火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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5.シモダアキヒロ

 ルドレスの視線は、真っすぐ貴樹をとらえている。

 

「君は、この中で最年長らしいね。少し話をしたいから、留まっていてくれ」

「…はい、わかりました」

 

 内心ガッツポーズを取りながら、彼は生徒全員が出ていくまで待った。

 

(望んだことがすぐ実現だなんて、さすが俺。この機会を大事にせねば)

 

 多人数がいなくなり、がらんとした列席場の中、貴樹は早速話しだそうとした。

 

「ああ、少し。少しだけ、こちらから話をさせてくれないか。色々と言いたいのはよくわかる。ただ今は我慢してくれ」

(ここで焦らすなんて、もうっ! テクニシャンねっ)

 

 本当に気持ち悪い。

 

「まずは君の、その格好はどうにかならないか。下着一枚というのは、かなり不便そうだが」

「僕も困っているんです。ここに来て最初に何か着ようとしたんですけど、そうする度に激痛が走る具合でして。実は、武器すら持てないんです」

「ほう、それは災難だな」

「治す方法とか、何かありますか」

(素手で無双も良いけど、でかい武器も振り回してみたい…)

「すまないな、君のそれが、呪いの一種であることは推測できる。だが、今までに例がないものだ。方法を探すにしても時間がかかりそうだ」

「不思議と体温管理とかできてるので、一応問題ないですけど」

「探させてはみよう。次に、これが最後だが、訊きたいことが」

 

 ヨルシカが手を伸ばし、ルドレスの玉座に触れる。

 

「ルドレス。そのことは、証人がいた方が早く進みます。他にも戦士達の印象を聞いておきたいのです。全員に見てもらって、判断しましょう」

(判断? どういうことだ)

 

 貴樹の目で見ても、前方の二人と一匹はどこか緊張しているようだ。自分にそれがはっきり向けられているとわかるので、尚更不可解だった。

 ルドレスが先ほどよりも張った声で、場の全体へ呼びかけた。

 

「皆、出てくることを許可する。当面の安全は確認された。全員集まってくれ」

 

 天井から、複数の影が音もなく下りてくる。その直後に奥の方にある扉からも続々と人々が姿を現した。かと思えば、それぞれの玉座の背後から突然現れる者もいて、最終的には二十名近くの集団が貴樹の前に形成された。

 

「他の者より少し早めの対面になってしまったが、彼らが今外に出払っている者を除いた、全ての戦力だ」

(Oh……。アンビリ―バブォオオオオオオオオオオ! おっほおおおおおおおおおおおおおおおおおおお)

 

 貴樹は失禁しかけた。が、辛うじてこらえ、ふらふらと後ずさってから、何とか木椅子に座り込む。この世界に来てから多々、自分の表面にまで素の感情が漏れ出てしまうことがあるが、この瞬間のものはこれまでで最大だった。

そこにいる人達のほとんどを、彼は既に知っていた。

 

「君達の印象を訊きたい。この男は、どれほどの力を持っているか」

「ウーム、このほぼ全裸の男をか?」

(ジ―クバルドさあああああああああああああん! きゃああああああほんものおおおおおお)

「そうですね…。体は相当鍛えていると思います」

「……」

(アンリちゃあああああああああああああああん! ホレイスううううううううううう。マジか、さいこうおおおおおおおおおおおおおお)

「初対面で、実力を判断しろ? 無理だ。私は別にその方面の専門家じゃない。これだけなら、ただの変人にしか見えない」

「…同意見だ」

「できれば、ちゃんと服を着てほしいんですが…」

「俺はこのためだけに呼ばれたのか。ならもう帰っていいかな。腐るほど研究しなければならないんだ。君達のためにね」

(カルラさあああああああああああああん、ユリアさあああああああああああん! はあはあ、やべえよマジやべえよ。オラもう我慢の限界。抑えないと、とにかく抑え、んああああああああああああシ―リスちゃああああああああああああん、オ―ベックうううううううううう!)

 

 鼓動の音で、頭が痛くなりそうだった。これだけの顔触れの前で粗相だけはしないよう、あらゆる自制心が働いている。有名な絵画の中に入り込んでしまったような、不思議な感慨が彼の高揚を維持し続けた。

 坊主頭で、目尻と口が吊り上がった、いかにもな悪人顔の男が胡散臭げに貴樹を見据えた。

 

「他の灰達は皆鎧を着てるのに。怪しいぜ。こいつ、勝手に紛れ込んだ亡者じゃないですかぁ?」

(パッチは死ね)

 

 貴樹は平静を取り戻せた。

改めて見てみると、明らかに場にそぐわない集団がいることにも気が付いた。その者達は全員同じ装束を身に付けている。上に尖り、ちょうど目上のあたりで周りに裾を広げた鉄兜に、片側に赤いスカーフを留めた年季の入っている鎧。手甲も足甲も細身に作られていて、機動性に優れていそうだった。

 

(なんで、ファランの不死隊がここに?)

 

 またの名を、深淵の監視者。

 

(皆さん、手ごろな薪が側にいますよ―。いや、待て。こいつらが狼血の騎士っていう事か。不死隊の中の、火継ぎ肯定派って所だな。こいつらまで味方に加わっているのか。面白い)

 

 騎士達は、特に言葉を話そうとしなかった。貴樹という存在に一切の興味を抱いていないようだ。

 

「ミレーヌ。彼の所見を教えてくれ」

 

 シフが騎士の一人に呼びかけた。その中で最も小柄であるものの、貴樹に迫る身長の者だ。兜を脱ぐこともなく、ミレーヌと呼ばれた者は答える。

 

「…この男からは何の力も感じられない。とてもグンダが認める程の男とは思えないわ」

 

 くぐもっていても、女性の声だとはわかった。

 

「これなら、隊の六人の誰でも、苦もなく殺せる」

「クク、おい七人の間違いだろ? 騎士様」

 

 パッチが割り込んできたが、狼血の騎士全員が同時に見下ろしてきたので、両手を挙げながら後ずさった。

 

「口を閉じなさい、薄汚い泥棒が」

「おうおう、わかったよぉ」

(やっぱりこいつは嫌われてるようだな。ぷぷぷ、ざまぁ。お前なんか他の方々に近付くんじゃねえ。特に女性陣)

 

 ルドレスが列の一番端に立っているグンダへ目を向けた。

 

「君の意見と、随分食い違っているようだ。単純な近接戦闘において、この中で右に出る者がいない君に匹敵する実力があるとは、私も信じられないでいる」

「我輩は、己の目で見たままを言っただけである。だが、ンン、すまなんだタカキ。結局ごまかしきれなかったぞ」

(やけに隅で落ち込んでいるかと思えば、俺との約束を気にしてたのか。やだ、ちょっと可愛い)

「あ―、いえ。僕の言い方が少しまずかったみたいですね。この場にいる人には、別に知られてもいいんですよ。ただ、生徒達には黙っていてほしいだけで」

「ム、そうなのか。何だ、別の理由をどうしようか考えるだけで精一杯だったが、心配は杞憂だったな。よかった」

「ええ、おかまいなく」

 

 二人で笑い合っていると、ルドレスが気を取り直すように言ってきた。

 

「つまり、グンダの言ったような力は、君になかったということかな」

「そうじゃないです。グンダさんの言葉は正しいんです。だから僕一人だけ、何とか生き残れたというわけです」

「ヨルシカ、シフ。彼の言葉を信じるか?」

「確証がない」

「あまり、信じられませんね」

 

 一言で片づけられて、貴樹は少しむきになった。興奮自体は落ち着いてきた代わりに、この人達にちゃんと認められたいという欲求が湧いてくる。

 椅子から立ち上がり、彼は集団の視線にたじろぐことなく言った。

 

「グンダさんの証言だけじゃ足りないなら、誰か僕と戦ってみてください。それを皆で見れば、本当かどうかわかります」

「ふむ。そこまで言うのなら、納得のいく形で収めたいと思うが。誰を相手にすればいい。やはりグンダともう一度戦ってもらうのがいいかな?」

「はい、それで」

「―――私が」

 

 決まりかけていた所で声を上げたのは、漆黒の長いスカートに甲冑という奇妙な出で立ちをした、白髪を背中に流している女性だった。

 

「ユリア、君が?」

「はい。確かに灰は、これからの可能性に富んでいます。しかし、今はただの捨て駒にしかなりません。それをまだ理解していないこの男は、正直気に入らない存在です。今のうちに実力差を理解させるのが必要でしょう。グンダを出させるまでもない」

(え? ちょっと)

 

 貴樹は予想外の展開に戸惑った。

 

「すみません、それはやめていただきたいというか」

 

 ユリアは、冷たい眼差しを向けてきた。

 

「何だ。ここに来て嘘をつくのが怖くなったのか」

「いや―、というより、その、心配なのはそうじゃなくてですね。えっと、まだ僕は手加減できないというか、グンダさんくらいなら思いっきりやれるんですけど」

 

 ユリアの周囲が、青白く光り始めた。それを見た周りの者がさりげなく彼女から遠ざかる。ヨルシカが仕方がないという表情で、首を振っていた。

 

「…それは、つまり、私が貴様よりも劣っていると言いたいわけか。使命を伝えられただけで舞い上がった弱者め。その驕りが身を滅ぼすことになるぞ」

(あれ? ユリアさんってこんな性格だったっけ。初めて会うときは必ず好意マックスのはずなんだけど。私の全てをあげるって言ってくれるのに。ヨエルから暗い穴を貰ってないから、あんなツンツンしてんのか)

「違うんです。優劣とか、そういう問題じゃなくて。ただ、ユリアさんの体が心配なだけで」

「気安く名を呼ぶな」

 

 ユリアから放たれた小さい光球が、貴樹の眼前で弾けた。思わず目をつぶったが、体には何の衝撃もない。

 目を開ければ、いつの間にか他の皆が一斉に、周りの椅子を部屋の端へとどかし始めていた。そのぽっかり空いた中央の空間で、貴樹とユリアが向かい合って立つ形になる。彼女と戦う準備は万端なようだった。ユリアが木剣を手に持った所で、ルドレスが説明を始める。

 

「勝敗がつくのは、どちらかが降参した時か、続行不可能と認められた時だ。ユリア、灰といえど彼を殺すのは禁止する。味方同士でなど無益だ」

「わかりました」

「タカキといったな。君から望んだこととはいえ、初日からこうなってしまったのは私としても遺憾に思う。何か望むことを言いたまえ。勝敗に関係なく叶えるよう、尽力しよう」

 

 その言葉に、貴樹は己の意識が切り替わるのを感じた。

 

(マジッすか)

「じゃあ、一つ、いいですか」

「できることなら、何でもいい」

 

 深呼吸してから、望みを口に出した。

 

「皆さんと、握手させてくださいっ!」

(わわわわわわわ、言っちゃった言っちゃった)

 

 固唾を飲んで見守るような空気が、一瞬停止した。

 

「…握手?」

「ええ、その、記念としてですね。ここにいる全員に挨拶しておきたいんです。互いに手を握るのが、僕のいた国での挨拶でして」

「挨拶…」

 

 何となく拍子抜けした雰囲気になった所で、ユリアが剣の先を貴樹に向けてきた。

 

「貴様も剣を握れ。口だけの実力があるか、精々示して見せろ」

「できません。さっきも言ったと思うんですけど。武器は持てないんです。だから、このままで」

 

 彼女の目が、さらに鋭くなった。

 

「どこまで侮辱すれば気が済む。私だけは、貴様などと手を握ることはしない。己の力を過信し際限なく図に乗る矮小な男など、挨拶する価値もないだろう」

(ぷっつ―ん)

 初めの方はなるべく慎ましくして行こうと考えていた彼は、早くも予定を変えることにした。表情筋を一段階緩め、仕方なしと息を吐く。

「ルドレスさん、条件の追加をお願いします。僕が勝った場合、さらにもう一つ望みを叶える権利をください」

(ツンだらけのユリアさんも可愛いけどさあ。いやほんと。兜の下はブスとか書き込んでた奴らに見せたやりたいよ。でも、ちょっとねえ。さすがにここまで言われちゃったら、俺の実力を見せてあげるしかないよね)

「内容は」

 

 今この瞬間の貴樹の思考は、下心満載だった。

 

「ユリアさんの全てを、僕にください」

「何」

 

 ユリアが驚いた様子で木剣を下ろした。

 

「タカキ、それはどういう意味かな」

「まんまです。まずは僕に対する呼び方を貴公か、貴樹様に変えてもらいます。他に僕のどんな指示にも、従わなければならない義務が彼女に発生します」

(決して、これは浮気ではない。ひもりんが一番なのは決まってる。でも、ちょっとだけ。この人のスリ―サイズを調べるくらいなら、許されるはず。ムフフ、鼻血でそ)

 

 変態である。 

 

「ふざけるな! そんな下卑た要求など」

「まだ、追加条件があります」

 

 貴樹は内心ほくそ笑みながら、ユリアの元へと近づいた。彼女の剣が届くギリギリの場所まで行くと、目をつぶって両手を頭の後ろに組んだ。

 

「最初の一撃は、あなたに譲ります。こうして僕は無抵抗でいますから、遠慮なく叩き込んでください」

 

 彼女は文句を言いかけた口を止め、再び剣を握りしめた。

 

「何だと…」

「一番納得できるやり方かなって。これでその後も続けるべきか判断ができるでしょう。ここにいる皆なら、実力差を測るのは簡単なことです」

「無抵抗の相手を、攻撃しろというのか」

 

 病的にまで青白いその頬に、朱が昇ってくるのを彼は見た。躊躇う言葉とは裏腹に、挑発に上手く乗っている。もう一息で動かせそうだと判断した。

 手加減しようと思いながらも、貴樹は得意技を繰り出す。

 

「あっ、すみません。これじゃあ対等じゃないですね。僕が負けた時も、貴方は何かを要求できることにしましょ。それがいい。何かありますか?」

「…」

「何と、望みがない。それは無欲で見上げた人ですね。でもでも、このまま自分から名乗りを上げた勝負から降りるっていうのは、どうなんすかね。これじゃまるで、負けた時のことが怖いから辞退したとしか考えられないな。う――ん、悩ましいです…」

 

 そうして、眉間に指を当てて大げさにポーズを取る。薄ら目を開けて、彼女の剣がピクリと動いたのを見た時、勝利を確信した。

 

「…私が勝った時は、二度と視界に入らないことを約束しろ」

「ユリア、本当によろしくて? 一度冷静になった方がいいのではないですか」

 

 ヨルシカが半分くらい面白そうにして止めに入るが、貴樹の虫唾が走る煽りを受けたユリアは、もう引き返せない所にまで来ていた。慣れている実の妹ですら耐えられないのだから、仕方のないことである。

 

「総長閣下。これは一種の教育です。哀れな男に、現実を教えるためのものですから。問題ありません」

 

 ユリアが構えた所で、ルドレスが開始の口上を述べた。

 

「ではまず、ユリアが一度攻撃を行った後に、両者の戦いを始める。これで皆異議はないな」

(はい勝った。獲ったわ。早くも一人ゲッチュ~。本当はちゃんと忠誠を勝ち取りたかったけど、力で屈服させるもの悪くないね。さっそく息子がビンビンだよ。いやあ、これからの生活が楽しみだなあ…)

 

 定められた勝利に、貴樹は天狗に成りきっている。グンダの拳でさえ平然と受けられたのだから、あの木剣で叩かれたとしても何の痛みもないと思っている。そして全く効いていない様子に呆然としたユリアを、優しく紳士的に気絶させるというのが、彼の考えだった。意識の断絶方法は幾通りも習っているので、相手の体を傷つけることなくこなすのは容易だ。

 目をつむったまま、先への渇望をたぎらせた。

 

「始め」

 

 ルドレスが言い終わると同時に、ユリアの木剣は風を切った。

 その剣先は正確に貴樹の顎へと直撃し、脳に多大な衝撃を与えた。何かしらの反応を示す間もなく、彼の意識は消失する。女性とは言え熟練の戦士の一撃を受けた体は、一瞬でバランスを崩し、剣撃の流れた横方向へと転がった。地面についてもまだ勢いは衰えず、側面を擦りながら、端に寄せられた木椅子に突っ込んでいく。盛大な音を立てて、彼は椅子の中に埋もれた。

 また性質の違う沈黙が流れた後、グンダが首を傾げた。

 

「おかしいな。こんなはずでは」

 

 直前まで、散々自信のある素振りを見せていた貴樹は、口の端から涎を垂らしながら伸びきっていた。少しだけ幸せそうに見えるのは、勝った時のあれこれを想像していたせいだろう。

 勝敗は、確かにすぐついた。

 ルドレスが一度咳払いして、言った。

 

「とにかく、この者を個室に運んだ方がいいだろう。ユリア、すまないが頼む」

 

 言われた彼女は頷き、すっかり呆れ果てた様子で、転がる貴樹を見つめた。

 

「弱い」

 

 それは、この場にいる全員が思っているに違いない。

 自業自得である。

 

 

 

 

  ◆

 

 

「おい、気のせいかもしんないけど、実織さんお前の事見てないか?」

 

 誰もが、先ほど聞いた説明で浮足立っている時だった。広間に戻ってきた生徒達は、それぞれいつものグループに固まって、盛んに話し合っている。そこだけが普段の学校生活と変わらない。下田は、何となく不思議な感慨を抱いていた。

 目の前の篝火は、一向にその勢いの衰えを見せない。ぼんやりと火にあたっていると、自らが一度死んだということが、嘘みたいに感じられた。

 

彰浩(あきひろ)くーん? 俺の声届いてる?」

「大丈夫、聞こえてるって」

「お前やけに落ち着いてんな。その冷静さを俺にも分けてくれよ。さっきからトイレに行きたくてたまらないんだ」

 

 下田はもの思いを断ち切って、横にいる友人を見た。

 

「場所、訊けばいいじゃん。あそこに立ってる人に」

「いやいやいや、さすがにそこまで度胸ないよ。あの人仮面みたいのかぶってるけど、絶対美女だろ。緊張しちゃうんだよね、そういう人の近くって」

「わかるの? 目って結構重要な部分だと思うけど」

「わかってねえな。美は、体を表すんだ。見てみろよ、あのいい感じにくびれた腰、あれは絶対脱いだら化ける」

「そんなことばっかり考えてるから、モテないんじゃ」

「お前もな。女子にぬいぐるみ扱いされるくらいで喜んでるようじゃ、その先なんて一生たどり着けないぜ」

「身長は、伸びてるから」

「ほ、そうでございますか」

 

 草野とは、中学からの付き合いだった。環境の変化に戸惑って馴染めずにいた所に初めて話しかけてくれた、なんてありきたりなきっかけなどなく、席が隣だったからとか、偶然同じ委員会に入ったとか、そうした接する機会が増えるうちに話が合い、仲良くなった。他にも緩い関係の友人はいるが、一緒にいて何の気づまりがないのは草野だけだ。

 そんな、彼も。

 下田は思い出す。

 そんな彼も、逃げ惑っているうちに、あの鎧の戦士に殺された。その表情が苦悶に歪み、首から下がなくなった顔が宙を舞うのを、はっきりと見た。見てしまった。自分もひどい恐慌状態に陥っていたはずなのに、そこは明瞭に記憶している。子供の頃、指の隙間から母の借りてきた戦争映画を見た時よりもずっと、凄惨な光景だった。

 自分は、まだましな方だと思う。目の前に刃が迫って、気がついたら死んでいたのだから。しかし、違う人もいたはずだ。周りがどんどん殺されていく中で、嫌だ嫌だともがきながら、潰された人もいたはずだ。あれは夢だと言い聞かせても、心に深い傷が残るに違いない。

 なのに。

 

「そうだそうだ、話したかったのはそれじゃないや。すぐ脇にそれるわ、ほんと。…真面目に聞くんだけどよ。お前、実織さんと何かあったの?」

「えっ、なんで?」

「だから、さっきからずっと見てきてんだって。俺の方かと思って手振りかけたけど、よく考えたらお前だった」

 

 振り向くと、確かに一人の女子生徒がこちらを見てきていた。下田と視線が合うと、実織はかすかに笑って、近づいてきた。

 

「ちょ、ちょ、マジで? 隣にいるの新宮だよ。やっべ、クラスのツ―トップビュ―ティ―が来る…」

「その変な称号、聞いてる方も恥ずかしいよ」

 

 興奮する草野を諌めようとするものの、自身も緊張していた。実織は、担任である貴樹の妹だけあって、大概の男子が魅力を感じる容姿をしている。髪は思わず触ってみたくなるほど綺麗に手入れされていて、完璧な曲線を描いた柳眉の下には大きな瞳が宝石のようにいつも輝いている。絶えず多くの人に囲まれて、いるだけで教室の雰囲気が明るくなるような存在だ。

 どちらかと言えば、そんな彼女を離れた席から眺める立ち位置にいたのだが、今の特殊な状況では少しだけ違った。

 

「ちょっといい? 話し中だったら悪いけど」   

「全然全然大丈夫。むしろ暇すぎて吐きそうになってたとこ」

 

 彼女に付いてきた新宮が、可笑しそうに言った。

 

「草野君に用があるわけじゃないよ」

「え、そらあないっすよ。俺も会話にまぜて!」

「相変わらずだね。いつも元気」

「それは、健康な男子として当たり前です」

「?」

 

 新宮が不思議そうに瞬きした後、実織が溜息をつく。

 

「はいはい、あんたはもう黙って。話が全く進まない」

「難しいな。美人との会話って、できる限り長く味わっていたいだろ」

「はいはいありがとう」

 

 下田は、黙って三人の会話を聞いている。この友人は、グループの垣根を気にしない。どんな人とでもある程度上手く会話をこなすことができる。その社交性は素直に尊敬でき、また羨ましくも思っていた。

 実織がこちらに向き直り、真っすぐ見てきた。

 

「急にごめんね。遅くなって自分でも酷いと思うけど、お礼を言いたくて」

「お礼?」

 

 彼女はやや気まずそうに、斜め上に視線を向ける。

 

「ほら、あの時。私がやられそうになってたのを、助けてくれたよね。その後かけてくれた言葉も、すごく勇気が出たんだ。ありがとね」

 

 つっかえるな、と念じても、口は上手く回らなかった。

 

「僕は、えっと、その時は何も考えてなかったし。偉そうなこといっぱい言ったかも…」

 

 否定してみせると、さらに真剣になって返してきた。

 

「そんなことない。私、びっくりしたんだから。下田が、その、あんなに度胸があるなんて」

「でも、結局僕は殺されちゃったから。礼を言われることなんて」

「けど私は、本気であれで感動して」

「は―い。ちょっと声大きいよ二人とも」

 

 新宮が間に入り、二人の胸を手で押した。その顔は楽しそうににやけていて、放っておいてこのままどうなるか見てみたいという、少し悪戯っぽい感情も含んでいる。

 

「実織、焦っちゃ駄目だよ。それだけじゃないでしょ? 下田君にしてもらったこと」

「わかってるよ」

 

 草野が、好奇心丸出しの様子で下田に説明を求めているが、答える余裕はない。少し強い口調で言い返した彼女の横顔を、何となしに見つめていた。鼻筋の通り具合が、お兄さんと似ているなと思う。

 彼女がこちらを向いてくると、微妙に視線を外した。

 

「それで、あ―、紗奈が話してくれたんだけど、私の腕の傷も治してくれたんだって? すごく深く斬られた感じだったのに。血なんかもいっぱい出てさ。私の炎と同じように、下田も不思議な力が使えるんだね」

「それでも、み、実織さんも結局死んじゃって…。だから、意味がないと思う」

 

 彼女は苦笑する。

 

「言ったらおしまいだって。謙虚だなあ。それでも、私の命を二度も救ってくれたことには変わりないから。―――本当に、ありがとう」

「あ、私からも。感謝してるよ」

 

 新宮にも言われたので、いよいよ彼は言葉に詰まった。普段なら、彼女達と話して何かに感謝されることなど、絶対にない。むずがゆい感じがして、どうしようもなくなった。

 実織に後ろから抱きついた新宮が、その頬を指でつつく。

 

「何だか実織、いつもどおりになったね。ここに飛ばされたばっかりの頃は、ずっと無口だったのに」

 

 続く話題がなくなるのを恐れた下田は、その話に便乗した。

 

「きっと、お兄さんのおかげだよ。すごく仲良い雰囲気だった。抱き合ったりして」

「待ってそれ以上――」

 

 失言に気づき、慌てて言葉を止めるも、既に遅かった。

 

「ねえ、それ、詳しく聞かせてくれない?」 

 

 両肩を、目を爛々と輝かせた新宮が掴んでくる。心地いい香りが鼻を包んで、くらりときた。

 

「抱き合ったって、先生、下着だけだよね。この子の体が、あの筋肉質な胸に受けとめられたってことだよね。きゃあっ、どんなこと話してた? 下田君、聞こえた範囲だけでも教えて」

 

 教室内での優しい様子とは違っている。実織のこととなると、冷静さを失うのは本当だったらしい。実織と並んでよく男子達の話題に上る顔が目の前に迫っても、怖いという感情が先に立った。

 

「大げさよ。そんなに大した話はしてないから。ちょっと相談を聞いてもらっただけで」

「でも、二人で一緒に洞窟の奥に入っていく所は、かなりそれっぽかったよ。日ごろから観察してて思うんだけど、きっと先生の方は家族として実織のこと好きだとは思うんだ。けど、逆となるとねえ。ブラコンを超えた何かがあると、思っちゃうよね―」

「は、はあっ? あんたって勉強はできるけど、馬鹿なんじゃないの? そんなわけっ…。そもそも、別に仲良いってわけじゃないし。あんな奴なんか」

 

 え? と見事に下田、草野、新宮が同時に疑問の声を上げた。

 

「いや―、それはないと思うっすよ」

「家族が仲良しなのは、良い事だと思うけど…」

「ふふふっ、実織は可愛いなあ。そんな典型的な照れ方しなくてもいいよ?」

 

 実織は頬を紅潮させて、叫んだ。

 

「だから、違うって言ってるでしょ!」

 

 ちなみに、この顔が赤くなっているのは、指摘が図星だったからではなく、ただ憤慨のボルテージが上がっているだけである。むきになればなるほどまともに取り合ってもらえないとはわかりつつも、あんなおぞましい兄的汚染物質に好意を抱いていると誤解されるのは、拷問に等しい。普段の演技が完璧すぎるのも、考えものである。

 そうした悲しい彼女の姿を、下田は素直に可愛いと思った。新しい一面を見れた気がした。誰だって、家族に真正面から好きと言うのは恥ずかしいものだ。そう、納得している。

 

「違うのに。あんな奴、あんな奴…」

「うんうん。そうですねえ。じゅるっ、もうほんとに可愛い。食べちゃいたい…。ちょっとむこう行って、落ち着こうね―」

 

 肩を抱き、頬と頬をほとんど密着させた何となく友情の壁を超えていそうな姿勢で、彼女達は篝火から離れて行った。新宮がさりげなく実織の腰を撫でているが、本人は上の空だった。

 カッと目を見開き、その様子を凝視している草野は、しみじみと言った。

 

「距離感の近い女子って、いいな」

「…うん」

 

 否定できないのが、何となく悔しい。

 彼女達二人は、戻った先ですぐに目立つ男子達に囲まれる。その瞬間から別の世界の人間になった気がして、下田は安心したような、少し寂しい気分になった。これが当たり前だと言い聞かせて、考えが余計な部分に及ぶのを防ぐ。

 それから間もなく、沈黙を保っていた火守女が、生徒達の集団の中心に近付いてきた。まるで合図だったかのように、話し声が小さくなっていく。彼女自身、押しが全くない控え目な印象だったが、どこか不思議な存在感があった。

 火守女は、ここにいる人全員の顔を一つ一つ確認するように見回して、

 

「今日はもう、体を休めるように言われていると思います。ですが、その前に、一つだけ確かめておかなくてはいけない事があります」

 

 と言った。目が隠れているのに、健常者とまるで変わらないのが不思議だ。彼女は、誰がどこにいるのか正確に把握しているようだった。その認識の世界はどのようになっているのだろう。

 

「火守女には、貴方達の内に宿るソウルを操る力があります。伝承ではこのソウルによって、火の無き灰は成長を遂げるされているのです。灰の方々、どうか私が貴方達の器に触れることをお許しください。現時点で宿るソウル量を測ります」

「あの、そのソウルって」

 

 生徒の一人が尋ねようとしたが、宇部が舌打ちして早口に遮った。

 

「このゲームの、金とか、経験値みたいなもんだよ。それでレベルアップしたり買い物するんだ。そんな初歩のことわざわざ言うなよ。進まねえだろうが」

 

 言われた男子生徒は、委縮して黙った。さも当たり前のように宇部は話しているが、知らない人の方が多いだろうと下田は思った。下田もこの世界に来て初めて、ダークソウルの名前を聞いたのだ。しかし、はっきりと反論する人は現れない。

 国広が、礼儀正しく手を上げて尋ねる。こういう時、躊躇いなく発言できる彼は貴重だ。

 

「ソウル量をはかって、一体僕達に何の意味があるんですか」

「申し訳ありません。私からも詳しいことは言えないのです。灰達はソウルの扱い方を自然と理解するという節しか伝わっていません。…一人ずつ、私の側に来てください。できれば頭を手の届く位置まで下げていただけると、助かります」

 

 またわからないことが出てきた。その他大勢と同じく、下田はその曖昧さに躊躇し、なかなか足が出ない。このような場面で行動できるのは、やはりゲームを経験している者だった。

 宇部は真っ先に火守女へと近づき、その後を慌てて丸戸が続いた。

 

「やってくれ」

 

 怖がるどころか不敵に笑みさえ浮かべて、宇部が片膝をつく。クラスで女子人気が一番なのは国広で変わらないものの、彼女達の好みによっては、宇部の方が騒がれている時もある。大胆な所は確かに、真似できないと思う所だ。多少柄が悪くても、女子にとってはプラスになることもあるのだ。交友関係も幅広い。

 

「失礼します」

 

 火守女が右手を宇部の頭上にかざし、意味の取れない言葉を唱え始めた。すぐにその周りが発光し始め、光の筋が彼の全身を覆っていく。異常な現象にも慣れ始めていた生徒達は、そんな様子を黙って眺めていた。

 やがて輝きが収まると、彼女は一歩下がって淡々と言った。

 

「貴方には300ソウルが宿っています。では、次の方お願いします」

「おい待てよ。それだけか。レベルアップはできないのか?」

 

 宇部に問いかけられた彼女は、やや間をおいた後、頭を下げる。

 

「申し訳ありません。他の全員が終わるまで待っていてください。変化が訪れるのに、多少の時間がかかることもあります」

「ちっ、わかったよ。いまいち要領得ない奴だな」

 

 火守女から離れて行く宇部に、並び始めている生徒達が道を開ける。じっと息をつめていた丸戸が、そそくさと彼女の側に向かって行った。

 

「あいつ、なんか機嫌悪そうだな」

「そう?」

 

 草野が言ってくるも、下田は別の事に気を取られていた。国広と女子二人が前後で会話している。新宮が笑っているのが見えるが、実織の表情は見えなかった。

 

「見すぎ。お前、見すぎ」

「あ、いや。まあそうだね。むしろ、いつもどおりにいられる人の方が少ないんじゃないかな」

「流しといてやるか。それもそうじゃね。こんな体験、なかなかないよ。映画みたいだよなあ。正しくは、ゲームの中らしいけど」

「うん…」

 

 草野の弾んだ声に、どうにも納得できない部分を感じた。並んでいる他の人々を見ても、だいたいが友達と期待の隠さない様子で喋っている。まるで。下田は思う。まるで、皆で遊園地のアトラクションの順番待ちでもしている雰囲気だ。

 

「うげえ、なにあの手。グロくね」

「腕の方もさ、包帯取ったら傷だらけなんだろ。あんまり近づきたくね―」

 

 中には火守女の体の特徴を揶揄している者もいる。宇部と良くつるんでいる、高坂と砂川だ。場所が変わっても、誰かの陰口を言っているのは変わらない。

 火守女が伝えるソウル量は、人によってかなりの違いがあった。男子の方が平均的に多かったが、それでも最初の宇部に匹敵するのは、国広くらいしかいなかった。女子達の数値は、もっと低い。一番多い実織でも、二百に届かないくらいだ。火守女は途中で、ソウル量はその人の精神力に大きく影響されると言っていたが、この結果は何とも不思議だった。

 

「下田」

 

 呼ばれて見てみれば、実織が案外至近距離にいたので飛び上がりそうになった。

 

「な、なに?」

「そんなに身構えなくていいよ。さっきの話はもう終わり。下田のソウル量はどれくらいだったの? 私は196」

「えっと」

 

 そこで死体を嗅ぎつけたハイエナのごとく、草野が加わってくる。

 

「俺234。これってマジ戦闘力みたいだよな」

「あんたには聞いてないけど」

「こいつの数値、凄いぜ。なかなか記録に残るレベルだ」

「やっぱり」

 

 期待のこもった視線を向けられると、さらに口が開きにくくなった。にやにや笑っている草野の脇腹をつねってから、ぼそぼそと答える。

 

「…23」

「えっ」

 

 実織にくっついてきた新宮が思わずと言った形で声を上げた。

 

「私、下田君に八倍差つけちゃったよ。ごめんね…」

 

 男女の傾向を無視した例外の内、下田は悪い方のそれだった。

 

「別に謝んなくても」

「ここまでだと、ギャグだよな。普段からへタレな部分はあると思ってたけど、まさかクラス最下位を勝ち取るとは思え」

 

 実織に睨みつけられ、草野は口を閉じた。彼女はそのまま下田と正面から視線を合わせてくるので、彼は無意識に半歩下がりかけた。

 

「精神力がどうだのは、当てになんないみたい」

「実織、そこまで言っちゃう?」

「そうでしょ。だって下田がこうで、他の男子が皆高いなんて、おかしいもの。散々威張っておいて、普通に逃げ回ってた連中が、精神力うんぬんなんて笑っちゃう」

 

 聞いていた周囲の男子が聞き捨てならない様子で注視してくるが、言っている本人が彼女だとわかるとその反応は緩和された。美人って得だなと、下田は自分の目線とほぼ同じ高さにある彼女の横顔をこっそり眺める。ただ比較に出された自分は、かなり肩身が狭い気分だ。

 

「厳しいっすね」

「本当の事だもん。結局実際の行動でしか人の能力なんて測れないの」

 

 初めから打ち合わせしていたかのように、草野と新宮が顔を見合わせた。

 

「おやおや」

「やけに下田君を評価するね。もう、ひどいっ! 実織は私とお兄さん二筋だと思ってたのに」

「二筋って何よ。だから、あいつは別に普通だって。あんたのことも友達としてだからね。それに、私は別にそんなつもりで下田を」

 

 揺れていた視線が、何かを見つけたように、一点に固まった。

 

「何これ」

 

 急に変った彼女の様子に、尋ねようとする者はいない。彼らもまた、自分の視界に起きた変化を発見していたからだ。

 下田も、突然現れた浮かぶ文字に、目を奪われた。

 

 

・インベントリ

 

・固有能力

 

 

 印刷されたような角ばった字で、二つの項目が設けられている。「インベントリ」の上には、様々な器具がはみ出している道具袋が、「固有能力」の上には非常口の看板にあるような、白く型抜きされた人型の図形が表示されている。頭を左右に動かしても、それらはぴったりと付いてくる。

 ならば触れられるのかと、インベントリの文字を指先でつついてみた。

 

「わ」

 

 触れた部分が青く反応し、目の前の文字列が一斉に切り替わる。

 

 

・石 :二ソウル

・ボールペン :三ソウル

・三十センチメートル四方の布 :二ソウル

・釘 :一ソウル

・ライター :七ソウル

・輪ゴム :二ソウル

・水半リットル :九ソウル

・木板 :八ソウル

・握り飯 :十二ソウル

・白紙のメモ帳 :五ソウル

 

 

 このように、日常に存在してもおかしくないような物が何の規則性もなくずらりと並んでいる。指で縦方向に文字のあたりをこすると、どんどん下へとリストが流れて行った。かなり長いリストだったが、最後の物は「洗面器具 :二五ソウル」とあまりぱっとしないものだ。

 試しに「石」に指を置くと、全ての文字が円を描いて回転を始め、すぐ中心に寄り集まって、ぱん、と何かが弾けた音を出し、本物の拳程度の石が空中に現れた。周りが同じような音であふれる。やることは皆同じだった。

 リストの中にある物を、指定して手に入れることができる。下にある数字は、必要なソウル量だろう。先ほど言われた自分のソウルの総量から、この分だけ引かれる。本当に魔法のようだと感心しながら、今度は「固有能力」の方が見ようと思った。するとその思考に反応して、再び二項目の所に戻った。同じ操作を繰り返し、文字列が切り替わる。

 

 

「火の安寧」

 :概念的な火に触れている間、自身以外の全ての物体が動きを停止する。常時発動。

 

 *固有能力の強化には八千五百四十ソウル、進化には結晶の古老のソウル及び双王子のソウルが必要です。

 

 

 固有とついているのだから、内容は人によって違うのだろう。

 

「概念? 停止って…」

 

 彼は自分の能力についてあまりピンとこなかったので、草野の方を向くと、うんざりしたように指で空をはじいている。

 

「どうだった?」

「待て。今確認作業に追われてる」

 

 実織と新宮も、同じ動作をずっと繰り返していた。それ以外の生徒も、同様だ。

 

「そんなに時間かかるの?」

「インベントリとやらのな。量がおかしいんだ。とりあえず最後の方だけ見ようと思ってるんだけど、終わりの気配がない」

 

 下田は疑問に思い、自分のも確認してみた。確かに多いが、数回スクロールするだけで止まったはずだ。

 ようやく操作を終えた草野が、指を揉んで血を通わせる。

 

「これで、食料と水の心配はないな。銃があったのはさすがにびびった。弾薬を別売りにしてるのが、リアルだよな」

「銃なんてあったの? また嘘ついて」

「なわけねえだろ。二人もあったよな」

 

 下田の予想と違い、彼女たち二人は肯定した。

 

「ほんとだ。200で手に入れられるみたい」

「よかったあ。リンスもあるよ。髪長いと少しでもケアサボるのも駄目だから。心配が一つなくなった」

「そうなんだ…」

 

 どうやら自分よりも、周りの方がリストが長くなっているらしい。

 

「ちなみにお前の一番下の物なんだった?」

「洗面器具」

「うわ、それかなり最初にあった奴じゃん。あれなんじゃないの? 自分が貰える範囲の物しか、表示されないとか」

「ええ…」

 

 これでは、彼はかなり制限されてしまっていることになる。不公平だ。

 

「ま、必要になったら分けてやるから安心しろよ。火守女さんが途中で言ってたけど、外のモンスターを倒せば、いくらか得られるらしいし、そんなたいした問題じゃないだろ」

 

 人間も含めて、この世界のあらゆる生物にソウルは宿っている。それを搾取することができるのだという。ただし、その生物の命を奪わないといけない。生徒同士ではもちろん、味方側の全ての存在にそういった行為をするのは固く禁じられている。厳罰もありうるらしい。

 

「じゃあ、固有能力の方」

「シンプルな奴だった。相手の武器の軌道を把握しやすくなるとか何とか。実際にできるかどうか怪しい所だな。新宮達は?」

「呪術に高い適性を持つ。まず呪術は何っていう話だけど」と実織。

「私は、相手の詠唱を奪う? よくわかんない。強化ってあるけどまだ能力に伸びしろがあるってことかな」と新宮。

 

 草野はああと頷いて、自分の所を確認した。

 

「必要なソウルって、これも個々で違うんだ。俺は2391。お前は?」

 下田は首を傾げた

「8540。でも、進化って何だろう。強化とどう違うのか」

「進化? 何だそれ」

「だって書いてあるよ。しかも、ソウルも何かおかしい。名前付きで…」

 

 下田の言葉に疑問を示したのは草野だけではなかった。実織と新宮もまた、強化だけしか表示されていないらしい。自分の能力の事を説明すると、微妙な反応が返ってきた。

 

「概念的な火って、えらくわかりづらいな。そこらにある火じゃないってことか?」

「それって、とりあえずこれのことじゃない?」

 

 実織が何気なく燃え盛る中央の篝火に手を突っ込んだので、下田は呆気にとられた。

 

「…燃えてない?」

「これ、多分私達が知ってる火じゃない。熱はある程度感じるけど、触っても火傷しない」

「怖がらせないでよ。白魚の手が台無しになると思った」

「その表現は少し気持ち悪い」

 

 女子の掛け合いを満面の笑みで見ていた草野は、さて、と話を戻した。

 

「しかし使いどころがわからん。要は時間停止ってことだろうけど、篝火に触れてないと駄目なんだろ。う―ん、あんましエロいことには使えそうにないなあ」

「するつもりなんかないよ」

「進化ってのも気になるけど、ソウルがかなりレアっぽいよなあ。ゲームでいう、ボスを倒さないと手に入らない奴だ」

「そうなのかな」

「うーん、何となく、システムがわかってきたぞ」

 

 曖昧に、下田は相槌を打つ。他でも同じような話がいくつも聞こえてきた。互いに能力を見せ合って、まだ何も始まっていないのに優劣を付けようとする空気。彼は正直、能力の内容などどうでもよかった。この高揚した雰囲気に乗れない自分がいる。じりじりと落ち着かない焦りが大きくなってきている。

 四人へ、男子生徒の集団がやってきた。宇部や国広、その横で無駄に胸を張っている丸戸など、墓地で中心になって亡者を狩っていた人達だ。国広が相変わらずさわやかな笑みで、新宮と実織に話しかける。

 

「全員、能力が覚醒したことを報告したら、部屋を決めることになったよ。君達も集まってくれ」

「うん、わかった。わざわざありがとう国広君」

 

 その国広の横で、宇部が面白い冗談を見つけたような顔でいる。

 

「変な組み合わせだな。おい女子二人、ふさわしい奴と行動しろよ。もしかしたら、俺達と部屋一緒になれるかもしれないぜ」

 

 実織が無感動に言い返す。

 

「有り得ないでしょ。普通は男女別だっての」

 

 彼女たちの体を無遠慮に眺めながら、宇部は口元を歪めた。

 

「俺の能力が何か、言ってやろうか。身体能力が三倍になるんだ。しかも、強化していったらどんどん倍率は上がってくらしい。守ってほしいなら、今のうちに媚びとけよ」 

「紗奈、もう行こう」

 

 素っ気ない実織の対応に、肩をすくめてみせた後、突然宇部は草野の方を向いた。

 

「お前の能力は?」

「…」

「あ、さっき聞いたな。剣筋が読めるとかだっけ。まあまあ使えそうだし、覚えといてやるよ。それで、そこの、あ―、なんつったけ。下山?」

 

 待っていましたと言わんばかりに、取り巻きたちが一斉に笑った。

 

「下田! すげえ、俺良く思い出せたよ。てゆ―かお前だけ女子と同じ服装とか、うける。別に聞くまでもねえな。どうせ能力しょぼそうだし。本人と同じだ」

 

 また、嘲笑が湧く。国広が辞めるように言っているが、声はかき消されていく。草野は小さく舌打ちをし、新宮は虫けらでも眺めるような目つきで男子達を見て、実織は前に出ようとする足を宙ぶらりんにして、期待するように下田へ顔を向けた。

 だが、肝心の下田は、疲れたように溜息をもらし、草野に声をかける。

 

「じゃあ、先に部屋案内してもらってるから。おやすみ」

「おい、」

 

 引きとめる声も無視して、火守女へと歩いていく。その姿を、さらに宇部達は笑い合っていた。実織の軽く失望した視線が、実は一番堪えている。背中越しでも感じるほどに。言い返さないのかと。

 一応怒ってはいる。ただ、それは宇部達に対するものではなく、自分だけが周りから切り離されたような、やり場のない憤りだった。

 変わらない。何一つ変わっていない。何でもない平日に、教室で感じることと何一つ。皆一度は曲がりなりにも死んでいるのに、どうして平然としていられるのか。流れた血は本物なのに、どうしてゲームのような感覚で楽しんでいるのか。家に帰りたいとは、少しも思わないのか。

 自分は、狂おしいほどに思っている。こんな馬鹿げた悪夢から早く抜け出したい。いつも通りの朝を迎えたい。そして。

 

「母さん」

 

 呟くだけでも、焦燥感は募った。今じゃなくてもよかったのだ。数年前でも、二、三カ月先に起こってもよかった。現実でも同じように時が流れているのだと思うと、たまらない。今いる生徒一人一人の目を覚まさせてやりたい気分になる。

 さらに考えが実織の事に行きついた時、そこで疲労感がどっと出てきた。今日だけで色々なことが起こりすぎた。今ここで何ができるということもない。とりあえずの決着をつけて、彼はここの寝場所の柔らかさはどれくらいか、考えることにした。

 

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