気分はまるで遠足前夜の小学生のような、あるいは下世話だが初体験直前の童貞のようなものだった。
「ご苦労、ご苦労。お前達も街へ戻っていいぞ。この男は既に実力が認められている」
グンダに言われて、墓前の前で寝そべっていた亡者達が、立ち上がり去っていく。ゲームとは明らかに矛盾した光景を目にしても、貴樹は気にすら留めていない。心臓が痛いほど鳴り、胸を割いて飛び出してくるのかと心配になるほどだ。
(ああ。最高だ。最高の気分だぜ。生き残ったのは俺一人。ということは、もうどこにも鬱陶しい砂利共はいない。純粋な気持ちで、この世界を満喫できる)
彼は片手で顔を覆い、涙をこらえていた。それがまたグンダにとっては犠牲になった生徒達の死を悼んでいるように見えて、この男の評価を勝手に上げてくれるのだった。
グンダが押し開いた門の先には、また少しばかりの墓地が並ぶ坂道と、その先に古風の建物が存在している。火の祭祀場と呼ばれるその建物は、プレイヤー達がグンダをヒ―ヒ―言いながら倒した苦労をねぎらう、安全な拠点だった。そこでは役立つ道具を購入できたり、武器の強化をしてもらうことができる。
(あれ、ていうかこんなに祭祀場って大きかったっけ? なんかゲームのやつよりも三倍は大きいような。ま、どうでもいい。今は、早く、中に入ることが先だ。くうううう、ついについについに)
どこかに差異を感じても、彼にとっては些事に思えた。
やがて荒くならされた坂道は石の階段へと変わっていき、ついに祭祀場への扉が目の前にやってきた。グンダはあえてそこで止まり、傍らの貴樹を見下ろす。
「タカキよ。お前のその悲しみは尊い。どうかこれから映る光景に魂を抜かれないでくれよ。さて、その顔が歓喜にあふれる様が楽しみだ」
(はよ、はよ! グンダ親分、焦らすのは無しでっせ)
彼もはやる気持ちを抑えられずに手伝い、固い入口が一気に開いていった。
中は想像通り、地下の方へと作られた洞穴のような広間が最初にあった。彼はふらふらと進み、やがてあるものを目にして、膝をついた。
高原ちとせが彼を見つけ、飛び上がらんばかりに叫んだ。
「先生? 先生だ! 皆、やっぱり先生も無事だったよ」
広場中央には大きな篝火があり、その周りを囲むようにして、死んだはずの生徒達がいた。ある者は状況を理解できないのか寝転んだままぽかんと宙を見つめ、またある者は親しい友人と抱き合って、互いに生還を喜びあっていた。
「ふふ、どうかな? 実を言うとだな、我輩の殺すという言葉は少々本来の意味と異なっていたのだ。お前の大事な部下達は一人も死んではいない。よくわからないだろうから、説明するとだ…」
「ああ―――――」
グンダは得意げに話そうとして、貴樹が何かに耳を傾ける精神状態ではないのに気が付いたようだ。その感激のしように微笑ましいものを感じて、これ以上言葉を添えるのは無粋だと考えたのか。自分はどこかに消えた方がいいと言わんばかりに、端の階段から下りて行く。
だが当然のことながら、貴樹は生徒達のことなど少しも見てはいなかった。やかましく何かを言ってきているチンカス程度にしか思っていない。真に意識が向いているのは、彼らの集団から少し離れて階段のふもとに立ち、慎ましくグンダへ頭を下げた女性のことだった。
「審判の遂行、感謝いたします。戦士様。これで火の無き灰の方々が全て集まりました」
ゲームにおけるキャラクター名を、火守女という。
祭祀場では道具をそろえることや、武器の強化をすることができる。しかし、それ以上にソウルを使ってレベルアップをさせてもらうという行為が、攻略において不可欠なものだった。
その担当をしているのが、火守女である。毎シリーズに必ず登場し、ほとんどの場合プレイヤ―と最も多く関わることになる、いわばヒロイン的な立場だった。それぞれの作品によって外見は異なり、ダークソウルⅢにおける火守女はかなり人気の高い方だ。
背中まで伸びた豊かな銀髪を緩く三つ編みにし、頭には目元全体を覆うティアラらしきものが取り付けられている。色素の薄い唇は整った形をしていて、細い曲線を描く顎、火に照らされて白くぼんやりと照る肌は、黒のローブやゆったりとした長いスカートとのコントラストで、神秘的な印象を与えてくる。どんな瞳をしているのかはわからなくても、申し分なく美しい人だった。
「それではこの方だけが、まだ一度も死亡していないのですね」
「全員殺しておけと言われはしたが、彼の強さを見て、我輩はその必要なしと判断した。問題ないか?」
「戦士様が判断なされたのなら、よろしいと思います。まもなく総会が始まりますので、ご準備を」
「うむ」
貴樹はじっと息をつめて、二人のやり取りを見ていた。正確には彼女の横顔だけを食い入るように見つめていた。グンダが去りかけた所で、はっと我に返り、内心焦って声をかけた。
「グンダさん、ちょっと」
怪訝そうに振り返ったグンダに近寄り、彼は小声で話す。
「これから他の誰にも、僕の力のことは言わないでください。実は自分でも、どうしてここまでの強さを手に入れたのかわからないんです。事情がはっきりするまで、黙っていてください。生徒達を、あまり不審がらせたくはない」
「ム、そうすると我輩がお前を残らせた理由について、他の者に説明が困難になるのだが」
「そこを何とか。お願いします」
「…わかった。自らの実力を簡単に広めたくない気持ちはわかる。努力しよう」
「ありがとうございます」
「だが、火守女には言ってしまったぞ」
貴樹は彼女に視線をやって、すぐに戻した。
「ああ、いえ。何も問題はありません。火守女さんには知られても構いません」
「そうか。では、行ってもよろしいか? いつかまた、手合わせ願おう」
「はい、また」
グンダの背中が遠ざかっていくのを眺めながら、貴樹は深く息を吐いた。死の恐怖とはまた違った緊張が鼓動を早めている。芸能人に会っただけで喜び、わざわざ自慢してくる輩の気持ちが、ようやくわかった気がした。憧れの存在が目の前にいるとあっては、誰もが冷静でいられなくなるのだ。
火守女が貴樹に顔を向け、広場の中央で燃えている篝火の側を手で示した。
「では、火の無き灰様。貴方もお座りください。改めて、灰の方々が置かれている状況について説明をいたします」
「わかりました」
神妙な顔で頷き、彼は生徒達の方へと戻った。近づいてきた高原達のグル―プにほっとした笑顔を向け、泣きついてきた女子生徒の頭を撫でてやりながら、石の凹凸がある地面に座り込む。
「先生、無事でよかったです」
「うん。本当に。自分でも不思議なくらいだ」
(ほわあああああああああああああああああああああああ§Ю▼〒○※ふぇЖfgrがふぇЩЁ‡∴✇д☆¶※ふぁおほ「pfこfp■±ΩfvhdjふぃおД÷Я◎%8->☆ミ○o.hh)
心の中は、完全崩壊一歩手前になっていた。
もはやこれ以上引っ張る必要もない。
貴樹が最も愛したキャラクタ―こそ、火守女だった。
(落ち着け、落ち着くんだ…。これ以上昂ったら、さすがにガキ共にも気づかれる。ああ、くっそくっそくそくそくそくそ。くっそ可愛いなちくしょおおおおおおおおおおおおお! ひもりん可愛いよひもりいいいいいいん。わああああああああああああああ!さっき会話したよな? 俺、ひもりんと話したああああああふぉおおおおおおおおおおおおお)
うるさい。そしてあだ名が気持ち悪い。
(はあはあはあはあはあ。よし、オーケーオーケー。一旦クールダウンだ。 話が頭に入ってこねえ。静まれ、俺の下半身!)
火守女は楚々とした動作で集団の前に立ち、丁寧にお辞儀する。そして淀みなく語り始めた。
「篝火へようこそ、火の無き灰の方々。
私は火守女。
篝火を保ち、貴方達に仕える者です。
玉座を捨てた王たちを探し、取り戻す。
そのために、私をお使いください」
貴樹には、この瞬間が輝いて見えた。
(きたきたきたきたきたああああああ! この台詞、全く同じだ。ゲームの時は音声英語だったけど、これもまたいい声してんな。そもそも、まず纏う空気が違うね。今にも、ひもりんの呼気が混じったフローラルな香りが漂ってくるようだあ…)
これで外面は真剣にしているのだから、超人の領域だと言ってもいい。
さらに何かを続けようとする彼女を遮って、国広が手を挙げた。
「ちょっと待ってください」
(は? おいカス野郎、このまま天使の声を聞かせろよコラ。塵になりてえのかクズ)
「すみません、いきなりそんなこと言われても、わけがわからない。灰? 玉座? それよりも、俺達は自分の意思と関係なくここに来てしまったんです。できれば一刻も早く現実に戻りたい。帰る方法を何か知りませんか?」
「帰る…とは」
「えっと火守女さん? か他の誰かが俺達を呼び寄せたってことなんですよね。ならきっと、反対に戻る方法も知っているんじゃないかと」
火守女は控え目に首を傾げ、少し戸惑ったような声を出した。
「申し訳ないのですが、私は貴方達がどこからやってきたのかは知りません。最初の火が陰り、王たちが責務を放棄した時、救済のため遣わされる存在とだけ理解しています」
「では、帰れないんですか? 俺達は」
「灰の方々には果たすべき使命があります。決して投げ出してはいけない使命が」
「何なんだ…。意味がわからないよ」
国広が二の句を告げなくなった所で、新宮が手を挙げて質問をした。
「あの、それよりも。私達、確かに死んだはずですよね。不思議でしょうがないんです。実織を助けられて、ほっとして、すぐ後にあの大きい斧が私の体を割いて…」
語尾が震え、実織が彼女の肩を励ますように抱いた。
「それで、上手く言えないんですけど、意識が一瞬で途切れた感触があって、死が確かに自分に訪れたみたいな。そんな実感がわいたのに。これは一体どういうことなんですか?」
何人かが思い出したように自らの体をさすった。今でも身に染みついている恐怖があるのだろう。新宮の話によれば、意識がなくなった直後には、この祭祀場で目を覚ましていたらしい。そして彼女より後に死んだ宇部や国広、下田、実織が突然現れるのを目撃した。
「それは、貴方達が不死だからです。一度失われた命も、この篝火により再生され、復活が可能となります」
「不死、ですか?」
生徒達の間でざわめきが広がった。現実離れした言葉にどう反応していいのか困っている様子の者もいる一方で、宇部や丸戸は事情は全てわかっていると言いたげに頷いている。
「体が朽ちることはありません。どれだけ破壊されようとも。ですが灰の方々といえど、不死の力を生身のまま完全に制御することはかないません。故に死亡し、復活するたびに相当の精神力が必要となります。…貴方達の中にも、そういった負担を感じている人がいるのではありませんか?」
(…! 本当だ。胸が苦しい。ドキドキが止まらねえ。おかしい、俺は死んでないはずなのに。この感触は何だ? ひもりんを見てるだけで感じるこの、息子が下着をぱつんぱつんに押し)
基本的に、貴樹は性欲に忠実だった。ひどかった。最低だった。時と場所を選ばない。
火守女の言葉に、幾人かが納得した様子だった。比較的普段と変わらない生徒もいるが、顔色が悪かったり、苦しげに呻きながら横になっている者もいる。後者の占める割合が最も多かった。
「一度の復活にどれほど負担がかかるかは、個人の素質によります。体がいくら不朽であろうとも、心は違います。滅びぬ苦しみに、精神を苛まれない者はいません。よって貴方達が復活できる回数には上限があります」
宇部が、眉をひそめて口を開いた。
「おい、それじゃあ不死って言えないじゃねえか」
「そう思われるのは、当然かと思います。……では、少しお待ちください」
彼女は踵を返し、複数ある大きな洞穴の内の一つへ入っていった。生徒達が何かを話す間もなく、車輪の音を鳴らして出てきた。
「なるほど。こいつらが予言の。子供ばかりじゃないか」
火守女と、薄い赤色の装束を被った老婆が、木製の荷台を運んできた。老婆は広場に集まる一人一人の顔を見て鼻を鳴らした後、荷台にかけられた覆いを外す。
貴樹は思わず唾を飲み込んだ。
上に置かれていたのは、人数分揃ったガラス瓶だった。その中には山吹色に発光する液体が入っている。
(エスト瓶じゃね―か。やべえ本物だ)
ゲームにおける回復アイテムが、それだった。火守女が一本手に取ると、皆に見えるよう少し高めに掲げてみせる。中の液体が揺れ、篝火の明かりに照らされて光が散った。
「灰の方々には、これを飲んでもらいます。そこにある篝火の一部が成分として入っていますが、害はありません。飲むことによって復活における負担を消し去ることができます。つまり、本当の意味での不死になれるということです」
(ん? ゲームとは違うのか。むしろずっと重要なアイテムになってんじゃん。つ―か祭祀場の侍女ってやっぱりババアだな―。そこくらいマイナーチェンジしてもいいのに)
各々にエスト瓶が配られる。早くも訪れた火守女と接近できる機会に興奮したものの、彼の方へ配りに来たのは老婆だった。もちろん失望は表に出さない。
「あんた、そんな恰好をしているのはどうしてだい? おかしな趣味だね」
「駄目なんですよ。着ようとしたら、痛みが走って。どうにも着れないんです」
「…そうかい。まあそういうこともあるだろうね」
何かを含んだ目つきで貴樹を一瞥してから、洞穴の奥へ戻って行った。彼女は攻略に役立つ道具を売る役割を持っている。後で見に行ってみようと彼は決めた。
「ではお飲みください。ただし、一度飲んだならばもう後戻りはできません。…全てを賭して使命を全うする覚悟を決めてから、決断することをお勧めします」
火守女の言葉に、意識のある生徒のほとんどが困惑気に顔を見合わせた。彼らからすれば、状況はいまだに不明だ。この奇妙な飲み物が本当に安全な保証はない。まして一体今から何をすればいいのか、何を目指していけばいいのか皆目わかっていないのだ。使命という言葉に、強いられる不安しか感じられない。
そういった者達を代表して、国広が再び尋ねた。
「その、使命というのは一体何なんですか。僕たちは、今まで戦いなんてろくに経験した事のない一般人です。それで何かをやれと言われても、説明が足りないとしか」
「何をすべきなのかは、わかってるぜ」
宇部が立ちあがり、優越感に満ちた笑いをこらえた表情で皆の前に立った。傍らの火守女に遠慮のない視線をやり、貴樹の感情を乱す。
(尊い火守女様に対して何だその態度は? お前は五体投地でもして地面を舐めてるのが相応なんだけど?)
「要は、四体いる王達を殺して、薪をくべればいいんだろ? それでゲームクリア―だ」
「はい。やはり灰の方々は、すでに使命を了解しているのですね。私が話すまでもありませんでした」
「気にすんなって。お前はお前で役に立つ部分があるんだからよ」
そう言って慣れ慣れしく彼女の肩を叩く。それを見て、貴樹は口元をわずかにひきつらせた。
宇部はエスト瓶を手に持ち、気の進まない様子の者達を嘲笑った。
「何びびってんだよ。いいか、これはゲームでも登場したアイテムだ。こいつの言うとおり、害のないことは保証されてる。そんなに心配なら、見てろ」
誰かがあっ、と叫んだ。宇部が瓶を傾け、口の中に輝く液体を流し込んでいく。あっという間に一本分飲みほした。しばらく周りは口を閉じ、宇部の様子を眺める。喉仏が動き、全て体内に入りきった後、彼はつまらなそうに肩をすくめた。
「特に味もない。強いて言うなら、ちょっと暖かいってことくらいか。水に近い感じだな。ただ、何だか力が湧き出るみたいだ。何の異常もねえよ。丸戸、お前も飲んでみろ」
「え、あ、ああ」
丸戸も、そのだらしなく垂れた顎を突き出して、エストを飲んだ。
「ほ、本当だ。何ともない! ははは」
「あん? 何だその言い方。俺の言葉信じてなかったのか?」
「い、いや。そんなことは…」
こうして安全性が示されたのもあり、他の生徒達も続いて飲み始めた。立ち上がれなかった者も、それを摂取した途端回復していく。この世界に来た時から気分が休まらず、顔色の優れなかった一部の生徒達は目に見えて元気になっていた。
「それでは、もう間もなく総会が始まります。貴方達の使命について、さらに詳しい説明がなされるでしょう。最後にもう一度だけお許しください。どうぞ灰様、私を使命のために役立ててください。それが、私の全てです」
火守女は再び丁重な礼をした後、少し後ろに下がった所にある、石造りの段差に腰かけた。それ以上彼女が話し出す気配がなかったため、話が終わったのだとようやく皆が理解した。
ざわつきが戻り始める。早速国広が自分達がやるべきことについて、宇部達と話しあっている。貴樹の近くに座っていた芳野、久慈、高原の女子三人組もエストを飲んだ。静かに座っている火守女をぼんやりと眺めていた貴樹は、話しかけてくる声で我に返る。
「先生は、飲まないんですか?」
「うーん。ちょっとね。火守女さんと話すことがあるから」
(今すぐにでも味わってみたいけど、まずはひもりんの事だ。一歩ずつ夢を叶えていこうかあ)
芳野がここぞとばかりに大きく手を挙げる。
「せんせ、私も付いてっていい?」
「ごめん、できれば僕一人で行きたいんだ」
「え―、ならしょうがないけどさ。ざ―んねん」
(てめ―が付いてくると、さすがに夢もぶち壊れるわ。ぶってんじゃねえぞガキ)
皆がエストの効力に驚いている中、貴樹はさりげない風を装って火守女へと近づいていく。できればもっと離れた別の場所で二人っきりになりたかったが、この段階でそこまで積極的になるのはなおさら目立つだろう。彼女へ向けている気持ちが生徒達に伝われば、この世界の事を何も知らないようにふるまっている貴樹へ、疑惑が生じかねない。
火守女へ近づいていくほど、謎の浮力が全身にかかる。既に自重の感覚はほぼ消失していた。まずは一言でも話すこと。たったそれだけの目標なはずなのに、今はそれが重大な意味を持つ気がした。人間としての次元が、一段階上がるような。
内心はトキメキであふれている。
(にゃ、にゃにこれえ…。緊張しすぎて、頭がフット―しそうだよぉっ……!)
不気味である。乙女心を持った貴樹など、もはや冒涜的何かである。長期間放置され蠅のたかる生ゴミの方が、いくらか良心的だ。
彼女がようやく熱視線に気が付き、顔を向けてきた。目線が合った事で、異常な鼓動は、突然死の恐れがあるレベルに上がった。どことなく知らない場所で不安を感じている表情を作り、会釈して話しかけようとする。
(まずは握手だ。スキンシップは大事。これ万国共通。はわわわわ、ひもりんの手ってどんな感触だろ。ん? ハグするのも挨拶だっけ。やべえよ、自然な流れであの胸を感じられるじゃねえか…)
しかし、彼の望むあわよくばスケベ展開は、途中で断念せざるをえなくなる。
肩を誰かが掴んできた。オラつきたくのをこらえて振り返り、すぐ後ろにいた女子生徒の顔を見た。
さらに苛々が増す。
「先生? ちょっと話があるんだけど、いいですか?」
距離感のつかみづらい言葉で、実織がおずおずと尋ねてきた。
「待ってくれないか? あの人に用事が」
実織の顔が、不安そうに曇る。貴樹の腕をすがるようにつかむと、震える声で言った。
「ごめんね。たかにぃに色々話したい気分なんだ。少しだけでもいいから、時間くれないかな? 吐き出さないとやっていけないの」
「実織…」
貴樹は周りを見回した。誰もが仕方がないという反応をしている。自分の願望を指示してくれそうな者が一人もいない。完全に断れない空気になったので、彼は胃のむかつきを我慢して頷いた。
「遠慮なんてしなくていいよ。何でも相談してくれ」
「ありがとう…。ここじゃ話しづらいから、移動しよ? あんまり時間は取らせないから」
反転して笑顔になった実織は、彼の手を引いて洞穴の一つへ向かう。さっきまで貴樹と話していた三人組が、羨ましそうに二人を眺めている。
「やっぱり絵になるね」
「まあ正直、“たかにぃ ”を使う資格があるのは実織だけだよ」
「いいなあ…。私もあんなお兄ちゃんがほしい」
(そんなこと言ってる暇あったら、俺をフォローしろよ貧乳三人衆が。あ―あ、ひもりんが離れていく…)
遠ざかっていく火守女の姿を、視界から消えるまで未練たらしく見た。
点々と壁に照明が掛けられ、ほど良い明るさに保たれた洞穴を進み、角を曲がって誰の声も聞こえなくなった段階で、実織は彼の腕を乱暴に離した。両手を丹念に、嫌そうにこすり合わせ大げさに舌打ちをする。貴樹もまた彼女が握っていた腕に部分に息を吐きかけ、岩の壁に擦りつけた。
実織は彼の方を見もせず、ため息交じりに言った。
「ずっと思ってたんだけど、演技するのって苦行なんだけど。どうしてあんたなんかと慣れ慣れしくしないといけないわけ」
「…」
彼は下に唾を吐く真似をした。
相手も不快そうな表情で言う。
「あのさクズ兄」