな事態は想定していなかった」

 

 ジ―クバルドが下がろうとするその横を、宇部達が通り過ぎた。

 

「な」

「は、なにびびってんだよ。こいつは、そんなたいしたボスでもねえ。丸戸も初見で勝ったんんだよなあ」

「そ、そうだ。特に威力の大きい攻撃もないし、弓矢さえ気をつけてれば問題ない」

「それに、俺達は今不死身だからな」

 

 ボルドの振るったメイスを、大きく飛びあがって回避する。宇部は身体能力だけで言えば、この世界の戦士に匹敵するものを持っていた。その姿に触発され、他の男子生徒達も続いていく。

 

「やめろ。戻りなさい!」

「俺達が薪をとってきてやるよ」

 

 ボルドの体に組みつき、宇部はエルドリッチのもとまで登ろうとする。ジ―クバルドの制止も聞いていない。そして案の定、横から飛んできた炎に焼かれた。

 

「ぐあああああっ!」

 

 じたばたともがき苦しみ、地面に落ちた所をボルドに踏まれる。全身が潰れた醜い姿で、彼は絶命する。いつ間にか現れていた法衣を着た男に、他の男子達も同時に呪術でやられていた。

 

「もう死んじゃったよ」

「エルドリッチ様に近付く権利すらない、軟弱な者達ですね。これが例の灰だというのなら、何と期待外れなことか。不死身だけが取り柄の存在です」

 

 全員の死体が消えた時、グンダが一番前に立った。

 

「戦うしかあるまい。エルドリッチに、主教のマクダネルがいるとあっては逃げるのも困難だろう。灰達を守れなかった、我輩の責任も果たさねばなるまい」

「同感です」

 

 ヨルシカが、ソウルの光球を同時に十個出して、自らの周りに漂わせる。決然とした表情でエルドリッチに向き合った。

 

「人食いよ。今こそ、わが兄の仇を討たせてもらいます」

「可愛いヨルシカ。グウィンドリンの体を、傷つけるのかい?」

「兄様の名を、口にするのはやめなさい!」

 

 戦いが始まる様子を、門の陰に隠れて、貴樹は見ていた。

 

『どうすんだ』

(嫌な予感が的中した。祭祀場の奴らが結束してるんだ。敵側も共闘しない理由はない)

 

 一つ二つの例を除いて、基本的にボスは一対一で戦う。それでもなお苦戦を強いられるゲームバランスだったので、今の状況は非常に危険だと言えた。

 

(とにかく、様子見だ。ボルドだけなら入っていけたんだが。ある程度相手の情報がわかるまで、動くわけにはいかない)

『慎重なのは良い事だ』

(自分の身が何よりも大事なんでね。このまま隠れていよう)

 

 マクダネルの周りに、新たに聖職者の集団が現れる。深みの聖者達だ。もとはエルドリッチと敵対する関係にあったらしいが、何らかの洗脳が施されたのだろう。ただ命令に従う存在になっている。

 彼らは寄り集まって、杖を上に掲げ、黒い靄を形作り始めた。呪死の結界である。

 そうはさせないと、ヨルシカが大量のソウルの矢を打ちだした。一本一本が彼らの急所に当たり、その数を減らしていく。が、彼らはマクダネルの発する渦に飲み込まれると、再び這い出してきた。彼女は眉一つ動かさずに魔術を維持し続け、皆の命を守っている。

 グンダとジ―クバルドは、ボルドに対していた。その正面に立つことはせず、常に動きまわって、鈍重な攻撃をかわしている。

 アンリは、ホレイスと共にマクダネルの背後を取っていた。

 

「よくも、エルドリッチ様の面前に出て来れたものですね。裏切り者と、ただの贄が」

「言葉は必要ないでしょう、マクダネル。貴様の行いは到底許されるべきものではない」

「自分の物差しで正義を語るとは。何たる傲慢さよ。…そんなものだから、お前は自分の命すら守れないのです」

 

 マクダネルの姿がどろりと崩れ、地面に呑み込まれた。アンリが走り、そこに剣を突き立てるも、既に消えている。この時、彼女は冷静でなかったのか。背後に現れた敵の姿にも反応できなかった。

 

「ぐっ…」

 

 アンリが振り向く隙も与えず、マクダネルは杖先から光の輪を出し、彼女を拘束する。ホレイスが助けに行こうとするも、ボルドのメイスで横ざまに吹き飛ばされた。

 

「楽には殺しませんよ。貴方にも、エルドリッチ様の膿を埋め込んであげましょう。自身の内奥を貪られていく感覚を味わいなさい。…お似合いの最後だ」

 

 その右手に、蠢く膿が握られる。彼女がもがけばもがくほど、光輪は締まっていく。

 

「ホレイス、ホレイス…」

「安心しなさい。あれはちゃんとエルドリッチ様に召し上がっていただきます。もう、味も随分落ちているでしょうがね」

 

 大きく、打ち鳴らすような足音が響いた。

 横を見たマクダネルが捉えたのは、急接近してくるほぼ全裸の男だ。

 どれほどの衝撃だったかは、察して余りある。

 振り抜かれた拳が、見た目以上のパワーでマクダネルの頬に炸裂する。ほとんどの顔組織を破壊されて、建物奥の壁へ激突した。拘束が解かれ倒れそうになったアンリを、貴樹は掴んで支える。そして大きく息を吸うと、飛んでいったマクダネルに向かって叫んだ。

 

「アンリちゃんに何してんだあああああああ!」

『あっ、もう自分で言ったこと破るんですね…』

 

 マクダネルは、既に息絶えている。やがてその体が黒い膿で覆われると、跡形もなく消え去った。と、同時に、周りの聖者達の動きも一気に衰えた。呪いのこもった靄が次第に晴れていく。手を止めたヨルシカが、目を見開いて貴樹を見た。

 

(ゲームでは既に死んでる分際で、粋がってんじゃねーぞ?)

 

 拳についた返り血を、ごしごしと拭う。

 

『なあ、お前の計画とやらが、早くもおじゃんになってないか』

(あ? 知るか。つまり敵は全部ぶち殺せばいいんだろ?)

『この人感情に流されすぎなんですけど』

 

 側まで這ってきていた聖者の残党の頭を踏みつぶす。脳漿の足に絡みつく感触は、最悪の部類だ。それでも、彼には倫理的忌避感が薄い。敵対する者は、人間だととらえていないからだろう。

 アンリが我に返ったように 落ちた剣を拾った。

 

「大丈夫? あのハゲ頭に何かされてたけど」

「貴方は、確か」

「直接話すのは初めてですね。どうぞよろしく」

 

 握手しようと思ったが、彼女の反応が遅いのを見て、やめた。

 

「その力は一体…」

「今は駄目です。後にしましょう」

 

 貴樹はアンリの会話もそこそこに、倒れているホレイスを助けに行った。背に抱えると、その息遣いが聞こえる。生きてはいるが、意識はないようだ。

 

「こちらへ。彼を治すのなら、私に任せてください」

 

 すでに周りの聖者達を全て処理していたヨルシカが、出口の扉付近で待っていた。下ろすと、すぐに奇跡を施し始める。

 

「訊きたいことがたくさんありますが、ありがたい戦力です。あちらの援護に加わってくれると助かります」

「はい」

 

 動揺や疑問をすぐにしまってしまえるのは、さすがと言うべきだ。戦場が停滞したのは一瞬だけで、アンリも既にボルドのもとに向かっていた。その横に、貴樹も加わる。

 

(まだ、まだ挽回はできる)

『というと?』

(俺の力の全部までは知られていないってことだ。これからは上手く手加減して、全力を悟られないようにしないと)

 

 ボルドが吸い込むような動作をして、その口から冷気が吐き出される。貴樹とアンリは立ち止まり、グンダとジ―クバルドも素早く避難した。全員がボルドと一定の距離を取った所で、エルドリッチが、興味深そうに貴樹を見てくる。

 

「見ない顔だね。なるほど、灰の中にも面白い者がいたものだ。マクダネルが殺されることなんて、本当に、久しぶりだよ」

「久しぶり?」

「…エルドリッチの守り手たちは、その汚らわしい力で不死を得ているのです。今頃マクダネルは敵の本拠地で再生されているでしょう。それに対抗する意味でも、灰達は重要な存在です」

(きりがねえな。祭祀場の人達も、よくこれまで持ちこたえられたもんだ)

 

 おそらく、一番大きいのは祭祀場にまでいたる道が限定されていることだろう。火守女の転送によってしか、あそこには行けない。最後の砦には敵が一切入って来れないことになる。 

 

「うふふふ。今回はたくさんいいものが見れた。これで、懐かしいあの子とも再会できたら、言うことはないのにねぇ」

 

 その言葉に反応して、アンリが睨みつけた。

 

「よくもそんな口が叩ける。彼女の何もかもを奪っておいて…」

(ん?)

 

 エルドリッチの捧げられた子供たちの内、生き残りはごくわずかしかいない。名前まで明かされているのはアンリとホレイスだけだ。もう一人が誰なのかは、どこにも触れられていない。好奇心を抑えきれずに、貴樹はアンリに尋ねた。

 

「彼女とは、誰のことです?」

「貴方もよく知っている人です。祭祀場の火守女。彼女はエルドリッチの陣営に捕えられている間、酷い拷問をされたばかりか、エルドリッチに直接瞳を奪われました。ルドレス様の提案で火守女として保護されなかったら、何もできずに死んでいたでしょう。だから、あの化物は絶対に―――」

 

 今。

 今、アンリは、何と言ったのだろう。

 

「は?」

 

 アンリの言葉を遮り、貴樹は無意識に声を上げていた。

 エルドリッチが、くすくすと笑う。

 

「そうかぁ、それは可哀そうだ。あんな使命に囚われるくらいなら、ワタシのお腹の中に収まった方が幸せだろうねぇ」

「この、」

 

 アンリが出ていこうとするのを、貴樹は止めた。

 ふっと表情を消して、エルドリッチを見上げる。

 

「ちょっと待って。え? あなたが言っているのは、銀髪の、可愛い女性のことか?」

「おお、そうだそうだ。あの髪。一度でもいいから、口に入れてみたいと思っていた」

「死ねよお前」

 

 目をつぶって高まる熱を感じた後、貴樹は走り出していた。他の生死すら耳に入らない。瞬時にボルドまでの距離を詰めた。

 

『タカキさん、さっきの言葉を思い出してみては』

(予定変更だ。全ての力をもって、このクソをぶっ殺す。ああああ、久しぶりにキレちまったよ。敵だこいつは。肉片の一つにいたるまで粉砕してやる)

 

 自分が行動することで将来どんな影響が出るか、そんなことは全て消え去っていた。知らなかった火守女の過去の一部が明らかになったこともどうでもいい。彼女を傷つけ、障害者にした元凶が目の前にいる。それだけだった。

 

「一人で、突っ込んでくるのかな?」

 

 エルドリッチが微笑み、ボルドの巨体が動いた。その体に相応の大きさである凍りついたメイスを、貴樹に振り下ろしてくる。

 彼はそれを、ろくに見もせずに殴りつけた。大方の予想とは違い、メイスの方が破壊される。さらにはその衝撃で、メイスを握っていたボルドの手が折れ曲がった。

 獣じみた叫びを上げ、ボルドは彼に向かって突進する。その流れに完璧に合わせ、貴樹はボルドの太い首にしがみついた。歯を食いしばり、両腕に力を入れる。

 

(雑魚ボスふぜいが、邪魔してんじゃねえええええええ!)

 

 覆う装甲が割れ、皮が破れ、肉が裂けて、骨が折れていく。とどめとばかりに彼が全身を動かし、ボルドの首をもぎ取った。漂っていた冷気が急速になくなっていく。

 エルドリッチの方を見ると、既に少し離れた所へ移動していた。

 

(逃がすか)

 

 接近しようとした所で、周りの異常に気がつく。

 彼の周囲を囲うように、紫色の光球が大量に浮かんでいた。それらは全て、エルドリッチの指先から出ている。隙間はほとんどなく、逃れるのは不可能と言ってよかった。

 貴樹にとっては、見たことのある技だ。

 

『どうする?』

(逃げるのはよくねえ。ホーミング性が強い技だからな。無理やり突破すんぞ)

 

 エルドリッチが何かを掴むように手を握り合わせると、光は一斉に彼に向かって収束してきた。顔の前に両腕を交差し、真っすぐ通り抜ける。

 光球は貴樹の皮膚に衝突し、そのまま消えた。表面上は何の痛みもない。だが、もしこれを普通の生身で受けていたら、無事では済まないことはわかっていた。

 抜けた後も、当たっていない残りの光が追い掛けてくる。

 

(どれくらい耐久力が減った)

『残り九十三%ってところだ』

(十%区切りでコールしろ。二十%以下からは五%区切りで)

『はいよ』

 

 エルドリッチが発現させた光の槍をかわし、次の詠唱がなされる前に、貴樹は膿の体を駆け上がっていた。右手でエルドリッチの首を掴み、地面に押し倒す。同時に、背後に迫っていた光球が消失した。

 

「アナタ、出鱈目(でたらめ)だねぇ。これは、かなり、予定が狂ってしまったよ」

 

 貴樹はちらりと、状況についていけていない他の人達を見て、顔をさらにエルドリッチへ近づけた。注意を払い、小声で言う。

 

「一つ、質問に答えろ」

「ふふふ」

 

 エルドリッチの本体、不気味な膿が蠢き、貴樹に絡みついてくる。

 

「何してんだ」

「おや、平気なのか。まるで効いていない」

(ノミ)

『大丈夫だ。耐久力は全く減ってねえ』

 

 無理やりエルドリッチを持ち上げ、再び地面に叩きつける。

 

「酷い酷い」

「余計なことはするな。いいか、火守女の目は、一体どこにある?」

「もう食べちゃった」

「そうか。死ね」

「おっとと、冗談だよぉ。そうだねぇ、確か、深みの聖堂に保管されているはずだ。ロイスに守らせてあるから、まだ無事だろう」

「ロイス? ああ、主教の一人か。そんな奴いたな」

「興味深いねぇ。アナタのこと、もっと知りたくなってきたよ。どうだい、ちゃんと質問には答えたから、解放してくれると嬉しいなぁ」

「お前に生きる価値はない。死ね」

 

 頭に向かって、貴樹は本気の拳を振り下ろそうとする。エルドリッチは、火継ぎをしない世界を生きる上で、極めて重要な情報を握っている可能性が高い。ちゃんとアノールロンドで出会っていたら、戦う前に話し合うことを選んだかもしれない。だが、火守女を害した者を見逃すほど、我慢できる状態でもなかった。

 

「待ちなさい」

 

 いつの間にか、ヨルシカが側にまで来ていた。

 

「それは、僕に言ってるんですか」

「これは大事な薪でもあります。体を深く損傷させてしまうと、上手く機能しなくなるかもしれません。だから、こうするといいでしょう」 

 

 ソウルの太矢を生み出し、エルドリッチの胸元に突き刺した。少しだけ体を震わせた後、膿も綺麗な体の部分も凍りついたように動かなくなった。

 

「死んだんですか?」

「ええ。これを祭祀場にまで運んで、薪として捧げます。…貴方には深く感謝いたします。私の兄も、うかばれることでしょう。ですが、もう一度だけ、兄の声を聞きたかった」

 

 色の失ったエルドリッチの顔を愛おしそうに撫でる。その直後には、踵を返して他の負傷している者達の治療に向かって行った。

 

(ふう、少し落ち着いた)

『呆気なかったな。まさか薪の王の一人を、こんなにも早く倒せるとは』

(……)

『どうした?』

(こいつ、鎌もグウィンドリンの弓も出してこなかった。初めから、本気でやるつもりがなかったみたいだ)

『偵察だったんじゃないか。でも、お前の存在が全部ぶっ壊したみたいだけど』

(事前に、俺達がここに来るのを知っていたのか)

『わからんな。ロスリックへ入る道はここしかないようだし、いくらでも予想できたはずだ』

(それもそうか)

 

 どすどすと大きな足音がした。振り返ると、グンダとアンリが近づいてくる所だった。

 

「フム。これを持って帰るとなると、相当の数のデーモンが必要になるな。しかし、タカキよ。こうまで巧妙に力を隠されると、我輩まで騙されそうになったぞ。また、手合わせできる日が待ち遠しいな」

「あはは。そうですね」

「本当に、平気なんですね」

 

 アンリの方に向き直る。彼女はエルドリッチの亡骸を複雑そうに眺めていた。

 

「この化物は、私の、私達の仇。とどめを刺したのはヨルシカ様ですが、ほとんど貴方のおかげと言っていいはずです。ありがとうございました」

「本当は君自身で手を下したかったんじゃないか?」

「確かに。それが私とホレイスの使命でした。それでも、ついに果たしたという感慨は変わりません。それにまだ、主教達が残っています。ここで立ち止まるわけにはいきません」

「応援しています」

 

 心からの思いで言うと、アンリは顔を見つめてきた。

 

「何か?」

「いえ、正直言うと、貴方の印象は最初あまり良くなかったんです。ユリアさんやカルラさんから、警戒するように何度も言われてましたから」

(とんだ風評被害だ)

『事実だけどな』 

「フフ、そんな顔しないでください。おそらく、その格好で誤解されてしまったんでしょうね。貴方自身はとても紳士的な方だと思います」

(そんなこと言うと、抱きしめちゃうぞ)

『こいつ浮気する気ですよ火守女さ―ん』

 

 吹き抜けの建物から出ると、既に白いデーモン達が待っていた。エルドリッチの体は、ヨルシカがソウルの杭を四肢に打ちこんで、そのまま宙に浮遊させている。その様子を認識して、さらにデーモン達が集結し始める。

 

「それにしても、よくタカキはここまでこれたものだな」

「旗が落ちていたので、何とかなりました」

「ジーク。貴方が持っていく手筈ではありませんでしたか?」

 

 ヨルシカに訊かれたジ―クバルドは、悪気もなく笑っている。

 

「ウ―ム。かさばるものだから、ついな」

「はあ…。拾ったのが味方だったからよかったのですよ。気を付けてください」

「努力しよう」

 

 特にその後何かが起こるわけでもなく、祭祀場にまで戻ることができた。

 篝火の周りで宇部達が座りこんでいる。他の生徒達はまだそれぞれの修練に励んでいるらしい。今の所、彼らに脅威を感じることはない。固有能力がなんなのかは気になる所だが、宇部達の醜態を見るに気にするまでもないことのようだった。ただ、この世界観を台無しにする要素ではあるので、その存在を認めるわけにはいかない。

 

「なんで、お前が…」

 

 宇部が貴樹を見つけて、立ち上がる。言葉づかいを注意をしようと思った時、グンダが先に歩み寄っていた。

 

「な、なんだよ」

「無闇な先行は、己の命を縮めるだけだぞ。次からはもっと考えろ」

「は、お前らと違って、俺は不死身なんだ。そんな心配いらねえよ」

「そんなこと、言わないでください」

 

 ヨルシカが宇部の手を握る。彼女からの視線に囚われた彼は、二の句がつげなくなっていた。

 

「貴方達も、大事な戦士の一員です。命を軽く扱うことは許されません。私からもお願いします。もう二度と、あのような無茶はしないと」

「あ、ああ。わかったよ。だから、少し離れろ」

「フフフ、約束ですよ」

 

 彼女の輝くような笑顔に、さすがの宇部も黙って頷くしかなかった。

 横で展開されている状況に少しも関心を見せず、貴樹は辺りを見回していた。

 

「タカキさん。よかった。急に姿を消したから、心配しました」

 

 少し息を切らして、シ―リスが階段から下りてくる。彼女は貴樹をぼうっと見た後、浮かんでいるエルドリッチに視線を移した。唖然としたように息を飲む。

 

「これは、あの人食らいですか」

「それより、火守女さんがどこにいるか知らない? いつも広場にいるはずなのに」

 

 彼女はすぐに答えず、言いにくそうに目を泳がせた。

 

「皆さんが戻って来られるように転送の準備をしていた所までは今までどおりでした。でも、

それから急に苦しそうにうずくまって。私が部屋にまで運びました」

(何だと)

「…すぐに、その部屋まで案内してくれないか」

「はい、構いませんが」

 

 エルドリッチの話が頭をよぎる。何だか無性に、火守女の姿を確かめたい気分だった。話したいことも、たくさんある。訊きたいことも。

 

「もうそんな時期ですか」

 

 ヨルシカの漏らした言葉が、やけに耳に残った。

 

 

 火守女の個室は、アンドレイの鍛冶場から左に降りた、あまり光の届かない洞窟の奥にあった。ちなみにアンドレイというのはなかなかに重要な存在で、武器の強化や変性などをしてくれる人物だ。貴樹にグンダの斧槍を壊した件について文句を言いたがっている様子だったが、相手をしている余裕はない。

 古びた扉の前に立つと、その隙間からかすかに荒い呼吸音が聞こえてきた。躊躇うこともなく、部屋の中に押し入った。

 火守女は、薄い敷布の上でもがいている。元々白い顔がさらに色を失い、頬には汗の玉粒がいくつも垂れていた。しきりに包帯の巻かれている手を抑えて、襲ってくる痛みに耐えている様子だった。

 さらに一歩足を踏み込んだ所で、誰かが腕を掴んできた。

 ヨルシカは、静かに首を振る。

 

「彼女の苦しみは、彼女だけのものです。痛みによって、自らに課せられた責務の重みを改めて実感する。火守女となった時点で、覚悟していた事でしょう。他者の安易な同情など、一番求めていないはずです」

 

 当たり前のことにすら気付かないのか。怒鳴りたい気持ちを抑制する。

 

(綺麗な言葉を並べて、まるで自分のことのように言うよな。この女は)

「苦しんでいるなら、誰かが側にいてやらないといけないだろ」

 

 そんなことを早口で言って、ヨルシカの手を払う。彼女は溜息を吐いて、その場から去っていった。

 足音で火守女を刺激しないように、ゆっくりと近づき、膝をつく。すぐ側に手布があったので、慎重に彼女の汗をぬぐった。

 

(生きているんだな)

『急にどうした』

(何というか、ただゲームの中にいた人物が、そのまま実際に触れられる存在になっただけじゃない。その人にも、その世界での生活や、過去がちゃんと存在してるんだ。俺は今までそれを強く意識してこなかったかもしれない。まだ、自覚が薄かったみたいだ)

 

 貴樹の行動に対して、火守女は明確な反応を示さなかった。体を丸めて、震えを必死にこらえている様子は、どこか、慣れている気配もある。

 彼女が過去にどれほど苦しい目に遭ったのか、想像するのもおこがましい。だが、苦しみを受け入れ、納得しようとしているのは、どうしようもなくやるせない。人食らいに囚われて、そこから救い出されても、火守女の使命に囚われている。何よりも他の誰でもない彼女にそれを強いる状況に、怒りが湧いた。

 そう、貴樹は怒っている。珍しく、真面目に感情が乱されているのだ。 

 ほつれた銀髪を、申し訳ないと思いつつも手櫛で整え、頭を優しく撫でる。不思議と緊張はなかった。彼自身でもつかめない、保護欲にも似た感情だけがあった。

 背中もさすってやると、不規則な呼吸が落ち着いてくる。

 ほら、やっぱり。誰かがいた方が彼女も楽なのだ。

 黒衣の上からでも感じられる、浮いた背骨の感触。わけもなく抱きしめそうになったが、すんでのところで我慢した。どうも、エルドリッチ戦の時から冷静さを保てていない自分がいる。

 何となしに火守女の顔を眺めていると、自然に言葉が口をついて出た。

 

「ひもりんは、目が見えるようになりたい?」

 

 沈黙が答えだった。

 声が聞こえないほど、意識が混濁しているのか。それとも。

貴樹にとっては、それで十分だ。

 

(深みの聖堂に向かうぞ。瞳を取り戻す)

『わかった。それと、大事な話がある。後で聞いてくれ』

 

 彼はその後、ずっと火守女の側を離れなかった。

 

          

 丸一日経って、火守女が回復するのと同時に、全員が広場に集められた。

 生徒達は、玉座の一つに安置されたエルドリッチの死体を気味悪そうに見ている。

 

「火継ぎへの第一歩です。これより、薪をくべる儀式を行います」

 

 灰の全員に加え、ほとんど人前にでてこなかったオ―ベックもいた。彼は自身に与えられた部屋で、魔術等の研究をしているらしい。誰とも話そうとせず、面倒そうに篝火の方を眺めていた。

 ミレーヌ以外の監視者、そしてシフィオ―ルスもいる。

 貴樹の記憶しているものとは違い、五つの薪をいっぺんに処理することはないらしい。最後のボスがいる場所へと向かう前の印象深いイベントだったために、少し残念な気分だった。

 

「まずは火守女が、遺骸から薪を取り出します。それを灰達が受け止めて、中央の篝火へと注ぐのです」

 

 ヨルシカが言うと、火守女が動いた。その途中、偶然視線が合ったが、貴樹は気恥ずかしさが込み上げてきて、逸らしてしまった。相手の意識があるとなると、途端に緊張してしまう。大胆なのか、臆病なのかよくわからない男だ。

 火守女はエルドリッチに近付くと、少しの間静止した後、手をかざした。何かを唱えている。貴樹ははらはらしながら見ていたが、彼女がエルドリッチに対してはっきりとした反応を示すことはない。

 だが、その声は戸惑いを含んだように小さくなっていった。

 長い間の開きに、生徒達もざわつき始める。

 

「何か、あったのですか」

 

 ヨルシカが尋ねると、火守女は自分の言葉に自信が持てないかのように、途切れ途切れに言った。  

 

「薪が、ありません。隅々まで探りましたが、どこにも存在していません」

 

 それは、誰もが予想していない事態だった。

 言葉を失くした数瞬の後、ヨルシカが言う。

 

「確かなのですか」

「はい…。器の中に、ソウルが充満しているのはわかります。しかし、肝心の王の薪は感じ取れません」

「貴方の腕を疑うわけではないのですが、困りましたね」

 

 ヨルシカはルドレスと二言三言言葉を交わした。それから、皆の方に顔を向けてくる。

 

「儀式は中止です。灰の皆さん、わざわざ呼び立てをした上で申し訳ありませんが、普段の鍛錬に戻ってください」

 

 そして、貴樹を手招きしてきた。

 

(全く、退屈させてくれねえな)

『これは、どういうことなんだ。エルドリッチは薪の王じゃなかったってことか』

(そこまではわからない。普通なら、有り得ないはずなんだ。これじゃあ、まるっきり状況が変わってくる)

『まさか、偽物ってことは』

(どうだろうな。表面は複製できても、中身のソウルまで再現できるとは思えない。だが、これが本物のエルドリッチとするとだ。当然の疑問が出てくる)

 

 火継ぎに必要な、薪の資格をもつ者は五人。

 その中の一人、エルドリッチに薪がないとすると。

 ヨルシカの方に向かいながら、貴樹はその意味の大きさに身震いする思いだった。

 では、その薪は一体どこにあるのか、正確に言えば、一体誰に渡ってしまったのか。

 

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