火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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16.転換点

 残っていた五日間を乗り越え、下田達は祭祀場に戻ってきた。互いに話したいことはたくさんあったものの、溜まりに溜まった疲労を癒すために、解散の言葉すらおざなりにして各自の部屋に戻った。

 再び集まったのは、その翌日だ。ミレーヌに呼び出されて、篝火の側で話を聞いていた。

 

「これで及第点。貴方達なら、もっと上を目指せるはずよ」

「それだけですか」

 

 草野が、何かを期待するような目で彼女を見た。

 

「何?」

「いや、なんていうか。頑張った見返りが欲しいなって」

「これは鍛錬の一環に過ぎない。当たり前のことをこなしたくらいで、褒めると思う?」

「でも、ほら、いろんな人間がいるんですよ。厳しく締め上げるよりも、適度にごほうびを上げた方が、効率が上がることもあるんです」

 

 彼がなぜ、そこまで食い下がっているのか下田は初めわからなかった。だが、前に言っていた事を思い出し、呆れた気持ちになる。あまりがっつかない方がいいのではないだろうか。

 ミレーヌも同じく何かに思い当ったようで、目を細めた。

 

「そういえば、貴方そんなことを言っていたわね。胸を揉むだの」

「それか頬に接吻っすね。両方でもいいですけど、むしろ」

 

 女子の目が冷たくなる。そんな中でも彼の目は期待にあふれていた。もしかして、ずっとそれを糧にして頑張ってきたのか。その執念に対し、下田はある意味尊敬の念を覚えた。自分は、さすがに彼ほどの欲求は抱けない。

 腕を組んで、ミレーヌが草野の方に近付いて行った。見下ろされる威圧感に、草野もやや緊張して見える。長々と溜息をつき、彼女は無表情で言う。

 

「両方って、それは欲張りよ。だいたい、貴方達は一度途中で失敗しているんだから」

「はは、は。ですよね。冗談っすよ。言ってみただけで」

「どちらかにしなさい。いえ、私が決めるわ。接吻でいいわね?」

「これからも誠心誠意、精進していきます。…え?」

 

 草野が間の抜けた声を出したのと、ミレーヌが腰を曲げたのはほぼ同時だった。髪が降りて来ないように耳の上にかけて、顔を草野の方に近付ける。唇が皮膚に触れた後、あっさりと離し、彼女は元の位置に戻った。

 

「このくらいで何かが変わるなら、安いものね。で、他の人もしてあげればいいの? 時間が惜しいわ」

 

 残った他は、全員が断った。というか、何が起こったのかすら理解するのに時間を取られた。草野は寝起きの時のような顔で固まって、頬を手で触っている。

 反対にミレーヌは事務的な口調で言った。

 

「しばらくは、各々の訓練に専念してもらう。特に術士の人達は大事なことが待っているらしいわ。それも終わったら、貴方達は太陽の戦士、暗月の剣、そして狼血の騎士の内の一つと誓約をかわすことになる。私達の所に来てくれたら歓迎はするけど、覚悟もしておいてね。容赦はしないから」

 

 もう用事は終わったと言わんばかりに素っ気なく踵を返すと、火守女に指示をしてから篝火に触れる。そしてその姿が消えた後も、彼女が与えた衝撃はまだこの場に残っていた。

 

「お前ら、どこと誓約するか、決まったか」

 

 草野が静かに訊いてくる。

 

「うん、まあ、暗月の剣ってとこでしょ。私達魔術とか使う人間にとっては、最適だって聞いてるし」

 

 高原の言葉に、他の女子二人も頷いた。下田も、そうするつもりだ。国広に関しては、まだ決まっていないと言った。迷っている段階らしい。

 

「俺は、狼血の騎士にするぜ。もう確定だかんな」

 

 普通なら茶化す話ではあったが、誰もそれはしなかった。ただ、心の中で無理だろうという意見が一致しているに違いない。草野の前途に、幸があることを祈るばかりである。

 

 

 その後は、下田と草野の部屋に集まって、皆で食事をした。ミレーヌの鍛錬をこなしていってからは、何となく互いの距離が縮まったような気がする。自分には合わなそうな人種だと一括りにして敬遠していた女子三人のことも、それぞれの思いや長所を汲んで、理解できる段階になっていると思えるようになった。

 

「にしても、ずるいぜ国広。いつの間に拳銃なんか持ってたんだよ」

 

 ダークレイスにとどめを刺した銃撃。今まで、彼が銃を使っている場面など見たことがなかった。

 国広は左手に拳銃を出現させる。おお、と草野が息を漏らした。素人目ではあるが、本物らしい重厚感がある。触るのさえ躊躇われるような。

 

「弾、入ってんのか」

「うん。だから、扱いには気をつけないと」

「でもさ、おかしくないか。最初から弾があるのって」

 

 草野と同じく、下田も疑問に思っていた。インベントリでは銃と弾は別の項目に分けられている。つまり使用するためにはそれぞれを出した後、弾を込める動作が必要なはずなのだ。しかし、あの場面では出現させてからいきなり撃っていた。

 

「俺も、最近気がついたんだ。一度インベントリから出した物って、またしまうこともできるんだよ。しかもそれは別の枠になってて、ちょっとの操作ですぐに取り出しもできるんだ」

「マジで?」

 

 国広の言う通りに、下田達も試してみた。石ころを出して、それをじっと見つめると淡い光を放ち始める。触れてから、収納するという意思を頭の中で浮かべると、一瞬で石ころが消える。それからインベントリを開き直すと、手持ちというタグが新たに追加されていた。

 

「へ―、これは便利だね」

 

 高原が食べかけの食事を何度も出し入れしている。もしもっと大きなものも収納することが可能なら、物資の運搬等に関して大きな恩恵があることになる。食料や飲み水の貯蔵も可能になり、緊急時に役立つだろう。

 国広は、つまり事前に弾を込めておき、その状態のままインベントリに収納したことで素早い銃撃を可能にしたのだ。

 そうしてダークレイス戦の反省などをして、全員が食事を終えた。今日はもう、訓練の予定はない。暇を潰すために皆がこの場に何となく留まっていた。

 

「なんかさ、このメンバーでカラオケとか行ったら、楽しそうだよね」

 

 久慈が下田のベッドに転がりながら言う。それに反応して、高原が面白そうに下田の方へ笑いかけてくる。

 

「確かに。祐馬君と下田が、どんな曲歌うのか気になるし」

「俺は? ねえ」

「あんたはミレーヌとデュエットでもしてろよ」

「はあ? な、なななんであの人が出てくるんだよ。頭おかしいんじゃねえの」

「似合わなすぎてうける―」

「うるせえ」

 

 国広も、楽しそうに頷いた。

 

「帰ったら、すぐに行こうよ。駅前の、えっと、どこだったかな」

 

 下田も、仮定の話ではあるが、戻った後のことに思いをはせた。母のこともそうだが、他の人達はどのような反応をするだろう。一クラス分の人数が丸ごと消えてしまったのだ、今頃あっちでは大騒ぎになっているかもしれない。

 ずきり、と頭が痛んだ。何か一瞬映像が視界をちらついた。しかし、理解する前に消えてしまう。

 カラオケの店を思いだそうとして考え込んでいる国広に向かって、芳野が言いにくそうに尋ねた。

 

「あのさ、祐馬君の彼女って、どこの学校なの? 詮索する気はないんだけど、やっぱり、気になってしょうがない」

「滅茶苦茶幸せな人だよね。羨ましいわぁ」

 

 高原が嘆いてみせると、久慈がその脇をつっついた。

 

「ちとせだっていたじゃん。より戻そうとは思わないの」

 

 途端に、彼女は嫌そうな顔になる。

 

「ほじくり返さないでよ。あ―、今思い出しても吐き気がする」

 

 途中で別の人の恋愛話が掘り起こされていく中、国広はまんざらでもなさそうに頷いた。

 

「別にいいよ。今までは黙ってたけど、皆になら話してもいい。確か、あそこの…」

 

 そこで、言葉が途切れた。他の者は、ついに彼の事情が知れると思い注目している。国広が続きを言おうとしないのは、ためているだけだと最初の内は思っていた。

 彼の口が、何かの言葉を形作ろうとし、その途中で閉じた。幾度かそれを繰り返して、次第にその顔から血の気が引いていった。

 妙に空いてしまった間を補おうと、草野が突っ込みを入れる。

 

「おい、どうしたんだよ」

「わから、ない」

「は?」

「わからないんだ。彼女の、姿は、はっきり覚えているのに。どの学校にいるのかも。名前すら、わからないんだ」

 

 国広は今までにないほど動揺していた。いつも冷静だったはずの彼の変貌に下田は、初めは疑いの方が強かった。まさかとは思うが、その彼女というのは妄想ではないのか。そうだとしても、他の大半の女子が喜ぶだけだが。

 そんな下田の思考を呼んだかのように、国広が肩を掴んできた。

 

「答えてくれ。俺達の学校の名前は? 場所は?」

「え、そんなの…」

 

 すぐに答えようとした時、そもそもその答えすら持っていない自分に気がついて愕然とした。登校する途中の風景や、学校の姿などは明確に思い出せるのに、それがどんな名だったか、どのクラスに所属していたのかさえ、思い出せなかった。記憶には、間の抜け落ちた空虚さだけが残っていた。

 それどころか。下田はぞっとする。自分がこの世界に来る直前、何をしていたのかさえ思い出せない。母のことは幸いにもしっかりと覚えているが、中学生以前に関してはほとんど頭には残っていなかった。

 手術。そう、母の癌の摘出手術が次の日まで迫っていたのはわかる。だが、それがいつなのか、具体的な日付がわからない。カレンダーにチェックを付け、その日が来るのをじりじりと待っていたのは覚えているのに、春なのか、冬なのか、季節がいつだったかも思い出せなかった。

 

「体育大会は、もう終わってるよな」

「違うでしょ、まだ新学期が始まったばっかりで」

「確か後期の中間テストが終わったすぐじゃなかった?」

「まだ夏休みだったっけ」

 

 互いに記憶の齟齬が大きかった。共通しているのは、普通、忘れるはずのないことを、忘れてしまっていること。両親や兄弟の名を思い出せない。唯一下田だけが、肉親のことをはっきりと覚えていた。

 それぞれの動揺は大きかったが、最も取り乱しているのは高原のようだった。亡くなった母親の姿すら、微塵も思い描けないらしい。その不安と罪悪感の大きさは、他人が想像できるものではない。

 

「もしかしたら、一度死んだからか…」

 

 ぽつりと、草野がつぶやいた。その意味することに気づいた下田は、呆然と言う。

 

「それって、死ねば死ぬほど、記憶がなくなっていくってこと?」

 

 嫌な事実だ。つまり、不死身でいることに、リスクが付きまとうことになる。肉体が滅びることがなくても、もし何もかも忘れて、自分が何者かさえ分からなくなったら、それは死んでいることと同義ではないだろうか。

 

「そうとは、限らないかもしれない」

 

 恐怖で沈む空気を断ち切るように、国広が言った。彼は何かを考え込んでいるような顔をして、一語一語確かめるように言葉を紡いでいく。

 

「気づくきっかけは前にあったんだ。ダークレイスに負けてから、一度話し合う機会があったよね。記憶に抜けがあるなら、普通そこでわかっていてもおかしくないんだ」

 

 その時は互いに自分のしたい事について言い合った。家族の話もたくさん出てきたのだ。確かに、死が記憶を持っていくのなら、あの時点で異常に気がついてもよかった。

 

「つ、つまり、どういうことだよ」

 

 草野が理解し難い様子で尋ねる。記憶がなくなっているという現状を受け入れるだけでも困難なのに、さらに何かがあるなどという事実には、下田も戸惑いしかない。

 

「俺達は今まで、忘れているっていうこと自体にすら気がついていなかったってことだ。もしかしたら、記憶の欠落は、もっと前からあったかもしれない。死のせいで忘れてしまったと考えるのはまだ早い」

 

 言葉を着ると、国広は周りが話を飲み込む状態にはないことを理解したらしく、首を振って、ベッドに寄りかかった。

 

「ごめん。余計な推測だった。実際はどうなのかはわからない。一つ言えるのは、この世界が普通じゃないってこと。あっちに戻ったら、全部元通りになるよ」

 

 それが確証のない慰めだとしても、国広の言葉ならと他の者達も落ち着いた。結局は、気を抜いたらだめなのだ。不死身とはいえ、死のペナルティがソウルを失くすこと以外ないとも限らない。命を第一に行動するのは、変わらなかった。

 

「この話は俺達の間だけにしておこう。無理に混乱させるのも可哀そうだ。あと、俺が銃を使った事も黙っておいてほしい」

「なんで?」

「そうだな、強いて言うなら、本来ここにあるはずのない技術を広めるのは、良くない気がするんだ」

 

 下田は、その時の国広がどうにも気になった。言葉自体はもっともらしいが、彼はあまり本気で言っていないように聞こえた。それに、なぜか一瞬何かに怯えるような表情もしたのも、印象に残った。大切な人を思い出せない恐怖とは、また違うような。

 一体、何を考えたのだろう。

 

 

 

 

      ◆

 

 

 灰達になされている説明を、貴樹はそわそわしながら聞いていた。

 

「右の手の甲を見れば、誓約印があるのがわかるでしょう。それを誓約主に示して忠誠の言葉を捧げれば、誓約成立となります。暗月の剣の場合は私ですね」

 

 ヨルシカが皆の前に姿を現した段階から、その印は現れていた。貴樹にもだ。炎の中に、大剣が突き立っている模様。一人一人それは異なっているらしく、見た目のいい印が現れたと喜ぶ幼稚な生徒の姿を内心こき下ろすのはなかなか楽しかった。

 大事な話をしているが、今祭祀場にはほとんど戦士が残っていなかった。ミレーヌの隊や、アンリとホレイス、フォドリック、シ―リス、ユリア、ジ―クバルドが不死街の方にまで出かけている。エルドリッチ勢の残党や、他の対立勢力の警戒にあたっている。

 

『お前は、どれにするんだ』

(太陽の戦士一択だな。迷うまでもない)

『へえ。意外だ。てっきり暗月かと思った。女多いし』

(あのな、俺が本能だけで行動していると思うか? むしろ暗月は一番近寄りたくないね。不確定要素が多すぎる。ロンドール側のユリアや、本来ならアノールロンドの塔に閉じこもっているはずのヨルシカがいる時点で、面倒にもほどがあんだろ。これは論外として、狼血の騎士もよく知らねえし、残った一つしかないんだよ。ジ―クさんとグンダがいるってのもやりやすそうだしな)

 

 他には、生徒の希望も集まらないと見越していることもある。ジ―クバルドは彼らにも受け入れられている傾向があるが、グンダとの溝は未だに深いようだ。邪魔な存在がいないというのも、ありがたい話だった。

 誓約の儀式は、明日行われる。それを最後に言って、ヨルシカは戻っていった。

 解散という形になった所で、貴樹はすぐに歩き出す。地下の修練場に向かい、イリ―ナが奇跡の指導を終えるの待ってから彼女と話す予定だった。かなり忙しい身分らしく、時間を取るのも、二日ほどかかってしまった。

 

(ひもりんともまともに話せてねえし。焦らしプレイは大嫌い)

『火守女の方は、お前がコミュニケーションを取れなかっただけだよな』

(おだまり)

 

 相変わらず、彼女と話すのは慣れない。

 イリ―ナの指導が終わるまで、ただ待つだけの時間が過ぎた。エスト瓶がない状況下で唯一の回復手段であるためか、基礎的なものから丁寧に生徒達は教えられていた。一番上達が早かったのは、下田だ。傍目からは奇跡の進歩など具体的には理解し難かったが、周りの反応で何となくわかった。

 そうして退屈極まりない時を耐えた後、イリ―ナが修練場から出ていったので、それについていこうとする。

 歩き始めた貴樹の背に、声がかかった。

 

「ちょっと」

 

 聞こえないふりをして、そのまま進む。慌てたような足音が追いかけてきて、腕を掴んできた。案の定、振り返ると実織がいる。

 

「話したいんだけど、いい?」

 

 周りの生徒は気を遣ったのか、誰ひとり残らず去っていった。それをしっかりと確認して、貴樹は舌打ちを連発した。実織も不快そうな表情になる。

 

「せめて何か言ってよ」

「なあ、今俺は最高に忙しいんだ。糞ガキにかまってる余裕があると思うか」

「私のことはどうでもいいから。他の人達と話してあげて。あんたずっとどっかに行ってたみたいだけど、それでさびしがってる子もいるから」

 

 貴樹は呆れを通り越し、可哀そうな思いで彼女を見下ろした。

 

「無理。じゃあな」

 

 実織の腕を振り払い、足早に立ち去ろうとする。彼にとっては、自分の存在が他人に大きな影響を及ぼし得ると自覚はしている。だが、そのことを尊重し行動するかと言えば、馬鹿らしいにもほどがあると考えている。

 

「また、あの人の所に行くの? あんたって本当に意味わかんない…」

 

 最後にそんな声が聞こえてきたが、立ち止まらずに修練場を出た。

 

 

「話とは、一体何ですか?」

 

 ついにイリ―ナを呼びとめることに成功した貴樹は、すぐに事情を説明した。

 彼女の反応は、困惑がほとんどを占めていた。

 

「確かに長い時間がかかりますが、瞳が良好な状態であるのなら、視力を取り戻すことはできます」

「よし」

 

 拳を握りしめ、喜びの声を上げる。エルドリッチがなぜ火守女の目を大事に保管していたのかはわからないが、この時のためと思えば感謝の念さえ湧いてくる。

 そんな彼の様子を、イリ―ナは複雑そうに見ていた。

 

「ですが、火守女が視力を取り戻すということが、どういう意味かわかりますか? 私も、篝火に仕え守る身となるために、自分で両目の神経を切りました。貴方の行おうとしていることは、彼女に自身の使命を放棄させるのと同義です。どのような思いがあるにせよ、よく考えてください。彼女が、本当にそれを望んでいるのか」

 

 裏切り、と、ゲームでは評されていた。複数あるエンディングの一つ、「火継ぎの終わり」を見るためには、火守女に瞳を渡すことが条件となっていた。それが使命に背くと知りつつも、プレイヤーの決断に全てを委ね、最後には火を絶やした彼女。

 しかし、実際の火守女はどこかゲームの彼女とは違うようだ。自らの使命に対し、より強固なこだわりを見せている。ただ瞳を持ってきたと言った所で、やんわりと拒絶されてしまうだろう。では無理矢理にもとなっても、貴樹自身の気持ちが許さない。彼女にはちゃんと納得して幸せになってほしいのだ。

 

「僕も、そう思います。しっかり彼女と話してみます」

「互いに良い結果となるのを願っています」

 

 貴樹は早速火守女に会いに行こうと、篝火の広間の方へ向かっていった。

 その後ろ姿を、イリ―ナはじっと見ている。

 本当に不思議そうな顔で。

 

 

 貴樹はものすごい緊張と戦っていた。

 

「き、ききききき」

『どうした。落ちつけよ。深呼吸しろ』

 

 何とか、火守女を自分の部屋へ呼ぶことに成功した。彼女は従順だから、ただ頼むだけで何の障害もないと普通は思うだろう。しかし、それだけのことも貴樹には一大事なのである。

 呼ばれたものの何の指示もされない火守女は、静かに立って彼の言葉を待っている。

 

(き、今日は、ちょっと暖かいね。ひもりんは大丈夫? その衣装暑そうだけど)

『おれに言ってどうすんだよ…』

 

 一時的なコミュニケーション障害に陥っている彼は、何とか絞り出すようにして声を出した。

 

「こん、こんにちは」

 

 銀の髪を揺らし、彼女は頭を下げる。

 

「はい。務めはつつがなく果たさせていただいています」

「う、う―」

 

 唸りだした貴樹。完全に情緒不安定だ。

 

「どうかしましたか。何か、私に不都合がありましたら、遠慮をせずにおっしゃってください」

「違うんだ。そうじゃなくって、うんと。頼みたいことが、あってさ。ひもりん、その、それを外してみてくれないかな。本当の素顔を見てみたいんだ。そうすれば、二人の距離は縮まる。そうに違いない。そうだ、まずは互いに全てをさらけ出そう! 俺もこの下着脱ぐから、あますとこなくお見せしますっ!」

『お前変態みたいになってんぞ。あ、もともとか』

 

 話しているうちに段々興奮が高まってきて、最後には訳がわからなくなった。例え外見が良くても大半の女性が逃げ出すに違いない言動だが、火守女は話を真摯に聞いていた。

 

「これ、ですか」

 

 彼女が、自分の目元を隠している銀の頭冠を手で示す。

 貴樹は、いきなり本題から入ることを選択しなかった。まずは遠回りに話題を振っていって、彼女に自分の目に関することを受け止める準備ができたら、瞳を見せるという考えだ。結局は体の良い理由に過ぎず、要は彼が臆病なだけだった。それと純粋に、覆いの下がどのようになっているのか気になっている。

 

「うん、大丈夫かな」

「はい。そう望んでおられるのなら。ただ、お見苦しいものでしかないと思います。灰の方が、ご覧になる価値などありません。覆いが必要なのは、醜いからです」

 

 彼女の、自分を卑下する態度にもどかしさがつのった。彼は反射的に彼女の両肩を掴んで、大きく首を振った。

 

「ひもりんの体で、醜い所なんて一つもない。むしろ全部綺麗だ」

(なめなめしたいです!)

『お前のキモさがどんどん記録を更新していくな』

 

 彼の発言に、はっきりとした感情を火守女は見せなかった。少し顔を上げて、貴樹の顔を観察している。理解できない相手を疑問に思うかのように、首を傾げた。

 

(よく考えた距離近くね? 死ぬうううううううう)

 

 悶えそうになりながらも、貴樹は切に頼み込んだ。

 

「だから、外してみてくれないか。大丈夫。俺は醜いなんて思ったりしないよ」

「わかりました」

 

 予想していたよりもあっさりと火守女は承諾し、頭冠に手をかけた。その様子を、唾を飲みこみながら見守る。秘められてきた彼女の素顔が、ついに明かされるのだ。頭が熱で朦朧としていき、膨れ上がる期待が胸を痛いほどに叩いた。

 興奮しているが、この時貴樹はある程度の覚悟をしていたのだ。彼女の言う通り、その覆いの下は何か人を不快にさせるものがあるかもしれない。例えそうだったとしても、決して嫌悪を表に出すことはしないと、心に決めていた。

 しかし。

 彼は、一気に全身が冷えた心地になった。

 

(なん……だ、これ)

 

 瞳が取られているから、目の部分には虚ろなくぼみがあると思っていた。彼の予想は外れ、火守女のそこには、既に先客がいた。

 黒い、膿のようなもの。絶えず細かく動き、小さな触手を、貴樹に向かって伸ばそうとしていた。見る者が本能的におぞましさを感じてしまうような光景だ。火守女の顔にあるものとしては、あまりに不気味だった。

 

「ありがとう…」

 

 最初、それは火守女が言ったと思っていた。しかし、その声はざらつき、男とも女とも取れない不協和音の混じったもので、別の誰か、いや何かが発したものだとすぐに理解した。

 膿は瞬きする間に火守女から飛び出し、貴樹の体を覆うほどの大きさにまで広がった。そして、その膿から、嬉しくてたまらないといった笑い声が聞こえてくる。

 

「ワタシを助けてくれて、本当にありがとうねぇ」 

 

 衝撃で動けないまま、眼前が闇で覆われていく。

 

『おい、タカ――』

 

 何の声も聞こえなくなり、意識が沈んでいった。

 

 

 

 

  ◆

 

 

 下田は、草野と腕相撲をしていた。

 別に何か特別な意味合いがあるわけではない。草野がやろうと持ちかけてきたので、それに応えただけだった。それに、自信もあった。大抵の場合、下田がいつも勝っていたからだ。虚弱そうに見えて、案外彼は腕相撲がそれなりに強かった。草野が弱すぎるだけかもしれないが。

 

「はい、勝ったああああ」

 

 だが、ものの見事に完敗する羽目になった。まるで、歯が立たなかったのだ。それこそ別人を相手にしているかのように、少しの抵抗もできなかった。

 

「なんで?」

 

 悔しさよりも、不可解という感情が勝っている。

 

「だから、言ったろ。成長してんのさ。レベルが上がってるってやつ」

 

 国広も、同じことを経験しているらしい。前衛の役割を持つ男子の大半が、身体能力の向上を実感していると話には聞いていた。しかもそれは腹筋が割れただとか、そんな些細なものではなく、それこそ今まで叶わなかった相手にも力で圧倒できるほどの成長なのだ。例外は下田で、自分の体が軽くなったとは、とても思えないでいた。

 

「ここに来た時の、格好が影響してるのかもしれない。男子のほとんどが戦士みたいな恰好をしていたから、腕力が高まる傾向にあるのかもしれない。多分、前衛と後衛の差はこれからどんどん広がっていくと思う」

「僕は違うんだね」

 

 溜息をつくと、草野が言ってくる。

 

「お前は女子の間に混ざる特権があるだろうが。それで満足しとけよ」

 

 隊の全員が集まって、溜まったソウルのやりくりをしていた。必需品もそうだが、皆が望んでいたのは、自身の固有能力の強化だ。

 草野はより相手の振るう武器の軌道が読めるようになった。その成果は、ジ―クバルドとの打ち合いに何とかついてこられるようになったのが一例だ。聞いている以上にその能力は役立つらしく、国広も素では全然かなわないと言っていた。

 その国広はというと、透明な手をさらにもう一本出せるようになっていた。これでさらに彼の対応力が上がるだろう。

 久慈の分身は、強化したことで本物のようにふるまえるようになった。つまり話したり、表情を作ったり、他の細かい様々な挙動が可能になったのだ。条件をそろえれば、きっと家族でも見分けがつかなくなっているだろう。

 芳野の探知能力も、さらに精度が向上した。範囲も広がり、五百メートル以内ならどんな生体反応も感じることができる。隊の安全も、より保証されるというわけだ。

 一番ありがたいのが、高原の何でも縛ることのできるロープが、同時に二本出せるようになったことだ。おそらく、前衛を支える点においては彼女が一番役立っているだろう。両手と、両足を同時に拘束されてしまえば、どんな強敵でもたまらないに違いない。

 では自分は、となるのだが。強化に必要なソウルは他の者よりもはるかに多く、食事等の面を考慮せずに全てつぎこんだとしても、到底届かなかった。そして、進化という下田だけにしかない項目。気にはなっていたが、今までそれ以外の事で手一杯だったので、考える余裕もなかった。

 火の安寧。篝火に触れている間だけ、周りの時間が止まる。一度も試したことはなかった。やる意味も、必要もなかったからだ。何か邪な用途に使うなど、もってのほか。得体の知れないもののような気がして、手を出しあぐねていた。

 下田は固有能力の欄を開き、強化の文字へ指を触れる。すると、一気に項目が切り替わった。

 

 

「火の安寧+10」

:概念的な篝火に触れている間、自身とその体に触れている他者以外全ての物体が動きを停止する。常時発動。

 

※強化に必要なソウルが足りません。

 

 

 強化したらどのような内容になるのか、事前に確かめることもできる。国広から教えられたことだった。変わっているのは対象が自分だけではなく、複数になっていることだ。これでどう便利になったのか、下田にはよくわからなかった。どちらにしろ、強化には何千ものソウルを消費しなければならないので、実現するのはかなり先の話になりそうだ。

 目の前の篝火を何となしに眺めていると、生徒の集団がやってきた。

 

「お前ら、一回死んだんだってな。国広、お前がいてそのざまかよ」

 

 宇部達の隊だ。下田達とは違う課題を課されていたらしいが、見事に乗り越えてみせたらしい。高坂も追従して笑い、丸戸は仏頂面のままでいる。

 あしざまに言われても、国広は落ち着いて答えた。

 

「確かに、俺の力不足が原因だよ。でも、それよりも前にしくじった誰かは、そんなことを言う資格があるのかな」

「んだと」

 

 驚くべきことに、宇部は剣を抜いた。国広の傍らにいた草野も同じ行動をし、場の空気が緊張に満ちたものになる。

 

「ふん。聞けば、お前らはそこらへんの雑魚に負けたっていうじゃねえか。俺の場合と、相手が違いすぎるんだよ。ロスリックの城壁に行こうともしなかった臆病野郎がほざいてんじゃねえ」

「…まるでゲーム感覚だね。じゃあここでずっと暮らしてみたらどうだい」

「てめえ、ふざけ」

 

 宇部が走り出そうとした時、その前に炎が落ちてきた。ギリギリで後ろに下がり、彼は斜め後ろの方を睨みつけた。

 

「何すんだよ」

「いい加減にしてよ。少しは落ち着きをもったらどう?」

 

 実織は指先で火花を散らせると、下田達の方を向いた。久し振りに彼女を見た気分だ。最近は高原達と鍛錬をすることがほとんどだったから。

 

「ごめんね。この馬鹿がつっかかって」

「いいよ。苦労してるね」

 

 宇部は不満そうに鼻を鳴らして、彼女の方に近付く。そしてローブの襟に手を伸ばし、掴もうとした。その手を、側にいた新宮が弾く。

 

「何しようとしてるの? 実織を傷つけたら、許さないから」

「くそ…」

 

 周りを睨みつけてから、宇部は高坂と丸戸を連れて、外に出ていった。最初の方から心配していたが、やはり隊の結束は良いとはいえないようだ。自分の所と比べて、よくないとは思いつつも、優越を感じた。

 彼らの姿がいなくなったのを確認して、実織は肩をすくめた。

 

「あいつらと一緒に居ると本当に疲れる。下田、そっちは楽しそうでいいね」

 

 自分の方へ話しかけてくるとは思っていなかったので、反応が遅れた。もう忘れかけていたあの醜態が脳裏に浮かんできて、何とか落ち着こうと心がける。

 だが、下田が答える前に高原が言った。

 

「宇部とか、前も酷かったけどここに来てから磨きがかかってるよね。私だったら初日でギブアップしてた」

 

 下田の方を一瞥してから、実織は頷く。

 

「耐えるしかないけど。段々嫌になってきた」

「じゃあ、こっちに入れてもらえばいんじゃない?」

 

 新宮が、良い思いつきをしたとばかりににやりと笑った。

 

「うーん。それならそれでありがたんだけど、でも……」

 

 実織も悩んではいるようだが、まんざらでもなさそうだ。下田の横で、草野が何度も頷いていた。彼も大賛成らしい。自分はどうなのだろうか。人数が増えてくれるのはありがたいかもしれない。と、そこまで考えた時、高原が首を振った。

 

「いや、こっちもこっちで色々あるからさ。とりあえずはこのままでいいんじゃない。祭祀場の人達が決めたことだし」

「合わない人とやっていても、危険が大きくなるだけだと思う。もちろん、無理にとは言うつもりなんて全然ないよ」

「おっけー。じゃあそんな感じで」

「でも、一応考えてくれてもいいなって」

「え―、それじゃあどっちかわかんない」

 

 下田はどこか背筋が浮き上がるような感触を覚えていた。二人のやり取りはどこかぎこちない。そういえば、学校に居た時に彼女らが話をしていた場面はあまりなかったような。さらにその言葉の全てが自分の方に向いている感じがして、胃のあたりが痛くなった。

 新宮と目が合うと、彼女は笑みを深くした。話題を出した本人は、初めからこれを楽しむつもりだったらしい。

 なんとも言えない微妙な空気を変えたのは、芳野の一言だった。

 

「何これ」

 

 本人としてはちょっとしたつぶやきのつもりだったのが、大きく響いて全員の注目を集めた。彼女は生徒達の居住区へ続く横穴の方を見て、気味が悪そうに後ずさる。

 

「こっちに何か来る。しかも、これ、人間の動きじゃない」

 

 実織と新宮が戸惑ったように固まる中、下田達は一斉に武器を構えた。芳野の探知は絶対だ。その能力に幾度となく危機を救ってもらっているので、信用するのは当然のことだった。

 しかし、警戒はしたものの、その事実が明らかにおかしいことにも気がついていた。あの穴の向こうには休んでいる生徒くらいしかいない。あとは、担任の貴樹が火守女を連れていったのを見た限りだ。一体、何が来るというのだろう。

 やがて、音もなくそれは姿を現した。

 複数の人間が丸ごと入りそうなほどの不定形な物体。黒く、所々が独自に蠢いている。想像したあらゆるものよりも不気味で、誰も動くことすらできなかった。

 時間が止まったかのような奇妙な空間の中、それは秀敏な動きで篝火を見下ろす石の玉座の一つに這い上った。そこには、エルドリッチという名の薪の王の遺体がある。

 下田は、戦慄を覚えた。何か、よくないことが起こる。確固たる予感。

 その行いを止めるには、しかし、あまりにも遅すぎた。

 黒い流動的な物体はエルドリッチの下半身部分にある気持ちの悪い膿の中へと入り込んでいく。直後、上の人間の姿をしている部分が跳ね上がった。

 

「おいおい…、まさか、嘘だろ」

 

 まだ声を出せる分、草野は凄いなと素直に思った。彼の言わんとしていることを、おそらく、全員が考えていた。

 白い手が持ち上がり、指の一本一本を確かめるような動作をしてから、顔がぞっとする笑みを作った。

 

「エルドリッチ」

 

 先ほどからずっと別の玉座に座っていたルドレスが、静かに言った。彼ですらも、状況についていけていない様子を見せていた。

 神食らいと呼ばれた怪物の口が、ゆっくりと開く。

 

「身動きの取れない哀れな薪の王、そして灰の子供達。実に素晴らしい。アナタ達の全てが、ワタシのものになると考えたら、たまらない。精一杯、抗ってみせてねぇ」

 

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