「邪魔が入ったわ」
すっかり委縮した様子の生徒達を見て、ミレーヌは困ったように溜息を吐いた。
「巻き込んで、ごめんなさいね。とりあえず、あの男は信用しないように。妙なことを言ってくるかもしれないけど。何か困ったことがあったなら、協力は惜しまないつもりよ」
草野が、控え目に挙手をした。
「実は、脇腹がまだ痛いんですけど。ちょっと優しく撫でてくれませんかね」
「刃で?」
「この通り、俺はぴんぴんしてまーす」
シフィオ―ルスが可笑しそうに目を細める。
「なかなか、個性的な男だな」
張り詰めていた先ほどまでの空気が、いくらかましになった。こういう時に、彼の気配りのありがたさがわかる。
「本題だが、お前達の鍛錬はより実戦的なものになる。かなりきついものになるが、乗り越えてみせろ」
「具体的な、内容は?」
国広が尋ねると、ミレーヌが周囲を見渡しながら答える。
「これから十日間、貴方達はここの区域で生活してもらう。何をすべきなのかは細かく指定しない。こちらが提示する条件は、ただ一つ。期日が来るまで生き残りなさい。単純でしょう」
「えっと、つまり祭祀場に戻れないと?」
「安全な拠点で体を休めることはもちろん重要だわ。でも、薪の王達の中にはここからはるか遠くにまで逃げている者もいる。いつ敵に襲われるかわからない状況下で、長期間活動する必要も出てくるの。今回は、それを体で覚えてもらおうと思ってね」
「正直言って、ぬるくないっすか」
草野が能天気な笑いを浮かべて言う。
「いままでずっとジ―ク先生にしごかれてきた俺達にとっちゃ、ただ生きればいいだなんて課題は楽勝ですよ。もう少し、やりがいのあることがしたいですね」
楽なら楽で、それはいいことではないだろうか。下田は何か無理難題が追加されるのではないかとひやひやしていた。が、ミレーヌは何か含みがあるように笑う。
「そう思う?」
直後、シフィオ―ルスが顔を上げ、大きく吠えた。高く、それでいて芯のある声が響き、下田は思わず耳を塞いだ。それでも鼓膜をかなり揺さぶってくる。何かの資料映像で聞いた、狼の吠え声よりもはるかに迫力がある。仲間を呼ぶための行動のはずだが、なぜ今そうしたのか、疑問だった。
「手加減をしない性格なの。これから先、貴方達には存分に苦労をしてもらうから。まずは最初の課題を、こなしてみせることね」
ミレーヌは兜を被り直すと、シフィオ―ルスに会釈をしてから、走り去っていった。
「一体、何をしたんですか」
シフィオ―ルスは国広の質問に、首を振るだけだった。
「私としては、あまり気が進まないのだ。もう時間がない。お前達武器を構えろ。奴らはすぐに集まってくるぞ」
この大狼もまた全てを語らずに立ち上がると、四本の足を軽快に踊らせて、森の奥へと消えていった。
残された下田達は、ただ途方に暮れるばかりだ。
「おい、これから何が起こるってんだよ」
「わからない。警戒はしておこう。皆集まるんだ」
「は―い」
「あ―あ、もっとシフちゃんに触ってたかったな」
高原と久慈が指示に従う中、芳野だけは動かない。下田は不思議に思って、その顔を見た。
「どうしたの?」
彼女は、青ざめた顔で、ぞっとすることを言った。
「やば、やばいって、これ。なんか凄い数の反応が、全方向から向かってくるんだけど」
ほぼ同時に、そう離れていない所から大勢の呻き声が聞こえてきた。
草野の剣が、突進してきた亡者の胸を貫いた。すぐに引き抜くと、国広と向きを入れ替え、突き出された熊手を正確に受け止めて横に弾き、倒れかかってきた亡者の首を飛ばした。飛び散る血に最初は辟易していたものの、もう、誰もそんなことは気にしていない。
「これ、何体倒したんだろうな。ソウルが溜まるのは、ありがたいんだが。くそ」
「亡者だけなら、なんとかなるんだけどね。まだ、追いかけてきてるよ。移動しないと」
下田は話さない。話せないという方が、正しいかもしれない。誰かが怪我した時のために、できる限り気力を温存しなければならない。闇雲に魔術を放つわけにもいかず、嫌な緊張が続いていた。
あの場に留まるという、選択をしなかったのは正しい。囲まれているとしても、相手が来るのを待つ方が愚かだ。亡者達が集中して手がつけられなくなる前に、一つの方向へ突破する考えのもと、全員が走っていた。
だが、その作戦は早くも崩れている。国広の言う通り、これは敵が基本的に鈍い亡者だけという前提があってこそのものだった。
木々が倒されている音が、断続的に響いている。もちろん、亡者にそんな力はない。シフィオ―ルスが呼び寄せた中には、大きな鋸を持ち、大釜を背負った大男もいた。前にジ―クバルド達が似たような者を倒していたのを覚えている。だからといって、自分達も容易に立ち向かえるとは思えなかった。避けるために方向転換を何度もし、自分達が進んでいるのか戻っているのかすらわからなくなっている。
ろくに後ろを見もせずにソウルの矢を打ちこんだ高原が、殿を務める草野に叫ぶ。
「やっちゃえばいいのに。もう、体力が限界なんだけど」
「あれ一体だけなら、挑む気もあったよ。亡者がわらわらいる中で、ろくに知らない奴と戦えって? それとな、お前の魔術がかすめたぞ。危ねえんだよビッチ!」
「はあ? お前こそいちいちキモいんだよ!」
喧嘩する元気があるのが不思議だった。
幸い、重傷を負っている者はいない。草野と国広の頬や手に浅い切り傷があるだけで、下田と女子三人は無傷だ。
「あ、また死んだ」
久慈が胸を抑えると、下田の方に寄ってくる。倒れてしまわないように、彼女の腕を掴んで自分の肩に回した。
「大丈夫?」
「ごめんごめん。ちょっと使ってもらえる?さすがにそろそろ限界」
久慈の顔は血の気が引いて、白くなっている。額から流れ落ちる汗の量もかなりのものだった。下田は右手を彼女の胸に近付けると、白い光を発して回復を始めた。
「私、汗臭い?」
「え? いや、そんなことは」
「胸触ったら、罰金だからね」
「ぼ、僕はしないよ」
何とか多勢に対抗できているのは、彼女の能力のおかげでもある。芳野の探知を聞いた直後、久慈は自分の分身を作り出し、反対方向に走らせるという機転を見せた。それにつられて、亡者達の一部が追跡から抜けてくれたのだ。ただ、感覚はある程度共有しているらしく、分身が殺される度に久慈は吐きそうな顔をしていた。
下田の奇跡によって、その顔色は多少回復した。それでもまだ油断できないと続けようとした所で、彼女は首を振って下田から離れた。
「ありがと。自分で走る。貴重な回復役を、無駄に疲れさせるわけにはいかないから」
「でも」
「いいからさ。結構酷い顔してるの、自分で気がついてる?」
疲労は当然溜まっている。温存すると言っても目の前にまで敵が迫ってきたら魔術を使わざる負えなくなる。そんな場面がもう何度もあった。そして今の奇跡だ。感覚で言えば、そろそろ限界が来てもおかしくなかった。
そして、素直に言葉では表せないもやもやとした感情も、膨れ上がっている。どうして、自分はこんな思いをしているのだろうか。知らない土地で、しなくてもいい苦労をしている。そんな気がしてならない。
帰りたい。帰りたい、帰りたい…。
思いがあふれそうになって、下田は口を抑えた。駄目だ。今は駄目だ。気をそらしたら、殺される。不死身だと、祭祀場の者達は言っていたが、それで恐怖がおさまるわけではない。
「森を抜ける…」
国広の言葉で、前を見た。辺りが明るくなってきている。木々の切れ間から、崖をつなぐ木作りの橋が見えた。
「女子を先頭に、あれを渡るんだ」
その時、起こるであろう事故がはっきりと予想できたが、彼の考えていることはわかったので不安を口には出さない。確かに、大量の敵を振りきるには効果的な手だ。
初めに、高原が何度も後ろからせっつかれて渡り始めた。それで平気なのが皆に勇気を与え、続々と並んで橋を進んでいく。老朽化した橋が渡っている途中で切れるなどという不幸は起こらず、全員が渡りきることができた。
「早くやってよ」
「ああ、わかってる」
草野と国広が大急ぎで橋の基幹部分を斬りつける。数度の試みで外れ、追ってきた亡者やお男の重みであっという間に崩れていった。底が見えない奥底へ何体も落ちていく様は、強烈な安心感を与えてくる。残った敵も、崖の縁でこちらに向かってうなるだけだった。
最初に、草野が倒れ込んだ。その横に国広、そして高原達も腰を下ろし、下田はその場でうずくまった。
自分や誰かの荒い呼吸音を聞いているだけの時間がいくらか過ぎた後、草野が言ってきた。
「絶対に、今度会ったら、ミレーヌさんの胸を揉んでやる」
「こ、殺されるよ」
「全力で抵抗するね。それくらいは許されてもいいだろ。うう、汗が気持ち悪い」
「しばらく、ここで休もうか」
国広が芳野に目配せをすると、彼女は首を振った。
「すくなくとも、周囲には何もないよ。あ、今ちょっと反応が」
「どれくらい離れてる?」
「有効範囲のギリギリだから、百メートルくらい」
「なら、まあ、大丈夫か」
用心深い方の国広でさえ、今回のは参ったようだった。
「だいだいさ、不死街は掃討されたんじゃねえのかよ。取りこぼしが多すぎるにもほどがあんだろ」
「あの掃討は、定期的に行われていると言っていた。おそらくだけど、あれらは根絶できる類じゃないかもしれない」
「はあ、どれだけ終わってんだよこの世界は。やってられねえよ。なあ、彰浩」
下田は空を見つめていた。
「おいって。起きてるか?」
草野に目の前で手を振られて、ようやく我に返る。
「何?」
「お前、疲れてんのか」
目もとをごしごしこすって、下田は俯いた。
「当たり前だよ。皆だってそうでしょ」
「そりゃあなあ。鍛錬の域超えてるよ。まさか強引にピンチに陥らせてくるとは」
無意識のうちに、大きな声が出てしまっていた。
「そっちの方じゃない!」
言ってから、冷静さを取り戻す。こんな所で音をたてたら、どんな敵に嗅ぎつけられるかわからない。馬鹿なことをした。
草野は頬をかいている。
「どうした、急に」
「いや、ごめん。ちょっと自分がコントロールできなくなってる。休まないと」
「ちゃんとしろよ。お前は俺らの生命線だからな」
それがやけに無責任に聞こえて、言い返そうと口が動いた。だが、寸前になってこらえる。草野には、何の悪気もないのだ。今の自分は冷静ではない。些細な事で苛々したり、急に気分が落ち込むことが多くなっている。集中を見出せば、ここでは命を失うことにもつながりかねないのだ。
命。心に自嘲的に響き渡った。ただの高校生のはずなのに。何で、そんなものの心配をしなければならないのだろう。
何気なく、下田は横を向く。高原と視線が合う。彼女は口を真一文字に結んで、目を細めていた。どことなく機嫌が悪そうだったので、すぐに別の方を見た。
全員が落ち着いた所で、今日寝床にするべき場所を確保することになった。外は女子達が反対したので、ボロボロの家屋の中で一番ましな所を選び、中に入る。亡者が何体がいたが、どれもほとんど動かず、草野と国広が頭に剣を刺すとようやく身じろぎして、息絶えた。
「何だったんだろうな」
「寝てた、とか」
「こいつらが? 冗談言うなよ」
安全を確保した所で、このまま次の日まで待機することに、全員が賛成した。すでに普段の鍛錬以上に動いていたし、皆血に汚れてなかなかひどい状態だった。これ以上下手に動くのは危険だ。
男女交代で、家の一室で体を洗う。今までは、祭祀場の篝火に備わっている浄化の力で、汚れは瞬時に取れた。お風呂に入るのとは違う感覚で戸惑ったが、はるかに効率よく全身を荒えたので、結構便利だった。しかし今は、従来の通り水を使って洗い流すしかない。
半リットルの水をインベントリから取り出すのに、九ソウル必要になる。体をちゃんと洗うのに必要なのは、二リットルほどだ。下田は現在、五十二ソウルを持っている。前の掃討戦の時と、先ほどの戦闘で、それなりに稼いではいる。しかし、食料も必要になることを考えると、十日間を乗り切れる見込みはまるでない。亡者を狩るにしても、危険を極力抑えるためには、不自由を強いられることになるだろう。
かつては家族が集まって穏やかな時を過ごしていたかもしれない、暖炉付きの部屋に集まる。そして草野が、呆れたように言った。
「待てよ、お前らの恰好は、何だ」
高原は茶髪をゴムで後ろにまとめて、棒付きのアイスを舐めている。爽やかな水色で上下統一した肌着には、大きく英字がプリントされていた。
久慈は真ん中分けされた黒い長髪を櫛で梳きながら、携帯式のドライヤーで乾かしている。格好はシンプルに紺のジャージだ。
芳野は肌に優しいと書かれた化粧水を顔に塗り、時折頬をぺちぺち叩いていた。半袖の白いシャツと黒のスパッツを身につけ、高原のアイスを物欲しそうに見ている。
「いや、何が?」
柔らかそうなルーミングチェアに寄りかかり、高原は首を傾げる。
「何もかもだよ。どこから言ったらいいのかわかんねえ」
国広も目を丸くして、三人を眺めていた。
「ここだけ、日本と変わらないみたいだ」
「全部、ソウルで交換したやつだよ。どうせこれからきついのが待ってるんだから、少しくらい贅沢してもいいでしょ」
芳野の露わになった足の曲線に目が行ってしまい、下田は居心地が悪かった。最近、実織と話していないこともなぜか同時に思い返して、その場に座りこんだ。自分は草野じゃない。溜まっているとか、そういったことは考えないようにする。
これからどうするべきか、話し合いにおいてもまず女子達の行動について詰問が始まった。
「お前ら、危機感はないのかよ」
「え―、だってロープも血とかでぬるぬるしてキモかったし。新しい服用意するくらい当然でしょ」と高原。
「肌も、ちゃんとケアしてあげないといけないし」と芳野。
「髪は大事にしないと。長いと、手入れに時間がかかるんだよ?」と久慈。
「知るかアホ。それでよくソウルが無くならないな」
「え? もうゼロだけど」
「あたしも」
「石ころすらもう実体化できないでーす」
草野は頭をかきむしった。
「ふざけんなよ…。明日から、どうすんだ?」
「頑張って亡者達をやっつけるしかないっしょ」
「俺としては、安全に行きたいんだよ。できれば、ずっとここに閉じこもって日が過ぎるのを待っているのがベストだった」
「あ? それでも男かよ。ホ―ケイ野郎」
「俺の息子を侮辱するなアアアアア!」
草野が、挑発してきた久慈に飛びかかり、見事に股間に膝を受けていた。悶絶している彼に女子三人が群がり、罵倒しながら何度も蹴っている。途中から草野の顔に笑みが浮かんでいるのを見て、下田は眉間を押さえた。これでいいのかと心配になってくるが、気分が晴れたのは事実だ。
苦笑いしている国広と一緒に、サンドバックになっている草野を見てすかっとする。
「面白いね」
「いつもあんな感じだと、疲れるけど」
「でも楽しそうだ。草野ともっと早く友達になっておけばよかった」
「と、」
疑問が口に出そうになって、すぐに止める。だがそんな下田の気持ちもわかっていたように、国広は真っすぐ見てくる。
「もちろん下田も」
「そ、そうかな」
「一緒にいて楽しかったら、それで十分じゃないかな。俺はこのメンバーで行動できてよかったと思ってるけど、違った?」
「そんなことないよ。うん…。安心はしてる」
何かに気がついたかのように、国広は手を伸ばしてきた。
「ひゃっ」
「あ、ごめん。睫毛、何となく触りたくなったから。長いよな。下田ってよく、可愛いとか言われない?」
「や、んん、どうだろ」
何でもないタイミングでスキンシップを図ろうとしてくるのは、とても真似できな
い。国広の警戒心を薄れさせる笑顔で言われたら、きっとどんなことも信じてしまうだろう。
あれ、と思った。どうして、自分は恥ずかしがっている。違う、断じて違う。確かに小さい頃は女の子によく間違われはしたが、心まで染まっているわけではない。自分は正常だ。女性が大好きな一般的な男子だ。
「? 耳赤くなってるよ」
アブノーマルじゃない、アブノーマルじゃないと心の中で何度もつぶやく。
いつの間にか騒ぎが収まっていたので前を見ると、草野達は興味深々で顔を向けてきていた。
「おえ、彰浩、マジか」
「下田、乙女みた―い」
「あ、なんか、いいかも」
「同性同士って、避けてたけど。捨てたもんじゃないね」
耐えられなくなって、下田は自分の顔を両手で覆った。
だらだら過ごしていると、辺りが暗くなってきたので、次の日に向けて眠ることになった。芳野の呪術で暖炉に火をつけ、その明かりの周りで頭を並べている。床は所々穴があいていて、木のくずで背中がちくちくしたので、結局下田も寝袋をインベントリで交換することになった。寝ることだけは、ある程度快適にしなければ次の日に影響が出てしまう。
全員が同時に寝るわけにもいかない。男女で交代して見張りを続けた。能力面だけで言うなら芳野だけで十分すぎるほどだったが、彼女だけに任せるわけにもいかない。
特に何が起こるわけでもなく、彼らは二日目の朝を迎えた。
「起きろ―」
薄目を開けると、久慈が覗き込んできていた。毛先のまとまった髪が、かすかに頬にかかっている。
億劫そうに呻いて、彼は再び目を閉じた。微妙に頭が痛い。あまり満足に睡眠をとることができなかった。何か長い夢をたくさん見た気がしたが、何も憶えていない。
「眠いの? 皆とっくに準備終わってるけど」
「も、もう?」
「下田が寝坊したんだよ」
「わかった。起きるよ」
半身を起こすと、芳野の姿も視界に入った。彼女は下田の頭を見ると、櫛を取り出した。
「ちょっとちょっと、寝癖すごい。せっかく良い髪質してるんだから、労わってやらないと」
「うん」
後ろに回った芳野が櫛を入れていくのを受け入れる。傍から見れば完全にされるがままになっているが、彼は半分寝ぼけていたので抵抗する気も起きない。
「こうなると、着せ替えもしたくなってくるよね」
「ん―、前髪切った方がいいよ。くりくりした目がいいポイントなんだからさ」
戸口から、高原が姿を現した。
「早くしなよ。自分のことは自分でやらせればいいじゃん」
「もう終わるって。なに、ちとせ怒ってんの?」
「別に、そういうわけじゃないけど」
気に入らなそうに下田を一瞥した後、彼女は外に出ていった。何だか、高原は昨日から自分に対してそんな態度を取っている。下田としては、溜息でもつきたい気分だった。ただでさえ苦労の多い状況なのに、これ以上気が重くなるようなことにはならないでほしい。
とりあえずはここの家を拠点にすることにして、ソウルを得るべく捜索が始まった。ここで再び役立つのは芳野の探知能力だ。これだけで不意を打たれることはなくなる。敵の位置だけではなく、その数もわかるので、比較的小規模な亡者の集団を狙っていくことで、最初の方は限りなく安全にこなすことができた。
多少の選択を迫られたのは、あの、大男を発見した時だ。
「でっけえな。グンダほどじゃねえけど」
「力も相当強いだろうね。直接盾で受け止めたら、大変なことになりそうだ」
前の時と違うのは、それが単独で行動しているということだ。亡者数体程度で得られるソウルはたかが知れている。冒険をしてでも、大物を狩ることも必要だった。
全員で作戦を擦り合わせてから、まずは久慈の分身が敵の前に出る。生身の彼女に比べれば、動きはかなり単純だった。走り、手を相手に向けて、魔術を行使しながら距離を取る。それしか、行動を組み込まれてはいない。
一本目のソウルの矢は外れ、二本目が腰に当たった。大男は少しも揺らぐことなく、分身に向かって突進してくる。
そのタイミングで本物の久慈が家屋の二階から男の側面に、矢を放った。それは頬を抉り、黒い血が流れ出す。ちゃんと傷はつくようなので、望みはつながった。
「こっち、こっち向けのっぽ!」
本物の久慈の方に男が向き直ったと直後に、高原がまた別の方向から飛び出した。さすがに三人同時に相手取ると、本能的な思考にも迷いが生じたらしく、その場で立ち尽くす。その隙を見逃さず、高原は何の変哲もないロープを出現させると、男に向かって投げつける。
まるで生き物のように、ロープがひとりでに男の両足に巻きつくと、一気に締め上げた。
「よし、今だ」
バランスが崩れ、巨体が倒れた所で、待機してた草野と国広が向かっていく。芳野は、敵が集まって来ているどうか、見張っている。下田はその護衛を任されていた。
草野が武器を持つ太い腕を斬りつけ、多少手間どいながらも切断する。国広は、男の首に剣を突き刺し、刃を回転させて穴を開けた。
静かになった。全員が男の体を注視する。鋸が、体から滑り落ち、大釜の中身がこぼれていく。待っても再び動き出すことはなく、その気配すら感じられなかった。
「死んだ?」
体の端々から実体が無くなり、薄い靄のようなものに変わっていく。それは下田達の体に吸い込まれていき、やがて地面に広がる血も消えていった。もう何度も目にした現象だ。
ソウルが二十ほど増えた。それを確認して、ようやく一息つく。
「完璧じゃねえか」
「うん。万全を期せば、体格差があっても対抗できることがわかった」
達成感があるというよりも、緊張から解放されてほっとしたような雰囲気が漂っていた。誰もオーバーに喜んだりはしない。これは、亡者よりも幾分か人間らしかった。肌は萎びていなく、盛り上がった筋肉が生命を感じさせる。
下田と芳野も近寄ると、国広が尋ねてきた。
「異常はない?」
「数体の亡者が、急に動きを変えてこっちに向かってきてる」
「うん。何回かやってみてわかった。たぶん、奴らもまたソウルを求めているんだ。だから、倒されたのを嗅ぎつけて、集まってくる」
草野が警戒するように見回し、言った。
「どうする? そいつらもついでにやるか?」
国広が答える前に、久慈が地面に膝をついて苦しそうに口元に手をやった。
「朱音?」
同時に分身が消える。彼女の集中が極度に乱された証拠だ。下田は慌てて駆け寄る。見るとその顔は真っ白だ。昨日もそんな様子はあったが、一夜明けて回復したものだと思っていた。魔術などを使い続けるための気力は、十分な休みを取ることで元に戻る。
下田が手を伸ばそうとすると、久慈は首を振る。
「大丈夫、だから。そう何度も世話になるわけにはいかないって」
「いや、駄目だ。下田、使ってあげてくれ。どう考えても大丈夫じゃない」
国広が強い口調で言う。
どうやら、久慈の能力にはかなりの制限があるようだった。毎日気軽に使えるものではなさそうだ。汎用性が高いので、つい亡者狩りの効率のために多用したのがいけなかった。
回復が終わってもまだ気分の悪そうだった久慈は、国広に背負ってもらう。他の女子二人が、羨ましそうにそれを見ていた。
「戻ろう。少し早いかもしれないけど、今日はもう終わりだ。最低限のソウルは集まったし」
国広の意見に反対する者は誰もいない。そうだ。自分達は何かを倒せと言われたわけではない。ただ生き延びればいいのだ。ならばいくら慎重になっても足りないくらいだと、下田も思った。自分達のまとめ役が同じような考え方でよかった。
警戒して来た道を戻っていく。集まってくる亡者に追いつかれないよう、かなり急いだペースだ。戦闘自体は上手くいっていたものの、もし久慈が分身を出現させる前に倒れていたらと考えると、ぞっとする。あの大男に挑んだのは、実はかなり大きな賭けだったのかもしれなかった。
「え?」
突然、間の抜けた声が上がった。芳野だ。
「どうしたんだよ」
「ちょっと待って。有り得ない。わ、私達の前方に反応がたくさんある」
草野はぽかんとしていたが、徐々に口の端をひきつらせていく。
「それって…。俺達の拠点周辺ってことか。何で?」
「知らない。だけど、いるのは事実だし」
実際に近付いて行くと、亡者の集団や先ほど倒した赤い頭巾の大男が確かに徘徊している。しかも肝心の家屋はさらに破壊されていて、とてもじゃないが利用できる状態ではなかった。
瓦礫の陰で隠れている草野が、奥の方に目をやって、信じられないと呟いた。
「おい、橋が元通りになってんぞ。夢か、これは」
それが、亡者達が現れた原因のようだった。今も、草野と国広が壊したはずの橋を渡って来ている亡者の姿がある。
「誰かが直したんだ」
「ふざけんなよ。私のお気に入りの椅子とか、服はどうなんの」
高原は、少し心配する点がずれているような気がする。
「一体、誰が。どんな理由で…」
そこで何かに気がついたかのように国広が言葉を切った。下田も、何となく想像がついた。でも、本当にそこまでするのだろうか。
ほぼ同じタイミングで、芳野が焦ったように小さく叫んだ。
「うわ、一体がこっちに向かってくる。何これ、凄く早」
言い終わる前に、下田達の所へ人が到着していた。身につけている鎧姿は、完全にミレーヌと一致している。しかし、彼女よりも頭一つ分背が高い。肩もごつごつしていて、男なのは間違いなかった。
国広と草野が剣を構えても、全く動かない。男が兜を少し持ち上げると、髭の濃い口元が露わになった。
「すまんな。これも隊長の命令だ。許せ」
止める間もなく、男は指笛を高らかに吹いた。さらに腰に下げていた短剣の一本を亡者の一体に投げ、頭に命中させる。
全部の注意が、こちらに向いた。
「健闘を祈る」
男はすぐ横の瓦礫を駆け登ると、あっという間に家の屋根に飛び移った。次々と足場を移っていき、姿がどんどん小さくなる。ごくわずかな接触であったが、その印象は強く刻み込まれた。主に負の方向でだ。
その輕芸に感心している暇はなく、全員が既に背を向けて走っていた。後ろから足音がいくつも響いてくる。
「どど、どうすんだよ。戻っても、亡者がいるだろ」
「じゃあ、あの数を相手にしろって? あたしとしては戻りたいけどね」
「命より服とかの方が大事なのかよ」
「振り切るしかない。走って!」
久慈の体重がかかっていても早い国広の背中を、下田は必死に追いかける。もう休めると思っていた時にそれが覆されるのは、かなりダメージが大きかった。
ちりちりと、背中が総毛立つような感覚がした。今は前だけを見て進むべきなのはわかっているが、予感に突き動かされて後ろを振り向く。
亡者の一体が、何かを構えている。遠目ではっきりとは見えないが、明らかに、弓であることはわかった。先が燃えている矢をつがえ、十分に引き絞ってから、真っすぐ放ってくる。
あれに、当たったら。
「み、」
警告しようとしても、遅かった。
下田の耳元で風切り音が鳴る。斜め前を走っていた芳野の肩に矢が突き刺さった。彼女は足をもつれさせ、地面に転んだ。
「恵美、だい」
高原は、途中で言葉が見つからなくなったようだった。
何だろう。こんな時なのに下田は思っていた。香ばしい香りがする、肉が、焼ける時の。
「あづ、あつい、熱い! だれか、誰か抜いて」
刺さった所に、火が移っていた。ローブの布が焦げ、煙が上がっている。息が詰まって、下田は一瞬何も考えられなくなった。
「何、ぼうっとしてんだ!」
草野が彼女の方に近寄ると、矢を一気に引き抜いた。痛そうな声で呻いて、芳野は歯を食いしばる。彼は掌で何度も叩き、無理やり火を消した。皮が裂け、中の肉がさらされている状態で、徐々に赤い染みが広がっていく。
「ちょっと…」
「俺が抱える。彰浩、移動しながら奇跡使えるか?」
いつにない彼の瞳と相対して、下田は反射的に頷いていた。その反応をほとんど見ず、草野は芳野を肩に腹を乗せる形で、運び始めた。荷物を運ぶようなぞんざいな扱いで、かなり上下に揺さぶられているが、彼女は反応していない。ショックで気を失ったようだった。
「弓を持つ奴がいる。真っすぐ走ったらやられる!」
国広はすぐに右に曲がった。家屋の間を縫うような進路に変える。見晴らしが悪く、鉢合わせのリスクが高い。下田は既にどこに行くべきか、思考を放棄していた。目の前に一番に考えなければならないことがある。
芳野の傷口に手をかざす。なかなか奇跡が発動されない。深呼吸をした。後ろからくる恐怖も、これからの不安も考えない。治すことだけに集中しなければ。
なんとか白い光が出て、回復が始まった。かつて実織の腕を治した時よりも、進行はゆるやかだった。遅い、遅すぎる。一秒が何日にも思えた。自分は今、ちゃんと呼吸できているだろうか。
「あの、あの塔を、あそこを目指そう」
何の保証もない。逆に追い詰められるかもしれないが、国広の言葉に皆が従っていた。彼の言うことは正しいと、下田はなぜか確信していた。そうではないにしても、このまま当てもなく走った所で、終わるのは目に見えている。
瓦礫の陰から突然、亡者が飛び出してきた。国広の首筋に向かって短剣を振り下ろしてくる。
彼は止まりかけたが、先に亡者の方が急にのけ反った。顔の皮膚が殴られた後のようにへこんでいる。国広の能力がその身を守ってくれたようだ。
「だいじょう、ぶ?」
「気にしないで。喋ると疲れるから」
緊迫感は、何倍にも跳ね上がったようだ。芳野がどれだけ策敵に貢献していたか。敵が側まで迫っていても、実際の目で見なければわからない。それがどんな奴で、どれほどの速さでやってくるのかも。
そんな場面が、三度やってきた。その度に、臓器がひっくり返されるような衝撃と恐怖を味わうことになる。そうした近距離の敵は、倒していかなければならなかった。背を向けた方が危ない。走りが中断される時はいつも、追いかけてきている集団がすぐ後ろにいるのではという心配がよぎった。
気がつけば周りに家屋は少なくなり、左右にはとても登れなそうな崖が見えるようになった。大きくそびえる塔の姿はすぐ側にまで来ており、中へと続く大扉が視界に入る。
「入るんだ」
草野と国広が、その扉に手をかけ、押した。その後に高原と下田も続き、全力で開こうとする。初めは重いように思えた扉も、徐々に動いて開き始めた。
一人分の隙間が開いた所で、すぐに背中を押されて下田は中に入る。そして残りも全員無理矢理体を押しつけるようにして、扉の内側に入った。
中はそれほど広くない。先は階段になっていて、鎖のつながった床に続いている。階段にはいくつもの蝋燭が並べられ、薄暗い室内に仄かな明かりを灯していた。
音を立てて扉が閉まっていくのを背で聞いて、下田は絶望しかけた。もう行き止まりだ。ここで耐えるしかないのか。
「国広…」
草野が彼の顔を見る。国広は、扉を押さえながら階段の先をじっと観察していた。
「あれは、何だろう」
指を向けたのは、床の中央にある四角い突起物だった。そこだけ不自然だ。誰かが躓いて、転んでしまうかもしれないのに。
「知らねえよ。それより…」
亡者達の気配が迫って来ている。すぐにでも扉へと到達し、開けようと叩き始めるだろう。あの萎びた体といえど、大勢で押されたらそう長くはもたない。
「いや、皆、俺が叫んだらあれに走るんだ。あれは、多分、エレベーターに似たものだと思う」
「本当かよ。あれが?」
国広は一瞬黙った後、一人一人と目を合わせるように静かに言った。
「今まで、言ってなかったけど。実は、親戚に、ゲームを持っている奴がいて。この場所であの床に乗って、下に降りていくのを見たことがある」
下田もまた、驚いて彼の顔を見た。
「ただ、俺は興味もなかったし、記憶も曖昧だった。だから、ずっと黙ってたけど、やっぱり、皆を騙すも同然みたいで、いけないことだとは思ってたけど」
「そんなこと、どうでもいい」
草野が申し訳なさそうな国広の言葉を遮る。高原も頷いた。
「じゃあ、祐馬君はちゃんと考えがあってここを目指してたんだね。安心した」
「ど、どうするの。行くならすぐに行かないと」
下田の催促で、国広も覚悟を決めたようだった。むしろ良かったのだ。この世界を題材にしたゲームの経験者は、隊に一人もいないと思っていたから。
「よし。今だ。行こう!」
国広が久慈を抱え直し、声を上げた。一人も遅れることなく、階段を必死に駆け上がり、例の床にたどり着く。
「草野、踏んでくれ」
「おう」
草野が中央の突起物を足で蹴りつける。何かの駆動音が聞こえ、上に伸びていた鎖が動き始めた。床が沈み、下に向かって降りていく。ほぼ同時に、大扉に叩きつけるような音が鳴った。
天井が、どんどん遠ざかっていく。
「奴らが、上から降ってきたらどうする」
「いい的になる。ただ剣を上に構えていさえすれば、勝手に刺さってくれるかもしれない」
「はっ…」
「後は、下田と高原も迎撃を頼む。落ちてくる前に仕留めれば危険はない」
「う、うん」
高原は下田とは違い無言で顎を引いていた。震える手を庇うようにして抱きしめている。その目尻には、溜まった滴がこぼれ落ちようとしていた。自分だって、泣きそうだ。汗なのか涙なのか、わからなくなってはきているけど。
降りていく速度は、ゆっくりと言ってもいい。だが下にたどり着くまでに、幸運なことに亡者が降ってくることはなかった。
「誰もいないな」
降りた先もまた、階段があった。右に緩やかにカーブし、開けた部屋まで続く。何かが動く気配はなく、静けさが漂っていた。
進んでいくと、右手の方に扉が開いているのが見えた。立ち止まるわけにも、ましてや戻るわけにもいかず、下田達は歩いた。何かの講堂だろうか。薄い蝋燭の光が壁にいくつも並んでいる。
扉の先もまた同じ広い部屋だったが、太い柱が何本か建っている。高い天井にまで伸び、荘厳な雰囲気が伝わってくる。
「一体ここで、何が起きたんだ」
奥の方の壁は、大きなヒビが入っていた。まるで何か大きなものを、とてつもなく強い力で叩き込んだ時の。柱の方にも鋭い刃でつけられたような傷がついているものもあって、色濃い戦闘の痕跡が確かにここにはあった。
さらには、一部の床がやけに光を反射している。近づいてみると、汗だくの身には心地いい冷たさが感じられた。凍っているのだ。よくよく考えてみると、ここの部屋だけ気温がかなり低いように思える。
ここに何かがいた。そして、また別の何かと戦って、どこかへ消えたのだ。それだけで十分だった。
「亡者達は?」
草野が芳野を高原に預け、エレベーターの方へ走って行く。それほど時間が立たないうちに、拍子抜けしたような顔で戻ってきた。
「奴らの声が全然聞こえないし、姿も見えない。どっかへ行ったみたいだぞ」
「本当に? 嘘だったら、許さないよ」
目を拭った高原が、草野に言う。彼はそれに返すことはなく、どっと座り込んだ。
「何にせよ、もう無理だ。これ以上走れねえ」
下田は自分の残した仕事を思い出す。
「あ、の。高原さん。あと少しだけ治させて」
その瞬間きっ、となぜか睨んできて、彼は語尾を小さくした。
「え? あたし、どこも怪我してないけど」
「えと、そっちの」
芳野を見て、高原はこほんと咳払いをした。表情が柔らかくなり、薄く笑いかけてくる。
「あ―、ごめん。なにイライラしてんだろ。凄いね、もうほとんど治ってる」
「でも、まだ火傷の所が」
「傷は? 残りそう?」
「大丈夫だと、思う。完璧ではないかもしれないけど、目立たなくするのは何とか」
「ありがとう。やっぱ下田がいて安心だね。恵美、自分の肌凄く大事にしてるから、良かった」
こうして下田が治している間にも、亡者が現れることはなかった。追跡をようやく振り切ったということだろうか。だとしたら、本当に、良かった。じんじんと痺れる頭で、心の底から安心した。
「くそ。まさか、昨日よりもさらに動く羽目になるとはな。ミレーヌさんのご褒美は、さらに追加だな」
「一体何のことか、とても興味があるわね」