火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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33.脱出と代償

 二日が過ぎてから、これが異常であると、貴樹は認識した。

 呼吸はしている。鼓動も聞こえる。だが、彼女は時折苦しみ、蒼白な顔を歪ませていた。終わりのない悪夢を見続けているようだ。

 同じ苦しみ方を、前にも見たことがある。イルシールの地下牢で、彼女はソウルの不足により死にかけた。今度も同じ原因なら、解決は容易だと考えたが。前とは、まるで状況が違うということを、すぐに理解した。

 貴樹が、自分のソウルを分け与えようにも、その方法がない。地下牢の時は、ゲルトルードが彼からソウルを取り出すことで成立していた。今の彼女は意識もなく、そして火守女の技も失われている。故に、仲介をする者が必要だった。

 

「これは、繊細な作業になります。自信はありません」

「やってくれ」

 

 クリムエルヒルトが、皆の見守る中、貴樹とゲルトルードの手を握る。そして浅く呼吸しながら、目をつぶった。が、数秒もしないうちに二人の手を放し、ひどく疲れた様子で首を振った。

 

「どうしたんだ」

「できません。旦那様のソウルを移そうとしても、この子の器が受け止めようとしないんです。いえ、正確にはすり抜けています。今の彼女の器は、まるで幻です」

「そんなはずはない。前は成功したんだ。そんなわけが…」

 

 貴樹は、言葉を失った。ゲルトルードの姿が消えた気がしたからだ。それも一瞬でそうなるのではなく、霞がかるように、徐々に存在が曖昧になった。何度も瞬きをしていると、再び元の状態に戻る。

 

「どうか、しましたか?」

 

 アンリが心配そうに訊いてきた。彼女を含めた、他の者達の反応を見てみても、さきほどの光景に気がついた様子はない。

 

(ノミ、気がついたか)

『ああ、クリムエルヒルトは何かを隠してる。嘘は言ってねえ。ただ、全部を説明していない。そこを追求するか?』

(別にいい。最優先は彼女だ)

 

 自分の意識だけが目撃したことを、できれば忘れてしまいたかった。彼女の器がおかしいことも、ずっと無視をしてきた事実の裏付けになってしまっている。

 ロスリックの長女は、生まれ出てきた時から、光を失ったと言われている。彼女の母もまた、王家のおぞましい所業の犠牲者だった。正常な子を産めるはずもない。

 だが、目の前で倒れている彼女は、暗闇に全く慣れていない様子だった。赤子のころから盲目ならば、それが当たり前のように受け入れられるはずなのに。

 この子は、ゲルトルードではない。

 その事実が成り立つとしたら、一体、目の前の彼女は何者なのだろうか。

 

「クリム、彼女は、あとどれくらい生きられる?」

 

 貴樹が訊くと、間もなく答えが返ってきた。

 

「それほど長くはないとしか。今までに、見たこともない例です」

「治す方法はある」

 

 彼は考え直す。今、彼女の存在に疑問を持っても仕方がない。たとえ誰であろうとも、自分の気持ちが変わるわけではない。

 

「奴らが、ロスリックの者達が、絶対に知っているはずだ。一刻も早く、城へ行って、聞き出さなければ」

 

 本当ならば、もっと確実で、全員が納得できるように事を運びたかった。計画していることが全部上手くいっていたら、ウィン達がちゃんと仲間内で殺し合ってくれたというのに。

 

「どこへ行くんです」

「彼らの所だ。器を治す。ほぼほぼ成功するだろ」

 

 クリムエルヒルトは、出口に立ち、そこから離れようとしない。

 

「駄目です。貴方に多大な危険が及ぶ可能性があります。許すわけにはいきません」

「おい、二人で話を進めるなよ」

 

 ホークウッドが割り込んできた。

 

「あいつらの事情は聞いたが。どうにかする方法があるなんて初耳だぞ。タカキ、頼むから説明をしてくれ」 

 

 じりじりした焦燥感を抑え、貴樹は手短にこれからしようとすることを話した。

 亡者を生者に戻した経験なら、ある。フォドリックの件だ。正気を失っていた老人の体に残り火を分け与えると、彼は見事復活を果たした。同じ理屈が、ウィン達にも通じるかもしれない。

 しかし、問題なのは、彼ら八人に与えてしまうと、貴樹の内に宿る残り火は六個になってしまうことだ。どんな反動が来るのかわからなかった。おまけに、戦闘能力がどれだけ衰えるかも想像がつかない。これからの戦いを考えると、避けたい道であることは確かだった。

 そしてホークウッド達は、貴樹の体自体も心配をしていた。残り火を消費していくことで、彼の内にある守りのようなものが薄れていくのではないかと。地底湖での失神が、より説得力を持たせている。

 案の定、彼らは難色を示した。

 

「賛成はできません。私たちは、貴方の身も案じています」

 

 アンリが考え直すよう言ってくる。

 

「でも、このままじゃ彼女が死んでしまう。僕達は、火守女の灰だ。最も優先すべき命が何なのか、皆わかってるはずだろ」

「よく、考えてください」

 

 クリムエルヒルトが目を合わせてくる。

 

「旦那様の身を犠牲にせずとも、先へは進めます。優先すべき命があるのなら、当然切り捨てなければならない命もあるはずです。幸い、今はそれなりに彼らと信頼が築けています。その隙をつき、排除すれば」

「それは、あの人達を殺すってこと?」

 

 ミレーヌが憤慨するように言った。

 

「どうかしてる。小さな子供だっているのよ。目的のために手段を選ばないのなら、私達が今まで侮蔑してきた奴らと同じになる」

「奴らは、人食いなの」

 

 クリムエルヒルトは、おぞましそうに顔をしかめた。

 

「貴方が、綺麗ごとを並べてまで庇う価値あるとでも?」

 

 ミレーヌも負けじと睨み返した。

 

「つくづく、見下げ果てた奴」

「自己紹介? お疲れさま」

 

 貴樹は、壁を蹴った。それほど威力はなかったが、音で全員の注目を集めるのには十分だった。

 

「皆の意見は分かった。でももう決めたことなんだ。クリム、どいてくれ」

 

 それでも従おうとしない彼女を無理やり押しのけ、自分の部屋を出た。制止の声がいくつか上がるが、貴樹は進んだ。時間はあまり残されていない。自分達で言い争いをしても、無意味なだけだった。

 会議室の前を通り抜け、彼らの居住区へ向かう。着いても、誰の気配もしなかった。一つ一つの部屋を覗いていったが、誰も見つからない。

 外にでも向かったのかと考え、彼は洞窟の出口へ走った。崖に出ると、上へと伸びている梯子を素早く駆け上がる。

 外にいたのは、たった一人だけだった。

 

「そんなに急いで、どうしたの?」

「フリ、姉さん」

 

 薫が、何食わぬ顔をして立っている。彼女がこっちの区域まで来るのは久しぶりだった。貴樹へ会いに行くこともせず、不気味な沈黙を保っていたかと思えば、今、こんな所で思わせぶりに笑っている。

 貴樹は己の勘が正しいと信じた。

 

「ウィン達を、どこへやった?」

 

 相手は笑みを消した。

 

「わかりやすすぎたかな。ま、隠す気はなかったんだけどね」

 

 彼を追いかけて、アンリ達が上がってきた。表情をすぐに元に戻して、少し穏やかにもう一度詰問する。

 

「彼らがいる場所を、教えてくれ」

 

 薫は持っている鎌で足元の雪を掻きまわした。

 

「聖堂の中だよ。安心して、眠ってもらってるだけだから。貴くんは、どうしてあの人達を探しているの」

 

 貴樹は自身に危険が及ぶ部分はぼかして、今の状況を説明した。嘘を並べるばかりだと、姉はすぐに看破してくる。今まで貴樹の望みを尊重する時もあったので、これで何とかなると思っていた。

 しかし薫は、話の途中で笑い始める。

 

「ごめんね。もう知ってるんだ。駄目だよ。そんな方法は認められない」

「もう一度、考え直してください」

 

 クリムエルヒルトが、彼女の横に並んだ。それで全てを察する。この二人は絶対に相いれないと思っていたが、貴樹の身を案じているという点では一致している。いつの間にか情報の共有をしていたらしい。

 さらにそこへ、アンリとホレイスが加わった。彼らもまた、自らの意思をはっきりと示している。貴樹は少し考えた。自分を心配してくれるのは悪くない気分だ。事実、彼もこの方法が良いとは思っていない。

 だが、良し悪しなど、あの子の命の前では塵同然だ。

 貴樹は、溜息をついた。

 

「納得してはくれなさそうだ」

「あんな女の、どこがいいの?」

 

 フリーデの姿でなければ、言い終わる前に首を飛ばしている。

 

「全部かな」

 

 腰をひねり、首を回し、筋肉をほぐす。残り火の力からすればたいして意味のない動作だった。彼もまた、自分の意志を示すためにそうしていた。

 

「僕は、別に皆のリーダーになったつもりはありません。従えと、命令する権利はない。だからお願いをします。そこを通してください」

 

 誰一人として、動かなかった。

 互いに譲れない以上、言葉ではもう先へは進めない。

 

(ち、めんどくせえ)

 

 貴樹は苦笑して、はっきりと言った。

 

「じゃ、普通に通りますね」

 

 前方へと飛び上がる。クリムエルヒルトの頭上を越えようとした瞬間、彼はとても固い壁にぶつかったような感覚を覚えた。地面に降り立つと、彼女の上には割れたソウルの盾が散乱している。

 

「止められるとでも?」

 

 クリムエルヒルトは答えずに、左右の者達へ素早く情報を伝達した。

 

「いくらか攻撃を加えれば、彼の力は機能しなくなるわ。それまでは、絶対に、容赦をしては駄目。押し切られる」

「申し訳ありません、タカキさん」

「……残念だ」

 

 アンリとホレイスも、武器を構えた。

 そして、貴樹の横には、ミレーヌが付いた。

 

「あの人達を救いたい。貴方には、申し訳ないと思う」

「構いませんよ。助かります」

 

 ホークウッド一人だけが、どちらに行くこともなく、ただ途方に暮れた様子で事の成り行きを見守っていた。

 

(怪我はさせちゃ駄目だな。上手く手加減しねえと)

 

 どう攻めるべきか考えている途中、目の前にいきなり鎌の刃が迫ってきた。後ろへ下がってかわすと、相手もこちらから離れ、雪が舞い上がると共に姿を消す。

 

「今は、フリーデさんみたいですね」

「薫と貴方を、戦わせるわけにはいきません」

 

 背後に現れた彼女の攻撃を、蹴りで反らす。貴樹はそのまま相手へ突っ込もうとしたが、存外に素早い動きで、フリーデは距離をとった。接近戦を避けられている感じだ。こちらの実力は正確に知られているらしい。

 ソウルの矢が、直後、彼をぐるりと囲むように現れる。ほぼ逃れる隙間のない攻勢で、一斉に向かってきた。彼は飛び上がり、体を回転させ、ほぼすべてを足で叩き落とす。逃れた何本かは、ミレーヌが処理した。

 ホレイスとアンリが左右を挟むようにして走ってくる。さらに頭上から、出現したフリーデが降ってくるのもわかっていた。

 首めがけて振るわれる鎌に噛みつき、そのまま顎の力だけでフリーデの体を横に揺さぶった。ちょうど向かってきたアンリにぶつけ、彼女たちは諸共雪の地面に転がる。ホレイスの攻撃をかわし、背後に回り、彼を鎧の上から踵で吹き飛ばした。

 一連の流れを、ミレーヌは剣をしまいながら見ていた。貴樹と目が合うと、肩をすくめてみせる。

 地面から噴き出した炎の柱が、貴樹を飲み込んだ。動じることもなく、そこから出ると、足元でソウルの塊が爆散する。察知して飛び上がっていた彼は、うなじを狙ってソウルの短剣を振りかざすクリムエルヒルトへ、振り向いた。

 頭突きで、青白い刃を砕き降り、彼女の体ごと地面へ落とした。背中を強く打った魔女は口を目いっぱいに開けて、苦し気に何かを唱える。

 着地した貴樹の周りに、アンリ、ホレイス、そしてフリーデが同時に出現した。アンリの剣を肩で受け止め、ホレイスの斧槍を足で絡めとり、折る。転がる刃の部分を蹴り上げて、フリーデの鎌にぶつけた。

 一息で後ろへ宙返り、アンリの足を払って、手にある武器を蹴り飛ばした。彼女が次の行動を起こす前に、その剣を踏みつけて破壊する。

 フリーデは一瞬固まったが、すぐに一歩踏み込んできた。そして鎌を思いっきり上に放り投げる。

 

(あ? 何してんだ)

 

 思いのほか鋭い掌底が飛んできて、貴樹は顔を横に傾けて避けた。が、顎を直後に蹴り上げられる。それだけで彼女が止まることはなく、両肩に組み付いてくると、そこを支点に手をついて、彼の背後へ宙返った。降ってきた鎌を足で受け取り、素早く両手に移すと、彼の側面へと振るう。

 貴樹はとっさにしゃがんでかわし、回し蹴りを放った。が、その時にはすでに、彼女は攻撃が届かない位置まで下がっている。

 

「大した曲芸ですね。でも、嘘をつくとは思いませんでした」

 

 フリーデの身体能力の高さはわかっている。だが、今の一連の動きはまるで、別の誰かが操っているかのようだった。癖が、非常に見覚えのあるものなのだ。

 彼女は、悪戯を咎められた子供の表情をした。舌を出し、くるくると鎌を弄ぶ。

 

「フリーデとは、それなりに長いからね。わかるんだよ。貴くんとは、相性が悪いって。その点お姉ちゃんはきちんと、君がどう動くか理解してるもん」

 

 確かに厄介だ。想像していたフリーデの動きとは随分異なっている。そしてそれ以上に、姉の精神が彼女の体を動かしている状態が、我慢ならなかった。気持ち悪いの一言に尽きる。

 

「本当に、今の俺を理解してるのか?」

「力が凄く強くなっただけで、結局型は同じ。降参するなら、今の内だよ。だって貴くん、私に勝ったことないでしょ」

 

 日本での話なら、そうだった。柔道も空手も剣道もシステマも、全て姉の薫が先輩だった。子供のころから彼女に無理やり引っ張られる形で、稽古を受けさせられたのだ。まともな試合形式では、男女の体格差を考えても、勝利したことはない。

 貴樹は内心嘲笑しながら、軽く加速した。姉の、驚いたような顔が間近に迫る。一度フェイントを入れた後、鎌を振るってきた彼女の腹を一瞬で二度蹴った。息を吐きだしながら、薫は離れた所にある木の幹に激突する。

 

(で、それがどうした)

 

 フリーデの方には心の中で何度も謝った。調子に乗った姉の、目を覚まさせるためだ。許してくれるだろう。すっきりした心地で、彼は前へと進んだ。

 その進路を、クリムエルヒルトが立ち塞がる。

 

「行かせません」

 

 アンリとホレイスも立ち上がり、距離を詰めてきていた。ほとんど使える武器もない状態で、それでもまだ続けようとしている。

 

「もう、決着はついたんだ」

 

 クリムエルヒルトは、ソウルの矢を出現させた。

 

「まだです。私達は、少しも諦めてはいません」

 

 どうしたものか、と貴樹はさすがに困った。時間は限られている。あちらの意志が固い以上、もう少し手荒にするしかないのだろうか。

 ミレーヌが再び剣を抜く。貴樹の前に出た。

 

「私が止めておく。その間に聖堂へ行って」

(お、地球人のくせに役立つじゃねえか)

 

 彼女は、クリムエルヒルトの放った魔術を全て切り落とし、その喉元に刃を向ける。魔女は挑発するように笑みを浮かべた。

 

「お嬢さんは、これだから。その狭い視野で、台無しにするものを考えてみたら?」

「正直、悪くない気分。お前のことは、ずっと気に入らなかった。人食いに与していた分際で、何を偉そうに語っているの? 貴方達みたいな、こういう世界に元からいる人達にはわからないでしょうね。急にまるで違う環境で生きていくことを強いられる、彼らの気持ちが」

「いいわね、貴方は」

 

 クリムエルヒルトは、目を細める。

 

「依存してる男についていくだけでいいもの。結局ホークウッドの前でいい顔できれば満足なんでしょ。獣に汚された自分の身体と、共食いに手を染めたあの人達を重ねて、可哀そうになっちゃった?」

 

 これはまずいと、貴樹は橋を急いで逆戻りした。クリムエルヒルトは相手の冷静さを奪おうとしているようだが、いき過ぎている。ミレーヌの雰囲気が一変し、大剣を握る手に力がこもった。刃で魔女の喉を貫こうとする。

 だが、貴樹がそれを止めようとする前に、ミレーヌの剣を弾いた者がいた。

 

「もう、勘弁してくれ」

 

 ホークウッドは、貴樹と、他の者達を交互に見た。クリムエルヒルトの身体を無理矢理引っ張り、ミレーヌから距離を空ける。

 

「何を、」

「いいから、黙っとけ。それから、二度とミレーヌを侮辱するな」

 

 彼の荒い語気に、クリムエルヒルトは口を閉ざす。おとなしくなったのを確認してから、ホークウッドは全員を一人ずつ見回した。

 

「お前達は、一体、何をしてるんだ? なんで、戦わなくちゃいけない? 俺はもううんざりなんだ。同胞同士で争いなんて。馬鹿げてる」

 

 アンリが口を開く。

 

「ですが、タカキさんは危険な方法を使おうとしています」

「わかってる。俺だって、タカキの考えに賛同してるわけじゃない。止めたい気持ちはある。だが、それ以外に方法があるのか? 今ここでこうしている間にもゲルトルードが死ぬかもしれないんだ」 

 

 彼は、クリムエルヒルトの方を見た。

 

「お前の言いたいこともわかる。手っ取り早いのはそれだ。だが、いいか、あいつらは敵じゃない。お前は、地底湖で、自分の身を犠牲にしようとした。同じことを、他者にも強要するのか? 殺しの線引きを間違えたら、もう戻れなくなる。殺していいのは、敵だけだ」

「随分と、都合の良いことを並べたてるわね」

「都合の良い?」

 

 ホークウッドは、彼女に詰め寄る。負けじと睨みつけてくるその顔へ指を突きつけた。

 

「どうだかな。お前、奴らを排除して、それで綺麗に全部片付くとでも思ってんのか? 必ず、遺恨は残るぞ。俺たちの中にも。ゲルトルードに後で訊かれたら、なんて説明するつもりだ。都合良く物事を考えてんのは一体どっちだろうな」

 

 貴樹は、二人の話を冷めた気分で眺めていた。どちらも、正しい部分はある。ただ、ホークウッドの勢いにクリムエルヒルトがなぜか甘んじている。そのせいで、彼が優勢のように見えるのだ。

 

(てか、こいつら。本当に気がついてないのか?)

 

 最善の方法をすでに貴樹は思いついていた。それを皆に話すつもりはない。

 

「俺は、タカキを信じるぜ。こんなこと言って、何かあったらどうすんだって話だが。それも含めて、覚悟を決めるのが仲間の義務ってことじゃねえのか? 俺達には、こいつの邪魔をする権利はない。他にいい方法も示せない以上、見守るしかないんだ」

 

 ホークウッドはそう言い切ると、貴樹に向かって顎を振った。もう行ってもいいという意味らしい。事実、貴樹が歩き出しても止める者はいなかった。アンリとホレイスは沈黙し、フリーデは静かに木に寄りかかっている。クリムエルヒルトはまだ何かを言いたげだったが、ホークウッドとの睨み合いに根負けしたようで、溜息をついた。

 

「お前には、感謝してる。誰もが思いついて、言い出せなかった案を出してくれた。それで話し合いが曲がりなりにも前に進んだんだ。でも、もう憎まれ役はしなくていいぞ。お前がそんな奴じゃないってことはわかってる」

 

 つぶっていた眼を開いて、クリムエルヒルトは訳が分からないと言いたげに眉をひそめた。

 

「何それ。慰めてるつもりなの? ねえ、常々思ってたんだけど、貴方」

 

 ミレーヌへ意味ありげに流し目を送る。ホークウッドにずいと迫り、両手を彼の胸にかけて、耳元ではっきりと言う。

 

「私と寝たいの? そうしたいなら、直接言えばいいのに」

 

 別の方向で、雲行きが怪しくなってきた。それを聞いたミレーヌがパクパクと口を動かし、剣を持ち上げる。

 ホークウッドが、さらに怪訝そうな顔になって、クリムエルヒルトから離れた。

 

「あ? 何言ってんだ。子供じゃあるまいし。お前と寝ても、安心はしないぞ」

「照れてるの? はぐらかそうとしても無駄よ」

「お前、本当に何を言ってるんだ? 寒いのか? 呪術の火で暖をとればいいじゃねえか」

 

 彼女はしばらくホークウッドの顔を眺めて、徐々に理解をしていく。悪戯っぽい笑みが崩れていった。

 

「貴方……、知らないの?」

「何がだ」

「子供の作り方を」

「いや、知ってるぞ。獣は交尾をするんだろ。でも俺達は違う。ソウルの交換でできるんだ。昔、本で読んだことがある。それ用の儀式がちゃんとあるらしい」

 

 話を聞いている途中で、クリムエルヒルトは手で口を覆った。体をくの字に折り、彼が言い切った後は耐えきれなくなったように笑い始めた。他の者達はどう反応したものか、困惑している様子だ。

 ホークウッドもまた、戸惑ったように尋ねた。

 

「何か間違っているか?」

「本……儀式って…………」

 

 彼の言葉を繰り返し、最後にはついに吹き出した。目尻に涙を溜めながら、ミレーヌの肩を軽く叩く。

 

「フフフ、良かったわね」

 

 ミレーヌは憮然とした表情を返す。剣を収めると、咳払いをした。

 皆の反応から、何かが違うということを理解したホークウッドは、後ろを振り向いた。

 

「なあタカキ、俺変なこと言ったか?」

 

 が、既に貴樹は聖堂近くまで辿り着いていた。ホークウッドのおかげで何とか丸く収まってくれた。優先すべきことがあるので、興味深い会話に最後まで参加できないのは残念だった。

 聖堂の扉は閉ざされていたが、彼の腕力で訳なくこじ開けられた。人の気配を辿り、晒されたままになっている地下への階段に踏み入れる。

地下の空間には、ウィン達が全員途方に暮れたように座り込んでいた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 見た所何かで拘束されている様子はない。危害を加えられたというわけでもなさそうだ。

 ウィンが、彼を見て安心したように歩み寄ってくる。

 

「急に、シスターがやって来てね。無理やり連れてこられたんだ。君の仕業かと、少しでも疑った俺を許してくれ」

「とりあえず、彼女との話し合いは一段落したので、安全です。それよりも、皆さんに伝えたいことがあります」

 

 貴樹は彼らの器を治す方法について説明をした。言葉だけで訊くと突拍子もないことなので、疑いも彼らの様子からは見て取れた。しかし、それ以上に自らの状態を改善できることへの期待が勝っているようだった。

 

「早速始めましょう。誰から、最初にしますか?」

「ちょっと待ってください。今ここで、できるんですか? 私達にも心の準備が…」

 

 由海がさらに何かを続けようとしたが、貴樹は途中で遮った。

 

「すぐに終わることです。すみませんが、こちらも急がなければならない事情ができました。今ここで、貴方達の器を治します」

 

 彼らにとっても、重大な決断を迫られることだとは分かっていた。こういうふうに多少急かされる形なのは酷だろう。お互いに、戸惑うような沈黙がしばらく続いた。

 最初に覚悟を決めて前に出たのは、ランドンだった。

 

「我々の事情を知り、それでも信じると言ってくれたんだ。今度はこちらも、お前の考えを受け入れよう。何をすればいいんだ」

「腕を出してください」

 

 筋肉のぎっしり詰まった腕を、吐きそうになりながら触る。男の腕に自分から触らないといけないとは。もしこれが彼女のためでなかったなら拒絶しているところだ。

 貴樹は、治す方法をさも確定しているかのように説明したが、彼自身ではなく相手にもリスクはある。ヨエルの時の現象が再び起こるかもしれない。彼らは、亡者も同然の状態だ。残り火で浄化される可能性もある。

 そんな彼の期待とは裏腹に、ランドンへと残り火を移した時、何かが起こることはなかった。ただ、それは表面上だけだったらしい。ランドンは茫然として自らの胸を押さえ、膝をついた。アリーが駆け寄った時には、その目から涙が流れていた。

 

「乾きが収まった…」

「あなた」

「信じられない。生まれ変わった気分だ。何もかも正常だ」

 

 ランドンは妻を抱きしめる。その光景をくっせえなと思いながら貴樹は眺めていた。どうやら成功したらしい。

 それで、他の者達も心を決めたようだ。次に貴樹の前に来たのはイアンだった。同じようにして残り火を移すと、確かな変化を自覚したらしい。感動というよりも純粋な喜びを表情で目一杯表し、貴樹の方に抱き着いてきた。

 彼らを治していく中で、貴樹は前に起きた異常を特に感じずにいた。力の放出を感じるだけだ。それよりも、彼らの喜びようを見ているのが苦痛だった。特に、ジアンナの治療が終わった瞬間、彼女が幸成に飛びついて情熱的なキスをした時は、辟易した。リスクを負ってまで、なぜ他人が歓喜し、いちゃついている光景を見せられなければならないのだろう。しかし、同時に滑稽であることも確かだった。後の事を考えれば。

 貴樹は、残ったウィンへと触れた。これで終わる。彼に移すと同時に、クリムエルヒルト達もやってきた。しかし、フリーデだけはいない。

 

「ありがとう。君には、返しきれないほどの借りを作ってしまった」

 

 残り火を得たウィンが礼を言った後、すぐに不思議そうな顔をした。

 

「タカキ?」

 

 注目を浴びる。来るとわかっていても、抑えることはできなかった。

 貴樹は何度も激しく咳き込む。前のものとは比較にならないほどの苦痛がやってきた。口を押さえる余裕もなく、床に血を吐き出す。体全体が炎であぶられているかのように熱かった。足の重心が崩れて、一度大きくふらつく。

 仲間達が慌てて駆け寄ってくる。アンリが体を支えようとするが、彼はそれを首を振って止めさせた。口元の血を拭い、足を大きくその場で踏み込んだ。

 

(こういうことか)

 

 全身が訴えてくる警告を尻目に、彼自身は冷静だった。これは、体の異常ではない。むしろ自分の精神の方に、干渉しようとしてくる。大きな炎で飲み込もうとしてくるのだ。

 痛み自体は、前回で慣れていた。手段であって目的ではない。気をそらすための仕掛けといったところだろう。本質がわかってしまえば、戦い方も決まってくる。

 

(おこがましい)

 

 怒りを糧にして、彼は自分の精神を肥大化させた。囲んでいる炎を逆に覆うようにして貪る。なぜか両親や姉妹の姿が映りこんできたが、それは彼の感情を増大させる燃料にしかならなかった。

 ほとんどを飲み込むと、急激に苦痛は和らいでいった。咳も止まり、鬱陶しかった熱も嘘のように引いていく。最後まで瞼の裏に残っていた両親の残像は、生きたまま焼かれている無残な有様だった。それに向けて心の中で中指を立てる。自分を産んだことくらいしか功績のないゴミ共は、よく燃えるらしい。まあまあセンスがある。

 現実に返ると、目の前にはフリーデの顔があった。涙で濡れていて、鼻がくっつきそうな距離まで迫っていた。

 貴樹は無言で離れる。段々と雰囲気でわかるようになっていた。それくらい、薫とフリーデはそぐわない。

 

「貴くん?」

 

 周りを見るも、皆が同じような不安を表していた。それに向けて大きく微笑んで見せる。

 

「ごめん、心配をかけた。もう大丈夫だよ」

 

 それでも、彼らの顔が晴れることはなかった。ここへきて、貴樹も違和感に気がつく。皆の視線は、自分の上の方へと向かっている。

 

「あー、何か変な所でもあります?」

 

 ウィンが、すっとインベントリから手鏡を渡してくる。それに自分の顔を映した貴樹は、小さくない衝撃を受けた。

黒かった髪が、真っ白になっている。眉毛も同様に変色していた。これではまるで老人だ。この世界に来てからも多少なりとも見た目を気遣ってきた身としては、かなりのダメージだった。

 

(ん? 待てよ)

 

 髪に手を入れる。今まで上げていた前髪を、下ろしてみた。するとヴィジュアル系のバンドマンとも言えるような雰囲気が出来上がる。生まれてこの方髪を染めたことがなかったが、新たな自分を発見できた気がする。

 

(ありだな)

 

 満足した貴樹はお礼を言って、ウィンに鏡を返した。言われた彼は酷く困惑しているようだった。そしてそれは、周りの者も同じようだった。

 

「あの、大丈夫なんですか? 私達、知らなくて。本当に、ごめんなさい。貴方に危険が及ぶ行為だったなんて」

 

 由海が謝ってくるの、にこやかに応対する。

 

「いえ、平気ですよ。それにまだ終わったわけではありません。この世界から出るにはもう少し作業をする必要があります。でも、皆さんにそれを強いるつもりはないですよ。今すぐに、僕が終わらせてきますから」

「でも、安静にしたほうが…」

 

 貴樹は地面を蹴って地下室から出た。止めようとする皆の気持ちもわかるが、ソウルを集めるのも大事だ。今の体の状態の確認もできる。

 外に出た彼は、片っ端からこの世界の生物を殺していった。何しろ時間が限られているので、全力で動き回る。初めに鴉村を手早く壊滅させ、狼の巣で明らかにボス級の個体もあっという間に片付けた。ウィン達も手伝おうとはしてくれたようだが、彼らの先回りを常に貴樹がしていたので、無駄に終わる。

 こうして一日未満で、彼は見つけうる全ての生物からソウルを回収することに成功した。本当はもっとじっくり色んな所を探検してみたかったのだが、今となっては仕方がない。ゲームでも出てきたボスを途中でさっくり倒した気もする。だが貴樹にとっては雑魚と大差なかった。

 

「終わった」

 

 血まみれになった体を洗ってから、絵描きの部屋で報告をする。ここまで早く終わるとは思っていなかったのだろう。絵描きの少女は驚きながら近づいてきた。

 

「…本当だ。よくこんな短い間で、集まったね」

「急かすようで悪いけど、時間がない。早速描いてくれないか?」

「まだ、大きな問題が解決してないよ」

 

 佇んでいるクリムエルヒルトを見てから、視線を貴樹に戻す。

 

「火守女が一人だけだと、成功はしない。言ったはずだよ。あの子が必要になる」

 

 だが、肝心の彼女は、記憶を戻す以前の問題だ。とても、何かを任せられる状況にはない。ソウル集めが終わったとしても、絵を描けないのなら意味はないだろう。

 もちろん、貴樹も問題は理解していた。

 

「いや、もうそれは無理なんだ。彼女は、今意識がない。代わりを用意してる」

 

 他の者達は初耳だと言わんばかりに、貴樹へ注目した。

 

「代わり? でも、一体誰が?」

「目の前にいるだろ?」

 

 彼は自分を指差した。少女は冗談でも聞いているような顔になる。

 

「要は、絵の具のチューブの役割を果たせばいいってことだ。集めたソウルを、君に渡す。僕にも、ソウルを操作した経験がいくつかある」

 

 クリムエルヒルトが、首を振る。

 

「そのような、簡単な話ではありません」

「その通り」

 

 絵描きの少女が目を示して見せる。

 

「貴方が今までどれくらいの経験をしてきたのかわからないけど、ただ他人にソウルを移すこととはまるで違う。独立している二つの世界を繋げるためには、膨大なソウルの奔流を制御する必要がある。火守女としての経験を何一つ修めていない貴方がそれをやれば、絶対に体がもたないよ。死んでしまう」

「危険は、誰だって冒してる」

 

 自分の語気が鋭いものになるのを止められなかった。じれったさでどうにかなってしまいそうだ。今さら、長々とした説明を聞く余裕などないというのに。

 

「僕の心配をしてくれるのはありがたい。でも、彼女の命が危ないんだ。危険なんて知ったことか。やるんだ。今すぐに始めないと、手遅れになる」

 

 彼が自らを省みない発言をしても、それを咎めようとする者はいなかった。冷静に、丁寧に物事を進めていた彼の過去からすれば、信じがたい光景だろう。それだけゲルトルードの身を案じているのだと全員に伝わっているようだった。だから、その思いを無下にしようとは誰も考えられない。

 彼の勢いに押されて、結局絵描きの準備が進められることになった。といってもキャンパスを置き、少女がその前に座る程度のことだ。貴樹とクリムエルヒルトがそのすぐ横に待機して、少女の準備が整うまで最後の確認をしていた。

 

「いいんですね? あの子が知ったら、どう思うか…」

「残り火を移した時も耐えきれたんだ。今度も乗り越えられる。信じてくれ」

「精一杯、協力はします」

 

 少女が筆を持った。二人に目配せをしてくる。貴樹は頷いて、クリムエルヒルトの肩に手を置いた。彼の中にあるソウルを、彼女へと移す。残り火を扱った経験から、何となくではあるがソウルの扱いを心得ていた。

 

「目をつぶっていてください。気休めにはなります」

 

 クリムエルヒルトがそう言ってきて、同じく目を閉じた。確かに感じる。渡したソウルが、彼女を経由し、絵描きのパレットに注がれていくのが。

 少女が、そこへ筆を入れ、淡い白色に染めたのを確認してから、貴樹も目をつぶった。そして、筆がキャンパスに触れる音を細かく知覚した瞬間、暗闇だったはずの視界が奔流に包まれた。

 

(こ、れは…)

 

 少女やクリムエルヒルトの警告の意味を理解した。残り火を分け与えた時の発作の比ではない。あれを御するのは造作もないことだった。だがこれは、無茶苦茶だ。意識だけが取り出され、酷い荒波で揉まれているようだった。

 方向感覚がなくなり、今自分が立っているのかそれとも横に倒れているのか、それすらもわからなくなった。誰の声も聞こえず、耳鳴りが徐々に大きくなっていく。もはや、目を開けようとしてもそれはかなわない。胸が詰まり、呼吸のリズムが完全に乱された。

 もう、十年は過ぎたのではないか。本当はどれくらい経っているのかわからない。時間の感覚さえ、引き伸ばされ、あるいは細かく寸断されたりして、認識が曖昧になった。

 だが、いつ狂気に落ちてもわからないほどの混沌の中でも、貴樹は既に飽きを感じ始めていた。慣れたと言ってもいい。五感の大部分を切ってしまえば、徒に乱される心配はない。無駄なものはなくし、ただ一つの事だけを考える。

 専心。彼はひたすらに、愛しい彼女の事を考えていた。己の中の炎が猛り、どんな苦痛でさえはねのけることができた。

 

「もう少し…」

 

 絵描きの少女の声が、わずかに聞こえた。意外と呆気ないと彼は冷静に考え、さらに自分の中の妄想を激しくした。彼女の裸体を思い浮かべる。

 胸の奥に沸いた熱が、徐々に上へと上がってくる。え、普通下の方に来るんじゃないのと適当に考えていると、熱は一気に顔へ到達した。ここで初めて、それが自分の意志で動いているわけではないと気がついた。

 かっと、貴樹は目を見開く。久しぶりに感じた光は、赤い色を持っていた。

 

「ぐぁ……っ…」 

 

 何かが焼ける臭いがする。脳の奥まで突き刺すような激痛が襲った。歯を食いしばり、体を無暗に動かすことだけは我慢する。

 目の前を炎が揺らめいた。間違いない。今、自分の右目が燃えている。視界が食い破られて黒になっていく。少し遅れて、左目も燃え始めた。

 

「中止してください! これ以上は彼が…」

 

 クリムエルヒルトがこちらの治療に回ろうとするが、貴樹はその体を無理矢理押さえつけた。両目が焼けているが、彼女を留まらせるくらいの力はあった。唇を血が出るまで噛み、ソウルの操作を安定させるために全力を出す。

 騒然としている中でも少女は絵を描き続けていた。貴樹からは何の情景なのかはわからない。それでも、端の方に筆を走らせ、放した時、全て終わったのだと理解できた。

 少女が椅子から降りたと同時に、貴樹は倒れた。すぐさまクリムエルヒルトが手をかざし、奇跡を発動させる。が、その光は彼の眼に当たった途端消え去った。

 

「どうして…」

 

 さらに強い奇跡の光が瞬き、すぐに散ってしまう。今までと、同じだった。貴樹に奇跡の作用が反映されていない。

 薫が、茫然とするクリムエルヒルトに詰め寄った。

 

「何を、してるの?」

「奇跡が効かない」

「言い訳なんて聞いてない。早く、治しなさい。貴くんの目を……治せ!」

 

 彼女は鎌を取り出し、魔女へ突きつける。それは脅しではなかった。役に立たない道具を切り捨てるようにして、刃が首元へ振るわれる。

 決定的な一撃が入る前に、貴樹の顔が水浸しになった。彼を挟んで睨み合っていた二人は、

 バケツを持つ由海を無言で見つめる。

 

「氷も用意しました。とにかく、冷やさないと。どいてください」

 

 氷を包んだタオルが、彼の目に巻かれる。それだけでもだいぶ楽にはなった。痛みとともに強烈な痒みも来たが、両手もない状態では黙って耐えるしかない。意識の狭間をさまよいながら、彼は誰かの懺悔を聞いていた。

 

『すまねえ』

(あのなあ)

『わかるぜ。残り火の暴走は、おれが止めるべきだった。だが、これが精一杯だった。お前を、死なせないようにするのが』

 

 ノミの声は極度の疲労で乱れていた。言葉の端々が、荒い呼吸でぐらついている。

 

(しゃあねえな。これ、貸しだぞ)

 

 呆れたような溜息が漏れる。

 

『しゃあなくはない。お前の今の状態は』

(わかってるよ)

 

 貴樹は起き上がった。それほど時間は経っていないだろう。それでも痛みはほとんど引いている。クリムエルヒルトの奇跡とは別の力が、働いたのだ。出血も収まっていた。

 重苦しい空気が、場を包み込んでいる。

 

「成功しましたか?」

 

 彼の問いに、一番近くの人の像が答えた。

 

「はい。ですが、申し訳ありません。これは、私のせいです。もっと全力で貴方を止めていれば…」

 

 クリムエルヒルトの声に、首を振る。

 

「危険は、予想できたことだ。それを知っていながら、僕はそうした。納得はしているよ」

「納得?」

 

 地の底から響くような声が、した。フリーデの声帯から出されたそれが、涙で濡れている。もう随分と薫の意識が表に出ているが、そこはフリーデが譲っているのだろう。その悲しんでいる顔をもう細かく認識できないのと思うと、少しだけ残念に感じた。ゲームでは、フリーデの情緒が詳しくわからなかったから。

 

「僕の両目は、どうなってますか」 

 

 気づまりな間がしばらく空いた後、クリムエルヒルトが答えた。

 

「右目は、火傷の跡がかなり残っています。それで…、眼球が潰れて真っ白に凝固しています。私の奇跡では、戻すことはできません」

 

 一瞬触ってみると、確かにいつもの皮膚の感触はなかった。右の瞼を開けようとしても、激痛が走り動かすこともできない。当然、視界も真っ暗だった。

 

「でも、左目はまだ見える」

「確かに傷はましです。それでも正常な視力は望めません」

 

 深く集中してようやく、知っている者の顔を見分けることができる。ただ、細かな表情の機微や、動いている物体を正確に追うことは難しそうだった。

 

(駄目だな。これからは視力を頼りにはできない)

 

 傍から見れば絶望的でも、貴樹はどこか嬉しさを感じている自分を認識していた。それが表面にも出ていたのだろう。薫が訊いてくる。

 

「どうして、貴くんは、そんなに平然としてられるの?」

 

 姉にしては珍しく、良い質問をすると思った。

 彼は暗く沈んだ雰囲気を和らげるように、微笑んだ。

 

「これで、少しはあの子の気持ちがわかる」

 

 

 

 

 絵画世界からの脱出は、これ以上何の波乱もなく、成功した。アンリ達の話によると、ゲールによって絵画世界に連れてこられた時と、感覚は同じらしい。一見ただのキャンパスに体が吸い込まれていくというのは、今まで感じたことのない気持ち悪さがあった。貴樹は、あまり好きではないという感想を抱いた。

 左目を凝らし、周りを確認する。雪景色なのは変わらない。遠目に法王の城がそびえているのがわかる。再び、イルシールに戻ってきたらしい。

 

「ここに、来たことが?」

「わからない。ただ、わたしの描いた絵とここが、一番繋がりやすかっただけ。こっちも訊きたいことがある」

 

 絵描きの少女は、貴樹を見上げた。

 

「どうして、わたしまで連れて来たの? わたしは、別にあの世界で終わっても良かった。やりたいことをやれたから」

 

 少女は屈んで雪を手ですくい上げる。それに鼻を少しうずめさせてから、空を見上げ、深く呼吸をした。

 

「こっちは、やっぱり何もかも違うよ。同じ雪でさえも。もうわたしの役目は終わったんでしょ。貴方達の荷物にしかならないのに」

「君の役目は、まだ終わっていないかもしれない。僕達には、まだ解決すべき問題があるんだ。少しでも方法の幅は広げておきたかった。もちろん、君の意思は尊重する。僕達についていくのが嫌なら、それでもいい」

 

 少女は無言でクリムエルヒルトをちらりと見た。それから目を閉じて思考にふける。

 

「ううん。嫌じゃないよ。貴方達は、悪い人たちじゃないってわかってる。それに、旅をするのは初めてだから。興味はある。でも、」

 

 そこで初めて薄い彼女の表情に翳りがさした。

 

「お爺ちゃんも一緒にいてくれればよかったな」

 

 貴樹達はその後、法王の城には向かわずイルシールの地下牢へ進むことに決めた。クリムエルヒルトによれば、ロスリックの城壁へと繋がる道があるらしい。転移の道。これを使って会談の時祭議長エンマ達がやってきたそうだ。彼女がその案内役を務めていたそうで、手順は理解していると保証した。

 だが当然、全員がそこへ向かうわけではない。さらに障害が手強くなる恐れもある。ここがウィン達との別れ道だった。彼らは、この世界の命運よりもまず、自分達の安全を優先している。

 貴樹は彼らに、不死街までのルートを教えた。カーサスの地下墓は以前だったら鬼門だっただろうが、貴樹達が罠などを取り除いてからはそれほど脅威でなくなった。彼らの戦力でも余裕をもって突破できると説明した。

 また、祭祀場の者達との接触は慎重を期するべきだと忠告もした。彼らでは言葉が通じない以上、安定した交渉は難しい。生徒達とまず先に会った方がいいと彼らに伝える。

 

「僕はもう、あの子達と合わせる顔はありませんが。貴方達の助けにはなってくれるはずです」

 

 ウィンが涙ぐんで、ハグをしてくる。

 

「君のしてくれたことを、俺達は絶対に忘れない。また、巡り合うことができたなら、ちゃんと恩を返させてくれ」

「ええ。僕達も目的を果たしたら、不死街まで戻ってくるつもりです。そこで合流したら、地球に戻る方法を一緒に考えましょう」

「ああ、約束だ」

 

 彼ら皆が、それぞれ貴樹に感謝を示し、別れを告げた。前までは一番こちらを警戒していたファエラも、彼の腕を強く握って互いの無事を祈る言葉を口にしていた。イアンはミレーヌと二言三言交わしてから、クリムエルヒルトに頭を撫でてもらっていた。

 

「最後に少しだけ、いいですか?」

 

 互いに出発する準備ができたところで、由海がおずおずと話しかけてきた。

 

「貴樹さんは、高校の教師をやっていたんですよね」

「うん、そうだけど」

 

 彼女は数瞬迷ってから、意を決したように尋ねた。

 

「あの、国広祐馬という高校生を知っていますか?」

 

 貴樹は瞬きしてから、首を傾げる。

 

「いや、ごめん。聞いたことがない名前だ。僕のクラスにはいないな」

「そうですか」

 

 そういう答えだと予想していたようで、気落ちしたような、安心したような曖昧な笑みを由海は浮かべる。長く吐いた息が憂鬱そうに漂った。

 

「探してるの?」

「はい」

 

 彼女は遠くを見た。

 

「私の、恋人です」

 

 

 

 

 

 彼らの姿が見えなくなるまで、貴樹はその後ろ姿を目で追っていた。

 

『あんなこと言って、いいのか?』

(あん?)

『クニヒロユウマって、確かいただろ。お前の生徒じゃねえか』

(今はもう、まともな人間じゃねえだろ。生きてるって言って希望を持たせてもしょうがないし。エルドリッチの膿まみれの彼氏見たら、余計な因縁ができる恐れがある。知らない方が身のためだな)

『…おい、何適当なこと言ってんだ。お前が、そんな思いやりをあの女に向けるわけがないだろ』

(くくく)

 

 こらえきれず、貴樹は心の中で笑った。本当は、彼らとの別れの最中ずっと、吹き出しそうになっていたのだ。

 

(だってよお、恋人のことなんざどうだっていいだろ。どうせあいつらは、もうすぐ死ぬってのに)

 

 彼は、見えない体の魔術を解いたフリーデに向き直った。今は、薫が表に出ていない。むしろ今までが、多すぎるほどだったのだろう。元々は、フリーデ自身の身体なのだから当たり前だ。

 

「貴方も、僕達についてきてくれるということでいいんですね」

「そうですね」

「それは、姉が望んでいるからですか」

 

 静かな瞳を貴樹の顔に合わせ、ゆっくりと首を振る。

 

「私も、望んでいることだからです。前へと進むきっかけを待っていた。当面は、貴方の目的に協力するつもりです」

「心強い戦力が増えて、こちらとしてもありがたいです」

 

 今のフリーデの言葉に嘘がないことを確認する。薫と彼女はある程度の意志統一ができているらしい。てっきり、フリーデはこちらの世界に来ることを拒むと思っていた。彼女にとって、あの絵画世界は大事な場所であるはずなのだ。アリアンデルが既にいなかったことと関係があるのだろうか。

 十分に時間が経ったこととを確認して、貴樹は背負っていたゲルトルードをアンリとホレイスに預けた。

 

「少し、彼女をお願いします」

「どうかしましたか」

「急がなければならないのは確かですが、地下牢へ向かう前に少しだけ、自分の身体の状態を確かめておきたいんです。ここらを少し回ってきます。皆はここにいてください」

 

 クリムエルヒルトが、目を見開いた。

 

「一人で、行動するつもりですか?」

「今の僕でも、危険を感じるほどの相手はここらにはいないよ」

「ですが、万が一があっては」

「頼む」

 

 貴樹は意図して、無理をしている風の笑みを装った。こういった類の表情は、彼らには見せたことがない。弱気になった自分をさらけ出しているという設定だった。

 

「一人になりたいんだ。さすがに……、今回のは堪えたよ」

 

 無事、誰からも不信感を抱かれることなく、貴樹は単独行動を開始できた。城の方面へと全速力で走ってから、大きく回り道をする。アンリ達が待機している場所を遠目に迂回して、ウィン達が去っていった方向へ走り続けた。

 

『お前…まさか』

(いやさ、そもそもどうして、あんな奴らに貴重な残り火をくれてやらなきゃいけないんだ? 馬鹿げてるだろ)

 

 貴樹の思いついた最善の方法というのは、結局は彼らを殺すことだった。絵画世界内では機会に恵まれなかった。たとえ秘密裏に全員排除したとしても、クリムエルヒルト達が確実に勘づくからだ。

 しかし、今はどうだろう。まさか貴樹が、一度彼らの命を救ったうえで、それをなかったことにしようとしているとは誰も考えない。

 

『残り火のソウルを回収するのか』

(正直今の俺は全盛期の十分の一ってとこだが、それでもあの雑魚共に負ける道理はない)

『でも、おそらく残り火は奴らの器そのものになってる。普通のソウルと同じように、取り戻せるとは限らないぞ』

(答えは、奴ら自身が教えてくれたぞ)

『あ?』

 

 気配を感じる。それほど遠くないところで、集団の足音がしている。人数からしても、標的であることは間違いない。

 

(食っちまえばいいんだ。あいつらの器ごとな。そしたら、成功する可能性は高くなるだろ)

『おい、お前、そういうのだけは忌避してただろ』

(ああ、気は進まねえな。誰が、絶対にまずいって決まりきってるものを食べたいと思う? だが必要なら、やるしかない)

『い、いや。マジで言ってんのか。そういうことじゃ…』

 

 人食いのような、他人がすれば唾棄すべきものだと考える行動も、自分がする分には当たり前のように受け入れる。貴樹は、これはを共食いだとは少しも考えていなかった。出会った当初から、彼らの事など少しも対等に考えたことはなかったからだ。同じ人間だと、捉えてはいなかった。

 

(まずはガキから狙うか。それで集団の動揺が誘える。いくらか作業も楽になるだろ)

 

 両足に力を入れたところで、背後に誰かの気配が現れたのを理解した。

 

「良くないと思うな」

 

 あっけらかんとした声。

 フリーデの姿をした薫が、にこにこと笑っていた。貴樹の肩にそっと、手をかける。

 

「ばれてないとでも、思ったの。貴くんがどういう思考をするか、お姉ちゃんはきちんとわかってるんだから。駄目だよ。そんなことはさせられない」

 

 貴樹は、首を回して筋肉を解した。

 

「させられない? どの立場でもの言ってんだ? 止められるとでも、思ってんのか?」

「そうだね。私は、貴くんに勝てない。でも、前よりは善戦すると思うよ。今の貴くんには」

 

 薫はウィン達を一瞥する。

 

「そして、大声を出してあの人達に知らせる猶予はあるし、今きっと私がいないことに貴くんの仲間達も気がついてる。探し始めるだろうね。皆に対して、どう説明するつもりなのかな」

(ち…)

 

 この計画は、誰かに感づかれた時点で機能しなくなる。薫にはともかく、アンリ達にばれた時のことを考えると、これ以上の続行は厳しかった。

 

「わからないな」

 

 止めてくるとしたら、ミレーヌだと思っていた。明らかに彼らよりも貴樹を重んじていたはずの薫が、その役目をこなしているのは疑問だ。

 

「さっきまでむしろあいつらを救おうとすることに反対してたのに、一体どういう心変わりだ? 情でもわいたのか」

 

 薫は進んでいくウィン達を眺めた。笑みを消して思考に深く沈んだ表情になる。どこか疲れたような様子だった。彼女というよりは、フリーデの方に似合いそうな顔だ。

 

「償いかな。同じ人としての」

 

 今度は彼らの姿が完全に見えなくなるまで、視線をそらさずにいた。 

 

 

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