火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

32 / 74
32.禁忌

(はわわわわわわわわ、ど、どどどどうしよ。どうしよこれ。やばば。ま? おれ、えええ? 頭こわれりゅううううううううううう)

 

 貴樹は己の体の価値を誰よりも理解している。今まで、異性に対してある一定のラインを越えた接触を許してはこなかった。童貞であるし、他の経験もなかった。親や姉に頬へ口づけされたくらいだ。自分から、親愛の証として、接吻をしたのは初めてだった。頬であっても。

 吊り橋を早足で渡りながら、口に残る甘い感触を確かめる。今まで食べた、どんな果物よりも爽やかで、心地のよい甘味がしたような。

 

(ノリで何してんの俺ええええええええええええええええええ!? は、はっっっっっず! キスしちゃった。うわああああああああああしあわせええええええええええええ)

 

 ちら、と後ろを振り返る。ちょうどゲルトル―ドは橋の真ん中にたどり着く頃だった。その姿を確認しただけで、彼は崖の上で何度もぴょんぴょん飛び上がる。空中で二回転ほどして、アクロバティックに気持ちを表現していた。

 

「な、何を、してるんですか」

 

 帰りが遅いことを心配してくれたのだろう。由海が梯子から上がってきていた。あまり貴樹の奇行に見慣れていない彼女は、彼の仲間に縋るように顔を向けた。が、もちろん、慣れていないのは彼らも同じだった。

 

「これは、重症だぞ」

「旦那様、落ち着いてください。そのままだと、崖が崩れます」

「ねえホーク、あの人って、いつもああなの?」

「ゲルトル―ドが絡むとな…」

「……」

「タカキさん、地面が割れます。それ以上は。ちょっと、いいですか。ゲルトル―ド、彼にやめるよう言ってあげてください」

「うん。タカキさま、」

「あっ、逃げたわよ!」

「おい、なんでそうなるんだ」

「はぐれるのは駄目です。タカキさん!」

「……」

「恥ずかしがるのも、限度があるでしょう」

 

 しばらくして、貴樹は多少整理をつけ、ウィン達の新拠点に戻った。なかなかゲルトル―ドの顔をまともに見ることができない。そのくせ、彼女の側からは離れたがらなかった。自分のした行動についての感想を是非とも訊きたかったが、度胸が追いつかない。

 報告は、簡潔に終わった。何かがこじれたわけでもなく、さらには貴樹の姉がフリーデに寄生しているというややこしい事情も、ウィン達には話す必要がない。彼らは、この世界から出られるという可能性を示してあげるだけで、他のことは何一つ気にならなくなったようだ。

 

「ソウルを集めるというのは、つまりどういうことで?」

 

 普段インベントリを扱っているのにもかかわらず、ウィンはその基が何なのかをよく理解していないらしい。

 

「生物を殺すと、こう、白い靄のようなものが出るじゃないですか。それのことですよ」

「んん? 見たことないぞそんなもの」

 

 他の者達も同じようだった。嘘をついている様子はない。有り得ないはずだった。彼らだって、狼を殺している。そのソウルを吸収してないのだろうか。

 

「とにかく、ほとんどの生物を処理しないと、脱出の道は作れないようです。僕が中心に行っていきたいと思っていますが、協力をしてくれるなら、ありがたいです」

 

 どちらにせよ全員に関係があることなのだから、当然、彼らも乗り気だろうと思っていた。しかし、予想に反して、その反応は鈍い。

 ランドンが難しい顔で、言ってくる。

 

「つまり、殺すということか?」

「そうなります」

「狼も、鳥頭の人型も?」

「鴉人の拠点があるのは、知ってますよね。そこを最初に潰したいと考えてます」

 

 貴樹は敏感に空気を察知する。意外なことに、それに好意的な反応を返すのは、一人もいなかった。ウィン達は互いに目配せをして、何かを共有した。ランドンが重い口調で、反対の意を述べてくる。

 

「悪いが、協力はできない」

「大丈夫です。危険ではありますからね。僕達だけでも、大丈夫ですよ」

「お前達が、その行動をするのも、容認できない」

 

 腕を回して、骨を鳴らす。貴樹は口を開け閉めしてから、椅子に腰かけた。

 

(この木偶は、何様のつもりだ?)

「それだと、えっと、困りましたね。どうしてです?」

「まず、その画家というのが、本当に信用に足るか、怪しい。具体的な方法とやらも、聞くだけでは荒唐無稽と言わざるおえん。絵に入ればいいというのは、あまりに空想的だ」

「でも、貴方達も今までたくさん、そういった物を見てきたはずです。ここが、地球とはまるで違うということも当然わかっているはず」

「もう一つは、獣や化物は我々にとって脅威であるとともに、欠かせない存在でもあるんだ。今まで、それらの数が極端に減りすぎないよう、調整をしてきた。成功するかどうかもわからない、あやふやな方法に、全てを賭けることはできない」

「欠かせない存在?」

 

 貴樹は、違和感のある言葉を繰り返した。同時に、彼らの狩りの光景を思い浮かべる。

 

「必要だということは、今までの行動でわかっています。だからこそ、今が、天秤にかける時です。あっちの世界も、楽園というわけじゃない。それでも、ここよりはずっとましなんです。留まる選択肢は一番、貴方達のためにならない。」

 

 ランドンはなおも首を振った。

 

「俺達だってそうしたいんだ。ただ、交渉をしてもらった身で申し訳ないが、他の方法を考えてもらいたい」

 

 今までの貴樹だったならば、ランドン達をいよいよ邪魔な存在だと断定し、多少強引な方法であっても排除しようとしただろう。それくらい、納得のできない言い分だった。しかし、怒りの前に、疑念が先に来た。

 この世界から脱出する方法があるのなら、たとえ不確定であっても、飛びつくだろうと思っていた。それくらい、彼らは苦難を味わってきたのだと察することはできる。だが、脅威であるはずの存在を根絶やしにするのに、納得していないのはなぜか。

 己の勘が、その答えこそ、彼らのどこか暗い雰囲気を作り上げている要因だと言っている。

 しばらく考える間を作り、相手の不安を煽る。行動の指針を決めると、貴樹は柔らかく微笑んだ。

 

「そうですね。僕も気が急いでいたところがありました。より良い方法を、こっちでも模索してみます」

 

 ランドンは組んでいた腕をほどいた。

 

「…何も訊かないのか?」

「貴方達全員の意思なら、もちろん尊重します。まあ気長にやりますよ。それよりも、実は、僕にとっての本題はまだこれからなんです」

 

 わずかに警戒を強めた彼らに向かって、頭を下げた。

 

「なるべく働くんで、女性用の手袋と、カメラをインベントリから出してくれませんか。カメラのほうは、すぐ現像できるやつでお願いします」

 

 雪が冷たいことには変わりない。洞窟内でも、外に出てからも、ゲルトルードが寒そうに手をこすり合わせていたのがずっと気になっていた。

 

 

「大丈夫、気にしなくていいよ。自然体が 一番だからね。あ、その角度いいね~。できれば、手をもうちょっと、顔から離してくれない? ああ、うんうん。可愛いよ」

 

 パシャリ。

 

(きゃわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ)

 

 クリーム色の布地で手首の部分にフリルがついた、落ち着いた女性らしさのある手袋だった。楚々とした黒衣と合っているかどうかは賛否両論だろうが、この男にとってはちょっとした変化でさえ、多大な興奮を促された。

 

(医療用のゴム手袋も捨てがたいな。あ、想像したら勃ってきた。えっっっっっろ)

 

 ポラロイドカメラでの撮影会は、彼が満足するまで続けられた。計五十三枚の写真には、あらゆる角度のゲルトルードが記録されている。同じものは一つとしてなかった。そしてどれもが、貴樹の欲望を満たすのに十分な魅力を備えていた。

 

「じゃ、ミレ―ヌさんお願いしますね」

「いいけど…」

 

 そのうち、一枚だけを選んで、残りはミレーヌのインベントリにしまってもらうことにした。日替わりで変える予定だ。実に充実した日々を遅れそうだった。カメラの電源からして、まだまだ写真は撮れる。

 ややくたびれた様子のゲルトルードを慮り、今度は座ってできるようなことを始める。外は寒いが、クリムエルヒルトの呪術で常に温まれるようにしてもらう。そして彼女を膝の上に乗せた貴樹は、雪のことについて話し始めた。

 

「地面の方を触ってごらん。さらさらってするだろ。そして冷たい。それが何か、知ってるかい?」

「ううん」

「雪っていうんだ。空で水が固まって、降りてくる。ほら、炎の近くはべちゃべちゃしてるだろ。水に戻ってるんだよ」

「ほんとだ。でも、はじめて。わたしの周りだと、こんなのなかったよ」

「どうしてだと思う?」

 

 雪に触れながら、彼女は頭を揺らした。その頭を捕まえて、自分の股間に押し付けたい衝動が止まらない。銀髪に鼻をうずめることで、何とかこらえた。

 しばらく考えて、何か分かったらしい。顔を上げて、彼のほうに向き直ってきた。

 

「寒いせい?」

「せいかああああああい! すごいねっ、君は天才だよ。ご褒美にチュウしてあげる」

「ちゅうって?」

「さっき、ほっぺたに僕がしたこと。い、嫌だった?」

 

 彼女は自らの頬に手を当てる。その麗しい御手と間接接吻をしているようで、段々と高揚感で訳が分からなくなってきた。

 

「わかんない。ちょっとくすぐったかった」

「何回もすれば慣れるよ。ね、いいよね。大丈夫、さきっちょだけだからっ」

「うん」

 

 最初は、鼻の先を頬に擦り付けてみた。柔らかく返してくる肌の感触で、彼のタガが外れる。右頬、左頬と一回ずつ口をつけた後は、もっと大胆になった。大胆になろうとして、顔がそっと誰かの手によって抑えられる。

 

「これからどうすべきか、話し合う必要がありませんか?」

 

 風呂の一件から、たまに淡々とした態度をとるようになったアンリが、見下ろしてくる。

 

「もう少しだけお願いできます?」

「貴方は、合意の上だと思っているかもしれませんが、間違っています。その行為の意味をきちんとこの子が理解して、その上で彼女が望むのなら、止めません。いいですか?」

「はい…」

 

 このまま順当にいけば、ある程度の人目があるこの場でも、良俗に反する行為へと発展していただろう。貴樹としても、ただ彼に従うというよりは、やはり自らの意思で、喜びを持って、彼女が甘えてくるのが一番だった。

 会議の内容は、すでにあらかた伝え終えている。皆、彼があっさりと引き下がったことに疑問を感じているようだった。他に脱出する方法があるのかと訊いてきたが、もちろん貴樹も思いついてはいない。

 それでも自分に任せるよう、彼は自信たっぷりに言った。たった一度の話し合いで諦める意味はない。次からは、もっと相手が話を飲み込みやすくなるような工夫を凝らせばいい。

 なので、弱みを握ることにした。

 

 

 ある程度良好な関係をウィン達と築けてはいるが、彼らの居住区に長時間居ることを許されている感じはしない。直接言葉に出してはこないものの、その点だけは確固たる壁がある。

 そしてもろもろの怪しい点を鑑みて、彼らが寝静まると予想される時間帯に、居住区へ忍び込むことにした。侵入を正直にアンリ達に断ってから、行動を開始した。

 この世界でも、昼夜の概念はある。実際に時計などで計ったことはないが、その間隔は地球とそれほど変わらないように思える。太陽らしきものの外見はかなり差異があるとはいえ、沈めばあたりは暗くなる。

 会議室の前を抜け、腰を落としながら、自分達の寝床とは反対側の区域へ侵入する。一つ一つの部屋を見て回ったが、彼らが眠っている姿は見当たらなかった。さらに進むと、一番奥の部屋の明かりが灯されているのが見えた。小さな話し声も聞こえる。

 その部屋の前まで近寄ると、耳をそばだてた。何かを咀嚼する音、ぼそぼそとした喋り声、そして、濃い血の臭い。

 

「やっぱ、死んでから時間がたつと駄目だね。もう残ってない」

 

 と、ジアンナの声。

 

「ママ、気持ち悪い……」

「我慢するの。主よ、恵みに感謝を。我等をお許しください…」

「ここはもう違う世界だ。神なんてものは存在しない。いても、別の何かだろう」

 

 ランドンはそう吐き捨てて、何かに食らいつく。

 

「で、どうするんだ。ウィン、あいつらに事情を話すか?」

「慎重になった方がいいね。彼らは、俺達とは違う。もう確定だ」

「特にタカキだ。あいつのバイタリティは無尽蔵に思える。我々とは違った方向で、人間を逸脱しているんだろう」

 

 獣の唸り声が混ざった。非常に敵意がこもっていて、不安定にか細くなっていた。金属音とともに、息の詰まるような断末魔を発して、静かになる。同時に、ランドン達の間で重い沈黙が漂う。

 聴覚だけでは状況を完璧に判断できないので、貴樹は岩肌に頬をつけながら、中を盗み見た。

 

(これはこれは…)

 

 彼らは、狼を食べていた。首を切り、皮を剥ぎ、腹を裂いて内臓を取り出してから、胴や足部分の肉を中心に生のまま口に入れている。ろくに血抜きもしていないようで、口の周りや歯を真っ赤に染めて食事している様は、原始にたち還ったも同然だ。

 さらに異様なのは、その行程が非常に素早くなぞられていることだった。まだ狼の痙攣や硬直が続いている間に、貪っている。まるで鮮度が大事だと言わんばかりに。

 普通に考えて、彼らが狼を食べることも、ましてや狩りをすること自体、必要がないのに、わざわざそうすることを選んでいるのは、奇妙だった。

 彼らが、貴樹達に風呂を勧めた一方で、食事の方に関して何も言ってこなかったのは、これを隠すためだったのだろうか。確かに動物染みたその光景は面白い見世物だが、これだけでは今一つ足りない気がする。

 観察していてもそれ以上何も出てくることはなく、彼らの食事は終わろうとしていた。こそこそする意味も見出せなくなった貴樹は、洞窟の壁に掛けられているランプを見た。偶然を装い、ランプに肩を当てて落とす。地面に衝突し、ガラスの割れる音が十分に響きわたった。

 

「誰だ!」

 

 ランドンが鋭く叫ぶ。全員の立ち上がる物音が聞こえてきた。

 貴樹はゆっくりと、両腕を上げ、戸口から姿を見せた。銃を構えていたランドンが、微妙な表情になって、銃口を下げる。

 

「こんな時間に、何の用だ」

「もう一度、話し合いたいことがあったので。でも、今は邪魔だったみたいですね。失礼しました」

 

 曖昧な笑みを浮かべつつ、彼は空いている丸椅子に座った。他の者達は動かないままだ。

 

「別にどうとも思ってませんよ」

 

 全員の顔と、一つ一つ目を合わせる。そらさなかったのはウィンだけだった。

 

「もっと異様な光景を見たこともありますから。ただ、不思議ではあります。貴方達のインベントリというのは、食べ物も出せるんじゃないんですか? どうして、わざわざそんなものを」

「逆に訊きたい」 

 

 ウィンが狼の遺骸を撫でる。

 

「タカキは、食べないで生きていられるのか? 俺達からすれば、君の方が異常なんだ。インベントリかい? もちろん試したさ。でも、いくら取り出して、食べてみても俺達の空腹は収まらなかった。味は感じるのに、満たされない」

 

 水の入ったコップを出現させ、口をゆすいだ。遺骸も消失する。それでも、血の臭いは残っていた。

 

「最初五十人を超えていた仲間達が、ここまで減った一番大きな要因は、栄養失調と低体温症だ。食べ物が目の前にあって、口に入れることもできるのに、俺達は飢えていった。どんなものにでもすがりたかったんだ。それである時、襲われたばかりの狼の死体を食べた。血と臓物の最低な味しかしなかったけど、体中に力が戻っていくのがわかった」

 

 思い出したくない記憶から逃げるように、全員が俯いていた。それとも、それぞれの反応を貴樹に気取られないようにするカモフラ―ジュだろうか。

 彼は笑みをこらえた。非常に出来の悪いフィクションを無理やり聞かされたせいで、一周回って目の前の者達が滑稽に思えてきた。

 

「つまり、インベントリ以外のものを直接摂取すると、飢えは収まるんですね。一日にどれくらい食べなければいけないんですか」

 

 ランドンが答える。

 

「個人差があるが、狼なら二匹の成体があれば、我々全員を一日分は賄える」

 

 貴樹は、ウィンの発言の矛盾点と照らし合わせ、彼らの後ろめたい空気の原因を確定することができた。実に、お似合いだ。

 確証を得るために、ずっと後ろをついてきていた人物に声をかける。

 

「クリム、入ってきてくれ」

 

 赤毛の魔女が出現した。貴樹が入ってきた時ほど、ウィン達は驚かない。それだけ、彼は信頼されていたのだろう。決してこそこそと、自分たちの秘密を覗きに来ようとはしないと。

 

「誰でもいいから器を見てくれ」

 

 彼女はウィンに目を止めた後、その隣にいた由海を指差した。貴樹とクリムエルヒルトの二人で、相手へと近づく。何をされるのか多少不安がっていたようだが、ただ手を出すように貴樹が優しく言うと、訳が分からないなりにおずおずと従った。

 クリムエルヒルトが、彼女の手を包み込む。目をつぶり、何かに集中した。傍目からは、何の変化も見られない。

 やがて、彼女の眉間に皺が寄った。目を開け、由海を含むような視線でなぞる。手をゆっくりさすった後、放した。

 

「どうだった?」

 

 彼女の反応で、あまり結果が良くない方へと転がったのはわかった。

 

「こうして、形を保って正常に会話できているのが、不思議なほどです。器を見ましたが、ほとんど機能していません。壊れていると表現してもいい。あの有様では、ソウルをごく少量しか貯めておけませんし、取得にも、工夫が必要になります」

 

 つまり、対象を殺すだけでは駄目で、直接体内に取り込まなければならないということだ。

 

「まるで…」

 

 クリムエルヒルトは、躊躇ったのち、言い切る。

 

「まるで、亡者です。ソウルを求め、貪る者」

 

 何を言っているのか理解できなかったにしろ、自らの体内の異常を悟ったのだろう。由海は口を押えた。

 

「何が、わかったんだ」

 

 ランドンが訊いてくる。それにも答えず、貴樹はこみ上げそうになる嘲笑を押さえていた。

 

(くくく、こいつら…)

 

 クリムヒルトの例えは少しずれている。亡者でさえ、相手を殺せばそれで満足する。ソウルを得られるからだ。何も残っていない遺骸を貪ることまではしない。ましてや生きたまま食らおうとする意志も、もちろん持っていない。

 彼らは、亡者以下の畜生だった。その嘘の裏にある事実を考えれば。

 

「答えろ」

 

 剣呑の雰囲気の中、動こうとするクリムエルヒルトを制する。

 

「貴方達の身に起きたことが、わかりました。その上で、もう一つだけ訊きたいことがあります」

 

 貴樹はテ―ブルに肘をつき、腕の切り口に頬を乗せた。

 

「今まで、人間はどれくらい食べてきたんですか?」

 

 テ―ブルに乗っていた皿が落ちて割れた。アリ―が悲鳴を上げる。他の者達は突然の事にまともな反応を返せていなかった。だが十分だ。事実かどうかは、勝手に彼らが示してくれた。

 ランドンが、激しい怒りの表情で詰め寄ってきた。

 

「それは、たちの悪い冗談か? 我々を侮辱しているぞ。根拠もない憶測を話して、一体何がしたいんだ」

「根拠がない、ですか」

(いちいち説明してやんないといけねえのか)

「最初におかしいと思ったのは、初めて貴方達と遭遇した時です。ファエラが撃ってきた弾丸に食らいついた時、妙な味がしました。記憶に間違いがなければ、医療行為に使われる麻酔薬と酷似していた」

 

 彼女は、ゲルトルードを殺すために撃ったと嘘をついていたが、実際は麻酔弾を撃ち込んでいた。

 

「僕達を殺すつもりはなかったんだ。そうですね? 貴方達にとっては、あの時、追っている獣と僕達が同じに見えていた。両方共生け捕るつもりだった」

 

 由海が何かを言いたげに前に出てきたが、かまわず続ける。

 

「ウィンさんがさっき言っていたこともおかしいんです。インベントリから食べ物を取り出すのにも、ソウルが必要になる。ソウルです。貴方達は先ほど、まるでそれを知らないかのように振舞っていた。でもありえないはずなんです。インベントリを利用したなら、絶対に、その言葉は目に入る」

 

 念のために、生徒達から詳しく聞いておいてよかったと思った。

 

「初めはインベントリの食べ物で紛らわそうとし、そしてこの世界の生物を食べれば満たされることに気がついた。でも、それはおかしいんですよ。貴方達の器は壊れている。初め、ほとんどソウルを持っていなかったはずだ。ちょっとした食べ物さえ、出せなかった。そして外敵を狩り、食べるための道具も用意できなかった」

 

 ウィンが、首を振る。

 

「言っただろ。狼の死体を偶然見つけたんだ」

「ですから、それも変なんですよ。時間の経過に関係なく、死体にはソウルは全く残らない。先ほどジアンナさんも言ってたじゃないですか。ソウルを補給できる機会はなく、仲間たちはどんどん死んでいく。なのに、貴方達は今こうしてそれなりの数の武器を得て、ル―チンをこなし、生きている。なぜか。理由は簡単です」

 

 亡者の貪欲さを思い浮かべる。奴らは飢えている。そしてみさかいがない。

 

「五十人以上いた者達が数を減らしたのは飢えのせいでも、寒さのせいでも、外敵のせいでもなく、飢餓感に耐えられなくなった者同士が食らい合ったからですね? ヴィルヘルムが言っていた、貴方達が聖堂を汚したというのは、その場所が血と臓物で溢れたからだ。そして今ここにいる貴方達八人が、唯一、生き残った。いくらかの人間分のソウルを得て」

 

 ランドンとファエラが銃を構え、貴樹の頭に狙いを定めた。アリ―がまた叫ぶ。イアンが泣き始めた。平然としている者など、誰もいなかった。今や全員が度合いはあれど、取り乱していた。

 

「楽しいか?」

 

 ランドンが歯を剥き出しにする。

 

「我々を責めたて、そして的を得ているようだと確信できて、愉快か? 倫理に基づいた立場で許さないというのならそれでもいいだろう。だが、未だに苦しみが晴れない者もいる。よくも妻と息子、仲間達の前で、当然のような顔をして、掘り返してくれたな」

「言ったはずです」

 

 貴樹も負けないくらい声を張り上げた。

 

「ここは地球じゃない。僕もおおっぴらには言えないことをそれなりにしてきました。貴方達のしてきたことにとやかく口出しをする権利はない。ただ、嘘が嘘だということを確かめたかったんです。僕の大事な人を守るために、重大な隠し事をしている貴方達を信用できなかった。でも、もう今は違う。共に考えましょう。必ず器を治す方法はあるはずです。あるいは、この世界のソウルを回収しなくても、脱出できる方法があるかもしれません。信じてくれなくても結構です、僕が信じればいい」

(共食いなら、昆虫とかもするしな。ぶふっ、いかん、おかしくてたまらん。ざっっまああああああああああああああああああああああああああああああああああ虫けらどもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお)

 

 貴樹の発言は、彼らにとって予想外のようだった。その内心がどうあれ、自分達のしてきたことを正面から受け止め、否定をされなかったのは初めてだったのだろう。

 

「軽蔑しないのか? 禁忌を犯したんだ、我々は」

「命を永らえるのに、何のタブ―があるんですか? 僕も一緒に連れてこられた生徒達を、自らの願いのために裏切りました。軽蔑も同情もしません。ただ信じます」

 

 ここで、彼も自分の嘘を一つ明かした。誰も彼もが皆同じだと、印象付けるために。その効果は上々だった。一人で来たのではないと知った彼らは、貴樹への見方を少し変えただろう。同郷の客人から、同じ後ろめたさを抱える対等な人間へと。

 彼は堂々とした態度を止め、深々と頭を下げる。

 

「ですが、言い方を僕も考えるべきでした。冷静になっていなかった。貴方達を過剰に混乱させてしまった。申し訳ありません」

 

 ファエラとランドンが、銃を懐にしまった。

 

「一つ訊きたい」

「どうぞ」

「その生徒というのは、お前のクラスか?」

「そうです」

「後悔をしているか?」

 

 ランドンの問いに、貴樹は考えるふりをした。さもまだ多少の迷いがあるかのように見せる。

 

「していません。譲れないものがあったから」

 

 答えはどうやら正解のようだった。ランドン達の雰囲気が多少落ち着く。彼らは互いに、目の前の男に対する印象を、無言で交換し合った。

 ウィンが一歩前に出て、言ってくる。

 

「こちらこそ、君達に武器を向けるような真似をしてすまなかった。最初にしようとしたことも、信用を失うのに十分だっただろう。君は、強い。俺達のことなんて、無理やり排除する選択肢もあったはずだ。こうして対話してくれる道を選んでくれたのは、とても感謝しているよ」

 

 手を差し出してくる。握手をしたいのだと察して、嫌な気分になった。表面上はにっこりと笑い、それに応える。他の者達はまだ、何か思うところがあるようだった。ありがたいことだ。うっとうしかった距離感を、上手い具合に調節することができた。

 帰り際、クリムエルヒルトに話の着地点を報告する。彼女は難しい顔になった。

 

「器を、治す…」

「それが可能なら、一番手っ取り早いんだ。何か、心当たりはあるか?」

「聞いたことがありません。できるとも思えません。旦那様、私は他にも方法があると思います。彼らの事情はわかりましたが、正直、どうでもいい。私たちには、優先すべき使命があります」

「言いたいことはわかる」

 

 彼女の前を歩きながら、声を潜めた。

 

「でもそれはあくまでクリムの視点でしかない。あの人達を、放ってはおけない。助けたいんだ」

「ですが…」

「もう少し、考えてみてくれ。彼らは、つまり器の状態だけを見れば、亡者と大差ないんだろ。亡者を、生者に戻す方法を探せばいい」

「ですがそれは、尋常の領域を超えています。どんな奇跡をもってしても、不可能です」

 

 貴樹は立ち止まり、クリムエルヒルトを振り返った。彼の行き着いた答えに、彼女もまた同時に気が付いたようだった。彼と目を合わせ、ゆっくりと首を振る。

 

「駄目です」

「思いついたんだな?」

「確かに、可能かもしれません」

「そうだな」

「本気ですか?」

「いや、全く」

 

 彼女は、わからない、という顔になる。

 

「俺だって、命は惜しいよ。まだ、他の方法があるかもしれない。最初は、この世界からさっさと出て、目的に向かうつもりだった。けど、こういう事態になったからには、気長にやるよ」

「私もやめることには賛成ですが。問題を先延ばしにするのは…」

 

 貴樹は答えずに歩き続けた。はたして、欺くのはどちらになるのかと、計算をしながら。

 

 

 

 

 思えば、停滞を選んだのは初めてかもしれなかった。

 もちろん、進む道もある。自分か、ウィン達のどちらかを犠牲にすれば、問題は解決するだろう。だがそのどちらも、貴樹にとっては容認できなかった。自分を犠牲にするのは論外。そして、彼らを殺したとしても、代償は大きい。何より、あんな者達に小さくない恩を作るのは、一番避けたいことだった。

 当面は、もう一つしなければならないこと、ゲルトル―ドの記憶を戻すのに集中する。ウィン達と必要以上にかかわる必要がなくなった今、彼女と存分にいちゃつくことだけを考えていた。

 コミュニケ―ションにおいて、視覚と聴覚が大事なのは言うまでもない。目で見て、口で言葉を交し合う。視覚が機能していないゲルトルードに関しては、さらにもう一つ大事な感覚を与えてあげなくてはいけない。

 それは、触覚だ。触れ合い。親が子を抱き上げるように、恋人同士が親密さを示すために身を寄せ合うように、ボディタッチは重要な意思伝達の一つである。

 貴樹は、常に彼女のそばにいるよう心掛けた。少ない彼女の言葉から何とかして欲求を汲み取り、より強く感情を共有するため、肩や腕、頭をなでたり、膝の上に座らせたり、何度か抱き着いたりして、近い距離で会話を続けた。

 幸せな時間だった。最初、彼女はどうしたらいいのかわからない。自らに向けられている強烈な好意を受け止めきれない。だから、時には引くこともした。一日、彼女と話すことを止めたら、その辛さと引き換えに、少しの進展を見ることができた。

 彼女が、自分から話しかけてきたのだ。

 

「タカキさま」

 

 部屋の戸口から現れた彼女を見て、貴樹は寝床から飛び上がり、早足で近づいた。両腕で彼女の頬に触れてから、肩に回した。

 

「どうしたの?」

「アンリから、ここにいるって聞いた。急にじゃまして、ごめんなさい」

 

 一日ぶりに聞いた彼女の声は、どこか不安でかすれていた。庇護欲が沸々とこみ上げてきて、貴樹はにやけが止まらなくなる。

 

「いいよいいよ。全然。そうだ、今日は外に出て、ちょっと遠くに行ってみようか」

「ううん。ここで話をしたいの」

(ひょっとして、俺を誘ってるのか?)

 

 彼女を案内し、寝床に腰を下ろさせた。多少皺の寄った布団の上に彼女がいる光景は、はっとするような生活感を感じさせ、股間が怪しくなる。どこか悩んでいる様子の彼女を見て、興奮は次第に収まっていった。

 まるでそれがいけないことのように、彼女はたどたどしく話し始めた。

 

「前のわたしはどんな人だったの?」

「今と同じくらい、素晴らしい女性だよ。慎み深く、思いやりにあふれていて、恋人の僕をいつも想ってくれていた」

 

 ゲルトルードは困ったように手を布団から自分の膝元に移した。

 

「こいびとって、何をするの?」

 

 ああ、こうするんだよと貴樹は優しく言う。後ろから包み込むように抱きしめ、彼女の首筋に何度か口先をつけた。くすぐったそうに顔を動かす彼女に覆いかぶさり、服の隙間に顔を突っ込んだ。頬に当たる膨らみを愛でながら、自分の

 という、妄想をして、貴樹は我に返った。口に手を当てて、大きく深呼吸する。目はじっとりと、ゲルトルードの唇に注がれていた。

 

「僕達は、愛し合う生き物なんだ。男と女が対になって、子孫を残すことができる。本能であり、一番重要な使命とも言えるね」

「子どもを、残す」

(そこに食いついたか、いいね)

 

 彼は身を乗り出す。

 

「そう、子作りだ。やり方は、知ってるかい?」

「うん」

「そっか。でも安心して。僕がちゃんと、え?」

『え?』

(え?)

 

 貴樹はごろんと横になった。つぶらな瞳で、ゲルトルードを見上げた。

 

「あれをああするんだけど、それを知ってるの?」

「うん」

 

 両手で頭を抱える。

 

「あんなようなものを、ああいうところに入れるんだけど、知ってるんだよね?」

「うん」

(ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ)

 

 貴樹は謎の高揚感に包まれた。今の彼女の記憶はかなり幼少まで退化しているはずである。そんな子供の時から性知識を知っていた。その事実に形容しがたい興奮を感じた。つまり、親の教育がしっかりしていたということなのだろうか。

 

(あ、もだめ)

 

 あとは合意さえ得れば良いという考えが膨らんでいく。そして、こういう話題をしている時点で既に得ていると錯覚した。ほとんど欠けた両腕を目一杯に広げて、ゲルトルードを捕獲する網を形作る。だが、押し倒そうとした時、彼女の様子がおかしいことに気がついた。

 見間違いでなければ、彼女は怯えているようだった。

 

「どうしたの?」

 

 ゲルトルードは胸を押える。

 

「だいじょうぶ、がまんできる。できるから、置いていかないで」

「ゲルトルード?」

 

 彼が声を再度かけると、彼女は身を縮こまらせた。やけに慣れた動作だ。そうすることが、一種の癖になっていた時期があったような。そんな様子を見て、さすがに貴樹も冷静になった。頭に冷水をかけられた気分だった。

 何かがずれていると、確信を持つ。

 

「落ち着いて。君に酷いことなんてしないよ」

「でも、タカキさまは子をつくるんでしょ。わたしの父さまもそうだった。こんどは、何をもってくるんだろって。なんども、されたことある。へんな生き物を、わたしとくっつけさせるの。おなかの下からはいってきて、すごくいたいの。でもひつようだって言ってた。だから、がまんできる。そうしないといけないから。子をつくるのは大事って」

 

 相手には見えずとも、貴樹は精一杯優しい表情を保った。まだ何かを続けようとする彼女の口に腕で触れてから、脇の下に入れ体を持ち上げる。彼女が少しだけ身じろぎしたのにも構わず、膝の上にのせて、頬で彼女の髪を撫でた。

 

「違うんだ。よく聞いて。君の父親がしたことは、恋人がするようなことじゃない。本当のはもっと暖かくて、心地いいんだ。君が少しでも痛い思いをすることを、僕は絶対にしない。君がどんなことをしようと、置いていったりはしない」

 

 声色は何とか保てても、表情がこわばるのは止められなかった。

 異形交配。

 ロスリックの王家が、王の薪にふさわしい格を維持するため、縋り付いた禁忌。人智を超える化け物たちの血を取り入れることで、器を昇華させようとした。だがその代償は大きく、王家の者達のほとんどはまともな体を失った。

 ゲルトルードが、真っ当な女性として育つにはあまりに欠陥が多すぎる環境だった。

 

(オスロエス……、てめえ、覚悟しろよ)

 

 今一度、ロスリックを滅ぼすことを決意した。彼らが生き残っている限り、ゲルトルードの幸せは遠い。いつまでもやってはこないだろう。

 ゲルトルードはわずかに貴樹へ体重を預け、見上げてくる。

 

「ほんと…?」

「ずっと、そばにいるよ。何が来ても、君を傷つけさせはしない」

 

 彼女は自失しているようだった。その言葉の意味を飲み込むまで、時間がかかっている。

 

「そんなこと、言ってくれたひと、はじめて……」

 

 後は、とりとめのない呻きが残った。銀の頭冠を触ろうとした手が止まって、貴樹の腕を探り当てる。さらに身を預けてきて、安心しきったように、全身の力を抜いた。受け止めながら、彼女が眠ったことを確認する。

 不思議と、この時だけは邪な思いが湧いてこなかった、ただ、彼女を慈しむ気持ちがあふれてきて、新鮮な感覚を理解するだけで一杯だった。

 

(やっと聞けた)

 

 初めて、彼女の本音らしい本音が漏れ出た。それはきっと、火守女となった後でも消えずに抱えていたものだろう。彼女を理解するうえで、とても大きな前進をしたのは確かだった。

 ゲルトルードをそっと寝床に置き、その寝姿をずっと見ていた。決して飽きの来ない光景だ。このまま永遠に、二人の時間を過ごしていたいと痛烈に思う。

 そして、彼女が目覚めることはなかった。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。