火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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46.自己分裂

  (9万6732)

 

 

 段々と不足している技術がわかってきた。

 三つ。

 三つの事ができるようになれば、とりあえず先の段階へと進めるようになることがわかった。

 まず一つ目は、近接戦闘だ。イーゴンの時は、かわし続けてさえいればチャンスがやってきた。だが、今回は違う。攻撃の密度が劇的に増した以上、どうしても受けなければならない瞬間がやってくることは避けられない。

 この時点で、スティレットはもう使えないことがわかった。あの武器は、正面からの戦闘にはまるで向いていない。あくまで相手の背後を突いたり、とどめの一撃のために取っておくものだ。刃は強靭とは言えず、気を抜けばすぐに壊される。そして一度イーゴンに使っているために、スティレットでの動きはおそらくもう相手には通用しないだろう。

 二つ目は、魔術。

 下田は、自分の術のレベルが、まるで話にならないのを実感していた。正確には、何か大事なものが欠けているといった感じだ。威力はもちろんのこと、防御の方も、どうにかしなければならない。どうにかしなければ、必ずシーリスとヨルシカの魔術で殺される。

 三つ目は、魔術、奇跡、近接戦闘を同時に行うということ。

 ……。

 馬鹿げている。

 相手は皆、自分が意識を全部集中させなければ勝てない者ばかりだ。少しでも別の事に気を取られれば、やられてしまう。だが、一つの事をただ完璧にこなしているだけでは、無理なのだ。

 他二人の行動を、魔術で妨害し、その間にまず、ジークバルドを殺す。だが、彼も片手間で倒せるほど楽な相手ではない。つまり、どちらも完璧に、全ての意識を注ぐ必要がある。

 それこそ、自分が二人いなければ無理だ。

 問題は、他にもある。攻撃が避けられない瞬間というのも、どうしてもやってくる。三人の連携が完全にはまった時、下田は逃げ場を失う。犠牲にする部分を、考えなくてはならなかった。一番影響が少ないのは、腕の一本だろう。だが、その傷を放っておけば、すぐに限界がやってくる。

 受けた傷を、即座に再生するほどの奇跡も、行う必要があった。奇跡こそ、最も集中力を使う部類のものだ。それでも無防備にならないように、同時に魔術の守り等を発動させておかなければならない。

 無謀にもほどがあったが、まだできないうちから絶望していても仕方がない。

 まずは一つ一つの事を、できるようにしていこう。

 

 

  

 

  (9万8796)

 

 

 剣の技というのは、教える人によってかなり違う。

 ジークバルドも、シーリスも、フォドリックも、初め教えを請うと、皆必要のないことだと断ってきた。下田がそれを学ぼうとする意味を、理解できていないようだった。それでも、根気よく頼めば、受け入れてはくれた。

 だが、三人の教えはそれぞれ異なっている。それも当然だ。扱う武器が違うのだから。フォドリックとジークバルドはどちらも大剣の類を使っていたが、それでも、最初の入りから別物だった。同じ武器でも国ごとの流派があるらしい。

 形は違えど、共通していることはある。剣術というのは、その武器を効率良く振るうための技でしかない。まだまだ未熟な身で断定するのもおこがましいが、彼らがそれぞれの技に誇りを持っている理由がわからなかった。

 結局は、殺すための技術だろう。

 

 

 

 

  (10万6575)

 

 

 魔術。これもまた、あらゆる課題が目白押しだ。威力も速度も精度も、通用するレベルにはなっていない。カルラの教えを完璧にしようとしても、その途中でいつも妙な壁にぶつかる。まるで、自分がひどく遠回りしているような。

 杖を使えば、ましにはなる。だが、それでは駄目だと感じた。あくまで力の方向性を補正してくれるだけで、自分の力を劇的に伸ばしてくれるものではない。それに武器を持っていると、杖を振るう余裕などほとんどなくなる。

 ここでもまた、観察することが大事だった。自分よりも技量がはるかに優れている者達は、周りにいくらでもいる。彼らが魔術を扱うところを見ていて、一つ、明らかに自分とは違うところを発見した。

 むしろなぜ、今まで気がつかなかったのだろう。

 術を使う時、彼らの口もまた動いている。何かの言葉を発しているのだ。何度も、その場面を見てきたはずだった、にもかかわらず、それを不思議に思わなかったのは、はっきりとした理由がある。

 それは、下田がただ思考するだけで術を使えていたからだ。イメージ。それが重要だと、何度も教わった。だから、それだけを意識していればいいと、刷り込まれていたのかもしれない。それが全てではないと、考えようともしなかった。

 祭祀場の欺瞞の一つ。黙っていたのは、灰達に余計な力を与えないためではないのか。

 そもそもが、おかしな話だった。この世界におそらく古くから根付いているであろう技術が、イメージなどという曖昧で、人によって大きく変わるものだけに依っているのは、有り得ないことだったのだ。そこには、絶対に、確固とした体系が組み込まれているはず。それを取り込むことができれば、道が開けるかもしれない。

 しかし、カルラには頼れなかった。彼女は常に、私情を挟んでこようとした。特に辟易したのが、自分の母親であるかのように振舞おうとする点だ。もっと冷静な者が必要だった。知識だけを与えてくれる相手が。

 祭祀場の中で魔術を使える者は、もちろん大体知っている。シーリスとユリアは駄目だ。どんなごまかしをしても、開き直って正直に頼んでも、おそらく教えてはくれない。ヨルシカは、論外だった。彼女に何かを教わるくらいなら、何もしない方がましだ。相手も同意見だろう。

 下田には、一人だけ当てがあった。

 よくわからない相手だが、話をしてみる価値はある。

 

 

 

 

  (11万4845)

 

 

 一番進歩を今の所見せているのが、奇跡だった。

 元々の適正もあるのだろう。ただそれだけではなく、散々両腕を治している経験も助けとなっている。戻った瞬間、奇跡を傷口部分から発動させるのは、もう無意識でできるようになっていた。時間さえかければ、ほとんど腕を再生することもできる。

 そう、時間さえかければ、だ。戦いでは、治療の時間を相手が作ってくれるわけがない。より速く、より正確に。完治した瞬間にはもう酷使できるようにしなければならない。

 イリーナの治療を観察していても、彼女が時折何かを言葉にしているのは聞こえた。魔術と、同じだ。この、詠唱の様なものをちゃんと理解できれば、奇跡の技術も向上するだろう。

 しかし、やってみてわかったのは、奇跡の方が、個人のイメージに頼る部分が大きいだろうということだ。傷を治す時、普通は元の状態になることを意識している。だから奇跡の作用も、それに準じようとして働いている。誤差がどれだけ埋まるかは、さらに過程の想像が必要だとわかってきた。

 過程というのは、いわば構造だ。肉体がどのような要素で構成されているか。腕を再生していく途中で、一体何本の骨や神経をを、いくつの筋肉を戻していかなければならないのか。把握すればするほど、精度が高まっていく気がする。

 最も、経験が必要なのが、奇跡だと言われている。イリーナにも、彼女が治してきた者達の数を訊くと、わからないと答えてきた。わからないほど、多くの者達を癒してきたということだ。下田もひたすら経験を積む必要がった。今までと、同じように。

 

 

 

 

  (12万8368)

 

 

 六日間のスケジュールは既に固まっている。

 まずは一日目、自分の両腕が完治したら、すぐに祭祀場内の訓練場に向かう。そこでひたすら魔術を使う。的に当てるのでも、ただ維持するだけでもいい。とにかく少しでも気力を鍛えておきたかった。

ジークバルド達と戦う時は、万全の状態ではない。既にイーゴンでいくらか消耗した上で挑まなければならない。その中でも万全に扱えるように、訓練をした。限界が来ても発動を続け、意識が混濁し始めても、やめない。一日目はいつも、失神で終わりが来た。

 二日目から儀式の前日までは、ソウル集めに参加する。ここで大事なのは、決してちとせ達と一緒に行動してはならないということだ。まるで意味がないから。一人で戦う勘が鈍ってしまう恐れがある。

 始まればすぐに下田は皆と別れ、一人で不死街の掃除をやっていく。彼女たちは探そうとするが、見えない体を看破できない時点で無理だ。祭祀場の戦士たちは、全員が見破ってくる。つまり、本番での利用は望めない。

 亡者はちょうどいい材料だ。集団で行動していることが多いので、常に数の不利を抱えた鍛錬ができる。それに上手く倒さずに無力化すれば、奇跡の練習台にもなってくれる。亡者の手足を切断してから、奇跡で治す。それをしばらく繰り返してから、何食わぬ顔で、ちとせ達と合流する。色々と訊かれるが、適当に流しておけばよかった。ソウルはちゃんと集めている。文句を言われる筋合いはない。

 祭祀場に戻れば、今度は剣を教えてもらう。今回はフォドリックに頼んだ。と言っても、彼は実践派らしく、ひたすら戦うだけだった。それは下田にとってもありがたかったが。

 使う武器は、ショートソードに決めた。かなり軽い部類とは言え、それでも二キロ近くはある。その重さに振り回されないことが、まず先決だった。満足に振るえない段階からでも、相手と何度も戦って、打ちのめされた。

 ここまでで一日の体力はほとんど使い果たされるのだが、これでやるべきことが全て終わったわけではない。

 祭祀場には、本が沢山保存されている場所がある。あのロスリックの書庫ほどではないが、良い点もある。それは、根城にしている者の好みが多分に出ているということだ。下田の求めている知識と合致していれば、これ以上ない効率的な学び場になる。

 

「何の用だ?」

 

 あれこれと人伝いにこの場所を見つけ、中に入る。すると、ゆったりと椅子に座っていた神経質そうな男が本から顔を上げた。

 

「オーベックさんですか?」

「そうだが。お前は…見覚えがあるな。灰達の一人か。ここは私の部屋だ。話があるのなら、手短にしてくれ」

「僕に魔術を教えてください」

「カルラに訊け」

 

 オーベックは本に目を戻した。手だけを上げて、適当に振ってくる。

 歓迎されていないのは確かだ。興味もないのだろう。それはわかっている。生徒達と最初から全く関わろうともしなかった。典型的な、自分のやりたいことにだけしか興味がない男。

 

「あの人は、教えてくれないんです。他の人に頼んでも、無理でしょう。僕が知りたいのは、言葉ですから。貴方達が術を使う時に言っているあれです。詠唱みたいな」

 

 再び、相手は目線を合わせてくる。それから,鼻で笑った。

 

「ここの奴らは詰めが甘い。いや、わざとそうしている馬鹿もいるんだろう。何がしたいのやら。理解できないな。知識には、格があるというのに」

「格?」

「亡者に本を与えても意味があるまい。君ら灰にとっての詠唱とは、そういうものだ」

「怖いんじゃ、ないんですか? 僕達に知識を与えれば、それを使って反抗してくる可能性があるから」

 

 オーベックは肩をすくめてみせる。

 

「知らんな。そういうどうでもいいことを考えているのは、上の奴らだろう」

「竜女と、人食いのことですか?」

 

 古めかしい装飾の本が、開いたまま彼の顔の上に落ちた。両手でそれをどけると、表われた顔は、非常に嫌そうになっている。下田の背後の扉をちらりと確認すると、ぼろぼろの丸椅子を指差してきた。

 

「座れ」

「はい?」

「もう少し寄れと言ってるんだ。お前のその、汚い言葉を誰かに聞かれると面倒になる」

「わかりました」

 

 下田は、腰かけると、少し息を吸った。埃と、紙の匂い。血と腐った体の臭いばかりに囲まれていたので、少しだけ安らげる気がした。よく通っていた書店を思い出す。中高と、かなり小説にはまっていた。最近は、まるで読めていないが。

 

「つくづく情報管理の甘い奴らだ。面倒臭い」

「僕を、ヨルシカに突き出しますか?」

「そんな暇などない。お前に割く時間もな」

 

 嫌味は無視をした。

 

「僕に、詠唱のやり方を教えてください。そうしてくれれば、貴方までを標的には含めません」

「脅しか。戦闘などやってられないが、この私でもわかる。お前がどんな企みをしようと、あの化け物どもには勝てんだろう。無駄な努力こそ、最も忌むべきものだ」

「でも、やってみないとわからないので。結局問題になるのは時間なんですけど、それはもう解決してます。だから、いつか必ずヨルシカ達に報いを受けさせます」

「ほう?」

 

 オーベックは、机の端にあった眼鏡をかけた。そして下田をじっと観察する。だが不思議そうに眉をひそめてから、外した眼鏡を放り投げた。

 

「良いことを言う。そう、最大の敵は時間だ。どんな難題でも、永遠に関わっていれば必ず解ける。あらゆる存在が、あらゆる存在に勝る可能性も出てくる。不滅は万物の夢だ」

「別に、そんなに良いことでもないですけどね」

「お前が、狂気に支配されているわけではないのなら」

 

 こちらを、目を細めて見つめてくる。

 

「まるで自分が、不滅の存在になったかのような物言いだな」

「わかりません。まだ…永遠を経験したことがないですから」

 

 相手は、使命よりも探求を選ぶ。自分の好奇心を最も優先する。下田が祭祀場にどう仇なそうと、あまり関係がないと思っている。素直に全てを話さないことが肝心だ。相手の欲を煽らなければならない。

 

「戯言だ。今はそう聞こえる」

「なるほど」

「自分が、普通ではないということを、わかっているか? 浅く取り繕っているようだが、目だけはごまかせない。こうして会話が成立するのが不思議だ。正直、一刻も早く出て行ってもらいたいくらいだ。狂人の相手はしたくない」

 

 言葉とは裏腹に、もはやオーベックは下田から視線をずらすことはなかった。少しの変化も見逃さないよう、注意深く観察してくる。

 

「色々、ありましたからね」

「祭祀場の欺瞞を知ったからか? それはないな。それだけでは、こうはならないだろう」

「知りたいですか?」

 

 下田もまた、相手との目を覗きこんだ。

 

「貴方が、僕の言葉を狂人の戯言だと斬り捨てるのも結構ですが。どうして僕が、こうなったのか。色々なこと知ることができたのか。その原因を理解すれば、貴方の見識も広がると思います」

 

 オーベックは、鼻を鳴らした。

 

「これは、大きく出たな」

「僕に詠唱を教えてくれれば、こちらも対価として言いましょう。差し出せるのは、それくらいです。お願い、できませんか」

 

 白い竜の女性が、何かを言いたげに立っている。随分と、久しぶりの登場だ。

 オーベックと下田を交互に見てから、首を振る。

 わかっている。

 どうせ話したところで、彼女がその記憶を相手から消すのだろう。例外は、今のところ貴樹だけだった。このままでは条件をそのものが成り立たないが、たいして影響はなかった。なぜなら、オーベックもどうせ殺すからだ。たとえ看破されて祭祀場に報告されたとしても、その回は捨てるだけだった。次へとつなげられる、経験を得られればそれでいい。

 下田の表情をじっと見てから、笑みを浮かべた。

 

「興味深いが。お前の要求が徒労に終わる可能性がある。術の文言、いわば詠唱は、行使において基本となるものだ。大抵の術師が、物心ついたときには扱えている。お前たちの問題は、詠唱を使わなくてもそこそこの術が発動できるということ。今までの常識を崩し、全く違ったものを取り入れる苦労がどれほどのものか。数日では、一番初めの言葉すら身に付けられまい」

 

 この男は、誰かに何かを教えるのが好きそうだと思った。下田だったら絶対にこんな取引には応じないのに、既にほとんど要求を呑んでいる。

 

「そもそも、内容を理解し、発音できなければ意味がない。お前たち灰は、皆できないことだろう。ほら、これを開いてみろ。読んでみるがいい。初歩の魔術について書いてある」

 

 見た目は古そうだが、状態の良い本を渡された。下田も、オーベックの意見に賛成だった。既に、表紙の文字からして訳が分からないからだ。知っている言語のどれにも当てはまらない。

 パラパラと適当にめくって、真ん中あたりを開いた。そのまま広げて置く様子を、オーベックはつまらなそうに見ている。文字が理解できていないことは、当然察しているのだろう。

 横から、白くて細長い腕が伸びてくる。鱗がちらほらとある指で、視線の先の文字列をゆっくりとなぞっていった。 

 瞬きの間に、目の前の光景が様変わりする。

 

「無駄な努力は終わったか」

「何ですかこれ。なんか、王家の話が延々と書いてありますけど。本当に、魔術の本なんですか」

 

 机が揺れて、脇に置いてあった本の山が一部崩れた。オーベックは勢いよく机をまたぎ、下田の側に着地する。強く肩を叩いてきて、一緒に本を覗き込んできた。

 

「読めるのか?」

「いや、だから」

「理解できるのかと尋ねている。私が今苦労して解読作業を行っている書物を、読めるのか?」

「できますけど。つまりこれって、魔術の本ではないですよね」

「些細な問題だ」

 

 オーベックはゆっくりと奥へ回り込み、再び自分の椅子に座った。先ほどまでとは様子が一変している。かなり興奮しているようだ。上機嫌なのは確かだ。

 下田もまた、彼の意地悪を忘れることにした。もし多少詠唱が理解できている状態でも、この本の解読は不可能だった。相手の話によると、これはかなり昔の文字が使われているらしい。

 横目で、女性の様子を確認する。彼女は少しの間オーベックを睨みつけていた。もしかして、馬鹿にされたのが嫌だったのだろうか。彼女のおかげで読めるようになったのだから、ありがたいとは思っている。

 

「交換条件だ」

「はい」

「できる限りの事は教えてやる。だから、お前も対価を払え。この本を正確に読み上げてくれ。これを理解できれば、時間を大幅に節約できる」

「よろしくお願いします」

 

 自分の繰り返しの事を言わなくてもよさそうだとわかって、少しほっとした。

 こうして、詠唱についての講義が始まったが、下田は何一つ理解できずに終わった。それは最後の日まで同じだった。

 

 

 

 

  (15万7558)

 

 

 武器に腕が振り回されるのは、その重心について理解が及んでいないからだ。柄の部分と、刃の部分では重さが違う。それを深く理解して、最も効率良く振るう。形が正しければ、筋肉に余計な負担がかからず、素早く攻撃ができる。

 

 

 

 

  (19万4356)

 

 

「何その本。重そうだね」

 

 ちとせが休憩中に尋ねてきた。

 こうして見てみると、彼女はやや腰の重心が低めだ。ローブの裾から見える足に、しなやかな筋肉が伺える。

 彼女は怪訝そうに目を細めた。

 

「私、どっか変?」

「別に。可愛いと思うよ。それより、ちとせって、何かスポーツとかやってた?」

「よくわかったね。中学の時バスケやってた。朱音と一緒に」

「やっぱり。バスケってディフェンスの時腰落とすもんね」

「は?」

「ん? だから、腰の感じとかがさ、そういう動きしてるんだよ。あと、ちゃんと高校でも走ってはいるんでしょ。そういう足してる」

 

 ちとせは腕を組んで、岩に腰かけた。

 

「あたし、セクハラされてんの?」

「口説かれてるんだろ」

 

 高坂が槍を木の幹に刺している。

 

「下田、お前さっきからおかしいぞ。それ、医学関係の本だよな。なんで急に学問に目覚めてるんだ? こんな意味わからんタイミングで」

「読んでみると、面白いよ」

「ふーん」

 

 特に、体の構造が詳しく書かれているのがいい。いつどこに深い傷を負うかわからない。腕だけではなく、致命傷になりうる頭やお腹のことを知っておくことで、奇跡の効果が高くなる。今は、内臓の種類と役目を確認しているところだ。

 思えば、医学と奇跡はかなり相性がいいのかもしれない。理論的な体系をしっかりと思考に含めることで、術の安定さが格段に増す。土台とするものは違うが、目的は同じなのだ。

 そして祭祀場に戻れば、下田は自分の部屋で、奇跡の修練を始める。

 腕を切り落とし、再生をする。それを五回ほど繰り返す。切った腕を解剖して、構造の確認もした。もちろん楽な作業ではないが、亡者の体を練習台にするよりはるかに効果がある。あまりやり過ぎると血が足りなくなるので、一日でできる回数には限度があるが。

 数十秒以内に、完全に完治させることは成功できていた。だが、その時間の短縮も緩やかになりつつある。無詠唱における限界が近づいているということだろう。結局は、そこが一番重要なのだ。

 

 

 

 

  (23万6758)

 

 

 要は、発音が最も重要であり、最大の難関だった。口だけではなく喉も使って、普段出さないような音を形作る必要がある。そして、正確にできなければ、何も発動することができない。

 言葉を出すということは、呼吸をするということだ。激しい戦闘中ならば、詠唱はさらに困難さを増す。

 応用を考えても仕方がない。自分はまだ、最初の詠唱でさえ成功できていないのだから。

 矢を意味する詠唱。

 オーベックが示した手本によれば、一瞬で終わる程度の長さでしかない。それでも下田にとっては、困難さを極めた。今までまったく触れたこともない技術を体得するというのは、それこそ才能がなければ不可能だ。

 気が遠くなるほどの年月を修練に当てれば、話は別かもしれないが。

 

 

 

 

  (29万6478)

 

 

 発音した瞬間、一時的にソウルの矢ができた。だが、一瞬で弾けて消えてしまう。

 オーベックは、それでいいと言う、彼はかなり感心している様子だった。まさか、教えて一日目でできかけるとは、思ってもいなかったらしい。才能があると、珍しく素直に褒められた。

 下田は微妙な顔で練習を続けた。

 

 

 

 

  (36万2989)

 

 

 矢がすぐに消失する。

 原因は、次の命令を与えていないからだそうだ。停滞か、射出の詠唱をする必要があるらしい。

 今までの魔術をオートだとしたら、これはマニュアルだった。全ての動きを、詠唱として組み立てて発しなければならない。そこへさらにイメージを強固に組み込まなければならないので、無詠唱の頃よりも格段に多く意識を割かなければならなかった。

 

 

 

 

  (43万2741)

 

 

 矢。

 停滞。

 射出。

 方向修正。

 オーベックの指定した的に、ソウルの矢が突き刺さった。その的は防護をかけられていたが、簡単に貫いた。明らかに、今までの術とは威力が違っている。

 

「お前は、前代未聞だな」

 

 彼は、下田を珍しい動物であるかのようにじろじろと観察している。

 

「後天的な天才か。学院でも、お前のような奴はいなかった。基礎から応用に至る者はいくらでもいる。だが、お前の歳で土台を一から作り上げられた例は一つもない。しかも数日でだ。灰というのは、やはりどこか特別性があるものなのか…」

 

 ぶつぶつと熱心に独り言を言っているオーベックを尻目に、下田は椅子に背中を預けて天井をぼうっと見上げていた。

 難しい、なんて次元ではない。ここまでできるようになるまで、途方もなく時間がかかった。しかもこれはほんの初歩だ。詠唱は、無数にあると聞いた。自分で新しい命令式を作り出している者もいるという。それらを全て把握し、最適の組み合わせを見つけると考えれば、確かに自分の人生を何百と賭けても足りないとわかった。

 だが、この威力の跳ね上がりようは希望が持てる。放たれる速度もかなり上がっていた。この詠唱を、防御の方でも活用できれば。

 浮かんだのは何度か見た光景だ。クリムエルヒルトや、グウィン、そしてこの世界の一定以上のレベルの術師は皆、下田や生徒たちの術を、ただ手をかざしただけで消していた。あれができるようになれば、おそらく最小限の動きで魔術による攻撃を凌げる。

 研鑽は終わってなどいなかった。むしろこれからが、本番だと言えた。

 

 

 

 

  (56万5436)

 

 

 奇跡の詠唱も、オーベックから教わった。こちらはもっと繊細な発音と言葉選びが要求される。彼自身もあまり得意ではないらしい。奇跡に関しては、もっと良い手本を見つける必要がある。

 イリーナしか適任がいない。彼女に教わるのは複雑なものがあった。何度も首を刺している相手に、平気で師事を請えたら異常だろう。それでも下田はしつこく頼み込んだ。祭祀場の者達からは、余すところなく技術を盗むつもりでいた。

 ただ、彼女はお世辞にも自分の技能を、言葉で説明する能力があまりなかった。だから、下田は彼女が奇跡を行使しているところをひたすら見て、詠唱を聞き取るところから始めた。

 

 

 

 

  (67万2386)

 

 

 ジークバルドへと疾走する。

 息を素早く吸って、迫ってくる大剣を斜めに受けた。まともに受け止めれば、自分の片手剣が飛ばされているところだ。彼らとは膂力という点においても大きな差がある。まともに斬り合うのではなく、流す。剛よりも柔を。シーリスからよく教わった理念だ。

 ジークバルドの二撃目をかわすと同時に、相手の側面へ回る。シーリスとフォドリックと自分の間に、ジークバルドを挟む形だ。

 下田は詠唱を始めた。三つの矢が飛んでいく。その威力は無視できないものではあったようで、ジークバルド以外の二人はその対応に追われる。

 だが、同時に、自分の剣が手から飛ばされていることにも気がついた。ジークバルドの攻撃を半端に受けたせいだ。詠唱の方に意識を向けすぎた。

 その焦りのせいで、背後から来た魔術にやられた。

 血を吐き出しながら、下田は考える。

 詠唱と近接戦闘を同時に行うのは、不可能に近い。だが完璧にこなさなければ、最初の一人を倒せない。当面乗り越えるべき壁は、もう決まっていた。

 

 

 

 

  (78万7812)

 

 

 意識の分離。

 いや、完全な複製か。

 初めは冗談半分で考えていたことだったが、いよいよ必須なのではないかと思えてきた。同時に二つの行動をするというのは、意外とありふれたものだ。歌いながら踊ったり、夕食を作りながら、子供と会話したり。

 だがそれらはどれも、片手間でできる範囲のものでしかない。難しいテストを解きながら、百人一首を暗唱しろと言われてもほとんどの者が無理だろう。集中というのは一つの物事にこそ有効で、対象が複数になれば散漫になっていくだけだ。

 ジークバルドと剣で戦うのも、シーリスとフォドリックの動きを阻害するために詠唱するのも、それだけのために意識を全て割かなければできないことだった。二つを完璧にやろうとしたら、どちらも中途半端になる。

 だから、自分を増やす必要があった。思考が二人分になれば、同時に二つの事に集中できる。

 感覚は、一度つかめたことがあった。

 イーゴンの最後の一幕。彼の隙を作るために、ソウルの矢をぶつけると同時に、狙った場所へとスティレットを振るった。その時は、確かに別々の事を完璧にこなせていた。あれをもっと複雑化させた今の状況でも、できるようにすればいい。

 思考を、分裂させる。

 

 

 

 

  (89万5371)

 

 

 詠唱が途切れた。

 シーリスとフォドリックがジークバルドと合流し、下田は八つ裂きになる。

 今度は、魔術の方がおろそかになった。

 

 

 

 

  (96万6854)

 

 

 どちらも失敗。

 二つの事に集中するという矛盾。

 それを突き詰めていくと、段々と脳味噌がねじれていく感じがする。

 

 

 

 

  (113万2364)

 

 

 詠唱をし、

 同時に剣を振るう。

 

 

 

 

  (134万6786)

 

 

 詠唱。

 剣。

 

 

 

 

  (156万9708)

 

 

 魔術の軌道を修正しながら、

 相手の剣筋を見極める。

 

 

 

 

 

  (189万3465)

 

 

 詠唱。

 剣。

 

 

 

 修正と

 

 

 

 

 把握。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (209万6903)

 

 

 

 

 分離。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ねじれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (385万4532)

 

 

「声は、ヒントになり得ます」

「うん」

「詠唱の種類を看破されれば、相手も相応の処理を行ってくるでしょう。いかに素早く無駄なく唱えるか。相手の注意を、口元からそらすか」

「疑問なんだけど」

「何ですか?」

「どうして、矢なんだろう。皆が、魔術の攻撃に矢をモチーフとして使っている。もちろん理にかなっている形かもしれない。でも、それだけかな」

「おそらく、この世界の武器事情にも関係があるんでしょうね。亡者が弓を使っていたところを、何度も見たことがあります。この世界においては、投擲物として、矢が最も多く利用されているのでしょう。その常識ともいえる強烈なイメージが、術形成において大いに役立つ」

「ということはさ、別に僕は矢をイメージする必要がないんじゃないかな。銃の弾丸でもいいわけだ」

「ですが、対応する詠唱はどうします? 弾丸の詠唱など、存在しませんが」

「作ればいい。矢という詠唱には、飛翔と突起、貫通の音節がある。そこから飛翔と貫通だけを取り出して、後は鉄、円の節を何とかして見つけるか作れば、組み合わせられる」

「銃の作られた経緯を考えてみてください。あの武器は基本的に対人用です。弾をジークバルドらに撃ち込んだところで、通用しますか?」

「弾に工夫を凝らせばいい。例えば、相手の体内に侵入した瞬間爆散するように式を組み立てれば、通用するんじゃないか」

「そこまでするのなら、矢のままの方が楽そうですが」

「相手が見慣れていないというのが、重要なんだと思う。少しでも優位な状況を作りたい」

「オーベックの書斎だけでは、間に合わなくなりそうですね」

「ロスリックにでも行こうかな。あっちの方が多分年季入ってる」

「往復の手間を考えたら、現実的ではありませんね」

「そうだね。やっぱり自分で考えるしかないか」

「外に誰かいますね」

「うん。多分ちとせ」

「あまり、心配させないほうがいいと思いますよ」

「わかってるけど。君との話し合いも大事だから」

「自問自答は、貴方の得意分野ですからね」

「君の得意分野でもある」

「褒め合っていると気持ち悪いです。虚しくなりませんか」

「君も気持ち悪いってことだね」

「貴方、自分のことが気持ち悪いって自覚はあったんですね」

「そりゃあ、もう」

 

 自分のことを、Aとする。

 そして会話している丁寧な物腰の相手は、Bだ。

 どちらも下田自身であることには変わりない。だが、Bは魔術的な部分を担当していた。そして自分は、奇跡と戦闘を担当するというわけだ。

 Bの存在は様々な面で利点がある。まずは、同時に動かせる魔術の数がほぼ倍になったことだ。最近は十の壁を超すことに成功し、十一まで手が届いている。

 そして何よりも、並行的な思考ができるようになったのが一番ありがたかった。結局は下田の側面の一つでしかないのだが、自分が集中しているときに、別の行動を担当してくれる。気がつかなかった点も、知らせてくれる。

 二重人格だとか、そういう大げさなものではない。どっちが意識を担当しても、記憶はちゃんと共有されている。どちらがどんな行動をしても、下田の意思が決めたことだ。根っこが同じなのだから、お互いに意見が衝突することはない。擦り合わせを、行うだけ。

 戦略を二人で話し合って、洗練させていけば、乗り越えることができるだろう。

 いつか、必ず。

 

 

 

 

  (456万9806)

 

 

「前回はまあまあ進みましたね」

「生きてる時間が一秒伸びた」

「ジークバルドの鎧は、相当の重量があるはず。あの奇抜な姿でよくもまああんなに動けるものです」

「でも、やっと、わかってきた。あの男は、左に弱い。弱いって程じゃないけど、重心に偏りがわずかにあるせいで、攻撃のテンポがずれることがある」

「癖というより、長年の戦いで無意識に培われた、個性というものでしょうか」

「それを、癖と言うんじゃないの?」

「たいして再現性がないので、定義に当てはまりません。相手も意識をしている時がありますし、偏りを修正してきます」

「つまり、修正の間がないほど早く攻めれば、殺せるな」

「そのためには思考が足りません。貴方が、私からもっと離れる必要があります」

「君ももっと独立を考えなよ」

「貴方もそうするべきです」

「でもさ、どっちにしろ……。いいや。わかんなくなってきた。だって君は僕だし」

「貴方は私ですからね」

 

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