火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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50.死にゲーの魅力

 背中に柔らかい感触を感じた。自分の部屋のベッドと似たようなもの。だが同じではない。材質というよりも、皺のずれやわずかにする別の香りが違いを強調している。少しだけ警戒をしながら、下田は目を開けた。

 机に頬杖を突きながら、リリアーネがこちらを見てきている。

 

「もう少し寝ててもいいよ。遠慮なく」

「姉様の部屋ですか?」

 

 彼女は立ち上がり、歩いてくる。ベッドに腰かけると、下田の体重も合わせたへこみができた。

 

「まあね。緊張してる?」

「そりゃあ、訳の分からない状況ですから」

「殺意を隠すのが、上手だね。できる自信もある。怖いなあ。私の方が、もっと緊張してるよ」

「休ませてくれて、ありがとうございます。戻っても?」

「だめ」

 

 つんと、下田の鼻を人差し指で突いた。

 リリアーネは大きく伸びをしてから、彼の手に触れてきた。最初の印象は、冷たいということだ。彼女には体温というものがあるのだろうか。肌は柔らかく、人間らしい感触だからこそ、尚更ちぐはぐな気がした。

 

「剣の技を、どこから習ったの?」

「姉様から」

「嘘つき。私が教える前から、完成されていた」

 

 自分の指を、下田は眺める。

 

「完成? お世辞はやめてください。まだまだ改善点はあります。未熟もいい所です」

「そこはどうでもいいとして、」

 

 手から腕、肩へと指先がなぞっていく。彼女は五本の指を広げると、下田の肩を軽く押した。抵抗せずに、そのままベッドへ倒れる。

 

「私の技と同じ。気持ち悪いくらいそっくり。誰から、それを習ったの?」

「姉様から」

「私の戦い方は、私が自分で磨き上げてきた。弟子なんかとったこともないし、貴方はずっと棺の中にいた。もし、貴方がその技を、私と全く同じものを、自分で作り上げたとしたら」

 

 やや早口でまくし立ててくる。彼女の吐息が、鼻にかかってきた。両手を下田の顔の左右につき、さらにベッドが沈み込んでいく。

 なぜ、彼女が興奮しているのか、下田には理解が及ばなかった。それよりも密着してこようとするのをやめてほしかった。ここは彼女の部屋で、彼女のベッドだ。それに目の前には本人がいる。挟まれていると、さすがに思うところがあった。

 

「それは、素晴らしいことじゃないかな。私達は、何か強い縁で、結ばれているのかも」

「何を言ってるのか、さっぱり」

「慣れないことを口にしてるのはわかってるよ。私だって、こういうのは初めてだから。頭が回んなくてさ。わかる?」

 

 リリアーネは起き上がり、部屋の中をうろつき始めた。熱そうに、顔を手で煽っている。下田はよく確認してみたが、別に室内の温度はちょうどいい範囲だった。目の前の女性の方がおかしくなっていることは明らかだった。

 今までと様子が違うのはどうしてだろう。やはり、本気でやり過ぎたのがいけなかったのか。こちらも調子に乗っていた部分はある。彼女の攻撃に、鏡のような対応をした。それはもはや、真似という段階ではない。彼女の技を、下田は愛していた。嫌だったが、心から尊敬していた。その感情が相手にも伝わっている。

 

「エルドリッチが、君に膿を入れたのは、警戒をしたからかな。いや、そんなことはどうでもいいか。今、大事なのはそこじゃないね」

 

 リリアーネは、自らの服の裾に手をかけた。

 

「提案が、あるんだけど」

「何ですか」

「私と誓約を結ばない? 黒教会に入れてあげる」

「意味が分かりません」

「気に入ったってこと。君をちゃんと育てていけば、王に、なれるかもしれない」

 

 こちらを向いて、艶やかに微笑む。

 

「王?」

「私達が仕えるべき存在。正しい世界の礎になるもの。私達は長い間探していた。それを見つけるのが、使命だったから」

 

 彼女のすぐ横に、何かが現れる。

 まず目につくのは巨大な甲羅のようなものだ。それを背負った腰の曲がった老人。一見そう思えるのだが、明らかに見えない部分の構造が人間離れしていないと、説明のつかないような形をしていた。蛇のように曲がった首が、下田の方へと向く。

 

「間違いありませぬ。この方の器には、何か特別なソウルが宿っております。おそらくその量も膨大」 

「ヨエルは、見逃したみたいだけどね」

「大王に惑わされたのでしょう。あの太陽の輝きに目がくらみ、真の器を見誤った。タカキという男は、あまりに傲慢が過ぎる。我等を導く使命には合わない」

 

 下田は、もうこの二体を殺すべきかどうか思案していた。この回は無駄になってしまうだろうが、この胡散臭い事態が進行しているのは気味が悪い。

 隣に立つ白い女性が、警戒をしているのも印象的だった。特に甲羅の男に向かって、鋭い視線を投げている。下田に向かって大きく首を振ってみせた。

 わかっている。相手がどんなことを言ってこようとも、信じてはいけない。

 

「僕だって、そんなものにふさわしくはないと思いますけど」

「ううん。そんなことないよ。自分をちゃんと見てごらん。もう膿が、顔に届きそう。そんなに浸食されていても、平然を繕えているんだ。君は、深淵に適合している」

「だから、思わせ振りなことばかり言われても、訳が分からないんですよ。適合しているから、どうだって言うんですか?」

「苛々しないでよ。君だって、共感できることだから。火継ぎなんかで、世界が良くなっていくと思う? あの仕組みは、神々が勝手に決めたもの。無駄な使命。そんなもの、失くしてしまえばいい。火が灯されず、闇がやってきたとしても、それが本来の世界の姿だよ。そこで私達が思うがままに支配をする。亡者の王の下で」

 

 そして、甲羅の男も続ける。

 

「カアス様の再臨を。かの偉大な世界蛇の悲願を叶えるのです。我らがともに歩んでいけば、新しい世界を創造することすら容易い。シモダアキヒロよ。お嬢様の誓約を受け入れるのです」

 

 線が、伸びていた。真っすぐ急所へと続く。下田はそれを認識してもほっといていた。なぜなら、自分に向けられたものではなかったからだ。

 リリアーネは、甲羅の男に何度も短剣を刺した。どす黒い血が床を汚していく。突発的な行動でもなんでもなく、彼女は初めからそうすると決めていたかのように冷静だった。

 

「寝ぼけたことを、言わないで」

「何、を……」

「ばいばい」

 

 男は、その場に倒れて消えていく。そこから出たソウルは、彼女に回収された。短剣の血を振り払うと、下田に向かった肩をすくめてみせてから、椅子に座る。

 欠伸をしてから、彼は尋ねた。

 

「何してるんですか?」

「この空間に、邪魔者はいらない。今は、私と君だけで話したいの」

「大丈夫なんですか。後が大変そうですけど」

「いいのいいの。まだ古い考えに縋りついている者もいるってだけだから。要は、君をただの道具にしたくはないってこと。対等な相手として、一緒に歩んでいきたいんだよ」

「まだ、わからないんですけど」

 

 リリアーネは再び立ち上がり、ベッドに近づいた。下田のすぐ横に腰かけて、彼の顔をじっと見つめた。彼女の目は、どこか吸い込まれそうだった。

 

「祭祀場の思惑から外れるには、相当の苦労が要る。ヨルシカとグウィンをどうにかするのは、難しいからね。でも私達と君が協力すれば、望みは繋がる」

「反逆するんですか?」

「別に元から、奴らの仲間になったつもりなんてないよ。最終的な目的も違ってるしね。相手もそれをわかってるから信用されてない。でも、君は違う。信用というよりは、ただ警戒されていないだけかもしれないけど、付け込める。でも、まあ、そんなことよりも」

 

 自分自身の髪に、手櫛を入れる。それだけで、リリアーネ本人の気配が濃厚になった気がした。下田の方へ、さらに顔を近づけてくる。

 

「言ったよね。気に入ったって。君がどういう経験を得て、そこまで到達したのか、じっくりと話してほしいな。もっと知りたいんだよ。私の欲を満たしてくれるかもしれないから。代わりに、私の事もちゃんと知ってほしい」

 

 手が、首から胸にかけてゆっくりとなぞられていく。彼女は服をつかむと、見せつけるように脱ぎ始めた。下着は身に付けていないらしい。素肌が晒される。

 

「どう思う?」

「良いんじゃないですか」

「それだけ?」

 

 自分の事を知ってほしいと思った理由は、何となくわかった。彼女の胸からお腹部分にかけて、大きな傷跡が刻まれている。醜くはなかった。それを付けた者の技量のおかげか、真っすぐで余計な力が込められていない。

 それよりもさらに特徴的だったのは、その傷跡の上に輪ができていることだった。淵が濃い黒で、淀んでいる。黒い輪。下田は、何度も見たことがある。亡者を解剖する時に、いつも目に入っていた。

 

「引き締まっているとは思いますけど、やっぱり理解できません。どうしてこういう細い体で、あんな馬鹿力出せるんですか」

「わざと?」

 

 リリアーネは下田の右手をつかんできた。そのまま優しく引っ張ると、自身の胸元に触れさせる。ちょうど輪の真ん中に。

 

「君はさ、死んだことある?」

「それなりに」

「じゃあ、亡者になったことは?」

 

 指先から伝わってくる弾力の方が気になっていた。離すべきかどうか迷ったが、彼女は真剣みたいだった。抑えてくる手の力も、結構強い。

 

「そんな経験があったら、今ここにいませんよ」

「私がかつてそうだったと言ったら、軽蔑する? この、ダークリングの事もちゃんと知ってるみたいだし。あえて指摘しなかったのは、わざと? 気遣いかな」

「どうして、貴方なんかを思いやらなきゃいけないんですか」

「でも、素直にはなった方がいいよ。客観的に見ても、醜いと思うし。だから、どう思うって訊いているんだよ」

 

 下田は頭が痛くなってきた。今の会話が、リリアーネの望みにそぐわないという理由だけで、長引かせられている。これからもたくさんやることがあるというのに、彼女の自己満足のために消費させられるのは、正直嫌だった。

 

「つまり、そのダークリングとか、傷跡の事を、悪く言ってほしいんですか? 自分が思っていることを肯定されたいんですか? だとしたら、残念でしたね。僕は、そんなこと少しも思ってませんから」

 

 今度は、彼からリリアーネの方へと近づいた。

 

「まず、貴方が目の前で脱いでいるということで、頭が一杯なんですよ。たかだか傷とか、黒い輪ぐらいで、台無しになるわけがない。別に綺麗だと思いますけどね。胸のあたりにも黒子があるのは、魅力的ですよ。言いたいことはわかりましたから、早く服を着てください」

 

 リリアーネは、悪戯っぽい笑みになった。下田の手を放すどころか、肩の方に押し付けてくる。少しだけ前かがみになって、上目遣いをしながら言ってきた。

 

「そういうこと言ってくれるの? 私、口説かれるの初めてかも」

 

 下田は身を引いた。その分だけ、彼女はさらに距離を詰めてくる。二人の移動で、ベッドが軋んだ。

 

「近いです」

「割と動揺してる。私も緊張してるよ。ほら、聞いてみて」

 

 彼女の動きは俊敏だった。もちろん、かわそうと思えばできただろう。しかし、目の前でわずかに揺れる胸や、伸びてくる腕を見ていると、抵抗する気持ちが中々出なかった。それに今の状況にあまりついてこれていないのは確かだ。

 抱き寄せられて、片耳が彼女の胸の中心に付けられた。ともに訓練をする中でかすかに漂っていた彼女の香りが、今や感覚全てを覆っていた。

 

「鼓動がしてるでしょ。これからも、たくさん聞くことになるかもね」

「離れてください」

「嫌なら、本気で抵抗しなよ。ま、続けるけど」

 

 諸共、後ろへ倒れていく。彼女の髪が下りてきて、頬にかかった。その隙間から、爛々とした目が下田を射抜いている。深い吐息が、下田の口を撫でた。

 

「目を逸らしちゃ、駄目」

 

 両の頬に手を添えてくる。もはや、リリアーネの顔と鼻がくっつきそうな距離までになっていた。彼女の唇の動き一つ一つが、はっきりと感じられる。

 

「どうして、こんな…」

「深い結びつきが、必要なんだよ。誓約がより強まる。私は、君に死んでほしくないし、どこかへ行ってほしくもない。ずっと、私たちの使命のために一緒にいてほしい。初めて? 大丈夫。きっとそんなに難しくない。協力して、いいものにしていこうよ」

 

 傍らで、白い女性が微妙な顔をしていた。見続けていいのか、迷っているようだ。下田と目が合うと、諫めるように首を振ってくる。だが、リリアーネが彼の下半身へと手を伸ばすと、慌てて姿を消した。なぜそこは気を遣うのか、下田には可笑しく感じた。

 そして、声にも出ていたようだ。

 

「面白そうだね。その笑いは、何?」

「なんだか、その、自分が情けなくて」

 

 下田は腕を伸ばすと、リリアーネの背中に回した。そして力を入れる。彼女は少し息を漏らしてから、降りてきた。密着する形になり、彼の顔が胸で覆われる。

 

「わ、積極的」

「やっぱり」

「ん?」

「危なかったです。直前まで、流されそうになりました。貴方の鼓動を聞くまでは。存在を、感じるまでは」

 

 下田は、吐き気をこらえていた。

 ゆっくりと腕を突き出して、リリアーネをどかす。ベッドから半身を起こすと、彼は溜息をついた。

 

「わりと、覚悟のいることだったんだけど。ここまできて、やめるの?」

 

 リリアーネは手で頬に触れてくる。耳にかかっている下田の髪を撫でた。くすぐるような、情を煽るようなしつこい撫で方だった。

 

「貴方という女性に、不満はないんだと思います」

「じゃあ、どうして?」

 

 彼女は子供のように目を細めた。その人間らしい行為に、下田の中の違和感はどんどん膨れ上がっていった。

 

「貴方の心拍の音を聞いて、変に感じたんですよ。いや、もちろん人間と同じなんですけど。違うんです。同じこと自体がおかしいというか」

 

 目が、興味深そうに続きを促している。

 

「だって、僕と貴方達は違うじゃないですか。貴方達は、人間じゃない。相容れない存在なので、こういう行為もおかしいと思います。変です。気持ち悪くないですか? そもそも、僕なんかとする価値なんてあります? そういうこと色々考えちゃって。気分が乗らないみたいな」

「難しく、考えないほうがいいよ」

 

 手が、首筋にまで下りてくる。

 

「君の事が気に入った。それで十分でしょ? これから長い間一緒に進んでいくんだし、もっと仲良くなった方がいいよ」

「何ですか、それ」

 

 リリアーネは、自分の胸に触れた。ダークリングを見せつけるようになぞった。

 

「火継ぎの解体。それは君達灰の命も、助かるということ。少なくとも利害は一致しているんじゃないかな。私達の使命を叶えれば、何もかもが上手くいく」

「使命」

 

 下田は繰り返した。次第にその言葉が頭の中で鳴り響き、耳障りな雑音を増やしていく。首を回して、その苦しみを紛らわせた。だが、目の前の彼女の事を考えると、さらに不快感は増大していく。

 深呼吸をしてから、彼女と顔を合わせる。相手の表情は、意表を突かれたようなものになった。

 喉を震わせる度、そこが熱くなっていく。

 

「使命、使命、使命、使命、って、鬱陶しいんだよ。皆その言葉を使えば、何をしても許されると思ってる。うんざりなんだ。どうでもいいんだよ。人間でもない化物どもが、一丁前に言葉を飾るな。むかつく。知らないよ。お前達の使命なんて知ったことじゃない。お前達の世界がどうなろうと、関係ない。勝手にすればいい。僕の使命を、教えてやろうか。こんなくそったれな世界からさっさと脱出することだ。お前たち全員を、ぶっ殺してから」

 

 すでにこの世界の住人の事を、同列には考えられなくなっていた。もう、どれだけ祭祀場の者達を殺しただろう。彼らを同じ人ではなく、ただのものだと考えるようになるまで、そう時間はかからなかった。そうすることで、下田の倫理観は守られていた。

 だが、目の前のリリアーネをそうと考えられるのかは、まだわからなかった。一度も、殺したことがないからだ。それでも、どうせ何とも思わなくなっていくのだろう。

 下田がはっきりとした殺意を向けても、彼女は身を引こうとしなかった。それどころか面白い見世物でも見ているような、楽しそうな笑みを向けてくる。

 

「フフ、でもさ、その言い分はおかしいんじゃない? 君はまるで、この世界の事を他人事みたいに言うけど。わかってるんでしょ。だ――――――――――――――――――――――――――――」

 

 ずきずきと、頭が痛んだ。ひびが入ったかのようだった。

 下田は喘ぐ。何度も呼吸をした。額に拳を叩きつけて、この苦痛を外へと追い出そうとする。惨めなうめき声も上げた。相手の声をかき消すように。

 

「やめて、ください。何も、聞こえません」

「だから、―――――――――――――――」

「わかりません。もっとちゃんと話してください」

 

 リリアーネは初めきょとんとしていたが、やがて大声で笑い始めた。今まで一番遠慮のない大きさだった。胸に手を当てながら、目に涙を溜めて声を出している。今までの回と比べてみても断然楽しがっている様子だった。

 

「うるさいです」

「ごめん、だって、君、クフッ、アハハハハハ。酷すぎる。逃避もここまで来ると、滑稽だねえ」

「喋らないでください」

「自分に都合の悪いことは全部消えてくれるんだ。便利ー。ねえ、本当にどんな経験をしたらそこまでになれるの? 前に会ったのは、イルシールの所だよね。そこからどんなことがあったの? 普通、こんな短い期間でそこまで頭がおかしくはならないよ」

「いい加減にして」

「ますます、欲しくなったなあ。君くらいの人がちょうどいいよ。深淵になじむためには、多少たがが外れてないとね。大好きかも、シモダのこと」

「ちかづくな」

 

 もう、我慢ができなかった。

 殺してもいいだろうという思考になる。インベントリから、月光の短剣を取り出そうとする。その動きを、リリアーネも認識していただろう。しかし、彼女はまた動かなかった。この部屋に近づく気配を、感じ取っていたからだろうか。

 

「リリアーネ、何をしている?」

 

 扉を開けて入ってきたのは、ユリアだけではなかった。おそらく、約束の時間を過ぎていたからだろう。心配してくれていたのか、実織もいた。そしてその付き添いなのか、新宮もいる。彼女たち二人にさらについてきていたのか、ちとせもいる。そして明らかに興味本位だけでついてきたのか、高坂もいる。

 下田は自分の顔を手で覆った。それは別に、羞恥からではなかった。

 一瞬の間の後、リリアーネがわざとらしく胸を隠した。なのに下田に対してはほとんどくっつくような距離でいる。

 

「まじかよ」

 

 気の抜けたような声が、高坂の口から洩れる。それを皮切りに、皆がそれぞれ気まずい反応を返してきた。ユリアだけが、平然としている。

 

「この灰達の対応が面倒だった。あまり時間はかけるな」

「もう終わったから、大丈夫だよ。君、意外と情熱的だね」

 

 頬を人差し指で突かれる。

 その指をつかみ、もう片方の手でリリアーネの体を突き放した。彼女は素直にベッドに倒れ込んでいく。それでもくすくす笑いは止まっていなかった。

 

「何もしてない。この人は、嘘ついてる」

「でも、流されそうになったとは言ってたけど」

 

 例えばここに自分とリリアーネ以外誰もいなければ、既に殺していたはずだった。この回が無駄になったとしても、雑音をこれ以上聞いていたくはなかった。

 ちとせの視線から、自分の顔を手で遮る。殺意の名残がある表情は、あまり彼女や他の生徒達に向けるものではない。相当、醜いものだろうから。積み重ねの中で研ぎ澄まされてきた憎悪は、敵にだけ見せるべきだ。

 ゆっくりと着替えているリリアーネを見る。

 何を企んでいるのかは興味がない。

 なぜなら、もう少しで、彼女は。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (4783億1219万9847)

 

 

 もう少しで。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (5316億3256万7864)

 

 

 これだと思った回では、演技をする。

 記憶にある限りでの、最初の週における自分を模倣する。

 一人では、亡者の集団にもかなわない、弱い自分を。

もちろん、誰かに戦闘の指南を請うこともない。修練上で、詠唱の反復を行わない。奇跡の実験体を探しに単独行動なんて、もってのほかだ。宇部に罵られながら、皆の後ろで支援をする。適度に怖がるふりをする。

 情報の優位性。

 下田は、敵の力量を把握している。反対に、敵は彼の全ては知らない。その差が、最も大事だった。どんな達人でも予想外のことはある。

 フォドリックまでは、自分の一番得意な戦い方を温存する。そして、術に頼る傾向があるということを、相手に印象付けさせる。魔術がなくては、決め手に欠けるという思い込みをさせる。

 フォドリックのとどめを刺し、下田は走る。周囲に五本の矢が出現する。同時に、沈黙の禁則が効力を発揮した。ここから先は、術に頼れない。

 片手剣をしならせ、斜めに回転をする。絶対にかわせない位置の魔術だけを斬り落とし、他は体をひねって避けた。

 武器が、破壊される。耐久値の限界。所詮は習作だ。数時間で拵えたものに過ぎない。

リリアーネへと接近しながら、インベントリから二本の短剣を取り出した。やはり、これだ。とてもよく手になじむ。家族よりも、多くの時間を共にしてきた。自分だけで打ち直して作ったので、愛着は相当ある。

 ユリアが割り込んでくる。一方で、フリーデが下田の死角に回り込もうとしていた。グンダが飛び上がる準備をしている。リリアーネは詠唱を続けている。

 やはり。下田は、自分の想像が正しかったことを確認した。

 ユリアの刀の一本目を破壊。月光を放ち、ヨルシカの魔術を相殺する。右手と左手を、別々の意識に担当させる。利き手はCに、もう片方はBに。残るAは、足の動きを担当した。必要最低限の動きで、相手の連携にはまらないようにする。

 そろそろだ。グンダが、本格的に参加してくる。彼の強みは斧槍のリーチの長さだが、三姉妹がいる中では容易に振り回せない。だから、彼は後回しだ。最後に殺す。

 線が交錯した。温度が微妙に異なっている。二人分の攻撃をいなす時は、その線が重なる部分を狙う。斜めに刃を傾け、腕の動きも連動させる。まともに受ければ持つ手ごと粉砕されるであろう攻撃も、受け流すことができる。

 前の、ジークバルド、シーリス、フォドリックの組み合わせよりも、劣っている所が一つだけあった。ずっと思っていたことだ。この四体の間には、確固とした信頼がない。だから、一人で戦う時と、複数と戦う時の差が、それほど大きくはならない。難しさが掛け算されていくことがない。

 本当の姉妹ではないということは、もうわかっていた。誓約の上での、家族という意味だろう。だがその意味を何よりも重んじようとしているのがフリーデで、一番軽く考えているのがリリアーネだ。彼女たち二人に挟まれているのが、ユリア。

 と、途中までは思っていた。

 惜しい。

 惜しい、惜しい。

 ユリアとフリーデの攻防は、噛み合っていない。どちらも、研ぎ澄まされた技術と、万物に愛されたかのような才能があるというのに、同時に戦うと、そうでもなくなる。

 最初、フリーデの事を恨んでいるのはリリアーネだと思っていた。そういう、言動が実際にあったからだ。

 しかし、正しい認識ではなかった。リリアーネは、正確にはフリーデに取りついた不純物を忌み嫌っていた。薫という存在を憎み、消したがっていた。カアスという、心酔の対象を殺したのも、薫なのだと。

 事実かどうかは関係がない。フリーデが傷ついた時のリリアーネの反応が全てを物語っていた。二人は、血がつながってなかろうと、姉妹であることは確かだった。

 だが、ユリアは、違う。

 おそらく、彼女の方が、フリーデ自体を恨んでいる。その根本的なことはわからない。知りたくもないし、興味もない。

 大事なのは、それが戦闘にも色濃く表れているということだ。

 グンダの動きも、連携を乱す要素になっていた。

 もちろん、それは普通の乱れではない。砂の一粒、細胞の一つ分だけ、最善からはみ出している程度の誤差だ。普通なら、乱れと認識すらされない。もし初めて戦うのなら、下田は何もわからずに、殺されていただろう。

 それを経験で覆した時の、

 

「実織さんに、懺悔しながら、死んでください」

 

 不可能を可能にした時の、

 解放感といったら。

 全能感といったら。

 快楽と、いったら。

 はっきりと表れた点に向かって、落ち着いて刺す。そこはちょうど、フリーデの首があった。彼女の鎌はぎりぎりで、下田に届いてはいなかった。

 うなじに向かう線が、温くなる。殺意の緩み。斬撃の鈍化。ユリアは、間違いなくほっとしている。やっと死んでくれたという思いが、滲み出ている。

 下田は既に、左の短剣を放っている。

 ユリアは反応できている。多少、不意を突かれた様子だったが、十分に短剣を弾ける体勢になっていた。

 月光の名を冠した、短剣でなければ。

 手から離れていても、つながりを感じる。常に自分の傍にあるような気がする。優れた武器には、意思があるのではないかと、本気で思っていた。長い時間をかけて、ようやく、本当の意味で所有者として認められたのだと、今、わかった。

 何様のつもりだ。

 下田は、短剣との間にあるつながりを、乱暴に手繰り寄せた。刃が薄く緑色に光る。ユリアの持つ刺突剣が当たる直前で、月光が四方に散乱した。

 斬撃を飛ばす時、下田自身の気力をごっそりと使う。いわば彼が燃料で、短剣が放出機関だ。しかし、短剣の方も燃料になり得ることが、今までの試行でわかってきていた。その刃自体に宿る魔力を利用する。

 無理やり解放させたことにより、短剣は暴れた。その無茶苦茶な軌道が、ユリアの予想を大きく外れて、彼女の胸に無数の斬撃を浴びせた。刃が放出に耐えられなくなり、爆発した。さらに彼女の体は斬り刻まれた。

 

「どうしたんですか?」

 

 グンダの斧槍をかわし、リリアーネへと踏み込む。彼女が二本に対し、こちらは一本の武器しかもっていない。手数で押され、下田の方にも傷が増え始めた。

 

「いつもみたいに、へらへら笑ったらどうですか?」

 

 リリアーネは無表情だった。何度もこちらの急所を狙ってくる。わりと怒っているらしい。かけた言葉にも、返事はない。

 彼女にとっては、今の彼はほとんど関わりのない者だ。ただの、姉妹二人を殺した仇。

 攻撃は苛烈を極めた。

 が、足りない。

 いつも模擬戦をしていた時のような、遠い感じはしない。

 なぜなら、彼女は別のことにも、意識を割かなければならないからだ。下田にずっと、沈黙の禁則をかけ続けなければならない。すでにわかっていた。その術は、効果時間が決まっている。常に更新をしなければ、いずれ終わってしまうのだ。

 だから、彼女は意識の一つを詠唱に当てなければならなった。戦っていて、よくわかる。彼女は二つの意識を使い分ける。下田のように、三つを扱うことはできない。

 ちゃり、と鎖の音がした。耳にした瞬間、頭を低くした。斧槍がすぐ上を通り過ぎる。

 その、かわした隙を、リリアーネは見逃さなかった。

 下田の右手が、飛ぶ。切断された勢いのまま、地面に転がる。残された一つの短剣が、彼から離れていく。

 不思議でならなかった。

 彼女は、大きな間違いを犯した。

 なぜ、首や他の急所を狙わなかったのだろう。武器を必要以上に警戒してしまった。もちろん、その判断をするのはわかる。安易にとどめを狙わずに、確実性をとったのだろう。まだ沈黙は効いている。武器も失くした下田は、もう何もできない。インベントリから予備を取り出す時間もない。

 リリアーネは、正確に首へ向けて短剣を振るった。

 一手。

 たった一手、彼女はわずかに外れてしまった。

 片足を前に出して、構えを作る。摺り足で即座に相手の懐へ入り込んだ。彼女の左手を無事な方の手の甲で弾いた。

 彼女の目はあざ笑っていた。だから? とでもいいたげだ。わかりきっていることだ。彼女は二本の武器を持っている。もう一方の短剣が迫ってきている。防ぐ手立てはないと、相手は考えている。

 ()()を、下田は構えた。

 鋭く息を吐きながら、拳を弾けさせる。散々習った正拳突きの形を崩さずに、真っすぐリリアーネの顔めがけて放った。同時に、彼女の短剣が首に突き刺さったのを感じた。その痛みや衝撃よりも、痛快な気分の方が勝っていた。

 彼女の体が、地面に叩きつけられる。背中を強く打っても、もがこうとはしなかった。既に、動ける状態ではなくなっていたからだ。

 手を彼女の潰れた顔から引き抜き、奇跡で浄化する。ついでに、完全ではない再生の助けにもした。いくら竜の力と言えど、斬られた右手を一瞬で完治させるほどには至らない。

 左手で、首に刺さった短剣を抜いた。奇跡の光に包まれながら、解放感に浸る。だが、達成感に包まれるのには早かった。叫ぶのは、我慢をした。

 グンダが突進をしてくる。そこへ向けて、魔術を展開した。

 既に、一対一だ。グンダの動きも、理解が進んでいる。姉妹達ほど素早くはない。体格差を生かして、低めに立ち回れば、倒すのは造作もないことだ。術の封印が全て解けた今では、戦いの選択肢が大幅に増えた。

 十数秒ほど経って、下田は限界が来た。そして殺された。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (5316億3278万7659)

 

 

「…」

「静かだな」

「…」

「二人ともなんか話せよ。寂しいだろ」

「考えてるんですよ。貴方は気楽そうでいいですね」

「いや、だから話せよ。俺らで話し合った方が、やりやすいだろうが」

「理に適ってるけど、話すことある?」

「…」

「…」

「…」

「ほら」

「グンダなあ…」

「特には。というか、どうしろっていうんだろう」

「まだ、たいして回数を重ねていませんし。別の方法も調べていきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

  (6098億4365万3428)

 

 

 ぱっと思いつくのは、目を狙うことだ。そこだけは装甲がない。覗く赤い目を潰してやれば、多少は、影響を与えられるだろうか。

 失敗。

 目をピンポイントに狙い、当てたとしても、グンダにはまるで効果がないようだった。目自体が傷ついている様子もない。ソウルの弾丸が、ただ砕かれるだけに終わった。

 ならば、関節部分だ。少しでも破壊することができれば、動きが鈍ってくれるだろう。目を狙うのは早計だったかもしれない。相手だって、自分の弱点を補強するくらいの考えは持っている。だが、複数ある関節部分の全てを完璧に防護するのは難しいだろう。

 失敗。

 そもそも魔術がまるで通らない。何本同じところに撃ち込んでも、融合させて派手に暴発させても、傷一つつかない。体の、あらゆる部分を狙っても、下田の攻撃は通用しなかった。グンダの攻撃は避けられるのに、倒せない。倒せないからその内殺される。

 その他に様々な角度で試行をした。グンダ自身の武器を使って、傷つけることも考えた。だが、どんな攻撃をしようと、相手には効果がなかった。

 下田は思い返す。貴樹が怒り狂って、自分達を殺そうとした時のことを。あの時、グンダが彼と戦っていた。勝敗はほぼ一瞬でついていたはずだ。グンダは、天井まで蹴り飛ばされて、突き刺さった。傍目から見れば間抜けな光景だったが、当人にはかなりの衝撃が来ただろう。

 それでも、次の日には平気で動き回っていた。いや、天井から抜け出した直後から、グンダはいつも通りの状態を取り戻していた。

 あの貴樹の攻撃でさえも、通らない。下田がいくら試行錯誤しようと、通用しないのは当たり前なのかもしれなかった。その硬さは、異常だ。彼には、急所というものが存在しない。今までの、首などを刺せば殺せていた状況とは、あまりにも違う。

 結局粘られて、下田がかわしきれなくなる。既にそれまでの戦いでかなり限界に近付いているので、時間はほとんどかけられなかった。

 かといって、避けることも不可能だ。たとえ無視してヨルシカに向かったとしても、グンダという駒は非常に大きく響いてくる。あの長い斧槍を常に警戒しながら戦うというのは、あまり現実的ではない。

 

「グンダの、これまでの戦いを考えてみましょう。この繰り返しではなく、この世界に来てからのことをです」

「かといって、あいつが戦ってるところなんてたいして見てないぞ。それこそ、さっき言った先生とくらいだ。ほとんど参考にならない。後は、罪の都だな。だが、雑魚との戦いは思い返しても無意味だぞ」

「まだ、あるよね」

「あん?」

「もう一つ、グンダの戦闘を間近で目にした時がある」

「確かに」

「あ―、墓所か。最初の所だな。今思えば、あの審判は効果的だった。死の恐怖を味あわせることで、エスト瓶を飲ませる口実を作れる。だがあれも酷いもんだったぞ。俺達生徒も雑魚じゃねえか。意味が……」

「あっ」

「なるほど」

「おいおい、俺達は間抜けか? なんで今まで、思い出せなかった」

 

 唯一。

 たった一回だけ、グンダの血を見たことがある。

 やったのは、丸戸だ。

 初めてグンダを目にした時、彼は動いてはいなかった。墓所の修練場の真ん中で、膝をついていた。その胸のあたりに、剣が刺さっていた記憶がある。それを丸戸が引き抜いて、彼を目覚めさせたのだ。

 そう、唯一だ。あの堅牢な体を貫いている刃を見たのは。あの螺旋の刃を持つ剣。あれだけは、通用するのではないか。グンダを殺せるのではないか。

 重要なのはその所在だった。下田はあの墓所での戦いの時、最後までいることはできなかった。抜かれたあの剣が一体どうなったのかはわからない。

 灰の墓所を隅々まで探してみても、見つからなかった。探している途中、妙な引っ掛かりを覚えたものの、それは螺旋の剣とは関係のないことのような気がして、すぐにかき消した。

 とにかく、武器についてわからないことがあれば、あの男に訊くようにしていた。

 

「お前が言っているのは、火継ぎの大剣のことか?」

 

 アンドレイは意外そうに訊き返してきた。下田がその武器の存在を知っているということ自体が、異常であるかのように。

 

「何ですか、それ」

「最初の篝火の芯を成すと言われているものだ。選ばれた者にしか握られない。刃が螺旋状になっている武器と言えば、それくらいしか思い浮かばない」

 

 下田は額の汗を拭きながら、腕を振るった。この巨人の鍛冶師の機嫌を取るために、その仕事を手伝っている。代わりに、必要な情報を得ているというわけだ。

 だが彼には、アンドレイの口ぶりが気になった。

 

「なんだか、聞いているとまるでおとぎ話の産物みたいですが。僕が言いたいのは、それとは違うと思います。貴方も、見たことがあるのでは? 僕達がここに来る前に、グンダさんの体に刺さっていたものです」

 

 とたん、アンドレイは興味を半分ほど失くしたように手元を見始めた。

 

「ああ、そっちか。あれは武器じゃない。俺の興味からも外れている」

「今どこにあるか、知っていますか?」

「あれは一種の儀式道具だ。楔でもあり、芯でもある。お前たちが散々目にしてきたものの中に、紛れ込んでいるはずだ」

 

 楔、儀式道具。

 儀式。

 散々目にしてきたもの。

 

「篝火、ですか」

「その通りだ。お前、まさか取り出そうなんて考えちゃいないな? 俺は止めんが、周りは違うぞ。火継ぎ自体を否定する行為になりかねん」

 

 下田は薄く笑う。

 

「そんな大それたことはしませんよ。それに、借りるだけです。使い終わったら、元の場所に戻せばいいんでしょ?」

「どうだろうな。勝手にしろ」

 

 下田には、躊躇いがなかった。なぜならその行動をする時には、既に祭祀場の何もかもを否定するも同然の有様に、なっているからだ。

 

 

 

 広場に戻り、篝火の前に立つ。何度も見た光景だ。転移の基、火継ぎの要。重要なものであることはわかっていたが、今まで正面から深く考えたことはなかった。

 周りを確認する。今の時間帯は、ほとんど人気が無い。一番篝火の傍にいる時間が長いイリーナも、自室へと戻っている。

 視線を上へ向ける。ただ、全くの無人になるというわけではなかった。

 ルドレスは石の玉座の上で目をつぶっている。頬杖をつきながら、何か考え事をしているようだった。眠ってはいない。つまり、これから下田がすることを認識する可能性がある。

 見えない体を、解除した。そして、篝火へと手を伸ばす。

 炎の中に入っても、熱さはなかった。燃えないというわけではない。選ぶことができる炎なのだと、彼には分っていた。薪、犠牲者。それらのみを燃やす。容赦なく。

 ルドレスが身じろぎした。

 構わず、下田は篝火を探る。芯となっているものだから、かなり奥部にあるのだろう。組み立てられている木々は強固だった。多少無理矢理かき回しても、びくともしない。徐々に破壊衝動が湧いてくるのを感じた。この火継ぎを象徴するものを、滅茶苦茶にしたい。

 そういったものを抑えて、ようやく柄らしきものを掴んだ。かなり大きめだ。月光の大剣かそれ以上の刃渡りを持つと推測される。

 

「やめておいた方がいい」

 

 ゆっくりと、置物のようだった男を見た。

 ルドレスは静かに首を振っている。

 

「洗礼を受けるぞ」

「それは、どういう?」

「君は、選ばれていない。身の丈に合わないものを得ようとすると、必ず報いがやってくる」

 

 下田は鼻で笑った。

 自分の中の醜い衝動が大きくなる。

 

「じゃあ、ルドレスさんは選ばれてるんですか? そこに座ってますもんね。薪の王の一人であるわけですし」

「何が言いたい?」

「そして、祭祀場の戦士達も、選ばれていると言えるでしょうね。火継ぎの使命を叶えるべく、選ばれた。まさに選りすぐりの戦士達だ。素晴らしい」

 

 柄をさらに強く握る。周りの炎の温度が上がった気がした。

 

「だから、何だっていうんですか? それでも死んだ。ほとんどが、選ばれていない僕なんかに殺された。何の意味が、あるんでしょうね。たとえこの剣がどれだけ扱いが難しくても、いつか必ず何とかしますよ。今までも、そうやってきましたから」

 

 ルドレスは、はっきりと目を開けた。

 

「君は、何を…」

 

 歯を食いしばり、一気に引き抜く。

 途端、篝火が牙をむいた。炎が一気に吹き上がり、下田へと襲い掛かる。それはもう、無害なものではなかった。全身を包まれて、熱という激痛が駆け巡る。

 螺旋の大剣を振るおうとしても、無理だった。その前に、下田の両腕が炭化した。奇跡を使って再生しようと思い当たったところで、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (6983億1231万7859)

 

 

 術の精度は、精神状態に大きく左右される。

 正直、燃やされながら奇跡を行使するのは、かなりの難題だった。ただ不可能ではない。他の意識が術を担当すればいい。痛みや苦しみを客観化して、他人のように扱う。

 問題は炎の勢いだった。そもそも回復が追い付かない。辛うじて、右腕だけは維持できる。竜の再生力と奇跡を合わせて、ようやくということだ。意識を保てるようになってきたが、奇跡を大量に使ったせいで、かなり消耗する。ただでさえグンダ戦の前の時点で、疲れ果てているというのに、それも加わるとなれば、ヨルシカまで体力が残るか疑問だった。

 ならば、事前に取っておけばいいという考えもあるかもしれない。しかしあの剣を引き抜けば、篝火はほとんどの機能を失う。祭祀場の者達にも、確実に気がつかれるだろう。そういう予想外の事態が起これば、ヨルシカは絶対に姿を現さない。彼女はかなり用心深いのだ。

 それに、他の問題もあった。どういうわけか、あの螺旋剣をインベントリにしまうことができない。保管庫に入れても、すぐに弾かれる。この能力が、祭祀場の都合の良いようにできているとするなら、これもまた予防策ということだろう。

 

「使い勝手が悪すぎますね」

「でも、それだけ強力ということでもある。祭祀場にとっては、絶対に敵に渡してはいけないものなんだ」

「だがあの炎に抗うのはきついぞ。儀式の時ほどじゃねえが、回復がおいつかん」

「どうしたものか…」

 

 左の膿が、もぞもぞと自分をアピールし始めた。

 

『妙案があるよ』

「はいはい」

「そうだな」

「なるほど」

『もう、ちゃんと聞いてよ。建設的な意見を述べようと思ったのにさ。あんたってほんと、人の話聞かないよね』

「おい」

『ん?』

「ちとせの、真似をするな。反吐が出る」

『フフフフ、ごめんねえ。多少は、好きになってくれるかもと思って』

「そういうとこだぞ」

「どうせ、こっちの体を乗っ取ることしか考えてないんでしょう」

『アナタ達は勘違いをしてる。ワタシと、エルドリッチを同一視していないかい?。とんでもないよ。あんなものと一緒にされるのは困る。ワタシの主人はアナタだし、忠誠も誓っているんだよ。全部、アナタのためになると思っての考えなんだ』

「で、そのありがたい妙案とやらは何だ」

『ワタシの部分なら、炎を抑えられる。膿で剣を覆えば、被害は最小限になるだろう。ワタシの力と少し向き合ってくれればいい。簡単さ』

「怪しいですね」

『もちろんリスクなんてものはないよ。人間性の膿は、本来誰にでも備わっている。意のままに操るのは難しいけど、今のアナタにとっては造作もないことだ。やってみればわかる』

「どうする?」

「まあ、今のままだと、厳しいのは確かだね」

「胡散臭いですが、どんなことでもやってみる価値はあります」

『決まりだね。大事なのは、憎しみだ。わかるだろう? 殺したい相手を強烈に思い浮かべる。そうすれば、精神の安定も容易だ。膿の操作もしやすくなる』

 

 確かに、簡単だった。下田はたった一回で、炎を乗り越えることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (7098億3265万7865)

 

 

 引き抜くタイミングは、重要だ。

 グンダから距離をとる時には、しっかりと隙を見極める必要がある。一瞬とはいえ、完全に背を向ける形になるからだ。

 成功したら、最短で螺旋剣の柄を取る。突っ込んだ体の勢いのまま、篝火を跨ぐようにして、剣を引き抜く。

 炎の嵐。視界が埋め尽くされる。だが、下田の左腕が動いた。

 膿が柄を覆っていく。炎がそれらを食い尽くさんと暴れたが、徐々に弱まっていった。

 痛い痛いと、ウミの声がする。せっかく名前まで付けた相手なので、多少は気の毒だった。だが所詮は道具だ。ちゃんと働いてくれればそれでいい。

 炎を抑え込めるのは左手だ。だが、十分な腕力がない。彼の身体能力では、その刃の重さで全身が振り回される。もう片方の竜の右手を添えたとしても、満足な動きはできない。たった数日鍛えただけで、身の丈の半分を優に超す武器を、扱えるわけがない。

 だから、自分の身体も道具として使うことにした。

 魔術の爆発が連鎖する。

 衝撃で飛び回り、激痛にまみれながらグンダの上空を取った。その巨体に、下田自身の血が降りかかる。

 体をまっすぐ伸ばして、素直に落ちていく。大剣を逆さにして、刃の重さだけで、落ちていく。

 

「アハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 首だけになった下田は、哄笑をあげた。

 訳がわからない。

 グンダの背中に着地したのは憶えている。そして、ヨルシカが眼前にまで接近してきたことも。何かで、下田を斬ったことも。

 わからないのが、楽しい。それさえも嬉しい。

 彼女は、下田の試みを阻止したかったようだ。それは成功しているようで、失敗しているとも言えた。

 螺旋剣は、グンダの肩に深々と刺さっている。血はあまり出なかった。刃を染める程度に散った後は、止まってしまった。しかし、もうその巨体は動かない。目の光はなくなり、膝をついたままびくともしない。

 死んだわけではないのは、何となくわかった。あの剣が、楔だと言われている理由。グンダは、封印された。

 

「ハハハハハハハハハハ」

 

 仮説は立証された。自分の選んだ道は、正しかった。

 下田は奇跡の行使を止めている。余力が残されているのなら、全身を再生させることもできる。しかし成功したとしても、もう術を使う気力が底をついているだろう。だから、今回は諦めるしかなかった。

 徐々に暗くなる視界の中で、こちらを見下ろすヨルシカだけを意識した。

 

「お前だけだ。もう、お前だけだ! 次から、存分に、思い知らせてやる。やっと殺せる。殺してやるからなああああああ!」

 

 死にゆく感触が心地いいと思ったのは、初めてだった。あふれんばかりの達成感で、快楽の頂にまで手をかけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (7098億3265万7866)

 

 

 さっさと、このゲームを、クリアーしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (8968億3214万5472)

 

 

 ……あれ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (9678億2315万9768)

 

 

 …。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (1兆6477億2455万8876)

 

 

 

 

 

 思い、知らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヨルシカに殺される。

 

 

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