火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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20.訪れた別れ

 火守女は唇を固く引き締め、かすかに震える声で懇願する。

 

「もう、このようなことはおやめになってください。私のような者のために、他の皆様と戦う必要などありません。使命を遂げることだけが、私に求められていることなのです」

「ひもりんは、死ぬのが怖くないの?」

 

 自らの胸に手を持っていき、彼女は俯いた。

 

「わかりません。でも、今貴方がなさろうとしているのは、絶対に許されないことだと、思います。この世界のためになりません」

 

 どこかに強がりや、押し殺している何かがある様子は、一見感じられない。本当に自分の死について、正面からとらえることはできていないのだ。しかしそれでいて、使命の是非に関しては、絶対という強い言葉が出てくる。自らに価値が感じられないから、世界のためにという誰にでもわかる善の価値観に頼る。

 貴樹にとって最大の敵というのは、仕組みそれ自体なのかもしれなかった。別にそんなことは、初めからわかっていたことだ。最初の火を強奪しようと考えていたのだから。

 

「じゃあ、こうしよう」

 

 彼女の手を握り、胸に押し抱いた。

 

「これが終わったら、旅をするんだ。君が見たこともない景色や、場所が、きっとたくさんある。俺にとってもそうだ。全部一緒に見て回って、色んなことを知った後に、もしも考えが変わらないのなら、その意志は尊重するよ。だから今は、君に生きていてほしい。何があっても守る」

 

 貴樹が手を離すと、火守女はゆっくりとそれを下ろした。それからまるで珍しいものであるかのように、自身の手をじっと見ている。

 

「灰様の願いならば、受け入れます。私にはまだ、薪としての格が備わっていません。見識を広げるということですね。貴方の思慮に、感謝いたします」

 

 まだ、彼女は理解していないようだった。自分が意志を曲げずにいれさえすれば、使命を果たすことができると、頑なに信じている。

 

(ごめん、ひもりん。嘘なんだ。どんなことがあろうと、例え君自身がそれを望んでいようと、死なせるわけにはいかない。大丈夫だから。これから、たっぷりと、ひもりんにも生きる価値があるんだって、教えていくからさ。実技で。ぶふふ)

『台無しですね』

 

 桃色の空想に囚われそうになったが、今はそんな時ではないことを思い出す。火守女にこの場から動かないよう何度も言い含めて、彼はヨルシカ達のいる戦場へと戻っていった。

 さきほどよりも、数は減っている。負傷者は運び出されて行ったのだろう。この不死街のどこかに、イリ―ナを含めた奇跡使いがいるのは確実だ。ただ、そこを潰しに行くよりも、目の前の者達全員を処理した方が早い。

 

「火守女の姿がありませんね」

「さあ。知りたければ、僕を倒して訊けばいいんじゃないんですか。結局、それが一番の近道ですよ」

 

 ヨルシカは、いつの間にか白い杖のようなものを持っていた。

 

「我々は、貴方を侮っていたのかもしれません。本当に皆の全力を出し切らなければ、目的は果たされないと、今ようやく覚悟をしました。お願いします、潔く倒されてください」

 

 ミレーヌを含めた狼血の騎士三名は、大剣ともう一本、先が細くとがったナイフを構えている。アンリやホレイス、シ―リスは自分の武器に青黒く符呪をしていた。よく見れば、本来の刃よりも長く伸びている。グンダやジ―クバルド、イーゴンの武器には赤い液体が塗られていた。おそらく毒の類だろう。

 

「シフ。先陣を」

 

 最も変わっていたのは、シフィオ―ルスだった。口に大きな剣を咥えている。その刃は碧色に発光していて、どこか実際には有り得ないような存在感を放っていた。その剣自体には、見憶えがある。

 

(月光の大剣だ)

『やばいのか』

(注意すべき特徴が一つあってな。確か)

 

 シフが顔を動かし、剣を振るう。光る刃が一瞬さらに輝き、半月型の斬撃が実体となって、迫ってきた。事前に予測していた貴樹は、上に飛んでかわす。彼の後ろにあった瓦礫が、綺麗に真っ二つになった。

 

(こういうことだ)

『受けたらやばいぞこれ』

(狼風情が武器を使うなんてな。生意気だ)

 

 一足で、シフは貴樹へと接近し、剣を器用に振り回してくる。口で扱うことは慣れているようで、ただ噛みついてくる攻撃よりも脅威は感じた。だが、横の軌道ばかりで変化に乏しい。相手もそれを自覚しているのか、前足も混ぜてくる。

 当然、残りの者達もただそれを見ているばかりではない。上手く貴樹の死角を突く形で、アンリやホレイス、ジ―クバルドが斬りかかる。それらを紙一重で掴み、かわし、決定的な一撃を入れられないようにした。符呪された武器の威力は侮れない。

 さらには、前衛達の攻撃の合間をちょうど狙って、魔術や呪術が飛んでくる。気づかないうちに、大きな火球が二つ、空中に発生していて、そこからいくつもの炎が生み出されているのだ。一呼吸でも動きを止めてしまえば、残り火の耐久値を一気に減らされてしまうだろう。

 貴樹は素直に感心していた。見事に練り上げられた連携だ。彼らはきっと、相応の時間共に戦ってきたのだろう。もし自分が残り火を得ていなかったら、火守女を守ることは限りなく不可能だったはずだ。 

 

(やはり、俺は運命に愛された男だな)

『そこはおれへの感謝でよくない?』

 

 シフの大剣を足で押し返したと同時に、グンダの斧槍が放たれた。戦士達の間を抜けて、貴樹を真っすぐ狙ってくる。

 

(それも、段々飽きてきたな)

 

 伸びきった鎖の部分を掴み、引っ張る。それだけでグンダの体が浮き、こちらに向かって飛び出してきた。グンダ本人は一瞬何が起こったのわからない様子で、体勢を整えることさえしようとしていない。巨体の下を素早く潜り抜け、太い足に両手を回す。貴樹は小さく息を吐き出し、グンダをバットか何かのようにフルスイングした。

 

(良い道具だ)

 

 反応できたのは比較的遠くにいたシ―リスやヨルシカ、カルラ、オ―ベックだけで、後は全員グンダの体に巻き込まれ、吹き飛ばされた。残像ができるほど早く二、三周回して、彼は用済みとばかりに巨体を全力で放り投げる。グンダは綺麗な放物線を描いて、瓦礫の中に落ちていった。

 大きなチャンスだった。前衛が崩れたのを利用して、ヨルシカへと走る。次の標的は、彼女だ。それほど好きなキャラクターでもないのに加えて、戦闘における出方が一番わかっていない相手でもある。早めに潰しておくに越したことはなかった。

 それをさせまいと、シ―リスが阻んできた。首を狙った正確な突き。残り火が切れていた状態では苦戦した彼女も、今は容易い相手でしかない。エストックの先を掴むと、造作もなく折った。ヨルシカの方へと再び向き直ろうとする。

 その瞬間、貴樹はとっさに後ろへ下がっていた。目の端に高速で迫る刃が見えたからだ。彼の動体視力でさえ、捉えるのが困難なほどの。

 

「これも、避けるのですね」

 

 それを振るったのは、ヨルシカで間違いない。ただ、肝心の刃は消えていた。彼女は杖しか持っていない。ファランの速剣という、魔術だろう。彼は自分が記憶している全ての魔術を、彼女が使ってくる可能性も考慮した。

 

(ん?)

 

 下半身に違和感を感じた。あるべきものがないような、さらけだされているような。

 誰も、考えてすらいないことだった。貴樹の体は残り火によって強化され、無敵の防御を誇っている。しかしその力は、身に付けている物にまで適用されてはいないのだ。 時には林の中を駆け抜け、またある時には激しい戦いを共に乗り越えてきた、相棒とも言える存在。彼のモラルの崩壊を最後の最後で食い止めていた存在が今、限界を迎えていた。要は、避けきれてはいなかったのだ。

 ぱさりと、布切れ同然になった紺色の下着が足に落ちた。土に汚れ、ヨルシカの一撃でとどめを刺されたそれは、完全に死んでいる。

 シ―リスが、目を飛び出さんばかりに開いて、貴樹の下腹部を見た。それから、両手で顔を押さえ、真っ赤になった頬を隠しながら、一歩二歩後ずさる。きゃっ、と短く悲鳴を上げて、その場にへたり込んでしまった。

 

(俺のパンツがあああああああああああああああああああああああああああああ! うわあああああああああああああっ! そんな、嘘だろおおおおおおおおおおお!)

 

 貴樹は絶望した。安売りしてたものを適当に買った、愛着など持ちようもない物だったが、失った今になって大切さを実感する。

 

『これは真剣な戦いじゃなかったんすか』

(俺のち○こを見ていいのはひもりんだけだあああああっ)

『今までのお前の発言の中で、一番きついのがきたな』

 

 まだ間に合うと、片手で股間を隠し、地面にある下着の残骸を拾おうとする。しかし、ちょうどそこに炎が来て、死に体になったそれを燃やしてしまう。

 

(いやあああああああっ!)

 

 貴樹は慟哭した。なぜ、世界は自分に残酷なのか。客観的に見れば意味のわからない悲しみに酔っていると、追撃がやってきた。グンダの体に衝突し、倒れていたミレーヌが斬りかかってくる。しかも、露骨に彼のアレを狙っていた。

 

「いや、ちょ、一回落ち着きましょう」

「そこを潰せば、少しはおとなしくなってくれるのかしら」

(てめえごときに俺の宝刀がどうにかなってたまるか!)

 

 今までの戦いで欠けてきている彼女の兜を粉砕しようとすると、すぐさま後ろへと下がっていく。そして針のようなナイフと剣を両手に構え、飛び上がって再び接近してきた。

 その頭の悪さに、辟易する。彼女が正面から目立った動きをしている間に、背後から二人の騎士が急所を狙ってきているのはわかっていた。あまりにも単純な動きだ。

 ミレーヌの方を向きながら、彼は背中から地面に倒れていく。顔の上を通り抜けていく二本の剣を掴み、握り潰した。その勢いのまま後方へと宙返り、騎士二人の後ろへ回ると、同時にそれぞれの頭を押さえ、下に衝突させた。兜が割れ、骨が砕けるような音がした。

 前をみると、ミレ―ヌが剣を振り下ろしてくる所だった。それを腕で受け止めると、もう片方のナイフを顔へと突き出してくる。頬に先が当たる直前で、彼女の手首に腕を回し、瞬時に足を払って、綺麗に投げる。地面に押さえつけた後は、両方の武器をすぐに取り上げ、はるか遠くへ捨てた。

 

(じゃあな)

 

 起き上がろうとする彼女の胴体に、拳を打つ。苦しそうに顔を歪め、そのまま意識を失った。口の端から血の泡が漏れる。おそらく、肺に肋骨が刺さっているのだろう。この世界の治療技術ならば、どうということはない傷だ。

 貴樹の体に、光の輪がいきなり巻きついてきた。

 

「拘束した! 今のうちに」

 

 カルラの言葉を最後まで聞かないうちに、彼は全身に力を入れた。知らない魔術だ。前にも、マクダネルがアンリに使っていたのを見たことがある。だが、彼はそれが迫ってくるのを知りながら、あえて受けた。

 

「無駄だ。腕力でどうにかなるものじゃない。こうなったら最後、私が解くまで放さない」

(ちょっと得意げなカルラさんも、なかなか可愛いな)

 

 少しだけ本気の力を込めると、いとも簡単に輪は割れていく。カルラは、目の前で起こった事実に、しばらく動けないでいる。

 

「まだ、やりますか?」 

 

 貴樹はここが区切りだと感じていた。手を出しあぐねている者達に向かって、堂々と胸を張る。ただ、両手で下腹部を隠しながらなので、全くもって威厳というものがない。しかしそれがかえって、相手に彼の底の知れない不気味さを感じさせることにもつながっていた。

 

「何度も言ったように、今、貴方達と戦うつもりはなかったんです。当面の目標は、エルドリッチ。あの人食いに必要な情報を聞き出し、それから殺す。だからここは見逃してくれませんか」

「…アンリ、ホレイス、グンダ。彼に攻撃を続けてください。表面上は平気に見えても、確実に損害を与えているはずです」

 

 ヨルシカの言葉で、彼らが向かってきた。貴樹は溜息がつきたくなる気持ちになって、拳を構える。大きな力を得たからには、手に汗握るような戦いも期待していた。だが、今のこれは全く楽しくない。限りなく無駄だ。そこは、相手方と意見が一致している。

 グンダの斧槍を弾き、その体を殴り飛ばそうとすると、アンリとホレイスが止めてくる。二人の攻撃は息が合っている。一人では容易に隙が見つけられても、このように互いにカバーし合うような戦い方だと、貴樹でも攻めづらい。それでも、特にアンリの方が、今までよりも動きに精彩を欠いているように思えた。

 

「アンリさん、僕は貴方を傷つけたくない」

 

 彼女は黙っている。

 

「貴方は優しい女性だから、迷っているのもわかります。僕は、この世界がどうなってもいいだなんて考えてはいません。ただ、あの人に死んでほしくないから、こうするしかないんです」

 

 無反応を貫いていて、顔も兜で隠れているので、どんな表情をしているのかはわからない。しかし、剣筋には如実に表れていた。ホレイスでも庇いきれないほどの隙が生まれる。

 

「すみません」

 

 彼女の懐に潜り込み、中段の蹴りを放った。鎧の金属に足がめり込み、アンリは受け身すら取らずに転がっていく。

 

「ホレイスさんも、同じですよ」

 

 突進してきた彼の肩に手をかけ、そこを支点にして側転する。相手が振り向こうとする前に、背中を思いっきり殴り飛ばした。ホレイスの体は宙を飛び、廃屋の二階部分に突っ込んでいく。

 グンダが上から降ってくるのを、貴樹は当然のように理解していた。刃をかわした勢いのままに、その側頭部へ肘を打つ。それから間髪入れずに、顔を連打した。

 

「ぐ…」

 

 少し後ろへ引くも、グンダは倒れない。さきほどもそうだったが、彼だけは、貴樹の攻撃があまり効いていないようだった。頑丈さだけなら引けを取らないだろう。

 どうしたものかと考えていると、何の気なしに打ち出していた拳が掴まれた。そして引き寄せられ、武器さえ捨てたグンダに拘束される。もちろん、貴樹にとっては意味の成さない行動だ。

 

「もう無駄ですよ」

「遠慮をするな、ジ―ク! 我輩ごとやれ」

(何だ―――?)

 

 顔だけ後ろを見ると、ジ―クバルドが剣を構えていた。しかし、おかしいのはその刃が届く範囲よりもずっと遠くに立っていることだ。ヨルシカ達もさらに奥へと引っ込み、まるで何かに巻き込まれないようにしている。

 貴樹は既に、強烈な悪寒の原因を、つかみかけていた。ジ―クバルドの持つ大剣。それはいつも彼が振るっているものとは違っている。刃はぼろぼろで、柄らしい部分が布でまかれただけの素朴な見た目。特徴らしい特徴と言えば、その刀身が白い霧のようなものを纏っているくらいだ。

 

(おい、まさか、スト―ムル―)

 

 ジ―クバルドが大剣を振り下ろす。その瞬間、暴風が発生した。一か所に押し込められた力がさらに凝縮し、鋭い斬撃の刃となって貴樹へと疾走する。

 

 

 

 

  ◆

 

 

「患部を癒す時は、ゆっくりと、光を抑えてください。骨をつなぎ合わせる時の痛みを和らげるのが、貴方の役目です。もう少し手を近づけて」

 

 イリ―ナの指示を聞きながら、彼女と共に運ばれてくる負傷者の治療に当たる。今までただ奇跡の光を当てれば傷が治っていくというようなやり方しか知らなかった下田にとっては、学ぶことの多い時間だった。

 

「イリ―ナさん、こっちは終わりました。確認してください」

 

 新宮が額の汗をぬぐって申告する。実は彼女も、奇跡が使える。固有能力は詠唱を奪うというものだが、これの利点は相手の術を中断させることだけではなく、習得する際にも大きく役立つということだった。カルラやイリ―ナが示して見せる術の手本をすぐに真似できる。それによって、彼女は三術をそつなく扱えるようになっていた。

 

「たいしたものだ。これで、また戦える」

 

 新宮に治療を受けていたフォドリックが、起き上がろうとする。その前にやんわりと、イリ―ナが止めた。

 

「じっとしていてください。ただでさえ、貴方の体はぼろぼろになっています。数日は休まないといけません」

「しかし、シ―リスがまだ戦っているのだ。儂が先に倒れてどうする」

「どうもしませんよ。自然なことです。ご自分の御歳を考えてください。フォドリックさん、貴方を見ていていつもはらはらしています」

「うむ…」

 

 さあ、と彼女が軽く彼の肩を押し、再び敷布の上に寝かせる。フォドリックはそれから、ぎょろりと下田の方を見てきた。口髭を生やしているのもあってか、なかなか迫力がある。年相応の貫録も出ていて、そんなフォドリックに堂々と言い返せるイリ―ナは凄いと思った。

 

「あの男は、まだ粘っているぞ。儂が今まで見た中でも、一、二を争う強さだ」

「そう、なんですね」

「我々も、余裕がなくなってきている。あやつを止めるには、一度殺さなくてはいけないかもしれん」

「…」

 

 長い、というのは下田も感じていた。初めはすぐに終わると思っていたのだ。たとえ説得が失敗に終わったとしても、祭祀場のほとんどの戦力を相手にして、貴樹が持ちこたえるとは思えなかった。彼は下田では計りきれないほどの力があるだろうが、それはヨルシカ達にも言えることだ。

 

「おい、女。何度も言ってるがな…」

 

 事前に周囲の亡者達はあらかた一掃していたが、完璧ではない。臨時に設けられたこの治療所を守るために、実織とホークウッド、高原がいた。ただし、二人は協力できてはいないようだ。

 

「何ですか」

「呪術を無闇に飛ばすな。邪魔でしかない」

「そっちの方も、身が入っていないようじゃないですか。イリ―ナさん達の方に亡者が抜けそうになったのを何度カバーしてあげたと思ってるんです?」

「そりゃあ自分の命が一番大事だからな。仕方がない時もある」

「邪魔なのはどっちだか」

 

 二人を補助している高原が、その言い合いに割り込む。

 

「議論するのもいいけど。ちゃんと前に集中してよ」

 

 それっきり三人とも黙り込み、なんとも言えない空気になった。下田も治療の方に集中し、何かを話そうという気遣いをする余裕もなくなる。全員が、割り切れない何かを抱えているようだった。それもそうだ。本来なら、今ここでこうしていること自体が、有り得ないはずなのに。

 

「いつか、こうなるって思ってた」

 

 実織が予想外の言葉をぽつりと漏らした。胸に秘めていたことを告白するような、それでいてどこかすっとするような表情で言う。

 

「あいつは、ろくでもない人間だから。自分のことしか考えない。他人がどうなったって、気にしない奴なんだ。この世界のことだって、誰よりもよく知ってた。ゲームを相当やりこんでた。それなのに、皆に黙ってた。あんな兄を持って恥ずかしいよ」

 

 良い気分はしない。例え彼女の言っていることが本当だとしても、実の家族に対する嫌悪を示されるのは、嫌だった。

 

「先生が知っているってことを、あんたは黙ってたんだ」

 

 高原が鋭く指摘する。

 

「もっと早く、先生のことを話せたはずじゃん。それでもこうなるまで黙ってたってことは、つまり庇ったんでしょ? 突き放すような言葉使ってるけど、結局内心は真逆ってわけね」

 

 実織は、高原を睨んだ。

 

「違う」

「あたしは責めてるわけじゃない。自分の気持ちを裏切ってまで、嫌な言葉を口にするなって言ってんの。確かに先生は悪いよ。でも、あんたにそれを咎める資格はない」

「二人共、そこまでにしてください」

 

 さらに険悪になりかけた所で、イリ―ナが諌めた。

 

「今は、彼が戻ってくることを信じましょう。フォドリックさんの言う通り、あの人を傷つける選択をするかもしれません。殺すことも、やむを得ない場合があります。それでも、復活した彼が本当に大事なものが何なのかを、思い出してくれると信じましょう。私達はここで待っていることしかできませんが、今まさに戦っている人達のためにも、協力しなければいけません」

 

 言っていることは正しかった。運ばれてくる負傷者を見て、貴樹に対する不信が高まっていた下田は、考えを改めた。先生はおそらく、今とても悩んでいるのだろう。彼が去った直後は裏切られたという気持ちが強かったが、よく考えてみればその行動原理はわからなくもない。火守女も、実織達も両方大切に思っているのだ。苦渋の決断だったに違いない。

 高原が、こほんと咳払いをした。

 

「あ―、ちょっと言い過ぎた。私が偉そうに言う資格だってないしね。ごめん、実織」

 

 その謝罪に反応はなかった。妙な間が気になって、下田も実織の顔を見た。

 

「殺すって、言いました?」

 

 目は真っすぐイリ―ナに向けられている。

 

「はい。彼が固い意志を持っているのなら、単なる話し合いで解決はできないということす」

「ど、どうしたの?」

 

 実織は動揺している自身に、戸惑っているようだった。言うか言わないか迷うように口元に手の甲を当て、小さく話した。

 

「…ないの」

「えっと?」

「飲んでないの。あの、何て言ったっけ、私達が最初に飲まされたオレンジ色の水みたいなやつ。あいつ、口に含んだと思ったらすぐに吐き出して。結局、そのまま」

「それは、本当ですか?」

 

 イリ―ナが信じられたいというような顔をした。その、深刻そうな表情で、下田も思い出す。火守女の説明では、祭祀場の篝火とのつながりを強固にするための液体ということだったはずだ。つまり、灰と呼ばれている自分達が、本当の意味で不死になるためのもの。

 ということは、彼は不死身ではない。もしかしたら、一度死んだらそれまでという可能性もあるのだ。しかもそのことを、ヨルシカ達は知らない。

 

「知らせ、ないと」

 

 自然に言葉が出ていた。下田の意見に高原も頷く。

 

「おいおい、ここを離れるのは厳しいだろ。亡者が湧いてこないとも限らない」

 

 ホークウッドの反対をイリ―ナが遮った。

 

「いえ。二人ほど残ってくれればそれで足ります。貴方と、サナさんがいれば守りは心配ないでしょう」

「…あんたがそれでいいなら、構わんが」

 

 実織はまだ、躊躇っている様子だった。

 

「行かないの?」

「私は、」

 

 彼女が迷った末、結論を出す前に、下田はこちらに近づいてくる者達に気がついた。そのうちの一つはすぐに誰だかわかった。グンダだ。すぐ横にはシフィオ―ルスとシ―リスがついている。

 間に合わなかったのかと、絶望的な気分になった。しかし、彼らの様子を見て、すぐに自分の思い描いていた結果とはまるで逆になったことを理解する。

 

「ミレーヌ」

 

 ホークウッドが淡白につぶやいた。彼女は目をつむり、グンダの肩に抱えられている。兜が半分に割れて、口の端に血の筋がこびりついていた。

 意識を失っている様子なのは、ミレーヌだけではない。ジ―クバルドやヨルシカ、アンリ、ホレイスはシフィオ―ルスが運んでいる。一様に、防具の一部分が破壊され、武器も皆どこかに消えていた。唯一、無傷と言ってもいいのはシ―リスだけだが、様子がおかしい。忘れたい何かがあるように、しきりに頭を振っていた。

 

「我々は、負けた」

 

 グンダが重く言う。

 

「完敗だ。これ以上戦闘を続けるのは限界だと判断した。負傷者はまだいる。広場の方でカルラ達が守っている。タカキは、既に去った。我々が総力を持って挑んだのにも関わらず、彼は最後まで息すら切らしていなかった」

 

 静寂が、のしかかってくる。心配がなくなったとも言えない。むしろ、問題はさらに困難さを増したのだと、下田にもわかった。

 

 

 

 

 

   ◆

 

 

 瓦礫を取り除き、その中に火守女が静かに座っているのを目にして、ひとまずは安心した。

 

「待たせたね」

「他の、方々は」

「大丈夫。全員、死んでない。手加減はしたよ」

 

 貴樹は笑顔で両手を広げる。その姿を、しばらく彼女は見ていた。間が空くと、やや戸惑った様子になる。自分が何かをすべきなのかと中腰になりかけた。

 

「うーん、まだそういう段階じゃないか」

 

 胸に飛び込んできてくれるのを期待していたが、思い直して彼女を抱き上げる。鼓動が緩やかに高まり、体の芯が暖かくなる心地だった。何だか新鮮な気分だ。仕事に疲れ、沈んだ気分で家に帰ったら、妻が優しく迎えてくれた時のような。未だに緊張は解けないものの、心が癒されるのは事実だった。

 そして、移動を始める。

 

(ふう)

『じゃねえええええええええ! お前、わかってんのか、二%だぞ! 耐久値がもうそれだけしか残ってないにゃあああああああああ!』

(まあ、落ちつけよ。きもいぞ。おっぱい。こういう時こそ冷静におっぱい……ふう)

『お前も頭おかしくなってんじゃねえか』

 

 まさにギリギリの戦いだった。ジ―クバルドが持っていたストームル―ラ―という剣。それは薪の王である巨人ヨームを倒すのに必要な武器で、この世界に二本しか存在していない。一本はヨームの友だったジ―クバルドに託され、もう一本は罪の都の玉座に置かれている。

 その剣が生み出す嵐の刃は強力で、かすっただけで残りのほとんどの耐久を持っていかれてしまった。グンダの拘束を抜け出せていなければ直撃していただろう。そうなれば一巻の終わりだった。

 

『どうすんだよ。これでこの先いけるのか。もし、敵地の真ん中で残り火が切れたりなんかしたら、お前も火守女も死ぬぞ』

(大丈夫大丈夫。一撃も受けなければいいんだろ。おっぱいおっぱい)

『いいかげん、火守女の胸から意識を逸らせ』

 

 不死街の端にたどり着き、見慣れた大きな塔が見えてくる。あそこの中にある仕掛け床を使って下って行けば、生贄の道に入ることができる。

 

(今回で、学んだぜ。俺一人だけで生き残るだけなら、簡単だ。敵を殺しさえすればいいからな。だが、ひもりんを守ることも考えると、俺だけじゃ足りない。誰か、後ろ盾になってくれる奴が必要だ。あるいは勢力か)

『考えがあるんだな?』

 

 祭祀場という安全圏を失った以上、今度は別の集団に目を向ける必要がある。

 

(候補を挙げるとするなら二つ。サリヴァ―ンか、ロスリックに味方することだ)

『理由は?』

(大前提として、火継ぎに懐疑的な陣営達なのはわかるな? ひもりんを薪として利用しようと考える可能性は低い。どちらもそれなりの戦力を持ち、話も一応できる)

 

 サリヴァ―ンは、イルシ―ルという寒冷国の王だ。かつて、ボルドが騎士として仕えていた国でもある。ただ、王位を得るに至った経緯のせいで、特にヨルシカとは対立が深いだろう。間違っても、祭祀場側と結託する気配のないという点では信頼できる。

 しかし、その経緯に絡んで、難点もある。つまり、エルドリッチの助力で彼は目的を果たしたということだ。関係がどれほどのものなのかは推測するしかないが、それを断ち切れる自信はある。

 一方で、ロスリックに関して言えば、心情的に言えばこちらを選びたい気持ちが強かった。利害も一致し、都合上必ずその居城に出向くことになる。問題なのは、そもそもたどり着くことすら困難なことだ。ゲームでは篝火による転送で城壁まで直接移動できたが、実際は祭祀場が保有する白いデーモンしか到達手段がない。

 

『お前の都合って、あれだろ。火守女がロスリックの長女だってことと関係してんのか。天使ゲルトル―ドだっけ』

 

 貴樹は彼女を抱え直した。

 

(お前…、俺があえて考えないでいたことを突っ込んできたな)

『やばいことなのか』

(事実かどうかは置いとくとして、俺にも判断がつかん。確かロスリックの宗教的分断の原因として、挙げられているのは知ってる。それくらいだ。情報が少なすぎる。あんまり本人に詮索しちゃいけないような気もするし、保留だ保留。めんどくさいことは後回し)

『…あのー、もう一つあるんだけど。今まさに俺達が追跡されているのも、後回しにしていいんですか?』

(あー)

 

 ジ―クバルド達を退け、火守女を回収した時からだった。彼女のことも考え全速力で走ってはいないが、ただの亡者が追えるものではない。明らかに熟練した戦士だった。しかもおそらく、複数だ。

 祭祀場の、という線は薄い。彼らのほとんどはすぐに走ることができるような状態ではないし、貴樹をここまで執拗に追う意味もない。

 

(いつまでもくっつかれると邪魔だな。殺すか)

 

 塔の前で待ち伏せしようと考えた所で、彼は後ろを一瞬だけ確認した。

 黒い炎が、地面を走ってきていた。

 驚く間もなく、横へと飛びのく。火守女を庇いながら体勢を整えると、炎は軌道を変えて追いかけてくる。近くにあった木を蹴り倒して、その進路を塞ぐ。四本ほど倒してようやく、勢いが収まった。

 これは知っている。黒蛇という呪術だ。

 

「ひもりん、なるべく地面に伏せてて」

 

 相手に、会話をする気がないことを感じ取り、貴樹は彼女を下ろした。本当ならば、逃げた方がいいのだろう。しかし、放ってきた呪術から、相手の正体に見当がついていた。考えが正しいのならば、追跡から逃れるのは難しいかもしれない。

 木々の間から、まず二人が出てきた。白い装束を着て、微笑んでいる女性の顔が掘られている金の仮面。しかしその下には萎びた亡者の顔があることを、貴樹も知っていた。白い影と呼ばれている者達だ。

 最後に、黒のドレスをまとった女性が姿を現した。その顔もまた、仮面で覆われている。嘴を模した見た目で、およそ人間らしい気配が全く伝わってこない。

 

「ユリアさん、どうしたんですか」

 

 女性は動揺する様子も見せなかった。貴樹にとっては、この姿の方が馴染みがある。ここしばらく、彼はユリアとほとんど話す機会がなかった。というより、彼女が意図的に避けていたと言った方が正しい。嫌われているどころか、殺意を抱かれていたのは知っていたので、こちらから話しかけるのも気が進まなかった。

 

(くそ、ロンドールか。こいつらの相手もしなきゃいけないのかよ)

 

 祭祀場とエルドリッチ達だけに気を付けていればいいわけではない。この世界では、それぞれの思惑で動いている者達がたくさんいるのだ。

 二人の白い影の前に出ると、彼女は平坦に話し始めた。

 

「ヨエル殿を欺き、殺した罪を償ってもらう。そのことに関わらずとも、貴様は危険な存在だ。横にいる薪と共に死んでもらう」

「厳しいですね。僕と貴方の仲じゃないですか」

 

 相手三人の位置関係を観察する。

 

「見逃してもらうわけにはいきませんかね。別に僕は、貴方達をどうこうする気なんてないですよ」

 

 言い切ったと同時に、彼は顔を引いた。目の前を白い影の剣が通り過ぎる。側面に回って、仮面を殴りつけた。もう片方の手で首を掴み、締め付ける。皮が裂け、骨が折れ、頭が首ごと胴体から引き抜かれる。

 手に持った顔を、迫ってくるもう一人の影に投げつけた。それをかわし、相手はソウルの矢を放ってくる。避けるしかなかった。魔術を掴んだ衝撃だけで、耐久値が減る可能性もあるからだ。

 彼がのけぞったのを確認し、白い影が踏み込んでくる。亡者の体とは思えないほど,、素早い突き。貴樹はその軌道を正確に目でとらえ、剣先を掴む。が、掌が触れた直後に、相手が剣に指先を当てたのを、見逃してはいなかった。

 刺突剣が黒い炎で満ち、噴き出してくる。既に後ろへ飛んでいた彼は、火守女を流れるように回収すると、塔の扉付近にまで逃げた。木々が黒く燃え始め、常識では考えられないほどの時間で炭化していく。あれに当たったら最後だろう。

 炎の中から、ユリア達が出てくる。彼女達には黒蛇が全く効いていないようだった。おまけに、首をもぎとったはずの白い影の一人が体だけの状態で立ちあがっていた。

 

(まさに本当の不死人だな。体をバラバラにするまで終わらないってか。めんどくせ)

 

 貴樹は周りの音が次第に小さくなっていくのを感じていた。ノミが何かを言っているが、聞くつもりはない。今この状況への対応に全神経を注がなければ、未来はない。彼がここまで集中したのは、中学生の夏、姉に自慰を見られた時以来だった。

 足下に落ちている石をいくつか拾い、白い影の二人に向かって投げた。残り火による化物じみた腕力で放たれた石は弾丸並みの速さで、それぞれの胸を貫通する。装束に穴が空き、どす黒い血が漏れ出した。それでも、彼らは止まる様子がない。

 ユリアが黒蛇を放った当時に、影の二人が左右に展開しながら迫ってきた。背後にいる火守女の存在を胸に刻み込む。二つの刃が迫る瞬間、彼は息をとめた。

 顔を傾け、ぎりぎりで剣先をかわしていく。頬をかするのも気にせずに、相手の武器を持つ手を捕まえた。すぐさまその場にしゃがみ込み、左右の足を回転しながら払った。腕を引っ張られ、足も崩された影達は、一瞬だけ浮く形になる。わずかな間で、彼は飛び上がり、二つの体をいっぺんに踏みつけていた。地面に叩きつけられた衝撃で胴体が裂ける。その上にいる状態で、目の前にまで来た黒蛇を確認した。

 下も見ずに、影の持っていた剣を蹴り上げる。炎はその刃に引きつけられるように移動し、吸収された。読みは正しかったらしい。この刺突剣と黒蛇は同質の物なのだ。そして影達の体を何度も足で踏みつぶし、執拗に破壊した。下半身が血まみれになってしまったが、必要な処置だ。

 

「いきなり、斬りかかるのは酷いですよ」

 

 今さら、という言葉だった。ユリアはついに刀を抜く。その様子には、配下が全てやられた焦りも恐怖もなかった。

 

「貴様の力には、限界があることも知っている。祭祀場の者達との戦いを観察して、理解した。本当に不壊の装甲を持つのならば、攻撃をわざわざ避ける必要はない。鎧と同じだ。劣化は免れない」

(バレてる~)

『で、でも、一対一なら何とかなるだろ?』

(…相手が、彼女じゃなければな)

 

 ロンド―ル黒教会の三姉妹。彼女らは亡者達の救い手であるとともに、恐ろしく洗練された剣士でもある。その実力は一騎当千に値し、一つの国をも相手取ることができると言われている。つまりその次女にあたるユリアは、数いるキャラクターの中でも最強格だということだ。一撃でもまともにくらえば耐久値が無くなる今の状況において、相手が悪いどころの話ではない。

 ユリアが刀を構えると共に、その周囲にソウルの光球が現れる。厄介なのは、彼女は卓越した剣士であるだけではなく、魔術や呪術にも精通していることだ。こうした相手に一番してはいけないのが、安易な接近戦。手数で劣っている彼にとっては、自殺行為に等しい。

 だが。

 

「ちょっと痛いかもしれませんけど、許してください。絶対に殺しはしません」

 

 貴樹は自分から悠々と歩き出した。

 

(正面から圧勝することで、ひもりんがその格好良さに惚れ、ユリアも落ちる。完璧だな)

 

 武器もない、術にも全く適性がない。そんな状態では、選択肢もなかった。己の体一つだけが、利用できる道具なのだ。追いつめられた状況になってもなお、彼は有頂天のままだった。そこに娯楽さえ、見出していたのである。

 

(これこそダークソウル。この緊迫こそ、醍醐味だ。たまらないね)

『やっぱりお前はお前だな』

 

 彼は決して戦闘狂などではないが、何もかもが上手くいっていたかつての生活に比べれば、はるかに生を感じていた。悩みもない、緊張することもない。常に七割程の実力さえ出せればどんなことでも乗り越えられた。今は違う。全身全霊をもっても、生き残れるかどうかわからないことの連続だ。楽しいに決まっている。

 だから、出方を待っているユリアに対して何の躊躇もなく、自分から向かっていった。

 刀が届く範囲にまで足を踏み入れた直後、彼女の手がぶれる。一瞬で鼻先にまで到達した刃を、貴樹は指で捕まえた。力を入れて折ろうとするも、ユリアが強引に距離を詰めてくる。女性とは思えないほどの力だった。それでも刀を離さないでいると、浮かんでいた光球が消えた。

 彼は素早くしゃがみ、頭上を通り過ぎていく魔術の弾を確認した。剣も術もできる相手は、これが怖い。武器での攻撃を防ぐのに意識を傾け過ぎれば、至近距離からの魔術に対応できなくなる。それまでの経験で、魔術の錬度は速さにも直結すると理解していた。生徒達のは欠伸が出るほど相手に向かっていく速度が遅いが、一流ともなれば銃弾よりも速い魔術が撃てる。

 一度や二度で、攻撃の手が休まるはずがなかった。しゃがんだ勢いそのままに、貴樹は後ろへ転がりながら、追加の光球を避けていく。すぐ側にあった木の裏に回り込み、枝を折って彼女へ投げ飛ばす。ほぼ間髪なく放たれた八の木矢は、全て半分に斬り落とされる。

 その間に貴樹は近くの木を幹ごと折り、抱え上げていた。残心し、構えを崩していない彼女に向かって、それを振り下ろす。だが悪寒を感じ、直前に木から手を離していた。幹を刃が突きぬけ、貴樹の眼前で止まる。

 

迂闊(うかつ)だな)

 

 他にも対応策はあるはずなのに、ユリアは選択を誤った。刀が木の繊維に引っ掛かり、抜けなくなっているだろう。早くもチャンスが巡ってきた。彼女も当然それは自覚しているようで、向かってくる貴樹に、魔術のソウルを連続して放つ。先に来た二本は掴み、それ以外は腕で弾いた。

 

『お、おい、一%をきったぞ』

(大丈夫だ。ギリギリでいける。顔を殴るのは気が進まないが―――)

 

 刀は木に刺さり、武器を失ったユリアの懐にまで接近する。彼女は再び魔術を展開しようとしているが、貴樹の方が速い。気絶させるために顎を狙おうと拳を上げた所で、目の端に何かが引っ掛かった。

 

(鞘が二本?)

 

 彼女の腰に下げられている。だが、肝心の二本目の武器はどこにも見当たらない。

 貴樹は、瞬間、見落としていた可能性に気がつき、本能的に後ろへ飛んでいた。その動きを追うようにして、ユリアの手が振るわれる。何も、握られてはいなかった。いや、そうであるように見えているだけだ。

 首を鋭い何かがかすっていく。依然として刃は見えない。

 倒れた木の所まで下がって、貴樹は気を静めようとしていた。

 

闇朧(やみおぼろ)。ユリアの刀か。刀身が不可視なのは知っていたが、まさか柄まで全部透明とはな)

 

 彼女が黒教会の三剣士の一人として君臨しているのは、その武器の特殊性にも要因がある。初めに持っていた武器は普通の刀だった。本命の方は、相手を虚を突くためにずっと隠されていたのだ。

 ユリアはそれ以上追撃をしてこない。手を貴樹の横の方へと向けた。彼も自然にその先を視線で追う。木に刺さっていたダミ―の刀が黒く発火する所だった。

 

(あっぶ)

 

 炎に巻き込まれる寸前でさらに後ろへと転がり、火守女の側まで退避する。濃い煙が蔓延し、辺りの視界が悪くなっていく。

 

(誘い込まれたな。初めから黒蛇を当てることが目的だったわけか)

『奴の姿を見失ったぞ』

(ああ、厄介だ)

 

 貴樹にとって最も嫌なことは、彼の攻撃が届かない遠くから、魔術で削られることだった。この不明瞭な視界は、そうするのにもってこいの環境だ。ユリアが、彼の力を細かく観察していたのは間違ないようだった。

 

(俺の、嫌がることを理解して行動してる。次、どうしてくるかだ)

 

 魔術の、ソウルの輝きを見逃さないように、目を凝らす。防ぐ自身もあるが、なぜか胸騒ぎが収まらなかった。まるで自分が、見当違いのことをしているような感覚。

 相手の気持ちになって考える。攻撃を確実に当てるために、今、何をすれば最も効果的か。自分が相手の立場なら、何をするか。突くべき穴が、どこにあるか。 

 それは、か弱い存在だ。

 貴樹がついに思い当たり、火守女へと向いたと同時に、ユリアが煙の中から現れた。透明の刃先は確実に、火守女の首を狙っている。自分は一人で戦っていたわけではない。そのことを、貴樹はほんのわずかな間、忘れさせられていた。

 死に物狂いで突っ込み、火守女を抱いてユリアとすれ違う。刃のきらめきが流れていくのを確認するのもそこそこに、受け身をとらずに木々の間を転がった。その勢いですぐに立ち上がり、ユリアからさらに距離を取る。

 

「ひもりん、怪我は?」

 

 彼女を見下ろした時、戦慄した。頬から細い顎にかけて血液が大量に流れている。落ちていく赤い滴が、黒衣に際立つ花を咲かせていた。

 

(くそ、やばい。この量はやばい。どうする、どうする)

 

 自分は奇跡など使えない。大きな怪我は、それだけで終わりを意味する。

 

「灰様…」

 

 だが、彼女の言葉は意外に明瞭だった。恐怖というよりも、むしろこちらを心配するような調子。

 よくよく見れば、彼女の顔のどこにも、傷口はなかった。

 

「は?」

 

 火守女の頬を触ろうとして、貴樹は異変をやっと認識する。指の感覚がやけに鈍いと思ったら、地面に全て落ちていた。より正確に言えば、彼の右手が根元から無くなっている。腕の先は綺麗な切り口があり、そこからおびただしい血が流れ出していた。

 彼女に付いていたのは、貴樹自身の血液だった。

 

『タカキ、今すぐ逃げろ! 畜生、ついに終わった。もう残り火の力は残ってねえ! 早くあの女から逃げるんだ!』

 

 ノミの叫びの意味を飲み込む前に、左腕が飛んだ。ユリアは貴樹を無感情に見下ろしてくる。本当にそうなのかはわからない。仮面に覆われた顔は今、どんな表情をしているのか。自分の命と全く関係ないことを、なぜか、彼は考えていた。

 体が勝手に動き、火守女の前に出る。背中で、彼女の髪の感触を感じていた。

 

(キスくらい、今した方がいいんじゃ)

 

 貴樹の胸を、ユリアは間髪入れずに刺し貫いた。

 

 

 

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