指摘してくださった方、ありがとうございます。
貴樹は、目の前の女子に面倒そうな視線を向けた。
「……どうした、腐れ妹よ。俺は大事な用があるんだ。火守女さんの五億分の一の価値もないお前にかまってる暇なんてないんだけど」
「はん、そういえばずっとあの人のこと見てたね。ああいうのが、好きなんだ。わかりやすいね―。従順で、清楚そうで、いかにも男好きのする感じが。気持ちわるーい」
尖った感情をそのまま顔に出し、貴樹は実織を睨みつけた。
「は? 殴るぞ」
「男としてどうなの、それ」
「は? 犯すぞ」
「兄としてどうなの、それ」
親指で首をかき切るポーズをとった彼に対して、実織は中指を立てる。外にまで声が漏れないよう二人の距離はかなり近く、下ではお互いに足を踏み合っていた。
戸水家におけるこの兄妹の仲は、最悪だった。家ではほとんど会話をせず(両親の前以外)、目が合っただけで舌打ち(両親の前以外)、メンチの切り合いは挨拶がわり(両親の前以外)。貴樹の男のプライドもあってさすがに殴り合いの喧嘩とまではいかないが、代わりに見苦しい悪口のぶつけ合いはよくあることだった(略)。
「私だって、性格不細工のゴミなんかと話したくないんだよ。ただね、どうしても確かめたいことあるから、仕方なくこうするしかなかったの」
「ふーん。じゃあ早くしてもらいますかあ? 妹がかまってちゃんだと、色々苦労が多いんでねえ」
「死ね童貞」
「お前こそ消えろ処女」
「ええ、きっも。妹の経験の有無把握してるとか、変態でしかないんですけど」
「別にそうじゃなくてもいいけどな。大抵の女はビッチか、清楚ぶったビッチか、喪女ぶったビッチしかいないからな」
「あれれ。その理論で行くとさ―、非処女ばかりの周りに対して、童貞貫けてるあんたが奇跡的存在になるんだけど。すごいすごいすごい、マジ尊敬だよ」
「んんん、ちょっと意味わからないかな。あっ……、ごめんな俺が悪かった。処女がこういう話題に頑張って乗ろうとする涙ぐましい背伸びを汲んでやれなかったわ。俺お兄ちゃん失格だな―」
「そのまま人間からも落第してしまえ」
「残念! 上下関係的に、俺がお前を落第させる権利を持ってるのでしたあ。おっとおっと? いいのかなっ? 高校卒業できなくなるよん? どうどうどうっ」
教師失格である。
「は、はあ? そんなことできるわけないじゃん。クビに決まってる」
「当たり前じゃん。ただの例え話だっての。おやおや? もしかしてちょっと本気にしてた? 素晴らしい。その素直さ、素晴らしい!」
「うぬぬぬ……」
「どうしたどうしたどうした。もっと来いよオラァ! こんなもんかぁ? 昔のお前なら、もっと食い下がってきたぜ。ふふん、老いたな。戸水実織じゅうななさい、その年にしてババアっ! うううう、お兄ちゃん悲しいです……。涙が止まらないよう。わあああああん」
実織はぷっつんした。
その口から言葉にならない何かを発し、彼の股間に蹴りを入れようとする。その攻撃は素早くそして文句のつけようがないほどの鋭さを持っていたが、読んでいた貴樹は半身ずらしてかわした。さらにかわされることを予測していた彼女は顎狙いの拳を繰り出し、それもまたやすやすと止められてしまった。
「お前の敗因はただ一つ。なあに、俺よりもガキだったってことよ」
この兄妹の喧嘩は、煽り合いを軸とする。互いにヘイトを高め合い、先に感情に流された方が負けというのが、暗黙の了解になっていた。貴樹は唇を吊り上げ、鼻の穴を広げて実織を見下ろす。実の妹に口先で勝った男の顔が、これである。
「クズゴミカスアホマヌケ! うんと、バカ! それにバカっ! お前なんか一生チェリ―のままでいろ! えと、アホ! っうぷ」
怒りのあまり
「やかましい。静かにしろや。他の有象無象共に気づかれたらどうすんだ」
「……死ねカス」
「うんうんうん。ちゃんと老衰で逝くから、安心してね。ま、それより前に、お前は優秀な兄と比べられるのに疲れて自死するけどな」
「地獄行けクズ」
「よちよち。あのな、お前に割ける時間なんて無いって言ってるだろ? 早く本題に入れよ面倒くせえ」
と言いながらも、実織が呼吸を整えている間に、舌を出し顔の横で手をひらひらさせながら全力で彼女を煽るのが、貴樹という粗大ゴミである。この男の家族というだけで、十分同情に値する。彼女の気苦労は底知れないだろう。
実織は眉間を指で揉みながら、くたびれた調子で言った。
「疲れた。普通に会話することすら困難だなんて。こいつは人間じゃないわ」
「はよ言え生理周期二十五日」
「キモいっての! ……じゃなくて、そう、訊きたい事ね」
彼女は興奮でうっすら頬を紅潮させたまま、見据えてきた。
「あんたさ、ゲーム、持ってたでしょ。これの」
「ああダ―クソウルね。正確にはⅢだけな」
「何で、言わなかったの……?」
実織の声は、明確な憤りを含んでいた。
「あん?」
「だから、あんたはこの世界の事、知ってるんでしょ? 他の誰よりも! だったら、どうして何も口出ししないのよ。さも、自分は無知なふりして」
「寝ぼけてんのか。宇部や丸戸がいるだろ。どうして俺まで動く必要がある」
「とぼけんなよ。私、知ってるからね。お姉ちゃんが電話で言ってたもん。そうとうやりこんでるんでしょ? 他の誰よりも」
「ち、あのアバズレ。べらべらべらべらと」
「あんたの方がよっぽど最低よ! 他の皆は全員やられたのに、あんただけが一人、あの化物とここに来た。何か、あったんだ。あいつを切り抜けられる方法が何か。汚い裏技とか。それを事前に言ってくれれば、もっと」
「皆、無事だったじゃねえか」
「結果論よ。本当どうしようもないね。自分だけが助かればいいと思ってさ」
貴樹は思わずといった形で、笑った。
「何よ」
「それだ。それなんだよ。だから話したくなかったんだ。初めっから頼ることしか考えてない害虫なんて、死んでなんぼだろ」
「は……」
「だからお前は何を見てきたんだ? 確かに、途中までは順調だった。宇部とかの知識とやらでな。けど、その後はどうだ。あんなの、どれだけものを知っていようと、乗り越えられるレベルじゃなかった。そもそも、てめーらが勘違いしているのは、ここがゲームの世界だってことだ。笑えもしねえ。そんな他人事みたいな認識、さっさと捨てろよ。これで不死になったとしても、役立たずのゴミになるだけだぞ。今この足で立ってる場所が現実だ。間違えんじゃねえ」
「じゃ、じゃあ、あんたはどうやってあの化物に殺されなかったのよ」
「グンダさんって言え。うん、そうだな。単純に俺の実力、だけではなく、顔、性格、運、全てにおいて俺は生かされるべきだと判断されたんだろう。つまり世界の意志だ」
実織は、無言で突進してきた。彼の胸元に飛び込むと、両腕を振り回してくる。言葉で戒める気すらなくし、ただ湧きおこる
「にににに」
「気持ち悪いな、くっつくなって。お前は相変わらずブラコンだなよしよし。攻めるのは良いけど、そんな隙だらけだとほら、頭が大変なことになるよん」
彼女の真っすぐ整えられたショートボブの髪型を、悪意ある手つきでくしゃくしゃにしていく。傍から見れば、お前らやっぱり仲良いだろみたいな感想が浮かぶだろうが、二人は大真面目に嫌い合っているので安心してほしい。
「かみっ、さわんな」
「で? それで話終わりか? ったくお前ってすぐ手が出るよな。この貴重なエスト瓶が割れるとこだったぜ」
「……私も」
実織は懐から瓶を取り出す。まだ液体が満杯にまで入っていた。
「まだ飲んでないのか。他の奴らはもう全員めでたく不死になったぞ」
「あんただって。何となく、嫌なの。こんなマンゴージュースもどきを飲んだだけで、死ななくなるって……。速効性の何かがあるわけじゃないみたいだから、別にいいけど」
「うっわ、実織さんったらマジ鬼畜。大事なクラスメートを実験台にしたんだあ」
「ううるさい!」
「んだよ、実は怖いんだろ。全く理解に苦しむね。俺なんか試してみたくてうずうずしてるぜ?」
「やってみなさいよ、そんなに言うなら」
「お―、見てろ」
貴樹は期待感でにやけた面のまま、エスト瓶をぐいとあおった。
(まずは口内で感触を確かめる。ん―、確かにほとんど味はしないな。でも水よりは舌先に抵抗感がある。ふむ……。けどわずかな甘さ。さすが回復アイテム、味わい深いな。では、いよいよ喉に流し込んでいくとしましょうか)
『飲まない方が、身のためだぞ──────―?』
「げほげほげほっ! 、うぇ」
突然頭の中に男の声が響き渡った。と同時に口の中に痺れるような痛みが走り、たまらずむせてエストを全て吐き出してしまった。手から瓶が落ち、下の石の凹凸に当たって割れる。
「きたなっ。ねえちょっとやめてよ。おっさんじゃないんだからさあ」
実織が顔を歪めて飛びのく。彼女の文句にも反応せず、貴樹はきょろきょろ辺りを見回した。
「おい誰だ。どこにいる。さっきの言葉、どういうことだ?」
「うわ……。もしもし精神科ですか? ここに頭のイッた可哀そうな兄がいるんですう。ええ、いない誰かと話し出して。ええ、ええ、私としてはマントルの底に隔離がベストかと」
(実織には聞こえてない? 確かに声がしたんだが。気のせいのはずが。いや、それよりも)
貴樹は深呼吸をして、壁に寄りかかった。思わせぶりに目を閉じ、彼女が押し黙るまで静かにしていた。頭の切り替えは早い方だと自覚している。今自分が欲しい物が何なのか。把握している彼は、ゆっくりと目を開く。
「実織……」
憂いを帯びた眼差しで、彼女を真っすぐ射抜く。少し俯き加減に、やや上目遣いで。彼が過去、鏡で研究し完成した決め顔だった。気遣う動作で実織の顎を撫でて、耳元に作った低音ボイスで囁く。
「エスト、分けてくれよ……」
「あ、ごっめ―ん。あんたが目つぶってる間に全部飲んじゃった。 てへ♪」
「くたばれビィィッチ!」
貴樹は彼女に組みついた。
「は、ちょ、おい胸っ!」
「CよりのBなんざ、ほぼ無価値だろうが」
「はあっ? BよりのCだし! これからもっと成長して、お姉ちゃん超えるもん!」
「あんな乳牛目指す意味ないわ。むしろ胸削って絶壁にしろよ。それはそれでウケる」
「は、な、せ! ほんと死ね!」
「何かあるはずだ。お前、余分に二本貰ってないの? 実は隠してんだろ、なあなあ。このローブ、いっぱい物入りそうだもんなあ。めくればぽろっと」
教師を失格になっただけではなく、この男犯罪者にまで身を落とすようである。
「このっ、バラすよ! 全部。あんたの本性全部、クラスの皆に言いふらしてもいいの?」
「じゃあそのお礼に、お前の身長体重スリーサイズ生理周期のデータに、お前がでっかい
「どこに、妹のそんな情報を、知ってる兄がいんの! 変態め!」
「お互い様だろ。お前だって、前に俺の……」
「それは未遂で……」
そこで、二人は全く同時に口をつぐんだ。そういう時だけ、仲良く息ぴったりだ。罵り合いながらも、どちらも近づいてくる気配には最大限の注意を払っていた。
曲がり角から、下田が姿を現した。
「あの、総会が始まるみたいです。一旦広場に集合してほしいって」
「そうか。わざわざ呼びに来てありがとうな」
ちらりと、下田は貴樹の胸に顔をうずめている実織に目をやった。
「えっと」
「ああ、……ほら実織、見られちゃってるぞ。もう落ち着いたか?」
「ん……」
彼女は首を振ってさらに貴樹の体に密着し、鼻水をすする音を出した。
クラスメイトが泣いている姿など、そうそう見る光景ではない。下田は言葉を失い、所在なげに立ち尽くした。
それを苦笑して眺め、貴樹は言った。
「ごめんな。集合はわかったから、先に行ってていいよ。すぐに僕達も行くから」
「はい……」
(あ―あ、飲んでみたかったなあ、エスト瓶。あれ? ていうかこれってすごくやばい気もするけど、いてっ! あ、こいつ背中の
広場には、既に他の生徒達が、祭祀場の中で最も大きな鉄製の扉前に集められていた。貴樹と実織が歩いてくる音に何人かが気づいて振り返ったものの、大半は扉の向こうに待ち受けている何かに緊張しているようだった。
「この先で、貴方達と使命を同じくする方々が待っています。私の拙い説明よりも、はるかに実のある話が聞けるでしょう」
(うーん。こうして見ると、この糞妹とひもりんが同じ人間だとは思えん。本当の価値は、意識しなくてもわかるもんですなあ)
貴樹が実織の踵をこっそり蹴ると、新宮にしつこくどんな話をしていたのか訊かれていた彼女は冷え切った目を一瞬向けてくる。
「扉が開きましたら、すぐには進まないでください。列席場までには、あらゆる仕掛けが作動しています。全て機密保持のためです。それらを停止するために、案内人が必要です。扉が開いた後、私がその方を呼ぶまで待っていてください」
そして、何の前触れもなしに鉄の扉が開き始めた。歳月を感じさせる錆びた蝶つがいが軋み、不気味な音を立てて動いていく。
(しかし、どうにも謎だな。祭祀場の広さといい、ゲームと比べるのはあれだが違いが多いな。こんな仰々しい扉なんて一つもなかったのに。それにここが外敵に備えるための罠を設置してるなんて、ちょっと状況が怪しくなってきた。今考えても意味ないけど)
開き切った所で、火守女がすぐ横にある何の変哲もないい岩壁を二回ノックした。するすると上から下りてきた縄を引きながら、岩に顔を近づけた。
「お願いします」
どんどんどん、とやや乱暴な音が三回帰ってきてから、少し先で何かが持ち上がる物音がした。それから数秒もたたないうちに、扉の開いた先からくたびれた男が出てくる。
「……ふん、こいつらか。全員奥に連れて行けばいいんだろう?」
薄汚れた青いマントと暗い色の鎧を着た、どこか表情に諦観の見える、外見が三十代の男だった。
(おおっ、ホークウッドじゃん! 二―トだニ―ト。なにこいつ、こんな雑用任されてんの? 笑える)
二―トのあだ名通り、彼は拠点である祭祀場からほとんど外に出ることはないNPCだった。火守女と同じく、初期にしかも必ず出会うことになるので、ネタ的に需要があった。
「はい。大事な使命を持つ方々です。列席場までお連れ願います」
「わかった、わかった。大事な使命か。それはそうだろう。ちゃんと案内するさ」
皮肉気に言った後、ホークウッドは全員を見渡し、扉の奥を顎で示した。
「さあ、ついてくるがいい。俺よりも先を歩くと、死ぬぞ。まあ、お前達はもう永遠に死なない体になったんだろうが。フッ」
先を進み始めた彼の後ろで、生徒達は気まずい顔で囁き合った。皆反応に困っている。
列席場までの道は何の変わり映えもない洞窟だった。ただホークウッドはこまめに立ち止まっては、傍目ではよく意味のわからない操作をしていたので、何かが仕掛けられているのは本当なのだろう。
貴樹はホークウッドに話しかけたかったが、生徒の目もあって難しかった。
「お前達も災難だな。王達を連れ戻せだと? 簡単に言いやがる。奴らは全員、かつて薪を継いだ化物だ。俺達が敵うわけがない」
「はあ」
「あのエルドリッチなんざ、話を聞いただけでも震えあがる奴もいる。人食らいにわざわざ近づく方がどうかしているだろう。ロスリックの兄弟も、弟は弩級の奇跡を使い、兄は火の纏った剣技を操ると聞く。ヨ―ムは戦う以前の問題だ。巨人になど、一体どこに勝てる理屈がある? ……深淵の監視者共は、まあ単純に強い。剣筋の読みにくさで言えば、圧倒的だ」
「そうなんですか」
(くっそ。国広め、ちゃんと返事しろよ。嫌ならそこ俺と代われや)
「それに比べ、お前達は子供しかいないじゃないか。見た所、戦いに無縁な人生だったんだろう? 使命など、くだらない。上が勝手に決めたものだ。向いていない奴は辞めていいんだ。そうだろ? 特にお前は、不死街で体を売っている方がまだましな生活を送れるぞ。あそこの女は飢えているからな。フッフッフ」
国広は軽く引いていた。
(二―トを必死に正当化しようとするホ―さんマジ最高。大好き。挨拶したいのに砂利共が余計だ……)
ゆっくり進んでいたので長く感じられたものの、道自体は短く、先ほどと同じくらい大きな扉が見えてきた。ホークウッドが脇にあるレバーを引き、開閉音が鳴り響く。
「可哀そうに。これでお前達も囚われの身だ。使命という枷に囚われ、酷使される哀れな存在に成り下がるわけだ」
「────ホークウッド。あまり意地悪をしないでやってくれないか。無暗に彼らを怯えさせるのは、褒められることではない」
開いた先から声が響いてきて、生徒達はざわめいた。
「……わかっていますよ。だが俺の戯言なぞ、誰も本気にしないでしょう」
「ご苦労だった。君は戻りたまえ」
「ええ、仰せの通りに」
これ見よがしに鼻を鳴らしてから、彼は去った。
「さあ、火の無き灰達よ。入ってくるといい」
ほぼためらいなく踏み出した宇部と丸戸に続き、全員が扉から中へと入る。列席場の名の通り、開けた部屋の中、木造りの椅子が整然と並べられている。それらに対面する形で、三つの石の玉座が設けられていた。
ちょうど中央の席に座する小男が、穏やかな笑みで木椅子を指し示した。
「遠慮なくかけてくれ。席は足りているはずだ」
(お……)
ダークソウルを未プレイで、何の備えもできなかった者達の反応は特に大きかった。
まずは一人目。声をかけた男は生徒の中で最も小柄な者よりも一回り体が小さく、左脚の先がなくなっていた。他にも所々に痛々しい傷が刻まれ、そのほとんどが焦げたように赤茶けている。
その右の玉座に座るのは、純白のドレスに薄いケープを被った華奢な女性だ。露出している腕は触れれば簡単に折れてしまいそうで、全体的に儚げな雰囲気を持っている。女子生徒の何人かがうっとりと見とれるほど、吸い込まれるような美しさだった。
残るは、もはや人ですらない。全長五メートルを優に超える巨大な狼だ。その分だけ大きく作られた石座の上で体を丸め、深い緑の瞳を静かに向けてきている。
全員が座ったのを確認した後、中央の小男が再び話し出した。
「私はルドレス。これでも、かつて薪を継いだ王だった者だ。君達を統括する地位に付いている。よろしく願おう。では、君達に課された使命を伝える前に、左右の二方を紹介させてもらう」
狼が身を起こし、低く吠える。
「この御仁は、シフィオ―ルス。原初より血統が続いてる大狼の末裔だ。とても大きい体をしているが、君達を取って食うようなことはしない。優しい方だ」
立派な牙の生え揃う口を開く。
「歓迎する、火の落とし子達。呼ぶのならシフと、略してくれてかまわない」
「まあ、かの大狼と同じ名は恐れ多いと言っていたではありませんか」
可笑しそうに、女性が口を挟む。
「言わない約束だろう。現にお前達もそう呼んでいるではないか」
「そうね。貴方の名前は言いづらいと、常々思っているもの」
そうして、女性がふと気付いたように生徒達の方を向く。それだけで、男子のほとんどが生唾を飲んだ。彼女の挙動の一つ一つに、気品とかなりの魅力が詰め込まれている。
「あら、ごめんなさい。紹介が遅れてしまいましたね。私はヨルシカ。希望の象徴たる皆様と会えて光栄です。この中の誰が
「それはまだ先の話だろう。これから彼らが決めていくことだ」
「フフフ、そうでしたね。皆様の意志が一番大切ですから」
(何だこれは。ここまできたら、もう別物だ。ルドレスはともかく、どうしてヨルシカがここにいる? 狼に至っては、存在自体がよくわからん。本当に状況が読めなくなってきた。まさか、俺が何度も想像した、夢のあれが実現しているなんてことは)
貴樹がゲ―ムとの違いに驚愕している間に、ルドレスの説明が始まっていく。前に実織に対してドヤ顔で現実がうんたらと話していたくせに、こうした事態には呆気なく動揺する男である。
「聞く所によると、既に己の成すべきことを理解している者もいるようだが、大半は途方に暮れているだろう。一言で言うなら、君達は我々の世界を救うために呼び出された。今、この世界には暗闇が迫っている。全ての明かりを司る、最初の火が陰りを見せているからだ。本来ならば、ロスリック王子が薪の王と成り、火の勢いは取り戻されるはずだった。しかし、彼はその責務を投げ出し、城のさらに奥、大書庫の中へとひきこもってしまった。愚かな行動だ。生まれてきた時からそうあれと言われてきたというのに。
偉大なる火の発見者、初代
巨人ヨーム。
神食らいのエルドリッチ。
そして、私。クールラントのルドレス。
だが、ここでもまた予想外の出来事が起こった。私以外の蘇りし王達が全て、ロスリックと同じように玉座を放棄した。彼らは各地に散らばり、火継ぎの儀を終わらせようとしている。
グウィン様の言葉には続きがある。さらにかつての王達までもが、己の使命に背を向けたのならば、最後の救済措置が発動し、異界より我々の常識を超えた戦士達が呼び出されるであろう。彼らの総称は火の無き灰。不死身の体の可能性と特異な能力を持ち、逃げ出した王達を狩り、その薪をくべるだろうと。それが、君達の事だ」
ルドレスが一拍置いて、生徒達をぐるりと見回す。
「私達は火継ぎ遂行のための組織を作り上げ、君達の出現を待っていた。あの、得体の知れない液体を飲まされただろう。あれは君達にしか適合する事のない、特別なものだ。さらに不死身だけでなく、君達は我々よりもはるかに良質なソウルの器でもある。そこの所は、火守女に後で教えてもらうといい。これから戦っていく上で、とても貴重な話を聞けるだろう。ここまでで、訊きたいことがある者はいるかな?」
すっと、国広が手を挙げた。
「あの、俺達がその使命を果たせば、元の世界に帰してもらえるということでしょうか」
「断言はできないが、おそらくそうだろう。やるべきことを全うした灰達には、救いが訪れると言い伝えに残されている」
ほっと彼は息をついたが、まだ不安の色を隠せない者も多かった。
「でも、皆がいた場所では、武器を持って戦うことなんて全くなかったんです。そんな俺達が、果たして役に立てるかどうか……」
「心配はしなくていい。何度も言うが、君達は死ぬことはない。戦闘に関しては、明日からしばらく、この組織に仕えてくれている者達を指導にあたらせよう。彼らの紹介ができるのは、まだ先の事だ。君達は戦い方が各々違っているようだから、分かれてそれぞれ専門の者に教えを請うことになる」
「なるほど、わかりました」
「なあ、言ったろ。ゲームとまるっきり同じ。いくらでもリトライできる」
「ああ、うん……」
宇部に対して、国広は複雑な表情で頷いた。少し怖がっているようにも見える。グンダの時に囮に使われた事を考えれば、無理もない反応だった。
「はっ、最高じゃねえか。死なねえ体、強くなる可能性。楽しみだな」
宇部の言葉に賛同するように、丸戸もにやりと笑った。男子達は自らが不死身という反則級の性質を備えた事で、不安よりも興奮が勝っているようだった。
困ったのは、貴樹の方である。
(おい……、どうするよこれ。俺だけ例外じゃねえか。くそ、実織の奴が分けてくれればよかったのに。だが、それほど焦ることもねえ。あのグンダを圧倒した力さえあれば、殺されることなんてなくなる。むしろ俺が最強だ! はははは)
一番己の可能性にテンションが上がっているのは、この男だった。
「さて、最後にこれはさらに先の話になるが、君達は修業期間を終えたのち、特定の
一つは太陽の戦士。君達が既に会ったグンダの他三人が所属している、遊撃専門の少数精鋭。代表者は訳あってこの場には出席していないが、なかなか愉快な男だ。さほど身構えないですむだろう。次に、二つ目は」
巨狼シフィオ―ルスが、前足を折って頭を下げる。
「団長シフが統括する、
「お褒めにあずかり、光栄なことだ。私は君達に期待している。できることなら、何でもやろう。共に火継ぎを成功させるのだ」
「では最後に、暗月の剣。人員は最大を誇る。他二つの支援や戦いにおける主軸を担ってもらっている。女性が多い団だが、誰もが本物の戦士だ。魔術、奇跡、呪術師の層が厚く、それらを修める者ならば参考になることも多いだろう」
ヨルシカが立ち上がり、微笑んでからお辞儀した。
「総長を務めさせていただいています。まだ使命を知らされてから間もなく、不安を抱いている方も多いでしょう。私もシフと同じくできる限りお役に立ちたいと思っていますので、よろしくお願いしますね」
はっきり言って、この時点で大勢の心が傾いたのは確かだろう。特に男子の。ヨルシカという存在と、女性中心という言葉に多大な魅力があったのは言うまでもない。
「長くなってしまったが、これで一通り説明し終わった。最後に、まだ腑に落ちない点があるという者は?」
誰も、挙手することはなかった。ある程度自分の置かれている状況が把握できたので、満足している者がほとんどだ。貴樹にとっては数えきれないほど尋ねたいことがあった。しかし、生徒達の目もあり、深く突っ込んだ質問ははばかられた。
ルドレスが手で玉座の端を叩き、締めの言葉を口にする。
「では、今日は各自ゆっくりと休むことだ。部屋はそれぞれ個室が用意されている。火守女が案内してくれる。明日、広場に集まる時間は、中央の篝火が教えてくれる。その時までは部屋の中で待機していてくれ。──―ああ、そこの君。君だけは、まだ残っていてほしい」
誰に言ったのかいまいち示していないので、帰ろうとした全員が立ち止まった。
(うん? 俺の方を見てきてない?)