火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

49 / 74
49.双月光

  (26億9804万1276)

 

 

 二本の短剣を扱う際の、デメリットは何か。

 まずは、片手で武器を扱う性質上、安定さに欠けるということだ。かなり握力を使わないと、すぐに短剣を弾き飛ばされる。攻撃をする時も同じだ。片手の力では相手の首を斬り飛ばすことなど到底できない。故に、小さな力でも傷をつけられる突きがどうしても中心になってくる。それでは単調さが増してしまい、たとえ手数が増えてもあまり意味がなくなってしまう。

 現実では、二刀流もとい双剣術はあまり一般的ではなかったという。インベントリの本で調べてみると、日本においては、普通の刀と小太刀という組み合わせがあった。小太刀で相手の攻撃を流し、刀で斬る。あるいはその反対も型として確立されていた。

 使い手としては、あの宮本武蔵がいる。だが下田には、彼が二刀流が強いという理由で剣豪と謳われているとは考えられなかった。彼自身が才能にあふれ、強いからこそ、二刀流という特異な要素にも注目が集まったという方が正しいように思えた。

 双剣術が盛んだったのは、中国だ。良く調べてみると、そのほとんどは手数の多さを利用した攻めの剣術であることがわかってきた。相手に隙を与えないことこそが、最大の防御だという考えが根底にあるのだろう。

 反対に、リリアーネの動きは受けが中心だ。もちろん攻めに徹するときもある。しかし彼女は相手の攻撃の軌道を完璧に把握した上で、隙を手繰り寄せることを重視する。享楽的な性格とは反対に几帳面な戦い方だ。

 どちらが正しいという話ではないのはわかっていた。どちらも取り入れるのが一番いい方法だ。あらゆる組み合わせを試行し、相手に効果がある一手を見つけ出す。やること自体は、単純だ。

 今までの考えの枠組みを破壊する必要があった。まず、利き手という概念がいらない。どちらの手でも完璧に、攻撃と受け流しをできるようにしなければならない。ばらばらの動きを同時にやることは容易い。BやCと分担すればいい。だが、右手でも左手でも同じパフォーマンスを維持することはまだできていなかった。これは日常の動作でも気を付ける必要があるだろう。左手をひたすら使う。使い減らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (38億1164万6749)

 

 

 魔術での妨害ができない以上、同時に四体を相手にしなければならない。かわしきるためには常に自分の位置を変え続けて、捉えられないようにする。

 しかし、それは不可能だった。今回の関門を難しくさせているのは、自分の諸々の状態が万全ではないということだ。それまでの戦闘も手を抜けない。感覚では、フォドリックを倒した時点で既に四割は体力を消費している。あまり動き過ぎれば、あっという間に限界が来てしまう。

 故に、移動は最小限にすべきだった。その上で、あえて敵に囲まれる状態にさせる。彼女たちの攻撃も利用する。同士討ちを狙えるほど甘くはないが、それぞれの妨害になる程度には持っていける可能性がある。

 少しの動きのずれ、相手の攻撃の予測の誤差、一呼吸にも満たない遅れ。全てが殺される要因に成り得た。視界外から振るわれた攻撃にも、完璧に対応しなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (56億1232万9567)

 

 

 相手の連携にも、隙があることはわかっている。

 特に顕著なのは、グンダと三姉妹の間にある溝だ。信用しあっているわけではないのはすぐに理解できた。彼の巨体が時折動きの流れを途切れさせる。狙える穴だった。

 振り下ろされた斧槍をかわし、グンダの体を一気に駆け上る。背中の特定の部分を伝っていけば、途中でつかまれることはない。

 三姉妹の包囲から逃れられる場所が、グンダの頭の上だとは面白い。げらげら笑いながらそう考えていると、黒い炎で全身を焼かれた。

 彼女たちの術にも、気を付けなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (79億3426万6759)

 

 

 術の封印を、どうにかしようと何度も考えた。

 オーベックが言うには、沈黙の禁則という、奇跡に属する術だそうだ。ロンドールに古くから伝わっているもので、詠唱などの知識は不世出。彼女達に直接訊いても決して教えてはくれなかった。

 戦闘中で見極めようとしても、無駄に終わった。リリアーネはどうやら、詠唱を圧縮した上でさらに偽の音節を何重にも混ぜているようだった。非常に卓越した隠蔽だ。もはや彼女自身を拷問するくらいしか知る方法はない。だが、それができるなら、この関門の突破も可能になっているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (85億5476万3496)

 

 

 術を、斬り落とす。

 いかにもフィクション的だ。だが、やらなければならない。彼女達は近接戦闘だけに長けているわけではない。魔術なども織り交ぜてこられたら、ただかわすだけでは絶対に限界がやってくる。

 可能であることはわかっていた。フォドリックが何度もそうしていたのを、何度も見た。だが、ここで問題になってくるのが、武器自体の強度だ。彼も、おそらくではあるが、薄く符呪を施していた。そうでもしないと、刃が割れる。

 沈黙の禁則により符呪はできない。だが、武器が元々術的な要素を持っていたら? 今欲しいのは、高品質の武器だとわかり切っていた。ただの短剣では、途中で必ず壊れてしまう。インベントリから予備を取り出す隙に、殺される。

 アンドレイの工房から、いくつも候補を見つけては、失敗を繰り返した。生半可な術のかかった武器では、駄目だ。リリアーネ達の使う術以上に強力な武器が欲しい。何度受けても耐えられるほどの強度も必要だ。

 短剣でその基準を満たせるものは全く見つからなかった。アンドレイ本人に尋ねてみても、そもそも全部の武器種に広げたとしても、見つけるのは困難らしい。よほど強力な術、高品質の素材、洗練された精錬技術の結晶こそが、それに値する。

 一本だけ、心当たりがあると言われた。工房のさらに奥にある、一室にまで案内される。その部屋には、大剣が厳重に安置されていた。

 その、淡く緑色に光る刃を、下田は知っていた。

 月光の大剣。

 かつては、シフィオールスが使っていた武器だ。彼が殺された後、回収されたのだろう。あの狼についても、今は認識が変わっていた。早めに死んでくれてよかったと思う。大きな障害が一つ減ってくれたから。

 確かに、至高の一振りではある。飛ぶ斬撃についても、沈黙の効果が及ばない可能性がある。だが、大きな欠点があった。とても、下田が振るえるような重さではないということだ。持ち上げるだけでも、一苦労だった。

 

「アンドレイさん」

「何だ」

「これ、短剣に打ち直すことはできますか? 二本分くらいは作れる余裕があると思うんですけど」

 

 初めは冗談だと思ったのか、低い声で笑われた。だが、下田が黙って月光の大剣の刃を見ていると、やがて静かになる。

 

「本気か? そんな恐れ多いことを言った奴は、初めてだ」

「無理そうですか?」

 

 あえて挑発的に尋ねると、アンドレイは腕を組んだ。

 

「できないことはない。だが、時間はかかるぞ。あと八日は要る」

 

 そこで、祭祀場の許可がないことを理由に断らないのは、彼らしいと思った。下田の挑発が効いたというより、単にこの剣に手を加えられることへの好奇心からだろう。

 

「間に合いませんね」

「少しでも早くしようとすれば、絶対に上手くはいかない。諦めろ」

 

 下田は頷かなかった。インベントリから、鍛冶用の槌を取り出す。

 

「二人で分担してやるなら、どうですか? もっと早くなると思いますけど」

 

 初めアンドレイは、馬鹿にされたと思っているようだった。さすがに自分の職分を訳も分からない相手に入り込まれるのは嫌だろう。しかし、下田は試しに一本剣を打った。それで相手も、理解をしたようだ。

 化け物に戦いで勝つよりも、はるかに楽ではあった。やはり何かを殺す努力よりも、作る努力の方が楽しい。そして才能がなかったとしても、鍛冶というのは職人の技術であることも幸いした。さすがに数万年ほどアンドレイから教われば、ある程度のレベルまでは身に付けられる。

 月光の大剣は、その刃の硬さが一番の特徴のようだった。変形させるのが困難だ。だが、二人で槌を打ち続ければ、三日ほどで刃の分割に成功した。そこから短剣と言えるくらいの刃渡りまで調整し、柄をはめ込む。ここまでで丸五日。儀式の前日までかかった。

 アンドレイはかなり疲労しているようだったが、下田は久しぶりの興奮でまだ元気があった。完成した短剣を手に取り、明かりの前でかざす。

 大剣だった頃はかなり重かったが、今は驚くほど軽かった。まるで刃が丸ごとなくなっているかのようだ。それでも月光の輝きは健在で、下田でも見とれるほど美しかった。

 

「今までの中で一番背徳的で、骨の折れる打ちだった」

「ありがとうございます。こんな無茶な頼みを聞いてくれて」

「それで、何をするつもりだ。誰かを殺すのか?」

「どう思います? やっぱり鍛冶師としては、自分の作った武器が味方を殺したら、嫌ですか?」

 

 アンドレイは鼻で笑った。

 

「ここの奴らは、味方ではないな。祭祀場という集団に属する気はない。その大義とやらに賛同する気もな。俺は満足するものが作れたらそれでいい」

「そうですか」

 

 直前までは、この男も殺そうと思っていた。言っていることが本心だとしても、下田達の味方を意味するわけではないからだ。だが、アンドレイは直接邪魔をしてきたことは一度もない。散々一緒に鍛冶をやってきたので、情も湧いているかもしれなかった。それに、ちゃんとした武器を手に入れられたので、機嫌もいい。

 下田は短剣を振った。刃が光り、斬撃が飛んで行く。それは真っすぐアンドレイの首へと向かい、容易に肌を斬り裂いた。

 床でもがいている相手を眺めてから、手ごたえを感じた。

 それはそれとして。

 この武器の練習台は必要だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (109億5637万2310)

 

 

 黒蛇というらしい。

 その黒い炎を放つ呪術は、リリアーネ達しか使っているのを見たことがない。だが、どんな性質を持つにしろ、格が上の術をぶつけてやれば防ぐことは可能のようだった。

 ユリアの刀と打ち合っても、その短剣は強靭さを保っている。飛ぶ斬撃が側面からの呪術を相殺している間、下田はひたすら彼女の武器を狙って攻撃していた。刀はそのサイズにしては軽く、切れ味も鋭いが、刀身が脆い。手数で打ち込んでいけば、段々と削れてきているのがわかった。

 短剣を斜めにして、相手の武器を刃の上で滑らせる。もう片方の月光の短剣を、刀の中ほどへと叩きつけた。確かな感触が伝わってくる。刀身にひびが入り、ほぼ半分に割れた。

 ユリアにはほとんど動揺がなかった。即座に二本目の鞘へ手を伸ばす。

 それを見逃すほど、下田も甘くはなかった。ここが決定的な隙だと断定し。相手の首元へ短剣を走らせる。

 もう片方で、リリアーネの攻撃を弾く。上手く死角を突いてきたが、彼自身も自分の視界の及ばない領域は把握していた。ユリアの首に刃が入る。

 次の瞬間、下田の右腕が斬り落とされた。

 刃は見えなかった。

 ユリアは、柄だけを振っている。それが顔の目の前を横切った。一見まるでコントの様に思えたが、目から下が全て寸断されるのを自覚して、ようやく理解をした。

 不可視の刃だ。

 おそらく月光の短剣と同じように、武器自体に特殊な術が施されている。

 なるほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (116億6758万1231)

 

 

 ユリアとの関わりを多くして、ほとんどを彼女との模擬戦に費やした。初めは渋々だったものの、下田の実力を知ると受けてはくれるようになった。彼女自身ももっと強くなる必要性を感じているらしい。

 だが、どんなに話しても、二本目の刀の事は教えてくれなかった。下田自身も本腰を入れて尋ねなかったせいでもある。殺されていくうちに、その性質が段々わかってきたからだ。

 刃の長さは、普通の刀と変わらない。特別切れ味が増したという感じもしない。

 その特異性は、ただ不可視だというだけではない。その刃の形をある程度変形できることにもあった。

 位置を大まかに予測して対応しようとしても、空を切ることが何度もあった。そして、返す攻撃でやられる。一時期は実体のない刀だとも考えていたが、試行を重ねていくうちに、そこまで無茶苦茶なものではないとわかってきた。 

 いくつかの変形のパターンがある。おそらく、事前に詠唱によって、自動的に相手の攻撃に適した形へと成るように組み込まれている。戦闘中、ユリアの口が動いていないことは確認した。いかに彼女でも、斬り合いの中で武器そのものに干渉する術を臨機応変に扱うのは難しいのだろう。

 であれば、こちらも同じことをして相手の予測を外せばよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (137億5647万4437)

 

 

 不可視の刀が、引き抜かれる。

 居合い斬りの速度は、普通に振るうよりも格段に大きくなる。まずはそれを認識できるようにしなければ。

 そこで役に立つのが、別の意識達だ。どんな速い攻撃でもあらゆる角度から観察すれば、筋がわかってくる。次にやられても対応ができる。

 

「見えたぞ」

「本当ですか?」

「もうかー」

「側面から見た方がわかりやすいぞ」

「もう少し、視覚を浮かしてみよう。視野がまだ狭い」

「何かをつかめそうですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (178億9937万2348)

 

 

 時々、天井に付きそうなくらい、上に行くことがある。

 自分自身を、見下ろししているような感じだ。そこでは、周りの全てが見える。自分の横や後ろへ回り込もうとしている敵が、認識できる。

 その状態になるのは、五十万に一回くらいだ。これでも、かなり間隔が短くなってきた方ではある。

 これを常にできるようにすれば、先へと進めるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (269億5600万5564)

 

 

 熱い、

 熱い、線が、じりじりと体を焦がすことがある。 

 そこへ短剣を向けると、ちょうど相手の攻撃がぶつかる。

 同時に、冷たい点も見えることがある。

 それは決まって、ユリアの穴であることが多かった。体が追い付いていないので突けたことは一度もないが、隙の点であることは理解していた。

 その状態になるのは、七十億に一度くらいだ。熱さと冷たさが同時に重なったことは、今までに一度しかない。視点の浮遊とも全て重なったことはゼロだ。

 これを常に感じられるようになれば、おそらく勝てるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (345億8790万1276)

 

 

 時間については、ずっと前から試みを続けていた。

 引き伸ばすというか、分割するというか。とにかく、自分も相手も、遅く感じられるようにしたかった。

 結局、時間を三分割にすることにした。AとBとCで、等分をする。

 相手と自分の行動も三段階に分けた。相手のどの段階に、自分のどれをぶつければいいのか。徹底的に研究をした。失敗は当たり前だ。組み合わせは果てしない。だが、無限ではない。限りがある限り、全てを検証することができる。

 達人が無意識でやっているようなことを、経験だけでこなそうとするのは、途方もなく時間がかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (467億3425万6785)

 

 

 ずれた。

 何かがおかしいと思ったら、右の方だ。左右の手の力のバランスが取れていないせいで、ここ最近はまるで上手くいっていなかった。

 右の方の、鱗に浸食されている腕を見る。壁を殴ると、そこが少しへこんだ。本気でやったのに、手の方には全く痛みがやってこない。腕力が増したばかりか、さらに頑丈にもなっているようだ。左手で同じことをやると、あっさりと骨が砕けた。

 これが、竜の鱗が浸食してきていることと関係があるのは明らかだ。しかし、白い女性に訊いてみても答えはない。期待していたわけではなかった。エルドリッチの膿と同じく、よくないものであることはわかりきっている。

 だが今は、利用できる。

 実験をした。

 右腕の力ならば、短剣で首を断つことができる。亡者を何体もそうして処理した。ある程度の損傷を気にしないのなら、素手でも顔を潰せる。もちろん、相手が何も防具を付けていない前提ではあるが。

 これで、急所へ突き刺す以外にとどめを刺す手段が増えた。大きな前進だ。すぐに相手へ通用するようになるわけではない。ここぞという時が来るまでは、温存した方がいいだろう。確実に仕留められる瞬間に、使う。

 

「何だ?」

 

 女性はいつものように姿を消さず、下田を見ていた。口をパクパクと動かし、何かを訴えかけているようだったが、声は聞こえない。

 正直、やめてほしかった。気分が悪くなるからだ。彼女が話そうとする度、頭痛がする。そのやるせない表情を見るほどに、この場から逃げ出したくなる。

 話している内容はわからなくても、自分を止めようとしているのはわかった。彼女の顔は最初の方よりもやつれている。下田が誰かを殺す度に、まるで自分自身が胸を貫かれたような顔色になる。

 下田にとっては、訳の分からない反応だった。そもそも、こういう状況にまでなったのは、彼女のせいだ。彼女が、この繰り返しの能力を司っている。なんとなく、わかっていた。今ではもう、そのことに感謝すればいいのか、恨めばいいのか混乱していた。

 

「何もできないなら、消えろ」

 

 相手がどんな反応を返そうと、もう彼は自分の世界に入り込んでいた。戦いの想像に浸っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (698億1239万6578)

 

 

「また、会えたね」

 

 さっきまで一緒にいたでしょ。

 

「でも嬉しいんだ。君がいない間、寂しかった」

 

 あんたさ、他の子にも同じこと言ってるの? 

 

「そんなわけないよ。君だけだよ」

 

 どうせ、また引き裂くんでしょ。真っ二つにしてこき使うんだ。

 

「ごめんね。君が大きいままだと、満足に使えないんだ」

 

 痛いんだからね。

 

「わかってるよちとせ。僕の心も同じくらい痛い。だから、せめてちゃんと使うよ。あいつらの肉の中へ刺してあげるから。たくさん、血を吸わせてあげるからね」

 

 あたしがさあ、そういう殺人鬼みたいな言い方はやめてよ。ま、いいよ。ちょっと意地悪言いたかっただけだし。さっさと持ち上げな。

 

「ありがとう。やっぱり大好き」

 

 わ、ちょっと、急にやめて……。 

 

 

 

 

 

「重症ですね」

「きもちわりい。見ろよ、アンドレイが本気で引いてる」

「キスまでしてますよ」

「由緒ある月光の大剣が、台無しだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

  (890億7459万2134)

 

 

 右をチトセ。

 

「よく寝てる? 隈もできてる。食事も好きな物ばかりじゃなくて、いろんな野菜も取らないと」

「うん…」

 

 下田は、涙を流していた。

 左手に持つ短剣を、ミサと名付けた。母親の名前だ。

 

「牛乳はこまめに買い換えないと駄目。野菜もスーパーじゃなくて、近くの直売店にしなさい。自分一人の分だけを、買った方がいいから」

「うん、母さん」

「お風呂の掃除は週に一回はする。赤カビが広がっちゃう。洗濯機が動かなくなったら、まずは排水ホースを確認しなさい。お母さんが使ってた時も、よく詰まってた」

「そっちは、」

「ん?」

「母さんは、大丈夫? 病院、辛い? 食事美味しくない?」

「危ない。今、看護師さんが廊下を通ったよ。彰浩、いい? 確かに上等とは言えないけど、ちゃんと栄養のバランスを考えてくれてるの。まずいけど」

 

 下田はくすくす笑った。

 

「こっちは、平気。色んな患者さんと話をすると、楽しいよ。私と同じ癌の人もいて、一緒に頑張ろうって言ってくれる」

「よかったね」

「ところで、学校はどう?」

「楽しいよ」

「草野君にすぐ影響されるんじゃないよ。結局、真面目が一番だから。困らない程度には、勉強はやっておきなさい」

「うん」

「あとは、彼女かな」

「えー」

「彰浩もいつか、好きな人を見つけて、自分の家庭を持つ。この人のためなら頑張れる。そういう相手を見つけるの」

「まだ、わかんないよ」

「何言ってるの。もう高校生の真ん中なんだから。好きな女子とかいるでしょ」

「うーん」

「アキ」

「うわ、びっくりした」

「一階で待っててって言ったのに。どうして先に行っちゃったの」 

「トイレ長いから」

「は?」

「ごめん、今のは気持ち悪かった」

「あら…」

「初めまして。下田君のクラスメイトの、高原と言います。お見舞いに来ました。家族水入らずのところを、邪魔しちゃってすみません」

「いいのいいの。新鮮で嬉しい。ちとせさんで合ってる?」

「はい、そうですけど…」

「彰浩がよく話してくれてたから。尊敬できる人だって」

「母さん」

「へえ、なるほどね。あんたがあたしを裏でどう思ってるか、もっと知りたいな」

「え、えっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

  (1098億7609万4352)

 

 

「彰浩、研ぎ澄ましなさい」

 

 左の短剣を、一閃する。

 

「まだ遅い。視野を広げて。相手の点を見極めなさい。自分への線も把握するの」

「そろそろ来るよ。どっちにするの? 月光とより連動できるのはあたしの方だよ。それとも、利き手を選ぶ?」

 

 どうだろう。

 

「その概念は、失くしたはず。私とちとせさんのどちらも同じように扱うと決めたでしょ」

 

 じゃあ、やっぱりチトセにしよう。母さんは、とどめに使うよ。

 

「落ち着いて。いつもみたいにすかした感じで行きなよ。こんなこと、何でもないんだって」

「自分を信じて。私も彰浩を信じているから。何よりも己と、己の技を頼りなさい」

 

 うん。

 かちんと、ユリアの鞘が鳴った。 

 稲妻のような勢いで、刃が引き抜かれていく。

 首筋に、熱。

 細い熱線が、急所へと向かって伸びている。次第に温度を増している。既に肌が焦げそうだ。攻撃が、到達しかけていることを表している。瞬きすら許されない間隙。

 線の真ん中ほどに、チトセを置いた。光を想像する。唱えることができないから、空に浮かぶ月の光を精一杯思い浮かべる。

 月光の斬撃には、沈黙の禁則が適応されない。術ではあるのだろうが、リリアーネの詠唱に影響されないような構成がなされている。あるいは、格そのものが違うせいか。

 二発を、発現させた。片方は背後を狙ってきている魔術へ飛ばす。そしてもう片方は、チトセの内に留まらせた。

 不可視の刀が、首へと向かう。そして、チトセとぶつかった。

 相手にとっては、予想外の手応えだろう。下田の短剣は、空を切るはずだった。刃が当たる瞬間だけ、刀を変形させ、かわす。ユリアの技は、必殺だった。初めて見るならば。

 チトセから、月光の斬撃が伸びている。その先端部分が、ユリアの刀を止めていた。止めているだけではない。刃の部分を確実に、破壊していた。

 

「あの女の首に、私を入れて。当然の報いだもの。私の息子を、何度も殺した罰」

 

 うるさい。

 

「なあに?」

 

 ただの道具風情が、僕の母さんの真似をするな。

 

「その意気。やっと、まともになってくれた。それでいいの。もう、幻なんかに縋らないで」

 

 母親の幻聴は、下田自身の焦りが、表われたものかもしれなかった。

 実際、彼はユリアを仕留めることはしなかった。そうしなかったのではない。そうすることが不可能だったからだ。こんなもので殺せるほど、相手は甘くはない。

 下田は距離をとった。

 上から、グンダの巨体が降ってくる。斧槍が先ほどまで下田がいた場所に突き立てられた。彼もまたリリアーネを守るようにして位置取りをしてくる。ユリアは破壊された武器を捨て、離れていく。既に倒れている死体から、武器を取ろうとしている。

 地面を蹴りながら、周りを一瞬確認した。

 フリーデの姿がない。直前までは、リリアーネの斜め右方にいたはずだ。

 何もないはずの所から、線が伸びてくる。

 耳元が熱くなった。

 見えない体を使いながら、フリーデが接近してくるのはわかっていた。同じ術を使うから、その精度を図るのは容易い。足音も上手く消している。線がなければ、全く位置を補足できなかっただろう。多く殺された要因の一つだ。

 上手く姿を隠している。だが、それだけだ。

 彼女は強い。三姉妹の長女だけあって、おそらく一番苦戦することになる。だが、この攻撃は粗末だった。躊躇いがある。下田を殺すことに、迷いがある。

 吐き気がした。思いっきり侮辱をされた気がした。

 

「薫さん」

 

 ぎりぎりまで引き付ける。鎌が狙ってきているのは知っている。すぐに対応をすることはしなかった。正面のグンダが長い斧槍を振り回してくる。

 刹那の間に足を擦る。いちいち上げて移動をするよりも早い。柔道や空手の基本。体幹を維持して、素早く横へ移動をする。斬撃へとわずかに短剣をかすらせて、体へ当たるのを阻止する。

 フリーデの攻撃と、グンダの攻撃が重なった。二つの武器が掠めただけで、空気が震える。だが、本気を出していなかったフリーデの方が、衝撃に押されてやや体勢を崩した。

 

「薫さん、あーあ」

 

 きっと、フリーデが悪いのではない。共にいる、薫が足を引っ張ってしまっている。肉体的な面ではなく、精神的な面で。

 それが不愉快なのだ。同じ人間を殺すことが嫌なのか、それとも変わっていく下田に戸惑っているのか。どんな思いがあるにせよ。素直に殺意を向けてくれる方が良かった。その、まるで上の存在からの慈しみの様なものが、苛々させられた。

 フリーデの所々に、点が現れる。点滅を繰り返しているものもあるし、目を凝らさなければ見えないくらいの大きさしかないものもある。徐々に、数は減っていく。

 どれが正解なのかは、わからなかった。全てが間違っていることだってある。その判断を下田は、冷たさに頼っていた。より温度が低い点の方が、隙が大きいということになる。感覚をひたすらに突き詰めて、最善を選択する。

 同時に、ユリアが割って入ってきた。上手いカバーだ。

 熱い線と、冷たい点が混在する。総数を三分割して、他の意識達と分担しながら取捨選択を繰り返す。

 時間が、異常にゆっくりと感じられる。

 ユリアは、シーリスの刺突剣を拾っていた。武器の種類が違っても、満足に扱えている。正確に下田の急所を何度も狙ってくる。

 だが、それでは駄目だった。既に殺している者の武器を持ってこられたところで、何ら脅威にはならない。刺突剣としての動きは、既に散々目で見て、体で感じていた。

 相手の刺突を全て正確に弾く。右と左の短剣で交互に防いでいく。時間を分割し、剣戟の音がリズムを刻み、下田は有頂天になっていった。

 右、左、右、左、右、左、右、左、右、左、右、左、右、左。

 弾く、弾く、弾く、弾く、弾く、弾く、弾く、弾く、弾く、弾く。

 武器の差というものは、確実だ。信頼が持てる。

 月光の短剣の強度が、ユリアの剣のそれを優々と勝った。

 そのことを、彼女も自覚している。そして、さらに深く理解をしているようだ。下田の実力を。そして、このまま続けば勝敗がどうなるのかを。

 ひやりとした感覚に、下田は本能で従った。

 短剣を、点に向かって突く。決定的な隙が、できていた。

 側面から突っ込んできたフリーデの、胸を刺す。それだけでは終わらず、相手の体内で月光を発動させた。フリーデは血を吐いた。内部がズタズタにされている。どんな化け物でも、そこまで傷つけば動きが止まる。

 轟音が、体を通り抜けた。

 視界がぐるぐると回り、自分の下半身が地面に倒れるのを見た。

 そして、そのすぐ後ろに、斧槍が転がっていた。

 グンダは鎖を手繰り寄せ、己の武器を手元まで戻す。

 完全に意識から外していた。これは、自分のミスだ。グンダの斧槍のそれは、墓所でもやられたはずなのに。この世界での最初の死が、グンダによるものであることを、忘れていた。

 飛んでいる上半身に、黒蛇が到達した。

 リリアーネは、ほっとしたような表情をしている。

 やはり、駄目だ。

 俯瞰をしなければならない。

 普通の視野を持っているだけでは、複数を相手に押し切ることは不可能だ。

 ふわりと、浮いてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (1697億3245万4476)

 

 

 鳥になった気分で。

 戦場を見渡すのだ。

 足音、術の詠唱、空気の流れ、剣が風を切る音。

 何もかもを材料にして、相手の全ての位置を割り出す。それを具体的な映像として頭の中で構成する。その映像と、通常の視界を同時に流す。並列的に処理をする。

 自分の間合いの外にいる相手は特に注意だ。全員が常に自分へ攻撃するものとして、警戒をする。いつ、どんな方向から何が飛んできても、臨機応変に対処をする。

 熱い線と冷たい点と、浮く面。

 同時に使いこなす。完璧に行使をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (2983億4536万7843)

 

 

 同時にできるようにはなってきた。

 だが、続かない。全員を倒しきるまでには切れてしまう。

 原因は明らかだ。体力の限界が迫っている。ものすごく集中力がいるこれらを維持できるだけの余力が、ほとんど残されていない。

 つまり、今までの戦いの構成も考えなくてはならないということ。より早く、より効率的に殺す。術をなるべく使わずに最小限の動きで。少し動くだけでも、無駄な力がかからないようにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (3564億2316万9870)

 

 

 リリアーネの顔は次第に余裕がなくなっていった。そして楽しそうに緩んでいった。

 下田はぜえぜえ言いながら、彼女と一緒に踊っていた。刃と刃を合わせ、戦いの舞踏を続けている。お互いに殺さないよう決まりを作っているので、戦いとは言えなかった。踊りと形容する方が正しい。

 基本的に彼女の動きを真似しているので、相手がどうしてくるかの想定も容易い。今回はより長く続けることを前提として、ひたすら受けに回っていた。より体力を消費しない動きを模索する。

 それでも限界はやって来て、下田は踊りを終わらせた。短剣をインベントリにしまって、床に倒れ込む。

 

「寝るのは待って。私と、感動を共有しようよ」

「はい…?」

「君より強いのはいる。でも、私は感動したんだ。上手く、実力を隠してきたんだね。全く、想像外だよ。君の技を見ていたら、楽しくなってきちゃって」

 

 相変わらず理解できない相手だと思い、下田はそのまま寝た。リリアーネのこもるような笑いが、耳に残った。

 

 

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