ワードから移した時にそうなっているのか.......。
もっと注意して推敲します。
どうしようもない男だった。
長くは、戦ってきたつもりだったから、隊長などという大層な役目を貰ってはいるが。とんでもない。
自らの中に流れる狼血の力を振るい、深淵を阻む。最初はそれなりに課せられた責務を全うしようと、使命に燃えていたんだろう。それがいつからか、温度のない、義務感という形に押し込められてしまったんだ。
連綿と受け継がれる狼血に薪の価値が見出され、深淵狩りから薪の王という責務に変わっても、中身が伴っていない俺の中では、歓喜でむせび泣く同胞のような気分にはなれなかった。
意味を、そこに見いだせていなかったのだ。
あの子と出会うまでは。
「娘? 元奥さんとか、恋人ではなく?」
貴樹は意外な驚きを言葉に出した。ホークウッドの語りでは、まるで、彼女を自分で育てたかのような内容が伝わってきたからだ。
ホークウッドは、首を振る。
「あいつと俺は、そんなんじゃねえ。もちろん、血はつながっていない。一時期だけ、あいつの世話をしたことがあるってだけさ」
だがそれにしては、年は離れていないようにも思える。精々、年の近い兄妹程度だ。そこまで考えて、貴樹はあることに思い当たった。
裏付けるかのように、ホークウッドが言う。
「ミレーヌと過ごしたのは、俺が火に捧げられる前後だ」
彼が薪の王として燃やされ続けている間にも、時は止まらない。例えば、幼い少女が、女性に変わる程度には。
地下墓に入ってどれくらいの時間が過ぎたのだろう。貴樹達は、内部の仕掛けや敵の掃除、整理にほとんどの時間を取られていた。記憶にない構造が多々見受けられたのも一因だ。上手く事が運ぶよう、全体を見通して調整をする必要があった。
「いいんですか?」
「何がだ」
「彼女は、望んでいないかもしれない。ホークさんの思いを、正確には受け取ってもらえない可能性もあります」
「別にいいんだ。とっくに失望されてるからな」
ホークウッドはまた、遠くを見ていた。
「あいつが、生きてくれさえすればいい。憎まれたって、かまわねえよ」
「なぜ」
呆然とした視線にも構わず、ホークウッドは最後に殺した騎士を地面に転がした。それから乱暴に蹴りつけて、自身の邪魔にならないようにする。そこには、かつて同胞だった者への思いは何も残されていなかった。
ミレーヌは下を向いた後、再び顔を上げた。そこには、無感情を装った何かが隠しきれずに現れている。
「なぜ? そんなことは、どうでもいいだろ。いいのか? あとは俺を殺しさえすれば、使命とやらが果たせるんだろ?」
監視者達のソウルを一身に集めてようやく、薪に足るソウルが得られる。本来ならば、ミレーヌが、大義に背いた監視者を刑することで、その依り代となる予定だったのだろう。
「貴方は、自分が何をしているのか、わかっているのですか」
ヨルシカが、訴えかけるように言う。
「黙れ。媚びへつらっている時から思っていたが、お前達のやっていることは、深淵にも劣る行為だ。わかっているんだろう」
ヨルシカを侮辱されたことに反応し、宇部が前に出ようとした。しかし、その体は巨狼に遮られる。シフィオ―ルスは、悲しそうに目を細めて、ミレーヌの横に出た。
「ミレーヌ…」
「はい、わかっています」
彼女は、口元を引き結び、剣を構えた。
「貴方を、殺すわ」
ホークウッドも、無言で長短二剣の刃を擦り合わせた。彼はもう、盾を持つことはしない。自分が最も馴染んだ戦い方で、自らの願いを遂げようとしていた。
シフィオ―ルスは、最後の勧告をした。
「ホークウッドよ、こんな事になって、本当に残念だ。私は―――」
「黙れ、と言ったはずだよな、獣」
地面に唾を吐く真似をする。
ああ、と、それから意地の悪い笑みを浮かべた。
「それも酷か。最期の言葉になるんだものな」
シフィオ―ルスのすぐ真上に、赤毛の女性が突如として出現する。彼女は瞬時に結晶矢を作り出すと、狼の首元に打ちこんだ。
しかしそれは、寸前でカルラに防がれる。まるで事前に読まれていたかのような、動きの良さだ。
仕方のないことだろう。監視者の死体の中には、剣だけではなく、何か強力な鈍器で潰されたようなものもあった。そして、ホークウッドだけでは、この状況を作り出すことはできないという事実。伏兵に気づくことは想定内だ。
それから魔女は次々と攻撃を行ったが、奇襲に気がついた戦士達の守りを崩すには至らない。
カルラが、思わずと言った形で叫んだ。
「クリムエルヒルト!」
降り立った赤毛の魔女は、すぐにこちらに向かって言ってきた。
「お願いします」
彼女に施されていた見えない体を解除して、貴樹はミレーヌと他の戦士達の間に躍り出た。
(ま、これで殺せたら拍子抜けだしな)
どちらにせよ、これだけ大所帯ならば、分断することは必須だった。
貴樹は片足を上げ、地面を思いっきり踏みつけた。。衝撃が計画通り、大きなヒビを作り、ミレーヌから後ろの地面が全て陥落した。
素直に落ちて行きながら、ホークウッドと一瞬だけ目を合わせる。彼は頭を少し下げ、感鞘の意を示した。
後は、ホークウッド次第だろう。場所は整えた。彼女と二人きりで、ゆっくりと話し合いでもすればいい。
初めは予想外の出来事で固まっていた他の者達も、地面が近づいてきた時には体勢を整えていた。怪我なく着地できるほど足腰が強くない者も、魔術等を用いて、衝撃を緩和する。
貴樹はすぐに後ろを向いて、寝かせている火守女の姿を確認した。湧いてくる敵を全て処理したとはいえ、無防備な彼女を少しの間でも一人だけにするのは、不安があった。安全を確認した後、戦士達が罠にかかる所を見た。
彼らも、わかってはいたはずだ。カーサスの地下墓には所々に仕掛けがあり、貴樹の行動からして、それを警戒しなければならないことくらいは。しかし、全員がそんな心がけを持っているとは限らない。
戦士達の足元に、大きな穴が開いた。と、同時に、貴樹が疾走する。シフィオ―ルスは彼が接近してくることに気がついたようだったが、遅すぎた。
狼の体を蹴り、さらに後ろへと飛ばす。それ以外の者達は皆、さらに下へと落ちて行った。この場にシフィオ―ルスだけが残される形になれば、計画通りだ。
(ちょうどいい感じの高さで作ったし、ジ―クさん達も大きな怪我はしねえだろ。あ、ガキ共はささっと死んでくれていいぞ~)
『おい、よく見ろ。そんなに甘くないみたいだぞ』
穴から、カルラが這い出てくる。それに続いて、彼女の比較的近くにいた生徒達四人が、魔力の床を作りながら上ってきた。
(ち、対応されたか)
下田が、貴樹の体を見ると、驚愕したように口を押さえた。
「先生、腕が」
雑音でしかないので、聞き流した。確かに、両腕は再生しないままだ。奇跡も全く効き目を現さない。結局、切られた腕が必要なのだが、それを持っているであろうロンドール勢の姿は忽然とイルシ―ルの地下牢から消えていた。
シフィオ―ルスがのそりと身を起こし、低く唸った。
「君は、エルドリッチと手を組んだのか? その女は、守り手の一員だったはずだ」
「それは過去の話よ。私は、この人に尽くすって決めたの。あんな人食いの所になんて戻らないわ」
クリムエルヒルトが寄ってくる。離れようと思ったが、彼女は真剣な顔のままだった。
「狼の方を、お願いできますか? 私は、その他に対応します」
「ああ」
「もちろん、生かすつもりはありませんよ。構いませんね」
(ん?)
何のことだろうと思ったら、どうやら彼女は貴樹の生徒を殺す是非を確かめてきているらしい。考慮する以前の問題だったので、任せると、と適当に答えておいた。彼女は顔をちらりと伺った後、くすくすと笑いながら頷いた。
「どうやら君の方も、楽な道のりではなかったらしい。だが、我々も目的がある。そこの火守女と、ホークウッドを返してもらおう」
貴樹は、クリムエルヒルトと背中合わせになって、肩を鳴らした。
(わんこが鳴いているが、これから始まるのは一方的な虐殺…。でもなあ、やりすぎるのもよくない。シフィオ―ルスをここから連れだして、死骸も残さないようにした方がいい。祭祀場の人達に、俺が残虐だと思われるのは本意じゃないし。まあそこは上手く……ああああああああああああああああああああああああああああ!)
『びっくりするからやめてくんない?』
貴樹は己の重大な過ちに気がついた。
(アンリとホレイスまで落ちちまっているじゃねえかあああああああああ! やべえ、間に合わない可能性もあんぞ)
「どうしたんですか?」
動揺の気配を感じ取ったのか、クリムエルヒルトが訊いてくる。貴樹はその肩をぽん、と叩いて、大きく頷いてみせた。
「任せる」
火守女の黒衣の裾を咥えて、彼女を背中に乗せると、閉じようとしている穴に走った。それから何の躊躇いもなく、飛び込んだ。穴の閉じきる音が、しんとした空間の中で響き渡る。
一人取り残されたクリムエルヒルトは、溜息をついてから、掌に炎を生じさせる。
◆
「それは一体何です?」
シフィオ―ルスが背中に乗せている何かは、おおよそ少女と呼べるものではなかった。血と灰にまみれ、汚れた妙な色をした髪が素顔を隠している。そこらの亡者の方が、まだ、まともな格好をしていただろう。
監視者の敵は、深淵の先兵ばかりではない。ソウルを貪ろうとする亡者や化け物ども、そしてそれらになりかけている人間。そういった者達の集落の跡で、見つかったのだという。
俺は、その話を聞いて、すぐに嫌な臭いの正体に勘付いた。この少女は、その歳では受け止めきれないほどの、辱めを受けてきたのだ。
だが、そんな奴は今の時代わんさかといる。死ぬ寸前の子供を拾ってきて、一体何になるというのだろう。
「我らは、救世のために奉仕する。この子が生きていたことは、奇跡に近い。命の火を、絶やしてはならない」
シフィオ―ルスが少女の頬を舐める。無反応だ。
「ホークウッド。君が自身を見失いかけていることは知っている。隊長として、それはあってはならないことだ。今一度、火継ぎを行う意味をわかって欲しい。いいかな、君が、この子の世話をしなさい」
そう、初めは、忌避感しかなかったのを憶えている。監視隊は、誰とも交わらず、子を持つことはしない。その使命の過酷さゆえだ。だから子供と接する機会は皆無だった上に、自分自身、そんなものに関わりたいとは露ほども思っていなかった。
髪の隙間から覗く、亡者のような目と視線が合う。
俺はは小さく舌打ちをした。
運ばれてきた時の様子から、歩くことすらままならないと思っていたが、少女は黙ってついてきた。ほとんど使われていなかった監視所の一室。ここで過ごしていれば、安全ではある。
何せ神代の一振り、月光の御剣が祭られている場所のすぐ隣だ。
「ここで、寝ろ。勝手に外に出るな。わかったか?」
周りをぼうっと見ている彼女を見下ろして、俺は既にやりきった気分でいた。
浄化を施したおかげで、身なりはましになった。意外だったのは、薄い土色だと思っていた髪が、実は黄色よりのものだったということ。珍しい髪だった。古く、繁栄していた国の特権階級の婦女によく見られた色らしい。その時の俺は、ただただ少女の異様さを助長する特徴としか見ていなかったが。
あとはたまに様子を見に来るくらいで十分だろう。死にはしないから、世話してやった範疇に入ると思っていたんだ。
だが、全く彼女のことを理解していなかったのだと、すぐに気がつかされた。
外に出て、ファランの森周辺の見回りをしようとした時、後ろに気配を感じた。振り返ってみれば、監視所の入り口から、少女が覗いている。
「おい。外に出るなと言っただろ」
俺の声が届くと、彼女は早足でやってこようとする。だが、途中で足がもつれ、転んでしまった。飛び跳ねるように起き上がり、少し汚れてしまった姿で近づいてくる。
「聞こえなかったのか? 部屋にいろ」
じっと見上げてくるばかりで、黙ったままの様子に段々と俺は苛々し始めていた。ただでさえ面倒を抱え込んでいるのに、その原因がさらに手を煩わせようとしてくるのが、本当に嫌だった。
俺は短剣を引き抜いて、少女の鼻先に当てる。
「簡単な指示一つも聞けないようなら、死ぬか? お前を沼地に捨ててやってもいい。毒で体が腐りきるか、人外共が食らうまで見ててやるぞ」
丁重に扱おうなどとは考えてもいない。むしろ嫌われてくれれば、彼女と離れるいい口実にもなる。俺は初めから、真面目にやるもりなんてなかったんだ。
だが、少女は怯えすら見せずに、ただその短剣を興味深そうに見つめて、そっと手を伸ばしてきた。
予想外の行動に、俺は反射的に手を引っ込めようとする。その時、刃が彼女の指を切ってしまった。指の腹に、一筋の傷ができる。
そしてようやく、自分が酷く動揺していることに気がついた。今まで散々剣を振るってきたのに、たかが無力な子供に刃を向けた程度で、俺は強い罪の意識を感じていたのだ。今思えば、昔から臆病者に過ぎなかったというだけの話だったが、当時の俺は無かったことにしようとした。
少女は自身の指から流れる血の筋を見た。そのまますとん、と、膝から崩れ落ちる。
「おい」
俺は伸ばしかけた自分の手に一瞬呆然となった。死んでも構わない奴を助けようとしてどうする?
「――」
彼女は何かを口にした。小さくてわからなかったが、その何かが彼女の今までずっと張り詰めていた心を崩したのか。俺と目を合わせた後、顔を大きく歪ませた。
かすかなうめき声。それが、初めて聞いた彼女の声だった。人が最初に声を出す時のようなぎこちなさで、嗚咽を漏らす。俺が石細工のように静止している間に、少女は足へとしがみついてきた。
「まとわりつくんじゃ――」
俺は、あることに気がつく。彼女の涙交じりの言葉は今まで聞いたこともない音の組み合わせだった。カリム、アストラ、イルシ―ル、そしてロードランの古語。他、俺の知っている言語のどれにも当てはまらない。
「お前、俺の言葉がわからないのか」
簡単な指示にも従わなかった理由にも納得がいった。はるか遠くの国から、流れてきたか、連れ去られたか。どちらにしよ、訳のわからない言葉を喋る者達の中にいることは、尋常ではない負担だっただろう。
そのまま少女の叫びを聞いていると、時折、同じ音の連なりが混ざることにも気がついた。それを言う度に、しがみつく力を強くする。縋るような言葉の意味を、俺は理解していた。
親だ。両親を、求める子供の声。
親元から離されて、ならず者どもに嬲られ、今度は俺なんかの側に置かれている。何のつながりのない自分に、泣きつくことしかできない。状況に流されることしかできない、弱い存在。
まるで。
目の前が揺れた気がして、頭を振った。歯ぎしりしながら、少女を睨みつけるが、曖昧な怒りは長く続かなかった。親の顔なんざ憶えてもいない。俺がこいつに同情をするなんてことは、この先も有り得ないだろう。
だが、少女を見ているだけで、自分の中で落ち着きを失くす部分がある。何かを問いかけてくるような気がする。
畜生。
俺は無意識のうちに、彼女を追いやる選択肢を捨てていた。
だから、子供は嫌いなんだ。
火継ぎの時が、近づいてきた。
それでもやるべきことは変わらない。日々、異形を狩り、深淵を見張る。疲弊すれば、安全な場所で、身を休める。気の遠くなるほど繰り返されてきたことだったが、最近は、少しだけ違っている。
「いつ、奇跡を使えるようになったんだ?」
ミレーヌは俺の腕を治療しながら、勢いよく顔を上げた。こちらがうんざりするほどの笑みになって、答える。
「おぼえがいいって、シフィにもほめられたよ。器がすぐれてるんだって。よくわからなかったけど」
元々、素養があったということだろうか。彼女の奇跡の使い方は俺の知っているものとは違っているが、傷は塞がりつつある。何だか妙な気持ちになって、俺は顔を小さくしかめた。笑い飛ばしたいのか、怒りたいのか、よくわからない。そのどちらもしたくない気もして、もはや形を捉えようとすること自体を、諦めた。
「何をしていたんだ」
「たくさん、お話した。シフィのほかにも、きせきをおしえてくれたひとが、もどってきたの。ほんとうはふるい本もよんでみようとしたけど、やっぱりむずかしかった」
務めの終わりに、彼女の成果を聞く。新たに加わった、繰り返しだ。
少女は、驚くべき速さで俺達の言葉を憶えていった。ミレーヌという、自身の名前を言う所から始まり、今はほとんど不便なく会話ができるようになっている。少なくとも、俺よりもはるかに努力家で、頭のできが優れているというわけだ。
何よりも、彼女には度胸がある。元々、明るい性格なのだろう。俺よりは多少愛想の良い同胞たちにも積極的に話しかけて、言葉の習得を速めていた。
「もういたくない?」
「ああ、大丈夫だ」
初めの頃からは考えられない。大方面倒見の良い大狼様がいたおかげだろう。そんなことを考えていると、彼女が見つめてきている事に気がついた。
「ホーク、つかれてるの?」
「急に何だ」
彼女の視線が下の方へ向かう。
「本当に、きずはこれでぜんぶ?」
「問題ねえよ」
彼女は何かを言いたそうに顔を引いた。さらさらと、その動きに合わせて髪が揺れる。肩を超えた長さになったそれは、窓から差し込むわずかな光を映している。もう、異質なものだと感じる心は時間とともにどこかへ消えていた。視線が追おうとするのを、瞬きして止める。
「もっと、やくにたちたい」
「立ってるだろ」
「ちがう。ホークの言ってることじゃなくて、うんと」
ミレーヌは真面目に考える顔になる。俺にとっては背伸びをしているようで、ふっと笑いがこぼれそうになる。そしてそういう自分が、よくわからなくなるのだ。
「ホークは、いつも、これでたたかってるんだよね?」
鞘に収まっている大剣を指さす。その柄にはまだ亡者共の薄汚い血がこびりついていた。俺は何となく手をやって、それを隠した。
「何が言いたい?」
「わたしも、つかってみたい」
「駄目だ」
口を上向きに曲げ、青い瞳を横へ逸らす。不満がある時に、よくやるしぐさだ。
「なんで」
「前にも言った通りだ。剣を憶えて、どうする? まさか俺と同じようなことをしたいとでも思っているのか」
「うん。ホークといっしょに」
我が意を得たとばかりに、元気よく頷く。気楽なものだ。この様子では、おそらく、戦うということがどんなものを己にもたらすのか、まるでわかっていない。わかる必要もない。
「いいか、物事には適性がある」
「てきせい?」
俺はミレーヌの腕をつかむと、彼女の目によく映るよう左右に振った。
「お前の腕と、俺の腕を比べてみろ。何が違う?」
「大きさとか、ふとさ」
「そうだ。剣は、重い。金属の塊だ。しかもそれを振るって、敵の肉体を寸断するには、相応の力が必要になる。お前のその、棒きれのような体でできると思うか? 一度振っただけで、肩が外れるだろう」
彼女は自分の体を触ってから、頬を膨らませた。
「なにそれ」
「事実だ。新しいことに挑む気慨は時に必要だが、無理なことを無理矢理するのは馬鹿でしかない。俺は戦い、お前は学ぶ。それで充分だ」
すぐに、俺は自分を心の中で嘲笑した。何を、そんな偉そうなことを言ってるんだ? 他人に説教する資格があるとでも思っているのか? ましてや相手は、術の才能もあり、頭の回転も悪くない、子供だぞ。今のは、本当に虚しく響いたな。
我に返ると、ミレーヌは眉尻を下げて、不安そうに見つめてきていた。
「何だ?」
敷布に腰を下ろし、彼女は膝を抱える。
「なんとなく、わかったよ。いってること。でもね、わたし、えっと、その、わたしがね、じゃまに、なってないかな。ホークはいいことのためにたたかってるのに、わたしは、ただ、ずっとここにいて、それで…」
俺が、こいつくらいの時、こんな事を考えていたかどうか。俺の腰にも届いていない子供にはそぐわない言葉に、今度こそ笑みがこぼれそうになった。
その瞬間、別の意識が冷や水をかけてくる。自分でも掴みがたい感情の動きに対する鬱憤を、晴らしたいと思ってしまった。
「邪魔だと? くだらねえ」
彼女がこちらを向いた。
「お前はそもそも俺の手を何も煩わせていない。こっちとしてもありがたいと思ってるぜ。生きてさえいれば、周りにうるさく言われることもないからな。お前は監視者でも、火に仕える神官様でもない。そんなくだらないことを考えて何になる?」
俺は、彼女の悩みの本質を、何一つわかっていなかった。彼女の気持ちもだ。最初からずっと、自分の物差しで全てを測ってきた弊害だった。
「お前がどうしようと、自由だ。だが、俺にまで害が及ぶような真似だけはよせ」
そもそも、今ここで、こうしていること自体が虚しい行為だ。こいつの事に、俺が関わっても大して意味はないのだ。どうせ、こいつの未来を見ることはできないのだから。
ミレーヌが何かを言いかけた所で、俺はこの場から離れたい一心で、部屋から出て行った。もうこの少女とは関わらないようにしよう。戦っている時よりもずっと疲弊した気持ちで、次の責務に備えて休みを取った。
何もかも俺のせいで、きっとあれは起きたんだろう。
ミレーヌの部屋に行かなくなって少し経った頃、深淵の先兵を相手にする機会があった。火が弱まると必ず湧いて出てくる膿。それが人間に寄生し、異形化したものだ。多少手こずった俺は、それなりの傷を負い、精神的にも余裕がなかった。
だから、監視所周辺の森で、亡者に襲われている彼女を見た時、その身の安全よりも先に、苛立ちが先に来てしまったのだ。
「なぜ、お前がこんな所にいる?」
亡者の首を切り飛ばした後、俺は震える声で尋ねた。彼女は答えず、持っている短剣を、背中に隠そうとした。転がる亡者の首を一瞥してから、俺を真っすぐ見上げてくる。少しだけ得意げに、口を開いた。
「わたし、ぜんぜんこわくなか」
衝動的に彼女の頬を張り飛ばしていた。憎悪などといったものとは性質の違うような怒りで、ミレーヌに手を上げた直後には、じくじくとした嫌悪に変わる。肉を斬り落とす感触よりもはるかに気分が悪くなった。
「命が、惜しくないのか? 一人で外に出るなと、何度も言い聞かせたはずだ!」
そして彼女自身への苛立ちはすぐに消え、後悔だけが残る。
呆然と頬を押さえていたミレーヌは、怒鳴られて、目を大きく開いた。見る見るうちにその瞳が潤んで、目端に涙が溜まる。口元を震わせた後、俯いて、ごめんなさいと呟いた。それから彼女は俺の脇を通り抜け、監視所の中へと戻っていった。
俺は自分の掌を眺めた。散々、今まで血で汚してきたが、今ほど忌わしく感じたことはなかった。彼女は殴られて当然だという弁護の声と、酷く責めてくる声が、自分の中で混ざり合う。こんなに訳のわからない気持ちになるのは、いつもあいつと関わっている時だった。
いい加減にしてくれ。俺は、俺をどうしたいんだ? もう、決着をつけるべきだ。このままでは普段の職務すら全うできない状態になる。
俺は決心した。彼女と話し、それで最後にしよう。あいつの存在を自分の中で否定できれば、きっと、楽になれるだろう。こんな気持ちともおさらばだ。
苦々しさが増すばかりのまま、ミレーヌの部屋へと向かった。
扉を開けると、彼女は寝具から弾かれたように身を起こした。酷い表情だった。泣きじゃくった跡を隠そうとしているが、赤くなった目がすぐに元に戻るわけでもない。
「お前」
さらに続けようとして、言葉が詰まった。ここに来るまでは、あっさり言えるつもりでいたのだ。自らの使命のこと。自分はもう少しで火に捧げられる。だから、それに集中するために、もう関わらないことにすると、なぜか、続けられなかった。
「どうして、あんな危ないことをしようとしたんだ」
代わりに出てきたのは、より本心に近い言葉だった。
彼女は叱責の続きだと思っているのか、近づいてこないまま、おずおずと目を合わせてきた。
「ごめんなさい。いけないことしたって、わかってる。でも、わたし、こわくなって」
「怖い? ここは外よりもずっと安全だ」
「ちがうの」
語尾が震えた。彼女は何かに耐えるように表情を歪める。涙が頬を伝って、小さな嗚咽を漏らした。俺の、一番苦手な顔だ。まだ言葉も通じなかった頃、情緒が不安定だった彼女を思い出す。
「ほーく、なんで、きてくれなくなったの? わたしが、へんなこと、いったから?」
「いや――」
「そうなんでしょ? だって、あの時、すごくつらそうなかおしてたから」
辛い?
そんなはずはない。俺はそれほど軟弱じゃない。
ミレーヌは鼻をすすって、ゆっくりと歩いてきた。俺の右腕を握って、奇跡を発動させる。応急措置では治しきれなかった傷が塞がっていく。その様子を黙って眺めることしかできなかった。
「ほかのきずも、みせて」
俺の方が、彼女を直視できなくなっていた。
「それで、全部だ」
「みせて。…むねのほうも」
返事を待たずに、ミレーヌは俺の肌着をめくった。本来ならば、そんな行動をさせはしなかっただろうが、この時だけは痺れたように全身が動かなかった。
ちょうど鳩尾の部分にあるそれを見て、また彼女は泣きそうな表情になった。
「ねえ、いたくないの?」
「昔の傷だ」
「うそだよ」
まるで自分のことのように、胸を押さえた。
深淵の監視は、万人が携わりたいと思う役目ではない。人員を補充するため、身寄りのない子供を拾い、狼血の誓いを結ばせることもある。この胸の傷は、大狼の血を受け入れた時のものだ。拒絶反応が出なかったとしても、しばらく激痛で何も考えられなかったのを覚えている。
「シフィからきいたの。ホークたちが、これからどうなるのか」
俺は、ようやく理解した。
「つらくないの?」
「…そんなことはない」
「また、うそだ」
ミレーヌは腹に額を当ててきた。彼女の震えが伝わってくる。
「ホークね、はじめてあったときから、くるしいってかおしてた。たすけっていいたそうだった。わたしとおなじだったから。すごく、よくわかったの」
腰に手を回してくる。俺はそれを受け入れていた。
「でも、さいしょはこわくて。パパやママにあいたくて、こんなところいやだった。でも、ホークが、なんでもないみたいにがまんしてるのをみてるうちに、このひとだけは、わたしをわかってくれるかもしれないって、おもった。いまじゃもう、ホークとはなれるのが、こわくてしょうがなくなっちゃった。ひとりになるのは、いやなの。苦しいの」
彼女は非常に焦っていたのだろう。傍から見れば全然そんなことはないのに、自分が荷物になっていると感じていた。その居ても立ってもいられない気持ちが、足を外へと運ばせたのだ。
だが、そんなことよりも。
気を遣われていたのは、俺の方だったのだ。
目の前が揺れた。壁に手をつき、何とか平静を保とうとする。どんな危険に遭っても感じた事のないような乱れが、俺の全身を巡る。
「…ったのか」
「え…?」
畜生、声まで揺れている気がしやがる。
「じゃあ、俺は、可哀想だったのか? 惨め、なのかよ。そうだよな。そうに、決まってる。歩けもしない時から、深淵に関わり、それ以外特に何の意味も産み出さないまま、最後は好きでもない世界のために死ぬんだ。そうだよなぁ、お前から見たら、どうしようもない野郎だ。ちくしょう、なんでこんな、こんななんだ俺は」
「ホーク!」
ミレーヌが背伸びをして、俺の肩を両手で押さえた。
「ちがうよ、そんなことない」
「わかっているような、口をきくんじゃねえ! お前に、なにがわかる。俺には、これしかなかったんだ。なのに、その使命とやらに、俺は少しも共感していなかった。それでも騙し騙しやってきたんだ。だが、お前と関わってきて、ごまかしが、効かなくなっちまった。死んだら、何も残らねえ。でも生きていても、全てが空虚だ。こんな思いをするくらいなら、誰かが赤ん坊の頃の俺を殺してくれればよかったんだ!」
「あるもん!」
俺の叫びに負けないくらい、ミレーヌは大声を出した。ぐいっと顔を近づけてくる。その目にはさらに大粒の涙が溜まっていた。とても、苦しそうな表情だ。俺には、なぜそんな顔ができるのか、理解できなかった。
「いみなら、あるよ。ホークがいなかったら、わたし、きっといきてなかった。いままでがんばってこられたのも、ホークのおかげだよ。なんかいありがとうっていっても、たりないくらい」
少女の真っすぐな瞳に射抜かれて、俺は数瞬の間言葉を失った。誰かから、はっきりと、感謝を述べられるのは、今まで一度もなかった。
「お前を、助けたのは、シフィオ―ルス様だ。俺は、なにも」
「ホークのそういうところ、ほんとうにじれったい」
少女は泣きながら微笑んだ。
「いちばん、わたしといたのは、わたしとおはなししてくれたのは、…わたしがいっしょにてあんしんするのは、ホーク。ほかのひともやさしくしてくれるけど、こわくないのは、ホークだけなの。ありがとう、いっしょにいてくれて。わたしを、すくってくれて」
ふざけるんじゃねえ。お前なんかに。
言い返しているつもりだったのに、声は出ていなかった。形にならない呻きが代わりに漏れる。
知らなかったのだ。誰かに、自分を肯定してもらえることが、これほどとは。彼女の言葉一つ一つが訳のわからない熱を持って、潜り込んでくるようだった。こんなどうしようもない自分が、何かを成し得たと、思わせてくれる何か。
彼女が、俺を求める以上に、俺はミレーヌの存在を、いつしか当たり前のものとして、考えていたのだ。共に過ごすうちに、確かに、ただの義務感以上の情を、抱いていたのだ。
自分の中に生じた感情を理解するには、時間がかかったが、悪くないと思えた。暗闇に覆われていた視界が、晴れていくようだった。
今最もしたいこと、彼女を抱き寄せることも、躊躇いなく行える。
ミレーヌは驚いたように止まった後、胸に顔を預けてきた。この暖かさだ。これこそが、俺が大事にしなければならないものだった。
「すまねえ、頬は、まだ痛むか?」
「ううん。それよりもね、ホークが死んじゃうほうがずっといたくて、くるしいよ。ねえ、」
ミレーヌは声をひそめた。
「わたしを、おいていかないで。いっしょに、ここからにげよう。わたしね、ほかの国のことばも、おぼえようとおもってるの。どこかとおい国で、かくれてくらせば、きっとだいじょうぶ」
「ミレーヌ、聞いてくれ」
俺は、ようやく理解した。自らの使命を。その意味を。
「火が保たれなくなれば、深淵が世界を覆い尽くすだろう。どうなるのかは、わからない。だが、俺もお前も、生きてはいられない。そんなのは駄目だ。お前には、これからも、生きていてほしいんだ」
わかってみれば単純な事で、それでも、ミレーヌがいなければ永遠にわからなかっただろう。こんな世界は好きでもないが、彼女だけは、自分の命がどうなっても守る価値がある。
彼女は泣きじゃくり、時には怒り、時には哀れみを誘って、俺の意志をくじこうとした。だが俺は、そんなミレーヌの優しさを感じ、彼女に尊敬の念すら憶えてもなお、自分の考えが間違っているとは思わなかった。彼女のために、自分のできることが、ちゃんとあるということを、深く感謝していた。火継ぎの儀式に、初めて偉大な何かを感じていたのだ。
……。
俺は、救いようのない馬鹿だ。
「シフィオ―ルス様。お願いがあります」
既に同胞の全てが、火に捧げられた。彼らは苦痛もなく、誇らしげだった。今の自分も同じ顔をしているだろうか。
「あいつを、どうか、不自由なく暮らせるようにしてやってください。あいつの望むままに。俺なんかよりも、ずっと、優秀な奴です」
ミレーヌは結局、現れない。儀式の間へ向かう途中、彼女の部屋の扉を叩いてみたが、返事はなかった。それだけが心残りかもしれない。だが、俺は笑う余裕さえあった。こんなに明瞭とした気持ちになったは初めてだ。
大狼は重々しく頷いた。
「約束する。彼女の意志を尊重しよう」
「ありがとうございます」
俺は剣を首に当てた。介錯は誰かに任せた方が楽だっただろう。だが、俺はこうして、自分で終わらせたかった。素晴らしい使命に殉じることができるという、異様な高揚感が、恐怖をほとんど消していた。
シフィオ―ルスが下がった所で、入口の扉が開いた。また、泣き腫らした目をして、ミレーヌはそこに立っていた。
「いや…」
彼女はよろけながら走り寄ろうとし、シフィオ―ルスに止められる。彼の巨体を細い手で何度も叩いて、縋るような声を上げた。
「やだよう、おいていかないで、ホーク!」
せめて、彼女には笑っていてほしかった。
ほんの少しだけ残念に思いながら、俺は刃を己の首に斬り入れた。視界が飛び、やがて全てが炎に覆い尽くされる。痛みはなく、不思議な暖かさに包みこまれる。
大丈夫だ。
この時の俺は全てに満足していた。
彼女ならきっと、一人でも生きていける。だから―――、
意識が途切れることはなく、すさまじい激痛が全身を包んできた。もう体なんてないはずなのに、俺はのたうちまわり、何も考えられないまま、絶叫した。
苦痛。
絶望。
憎悪。
奴らに、罰を。最大限の苦しみを与えたまえ。
欺瞞だった。全ては無意味だった。
殺してやる。殺してやるぞ。
憎しみだけで正気を保っていられたのはわずかな間だけだった。同胞達が、燃えながら、剣を振る動作をしている。虫がもがく、哀れな姿にも見えた。皮肉なことに、あれだけ使命感に燃えていた彼らが、火継ぎ、そして大王グウィンへあらんかぎりの呪詛を吐いている。その叫びは亡者の声によく似ていた。
ならば、俺は?
深淵狩りという、本来の務めに縋ろうとした彼らとは違い、何もかもが取り去られた俺の心の中には、一つだけが確かな光を放っていた。
ミレーヌ。
俺は、最後の方、彼女のことだけを、考えていた。
目を開けても、暗闇のままだ。
自分の感覚が、麻痺していると思っていた。もう、焼け焦がされる感触はほとんどない。やっと、楽になれるのだろうか。
瞼を何度も動かすと、徐々に鈍い光を認識できるようになった。脳の奥底に痛みが走り、俺は再び意識を失う。夢の中にいるような、曖昧な覚醒の連続を経てようやく、自分が生きているということを知った。
「お目覚めに、なりましたか」
俺の介護をしている侍女の、小声ですらも耳が痛くなる。口を動かそうとしても、それだけで、じんと痺れるような痛みが走った。
「無理をなさらないでください。自身のお体を第一に」
疑問を言うことすらできない状態がしばらく続いた。知りたいことはたくさんあるのに、喋ることも動くこともできない。火に捧げられている間よりも、気が狂いそうになった。まず何よりも、俺の支えとなってくれた少女に会いたい。そして何度も謝りたい。彼女の言うことが、正しかったと。今度は一緒にどこまでも逃げようと。
だから、状態が回復してきた時、俺が発した第一声は、当然。
「ミレーヌ…」
少女の名前を己に刻み込むように言った。するとなぜか、ずっと俺の側に付いていた侍女が、激しく身じろぎして、顔を覗き込んできた。
一瞬、俺はそれを鬱陶しく思ったが、やがて理解する。相手の顔をはっきりと認識できないが、質素な上着にかかる髪が、光を宿していた。
黄金色、というらしい。薪の王になったことで得た知識。貴重な鉱物の色で、その輝きは炎の明るさとはまた違った美しさだ。唯一、存在を感謝した知識だった。
「お前、なのか?」
侍女は一呼吸黙った後、頷いた。
「はい。憶えていてくださったんですね」
「当たり前、だ。そうか、お前、お前は」
頭が回らない。その声や、言葉遣いは、成長した、芯のある女性のものになっていた。それでも、こちらを気遣う柔らかさが俺の記憶に残っている彼女を確かに表していて、どっと感情があふれ出す。
彼女が慌てたように、そばにあった布を手に取り、俺の頬を拭った。まだ残っている火傷が、涙で染みないようにしてくれたのだろう。情けない姿を見せてしまっているが、今さらそれを恥ずべきことだとは思わない。
「お、れは、ずっと、ずっと。ちくしょう、舌が、まわらねえ。ミレ―ヌ、お前に、会いたかったんだ」
布を脇に置いた彼女は、俺の手を握り、自らの額に押し当てた。噛みしめるような間があった後、治っていない視界でもわかるほどの笑顔を咲かせて、囁いた。
「私も、同じ思いでした」