「どうして、ホークさんも捕まっていたんですか? 僕が逃げた後、祭祀場に戻ってるとばかり」
ようやく話が回ってきたのを、うんざりした顔で受け止めた。
「俺は、戦いのあと、あんたを尾けていたんだ。そうしたら、そちらの魔女に見つかって法王の城まで攫われた」
クリムエルヒルトを見ると、舌の先を出して、片目をつぶってきた。鳥肌が立ちそうになった。
「祭祀場に対する手が増えるなら、こんなのでも貴重だと思ったんですよ。まだあの時は、人食いの忠実な配下でしたから」
「言い方に気をつけろよ、結晶」
「貴方こそ今度魔女呼ばわりしたら、八つ裂きにするわよ。落ちこぼれさん」
「ぐ…」
すぐに負けそうになっているのを見て、ホークウッドは尻に敷かれるタイプだと直感した。その残念さも見ていて何だか安心する。かなりゲームとは様相が変わって来てしまっている中、貴樹にとっては癒される光景だった。
「では、なぜ、僕を追いかけていたんですか? 祭祀場から離反するも同然だったのでは」
少しの間、ホークウッドは黙り込んだ。そこには、衝動的な行動、では済まされないような、深い逡巡がある。
「あんたが、俺と同じだと思ったからだ」
「どういうことです?」
貴樹は何となく、この先の行動が、続く言葉によって定められる気がした。
「あの狼、シフィオ―ルスを殺すのに協力してほしい」
おぼろげになりつつある記憶を、何とかすくい上げる。最近は、様々なことが起こりすぎて、大して興味もない存在のことなど頭に留める余裕がなかったからだ。日本でも人の名前と顔を覚えるのに苦労したが、そこは外面の良さで乗り切っていた。
「狼血の騎士の、誓約主でしたか?」
獣の癖に月光の大剣を振り回していた。貴樹からすれば少しでも脅威ではなかったが。
「ああ、そうだ」
「あれを殺すことで、何の意味が?」
ホークウッドはややこしい説明の組み立てをするかのように、視線を宙に泳がせた。
「狼血の騎士なんて大層な名称は後付けだ。元は、深淵の監視者と言った方が正しい」
「はい」
先を促す。
「昔、俺はその一員だったことがある。恐れ多いことに、隊長を務めていた。当時は今とは違い、深淵の侵攻を見張り、表へと這い出てきた欠片を駆除するのが役目だった」
(ほう)
ホークウッドが監視者だったことは知っている。しかし、細かい所は明示されていなかった。プレイヤーの誰も知らないような情報が明かされていくのに、貴樹の興奮は静かに高まった。
「だがある時、何百代目かの薪の王の力が弱まり、火継ぎを行う必要が出てきた。そんな時、選ばれたのが、神代の巨狼から続く血脈だ」
彼の顔が苦い皮肉に染まる。
「監視隊自体が王の器として認められたわけじゃない。だが、俺達は身に余る光栄を前にして、余計な思いなど一切抱かずに、歓喜したのさ。たとえ、その体の中に流れる血にのみ価値があると言われたとしても、救世の大役を断る理由なんてなかった。いや、中には深淵の監視を投げ出すことに、不安や不満を覚える者もいただろうが」
では。
思わず手が震えそうになったが、貴樹は聞くことだけに集中した。つまり、目の前の、二―トだなんだと馬鹿にされてきたキャラクターが、かつて薪の王だったということになる。非常に面白い展開だ。適度に予想を裏切ってくれる。
「つまり貴方は、蘇ったんですね」
理解されていると思っていなかったのか、ホークウッドは驚いた表情をした後、頷いた。ロスリックが火継ぎを拒絶したことにより、非常処置として蘇った薪の王達。その中でも集団で一個の薪を担っている監視者達は、異質だと言えるだろう。
彼はその時のことを思い返すように目をつぶった。眉間に深い皺が寄り、いつもの卑屈そうな雰囲気は消え失せ、積み上がった時間の重みが相応にのしかかっている。
「俺が、何を思ったか、わかるか?」
消えない恐怖で語尾が震えている。
「薪として捧げられる直前までとは、真逆のことだ。火継ぎを、そしてそれを世界のための尊い行為だと最初に考えた奴は、深淵の化物にも劣る畜生だと。…あんな、あんなに、苦しいとは思わなかった。死なないんだ。生身を燃やされる苦しみがずっと続く」
その顔は蒼白になり、絶望を思い出したくないとばかりに頭を抱える。火継ぎは紛れもなく人柱だ。王の器たる者達を犠牲にして、それ以外が延命されていく。
「だがな、俺達はそれでも耐えることができていた。使命だからだ。自分達が苦しむ理由が確固たるものならば、辛うじて納得はできる。そしてそれさえも欺瞞だとわかった時、俺は、俺達は神とやらに失望したんだ」
延命でしかないのだ。
実際、主人公が全ての薪を継いで、灰に課せられた使命を全うするエンディングでは、世界の光とも言える始まりの火は、グウィンが見出した時よりもはるかに弱々しくなっていたという。ホークウッド達も、火継ぎがもはやわずかな延命措置でしかないことを理解した。自らが信じていたものの空虚さも。
「蘇った、かつて共に戦った奴らは全員離反した。あれから今もずっと、本来の仕事を全うしているだろう。深淵狩りを」
「でも、貴方はそうしなかった」
火継ぎ肯定派の監視隊、つまり狼血の騎士は、新たに用意された補充要員ということ。彼らの目的は、裏切ったかつての監視隊を殺し、薪としての資格を固めるといったところだろう。
ホークウッドは、そのどちらの立場にも属していなかった。
「心底、嫌になった。世界がどうとか、深淵がどうとか。あんなろくでもない方法でしか存続できない世界なら、いっそ、壊れた方がいんじゃないか。色々考えた末に、俺は自分の意志に従うことにした」
それが、誓約主殺しにつながる。
「もう二度と、火継ぎで誰かが苦しんではならない。始まりの火の依り代となるのも、薪の一つとして捧げられるのも変わりはしないだろう。俺の、後輩達はそんなものから解放されるべきだ」
彼は自らの腕に目を落とした。
「あいつらは、シフィオ―ルスによる誓約で縛られている。深淵狩りをやってる連中を倒したら、今度は自分達で殺し合いを始めるだろう。薪として捧げられる最後の一人を決めるために。あのくそったれの獣こそ死ねばいい。だが、俺だけの力じゃ無理なのはわかりきってる」
何度も何度も壁に当たっては打ちのめされてきた男の言葉だった。貴樹に協力を求めるようになるまでに、一体何があったのか。それはわからない。だが、他のあらゆる手を考え、そして不可能だと理解したのだ。
ホークウッドは、貴樹を最後の希望として縋るようには見ていなかった。どんなに追い詰められようが、諦めはしない。仮面をかぶり、耐え忍んできたのだろう。使命から逃げた臆病者として侮蔑される裏で、牙を研いできたのだろう。
それがわかったからこそ、貴樹はもう答えを決めていた。
「無理です」
そうか、とだけホークウッドは言った。元からあまり期待してはいなかったという、様子を繕っている。鞘もない傷付いた剣を持つと、倒木から立ち上がった。
「俺は、地下墓を通ってファラン城塞に向かう。法王どもから逃がしてくれたのは、恩に着るぜ」
「いいですか、ホークさん」
離れようとする彼の背中を呼び止める。こちらを向いた無精髭の生えた顔に、近くへ座れと足で示してみせる。
「僕とはあまり話したことがないから、本音ばかりの会話とはいかないでしょう。お互いに。ですが、だからこそ、今、腹を割って話すべきです」
「どういうことだ」
貴樹はその顔を真っすぐ見つめた。
「貴方は、僕と同じだと、自分のことを指して言った。そう、同じです。似ている、ではない」
クリムエルヒルトが首を傾げている一方で、ホークウッドは無反応だった。
祭祀場にいた頃、彼のことを観察する機会は多くなかった。だが、その目の中で渦巻いている炎は、雄弁に語っていたのだ。それは、貴樹が火守女のことを考える時の感情と、同一と言ってもよかった。
「ホークさんが助けたいのは、狼血の騎士ではありませんね? その中の、誰かだ。彼女以外がどうなろうが、どうでもいいと思っている。違いますか」
彼女、という言葉で、もう諦めたようだった。その場に腰を落とすと、眉間を押さえる。その口は、苦く笑っていた。
「すまない。つまらないはぐらかし方だったな。降参だ。どうやら俺は、あんたに利己的だと思われたくなかったらしい」
「
火守女と、貴樹を交互に見比べた後、ホークウッドは首を振った。
「ただ俺の、臆病さがそうさせただけだ。気を悪くさせたな」
「いいえ」
貴樹は目をキラキラさせていた。彼女、とやらに興味は一切ないが、ホークウッドが信念を持ってやり遂げようとしていることに心を動かされていた。情けなかった雛の巣立ちを見守る気分だ。
(いいぞ。シフィなんたらは雑魚だ。ぱっと行ってささっと殺せば、ホークの信頼を得られる。願ってもない機会だ)
初めから、協力する気だった。
そうした打算的な思いもしっかりと抱いて、
「色々と方策を練るべきでしょうが、共に目的を果たしましょう」
彼は、次に向かうべき場所を確定させたのだった。ファラン方面は、他にも警戒すべきことがあった。ついでに片付けることができる。
「あ、ありがたい。心強いぜ」
ホークウッドは何度か貴樹の両肩をばしばし叩いてから、放心したように地面へ寝そべった。火が当たりそうだとクリムエルヒルトに苦言を呈されるが、聞こえてもいない様子だ。
さすがに男泣きは勘弁、と一瞬その顔を踏みつけそうになりながら、貴樹は一応の流れとして、さらに尋ねた。
「一つだけ、最後に」
「うん?」
「貴方にとって、彼女は、どういう存在ですか?」
その時、ホークウッドは何かを思い出すような遠い目をした。口が躊躇う様子もなく、すらすらと言葉が出てくる。
「あいつは、ミレーヌは、俺の生きる理由全てだ」
深い情が、その言葉を重くさせていた。
◆
「本当に、どうしようもない男……」
四度目の捜索が無駄に終わった時、小さくもらしたその声は、隠しきれない怒気で震えていた。彼女の表情を確認するのが怖くて、下田は同じく困り果てている巨狼と瞳を合わせた。そのつぶらな瞳は、深い安心感を与えてくれる。
「痕跡が、途中で途絶えている。攫われた可能性がある」
「どこまで泥を塗るつもりなの…」
手甲を木の幹に叩きつける。枝が揺れ、葉同士が打ち合う音が静寂の中響き渡った。あれで殴られたらどうなってしまうんだろう。この女性の矢面だけには立ちたくないと、こっそり願った。
「ミレーヌ、わかっていると思うが」
荒れている彼女を気遣うように、シフィオ―ルスが声をかけた。
「はい…。もう無駄なことはしません」
「では祭祀場に戻ろう。明日には出発だ」
自分にも責任はあったかもしれないと、下田は振り返る。先生が去ってしまってから、ホークウッドは明らかに様子がおかしかった。もっと彼に注意していれば、姿を消す前に止めることができたかもしれない。
そんな彼の思いを感じ取ったかのように、ミレーヌがこちらを見てきた。思わず体が固まるが、彼女は立ち上がろうとしている下田の高さに合わせて、かがんできた。
「何か、短剣みたいなものを貸してくれる? 持っているはずでしょう」
「え、は、はい」
正確には、インベントリのことを指していた。指定の操作をして、すぐに手元に新品のナイフを出現させる。
「やっぱり便利ね」
僕もそう思います、と笑いかけた所で、疑問が湧いた。なぜ今、こんな物を必要としているのだろうか。
答えはすぐにわかった。あ、ともったいない気持ちで声をこぼす。
ミレーヌは何のためらいもなく、自身の金髪を切り落とした。もとから戦うには不便そうであったのだが、それでも欠かさず手入れを続けているのは、誰が見てもわかっていたのに。肩にかかっていたくらいの長さが、耳をほど良く覆う程度になった。
草野だったら、悲鳴でも上げていただろう。流れ落ちていく金糸を見て、わけもなく切なくなった。
「はい、ありがとう」
ナイフを返した彼女は、表情を変えないまま帰路についた。事情はわからないが、何かが彼女の中で変わってしまったのだろう。良悪関わらず、それはとても大きなものだと、何となく感じ取れた。
あの戦いの後、幾人かの戦士達が療養を余儀なくされる中、ゆっくりと物事を考える時間はほとんどなかった。イリ―ナの助手を務める一方で、魔術の修練も欠かさず行う。余計なことを考えてなくてもいい忙しさは、返ってありがたかった。
そしてちょうど今日、下田達に触媒が渡された所だった。
祭祀場に転送されると、ちとせが白い枝のような杖でソウルの矢を浮かせている。前に見た時よりも、数が増えているのを見て、いかに触媒の補正が大きいか改めて理解した。
彼女はかなり集中している様子だったが、下田が側を通るとすぐに目を開ける。
「おつかれ―」
「うん。そっちも」
矢を消し、ちとせは額を拭う。
「で、あのおじさんは見つかったの?」
「いや…」
洞穴の奥へ消えていくミレーヌを見てから、首を振る。予想通りだと言わんばかりに、彼女は溜息をついた。
「もう、死んでんじゃないの」
「あんまり、言わない方が」
「冗談冗談。そんなことより、アキもここで練習してこうよ。まだ今日の分終わってないんでしょ」
「そうする」
自身の杖を懐から取り出そうとして、はずみで別の物も転がり出てくる。固い石の地面に落ちようとした、装飾の施された鈴を、慌てて掴み取る。代わりに、魔術触媒の杖がちとせの足元に落ちた。
「慌ただしいね」
「高原さん、ごめん。あ」
下田に杖を渡そうとしたその手を、彼女は止めた。目を細めて、何かを責めるように彼を見つめてくる。反面、口元は楽しそうに緩んでいた。
「ん――?」
「ありがとう、ち、ちとせ」
「噛んじゃ駄目だよ。もう一回」
「え、ここで…?」
周りを見れば、シフィオ―ルスが地面に腹ばいになって、こちらを眺めている。それからわざとらしく自らの手を舐め始めた。
「ためらったから、三回ね。ちゃんとあたしの目を見て、ほら」
「う、えっと」
ちとせ。心の中ではそう呼ぶようには心がけている。しかし、実際に口に出すとなると、喉の底がむず痒くなる。さらに複数の人の気配が篝火の広場に近付くのを感じて、どうしようもなくなった。
彼女は口を押さえて笑っている。
「照れ過ぎ。もっと気楽にやりなよ。ま、別にいいけど。また今度にしてあげる」
「どういたしまして、ちとせ」
「はいはい」
杖を渡すと、彼女は下田の持っている鈴に視線を向けた。
「それも触媒なの?」
「そうだよ」
「杖で十分でしょ。ていうか、いつの間にそんなのもらってたの」
「私の所有物から、差し上げたんです」
下田とちとせは、篝火の側に立っているヨルシカへと向き直った。炎を影に立っている姿はおとぎ話から抜け出してきたようで、二人共数瞬の間見惚れた。と、同時に、下田は胃の底が押し上げられる心地に襲われる。未だにヨルシカの深く傷ついた姿が拭いきれない。
「支障はないですか? 良い性能の物を選んだつもりなのですが」
「はい、その、大丈夫です」
「フフ、結構です。イリ―ナから、働きは聞いていますよ。明日からの活躍も、期待しています」
「頑張り、ます」
「二人共今日はゆっくりと休んでください」
そう言って、彼女は歩き出すというわけでもなく、なぜか下田を見つめ続けていた。また、この目だ。ここ数日、似たような視線を感じていた事がある。自身の内部を透かされているようで、落ち着かない。
何か、と尋ねる前に、ヨルシカは再び微笑んでから大扉の中へと入っていった。
「わ―、手足細長っ。どんな生活したら、あんなスタイルになるんだろ」
「うん…」
腰と臀部の間から生える、尻尾。
強烈な光景を、下田は何とか振り払った。女性のあられもない姿を思い出すのは、良くないことだ。
「で、いつ仲良くなったの?」
「ええ?」
驚いてちとせを見ると、彼女は腕を組んでいた。
「他の皆と比べて、アキだけ何か対応が違う気がする」
「どうだろ」
こちらとしては気後れするばかりだ。あの時、身を呈して守ってもらった恩を、まだ少しも返せていない。ただ与えられるという状態から抜け出せていない。だから、明日からの遠征では、何かしらの形で必ず役に立とうと、静かにやる気を出していた。
それから二人で修業を始めようとすると、また新たに二人が篝火の側に出現した。よほど動き回ったのか、両方ともローブが土で汚れている。
実織は傷を新宮に治してもらいながら、歩いてくる。
「下田、混ぜてもらってもいい?」
「怪我したの?」
「ううん、大したことないよ。辛くは、あったけどね」
「容赦ないよね―」
彼女達は、準前衛として機能するための訓練も受けていた。「発火」などの近距離対応に長けた呪術を持つ実織と、魔術と奇跡を幅広く仕える新宮は、攻撃にも支援にも回れる能力を持っている。
新宮が、疲れたように息を吐いた。
「下田君、私の頬の傷、治してもらえる? もうくたくたで」
「うん」
彼女の方へと近づき、遠慮がちのその長い髪をかき分ける。浅い切り傷へ指を添えると、奇跡を発動させた。跡が残らないよう、慎重に傷口を塞いでいく。なるべく集中していたかった。この、妙に気まずい空気に呑まれないように。
ちとせは口を結んで、矢の操作をしていた。その様子を、実織がちらちらと伺う。ちとせ自身もその事に気が付いているようだったが、特に何も言わない。
「何本、浮かせられるようになったの?」
先生の事で言い合いになった時からできていた溝を、実織は乗り越えた。
「…四本、くらいかな」
ちとせは正面を向いたままだ。ふうん、と実織も気のない声を出した。
すぐ側で、可笑しそうに震える肩がある。最近、言われたことなのだが、新宮は知り合いと友達の狭間にあるなんとも言えない距離感を観察するのが好きらしい。目が合うと、片目をつぶってきた。
「訊きたいんだけど」
実織がさらに言う。
「私のこと、嫌いなの?」
「そんなことないけど」
ちとせは、あまりこの話題を深刻に受け取っていないようだった。愛想笑いを一度返してから、自分の作業に戻る。それでも、実織は横顔を見続けていた。
やがて、その視線に耐えかねたのか、矢を全て消し、ちとせは実織の方へと向き直った。
「わかったって。あの時、言い過ぎたとは思う」
「こっちも。冷静じゃなかった」
「何、謝ってほしいんじゃないの?」
「別に。お互い様だったから。変に気まずい感じが嫌だっただけ」
実織は目をそらさずに続けた。
「合う合わないはしょうがないかもしれないけど、私は仲良くしたいよ。私達は協力しないといけないと思う」
もっともなことだ。明日から、薪の王を狩るための遠征が始まる。第一の目標は、深淵の監視者達だ。本来ならば、二番目になるはずだった。だが火守女の側には、貴樹がいる。今は無闇に追うべきではないと祭祀場は結論付けた。
実織の言うことはもっともなのだが。
ちとせは杖を手で弄びながら、再度、溜息をついた。
「いいんだけどさ。それ、あいつらに向けても言える?」
それを聞いた実織が、嫌そうな顔になった。場がなんとも言えない空気になる。
つまり、彼女達二人の溝は、まだましな方だということだ。
「…無理」
三人の男子の顔が思い浮かんだ。彼らは外で、訓練でもしているのだろう。
「でしょ。そっちが性格良いのはわかったけど、綺麗事は勘弁して」
きつい言葉だなと、下田は段々はらはらしてきた。空気が冷えていくのがわかる。ちょうど頬の傷が治った新宮は、そんな時でもインベントリから和菓子を取り出して、見物を始めている。
実織が眉をひそめて、腕を組んだ。
「ふうん。でもさ、学校にいた時は、嫌じゃなかったんでしょ?」
言われたちとせは、怪訝そうな顔になった。
「宇部と、付き合ってたんだよね。あれは気の迷いってこと?」
「は?」
これ見よがしに、ちとせは舌打ちした。それに対して、実織は挑戦的に笑う。
溝を埋める流れではなかったのだろうか。見なかったふりをして、この場を離れたくなったが、さっきしたばかりの決意が彼の足を止めた。
下田は勇気を振り絞って、修正を試みる。
「い、今は関係ないよ」
二人の視線が同時にぶつかってくる。横で、新宮が感嘆したように声を漏らした。他人事みたいに反応していないで、助けてくれればいいのに。
「もう過去のことだし。あまり掘り返すのは」
「下田は、そっちの味方なの?」
実織は無表情だった。そんな彼女の顔は初めて見たので、思わず気圧される。
「アキと私は友達だもん。当たり前だよね―」
そんな状況でちとせが追い打ちをかけようとしてくるものだから、下田は何とかして口を開かなければならなかった。
「どっちの立場でもないよ。実織さんは、余計なことを、言ったと思う。でも、た、ちとせも、相手が聞いて嫌になるような言葉を使っちゃ駄目だよ。二人共、仲良くはしたいんだよね? 冷静になって」
それから、耐えられずに俯いた。新宮が背中を叩いてくる。こんがらがった頭の中を、整理する。
「冷静になって、互いに納得いくまで話し合った方が、いいと思う」
できればいい方向に進んでほしい、という下田の願いは、届いたようだった。
最初に動いたのはちとせだ。頬をかいて、実織に向かって手を伸ばす。実織も、おずおずとその手を握った。
「そうだね。何か変な意地張ってた。ごめん」
「私の方こそ。ごめんね」
握手をした後の二人は、未だぎこちなさはあったものの、さきほどまでの刺々しいものはなくなっているようだった。彼女達はどちらも気が強い方だから、とても神経を使った気がする。自分の母親とは対照的な女性を相手にするのは、慣れていなかった。
「ちょっと待って」
少し失礼なことを考えていたのがわかったのだろうか。実織がこちらを見てきた。
「何で、二人は名前で呼び合ってるの?」
「それはねえ」
解決しかけた話がややこしくなろうとした所で、大扉が開かれた。
そこから早足で出てきたのは、鎧を着た男女だ。男の方、ホレイスとはほとんど話したこともなかったが、もう片方のアンリはその親しみやすさで生徒達にずば抜けて人気があった。
「あの、」
言いかけた下田は、いつもと様子が違うことに気がついて、口をつぐんだ。彼女達は下田達の方へと意識を向けることなく、祭祀場の外へと出ていく。
「どうしたんだろう」
ちとせのつぶやきを聞きながら、アンリの様子を
何があったのかと不安になった所で、さらに扉からぞろぞろと人が出てきた。会議が開かれていたらしい。ジ―クバルドやグンダはすぐに灰の墓所へと向かっていったが、カルラやイリ―ナはその場に残った。
二人はこちらを向き、まず、イリ―ナが近づいてきた。
「シモダさん、手を見せてください」
「あ、はい」
すぐに右手を差し出す。じくじくと痛み出していたのだが、彼女が奇跡の光を当てる
と、楽になった。
「ありがとうございます」
「何か、異常はありませんか? 浸食は止まっているようですが、油断はできません」
指と指の間を念入りに撫でられ、下田はむず痒くなったが、本人は真剣なのだと我慢する。イリ―ナに診てもらうのはもはや日課になっているとはいえ、申し訳なさは増すばかりだった。
それに、あまりこの醜い状態の手を、人前に晒し続けたくはない。ちとせ達は何も言わずにいてくれるが、気を使われるのも好きではない。
「あの、そんな毎日処置をするほどではないじゃないですよ。イリ―ナさんは自分の仕事があるだろうし、もっと頻度を減らしてもいいと思います」
イリ―ナは奇跡を施しながら、微笑んだ。
「貴方は大切な灰の方の一人です。何も遠慮をすることはありません。これも、私の仕事ですから。それに、この膿は本当に恐ろしいものなのです。今の処置さえ、十分かどうか。完全に取り除く手段を見つけられない以上、不便を強いることになります。力が至らず、申し訳ありません」
「いや、そんなことは」
逆に謝られてしまったので、下田は続く言葉を失くした。これ以上強く言うこともできない。彼女は、本当に、善意でやってくれている。それを受ける身になった自らのふがいなさ、そして、発端となった襲撃の事をまた思い出して、さらに気分が沈んだ。
イリ―ナが去った後、そんなどんよりとした彼を、カルラは眺めていた。
「随分と、焦っているようだな」
「…」
下田は目も合わせずに、俯いていた。
「それで、もうやるべきことは終わらせたのか?」
「…はい、だいたいは」
ソウルの矢の維持、高速形成の修練、一本一本を別々の軌道で動かすなど、魔術の錬度を上げるための課題がいくつか課されている。
「同時に何本まで出せるようになった?」
「三本です」
「時間は?」
下田は教師の説教を受ける心地になっていた。
「伸びて、ません」
カルラは何も言わない。失望されているように感じて、この場から離れたくなった。
魔術や奇跡には両方とも、連続で使用できる限界がある。修練を重ねていくうちに、増えていくものなのだが、下田は少しの伸びがあったのみで、それからいくら経っても変わっていなかった。
奇跡を多く使えれば、それだけ味方の継戦能力につながる。新宮は何十回使っても疲れなくなったし、イリ―ナに関しては毎日毎日働いていても、術の使用をおろそかにした所は一度も見たことがない。
下田は、確かに、この伸び悩みに対して焦りと不安を感じていた。頑張ろうとする気持ちだけが、空回りしている状況だ。
「課題を、僕だけ二倍に増やしてください」
「そんなことはできない」
「でも、今のままじゃ駄目な気がするんです。もっと役に立たないといけないのに」
「アキヒロ」
名前を呼ばれて、顔を上げると、カルラが目を細めて笑っていた。下田には、どこか泣きそうにも見える。
そのまま姿が視界で大きくなったので、あれ、と思った時には、抱きしめられていた。
「気持ちは汲もう。だが、急ぐな。お前はお前でいい。そうだな、もっと私が見ていればよかった。ファランの城塞へ行く間に、色々試してみよう」
下田は両手を広げた体勢で固まったまま、続く言葉を聞いていた。なぜ、彼女は特別自分に優しいのだろう。腑に落ちない何かがあるものの、慰められたことは事実だった。
とんとんと、子供をあやすように背中を叩かれた後、カルラは離れた。彼女は下田に向かって頷いて見せた後、少しだけ寂しそうに微笑んで、踵を返した。
「あんたって、周りから愛されてるねえ」
ちとせのからかいに、生返事だけ返した。
たった一つだけ、カルラの慰めにはわからない所があった。
最後に一言、付けたされた単語。
ジョックとは、一体誰のことだろう。
一晩休息した後、下田達は薪を得るべく、不死街から出発した。祭祀場に残ったのは、身体上の理由で動けないルドレスと、他侍女や鍛冶屋アンドレイなど、最低限の者だけで、ほとんどの戦士がこの遠征に参加していた。
「監視隊の薪を得た後は、地下墓を経由して、イルシ―ルという、国に向かいます。そこで二手に分かれることになりますが、まずは最初の目標に集中しましょう」
ヨルシカの説明によれば、道中、何回か祭祀場へと戻れる篝火を数か所に設置して行くという。徐々に行動範囲を広げていくつもりらしい。とはいえ、ファランの城塞まではそのための儀式は行わないとのことなので、厳しい行程になりそうだった。
問題は、他にもある。
「何だ、このざまは」
宇部が、気に寄りかかり、女子三人と下田を嘲笑している。彼が言っているのは、何度か起きた遭遇戦での話だ。手ごわい個体は全て他の戦士達が引き受け、下田達は戦闘音に引き寄せられてきた亡者を相手するだけで良かった。
にも関わらず、戦いの内容は酷いものだった。
「は? こっちの台詞だから。あんたの猪みたいな行動でどれだけこっちが迷惑したと思ってんの?」
「雑魚は見てるだけでいいって、言ったよな。丸戸、そうだよな」
「あ、ああ。お前達が、余計な手出ししたせいで、手こずる羽目になったんだ」
下田は黙って奇跡を施していた。
「違う。あんた達の戦い方が雑過ぎんの。わかる? 私達を巻き込むところだったんだよ」
「よけろよ。それで俺の邪魔したから、怪我する奴が出たんだろ」
宇部が乱暴に弾き飛ばした刃の欠片が、下田の頬を抉ったのだ。出血は激しかったものの、冷静に対処すればすぐに塞がる傷だった。
紗奈に完治の確認をしてもらった下田を見て、宇部は呆れたように肩をすくめた。
「それに、いてもいなくても変わんねえだろそいつ。祭祀場に残してきた方がましだったぜ」
実織が大きく舌打ちする。
「どうしようもない奴」
「だって、そうだろ。結晶のお遊びも、新宮に劣るし、頼みの奇跡は使ってても、すぐにばてちまう。どうしようもねえよ。そんな奴はささっと死んで、留守番してんのがお似合いだ」
丸戸が、追従して笑った。何も言い返すことができずに、下田は杖を強く握った。自分が、あまり役に立っていないのは事実だ。
「…実織、こいつら二人縛るから、死なない程度に燃やして」
「ま、髪の毛くらいはいいよね」
実織が、ちとせと並んで、宇部と丸戸を睨みつける。彼女達が同調しているのはいいことかもしれないが、共通の敵のための団結と言った感じだ。このような争いの光景を、何度見たことだろう。
協力するしない以前の問題だ。まさか、ここまで溝が深いとは思っていなかった。おまけに、宇部の敵意は、実織でも、ちとせでもなく、下田自身に一番強く向けられている。何が、そんなに彼を掻き立てているのだろうか。
「何をしているの?」
すらりとした影が、下田の横を通る。切られたばかりの金髪が、まだ目に新しい。
ミレーヌは睨み合っている男女を確認して、溜息をついた。
「そんなことに労力を使えるだなんて、大した余裕ね。貴方達のために取っている休憩だったけど、いらなかったみたい」
「関係ないだろ。引っ込んでろよ」
宇部は、祭祀場の戦士達にも、その横柄な態度を崩したことはない。ただ一人、ヨルシカを除いては。
「困るのよ。不毛な会話はやめてくれる? くだらない。合わないのなら、組まなければいい話でしょう」
「は、それもそうだな。別にこいつらがいなくても、十分に戦えるしな」
「十分?」
下田は、ミレーヌが薄く笑ったのを確かに聞いた。
「んだよ」
「口だけは威勢がいいと思って。シ―リス、こっちへ来て」
呼ばれた女性が、祖父と目を交わし合ってから、やってきた。
「なんですか?」
下田達へ丁寧な会釈をした後、きょとんとした顔でミレーヌに向き合う。自分達とほとんど変わらない年齢の彼女の剣には、落ち切っていない血がこびりついている。
「頼みがあるんだけど、この人達と、戦ってみてくれないかしら。多少、本気を出しても大丈夫だから」
「はあ」
シ―リスは、周りを見回した。その動作はどこかぎこちない。あの貴樹が勝った戦いの後何日か思い詰めた様子だったが、何か悩んでいることがあるのかもしれない。
「おい、本気で言ってんのか」
「乗るの? もし、勝てたら、この子好きにしていいけど」
結局、参加を表明したのは宇部と丸戸の二人だけで、後は見物することになった。
今までずっと黙っていた高坂も意志を問われたが、首を横に振った。それから彼は槍を収めて、その場から離れて行った。そういえば。下田は気がつく。しばらく、高坂が話すのを聞いていない。
とんでもない条件を出されたはずなのに、シ―リスは嫌な顔一つせずにミレーヌの頼みを聞き入れていた。なぜなのかは、すぐにわかった。
始まってから間もなく、踏み込みを見抜かれ鳩尾に拳を入れられた宇部と、シ―リスの背後を取った直後に綺麗な回し蹴りを食らった丸戸が地面に転がることになった。
少なくとも、身体能力だけなら、宇部は勝っていたのかもしれない。だが、単純な力勝負では計りきれない差が、シ―リスとの間にはあったのだ。下田はぞっとするものを覚える。これが、経験の差なのか。彼女は戦士達の中で最年少であるはずなのに。
男子二人は、ミレーヌ達狼血の騎士に連れて行かれ、道中、みっちりと稽古をつけてもらうことになった。下田達は涼しい顔のままのシ―リスに合流する。
「すご、ほんとに快適―」
ちとせが、シフィオ―ルスの背中にしがみついて、その柔らかい毛に頬を擦りつけた。
下田もまた、吹き抜けて行く風の感触を心地よく思っていた。こんなに大きな動物に乗るのは初めてだ。
「あまり揺れないように配慮しているつもりだが、大丈夫かな」
「最高! ずっとこうしてたいくらい」
「それは良かった」
大狼は喉を鳴らした。
後ろをついてきている、実織と新宮はそれを羨ましそうに見ていた。
「もう少ししたら、交代だからね」
「すまないな。私の体がもっと大きければ、君達も一緒に乗せてあげられたかもしれない」
「でも、それくらいの方が可愛いですよ。あんまり大きいと、ちょっと怖いかも」
新宮の言葉に、シフィオ―ルスは尻尾を一回振ってお礼を示した。
改めて考えても、意志疎通のできる狼というのは、不思議な存在だ。もし日本だったなら、神狼だなんだとあがめられるだろう。しかし、ここでは女子達の関心の的になっている。こんな光景を見て、誓約を交わしている騎士達はどう思うのかと不安になったが、彼らは特に気にしている様子はない。
下田は、自分とちとせに向かっている視線を感じた。シ―リスが、感心したように自分達を眺めている。
「シ―リス、君も乗ってみるか?」
「とんでもありません。そこは灰の方々だからこそ、許されている場所です。シフィオ―ルス様の背になど、恐れ多いことです」
彼女が気にしていたのは、狼の乗り心地ではなく、下田達のことだったらしい。実織と新宮と交代し、自分で歩き始めた時、控え目に話しかけてきた。
「先ほどは、貴方達の仲間に申し訳ないことをしました。ミレーヌさんの言葉で、つい、力が入りすぎてしまって」
「そんなことは、ないですよ」
そうそう、とちとせも頷く。
「むしろすっきりしたしね。本当にすごいと思う。格好良かった」
「ありがとうございます」
大げさに誇ることもなく、また謙遜しすぎもしない姿勢には、確固たる自負が感じられた。それは、今の下田にとってはとてもまばゆいものだ。その根底を知りたくて、気がつけば口が動いていた。
「貴方みたいな強さを得られるには、どうしたらいいですか」
シ―リスは、真面目に考える顔になる。
「そうですね、研鑽を今まで積んで来られたのは、祖父のおかげだと思います。あの人には、剣の全てを教わりましたから」
自分の孫娘に不埒な真似をしようと考えていた宇部達を鬼のような形相で睨んでいる、フォドリック。彼の方を見つめて、シ―リスは微笑む。家族を労わる表情。それを見て、下田はずきりと胸が痛んだ。定期的にやってくる郷愁だ。日本にいた時、自分はこれほど母親のことを考えていただろうか。
「ですから、その、私はまだ信じているんです」
彼女は笑みを引っ込める。目を伏せて、ここにはいない誰かを思い浮かべているのだろう。
「私の祖父を助けてくれた、タカキさんが、何の意味もなくあんな行動をしたとは思えません。きっと、どんな状況にいるにせよ。辛い思いをされているに違いありません。私は、何の恩も返せていないので、一刻も早く」
あまり考えてないようにしていた事だった。客観的に見れば、貴樹は現実に戻るという
皆の願いを邪魔したことになる。
それでも、下田はシ―リスと同じ思いだった。
「つまりさ」
ちとせも、可笑しそうな声が割り込んできた。
「シ―リスさんは、先生と一刻も早く会いたいってことだよね」
言われた彼女はきょとんとした表情になった。
「会いたい?」
「最後に関わったのは、他の人達と一緒に先生と戦った時なんでしょ。それは確かに、嫌だよね。憧れの人と、そんな形で終わりたくないよね」
そして、シ―リスは困惑したように笑った。
「いえ、そういう気持ちでは―――」
言い切る前に、シ―リスは息を呑んだ。何かを思い出したかのように目が泳いだ後、頬が真っ赤に染まった。あまりに劇的な変化だったので、よっぽどのことがあったのかと、下田は心配になった。
「ほら、口ではそう言っても、やっぱりそういうことじゃん」
「違います…」
「いやでも、そんな反応されるとね」
シ―リスは大きく目を見開いて、ちとせに詰め寄った。ものすごい勢いだった。
「私は、決して、あんなものを見て不埒な思いを抱いたわけではありません! 薄暮のため、火継ぎのために仕える騎士として、惑わされるわけにはいかないのです」
「え?」
肩を掴まれたちとせが戸惑っていると、その騒ぎを聞きつけたらしいフォドリックとカルラが、近づいてきた。
「シ―リス、どうしたんだ。最近のお前は少し変だぞ」
「いえ、そのようなことは」
彼女が我に返ったかのようにちとせから離れ、咳払いをした。
それをよそに、カルラが下田に向かって言う。
「アキヒロ、訓練の時間だ」
「あ、はい」
カルラ自身の務めも当然あるだろうに、前に言った通り、下田に魔術をの指導を細かくする時間を取ってくれるようになっていた。彼女の方へと付いて行きながら、気になったことを尋ねた。
「何か、あったんですか」
「ん? ああ、シ―リスのことか」
そこで、なぜかカルラはおかしそうに笑った。悪戯っぽい目つきになると、シ―リスに向かって諭すように言う。
「いいか、それほど深刻に考えることじゃない。あの男の裸を見たくらいで、そううろたえるな。亡者だって、ほとんど服を着ていないようなものだろう」
「カルラさん!」
シ―リスが、悲鳴のような声を上げた。
そういえば、貴樹はずっと、下着姿のままで過ごしていたのだ。途中から見慣れて、特に意識することもなくなっていた。よくよく考えてみれば、当たり前のことだ。激しい戦闘をしていれば、ただの布でできている下着なんて、すぐに駄目になるだろう。
「それは、本当のことなのか?」
フォドリックの声は平坦だった。
「ああ。そのせいで、彼女はまともに戦えなくなった。だが責めないでやってほしい。彼女くらいの年で、まともに男性の下半身を突然目に入れることになれば、動揺はするだろう」
最初はからかうつもりでいたらしいちとせも、同情するようにシ―リスを眺めていた。言われている当の彼女は、耳を塞いで俯いている。そこには自分達と同じ幼さが現れていて、少しだけほっとするような気分になった。
「あの男には、相応の報いを与えねばなるまい」
フォドリックは低く唸った。
ファランの城塞への道中は、特に問題もなかった。かつて下田達の班が苦戦したダークレイスも、あっという間に倒されていく。戦士達は個々の力ばかりではなく、互いを補い合うことにも長けていた。
城塞にたどり着き、さらにその奥に進んでいくと、大きく開けた場所に出た。下田は悪臭に思わず鼻を塞ぐ。辺り一面が、沼になっている。えづくような臭いは底から出ているらしい。
触るだけで害のある、毒が含まれているそうで、念入りに奇跡の防護をかけて進まなければならなかった。さらに、ここを超えるためにはあちこちに散らばる四つの灯台に火を灯さなければならず、そうして初めて、奥への扉が開かれるという。
下田は、狼血の騎士達の支援に周り、そのうちの一つへと向かった。彼らは、ここらの地形に慣れているようで、大きな危険もなく、灯すことができた。
他の場所にも火が宿り、深淵の監視隊がいるとされる場所への道が開かれた。
進みながら、下田は緊張を高めていく。初めての、薪の王との戦いだ。自分がどれだけ貢献できるかはわからないが、全力は尽くそうと、思っていた。
「貴方達は、戦う必要はないわよ」
え、と横を向くと、ミレーヌがいた。
「足手まといって意味じゃない。これは、私達狼血の使命だから。私達だけで、決着をつけるべきなの」
ミレーヌのもとに、五人の狼血の騎士達が集まってくる。彼らは、彼女に向かって頭を垂れると、鞘に収まっている剣を地面に落とした。
下田は、いつの間にか周りが静寂に包まれている事に気がついた。まるで、神聖な儀式を眺めるかのように。
「我らの大願を、遂げたまえ」
彼らは淡々と斉唱する。そして、頭をさらに前へと出した。その伸びきった首に、何か不吉なものを感じた。
「…貴方達の、意志と共に」
ミレーヌは剣をゆっくりと抜く。
そっと、誰かの手が伸びて、下田を後ろへと引っ張った。振り返れば、カルラが首を振って、それからを目を閉じていた。
剣が振るわれるのを見て、下田は息を呑んだ。
五つの首が飛んで、すとんと地面に落ちる。多少は血なまぐさい事に慣れてきたつもりだったが、彼女の常軌を逸した行動には大きな衝撃を受けた。周りを見るも、戦士達はそれを当たり前のように受け入れている。
死体から、白い靄が立ち昇り、ミレーヌの体へと吸い込まれていく。
ソウルだ。
彼女はシフィオ―ルスに向かって剣を掲げた。
「使命を、果たします」
「見届けよう」
その瞬間、彼女の剣から、火の粉が舞ったように見えた。気のせいかどうか確かめる前に、鞘に収まってしまう。
ミレーヌは下田達の方を見て、何かを言いかけた。それから、祈るように目を閉じ、先の方へと、体を向ける。
「我々は、監視隊との戦闘が始まった後、カーサスの地下墓に向かいます」
ヨルシカの言葉で、やはり、自分達は戦わないのだと。割り込んではいけない戦いなのだと、下田は理解した。ミレーヌにとって、使命がどれほどの重みを持つのかは推し量れない。しかし、同じ隊の仲間を殺すことが、軽い気持ちで行われるはずがないのだ。改めて、ここは自分の持つ常識とは違う世界なのだと感じた。
大きな建築物が、近づいてくる。最上部には鐘が設置されていて、まるで監視塔のようだった。
ミレーヌが、大扉に手をかける。
その時、確かに聞こえた。
きぃん、という剣戟の音。
誰かと誰かが、戦っているという考えは、確かに当たっていた。
開いた先は、大広間になっていて、いくつかの死骸が転がっている。それを背景にして、二人が戦っていた。一方は鎧がへこみ、兜も砕かれ、満身創痍だ。当然の帰結で、無傷な方が、もう片方の喉を刺し貫いた。
下田は、徐々に驚愕に襲われる。
生き残ったその男は、闖入者に気がつき、ゆっくりと向き直った。ややくたびれたような表情で、真っすぐミレーヌへと顔を向けた。
「もう全員、殺しちまったぜ」
ホークウッドの剣に、炎の幻影を見たような気がした。