火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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44.勝利条件

  (117)

 

 

 篝火の前で自らの腕を治しながら、下田は唇を噛んでいた。

 あの後、自分がどうやって死んだのか、わからなかった。気がつけばこの時間に戻っていた。とにかくイリーナを人質に取った瞬間、誰かに殺されたことは確かだろう。死んでから篝火で復活しても、意識が戻るには少しかかる。その間に、儀式が終わったということ。

 イリーナが慌てて近寄ってくるのを、観察した。まさか、彼女に反撃を受けたということだろうか。今まで、イリーナが何らかの攻撃手段を用いた場面は、一度も見たことがない。

 焦るな。下田は言い聞かせる。少しずつでもいい。わかるまで、繰り返すだけだ。

 

 

 

 

  (129)

 

 

 今まででわかったことを、整理したいと思う。 

 いくつか、試したことがあった。下田は誰にも言わず、見えない体を使って、一度不死街の端まで逃げてみた。前に捕まった場所とは違うところへ向かったのにもかかわらず、すぐに位置が補足され、エルドリッチの配下に捕らわれた。

 このことから考えるに、常に自分たちの場所が知られているのは確実だ。これが何かの術の一種だとしたら、どうにか無効化しなければ非常に不利になる。

 仮説はあった。ゾリグの言葉が主な根拠だ。あの男は、ヨルシカに言われて下田達を待ち伏せしたというようなことを言っていた。つまり、下田達の位置を補足できるのは、彼女だけである可能性がある。

 誰かの位置が無条件でわかる術など、今まで教えられたことも聞いたこともない。何か、ヨルシカとの間につながりがあるせいなのではないかと、下田は推測した。そのつながりのせいで、こちらの情報が筒抜けになっている。

 心当たりがあった。

 それは、誓約だ。生徒達は全員、ヨルシカと暗月の誓約を結んだ。今思えば、その時の展開はやや強引だったような気もする。初めから、誓約を選ばせるつもりはなかったのではないか。太陽の戦士や、狼血の騎士の誓約もあるという選択肢は、ただのカモフラージュ。

 これで、この戦いの最低限の勝利条件がわかった。それは二つある。

 まずは、イリーナを自由にさせてはならないということ。彼女の存在が儀式の要だ。放っておけば、どこにいようとも、下田達は贄にされる。かといって、安易に殺してしまえば、そもそも祭祀場から出られなくなってしまう。篝火を使っての移動は、彼女が担っているからだ。

 もう一つは、ヨルシカの排除。彼女がいる限り、永遠に追手がやってくる。誓約を解けばそれでいいのだが、相手が応じるとは思えない。ならば残るは彼女を殺して、誓約そのものを破壊するしかなかった。下田自身、そうしたいという気持ちもあるが。

 イリーナを確保できる機会はかなり多い。彼女は普段、広場で祈っていることがほとんどだからだ。問題は、ヨルシカが下田の目につくところへ出てくる機会が、かなり限られているということだった。

 最初は、下田が篝火の傍で意識を取り戻してすぐだ。ただし、その時、彼女の傍にはグウィンがいる。とてもじゃないが、突破できる自信がない。

 次に姿を見せるのは、儀式の直前。一見これが最大のチャンスのように思える。彼女から二人きりで話したいと言ってくるからだ。彼女の部屋に入ったあたりで、行動を起こせばいい。ただ、下田も彼女を殺すのはそう簡単にいくとは思っていなかった。あまりに時間をかければ、儀式が始まってしまう。できれば、ヨルシカとイリーナを同時に把握できるような場面が欲しい。

 その希望に合っているのが、最後の機会だった。儀式の最中。イリーナとヨルシカが同じ広場にいるので、条件を満たすことにおいて、一番ましに思える。生徒達も皆集まっているので、逃げるのに都合がいい。そして、そこにはグウィンもいない。最初の機会よりも、かなり簡単であることは確かだった。

 簡単。

 下田は、その言葉のあまりの説得力のなさに自嘲した。グウィンがいなくても、祭祀場のほぼ全ての戦士たちがそろっている。ヨルシカは篝火から一番遠い玉座付近にいるのだ。彼女を殺そうとすれば、全員がそれを阻もうとしてくるだろう。彼ら全てを同時に相手するのは、馬鹿げていると思った。一人一人にも、歯が立たないというのに。

 だが、それ以外にチャンスがないことも確かだった。大体は、ヨルシカは自分の部屋にこもっているらしい。そこへ忍び込もうとしても、まずは大扉の先の短い道を通らなければならない。そしてその道には、「外敵」用の罠が仕掛けられている。

 一度引っ掛かって、彼のその恐ろしさを理解した。落とし穴が開くわけでも、横の壁が迫ってくるわけでも、上から無数の鉄球が降ってくるわけでもない。全ての戦士達へ、侵入の信号が送られるらしい。全て、というのはジークバルド達だけではない。裏でつながっているエルドリッチや、さらには一度下田とちとせに魔術を当てた仮面の男が率いている謎の集団にもばれる。彼らが駆けつけてくる中で、下田は幾重もの拘束魔術にやられて、待つことしかできなかった。

 つまり、儀式を阻止できて、かつ相手にする敵の総力が一番少ないのが、儀式の最中に行動を起こすことだった。篝火の傍でイリーナを行動不能にさせ、そこからヨルシカを殺しに行く。やることと言えばそれだけだが、今の下田にとっては無謀という言葉では片付けられないほどの無茶苦茶な難題だった。

 それでも、やるしかない。彼は戦いを続けた。

 

 

 

 

  (135)

 

 

 イリーナを人質にとって、すぐに後ろを向く。ソウルの矢が迫って来ていた。下田はこれに首を刺されて、死んでいたのだ。何とか横へかわすと、イリーナから離れてしまう形になる。

 直後、自分の頭が潰れる音を聞いた。何かを振り下ろされたのは分かったが、誰が、何をしたのかはまるで理解できなかった。

 

 

 

 

  (167)

 

 

 正体はわかった。

 大槌だ。それが、明らかな怒りを伴って、下田へと振るわれていた。誰がやったのかも、見えた。イーゴンだ。生徒達とイリーナを除いて一番近くで儀式を見ていた彼が、何十回も下田を殺したということだった。

 最初の、相手。獅子の兜をかぶった僧兵。

 まず、その攻撃の迫力に慣れるのに、時間がかかった。常人では持ち上げることもできないような武器を、恐ろしいほどの速度でぶつけてくるのだ。下田は、何度も一撃目で殺された。死ぬことは避けられても、ほとんど致命傷に終わった。

 

 

 

 

  (205)

 

 

 初めは、大体縦の振り下ろしだ。軌道さえわかってしまえば、事前にずらしておくことはできる。下田はソウルの矢をかわした後、すぐに全力で横っ飛びに避けた。怖気づくことはなく、スムーズに動くことができた。肩のすぐそばを、轟音が通り過ぎていく。

 続く横の流れるような薙ぎ払いで、彼は壁へと叩きつけられて、潰れた肉の塊になった。

 

 

 

 

  (230)

 

 

 多少、むきになっていたことは否めない。

 そもそも、真っ向から相手と同じ土俵に立って戦うのは、おかしい。下田は自分のできることを考えた。相手にはなくて、自分にあるもの。それは能力だ。固有能力だけを指すのではない。つまり、インベントリにも利用できるところがたくさんあるのだとようやく気がついた。

 そこからは、動物以外ならほとんど何でも取り出せる。下田が特に注目したのは、銃器類の存在だった。銃というのは、大した力も必要とせずに、高い殺傷能力を持っている武器だ。わざわざ標的へ近づく必要もないというのも、長所だった。

 それでヨルシカを初めから狙えば。下田は初めこの考えが最良だと思い込んでいた。余計な戦いをせずにいられるかもしれない。

 問題は、強力な武器を取り出すのは相応の対価がいるということだった。一番安い拳銃でも、二万ソウルはかかる。おまけにたちが悪いのは、弾の方もソウルが必要だということだ。一発あたり、三百五十ソウル。百発取り出せば、三万五千かかる。

 下田は六日間の間のソウル集めの期間で、最大でも七千ソウルしか得られなかった。どう考えても足りないが、手は残されている。

 

「それでは、誰にソウルを集めますか?」

 

 儀式の二日前、イリーナから話がされる。儀式のために、灰の中から一人、ソウルを全て所持する者を選ぶ必要があるというのだ。そこにはおそらく管理のためという事情もあっただろうが、下田にとってはありがたかった。生徒達のソウルを合計すれば、優に六万は超える。武器の調達にはもってこいだ。

 同時に、二人が名乗りでる。下田と、宇部だ。

 イリーナが、困った顔になった。

 

「ごめん、譲ってくれると助かる」

「は? 何言ってんだてめえ。こういう役目は一番強いやつがやるって決まってんだろ」

 

 前までは、宇部が当然という顔で引き受けていた。そこに下田が割り込めば、当然こういう展開になるのは決まり切っているだろう。

 何とか、話し合いだけで事が進んでくれないかと、下田は思っていた。

 

「そういう理論もわかるけど、今回だけは僕に任せてほしい。今まであまり役に立てなかったから、こういう時こそ頑張りたいんだ」

「知るかよ。足手まといなのはお前の勝手だろ。いい顔しようとするんじゃねえよ」

「頼むよ」

 

 宇部は下田の言葉をもう聞いてはいない。イリーナへと作業を始めるように命令をした。その行為には、誰も言葉を挟んではこない。この場合、おかしいのはおそらく下田の方なのだろう。最近はずっと部屋で考え事ばかりしていたし、ちとせ達ともほとんど話してはいない。その上さらに宇部と無用な争いを起こそうとするのは、確かに褒められる行動ではなかった。

 だが、下田はもう何かを躊躇うことはやめにしようと考えていた。

 

「一番強い奴か」

 

 彼の呟きに、宇部はしっかりと反応した。視線が向いてくるのを待ってから、意識的に挑発するような表情を浮かべる。

 

「だったら、まだ、わかんないと思うけど。宇部って、自分が無条件で偉いと思ってるところあるよね」

「あ?」

 

 睨みつけてくるが、怖いとは思わなかった。学校のにいた頃の自分なら、絶対に避けていたであろう視線。それが今は、遠く感じた。

 宇部は周りの制止も聞かずに、下田の胸ぐらをつかんでくる。

 

「調子に乗ってんのか?」

「なんでそんなにいっつも、周囲を威嚇してるの。そうしてないと、生きていけないから?」

「くだらねえ。お前の安い挑発に、乗るとでも思ってるのか」

 

 ローブの襟を引っ張られながら、下田は思った。もう乗っているようなものだ。しかし、宇部にはまだ余裕がある。それは予想外だった。多分、相当に下に見られているからか。下田の発言自体そのものが、軽く受け止められている。

 それでは、駄目だった。宇部に譲る気がないことがわかった以上、別の方向からソウルを得る手段を考えなくてはならない。

 

「どっちが役目を担うのにふさわしいか、まだわからないってこと」

「俺がふさわしい。これで終わりだろ」

「勝負しよう。どっちが強いか」

 

 宇部はきょとんとした。それから、大げさに笑い始める。

 

「どの口で、言ってんだ? 馬鹿だろ」

 

 やっぱり本気にしてはくれないらしい。下田は、人をけしかける経験に乏しい。こういう時相手が真面目に受け取ってもらえるようになるためには、どうすればいいのか。彼には、一つしか思い浮かばなかった。

 あまり他の人を巻き込みたくないが、仕方がない。

 

「じゃ、僕が勝ったら役目の他にも、要求することがある」

「何だ、言ってみろよ」

「二度と、ちとせに近づくな」

 

 思いのほか、沈黙が続いた。少し気になってちとせの方を見ると、口を半開きにしていた。余計なお世話だと、思っただろうか。どちらにしても、相手を挑発する材料に使ったことには、罪悪感がある。そんな自分の気持ちとは裏腹に、高坂が感心したように手を叩いていた。

 宇部の手が、下田から離れる。そして、固く握りしめられた。

 

「なんで、お前が口出ししてくるんだ?」

「本人が、嫌がってるみたいだから」

「どうするかは、俺の勝手だろ」

「でも、皆に笑われてるよ。脈もないのに食い下がるみっともない奴だって」

 

 下田はこの時殴られると思って身構えていた。だが、予想した拳はやってこない。宇部は、無表情のままでしばらく固まっていた。それが本気で怒っているときの彼だと、親しくない下田でもわかった。

 

「上等だ。乗ってやるよ。今から、ちゃんとした場所でやるぞ」

 

 二人がソウルをめぐって戦うということは、すぐに祭祀場の者達にも知らされた。墓地近くの訓練場を使って、行われることになった。結構な騒ぎになったので、ほとんどの者達が見物に来ていた。

 意外にも、下田はたいして緊張していなかった。既に勝敗などわかり切っている勝負だからだ。

 始まってからすぐに、素手で完膚なきまでに打ちのめされた。宇部が目の前に来たと思ったら、既に意識が飛んでいた。

 まあ、こうなるだろうな。と、冷静に受け止めた。

 

 

 

 

  (245)

 

 

 宇部にぼこぼこにされてから、イーゴンに叩きのめされる。

 正直、少し楽観視していたところはある。祭祀場の者達に比べれば、宇部の相手は大したことがないと。

 実際、その通りではあった。イーゴンの攻撃に比べれば、宇部のは取るに足らない。技術的にも、含まれている気迫も、次元が違った。下田が、その両方に対してまるで対応できないだけで、その違いははっきりしている。

 草野と、腕相撲をした時の事を思い出す。学校にいた頃は、彼は下田よりも弱かった。クラス最弱とまで言われていた。だが、この世界に来てからは、今度は下田の方が歯が立たなくなった。

 思うに、生徒たちは戦士と、術師に分けられた時点で、その身体能力にも影響が及んだのだろう。補正というものだろうか。それに加え、宇部は固有能力のおかげでさらに馬鹿力になっている。まともに戦おうとすれば、苦労するのは当たり前だった。

 

 

 

 

  (278)

 

 

 宇部が開幕、一気に距離を詰めてくるのには離れた。イーゴンとは違って、こちらのかわし方によって、微妙に軌道を変えてくることもない。ちゃんと後退して、魔術によるカウンターを狙った。ソウルの塊を相手の頬にぶつけると、妙な感じがした。直接攻撃したわけでもないのに、気持ち悪い感触が残っているような気がした。

 それを何とかなくそうとしていると、宇部に腹を刺された。とりあえず、彼に武器を抜かせるところまでは行けたらしい。

 

 

 イーゴンと戦う。

 二撃目で、半身を潰されて死んだ。

 

 

 

 

  (354)

 

 

 宇部の動きを、ようやく目で追えるようにはなってきた。本当に身体能力が十五倍になっているかどうかはわかりようがないが、人間離れしているのは確実だ。近づかれたらほぼ終わりだというのに、詰めてくる速度もおかしい。

 一撃は入れられる。そこまでは完全に舐められているからだ。だがそこからは彼も本気になる。そうなれば、今の下田の感覚ではほとんど隙を見出せない。

 その一撃を、未だに本気でやれない自分に、下田は失望していた。人を傷つける決心がつかない。やらないといけないのはわかっているのに、直前で少しの躊躇いが出る。ヨルシカの時は、本気だった。本気で殺そうと思った。だが、宇部に対してはそこまで強い感情を抱けない。

 そんなことを言ってられないのも確かだ。どうにかして、抵抗を払拭する必要がある。

 

 

 イーゴンとの戦闘は数秒くらいでいつも終わる。

 

 

 

 

  (465)

 

 

 宇部を普段から観察することにした。

 ずっと亡者などとの戦いを見ていると、段々と彼の癖の様なものが見えてきた。彼の戦いには、型などない。その時自分がいいと思った攻撃をそのまま繰り出しているだけだ。それが綺麗に決まる時もあれば、連撃が拙くなって、隙ができる時もある。だが、単純に膂力があるので、大抵の敵には無理やり押し切る形で勝利していた。

 つまり、彼の調子を常に崩してやれば、こちらのペースを維持できるというわけだ。下田は自分なりに対策を練り、既に何回も試行を重ねていた。

 

 

 突進してきた宇部の顔に、思いっきりソウルの塊を当てる。何度も戦っていると、最初の方は本当に作業になってきていた。そしてこれを作業だと思えば、躊躇いもある程度なくせるのだと、最近わかった。

 彼が怯んだ隙に、下田は五つのソウルの矢を作る。これが、彼の同時に操れる限界だ。一週間のほとんどを、魔術の修練に当てた。三つから五つまでは意外と簡単に上達した。しかし、六つ目からの壁が異様に厚い。これ以上数を増やすよりも、今の状態でより細かい動作ができるようにした方がいいと下田は判断した。

 宇部は宙に浮かぶ矢を見て、警戒を始めた。大剣を構え、飛んでくるそれらを切り落とそうとする。

 ここで何回も、全て落とされてやられる展開が続いていた。単に同時にぶつけたり、少しの工夫を凝らすだけでは一つも当たらないのだ。それはおそらく、下田の魔術を放つ速度が遅いことも大きく関係していた。達人なら音速並みの矢を撃ってくるが、彼のはいいとこ高校球児が投げたボールくらいだ。だから、五つそれぞれを違う軌道で動かすくらいのことはしないと通用しない。

 三本は相手の視界内に、もう二本は背後を狙った。全部速度を同じにはせず、わざと全部が違うタイミングで相手に届くようにした。これができるようになるまで、相当の時間がかかった。

 前二本を斬った後、宇部は振り返って、うなじを狙った矢を破壊した。後ろに目でもついているのだろうか。技術はともかく、彼に戦闘の才能があるのは確かだった。羨ましいと、下田は心から思っていた。

 次に到達するであろう残った前の一本を、宇部はこともなげに捉えた。が、その直前で下田がその矢の軌道を変える。事前に相手がどういう動きをするかわかり切っていたので、簡単だった。

 宇部はそこで少し驚いたようだったが、止まらずに、後ろの矢を剣の腹で受け止めようとした。が、矢は剣をすり抜けて、彼の顔に到達した。

 傷つくことも、穴が開くこともなかった。それは当然だ。背後の一本だけ、極端にソウルの密度を薄くした矢を混ぜていた。威力は殺されている。ほとんど霞の様なものだ。衝撃に身構えていた相手にとっては、不意を突かれた形になるだろう。

 その一瞬の隙が、残った一本を当てる好機になった。

 宇部の肩に、ソウルの矢が突き刺さる。うめき声をあげて、彼は地面に転がった。もちろん、これくらいの事で下田は油断したりなどしない。相手の両手に向けて、ソウルの矢をさらに放った。大剣が、音を立てて落ちる。

 勝負の決着は、どちらかが戦闘不能になるまで。宇部が自分から言ったことだった。その基準で考えるならば、まだ彼は動ける。なぜなら、足や頭がまだ無傷だからだ。まだ、食らいついてくる可能性がある。

 下田がさらに魔術を発動させようとしたところで、声がかかった。

 

「そこまでだ」

 

 ジークバルドが宇部との間に割り込んできた。

 

「誰が見ても、決着は付いている。シモダの勝ちだ」

 

 そう言われても、あまり実感は涌いてこない。何かを勝ち取ったという気はまるでしなかった。まだまだ超えるべき壁が多すぎて、達成感を感じる余裕がない。

 一歩進んだことは確かだと、自分を鼓舞して、下田は背を向けた。頭の隅が痛い。術を使った量は大したこともないが、集中する場面が多かった。

 

「ふざけんな…、お前、卑怯だぞ」

 

 宇部の言葉で、足が止まった。

 

「そんな魔法まで使えたら、勝てるにきまってるだろ。正々堂々と、勝負しろ」

 

 ただの言いがかりだとはわかっていた。お互いに、自分のできることをぶつけ合った結果がこれだ。負け惜しみだと、下田は既に無視を決め込んでいた。そうできると、思っていた。

 だが、自分の身体は勝手に、宇部へと走り寄っていた。その途中でジークバルドに止められるが、この次から次へと湧き出てくる衝動はなくならなかった。

 

「卑怯…? 何が、正々堂々だ。お前を倒すのに、どれだけかかったと思ってるんだ!お前が余計な意地張らなかったら、あんなに…時間を無駄にすることもなかった。おかしいのは、お前だろ。そんな恵まれた力を持ってて、なんで僕なんかに負けるんだよ! もっと工夫しろ! 最後まで戦えよ!」

 

 自己欺瞞だと、十分に理解していた。一番強力な能力を持っているのは、下田自身だ。これがなければ、そもそも何も知らないまま死んでいた。どれだけ失敗してもやり直せる力の方が、恵まれているに違いない。

 だが、本当に、そうだろうか。能力を進化させて、本当によかったのだろうか。前のままだったら、色々なことを背負わずに済んだのかもしれない。何も知らずに、いられた。

 あまり、そのことは考えないようにした。底知れない沼にはまっていく予感がしたからだ。

 約束通り、その後イリーナによって生徒たち全員のソウルが下田に集められた。これを儀式の日に解放するので、それまでは待機しているようにと言われた。

 そわそわとした気分で祭祀場内へ戻ろうとすると、いきなり高坂が肩を叩いてきた。

 

「本当に、やっちまったな」

 

 その隣では、ちとせが呆れたように見てきている。

 

「別に頼んではなかったんだけど、ま、せいせいしたから良しとするか。ありがとね、アキ」

「何が?」

 

 相手が困っているのを見て、下田も戸惑いを浮かべた。何か、自分が変なことでもしただろうか。

 

「いや、だからさ。その、私にあいつを近づけさせないようにするって約束」

「ああ、うん」

 

 すっかり失念していた。もう何回も宇部を挑発するのに使ってきていたので、最近はほとんど無意識で言っていたのだろう。そういえばそんな内容だったと、下田も思い出した。そして当たり前のように忘れている自分が少し怖くなった。

 

「ごめん、ちょっと今は疲れたから。部屋に戻る」

 

 今はそれよりも、インベントリの確認が先だった。既にソウルが山のように貯まっている。上手くいけば、今回で切り抜けられるかもしれないのだ。

 呼び止める声も聞こえたが、下田は逸る気持ちと共に早足で自分の部屋に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (497)

 

 

「くそ…」

 

 イリーナに両腕を治してもらい、部屋に戻ってすぐ、下田は自分の足で壁を勢い良く蹴った。一度だけでは収まらず、何度か足の方に痛みを感じるまで繰り返した。

 結果は、大失敗だ。

 

「くそ、くそ、くそ!」

 

 貯まったソウルは七万を超えた。これくらいあれば、かなりの威力が見込めるライフルと十分な量の弾丸を得ることができる。それを使って早速儀式の途中で行動を起こしたが、予想もしなかったことが起きた。

 ヨルシカへ向けて撃った弾が、一発も届かないのだ。彼女に防がれたのではなく、そもそも撃ち出した瞬間に、消え失せているようだった。そして弾倉を使い切らないうちに、銃本体に不具合が起こる。弾詰まり程度なら優しいレベルだ。酷いときは粉々に部品が飛び散ったこともあった。

 インベントリという機能の、由来を理解していなかった。この力を使えるようになったきっかけは、祭祀場から渡された妙なオレンジ色の飲み物を口に入れたことだ。あれを飲んでから、インベントリだの固有能力だの、そういう文字が見えるようになった。

 祭祀場側の仕込みだとしたら、安全装置をつけておくのも当然だろう。国広が、ダークレイスに向けて拳銃を使った時は、正常に動作していた。ヨルシカ達に向けた時だけ、まるで使いものにならなくなる。

 つまり、宇部を倒すための努力が、ほとんど無駄になったということだった。

 銃以外にも、試してはみたのだ。手榴弾も閃光手榴弾も、ガスグレネードも。投擲武器の類は、そもそも下田の腕力が扱うまでに達していなかった。銃の扱いや手榴弾の投げ方も、わざわざソウルを消費して取った説明書で、最低限のことを覚えて。それらがすべて無駄に終わったダメージは、かなり大きかった。

 結局下田が利用できるのは、魔術と奇跡、そしてこの世界で作られた武器しかなかった。要は、敵と同じ土俵で、戦わなくてはならないということだ。それしか、残されてはいなかった。あらゆる点で勝っている相手を、どうにかして倒さなければならなかった。 

 

「大丈夫だ…。やれる、やってやる。こんなことで諦めない。母さん、大丈夫。僕が何とかするから。全部、全部…」

 

 がりがりと、下田は爪を噛んでいた。自分では合理的な行為 だと思っていた。最近、爪の部分が広くなってきている気がするのだ。指先がどこか白くなり始めているような。それは右手の方だけで、反対に左手は黒の部分が多くなっていた。エルドリッチに植え付けられている膿が、その浸食範囲を広げているようだった。

 

 

 

 

  (687) 

 

 

 イーゴンとの戦いは、少しも気が抜けなかった。宇部と違い、魔術の小細工程度では、話にならない。相手も、下田の魔術の状態をしっかりと把握しているようだった。そもそも、宇部の思考が狭すぎるのだ。術師を相手にする時は、とにかく距離を詰める。それを徹底していれば、よほどの格上でない限り負けることはない。

 さらには、イーゴンの鎧には防護の術が施されているようだ。まともに当てたとしても、傷一つつくことはなかった。下田の魔術の威力が弱いせいでもあるのだろう。

 彼を倒すことに注力するよりも、その包囲から抜けきることを優先した方がいい。イーゴンが、最終目的ではないのだ。ヨルシカのところまで何とか到達すれば、きっとその先の希望も見えてくる。

 抜ける隙を作るには、おそらく相手の攻撃を何度かしのぐ必要がある。イーゴンの二撃目で殺され続けて、段々とわかってきた。いっぺんに攻撃を続けられる時間には限りがある。彼が呼吸をして動いている以上、必ず止まる瞬間があるはずだ。それがやってくるまで、ひたらすらかわすことに専念しなければならない。

 

 

 

 

  (902)

 

 

 宇部との戦いで学んだことは、ちゃんとある。時間を無駄に使ってはいけないということだ。下田には六日間という、定められた期間が与えられている。この範囲内でできることは、何でもするべきだった。

 確定しているのは、時間が戻れば、下田の身体の状態も相応に巻き戻るということだ。つまり、いくら体を鍛えたり、走ったりしても、彼の身体能力は結局元に戻ってしまう。蓄積されるものがあるとすれば、それは経験だろう。

 相手は、ほとんど毎日同じ行動をしていた。墓地で一人で鍛錬をして、イリーナの祈りを少しの間監視した後、休む時は大扉の奥へとこもる。

 話しかけるとしたら、鍛錬の途中だった。

 

「何だ」

 

 獅子兜の男は、下田の接近に気がつき、大槌を下ろした。邪魔をされて、不機嫌なのは明らかだった。今まで、何かを話してこようとする者はいなかったのだろう。彼の迫力からすれば、近づきがたいのも当たり前かもしれない。

 下田は、大槌をぼうっと見た。自分の血液やら肉の破片やらがこびり付いているような気がした。

 

「邪魔をして、すみません。お願いがあるんですけど、ちょっと戦ってくれませんか」

「他に頼め」

 

 適当に拒絶されるのにも、もう慣れた。

 イーゴンが去ろうとしている先に、回り込んだ。

 

「冗談ではないんです。ちゃんとしたやつです。僕は、貴方を殺す気でやりますから、貴方も、そうしてください。多少の鍛錬にはなるんじゃないんですか」

「気でも狂ったか。お前なんぞに時間を取りたくはない」

 

 イーゴンは下田を無理やり押しのけると、大槌を肩に抱えながら、祭祀場の方向へと戻っていった。

 下田は腕を組みながらその姿を眺めて、ソウルの矢を二本発現させる。二本とも相手の首に定めると、今出せる全力の速度で打ち出した。正直、相手が拒絶しようがしまいが、どうでもよかった。どちらにしろ、練習相手になってもらうつもりだった。

 イーゴンが矢を叩き落とした直後下田は接近した、そして、数秒粘ってから、大槌に殴り飛ばされて、意識を失った。

 儀式の時とは違い、死なない程度に加減してきたようだ。どうりで、速度が少し遅いと思った。それでは駄目だと、下田は繰り返すことに決めた。

 治った次の日も、イーゴンに頼み込んだ。そして不意打ちをしようとして返り討ちにあっても毎日続けた。儀式の日まであの僧兵の事だけを考えた。そしてどれだけ連続で立ち向かっても、相手の態度はほとんど変わらなかった。ただ後半の方になってくると、あちら側から、下田を少し避けるようになっていた。

 

 

 

 

  (1025)

 

 

 パターンは、何となくわかってきた。

 イリーナを人質に取った直後、飛んでくるソウルの矢は、必ず首を狙っている。だから、あらかじめその部分に魔術の盾を作っておけば、わざわざ動いてかわす必要性はなくなる。ただ、その矢の威力は、盾を三重ほど重ねてようやく防げるくらい強力だった。それでも、次への攻撃へ対応しやすくなるというメリットは大きい。

 最初の大槌の振り下ろしを、最低限の体のずらしで避ける。ここで気を付けるのは、決して大槌の動きだけを追ってはいけないということだ。イーゴンの体の動き、筋肉の方向性を見定めて、次の軌道を読む。簡単ではないが、散々彼自身と戦っていれば、無意識のうちに読めてくるようになる。

 横の薙ぎ払いをしゃがんでかわした。この次は、大体、イーゴンはさらに接近してくる。大槌を短く持ち替えて、浅く突いてくる。

 当たりだ。

 突きはさらに速い。しかし、欠点がある。攻撃範囲の狭さだ。下田が的確に体の軸をずらせば、当たることはなくなる。

 そこまで来て、イーゴンはようやく下田の動きがまぐれではなく、経験に裏付けされたものだと理解したようだ。そこで、彼の油断や侮りはなくなった。同時に、思考が生まれる。次の攻撃をかわされないようにするためには、どう工夫すればいいか。考える間ができる。

 今だ、と思った。これが攻撃の切れ目だった。予測していた下田は、相手の目の前でソウルを肉薄させる。ぶつけるためではない。ぶつけてくると相手に思わせるための布石だった。防御行動で、イーゴンの動作が遅れたのがわかる。

 姿勢を低くしながら、イーゴンの脇を抜ける。相手の追撃はこない。

 切り抜けた。突破してやった。

 途端、視界が一気に広がった気がした。石の玉座の近くでヨルシカが立ち上がっているのが見えた。

 そして、その前に立ちふさがっている者達も。

 直後、轟音が背後で鳴った。白い光がはじけ、下田は全身が粉々にちぎれているのを自覚した。何が起きたのかはわからなかったが、この戦いがそう甘くはないことを、改めて思い知らされた気がした。

 

 

 

 

  (1367)

 

 

 何をされたのか、わかった。

 それはイーゴンの術のようだ。彼が大槌の柄を地面に付き、何かを唱える。すると、その体から球体状の光が広がり、その衝撃で下田の身体を粉砕していた。

 これは、避けようがない。その範囲は一瞬で逃げられる距離の何倍も広く、離れたとしても威力が弱くなるわけではない。多少周りを犠牲にする覚悟の上での、攻撃だった。イーゴンの、切り札とも言えるだろう。

 魔術で即座に盾を作ろうとしても、その直前まで必死に大槌の攻撃をかわしていたので、集中する状態を作り出すのは非常に苦労した。おまけに、たとえ盾が作れたとしても、範囲が小さすぎて、必ず下田の体のほとんどが崩壊した。範囲だけではない、作り出す脆弱な盾だけでは、まるで衝撃を殺しきれなかった。

 下田は、ずるい、と叫びたくなった。

 こんなの、今まで一度も、出したことなかったじゃないか。

 

 

  (1490)

 

 

 光の衝撃で、ばらばらになる。

 

 

 

 

  (1687)

 

 

 攻撃の切れ目で、術の発動を阻止しようと下田は、妨害を試みた。だが、その隙に体勢を立て直され、大槌で潰される。

 

 

 

 

  (1824)

 

 

 光に殺される。

 

 

 

 

  (2455)

 

 

 今日も元気にばらばらだ。調子が良い。

 下田は光に包まれる瞬間、歓喜の叫びをあげた。なんだかとても気持ちがよくなっていた。

 

 

 

 

  (3138)

 

 

 病は気から、とも言う。

 なので、思いっきり笑ってみることにした。少しも楽しい気分ではなかったが、口を精一杯釣り上げて、人生で一番面白かった場面を思い返して、大声で笑った。

 それを三十分ほど続けてみると、喉から血の味がし始めた。いいぞ、と下田は段々本当に可笑しくなってきたのを感じた。この調子だ。

 二時間を過ぎると、異常を知った誰かが扉を叩き始めた。それが何かのリズムになっている気がして、さらに爆笑した。声が枯れてきたので、適当に奇跡で和らげていく。

 扉が破られて、誰かが下田の身体を抑えつけてくる。妙にくすぐったくて、下田は勘弁してくれと思った。ただでさえ可笑しくてたまらないのに、そんなに口を押えてきたら、こそばゆくて耐えられない。

 魔術によって気絶させられたが、それでも自分の笑い声がずっと頭の中で響いていた。再び起きてからも、また笑った。所謂、ツボにはまったというやつだ。こんなに可笑しいのが続くのは、人生初だろう。初体験だ。

 下田は、泣きながら笑い続けた。

 

 

 

 

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 たのしい。

 たのしい。

 …むりに、きまってる。

 だから、もういいあきらめよう。たのしいことだけかんがえよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『う~ん、これはちょっと、さすがに』

「…」

 

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