火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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22.法王の試練

(やばいやばいやばい。あの糞ビッチ、頭おかしいだろ。どうにかして、ここから逃げねえと。俺にとっては死にも等しい屈辱が)

『思ったんだけどよ。そこには同意しかねるわ。逆にチャンスじゃねえの? あっちはお前にべた惚れだぜ。上手く懐柔すれば、残り火が復活するまで安全を確保できるかもしれない』

(黙れこの外道め。他人事だと思いやがって)

『まあ、天井の装飾でも分析してろよ。すぐに終わるさ』

(いやだあああああああああああ!)

 

 鉄輪には鍵穴らしきものがある。今の腕力が並の人間未満である以上、鍵を探すしか道はない。だが、さすがに彼女は抜け目がない。見える範囲で、鍵はどこにもなかった。十中八九、彼女が持ち歩いているのだろう。

 発想を変えることにする。鉄輪を外すのではなくて、鎖自体を破壊できないか。もちろん、多少引っ張った程度ではびくともしない。

 ベッドから右手の方にある、部屋の角に棚が並べられている。中には、短刀や長剣、黒い木の杖らしきものが立て掛けられていた。あれら以外に、物らしき物はない。鎖をどうにかするために、何とかして入手する必要がある。

 貴樹は体を揺り動かして、ベッドの外へと移動し始めた。短い距離だが、これがなかなか難しい。普段支える両手足がないと、寝がえりをうつことすらも、全身の筋肉を使わなければらない。

 首に鎖が絡まるのをほどいたりしながら、時間をかけて端まで来た。床まで落ちて、多少進むくらいには、鎖の長さに余裕はあるだろう。はずみをつけて、ベッドから降りる。ろくな受け身も取れないので鈍い痛みが残った。

 棚の方へと少しつづ近づき、顔が長剣に届く手前まで来た。

 

(上手く外さねえと)

 

 留め金もなく、柄の部分を押せば取れそうだ。ただし、気を付けないと倒れたはずみで刃が体を傷つけることにもなりかねない。貴樹は舌を伸ばし、柄に少しだけ触れた。

 

『ものすごく、気持ちの悪い絵面だな』

(黙れ。あ)

 

 もう一度、今度は強めに額をぶつけると、剣先が揺れた。それだけでは収まらず、音を立てて長剣が棚から外れ、ちょうど刃が首に向けた状態で倒れてくる。

 

(おわあああああああああやべええええええええええええ! 刺さるうううううううう)

 

 あわや死という所で、剣にソウルの光球がぶつかった。その衝撃で落ちる軌道が逸らされ、貴樹の顔のすぐ横に転がる。誰かが助けれてくれたのだと理解した所で、満面の笑みになっているクリムエルヒルトが視界に入ってきた。

 

「どうやら待たせてしまったみたいで」

「その、早い、ですね」

 

 彼女は片手で黒のローブを脱ぎ始めている。

 

「両腕はすぐに治したんですが、体を清めるのに時間がかかってしまいました。さて、ベッドに戻りましょうか」

「はい」

「フフフ、従順でよろしい」

 

 抱え上げられ、もう後戻りのできない段階にまで運ばれていく。 

 

(ノミ、助けて)

『もう、くれてやれよ…』

(ひもりん以外の女に捧げてたまるかああああああああああああ!)

 

 貴樹をベッドに優しく下ろした後、クリムエルヒルトは中腰のまま、身に付けたものを外していく。わかったのは、この世界では下着を身につける文化が乏しいということだ。あるいは、彼女がただの痴女である可能性もある。実は、火守女もノーブラだったりするのだろうか。そういうことを考えたりして、なるべく迫る恐怖を意識しないようにした。

 体は、文句なしに綺麗だった。地下牢での出来事を思うと、あの膿が所々浸食しているイメージがあったのだが、全身くまなく手入れされている様子だ。

 

「怯えているんですか? 可愛らしい。一緒に寝るだけですよ。緊張することはありません」

 

 貴樹のすぐ側に横たわり、同じ枕に頭を載せてくる。ほどけた赤毛が、白い額縁の上でだらしなく広がっていく。清めるついで、何らかの香水もふりかけたのだろう。本能的に訴えかけてくるような香りが鼻をついた。

 

「雄々しい…」

 

 クリムエルヒルトの視線が、熱く下の方へと向かう。それがすぐに、怪訝そうな表情に変わった。

 

「元気がないようですね。それとも私のような体では、相手をするに及ばないということでしょうか」

「そういう、問題ではなくて」

 

 貴樹は何とかあがこうとした。

 

「ただ、本当に理解できないんです。誰かに命令されてこんな事をしてるのなら、やめてください。僕は決してなびかないし、貴方も自分を偽ることになる。どちらも得をしません。こういうことは、なんというか、軽々しく行うものでは」

 

 言葉を並べているうちに、自分でも失敗していると気がついていた。彼女は貴樹が話せば話すほど、笑みを深くしていく。見てくる目も、潤うばかりだった。

 

「そんなに真剣に考えていてくれたんですか? ああ、とても、嬉しい。嬉しいです…」

(ちがあああああああああう!)

『何言っても無駄だ。こういう女は、全部都合良く受け止める』

 

 じっと、彼女は視線を合わせてきた。

 

「余計なことは考えなくていいんです。さあ、私の目を見て。気分も晴れますよ」

 

 口が文言を紡いでいく。その唇の動きには見覚えがあるような気がした。頭の芯がぼやけていく。視界が一瞬赤くなり、確かに体全部が緩んでいく心地になった。そうすると、いつからだろう、目の前の女性がものすごく魅力的に

 

(見えるわけねえだろ。アホか)

 

 様子の変わらない貴樹に、彼女は二、三度瞬きをした。

 

「おかしいわ」

 

 そうしてしばらく、一心に目を合わせるだけの時間が過ぎていった。だが、彼は何も感じない。クリムエルヒルトに対する感情に、何の揺れもなかった。

 そんな彼を、彼女はとても珍しいような目つきで眺めている。それから、本当に楽しそうに、くすくすと笑い声をこぼした。

 

「貴方みたいな人、初めてです。魅了が効かないなんて」

(カルラもやってたやつか。くだらねえ)

 

 ほんの少しでも、クリムエルヒルトの裸体に思う所があれば、そこだけが増幅され、彼女の言うことならば何でも聞いてしまう奴隷になっていただろう。それほど恐ろしい呪術なのだが、貴樹にとっては無意味だった。

 

『う~ん』

(なんだよ)

『お前は同性愛者か何かか?』

(なわけねえだろ)

『だってよ、この女は明らかにやべえ奴だが、見た目は悪くないどころか、むしろ大半の男なら、共通してエロいと思うだろ? あのふわふわしてそうな胸に飛び込んでみたくならないのか?』

(はあ――――――――、やれやれ。あのな、好きでもない女の裸とか、グロ画像でしかないんだよ。吐くのこらえるだけで精一杯だわ。こんなものより、ひもりんの腰を眺めてた方がはるかに興奮するぞ)

『ホモじゃなくて精神異常者だったね』

 

 散々に思われている彼女本人は、上半身を持ち上げ、貴樹の胸に飛び込んできた。自らの胸を過剰に押しつけ、耳元に吐息をかけてくる。ここにいるのが、例えば下田だったなら、これだけでもう卒倒していただろう。

 貴樹は気持ち悪さで気を失いかけていた。

 

(うぷ。おえぇ)

 

 彼女は荒く呼吸しながら、貴樹の肩に頬を擦りつけた。

 

「でもよかったかもしれません。もし、術にかかっていたら、絶対に殺していましたから。作り物の愛なんて、続けても虚しいだけです」

 

 彼女から仕掛けておいて、この言葉である。貴樹も貴樹でまともではないが、クリムエルヒルトもある意味自身にしか通じない理屈のようなものを持っていた。それに対する嫌悪と、くっつかれている不快感でおかしくなりそうになる。

 

(ほんとなんなのこいつ)

 

 紛らわすために、何とか声を出す。

 

「へ、変ですよ。第一、貴方と僕はほとんど面識もなかったのに」

「時間ではなく、密度。そうは思いませんか?」

 

 彼女の手が、ゆっくりと動いていく。貴樹の太股を撫で、徐々に根元へと近づいていった。

 

「あの時。貴方が私を貫いた時、とても深い…情を感じました。圧倒的な力に組みしかれる被支配感。どちらかというと、自分が優位に立っている方が好みだったんです。でも、フフフフ。それを貴方が変えてしまいましたね。どうぞ私のことは、クリムとお呼びください。貴方もエルドリッチ様の力を受け入れれば、永遠に一緒にいることができます。ここが不能なのも、これから治していけばいいんです。できる限りのことはいたします。まずは今ここで、いろいろと試していきましょうか」

(聞き捨てならない部分があったんだが)

『ああ、こいつ、お前を守り手の一員に加えるつもりだぜ』

(俺はイ○ポじゃねえ)

『そっちかよ』

 

 貴樹の胸に手をついて、クリムエルヒルトは起き上がる。下半身をずらして、彼の例の部分を握ってくる。はねのけたい気持ちだったが、両手足がない状態ではわずかな抵抗しかできなかった。

 

「一度、入れてみましょう。ふぅ、胸が締め付けられるようです。本当に楽しみ…」

(アアアア、気持ち悪い。というかやばい。食われる。俺の宝刀が)

『じゃあ、おれは目も耳も塞いでおくわ。事が終わるまで、なるべく存在を消しとく。野暮な真似をするつもりはないんでな』

(目も耳も元からねえだろうがああああああああああああああ! お願い助けてえええええええええええ)

 

 貴樹は最期の足掻きを始めようとしたが、彼女の動きが止まったの見て、何やら様子がおかしい事に気がついた。さきほどまでの艶めいた表情は消え失せ、彼の体を観察するように見下ろしている。そして急に耳を彼の胸につけると、目を閉じた。貴樹は抵抗するのも忘れて、その奇妙な行動を見た。彼女は何をしているのだろう。

 

「ふぅん、そういうこと」

 

 彼女は平坦な調子で呟き、貴樹から離れる。ベッドに落ちているローブを取り、身に付け始めた。気が変わったのかと、安心しかけたが、彼女が放った次の言葉で、ぞっとした。

 

「私と、貴方の二人きりだと思ったのに。ずっと耳障りな音がすると思ったら、中に何かがいるんですね。そんな状態では、気分も盛り上がりません。焦らしてくれますね」

 

 何を指しているのかわからないほど、貴樹も鈍くはない。理解しているからこそ、信じられない気持ちが強かった。

 

(こいつ…)

 

 彼の力に、疑問を持つ者はこれまでにもいただろう。しかし、明確にノミの存在を指摘されたのは、初めてだった。

 

「ああ、わかります、わかりますよ。貴方も同じ気持ちのはず。男女の間に割って入るものなど、排除すればいいんです。その方法も考えていきましょうね。エルドリッチ様の膿に食わせるのも一つでしょう」

『ひぃっ』

 

 クリムエルヒルトの視線は、貴樹自身にではなく、その胸の中へと向けられていた。もしそんなことになれば、残り火の力を使えなくなるだろう。しかし、迂闊に話してしまうのも、手の内を知られ厄介なことになる。やはり、このまま彼女に捕まっていては、ろくな未来がなさそうだ。

 彼女は衣装を正すと、貴樹につながっている鎖をソウルの矢で断ち斬った。そして懐から小さな鍵を取り出し、四つの鉄輪も外していく。何をするつもりなのか警戒していると、彼女は自身のローブの一部を破った。黒い布切れを横に広げ、彼の腰に巻き付ける。

 

(あれ?)

『どうした』

(全然痛くならねえぞ。前は、布をはおっただけで、ビリビリきたんだが)

 

 武器や防具を一切持てないという呪いじみたもの。貴樹の股間を隠すための布ももちろんふくまれているはずだが、なぜか何の反応もしなかった。

 

「何を?」

「私は、このままでも素敵だとは思うんですが、一応の礼節は保たないといけませんから」

 

 だが今はそれよりも、クリムエルヒルトの行動の方が気がかりではある。

 彼女が扉の方向を向いたと同時に、部屋の中に細身の騎士が入ってきた。イルシ―ルの法王騎士だ。本物を見れたことに少し感動したが、騎士が真っすぐベッドの方へと歩いてきて、軽々と自分を持ち上げた時、再び困惑した。

まだわかっていない貴樹に向かって、彼女は何でもないことのように続けた。

 

「そろそろ時間です。私と一緒に、王の広間まで移動してもらいます。既にエルドリッチ様を含めた薪の王達の勢力が、会合を行っています」

 

 

 貴樹は喜んでいいのか、はたまた今の自分の状況を悲観すべきなのか、わからなかった。祭祀場の時、NPC達が集結しているのには素直に感動できた。こうなったらいいなという願望が実現した気持ちだ。しかし、これはどうだろう。ただただありえないという思いで、整理するのもやっとだった。

 

「どんな化物が出てくるのかと思えば、五体すら揃っていない男か」

 

 一番最初に貴樹へ目線を向けて、侮蔑を口に出したのは、真ん中の玉座に座っている者だ。白い法衣に飾り付けられた様々な装飾品や、木の枝が幾重にも絡まった形を模している王冠。彼がこの城の主。法王サリヴァ―ンである。

 一番豪華な玉座の左右には、多少格の落とした椅子が並べられ、既にほとんどの席が埋まっている。

 

「久し振りだねぇ。どうやら、とても大変な目に遭ったようだ」

(fuck you)

 

 あとは死ねという言葉しか浮かばなかった。もし次にエルドリッチに会ったら、問答無用で殺すと決めていた。しかし、今の状態では到底叶わない。

 サリヴァ―ンとエルドリッチが共にいるのは予想していたことだ。ただ、クリムエルヒルトの言う会合とやらが、どうやらかなり大きな規模を指しているのだと、貴樹は理解した。

 エルドリッチから少し離れた所で座っているのは、仮面の男と、茸を模した被り物をした術士。ものすごく、会った憶えがある。彼らもまた、貴樹が床に転がされているのを、清々した様子で見ていた。レオナ―ルとヘイゼル。五本指の代表として、来たのだろう。

 サリヴァ―ンの右隣りには、清貧を形にしたような老婆が腰かけている。彼女の後ろには、護衛らしき男が立っていて、貴樹よりも周囲の勢力に警戒しているようだ。

 

(あれは、どう見たってエンマだ。ロスリックの祭儀長が、なんだってこんな所にいる?)

 

 イルシ―ルとロスリックは互いに敵だったはず。人食らいと相容れるとも思えない。

 

「さて、彼が話した通り、ワタシ達の強力な味方となってくれる男だ。彼は単身で祭祀場の戦士のほとんどを相手取り、完勝してみせた。ひとまずはワタシの配下になるが、この同盟全体のために働いてくれると信じている」

「次から次へと、荒唐無稽な嘘が出てくるものだ」

 

 エルドリッチ以外で、笑っている者は一人もいない。サリヴァ―ンが特に、自分の庭が汚されていると言わんばかりに、不機嫌な顔になっていた。

 

「貴様の語っていることと、目の前の光景は、食い違いがある。あれのどこが、我々に利益をもたらす存在に見える? 無様な敗者、それ以下でしかない」

(あ? 初見で俺に殺された雑魚ボスが、粋がってんじゃねーぞ)

 

 中指を立てようとしたが、そもそも腕すらないことを思い出した。

 

「消耗は免れなかったということだろうね。彼を回収したクリムエルヒルトによると、黒教会にやられたらしい」

 

 サリヴァ―ンは空いた二つの席を一瞥した。

 

「ここにいない理由がはっきりした。蛇の娘達らしい、最低限の約定さえ守れぬ愚物さよ」

 

 火継ぎを成すために結束する者達もいれば、その反対もあり得るだろう。しかし、巨人ヨームや深淵の監視者達が疎外されている所を見るに、エルドリッチの言う同盟とやらは皮だけ繕った空虚な言葉に思える。彼らの利害がどこまで一致しているのか、それによってこの会合の意味を測ることができるだろう。

 だが、今の貴樹にとっては興味もわかない些事だった。

 

「強大な力には、必ず代償があるものだ。今こうして捕まっている彼も、ボルドの首を腕力のみで潰した彼も、ワタシは知っている。いわば、谷の状態さ。今の彼は。何にせよ力が戻る前に、友好的な感情を示すのは悪くない」

 

 エルドリッチはようやくまともに貴樹を見た。

 

「そう悪い話でもないだろう? 敵の敵は味方とは言い切れないかもしれないが、敵よりは信用できる。今まで色々とすれ違いがあったけど、これからは共に歩んで行こうじゃないか」

(こいつ、俺が受け入れるとでも思ってんのか。てめえの話なんざ聞くだけ無駄だ。今はそれよりも)

 

 貴樹の思考を呼んだかのように、人食らいは唇を吊り上げた。

 

「アナタの大切な人も、守れるような環境にしてあげよう」

 

 その言葉と同時に、入口の大扉が開かれた。首をもぞもぞと動かして、貴樹は新たに玉座の間に連れて来られた者達を見る。

 

(は?)

 

 まず、騎士によって床に座らせられたのは、ずっと安否が気になっていた火守女だ。両手を拘束されてはいるが、何かをされたという形跡は見当たらない。貴樹の感情がただの安堵で終わらなかったのは、彼女の隣へ同じく連れて来られた、もう一人の存在のせいだった。

 その男も、呆然と貴樹を見ていた。その目が色濃く絶望に染まっていく。頼りにしていた最後の希望が、崩れ去ったと言わんばかりの表情だった。

 

「なんで、あんたは、そんな姿で転がっているんだ」

 

 ホークウッドは立ち上がろうとして、騎士に押さえつけられる。抵抗はすぐにやめ、顔を地面に付けたまま、枯れた植物のように全身が萎れていく。明らかに死を目の前にした者の姿だった。

 祭祀場にほとんどこもっていたはずのホークウッドがなぜこんな所にいるのか。貴樹との戦いにおいても、彼は前線に全く顔を見せていなかった。使われていたとしてもイリ―ナ達の護衛ぐらいだろうと思っていたが、別の意図ある行動をしていたのだろうか。

 理解するには、時と場所が悪かった。混乱している貴樹に、さらにエルドリッチが続ける。

 

「同盟に入ってもらう上で、アナタには選択をしてもらわなければいけない。彼女か、はたまた狼血の彼か。どちらか生きてほしい方を選びなさい。新しく同盟に入るのは、二人で十分だ」

 

 どちらかは死ぬ。

 貴樹は、後ろの方で控えているクリムエルヒルトを一瞥した。彼女は顔の細胞の一つ一つが凍りついたように動かない。彼と、視線すら合わせない。

 簡単だ。さっさと火守女とホークウッドを連れて、ここから逃げればいい。追っ手は適当に殺して、ある程度距離を稼げば、相手が労力と対価の釣り合いを考えて、諦めてくれる。残り火状態になってさえいれば。

 

「できれば、判断の時間があげたいんだけどねぇ。でも、アナタにとってはそう難しくもないだろう? 何のために祭祀場から離れ、今この場にいるのか。考えるまでもなく、答えは出るはずだ」

 

 火守女と、ホークウッドを見比べる。それから、彼女をじっと観察した。もやもやとした疑念が形を得ていくにつれ、震えるほどの怒りが湧いてくる。

 

「灰様、お願いします」

 

 火守女が頭を下げる。何もかもを覚悟したような声だった。

 

「私のようなものに、遠慮をなさらないでください。これ以上助けていただいても、私にはその恩を返す術がありません。どうか、今のうちに、報いさせてください」

「彼女はこう言っているね。さて、不死隊の落伍者。アナタは何か言いたいことはあるかい?」

 

 ホークウッドはうずくまったまま、黙っていた。周りの音が聞こえていないようだ。どちらも自分自身を選べとは言っていない。あまり二択が成立しているとは言えない状況でも、エルドリッチは満足したように、玉座にもたれかかった。

 

「さあ、言ってもらうかな。自分と共にワタシ達側へ来る者の名を」

「黙れ」

 

 貴樹の低い声が、自身の意図した以上に広間に響く。本音が取り繕っていた建前を突き破り、少しの間表出するという、日本では全くなかったことが、最近はよく起こる。

 

「どちらかを選べというのなら、俺は、ホークウッドを生かす」

 

 名を呼ばれた本人が、初めて動いた。信じられないと言わんばかりに、火守女を見てから、貴樹へと顔を向けた。

 

「これは驚いた。ワタシの記憶が正しければ、アナタは彼女を、何よりも大事に考えているはずだ。冷静な判断だと、自身を持って言えるのかい」

 

 火守女は、どこか安心したように、胸を押さえている。

 

「ありがとうございます。これで私は」

「黙れ」

 

 沈黙が、一瞬この場を支配した。

 貴樹は顔が不快な熱さで覆われるのを感じていた。同時に妙な罪悪感も隅にある。これほどの怒りを、最愛の人の姿へ向ける羽目になるのが、本当に腹立たしかった。

 

「お前に、言ったんだ。口を、開くな。その姿で、その声で、この場にいることが、ひもりんに対する最大級の腑辱だと、気づかねえのか。この手で絞め殺してやれないのがもどかしい」

「はい…?」

 

 女は、わからない、という顔をした。

 

「術を解け。騙されるとでも思ったか? 下手なんだよ、お前は」

 

 言われていることを理解し始めたのか、女は震え始めた。口を押さえ、今にでも吐きそうな表情の歪ませ方をする。その怯えの目は、貴樹に向けられているのではなかった。

 

「エルドリッチ様、どうか」

「ふふふ。聞こえなかったのかい? 擬態を解くんだ」

「わ、私は、自分ができる限りの」

「やれやれ」

 

 エルドリッチが頬杖をついた直後、火守女の姿が崩れ始めた。その皮が液状に解け、床に消えていく。見ていてあまり気持ちの良いものではない。中から姿を現したのは、火守女とは全く別人の、痩せた女性だった。目を恐怖で一杯に見開き、貴樹に向かって這いずってくる。やけに手入れされた黒髪とは対照的に、枯れた両腕が痛々しい。と、彼以外なら思っただろう。

 

「助けて」

 

 顔の半分が、人らしい形を保てていなかった。黒い膿がぼこぼこと泡立ち始め、女の体に広がっていく。それでも、視線を貴樹から離すことはない。まるで確固たる何かに縋っているような必死さだ。

 

「助けてよ。あなた、そうなんでしょう? 私達と」

 

 女の上半身を全て覆い尽くした膿が、変形していく。巨大な蛇のような異形が生え出してきた。赤い目を開き、黒々とした口を開き、産声を上げる。

 

(人間性の怪物)

 

 火が陰るにつれて現れた弊害。深淵からの贈り物。誰かを脅し、意のままにさせるには十分なものだ。しかし、たとえエルドリッチに命令されたことだとしても、赤の他人である女を許すどころか、同情する気にもならない。

 怪物は暴れ出そうとする前に、突如床から吹き出た炎に焼かれた。法王の戦力の一つ、火刑の魔女が、触媒として使っている斧槍を下に叩きつけると、ほぼ同時に怪物が炎に包まれる。幾度か繰り返された後、甲高い悲鳴が混じった断末魔を残して、蠢く膿は動きを止めた。

 

「それなりの、余興にはなったかな」

「おい、人食い…」

 

 エルドリッチに向かって、貴樹は睨みつけた。

 

「本物の彼女は、どこに?」

「大丈夫だよ。ちゃあんと生きているさ。それにしてもよく、偽物だと気がつけたね」

「すぐにわかりましたよ。程度の低い擬態だ。本人と、似ても似つかない」

「なるほど。愚問だったね」

 

 普段から舐めるようにして火守女を眺めていた故に、もはや見た目や声を同じにした所で、貴樹には通じない。と、言いきれれば良かったのだが。

 

(あっぶねええええええええええええええ! 擬態って、人の姿にも化けられるのか? そっくりすぎんだろ。むしろ、ひもりんが二人いたら、最高だったな。サンドイッチされたかった)

『こいつまた騙されそうだな…』

 

 まるで見分けがついていなかった。エルドリッチの企みは、確実に成功するはずだったのだ。偽物の火守女が選ばれ、ホークウッドが死ぬ。あとは彼女を使って徐々に洗脳していけば、貴樹は完全に守り手の一員になっていた。

 

(あのクソビッチ、何のつもりだ?)

 

 事前に、連れて来られる火守女は偽物だと教えられていたからこそ、彼は疑うという選択肢を取り、偽物の手首に誓約印がないことを発見できた。王の間へ連行される途中、クリムエルヒルトが思念で伝えてきたのだ。

 結晶の娘は彼と目が合うと、微笑んできた。背筋がぞわぞわしたので、すぐに視線をそらす。

 

「これで、話はまとまったようだし。アナタから承諾の一言を聞くのみだ」

(あ? こいつ馬鹿か?)

 

 初めから、エルドリッチに協力するつもりなどない。

 

『でもよ、この場は従った方がいいと思うんだが。お前今、カス以下の強さだってわかってんのか? 死ぬぞマジで。後で裏切ればいいだけの話だろ』

(わかってねえな。こういうのは強気でいいんだよ。あいつはむしろ喜びそうだぜ)

 

 貴樹は話にならないとばかりに、首を振った。

 

「本物の火守女がどこにいるのかもわからない。そして、自分達の安全が保障されるわけでもない。そんな状況、同盟などという胡散臭い話に乗ると思いますか? せめて条件として」

「もうよい」

 

 剣が、貴樹とホークウッドの間に突き立った。騎士が一人ホークウッドに近付き、両手を縛っていた金属の糸を外す。そして、無理やり立たされていた。

 サリヴァ―ンは、先ほどから変わらない冷たい眼差しで、貴樹達を見下ろしている。

 

「余計な言葉など要らぬ。第一に、私はまだこの者達の有用性を信じてはいない。意見できる立場だと考えているならば、それはくだらぬ思い上がりだと断ずる。今、この場で実力を示し、自らを証明してみせよ。迎え入れるべきかは、こちらが一方的に決めることだ」

 

 貴樹は、またやらかしたことを、自覚した。

 

『これも、お前の想定内か?』

(にょ~ん)

『人生って、簡単に終わるもんだな』

 

 現実逃避をしている場合ではない。試すという流れになるのが、最も恐れていたことだった。にもかかわらず自分から誘導してしまったのは、間抜けとしか言いようがない。この男が調子に乗るとろくなことにはならない。

 

「待ってください」

 

 何とか時間を稼ごうと、貴樹は訴えた。

 

「こちらとしても、自分の力を見せるのはやぶさかではないのですが、悔しいことにこの体の状態では、満足な結果になるとは思えません」

「では、時間をやろう」

 

 法王は周りをぐるりと見回した。

 

「誰か、この男を回復できる者は?」

 

 クリムエルヒルトが前に出た。そうして彼女によって、貴樹はこの場で奇跡を施されることになった。サリヴァ―ンの性根から考えれば、猶予をもらえただけでも幸運だろう。しかし、残り火が復活するにはまだ足りない。どうにかして、自身の素の身体能力のみで乗り切る必要があった。

 

「大変なことになりましたね」

 

 クリムエルヒルトは、うっとりと彼の体を撫でまわしてから、右腕の再生に取り掛かる。

 

「貴女も本当に、火守女がどこにいるか知らないんですね?」

「もう、そのことばっかり。一度の口吸いだけじゃ、足りないんですか…?」

(げええ)

 

 これ以上余計な会話をするのはやめて、何か方法はないかと模索する。サリヴァ―ンの意見に反対する者はいない。五本指の奴らは歓迎しているようだし、エンマ達も動き出す気配がない。というより、彼女は他の何かに囚われている様子だった。エルドリッチも、静観するつもりだ。

 頼れるとしたら、目の前の女性しかいない。

 

(俺に惚れてるなら、利用できる。へへへへ、ここで顔の良さが救いになったわけだ。この女の瞬間移動なら、逃げやすいだろ。あとはひもりんを見つけて)

「駄目ですよ?」

 

 クリムエルヒルトの瞳が、深く沈んだ。治す部位にを見るために屈んだ体勢のまま、ぼそぼそと耳に口を当ててくる。

 

「私は、エルドリッチ様と誓約を交わしているんです。愛しい人の頼みでも、簡単に協力するわけにはいきません」

(俺の考えを)

「いいえ。私にそんな力はありませんよ。大丈夫でしょう。貴方がちゃんと能力を出し切れば、問題はないはずです」

(それが無理だから、別の方法を考えているんだろうがああああ!)

 

 クリムエルヒルトが回復の手を止める。完了したという意味ではなかった。手足が少しも再生していないのにも関わらず、彼女は奇跡の光を消した。。かと思えば、再び行使しようとする。それでも、腕の再生が開始されないのを見て、怪訝そうな顔つきになった。

 

「奇跡が、効きませんね」

「…何と?」

「正確には、作用する前に弾かれています。このままでは、誰であっても治せません」

 

 彼女は嘘をついているとしか思えなかった。

 これを聞いていたサリヴァ―ンが、二人の法王騎士を見る。彼らはすぐに剣を抜き、貴樹とホークウッドの方へと歩いてきた。

 

「ならば仕方がない。その状態で戦ってもらおう」

(は? ふざけんじゃねえぞ。殺されるだけに決まってる)

「お待ちください」

 

 クリムエルヒルトが、懐に手をやった。言いだしたのは彼女なのに、止めたのも彼女だ。ちぐはぐな行動の意味を考えていると、こちらに向けられたその顔が歪んだ笑みを作るのに気が付いた。

 

「まだ試していないことがあります。実は彼を回収しに行く途中、地下牢で見つけたものなのですが」

 

 彼女が取りだしたのは、二本の人間の足だった。ふくらはぎが引き締まり、ほど良く筋肉がついている。明らかに男のものであるそれを、宝石であるかのように優しく床に置いた。貴樹は、悪寒を感じる。どう考えても、自分の足だったからだ。

 

「私は、すぐにわかりましたよ。触っただけで伝わってくる、芳醇なソウルの形。本当は愛玩用に持っておきたかったのですが、ここで役立てるのが最善でしょう。結合は、再生よりも痛いですけど、我慢してくださいね」

 

 クリムエルヒルトは青白い短剣を形作ると、手早く両腿の断面に刃を入れた。激痛で呻く前に、その部分へ両足を押し付ける。あとは結合部分に奇跡を使っていくだけで、見る見るうちに足が体の一部分として復活していった。流れた血も多くはない。

 

「どうですか? 動かしてみてください」

 

 貴樹は言われた通り、まずは足の指先に力を入れた。一瞬、電気が走り抜けたような感覚があった後、ややぎこちなくはあるが、指を動かすことができた。彼女はにっこりと微笑んで、貴樹の肩に腕を回してくる。彼女に引っ張り上げられる形で、貴樹は立った。多少ぐらついたが、彼女の手が離れても、倒れないでいることができた。

 

「私が、貴方の両足を持っていなかったら、危なかったですね」

 

 貸し一つです、とほとんどキスするような距離で囁き、クリムエルヒルトは背を向けた。

 

「待て」

 

 さも、彼女が治療を完了したと言わんばかりの態度には納得できていなかった。

 

「まだ、両腕が、終わっていないような」

「それは、残念でしたね。私は、足しか見つけられなかったので。これ以上のことはできません」

(この女)

 

 さらに文句を言いかけた所で、サリヴァ―ンが両手を打ち鳴らした。それは何かの合図だったようで、直後、火刑の魔女が斧槍から炎を出し、貴樹とホークウッド、そして法王騎士二体の周りを囲んだ。円状の戦場ができたことになる。

 

「どちらか片方の組が死んだら、終わりとする」

(え、え? もう始まるの? あっさりすぎない?)

 

 全てが、貴樹の受け入れやすいように進むわけではない。彼は自分を中心に世界が回っていると思っているが、その考えに周りが合わせてくれるはずがないのだ。両腕がないと言って、延期させてもらえるとは思えない。

 

「くそっ」

 

 ホークウッドが、床に突き立つ剣を取り、構えた。隣に立つ貴樹に恨みがましい視線を向けてくる。

 

「あんたを追いかけていたら、このざまだ。ちくしょう、死ぬわけにはいかない」

「えっと…」

 

 色々訊きたいことはあるものの、迫る脅威を前にしては、後回しにすべきことだった。なあなあでごまかせるような勝負ではない。生き残るためには、相手を殺さないといけないが。

 

「あれらに、勝てますか?」

「知らないな。昔なら、造作もないと答えただろう」

 

 ホークウッドの細かい事情はともかく、しばらくまともに実戦を経験していないことは貴樹にも容易に想像がついた。ゲームでも、祭祀場からほとんど出なかった。

 

「一体だけなら?」

「そりゃあ、少しはましになるだろうよ。だがな、どちらにしろこれを乗り越えたって…」

 

 臨戦態勢になっている騎士達を逐一確認しながら、貴樹はぼそぼそと言った。

 

「聞いてください。僕は確かに、負けて、この人達に捕まりました。でもそれは、力が切れていたからです。復活するまで、あと…」

『一日ってところだ』

「一日、かかります。それまでに生きてさえいれば、こちらの勝ちです。貴方は一体をできる限り早く倒してください。もう一体は僕が対応します」

「本当か?」

 

 ホークウッドの目に少しだけ光が戻った。

 

「だがな、今、あんたは戦えるのか?」

「任せてください」

 

 貴樹は胸を張って答える。

 

「一対一なら、いくらでもやりようはあります」

 

 騎士の一人が、接近してくる。そこへホークウッドが向かっていくのを最後に、注意を別の方へと向けた。もう一人は、貴樹へと近づいてくる気配はない。騎士が持っている武器を確認し、彼は首を回した。

 

(両手を封じられた上で、相手は得物を持っている。まあまあやらされたシチュエーションだな。思い出したくもないが)

『大丈夫なのか?』

(見てろって。残り火の力が強烈過ぎて忘れているかもしれないが、素の俺も相当やるからな。まずはあれだ。初撃をさらりとかわし、足技で相手の関節を締める。あとは鎧の隙間を適当に潰すなり、炎の壁に投げるなりすればいいだろ)

『ふわっふわだな…』

 

 彼には自信があった。ゲームの中とはいえ法王騎士とは何度も戦ってきている。やってきそうな攻撃の種類にも全て見当がついていた。

 

(いかに、相手の行動を予測できるかだ。極端な話、俺がこうして一歩引いたとする。そうすればまるで図ったかのように奴の剣が目の前を)

 

 法王騎士は滑らかに一歩踏み込んで、イルシ―ルの曲剣を振るった。その刃にこもった冷気が貴樹の頬をかすめ、一瞬のきらめきとなって消えていく。瞬きの後、既に騎士は二撃目の構えに入っている。

 火守女の顔が、鮮明に頭の中で浮かんだ。彼女とのあまり多くはない思い出が電光のように駆け巡り、意識するまでもなく後ろへと飛んでいた。

 床を転がり、そのままの勢いで立ち上がる。胸に手を当てると、血で濡れていた。頬も、血が流れ落ちる感触がする。浅く、すぐに止血できるような傷だったのは幸いだ。

 なぜ、急に愛しい火守女が出てきたのか、何となく、答えはつかめた。

 

(相馬灯か)

『……』

(まっっっっったく、見えなかったんですけど)

 

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