火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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14.結束のために

 全員が驚いて、声のした方を向いた。ミレーヌ本人が、柱の影から姿を現す。

 

「エレベーターは、下にあった。上に戻った音もしなかったのに。どうやって」

「あれくらいの高さなら、降りることくらい造作もないわ」

 

 草野は口をひきつらせる。

 

「結構な数の亡者とかがいたはずなんすけど…」

「そうなの? 普通に通って来られたけど」

 

 彼女の剣からは、血が滴っていた。兜や鎧は綺麗のままだ。返り血をどうしたら、浴びないでいられるのだろうか。

 ミレーヌは兜を脱ぐと、下田の横まで歩いてきた。そして座ると、目を閉じたままの芳野と、蒼い顔で黙っている久慈を一瞥した。

 

「隊の状態は、いいとは言えないみたいね」

「そっちの仲間が色々としてくれたおかげでな」

 

 草野が皆の気持ちを代弁する。

 

「ええ。言ったでしょ? 今、自分達が苦しんでいると思うのなら、本物の苦労はその何倍も辛いことを意識しておきなさい」

「貴方は、これからも邪魔をしてくると?」

 

 国広が剣柄をいじりながら言うと、ミレーヌは微笑んだ。成長途中の子供を見るような笑みだった。

 

「本当なら、貴方達はここで死ぬ予定だった」

「それは、」

 

 言いきる前に詰まらせ、国広は周囲を見回す。下田は声すら出なかった。では、この人は自分達を殺すつもりだったということだろうか。ほぼ無意識に芳野をミレーヌの視界から隠すように動いていた。

 

「そう警戒しないで。予定は、もう崩れた。ここにいた敵は、今の貴方達では到底かなわない。私でも、おそらく無傷では済まされないような相手だった。でも先客がいたようね。おかげで貴方達はこの先の区域に足を踏み入れなければならなくなる」

「そんなことする必要があるんすか?」

 

 床に大の字で寝転がりながら、草野が半笑いで言う。

 

「しばらくは、ここで過ごさせてもらう形で。二日くらいはソウルも余裕があるんで」

「いいえ、許さない」

 

 ミレーヌの雰囲気が一変する。腰に携えている剣の刃を指の先で叩いている。一番近くにいる下田は少しの間、亡者に追われていた時よりも重い緊張を感じた。

 

「進まず停滞を選ぶなら、私が全員殺す。矢を受けた子が目を覚ますまでは、猶予をあげる。それ以降はここから出て、先へ進みなさい。決して、楽はさせないから。絶対に」

「じ、条件は特に指定しないって、言ってたじゃないっすか」

「それを言った時点では、ということよ。ただ安全に敵を狩り、一つの場所に隠れて、時間が来るのを待つのは誰でもできる。これは、鍛錬なの。追い込まないと意味がない」

 

 それ以上、反論しようとする者はいなかった。

 押しつけがましい。下田は、心の中で思う。自分が、やりたいわけでもないのに。本当なら、こんな大変ことは投げ出してしまいたい。なぜ苦しまなければならないのか。

 芳野が、身じろぎをする。薄く目を開き、注目されている状況をやや困惑したように見た。

 

「あれ…、ここは? 一体、どうなったの……」

 

 ミレーヌは立ち上がり、 来た方向へと踵を返した。下田達に向かって、ゆっくりと手を振った。

 

「気をつけて」

 

  

 講堂から出た先は、再び豊かな自然が広がっていた。すぐ近くに太い幹の大木が生え、蔦が幾重にも絡みついている。

 久慈の体調は下田が何度か奇跡を施したことで、自分で歩けるほどには回復していた。ただし、もうしばらく分身は使えない。魔術の行使も多くはできない。

 一方で芳野は意識が戻ったものの、具合がおかしかった。顔が熱を持ち、汗がなかなか止まらない。奇跡を使えば多少呼吸が落ち着くが、根本から治っているわけではないようだった。

 

「下田、大丈夫? 運べるの?」

 

 前衛として大きな役割を持っている男子二人には負担をかけまいと、芳野を背負うことを提案した。別に気を使うわけでもなんでもなく、彼女は軽い方だった。これなら、すぐに奇跡を使ってあげることもできる。

 新たな区域は、不死街とは雰囲気が変わっていた。道が狭くなり、そこから外れればただでは済まないような崖になっている。

 助かった点は、こちらを襲ってくる存在がいないことだった。不自然なほどに敵がいない。今までに比べれば、呆気なさすぎるほどだ。途中道が途切れ、下に飛び降りなければならない場面もあったが、インベントリにある物を重ねてクッションにしたりして、て何とか切り抜けた。

 上下に入り組み、何度か同じ所を行き来する場面もあった。それでもこれといった危険にさらされなかったのが力になり、円状の砦のような跡地にまでたどり着くことができた。あちこちが破損しているが、一応は出入り口が制限されている構造だったので、ここで夜を明かすことになった。

 

「恵美、ほら水。飲んで」

 

 高原が、ペットボトルを芳野の口に向けて傾ける。飲み始めたが、それだけで精一杯という様子だった。

 

「高原さん、残った水はこっちに」

 

 渡された後、下田は白いタオルを濡らしていく。十分に絞ってから、芳野の額にそっとかけた。彼女の熱は下がらないままだ。

 

「多分、毒だ。あの矢に塗ってあった」

 

 国広が断言する。剣を腕に抱え、外の方を眺めている。

 

「ねえ、下田。毒は、治せないの?」

「ごめん。今のところは無理だと思う。奇跡なら、それくらいできるんだろうけど、やり方が…」

 

 せめて、イリ―ナに色々教わってから、鍛錬を始めてほしかった。下田の奇跡は、初めから何一つ変わっていない。ただ、傷を治すだけだ。

 

「でも、やってみるよ。諦めるわけにはいかない」

「おい、あんまり無理すんなよ」

 

 草野が横たわった姿で言ってくる。見張りじゃない時は、基本的に体を休めている。

 

「うん」

 

 昨夜とは違い、無言の時間が流れていた。皆がくたくたに疲れている。明日もまた同じことが続くかと思うと、肩が重くなる。今日だけで何度も奇跡を使っているので、不快な息苦しさも続いていた。

 

「明日になったら、ここを出よう。ミレーヌさん達が何をしてくるわからない。留まるのは、危険だ。ソウルも足りないし、ここから先を調べていこう」

 

 国広が言って、下田も頷いた。

 

「恵美は? どうするの?」

 

「彼女をあまり動かすわけにはいかない。でも運んで行くしかない。誰かが一緒に残って、他がソウルを稼ぎに行くっていう考えもあるけど、俺達が分断されるのは良くないと思う。全員で固まって、行動するのが一番だ」

「じゃあ、僕が運ぶよ」

 

 下田は言った。それで何となく話すべきことが終わって、見張り以外の全員が体を横にした。固い地面で、あまり寝られる気がしない。寝袋もあの家屋においてきていたし、さらにもう一つ取り出せるほどソウルには余裕がなかった。

 それから二日間は、何とか過ぎていった。見つけた亡者は不死街のものよりもやや大柄で、持つ武器も非常に長い木の太枝と特殊だったが、高原の能力と前衛二人が連携して、確実に仕留めていった。複数と戦闘にならなかったのも大きい。集団ではなく、単独で歩いている亡者しかいなかった。

 周りに生えている木の数が増え、空気に湿気が多く含まれるようになってきた。下田達はやがて、浅い池の広がる地帯に着いた。そこを渡る選択肢はない。なぜなら、あのシフィオ―ルスに匹敵する大きさの蟹が、多くの子分を連れて闊歩していたからだ。

 表面は泥で覆われ、動きはそれほど速くない。だが、巨大な鋏は容易に人体を破壊できそうで、挑むのは得策ではないということを全員が理解していた。蟹達の動きを常に警戒しながら、池の縁に沿って先へと進む。

 ミレーヌ達が、何かをしてくる気配は一向にない。それはそれで安心するべきことなのだが、別の問題が大きくなり始めていた。

 

「芳野、何か反応は?」

「…何も」

 

 彼女はそれだけ言うと再び下田の背中で目を閉じた。彼の懸命な介護のおかげか症状の一番重い段階は過ぎ去っていたが、自分から活動できるような状態ではない。だから、体力をつけさせるための食事が何よりも必要なのだ。

 彼らのソウルは、もうほとんど残っていない。一番消費の少ない食べ物でさえ実体化できないほど。それなのに、狩る対象の亡者はずっと姿を消していた。不死街では、あれだけの数がいたというのに。

 芳野だけではなく、他の者も空腹を耐えている。あと一日でもこんな状態が続けば、何かがあっても対応できなくなってしまうだろう。

 休みもほどほどに、下田達は奥へと目指していた。一か所に居過ぎると、歩くことすら拒否してしまいそうだった。この先に何かがあると信じるしかない。

 五日目の日が沈もうとした所で、芳野が急にもぞもぞと動いた。下田は朦朧としていた意識を払われ、前を見る。

 

「何か、いる。一つだけ、反応がある」

 

 そこで久しぶりに歩みが止まった。横に池がまだ広がっているが、前方には城塞の跡のような景色が見え始めている。

 国広が、期待を滲ませた調子で言う。

 

「どれくらい離れてる?」

「うんと…、60メートルくらい。ここまで、気がつかなかった。寝てたせいで」

「お手柄だよ。周りには他に何もいないんだね?」

「それは、確か。大きくもない。私達と、同じくらい」

 

 下田は、草野とほっとしたように目を合わせた。亡者か、そうでなくても戻ってあの蟹の集団を倒すよりは楽そうだ。

 

「動きはある?」

「ゆっくりだけど。私達には気がついてない」

「よし…」

 

 国広が頷いて、他の皆に目で確認した。反対する者は誰もいなかった。

 崩れている石造りの壁などを利用して、慎重に隠れながら近づいて行く。かつてはここで戦いがあったのか、上へと登る階段は途中で壊れ、壁にも穴があちこちにあいている。複雑な構造になっていたが、そのおかげで相手にも気取られることなく配置に付くことができた。

 

「ものすごく、やばそうじゃないか?」

 

 草野が小声で言う。

 それは、顔だけで言えば萎びた亡者のものだった。無造作に伸びた髪が背を覆い、金属が幾重にも編み込まれた甲冑を全身に纏っている。握る剣の刃は黒い靄のようなもので隠され、まるで生きているかのように蠢いていた。

 下田は、一瞬だけしか見られなかった。ただの亡者とは明らかに違う、離れていても伝わってくる威圧感。これまで相手してきたどんな敵よりも、強いとだけしかわからなかった。

 

「変更は、ない。体もそんなに大きくないし、俺達全員がやるべきことをしたら、すぐに終わる。普通の亡者が少し武装しているだけだ」

 

 国広に言われると、大丈夫のような気もしてくる。怖いのは数の暴力だ。個の力と、連携による集団の力は比べるまでもない。そのはずだ。早まる鼓動を、落ち着かせる。

 まずは、草野と国広が前に出た。彼らは剣を構え、亡者の左右にゆっくりと広がっていく。

 それに対しての反応は、薄かった。二人を交互に一瞥した後、一歩ずつ後ろに下がっていくだけ。普通ならば、目についたものにすぐ飛びついていく。その時点で下田は悪寒を感じたが、もう止められる段階ではない。

 国広が一歩前に踏み出し、接近しようと動きを見せた所で、久慈が壁から飛び出してソウルの矢を放った。亡者は呼んでいたかのように事前に剣を上げ、飛んできた矢を斬ってかき消した。

 それも、予想の範囲内だ。

 直後に国広が亡者に向かって切りかかる。受け止められた後はすぐに下がり、今度は草野が側面から腰へ一閃する。亡者は後ろへ下がって、それもかわした。俊敏な動きだ。

 そこへ待機していた下田がソウルの光球を二つ顕現させ、前後に並んだ状態で亡者に向かわせる。彼は同時に二つの光球を維持することができるようになっていた。同時展開できる魔術の数は、その者の力量にもつながる。例えば新宮は、すでに四つのソウルの矢を同時に操っていた。

 初めの一つは剣で処理し、少し遅れてきた二つ目はそのまま刃の腹で受けた。そこでようやく、亡者の注意が逸らされたようだ。そこを狙って国広が大きく叫んで突進していく。

 もちろん、それで攻撃が通るとは思っていなかった。真の狙いは、別の方にあったのだから。

 ほぼ同時に、亡者の背後の壁にまで移動していた高原が、ロープを放った。国広の剣と彼女の術、一度に処理することはかなり困難なはずだった。相手にまだ、方法が残っていなければ。

 鎧の亡者は急に体を回転させると、飛んできたロープを断ち斬った。真ん中から分かれて二本になったロープは、消滅していく。

 

「なんで、」

 

 高原と同じく、下田も驚きを隠せない。前に一体の亡者に巻きついたそれを別の個体が斬りつけた時があったが、少しも傷はつかなかったのだ。

 

「これで――」

 

 だがそれで、国広の攻撃に対してほぼ背を向けている状態になった。彼の刃が通れば、少なくないダメージが与えられるだろう。

 その目論見も、失敗に終わった。

 亡者は手で、剣を止めていたからだ。いや、違う。正確にはその手に突然現れた半透明の盾によって。丸く比較的小さい盾にある赤黒い文様が光ると、そこから靄が噴き出して、国広の武器を吹き飛ばした。

 大きくのけぞり、国広はたたらを踏んだ。その隙をついて、亡者は剣を振る。彼の腰に差していたもう一本の武器が浮き上がり、防ごうとする。

 

「ぐっ…」

 

 亡者は刃をずらし、浮かんだ剣より少し奥の何もない空間を斬った。それだけで、国広の体は硬直し、動きが止まる。どうやら、彼の透明な第三の手が深く傷ついたようだった。なぜ亡者にそれが見えていたのか、わからない。

 何も理解できないまま、国広の首に斬撃が食い込んだ。ほとんど抵抗がないように、下田には見えた。

 司令塔を失った体はその場に崩れ落ちる。亡者は彼の頭部を掴むと、不要なものであるかのように近くの石壁へ投げつけた。当たった後、ずるずると地面まで落ちていく。赤い血筋を残しながら。

 高原が、溺れるような声を出した。その喉には短剣が刺さっている。亡者が投擲したもののようだった。

 耳に痛いほどの静寂が訪れる。

 

「お前ら、走れ…」

 

 最初に我に返った草野が、亡者に斬りかかっていく。

 

「逃げるんだ、早く!」

 

 彼が二、三度亡者の攻撃を受け止めた所で、久慈に肩を叩かれた。

 

「あいつの言う通りに」

 

 そんな彼女も、何が何だかわからない顔をしていた。どこか夢見心地だ。下田も同じような気分だった。何だ、やけに現実味がないと思った。酷い内容だ。早く醒めてほしい。

 足に、力が入らない。

 それでも走った。

 途中で振り返ると、ちょうど草野の腕が飛ぶ所だった。彼は膝をついて、剣を落としている。下田は急に呼吸が苦しくなったような気がして、前を向いて足を動かすことに努めた。

 ふと、隣に久慈がいないことに気がついた。彼女は下田から少し離れた後ろの方でうずくまっていた。地面に吐いているようだ。

 助けようとした所で、彼女の背後から亡者が姿を現す。下田が何かを言う間もなく、彼女の体は二つに斬り裂かれた。

 

「あか、ね」

 

 背負っている芳野の声で、固まっていた足が再び動き出す。甲冑の軋む音が追いかけてくる。舌を噛みそうになる。胸が詰まるような感覚。

 

「下田、下ろして」

「嫌だ」

「私を置いて行けば、一人で」

「い、いいいやだっ!」

 

 まるで、歯が立たなかった。そんな圧倒的な力が、迫って来ているという恐怖。下田は自分が今、どうやって前に進んでいるのかすら認識していない。一瞬逃避しようとした事実はさらに重みを増して戻ってきて、くじけそうになる。

 どうして、自分はこんな目に遭っているのだろう。

 死ぬ。もうすぐ死ぬ。確実に。

 すすり泣く声が背中から聞こえる。自分も今、恥も外聞もなく顔をぐちゃぐちゃにしているのだろう。涙や鼻水を垂れ流して。

 お腹の辺りに衝撃が走った。下を見ると、剣が貫通している。

 芳野と折り重なるように倒れた。徐々に広がっていく血の溜まり場を、亡者は静かに見下ろしている。恐ろしい、顔だ。くぼんだ目、皺が多く刻まれた頬、渇ききって色を失っている唇。

 意識が暗く沈んでいく過程を、じっくりと味わうことになった。早く早く早く。そう願っても、死は遅く迫ってくるだけだ。

 もう二度と。

 もう二度と、こんな目には遭いたくない。

 何日も経ったような気持ちで、下田はようやく楽になった。

 

 

 

 

「ちょうど半分を残して、鍛錬は失敗に終わったようね」 

 

 気がつけば、祭祀場の篝火の近くにいた。この、大事な過程が飛ばされたような感覚は、前にも味わった事がある。グンダに、殺された時だ。

 でも、違う。

 これは、あの時とまるで違う。

 周りにも、まだぼうっとしている様子の草野達が座っていた。その中の、芳野と目が合う。彼女は気恥ずかしげに咳払いをすると、髪を指で巻きながら目をそらした。その反応に、下田はまた大きくずれを感じる。

 

「すっげ。本当に俺、不死身になったのか」

 

 自らの体を触り、草野が言う。

 それが、最初に言うべき言葉なのか。

 ふう、と息を深く吐いて、国広は目をつぶった。

 

「判断を、誤った。焦りもあったと思う。ごめん」

「祐馬は悪くないよ。あいつが、強過ぎたんだって」

「そうそう」

 

 わからない、わからない。どうしてそんなにすぐ、いつも通りみたいに話ができるのだろう。まるで何かの試合に負けたみたいな雰囲気だ。

 そうじゃないだろう。さっき、確かに、自分達は一度死んだというのに。

 石段に座っているミレーヌが、首を振る。

 

「貴方達が戦ったあれは、ダークレイスという、亡者化した人間の一種よ。正気である頃にある程度の武を修めた者は、亡者になっても技だけは忘れない。中の上という所かしら。私の見立てでは、貴方達全員が万全だったら、倒せていたはず」

 

 彼女に対して、下田は寒気にも似た感覚を憶えていた。話の通りなら、自分達が無残に殺されていく光景を、彼女は見ていたということになる。見ていて、何もしなかったということになる。

 

「…もう一度、挑戦させてくださいよ」

 

 その声が出た時、ついに耳がどうにかなってしまったのかと思った。

 草野が真っすぐ、ミレーヌを見ている。

 

「あいつにリベンジして、残り五日も乗り切る。一回くらいで諦めるわけにはいきませんよ」

「へえ。逃げるのかと思ってた」

「ご褒美のためなら、負けられないっす!」

「そんな話、聞いたこともないけど」

 

 またお得意の冗談だ、そう思って他を見た下田は、期待を裏切られた。国広も、女子三人も、なぜか前向きな表情だ。今すぐにでも出発しそうな空気まである。

 ミレーヌは、ふっと笑う。

 

「元気なことは素晴らしいわ。でも、一日間を空けなさい。復活がどれほど体に負担をかけるか、人によって様々だから」

「え、この通りもうすぐにでも走れそうっすよ」

「よく、周りを見てみることね。誰もが貴方みたいに整理できるわけじゃないから」

 

 下田の方を一瞥した後、彼女は踵を返し、去っていった。

 その後ろ姿が完全に見えなくなると、草野が振り向いて皆に言ってくる。

 

「大丈夫だろ? お前らだって、やられっぱなしじゃな」

 

 それとかぶせるように、久慈があっと叫びを上げる。胴体を斬り裂かれ、内臓が飛び出した姿が重なる。

 

「マジ? ソウル、全部なくなってるんだけど」

「え―、うっそ。あたしもだ」

「何か食べようと思ってたのに」

 

 国広が、納得したように頷く。

 

「これが、ペナルティってわけだね。僕達が亡者のソウルを奪ったように、奴も僕ら全員のソウルを得たんだ」

「だったらなおさら、リベンジしないとな。取り戻そう」

 

 それぞれが喋り出す度に、それぞれの死に方がフラッシュバックして、下田は耐えられずに耳を塞いだ。腹から飛び出す刃、広がる血だまり。萎びた亡者の顔。頭がふらつき、血がせき止められて、全身が冷たくなるような錯覚。

 

「おかしいよ…」

 

 気がついたら、口に出していた。

 全員の目が、下田の方へと向く。

 

「みんな、みんなおかしい。あの人も、どうかしてる。おかしい、おかしいって。変だこんなの。間違ってる」

「おい、彰浩。どうしたんだよ。落ち着けって」

「落ち着け?」

 

 自分が、弱いだけなのだろうか。ただどうしても、普通でいられる彼らのようには、絶対になれない。なりたくもない。

 

「これで、どうやって、落ち着けって言うの? 死んだんだよ? 僕達は死んだんだ。あの亡者に殺された!」

「生きてるだろ、俺達は今こうしてさ」

 

 一度話してしまったら、止めるのは困難だった。膨れ上がっていた様々な感情が待ち望んだかのようにせきを切ってあふれだす。

 

「不死身とかどうだとか、そんなの関係ない。僕が言いたいのは、何でそんなに皆、平然としていられるかってことなんだよ。そもそも、最初からおかしかったんだ。無理矢理こんな世界に連れて来られて、勝手にあれをやれこれをやれって言われて。僕達がなんで、しなくちゃいけない? あんな怖い思いをしてまで、ここの人達のために働く意味なんてあるの? あるわけないだろ! 帰りたいんだよ。現実に帰りたい。皆だって、そう思ってるよね。なのに、どうして。なんでこんな、戦いの真似事をしなくちゃいけないんだ!」

 

 言い終わった後、下田は荒くなった呼吸を整えようとした。あっちで活動していた時は常に空腹で、体の疲労もかなり溜まっていたはずなのに、今は充実した感覚が充満している。それすらも、不気味にしか思えなかった。

 

「ふーん、わかった」

 

 誰もが黙り込んだ中、さらっと言ったのは高原だった。どこか失望したような顔で、

下田を見ている。

 

「あんたはさ、結局、自分が一番苦しいって思ってるんだ」

「…え?」

「そうでしょ? かわいそうかわいそうって、勝手に自分を追い込んでる。あんたの言い方だと、まるであたし達が平気で過ごしているみたいだよね」

「そんな、ことは」

「戻りたいかって? なにそんな、当たり前のこと訊いてんの? あたしがいつ、ここが好きだなんて言った? はあ? ふざけんなよ。あんたに言われるまでもないんだよ。こんな気持ち悪い世界、誰が好きで」

「だったら」

「だったら、なに? あんたが、日本に戻れるような凄いなにかでも作ってくれんの? 無理でしょ。今は、どうにもならない。よくわかんないけど、使命ってやつを果たせば戻れる可能性はある。それを早く達成するためには、頑張るしかない。あんたみたいに、今になってもぐだぐだぐだぐだ悩んで一歩も進めないまま他の人の足を引っ張るような奴が、一番きらい。悩むのは自分だけみたいな、そういううざい態度はやめろよ」

「高原、それは言い過ぎだ」

 

 国広が割って入る。

 

「下田は、誰かの足を引っ張ったことなんて一度もない。むしろ、いなかったら俺達はもっと早く崩壊していた」

 

 それから、下田に向かって言ってくる。

 

「気持ちはよくわかる。でも、高原の意見も正しい所はあるんだ。誰だって、帰りたいと思ってるさ。それに、俺も怖い。正直、あれにまた挑むなんて本当はやめたいくらいだ。誰かに任せてしまえばいいって、何度も思った事がある。草野だって、そうだろ?」

 

 下田と高原を見比べて、彼は答えた。

 

「あ、ああ。俺のはさ、ほら、空元気みたいなもんだよ。実際、あの時は最後の方ちびってたし。って、何言わせんだよ!」

 

 沈黙。

 草野はすぐに笑いを引っ込める。

 薄々わかっていた。高原が、自分の態度を前からよく思っていないことは。我慢をしてくれていたのだろう。今までは、一応、上手くはいっていたから。

 

「でもさ、これからはわからないかもしんないじゃん。下田が甘ったれたままでいたら、近いうちに絶対ろくでもないことになる。あたしはそれがいやだから言ってんの。先のことも考えてよ」

「そ、そんなに割り切れるものなの? 僕は、できそうにない」

「だ、か、ら。あんたが悩むのは勝手。でも、他の奴にまでそれを押し付けんなってこと」

「押し…、そんな言い方しなくても」

「あ―、もう。いらつく。もっとちゃんと喋れ。あんたの事情は知らないけど、こっちだって帰りたい理由くらいあるっつの。そのために今、頑張ってんだろ」

「僕達が、それをやる必要なんて」

「他人任せにしたって、何も進まないし。実織を助けたとかいろいろ聞いてたから、意外と勇気あるんだって思ってたのに、なんだ、別にそんなこともなかったんだ」

「二人共、やめろ!」

 

 国広の怒鳴り声で、応酬は止まった。彼は長く息を吐いてから、鎧を脱ぎ始める。

 

「今日はもう、休むんだ。口喧嘩をしたって、何もいいことはない。…明日、ちゃんと話し合いをしよう。皆で。解散だ」

 

 いつになく淡々とした口調で、下田と高原を見てから背を向ける。当たり前のことかもしれないが、一番精神的に疲れているのは国広だろう。この世界に来ても、皆をまとめようと頑張っている。

 

「行こうぜ」

 

 草野が言ってくる。もやもや感情をもてあましたまま、下田はそれに従った。最後に高原の方を見たが、彼女は既に他の女子二人と一緒に歩き始めていた。怒りを含んだ早足で、久慈と芳野は慌ててそれに追いつこうとしている。

 完全に怒らせてしまった。

 それでいちいち気後れしてしまう自分が、嫌になる。勇気なんて言葉は似合わないことくらい、自覚している。彼女のように、納得できない境遇も現実として受け入れようとする気概は、なかなか持てそうにないだろう。

 元々、高原は自分と話すような種類の人間じゃない。明日からはぎこちなくなるだろうが、多分、それが自然なことなのだ。

 嫌な方へと考えてしまう思考にもうんざりして、下田は部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 白い、女の人?

 下田は目を覚まし、珍しくまともに眠ることができたのを知った。一度不満をぶちまけたおかげだろうか、少しだけ胸の重さが取れたような気もする。

 暖かい、何かを抱いていたような感触が残っていた。抱かれていた、という方が正しいか。

それはひどく郷愁を誘うものだった。家族に、無性に会いたくなる。知らない女性の面影が瞼の裏に残っていたが、もちろん、母には全く似ていない。

 

「おう、水でも飲むか」

 

 草野がストレッチをしながらこちらを見た。彼はかつて朝のホームルームでいつも寝ているような男だったが、今は生活のリズムを整えているらしい。

 

「うん。おはよう」

 

 冷たい水を喉に流し込み、伸びをしながら体を覚醒させると、ちょうど扉を叩く音が聞こえてきた。

 

「いいぞ、開けて」

 

 草野が言うと、扉が開いた。中に入ってきた人達を見て、下田は寝起きの状態の自分を恥じた。もう少し、早めに起きておけばよかった。

 国広に続いて、女子三人も部屋を見回している。高原は、下田の方を見ようとはしていなかった。ここに来たのは自らの本心ではないことを、表情ではっきりと伝えてきている。集まることは知っていたものの、まさか、この部屋でということは予想していなかった。

 

「あんま女子の方と変わんないね」

「草野さあ、早く上着ろよ。お前の乳首なんて誰が得すんの」 

「俺のファンである、全ての女性かな…」

 

 国広は床に座り、笑いを収めて言った。

 

「こういう改まった感じで集まるのは初めてかもしれない。俺達は同じ隊として、正面から話し合うべき段階になっていると思う」

 

 冗談を言う雰囲気ではなくなり、全員が思い思いの場所で国広の言葉を聞いた。

 

「で? それはつまり、皆で下田を慰めようってこと?」

 

 高原は、面倒そうに一瞥してくる。反感よりも申し訳なさが先に立って、俯いた。

 

「違うよ。そもそも、下田と高原がどっちが正しいかなんて、どうでもいい。二人共、当たり前のことを言っているからだ。そんなことを話し合ったって、実りがない」

「でもさ」

 

 反論しようとした彼女を。静かに国広は見つめる。それで、続く言葉はなくなった。

 

「痛感したのは、俺達はお互いに知らないことがたくさんあるってことだ。このメンバーが集まったのは、何のためかな。現実に、戻るためだ。なら皆で目的をちゃんと共有する必要があると思う。これから、一人一人、帰ることができたらまず初めに何をしたいか、言ってほしい。それだけでも、きっといい影響があるはずだ」

 

 そう言われても、すぐに話そうとする人はいない。結局、これは、話し合いではないのだ。ある種儀式めいた、結束を高めるだとかそういうことのためのもの。

 下田は、何をしたいかなどとっくに決まっていた。ただ、それをこの場で話すかどうか。進んでしようとは思えない。半端な同情を買って、楽になるとは考えられない。

 

「って言われても」

「うーん」

 

 久慈と芳野も、微妙な顔で首を傾げる。

 皆の気が進まない様子を認めた国広は、何でもないことのように口を開いた。

 

「俺は、なによりもまず、会いたい人がいる。家族よりもだ。実は、もう四年くらい付き合ってるんだけど。他校の先輩で、なんていうか凄く一緒にいたくなる人なんだ。早過ぎるだろうけど、結婚も考えてる。同じ学校の人に言うのは、これが初めてかな」

 

 これに対する反応は劇的だった。 

 まず、芳野が叫んだ。それに連鎖して久慈も甲高い声を発し、高原に至っては心配になるほど血の気が引いている。

 

「ええええええええ?」

「きゃああああいやあああああっ! うっそおおおおお」

「お―お―、初めからとんでもねえ爆弾だな」

「なんだあたし、まだ寝てたのか。早くさめろ、さめろこんな悪夢」

 

 国広を狙う異性には、枚挙に暇がない。また彼が告白されたなんて情報が、関わりのない人間にも入ってくるくらいだ。誰と付き合うことになるかは、なかなかの関心ごとだっただろう。それが今、全てまやかしだったと証明されたわけである。

 

「こんな感じで、皆も頼むよ」

「うん、まあ」

「ねえ祐馬君、嘘だよね、ね?」

「そういう冗談も言うんだ。いがーい」

「本当のことしか話してないよ。嘘なんて言ったら、意味がない」

「やめてええええええええええ」

 

 女子たちの嘆きがおさまるまでに、しばらく時間がかかった。おそらく、国広自身も事実の影響力を自覚していたのだろう。今までずっと隠し通してくるのは、それなりに苦労したはずだ。それでも長く続いているのは、思いの強さを表している。何だか下田はほんわかした。

 

「じゃあ次は草野。時計回りで行こうか」

 

 国広が率先して自らのことを話した事で、他の者も黙るわけにはいかない空気になっていた。

 腕を組んで少しの間考えた後、草野は言う。

 

「したいことかあ。そうだな、家に帰ったら、まずは親の料理が食べたい。インベントリで出るやつは、なんとなく美味しくねえからな。ちゃんとしたものが欲しい。あ、あとやりかけのゲームも終わらせてえな。かなり盛り上がってる所だったんだよ。これくらいかな。ちなみに彼女はいません。欲しいです」

 

 最後には冗談交じりで終わった話だったが、誰かが茶々をいれることはない。当たり前のようでいて、この世界に来てからは得る事のなかったものだ。祭祀場の者たちが、まともな食事を取っているのは見たことがない。家畜らしき動物もいなく、いるのは腐り果てた人間や訳のわからない怪物だけだ。

 誰かの感情がこもった料理を食べたいというのは、皆が抱く欲求だった。

 

「あ―、それは思うね。彼女も、シチューが得意なんだよ。美味しかったなあれ…」

「お、おい。もう言ってやるな。女子達が苦しんでる」

 

 全員の顔が、下田の方を向く。高原を除いて。

 ちょうど母の台所に立つ姿を思い浮かべていた彼は、自分の番が来たことに遅れて気がついた。無意識のうちに、胸に手を当てる。

 

「話したくないのなら、それでも構わない。でも、俺達は、下田のこともちゃんと知りたいと思ってるんだ。戻りたいと強く思う理由があるのは知ってる。できれば、教えてくれないか」

 

 状況に納得できていない思いがどこかにある。だが、今までの自分の思考があまりにも後ろ向きであったことは理解し始めていた。誰だって帰りたいとは思っている。その感情を押し殺し、今の立場で前に進もうとする人にとっては、自分の態度は気分の良いものではない。それこそ、この先皆の足を引っ張ることにもつながりかねないのだ。

 

「う、うん。話すよ」

 

 気を遣われるのはいい。話すことで、負担も軽くなるのではないか。下田はこの時初めて、彼らを仲間だと認めた。知らず知らずのうちに己の殻に閉じこもろうとしていた。それではきっと、育ててくれた人も悲しむ。

 

「僕は、帰ったら、病院に行く。そこにお母さんが入院してるんだ」

 

 そこで、高原がやっと顔を上げた。その反応も置いておき、下田は自分のことを話し始める。

 高校に入った年の、六月だろうか。彼が幼少時に父を失くしてからずっと、女手一本で育ててくれていた母が、倒れた。その時はすぐに救急車を呼んでことなきを得たが、問題はこの後に起きた。

 検診で胸のしこりを訴えていたので精密検査をしたところ、かなり大きな腫瘍が見つかった。

 乳癌です。末期に近い。転移するのも時間の問題でしょう。すぐに入院の手続きを。  

 そう医者が言った時、母が心配したのは自らのことではなく、費用のせいで下田の進学が危うくなることだった。泣きながら何度も、自らの不甲斐なさと、片親であることを謝ってきた。

 違う、と下田は思った。母は年に一度の健康診断を、ここ数年受けていなかった。毎日休みなく、仕事に追われていたからだ。彼の学費などを稼ぐために、副業のパートをいくつも入れていた。彼がいなければ、もっと早い段階で癌を見つけられたはずなのだ。そんなことを言うと、今度は凄い剣幕で怒られて、最後にはまた泣かれた。

 

「その腫瘍を取り除く手術は、かなり難しいらしくて。失敗すれば、命も危ない。成功しても、その後の再発の可能性を失くすものではないんだ。…きっと、もう、その手術は終わっていると思う。僕は、どうなったのか知りたくてたまらない。一刻も早く帰って、お母さんの無事を確かめたいよ」

 

 なるべく、事実をそのまま述べるように淡々と話すつもりだったが、最後の方は語尾が震えるのを押さえられなかった。麻酔で朦朧(もうろう)とした中の、弱々しい笑みでもいい。顔を見て、手を握り、その日起きた他愛のないことを話すだけでも、十分だ。母が生死の境をさまよっているのに、側に居られないのはどうしようもなく辛かった。

 下田の話に、まともな反応はしばらく返ってこなかった。感情を落ちつけてから周りを見ると、彼は驚いた。他の人も全員、彼女に注目している。

 ひ、と短い呼吸音がした。

 

「こ、これは違うから。そんなんじゃないのっ」

「ちとせ、泣いてんの?」

「くしゃみ、くしゃみしただけ」

 

 高原が、一番何かを揺さぶられたようだった。言い訳は苦しく、目の縁を赤くして、顔を歪めている。頬には滴が流れ、口元はローブの袖で隠されている。嗚咽がときおり耐えきれずに漏れていた。

 

「どうしたの?」

 

 国広が尋ねると、久慈が泣いている彼女の頭を撫でながら答えた。

 

「ん―、まあ私と恵美も最近聞いたんだけどね。ちとせ、母親亡くしてるんだ。下田の母さんとは違う病気だけど。中学生くらいの時だったらしいよ。それからずっと、父親と二人で暮らしてるんだって」

「あ、あかねっ。余計なこと」

「どこが? ここに聞かれて嫌な人なんていないっしょ。ティッシュあげようか。ちょっと鼻水出てるし」

「うん…」

 

 意外な思いで、下田は彼女を見た。失礼かもしれないが、傍から見れば、高原は何の不自由もない暮らしをしてきたかのように思える。

 そこだ。すぐに彼は反省した。今考えてみれば、自分は彼女たちを表面的な観点しか捉えていなかった。先入観を持たれることは嫌がるくせに、自分がそうすることは無意識のうちに許してしまっていた。

 

「し、ししもだ」

 

 高原は涙をぬぐって鼻をかむと、這うようにして近づいてきた。

 

「は、はい」

「その、ね。昨日は、ちょっと、言い過ぎたかもしんない。あたし、そういう所が、駄目だからさ」

「ぼ、僕の方も。色々と迷惑を」

「同情をしてほしくないのは、わかる。でも、でも辛いね。あたしもママが亡くなった時にはたくさん泣いたよ。もっといろんなこと話したかったってずっと思ってた。下田の母さんは、絶対に大丈夫。手術は成功してる。信じてる」

「ありがとう」

 

 彼女の瞳はいたって真剣だった。

 何が、自分とは違う人間、だ。

 彼女のことを少しも理解していない段階で、決めつけるのは愚かだった。自分以上に繊細で、思いやりのある一面も持っている。

 その後湿っぽい空気が落ち着くまで、また静かな時間が続いた。貰い泣きしてしまったのか久慈と芳野も目を潤わせていた。

 

「ママって、呼んでたのか」

「あ?」

「黙れ」

「お前には話してないからな。その耳潰しとけよ」

「本当に、俺が、悪かったです。許してください」

 

 流れるような罵倒を浴びせられている草野が、さすがに可哀そうだった。

 高原が、溜息をついてから話しだす。

 

「もうなんか、ほとんど話しちゃった感じだけど、あたしもまずは家族に会いたいかな。うちのパパ、だらしないやつだから。早く帰ってやらないと」

「この見た目でファザコンってのがウケるよね」

「そんなんじゃない!」

「はーい。じゃあ次、私ね」

 

 久慈が手を上げる。

 

「家族もそうだけど。部活も気になるかな。バスケのセンターって大事なポジションだからね。先輩たちにも迷惑かけてるだろうし。またボールいじりたいなあ」

 

 三人の中では一番背が高く、確かに向いていそうだった。そして、これは絶対に口には出せないが、見た所一番胸が大きいのも久慈だ。どんぐりの背比べ程度の差でしかないとはいえ。

 

「スポーツやってる女子も、いいもんだよな。それに、胸もお前ら三人の仲じゃあましな方だし」

 

 一名、実際に言ってしまい、再び蹴られている男もいる。 

 草野の脛を踏みつけた後、芳野が話した。

 

「私の夢って、美容師なんだ。二人は知ってるだろうけど。だから、今も誰かの髪を切りたくてたまんないの。こう、人の身だしなみを整えるって達成感があるじゃん」

「サイコパスじゃねえか…」

「もう、喋らない方が良いと思う」

 

 高原が、自分の髪を触って満足そうに頷く。

 

「あたしも恵美に染めてもらったからね。下田と祐馬君も切ってもらいなよ」

「え…俺は…?」

「そうだね。仕事だから、全力でやるよ」

 

 一人一人、戻るべき理由がある。それを知っただけでも、何かが違って見えるような気がした。

 自分がいつもいる所とは違う、別の世界に行けたらなんて想像する人はきっと多いだろう。でも、結局、居場所というのは初めから決まっているのだ。見たこともない光景に胸を躍らせるのは最初だけ。自身が慣れ親しんだ場所を恋しく思うのは、当然のことだ。

 

「皆、最後に言っておきたいことがある」

 

 国広が全員の顔を確かめるようにして見ていく。

 

「ここは、俺達の常識とは違うことがたくさん起きる世界だ。それでも、惑わされちゃいけない。俺達は、あっちの人間なんだ。例え不死身になったとしても、命を一番に考えよう。価値観まで、ここに染まったらいけないと思う。互いに足りない所は補い合って、いつか帰るとその時まで、無事でいよう」

 

 そして、拳を前に突き出した。

 すぐに草野が合わせ、女子達も続いた。

 落ち着かなくなるような、気恥ずかしさを感じる。だが今はそれも、悪くはないと思える気分だった。

 全員で手を合わせ、互いの思いを確認する。下田も自然に笑顔になっていた。思いを共有できる者達がいるだけで、こうも、違うものなのか。

 

「まずは、あの亡者を倒そう」

 

 肩の重みは、もうなくなっていた。

 

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