火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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52.白光と雷光

  (5643兆3214億5335万8967)

 

 

 移動。

 変換。

 座標の確定。

 うんともすんとも言わない自分の身体を、眺めていた。

 成功するしないどころの話ではない。

 そもそも心当たりのある詠唱を片っ端から使ってみても、何も起こらなかった。あらゆる組み合わせを試してみても、結果は静寂だった。

 眉間を揉みながら、思考を進める。

 原因は大体わかっている。イメージの欠如だ。おそらく詠唱はいくつか当たっているものもあったのだろう。しかし想像力が足りていないせいで、術の発動に至っていない。

 それもそうだ。逆にどう、想像しろというのだろう。

 自分の存在を、自分はよくわかっている。一番、はっきりと認識している。足を一歩進めるのでもなく、跳び上がって到達するわけでもなく。全く関連性のない場所へと移動するということは、断絶だ。意識の断絶、存在の断絶、連続性の断絶、時間の断絶。ありとあらゆる法則を無視することになる。

 一瞬でも、自分の身体がこの世界から消えるのを、実感を持って受け止められるようになるまで、まだまだかかりそうだった。

 こういう難術にこそ、師が必要だった。だが聞いて回っても、移動の奇跡を使える者はいなかった。

 下田は自分の背筋が震えるのを自覚した。

 この術は、おそらく、今までの比ではないほどに難しい。この世界で使える者は、もう一人しか残っていない。クリムエルヒルトを探すことも考えたが、祭祀場をいくら回っても見つからなかった。それに会えたとしても、教えてもらえるとは思えない。その意味があるかどうかもわからない。

 言葉で説明されても、さほど変わらないからだ。これは理論などでどうにかなる難易度ではない。今までの破壊してきた枠組みをかき集めて、新たな形に構築する。そんな漠然とした方針だけが、今の全てだった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (6546兆4322億1221万8976)

 

 

 消失とは、死。

 死の感覚は、今まで何度も味わってきた。だが、理解できたとは言えない。全てを感覚する前に、わからなくなるからだ。脳が認識することを止めてしまえば、どうしても、それで終わりになってしまう。

 瞬間移動を成功させるためには、己の存在が、魂が消えていく瞬間をたっぷりと感じる必要があった。やはり実際にこの身で感覚しなければ、イメージも沸かない。

 狭間に、留まることにした。生と死の狭間。

 死なない程度に、体を傷つける。胸を抉り出せば、あっという間に血がなくなっていく。本当に失血死してしまったら意味がないので、奇跡を使ってぎりぎりのところで踏みとどまる。

 この気持ち悪さが、鍵だった。自分の命が失われていく感覚を、大事にしたい。

 だが、繰り返すことで慣れが出てきてしまう。そればかりは仕方のないことだ。だから、手足も斬り取って、より生きていることが不思議な状態にまでもっていった。

 面倒なのは、あまり長いこと検証し続けられない点だった。自分の部屋で静かにやっていても、いずればれる。出てこないことを疑問に思ったちとせ達がやって来てしまう。そして血だまりに寝そべっている下田を見て、助けようとするのだ。

 そういう時は、おとなしく自殺することにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (7352兆4425億5654万1211)

 

 

 段々と、掴みかけてきた。

 自らの存在が希薄になっていくイメージ。

 そこには余計な意識は要らない。

 透明になっていって、実体も失くなって。

 地面へとすり抜け、落ちていくような。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (8943兆4555億7683万1321)

 

 

 

 死とは、暗闇。

 ついでに両目を潰すと、さらに理解が進んだ。死んだ人は、光も温度も感じない。自分もそれと同じ状況に放り込めばいい。

 肌の表面を、全て剥がした。流れ落ちる血の感触でさえ邪魔だ。触覚を失くす。もちろん狂うような痛みがあるのだが、それも続いていけば無感覚になる。やはり、慣れとは便利なものだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (9678兆3143億6755万7864)

 

 

 変化がないと思った。

 それはおそらく、少しばかりの痛みでは何も感じなくなったせいだろう。

 何か違和感を感じて、自分の右手を見た。

 人差し指の爪が、剥がれている。どこに行ったのかとあたりを見回してみると、ベッドの端の方にあった。

 久しぶりの快感が、全身を震わせる。

 その爪が転がっている位置は、詠唱により指定した所だった。つまり、爪だけが下田の思い通りに瞬間移動したということ。

 初めての発動で、彼は思わず全身を壁に叩きつけた。叫びも出た。久しぶりに声を出した気がする。喉がじんじんと痛んだ。

足がかりを得てしまえば、後は繰り返すことで効果を強めていけばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (1京5443兆5565億8776万9965)

 

 

 それなりに苦労があった。

 少しでもイメージがずれていると、絶対に成功しない。

 腕だけがばらけて、移動したりする。それでも体の一部位が綺麗に分かれてくれるならまだいい方だ。酷いときには、体が縦に裂けて、自分の見たくもない中身がどばどば飛び散ったこともあった。全身にちゃんと作用しなければ、成功とは言えない。

 さらに、別の問題もあった。

 

「う…」

 

 それはまともに全身の移動に成功した時だった。

 喜びに浸る間もなく、下田はうずくまる。

 

「おえ、何だ」

「厳しいですね。これは」

「この術さ、消耗がえげつないね。もし万全の状態だったとしても、二回が限界だ。ましてや相手の背後を取れるくらいの移動となると、意識を保てるかどうか」

「下手すると一度使っただけで失神するぞ。ヨルシカ戦の時にはもう、くたくただからな」

「なるほど、では、使い方を変える必要がありますね」

「というと?」

「何も、相手の死角にまで移動するほどではないということです。ヨルシカの攻撃は、速剣も含めほとんどが線状のものです。軸をずらせば、かわせるでしょう。この奇跡を使えるとは夢にも思っていないはず。今の私達なら、その不意を付ければ十分」

「だが、距離も取りたい時はどうする? 奴に間合いを握られている限り、常に危険が大きくなる」

「考えてみたんだけど、そこはやっぱり、相手に近づけさせないようにした方がいいと思う。要は、手数を増やせばいいんだ」

「槍を二本持ってみるとか? 現実離れしていますが」

「そんなのは無理だな。だが、あれだろ。つまりAの言いたいことってのは、瞬間移動の対象を変えてもいいってことだろ」

「なるほど、インベントリから取り出す時には、自分の手元にしか出現させられない。ですが、この術も併用すれば、相手の死角に槍を放ることもできますね。魔術ではありませんから、相手も分解はできない。受けるか、避けるしかない」

「ヨルシカ自体を動かすっていう手もあるけど、難しいね。まず、詠唱を分解されるだろうし。それにあの女一人を移動させるだけで、ごっそり持っていかれそう。とりあえず武器にも術をかけてみる方向でいい感じだ」

「希望としては、どれだけの槍を同時に動かせればいい」

「そうですね。やはり限界を攻めなければ意味がないので。魔術の同時展開数と同じ程度には」

「つまり、えっと」

「三十三本」 

 

 

 

 

  (1京9087兆4534億5443万7767)

 

 

 ここで壁となってくるのが、意識の割り当てだ。

 多くの武器の所在を同時に把握し、どれをどこに移動させればいいのか。全てを完璧に行うには、三つの意識だけでは到底足りなかった。

 だが、四つ目が出てくる気配もない。下田にはわかり切っていることだった。自分の器としての限界は、三つなのだ。どれだけこの先努力したとしても、意識が増えることはない。

 

『ワタシがいるじゃないか』

「お前は、外様だ。僕の意識じゃない。どれだけ密着してようと、混じり合うことはない」

『やりようはあるよ。少しでいいんだ。アナタの脳味噌に入らせてほしい。そこと繋がれば、本当の意味で、一心同体に成れる。色々と、助けになるはずだ』

「ウミはさ、馬鹿なの? そんなこと言われて、素直に頷くと思う? 見え見えだから。お前みたいなものを、受け入れるわけがない。浸食されて、終わりに決まってる」

『信用ないんだね。別に怖がらなくていいんだよ。少し、変化するかもしれないけど、アナタ自身はちゃんと保たれる。それを受け入れるだけで、劇的な効果が…』

 

 増やす必要はない。

 既存の意識達を分割すればいい。

 三つそれぞれを、さらに十一ずつに割る。数が増える分、それぞれを部隊として、しっかりと統率しなければならない。そのためには、A、B、Cがもっと独立する必要がある。

 

「では、しばらくお別れですね」

「教育しないとな」

「じゃあ、ヨルシカを殺した時に、乾杯でもしよう。またね」

「ああ」

「と言っても、結局ずっと一緒にいることは変わりませんけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

  (2京6759兆3431億1221万8768)

 

 

 Aが担当する十の意識は、赤子も同然だった。

 隊長の心理的性格に影響されているのか、楽をしたい思いばかりがあふれている。最初は、まるで会話にならなかった。それぞれが好き勝手に言葉を吐き出し、思いを吐露していた。

 それでも、辛抱強くまとめ上げる。こういう時にも、共通の敵というのは役立った。ヨルシカに負けるたびに、意識達はまともな感性を取り戻していく。皆一様に、彼女への憎しみに染まっていく。

 Bは、論理的に部下たちを説いているようだった。

 Cは、暴力で締め上げることにしたらしい。

 定期的に集まり、飲み明かした。それぞれちゃんと上手くいっていることだけはわかった。あえてお互いに切り離しているので、他の意識が担当している時の記憶がなくなっている。そのために、すれ違いが起きることもあった。

 

「だから、違うって言ってんだろ」

「Cしかしないよそんなこと。どういうつもりでちとせの服を盗んだりしたの」

「軽蔑します」

「しょうがねえだろ。部下共にそそのかされたんだよ。大体実際に俺が行動に移せたってことは、お前らも望んだってことだろ。とぼけてんじゃねえぞ」

「はて」

「今はさ、お互いに独立してるんでしょ。他人に責任を押し付けるのはどうかと思うなあ」

「楽しそうだな、お前ら」

 

 

 

 

 

 

 

 

  (3京5644兆1233億5566万7788)

 

 

 槍の軌道は、ある程度パターン化せざるを得ない。他のことにも意識を割かなければならないので、そればかりに集中するわけにはいかなかった。

 今のところ、十八本を同時に動かせている。やはりこの移動の奇跡は重宝する。汎用性が特に優れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (3京9878兆6545億3331万6666)

 

 

 二十四本。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (4京1221兆7886億8865万3454)

 

 

 点が、見えた。

 奇跡の小さな光があちこちではじけている。

 ファランの速剣が縦の軌道でやってくる。

 下田は滑らかに圧縮詠唱をした。

 体の軸がわずかにずれる。耳のすぐ横を、魔術剣がうなりながら振り下ろされていく。伸びきったヨルシカの腕に向かって、槍の一本が降ってくる。彼女はそれを、ソウルの針で弾き飛ばした。詠唱をして。

 その音節を完全に聞き取り、下田は己にも向かってくる針を分解した。相手は既に二発目の速剣を準備し終えている。だが、やや注意が散漫だ。それもそうだろう。彼女の周囲を点滅しながら飛び回っている多数の槍を、無視できるわけがない。

 

「小賢、し」

 

 憎々し気に歪められた彼女の顔。

 動き回る槍と連動して、下田は一歩踏み込んだ。

 点が見えたからだ。

 冷たい点。

 ヨルシカの、隙。

 把管を絞り、完璧な突きを繰り出した。符呪された刃が彼女の肩に刺さり、肉を抉り出す。青みがかった血が柄にまで散ってきた。さらにかけておいた爆散の詠唱を開放する。彼女の片腕が、根本ごと吹き飛ばされた。

 その、確かな感触が、下田のこれまでを労っていた。無駄ではなかったのだと。この道が、戦術が、正しかったのだと。

 他の槍はほとんど落とされている。やはり、動きがやや単調だったのがいけなかったのだろう。彼女はすぐにその型を看破してきた。本当に、ぎりぎりの所だった。

 本当は、急所を狙うこともできた。だが、そんなもったいないことはしない。下田は、ヨルシカにもっと苦しんでほしいと思っていた。徐々に体を削っていき、命乞いを引き出す。それをあざ笑いながら、とどめを刺すのだ。その瞬間が、待ち遠しかった。

 だから彼は、苦々し気に吐き捨てた。

 

「畜生」

 

 刺さった槍の刃が、押し出される。盛り上がっていく、肉によって。

 ヨルシカは右腕を軽く動かした。直前までほとんど破壊されていた部分を。

 下田も利用しているから、わかる。彼女の再生能力は、ほとんど不死身の様なものだ。前に、エルドリッチの弓によって半身が破壊された時よりも、はるかに速い。あの時もまた、欺いていたということだろう。竜の再生力は、下田が必死でつけた傷を一瞬で無にした。

 眼前を、紫色の光球が埋め尽くす。

 反詠唱―――は、すんでの所でやめる。構成も何も知らない術だったからだ。

 全方位囲まれている。

 魔術の盾を。

 無理だ。

 奇跡の光を、一瞬で全身に張り巡らせた。自分の存在が消えていくのを、強烈に意識する。死の感覚を何よりも優先する。

 紫の光が、収束した。

 その光景を、石の玉座の上から見る。

 頭に音がガンガン響いている。痛みも最悪で、玉座にうずくまり、えづいた。仕方がなかったとはいえ、全身を移動させるのは辛い。気絶するほどまではいかなかったが、もはや視界は朦朧として、今にも倒れそうだった。

 苦しみながら、絶望的な光景を、見る。

 

「何かがおかしいと思えば……、驚きだねえ」

 

 エルドリッチが横穴が這い出てくる。その目は、下田を油断なく捉えていた。

 人食いだけではない。その配下、ゾリグや、坊主頭の三人もいた。仮面の男、茸頭の術師、そしてカークもいる。

 

「いつの世も、抵抗する者は現れる。油断をしていた」

 

 下がったヨルシカの前に、グウィンが立った。

 彼らが今まで何をしていたのかは、知らない。それでも、時間が切れたことくらいは下田でもわかった。儀式を止めてから、数分ほどしか経っていない。だが、異常を知られるくらいには十分な停滞だったということだ。

 遅すぎた。今までの戦闘に、時間をかけすぎた。

 つまりはそういうことだった。

 下田の耳に、囁き声が届く。

 

「確かに、油断もあったね」

 

 リリアーネは既に下田の背中を斬り裂いていた。もうすでにこの回での戦意を消失していたので、攻撃もかわせなかった。

 フリーデとユリアは、目を覚ましたイリーナによって治療を受けている。

 彼女達三姉妹は、確かに。

 

「一回死んじゃったよ。君、強いね」

 

 積み上げられていたものが、崩されていく感覚。中々に,堪えるものがあった。まだ、足りていない。まだ強くならなければならない。より速く、より効率的に。

 下田は雄叫びを上げた。背中から血をほどばしらせながら、グウィン達へ飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (4京1332兆7655億9743万3243)

 

 

 目覚めてからすぐに、大扉から出てきたヨルシカを殺しに行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (4京4356兆3332億6677万8977)

 

 

 目覚めてからすぐに、大扉から出てきたグウィンを殺しに行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (4京9787兆4455億6655万2333)

 

 

 ヨルシカを殺しに行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (5京3322兆4455億7788万2211)

 

 

 グウィンを殺しに行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (6京4534兆6666億7764万2233)

 

 

 別の機会を、考えてみることにした。

 ヨルシカと唯一完璧に、二人きりになれる機会。儀式の直前で彼女に部屋へと呼ばれる。初めは従順なふりをして、部屋に入った瞬間牙をむく。

 駄目だった。途中で必ずグウィンが合流する。この二体を相手にすることはできない。この火の大王はヨルシカよりもずっと強い。到底、手に負えるわけがない。合流前に殺すことは不可能だった。まるで下田の考えを最初から読んでいたように、戦闘開始から十秒以内にグウィンが入ってくる。

 ヨルシカ自体のしぶとさも、大きな問題だった。彼女の再生のせいで、たとえ急所に一発攻撃できたとしても、終わらない。短い間に四肢の全てを破壊し、頭を潰すくらいはしなければ、殺すことはできないだろう。彼女の実力を考えると、無謀なことのように思えた。

 無謀を可能に変えるには、やはり、新しい何かが必要になる。

 オーベックの書斎で、下田はひたすら調べていた。

 

「この、」

「何だ」

「竜の殺し方についての節なんですが。鱗を焦がす雷とは、どういうことですか」

「何を必死に調べているのかと思えば、そのことか。竜の不死性を司っているのが、その身を覆う鱗であることは知っているな。それを破壊するには、どんな武器も、魔術も、奇跡も、呪術も足りない。祖なる雷が唯一通用するとされている」

「あんまり、説明になってないんですけど」

「これくらいしか伝わっていないからな。私も、詳しいことはわからない。とうに失われた術なのだ。知っているとしたら、神代の者達くらいだろう。古の竜との大戦を経験した者でなければ、満足に説明もできまい」

 

 オーベックの顔は、言葉が進むにつれて生気が満ちていった。未知への欲求。

 

「これもまた、貴方の研究対象ですか」

「その通りだ。全ての術を明かすのが、私の至上命題だ」

「なら、どうして行動しないんですか?」

 

 下田は、相手と目を合わせた。

 

「心当たりがあるんでしょう? 僕もそうです。この祭祀場には、神代に生きていた存在が、二ついる。どうして、彼らに訊こうとしないんですか」

 

 図星のようだった。彼は本を置いて、下田の顔を見た。そして、顎を掻きながら、目を逸らした。

 

「グウィン様に尋ねるのは畏れ多い。さすがに躊躇われる」

「へえ、オーベックさんでも遠慮は持ってるんですね。研究よりも、そういった、感情を優先すると」

「命あっての物種だ。大王に質問は、禁じられている」

「ヨルシカはどうですか? 彼女なら別に大丈夫でしょう」

「お前、わかってて言っているのか?」

 

 再び、彼は辺りを見回す。まるで彼女が耳をそばだてているかのように。今にも、扉から入ってきそうだとも言わんばかりに。

 

「あの方に、竜の話は禁句だ。わかっているんだろう」

「? わかりません。教えてくれませんか」

 

 オーベックは顔を歪ませた。だが下田が視線をそらさないでいると。溜息をついた。本を置き、背筋を伸ばした。

 今まで詠唱を教えてくれた時もそんな体勢だった。

 

「竜の血を引いているという事実が、どれだけの重圧になるか、想像はできるだろう。あの方はその中でも、己の実力を示し、祭祀場を任されるまでになった。だから今では、わざわざ竜の話を持ち出す者などいない。それが彼女への最大の侮辱となるとわかっているからだ。尊敬しているからこそ、触れていけない部分もある」

 

 下田は気に入らなかった。たった数日とは言え、このオーベックとはかなりの言葉を交わしてきた。自分の質問に対して、こんな取り繕った答えを返されるのは、さすがに気持ちも冷えていく。

 

「全然、本質にかすりもしてないじゃないですか」

「何だと?」

「そんな答えじゃ、あの女が竜自体を強烈に憎んでいる理由にならない。知ってるんですよね。教えてくださいよ」

 

 今度は、めんどくさそうな顔になった。この男は自身の関係のない話が続くと、すぐに嫌そうな様子になる。

 

「わかってるのなら、関わろうとする気も失せるはずだが」

「ヨルシカの母親が、関係しているとか?」

 

 彼は瞬きを数回する。

 

「お前、初めから全部わかっていて、私をからかっていないか?」

「そうなんですか?」

 

 相手は頭をかいた。

 

「…彼女は、不義の子とされている。その詳しい経緯は、記録されていない。私にもわからない。そうだな、言えることがあるとしたら、おそらくお前の言う、母親のせいだろう」

「不義……。つまり父親の方にも、問題があった?」

 

 オーベックは手を振って、拒絶の意思を示した。

 

「もういい。この話で私が得するものは何もない。これ以上、推測を重ねていっても意味がないだろう」

「待ってください。じゃあせめて、ヨルシカの母の名前だけでも教えてください」

 

 下田は、別の方向を見ながら、答えを待った。

 

「……プリシラだ」

 

 なるほど。

 佇んでいる白い女性を見る。

 貴方の事が、少しずつ分かってきた。

 

「どうした?」

「いえ。何でもないです。それより、今から早速尋ねに行こうと思ってるんですが、いいですか?」

 

 オーベックは肩をすくめてみせる。

 

「積極的だな。まあ、お前の骨を拾うことくらいは考えてやろう。さっさと行くがいい」

「何言ってるんですか?」

 

 相手の読もうとした本を、取り上げる。

 

「貴方も一緒に行くんですよ。僕一人じゃ、簡単に会えないので」

 

 

 

 

 

 初めはオーベックも受け入れるのに難渋しているようだった。彼の考えだと、まず自分の安全が最優先ということらしい。確かに命あっての物種だ。研究も探求も、まず自分の身体が無事でなければ続かない。

 しかし彼も、未知の術を知りたいという欲求は人一倍ある。そこ刺激するように促してやれば、絶対に無茶なことはしないという条件で、譲歩させることができた。曰く、ヨルシカにはあまり好かれていないらしい。下田も嫌われているので、ちょうどいいと思った。

 嫌われ者同士で、大扉の前に立つ。

 

「ヨルシカ様に会いたい?」

「ああ、そうだ」

 

 オーベックは憮然としたまま続ける。

 

「至急、確認したいことができたんでな。お目通り願えるだろうか」

 

 今日の見張りは、ジークバルドが担当していた。

 

「オーベック殿が部屋から出るのは貴重な光景だな。よほど大事な用事なのだろう。しかし、どうしてシモダまで?」

 

 下田は困ったように笑った。

 

「なんかこの人、一人でヨルシカさんに会うのが怖いみたいで。一応オーベックさんがどのような話をするのかは理解しているので、僕が間に立ってほしいと頼まれたんです。彼女、すごく優しいのに。この人ちょっと、臆病が過ぎる面もありますよね」

 

 わざわざこちらを睨みつけてくるようなことを、オーベックはしなかった。割と瀬戸際の所だった。これ以上だしに使うと、途中で放り投げられる恐れがある。

 

「ふむ。そういうことなら、取り次ぎをしよう。少し待っていてくれ」

 

 そうそう上手くはいかないと思っていたが、あっさりと大扉の先を進めるようになった。道を通り過ぎても、罠が発動することはない。下田は落ち着いていたが、反対にオーベックは緊張の度合いが高まっているようだった。

 

「足が重そうですね」

「自分の事など簡単に潰せそうな怪物を目の前にするとあってはな」

「まあ、竜ですからね」

「絶対に、あの方の前では慎め」

 

 ヨルシカの部屋の前までくると、オーベックは目で促してきた。少し考えてから、ようやくノックをしてほしいという意味だと気がついた。

 下田は演技の準備をしながら戸を叩いた。最初の週の、まだ何もかもを信じていたころの自分を模倣する。

 向こうの気配が、近づいてくるのがわかる。下田が一歩下がると、扉が開いていく。

 戸口に立つ彼女は、やや胡乱気に二人を見つめていた。

 

「珍しい組み合わせですね。どうぞ、入ってください」

 

 多少の気持ち悪さは否めなかった。こちらに向かって殺意をむき出しにしていないヨルシカを相手にするのは、本当に久しぶりだ。普段の彼女がどれだけ自分を繕っているか、改めて認識した。

 彼女はベッドに腰かけると、こちらに笑いかけてくる。

 

「ソウル集めは順調ですか?」

「はい。皆、頑張ってくれています」

「もう少しで儀式の準備も整います。貴方達の願いも、叶う瞬間が近づいている」

「ただ、少し寂しさもあります。何というか、ここの人達と別れることになるのは、やっぱり、嫌だなって」

「私も、同じ思いでいますよ」

 

 オーベックの含みのある視線が邪魔だった。あまり反応をしないでほしい。ヨルシカにまで伝わったら、台無しだ。

 彼女は咳ばらいをすると、表情を真面目なものに改めた。

 

「それで、オーベック。緊急の用とは、何ですか?」

「はい…」

 

 何かを言おうとして前かがみになったっきり、彼は沈黙した。傍目から見ても次の言葉が見つかっていないのはわかった。まだ、話に切り込む度胸がないらしい。

 

「彼は、色々な術に興味を持っています。僕はよくわからないんですけど、どうやら、知りたい術があるようで。ヨルシカさんに訊いてみたいと」

「ああ、その通りだ」

 

 下田が助け舟を出すと、オーベックも勢いづいたようだ。さらに続ける。

 

「雷の術について、知りたいのです。神代の頃に失われたもの。私は、自分の好奇心を満たすために、ここへやってきました。もちろん、答えたくないというお気持ちがあるのなら、それでも構いません。ですが、何か知っておられるのなら、私に知識を分けてくれませんか」

「なるほど…」

 

 ヨルシカは頷いてから、下田の方を見た。今までもよくあった、透かすような目つきだった。今この場に、彼がいる意味を考えようとしているのだろう。だか、下田は無邪気なふりをした。彼女を殺す糸口を見つけ出そうとしているとは、毛ほども思われないように。

 

「貴方の探求心にはいつも敬意を払っています。ですが、すみません。期待に応えることができないと思います。私は、確かにそれを見たことがあります。何度か。しかし、私自身が扱えるわけではないのです。あの術は、いえ、術という枠組みにあてはまるかどうかもわからない。あれは、神からの贈り物。本当に選ばれた者しか使えなかった」

「貴方は、選ばれなかったんですか」

 

 言ってから、思わず口を押さえかけた。オーベックもまたぎょっとした目を向けてくる。無意識のうちに、言葉が漏れていた。

 ヨルシカの視線の質が、一瞬変わる。その目を見て、下田はさらに挑発したいという衝動を抑えた。普段殺し合っているせいか、どうにも気が立ってしょうがない。少しでも隙を見つければ、つきたくなってしまう。

 彼女は目を伏せて、苦笑をした。

 

「ええ。そうなんです。あの時代は、まさに神が憑いているとしか思えない、戦士達の時代でした。私は、彼らの後ろをついていくだけで精一杯。かなり苦労をしたものです」

 

 その顔には、繕った憧れが張り付いていた。間違いない。彼女は、昔を憎んでいる。何が起きたのかはわからないが、決していい思い出ではないことは確かだ。そこに今の彼女を形作った原点がある。

 

「ならば、グウィン様にお尋ねした方がよいということですか」

 

 ややほっとしている様子のオーベックが言うと、彼女は首を振った。

 

「お勧めはしません。あの方は、その術を秘しています。訊いても、はぐらかされるでしょう。私も一度尋ねたことがあるのですが、答えは得られませんでした」

「そういうことならば、仕方がありません」

 

 オーベックはそわそわし出した。下田はその臆病さに少しだけ呆れる。

 

「お時間を頂き、ありがとうございます。このことはもう、調べないようにしましょう」

「それが一番だと思いますよ」

 

 背を向けて、部屋を出ようとするオーベック。その腕をつかんで、無理やり止めた。振り返ってきたその顔を睨みつけた後、はっきりと言う。

 

「貴方の、悲願のはずでは?」

 

 何を言っているんだと言わんばかりの視線を無視して、下田は続ける。

 

「これで引き下がっていいんですか。度胸がないのなら、僕が代弁します」

「おい…」

 

 ヨルシカの方に、体を向けた。目に、力を入れる。ヨルシカの瞳の奥まで入り込むようにして、視線を合わせ続けた。彼女は、次の言葉を待っている。奥底では、冷静な観察をしている。

 数秒間を開けた後、下田は頭を下げた。

 

「本当の所を、話してください。何か、ありませんか。憶えていることなら、何でもいいんです。その、戦士の方々が術を扱う上で、何か言っていませんでしたか」

「シモダさん……?」

 

 ヨルシカは近づいてきた。その長身に見下ろされると、悪寒が背筋を伝った。

 

「最初から、不思議だったのですが。どうして貴方はそれほど、一生懸命オーベックに協力しているのですか? 珍しいですね」

 

 下田はあえて考えるふりをした。オーベックを一瞥してから、口を開く。

 

「それは、彼の思想に共鳴したからです。多分、僕と性根が似ているからなんだと思います。あとは、色々と教えてもらいましたから。その恩を、少しでも返せたらいいと考えました」

 

 少しは本心も混ざっていたので、ヨルシカの指摘にも動揺はなかった。

 彼女としばらく顔を合わせる。胸糞悪かったが、我慢をした。そらせば、付け込まれると思ったからだ。

 その決意が功を成したのが、先に視線を外したのは彼女の方だった。

 

「…少しだけなら」

 

 オーベックもまた、彼女の言葉を聞いて向き直った。

 

「雷は、全ての術の祖だと聞きました」

「祖なる雷という記述が伝わっていますね」

「はい。つまりは、それから、魔術、呪術、奇跡が枝分かれしていったのです」

 

 ただの電気の塊が、どうやって、矢を作り出したり、傷を治したり、炎を投げつけたりする技術に分かれていったのだろう。下田には、まだわからないことが多かった。

 だが、ヨルシカはこれで十分と言わんばかりにベッドに腰かけた。なぜか少し疲れているようだった。

 

「私の知っていることは以上です。たとえ原理を理解したとしても、王に認められなければ、行使はできません。神聖な術ですから」

「ありがとうございます」

「では、失礼します」

 

 そう言ってオーベックは、下田をやや強引に引っ張りながら、退出した。

 下田は最後に見たヨルシカの顔を思い返しながら、なすがままにされている。結局多くの情報は得られなかった。どうすれば雷を生み出すことができるのか。まだ、ほとんどわかっていない。残る当てはグウィンだが、彼女と同じく、まともに教えてくれる気はしなかった。企みは、すぐに看破されるだろう。

 

「あまり、生きた心地がしなかったぞ」

 

 部屋に戻ると、オーベックは下田を見下ろしてきた。今初めて会ったかのような顔つきをしていた。

 

「すみません。失言をしました。それでも、ほとんど何も得られなかった」

「いいや。それは違う」

 

 その瞳に宿るのは、感心だ。

 

「お前の行動力には感服する。私が、今まで踏み込めなかった部分を簡単に暴いた。その瞬間、理解をした。私の探求心を超えるものが、お前にはあると。一つ訊きたい。その源泉は何だ。そうしてそこまで、知りたいことを追い求められる?」

 

 下田は苦笑をする。

 

「そんな大げさな。僕は、あんまりここのしがらみとかに捕らわれていませんから。多少動きやすかっただけです」

「何にせよ、未知の解明が一歩進んだことは確かだ。感謝する」

 

 頭を素直に下げた後、オーベックは席に腰かけた。それを頬をかきながら観察する。今までとは、違うようだった。こんな殊勝な態度をとられたことはない。よほど、感動しているようだった。

 

「手かがりといえば、雷は三術の基ということくらいですかね」

「呪術、魔術、奇跡が、もともとは一つだったこと。区別などされていなかったという記述もある。筋は通っているだろう」

「つまり、三つの術を扱えるようにならなければ、雷の基礎もわからないということですね」

 

 思案で宙に浮いていた視線が、再び下田に戻ってきた。怪訝そうな様子で。

 

「お前……、まさかとは思うが。行使をしようとしているのか?」

「はい」

「知るだけでは満足しないのか? おそらく、お前でも無謀だぞ」

「元々、そういう目的だったので。僕は知識として求めたのではなく、実用性のある手段として、解明しようとしていますから」

「だが、それは…」

 

 そこで言いづらそうに言葉を斬った。

 下田は知っている。その先を当てることができる。

 時間だ。

 オーベックは、下田がその術を解明する時間など残されていないと、言おうとしたのだろう。実際、客観的に見ればその通りだし、無謀という言葉にも頷けた。

 今まで、移動の奇跡が最難関だと思っていた。だが、おそらく容易く更新されることになる。

 

「お前に、提案がある。いや、単なる私の、願いだ」

 

 何の言葉を続けるのかと思えば、かなり弱弱しいものが出てきた。オーベックは今まで見たこともない表情をしている。

 

「私も、勇気を出そう。交渉をする。お前を、贄から外すように頼んでみよう」

 

 情の含んだ、顔をしている。下田への情。

 

「えっと」

「お前との数日間は、かなり有意義だった。お前ほどの人材を、ただいたずらに消費するのは、忍びない。私としても、話の合う相手を失くすのは惜しいと思っている」

「やめてください」

「正直今まではどうでもよかった。祭祀場が誰を犠牲にしようとも、どれだけの所業を犯そうとも、私には関係がないと思っていた。だが、今は違う認識を抱いている。お前の研究を続けさせてやりたい。わかるだろう。炎に焼かれるのは、並大抵の苦しみではない。お前をそんな目に遭わせるのは躊躇いがある」

 

 雑音。

 下田はこれ以上、オーベックの言葉を聞かなかった。まだ何かを話し続けているようだが、意識を別の方へと飛ばしていた。

 雑音でしかない。わかっていた。彼は、別に、悪者ではない。研究一筋かと思えば、同志を思いやる心も持ち合わせている。最近はずっと彼と過ごしていたので、自分の性格とかなり合っているのもわかっていた。

 それでも、その口から下田以外の生徒達の名前が出ない時点で、どうしても、対立を消すことはできない。もう決まってしまったことだ。自分は、祭祀場を壊滅させる。完膚なきまでに叩き潰す。

 ただ、このことは憶えておくことにした。戦いになってもオーベックだけは下田を攻撃してこない。彼くらいなら、生かしておいてもいい。そう思うふりをして、下田は自分がまだ倫理観のある人間だと信じることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (6京8765兆7754億9655万3231)

 

 

 雷の詠唱は、存在しない。

 音節を独自に作り出そうとしても、失敗に終わる。魔術が適切な形をとってくれない。しばらく混乱した様子で形を歪ませた後、弾けて消える。

 やはり、魔術だけでは無理だ。下田は、今まで一度も触れてこなかった、呪術をまず身に付けることにした。

 オーベックは使えないということなので、師匠に頼ることにした。

 

「無理だ」

 

 その言葉は言われ慣れていた。だから、カルラと顔を合わせ続ける。

 

「どうしてですか?」

「お前には、絶対に身に付けられない。呪術の才がないからだ」

「やってみないと、わからないですよ」

 

 カルラは首を振る。

 

「素養があるのなら、まずどんなに小さくても、最初に炎を作り出せる。お前に、それができるか」

 

 下田は詠唱をした。ソウルの塊が揺らめく。炎の形をとった。

 彼女は、子供に言い聞かせるように、再度首を大きく振った。

 

「魔術の炎と、呪術の炎は違う。見せかけと、本物。想像でどうこうなる問題じゃない。お前がそれをした時点で、呪術の才能がないのは明らかなんだ。残念だが、私に教えられることはない。そもそも、お前がそうする必要もないだろう。お前は、優秀な奇跡使いだ。あまり矢面に出てほしくは……」

 

 自室に戻り、何度か呪術を発動させようと頑張ってみた。しかし、本当にカルラの言う通りだった。本で調べた呪術を思い浮かべても、全くその通りにならない。炎を無理矢理作ろうとしたら、魔術に切り替わってしまう。

 

『アナタは、地球にいた頃魔術が使えたかい?』

「いいや」

『それと同じことなんだよ。そもそも、脳の構造からして、絶対に呪術が扱えない。君が母親のお腹にいた頃から、既に決まっていた』

「時間はある。できるまで、やってみる」

『わかっているんだろう。今まで難関を乗り越えられたのは、何かきっかけがあったからだ。何か新しいことを試みて、成功するまで繰り返したからだ。ただがむしゃらに同じことをやり続けても、次の段階へは進まない』

「くそ…」

『つまり、脳の構造を少し変化させれば、良いというわけだね』 

 

 下田は、前方を見つめた。

 

「何だって?」

『簡単な話さ。アナタの体には呪術の素養は少しもないけど、ワタシにはある。繰り返し頼むことになるけど、少しでいいよ。少し、アナタの脳を食べさせてほしい。いや、融合と言った方が正しいね。そうすれば呪術を使えるようになるだろう。素養の部分を,ワタシが補えばいい』

 

 頬の下の部分まで浸食している、膿に触れた。

 

「お前が、何も企んでいないという保証は?」

『ないね。でも、よく考えてみてほしい。宿主が幸せになれたら、ワタシはそれでいいんだよ。信じてほしい。この気持ちだけは嘘じゃない。他に方法がないから、提案をしているんだ』 

 

 目をつぶって、眉間を指で揉んだ。

 

「僕が、お前に脳を与えることで生まれる、支障はあるか?」

『あくまで、少し、だから。もちろん、正気を失ったりはしないよ。ただ……』

「何だ」

『深淵由来のものは、精神を腐敗させる。特に負の感情が、強まる可能性があるね』

「憎しみとか」

『そうそう』

「だったら、問題ない」

 

 下田は溜息をついた。正直、他に手がないからというだけの理由で、回を跨いでも続くリスクを負う気にはあまりなれなかった。だが、打開策が欲しいのも確かだ。彼としても、今までの経験上、このまま続けたところで呪術が扱えるようになるとは思えない。

 

「ヨルシカ達に向ける感情がさらに激しくなるのなら、もってこいだ。戦意が保たれるのに越したことはない。多少の危険なら、冒せる」

『いいのかい?』

 

 駄目だと、目の前の女性は仕草で訴えかけている。必死に下田の目を見て、考えを改めさせようとしている。

 手を伸ばして、竜の女性、プリシラの首を覆った。が、肌に触れることはない。霞のような感覚があっただけで、指先は簡単にすり抜けていった。

 

「貴方は、ヨルシカの母親なんですね」

 

 彼女の動きが止まる。首も振らず、ただ目だけが逸らされるのを見て、肯定の意味だと受け取った。

 胡散臭い異形の膿。

 触れられもしない、敵の家族。

 どちらを信用するだとか、その問いには意味がなかった。どちらも、疑うべきだからだ。その上で、自分の得になる方を選択する。

 

「もうやっていい。さっさと終わらせて」

『ああ…』

 

 今更自分が綺麗だとは思っていなかった。ここまでくれば、どんな手段を使ってでも、敵を倒さなければならない。 

 プリシラは最後まで止めようとしていた。下田は一度も、その顔を見なかった。

 

 

 

 

 妙な異物感の後、目を開ける。

 

「たいして、変わってないな」

『あくまで少し、だからね。右脳の一部に根を張っただけさ。でも、試してごらん。効果はすぐにわかると思うよ』

 

 炎をイメージする。

 その時、確かに違和感があった。

 いつもとは違う回路を、伝っているような感覚。それは今まで欲しくてたまらなかったものだった。

 指先が熱くなる。爪のわずか上に、炎が灯った。

 

『ほらね?』

 

 今は、ウミの得意げな声も聞こえなかった。大はしゃぎする段階でもない。下田はすぐに、試行を始めた。己の限界が来るまで、倒れるまで、ずっと炎を出しては消すことを繰り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (7京5643兆4178億8866万4222)

 

 

 呪術でも、雷を作り出すことはできない。

 何かが、ずれている気がする。それだけは確信していた。

 あらゆる手がかりを再確認する。

 カルラの言葉。

 魔術の炎は、見せかけだということ。呪術の炎は、実際の炎とは違う。篝火の炎もどこか特殊な性質を持っている。

 下田は、ここが、地球とは違うということを、何度も思い返した。一見物理法則は似通っているが、長い歴史ではぐくまれてきた様々な概念は異なっている。

 雷だって、そうだ。こっちに来てから、雷雲は見たことがない。下田の考えている雷と、竜の不死性を破壊する雷は、違うかもしれない。

 今度も、イメージの問題であることもわかっていた。同時に、理論も構築されていない。

 ヨルシカの言葉。

 雷は、全ての術の基であるということ。

 魔術、奇跡、呪術は、それから枝分かれして発生したことになる。

 簡素な枝図を描いて、考え続けた。

 地球では、雷という名前の物体はない。何もない所で即座に作り出せるわけではない。いわば、ただの化学現象だ。雲の中の氷の粒が成長して、お互いにこすれ合う。その時発生した静電気が溜まっていって、やがて放電する。

 つまり雷を発生させるためには、間接的な行程が必要になるということだ。直接雷をイメージしても、意味はない。環境が整っていないから。

 この理論をそのままこちらの術にも当てはめるとするなら。

 雷から、三術が派生した。

 魔術、奇跡、呪術のどれにでも、竜殺しの雷と関連する要素が混じっているということだ。それらから目的の要素だけを取り出して、混ぜ合わせれば、どうだろうか。

 いや、違う。そんな抽象的なことではない。もっと単純に考えよう。

 派生をさかのぼることはできないのだろうか。

 魔術、奇跡、呪術を同時に利用して、雷を作り出す。下田達の言葉で言う、化学反応を起こさせる。

 既にそれらしき片鱗は見ていた。

 フォドリックとの戦いの時から始まって、利用していること。魔術と魔術を融合する移動方法のことだ。

 魔術と魔術を合わせれば、お互いに反発し、暴発する。

 魔術と奇跡を合わせれば、お互いに引き合い、混ざり合って相殺する。

 魔術と呪術を合わせれば、出力の低い呪術が呑み込まれて、消える。

 奇跡と呪術を合わせれば、炎が回復し、さらに大きくなる。

 では、三つは?

 魔術と奇跡と呪術を同時に混ぜ合わせたら、どうなるだろうか。今までそんなことは一度もしたことがなかった。二つの時でも実用性に足る結果をほとんど得られなかった。だから、それ以上は無駄だと思い込んでいた。

 ソウルの矢を発現させる。

 放つ回復を、宙に置く。

 呪術の炎を、留まらせる。

 下田は深呼吸をしてから、一気にそれらを一つに合わせた。

 轟音も、全てが吹き飛ぶような爆発もなかった。

 だが、気がつけば壁に叩きつけられていた。ぶつかった肩の骨が砕けかけているのを感じる。もの凄い衝撃で、弾け飛んだのはわかった。原因は、明らかだ。三つを混ぜると、あっというに間に安定が崩れる。配分が間違っていた。

 だが、一瞬だけ、確かに感じた。目でも、認識をした。

 気を失いそうになるほどの痺れと、雷光。

 

「よし」

 

 打開はできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  (7京9823兆3133億6764万6533)

 

 

 合わせた途端、弾け飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (8京4331兆5566億2234万7755)

 

 

 弾け飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (9京4526兆2346億6634万1211)

 

 

 飛んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (11京4554兆3332億7665万6666)

 

 

 全く進行が見られない。

 やはり、これは今までの課題とは次元が違う。

 雷は、一瞬だけ発生する。だが、定着してくれない。それに下田自身の体が耐え切れずに飛ばされてしまう。これでは、実戦で利用することは無理だ。

 発生する雷自体も、弱々しいものだった。作り出せただけでも素晴らしい前進だと考えられる段階はとうに過ぎている。

 

「どういう割合だ?」

「今のは、魔術と奇跡が1、呪術が0.4ほどですね」

「これでも駄目だった。次に行こう」

 

 必ず、成功する配分というものがあるはずだ。それを探る段階が続いていた。かなり、繊細な作業になっている。正解から少しでもずれていれば、失敗する。夥しい数の試行を重ねて、徐々に誤差を縮めていく。

 おそらく、足を引っ張っているのは呪術だ。未だに、不安定な部分がある。それは一番最後に覚えた術だから、というだけで片付けられることではなかった。

 

「薄い」

『何がだい?』

「お前のことだよ。もうちょっと、僕達と完璧に繋がれないの? いまいち出力が足りない気がするんだ」

『改善するためには、アナタの脳の三分の二が必要だと言ったら、どうする?』

「冗談か?」

『まさか。事実だよ。呪術の力を上げるには、ワタシが担当する部分を多くしなきゃ。わかってるんだろう。この雷を確実に成功させるためには、四つ目の意識が必要になる。ワタシがそれにならなければならない。アナタの大半と繋がる必要がある』

「一部じゃ、足りないって言いたいのか。そんなことをしたら、僕はどうなる」

『考えられる限り、最悪の事態が待っているだろうね』

「論外だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

  (13京4532兆7785億9722万6544)

 

 

 三術と向き合う。

 真摯な時間を作る。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (15京7398兆2223億8867万4355)

 

 

 魔術と奇跡の配分はおそらく合っている。

 だが、呪術が思うようにいかない。

 もう少し、深く入り込む必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (18京3452兆7746億8964万3212)

 

 

 弾け飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (23京5643兆3155億7753万7786)

 

 

 何かが、ぴったりとはまり込むような感覚があった。

 混沌の中に、秩序だった何かを見つけた。

 一本の光。

 自分の中でも具体化できないものの、手応えはある。その感覚を、常に感じられるようにしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (25京6754兆7754億2323万8986)

 

 

 掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (27京3112兆6644億7875万3234)

 

 

 新たな課題ができた。

 この術は、下手をすれば自分にも害が及びかねない。特に、右手で制御するのは完全に駄目な方法だった。できた雷で右手のほとんどが破壊される。しかも、竜の再生力までが働かなくなってしまう。まだ痛みがましな左手でやらなければならない。

 逆に言えば、今まで正しい道を進んできたということも示している。この雷を使えば、ヨルシカの再生を無効化できる。迅速に、援軍が来るまでに、殺すことができる。

 ただし、直接ぶつけるには、威力が少し心許なかった。届く範囲も狭すぎる。彼女にほとんど密着するほど近づかなければ、最低限の効果でさえ見込めないだろう。

 ここで思いついたのが、雷を符呪として使うことだった。槍に纏わせることができれば、欠点を補うことができる。

 しかし、これができるようになるまではまだまだ時間がいる。雷を作り出して、その場に維持できるようにはなったものの、少しでも動かそうとすればすぐに安定性を失ってしまう。ましてや他の物体に伝導させることなど、未だ夢のまた夢だった。

 槍をもっと、自分の身体の一部として意識すればいい。もっと触れる時間を作り、イメージを強固なものにする。自分の身体に雷を伝わせることはできているのだから、同じことをすればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (33京5346兆7654億7644万6432)

 

 

 橙色の光が、瞳を柔らかく照らしてくる。

 バチバチと、激しい反応が起こっている。

 下田は額に汗をかきながら、徐々に雷を動かした。

 槍の先端部部に、やがて触れる。

 結果を、淡々と受け止めた。 

 どれだけの偉業を成し遂げているのか、下田にはよくわからなかった。この世界の技術に、思い入れなどないからだ。ただの道具として、扱う。余計な感情を排するために、徹底していることだった。

 それでも、顔は笑っていた。

 獲物を前にした、捕食者のような。

 

 

 

 

 

 

 

 

  (45京3122兆7654億3233万3485) 

 

 

 相手の感情を握るというのは、なかなか心地いいものだ。

 槍と雷という組み合わせは、ヨルシカに劇的な効果をもたらした。彼女は、明らかに怯えているようだった。下田がそもそもできていることに対しての驚きよりもよっぽど、強く伝わってくる。

 背中に無数の針が刺さっても、下田は止めなかった。分解をしたり、奇跡を使うのは後回しだ。今は、攻撃に全てを集中しなければならなかった。

 突き出された槍は、ヨルシカの上腕部に刺さった。

 三つの詠唱を、並列させる。

 術が合わさり、光が生まれる。 

 橙の雷が、槍の把管から流される。同時に、上方向へと手の力を入れた。

 刃が動き、ヨルシカの右腕が切断される。

 だが、再生は始まらなかった。

 焦げる臭い。肉が破壊されていく薫り。

 彼女の傷口が、弾けていた。焼けていく。苦しそうな呻きと共に、竜の鱗が潰されていく。

 左腕もまた、そぎ落とす。

 もはやヨルシカは、全身を硬直させていた。雷が伝導している。髪の毛が逆立ち、表情は大きく強張っている。

 下田は槍を横に薙ぎ払おうとした、狙いは、首だ。

 相手もそれはわかっている。激痛が襲っているだろうに、意識はまだ強く持っているようだった。地面を蹴り、距離を取ろうとする。

 じんじんとした頭の痺れを感じながら、彼は槍の把管を絞った。根元の方へと。

 槍が、伸びる。

 刃の先が、ヨルシカの首に食い込んだ。

 

「ふぅ……、ふぅ……」

 

 下田は興奮を抑えられずにいた。

 地面に倒れ込んだ彼女は、再生しかけの腕で喉を抑えながらもがいている。呼吸をするたびにこぽこぽと音がして、血が吐き出されていく。下田にとっては、褒賞のようなものだった。できれば写真にして、部屋にでも飾っておきたいくらいだ。

 

「苦しいか? 今、殺してやる」

 

 いくら竜の血を引いているとはいえ、頭を散々に破壊すれば死ぬ。雷を流し込んでやれば、あっという間だ。それなりに苦しめさせて、葬ることができる。

 向かう足が止まる。

 両手を広げて、決然と見てくるプリシラの姿が、眼前に広がった。彼女は、今までのように、遠慮がちな様子を見せることはない。下田をまっすぐ見つめて、行為を阻もうとしていた。明らかな意思表示をしている。

 下田は、獰猛に口の端を吊り上げた。

 知ったことではない。

 そもそも、彼女が力を与えなければ、こういうことにはならなかった。それを今更、自分の娘を庇うなんて、どういう思考をしているのだろう。彼には理解できなかった。できないから、相手をする必要性を感じなかった。

 ソウルの弾丸を作り、狙いを定める。瀕死とは言え、最期の一噛みをしてくるかもしれない。まずはこれで、さらに抵抗する気力を削ろう。

 弾丸が撃たれる。真っすぐ、ヨルシカの頭へと向かっている。到達すれば、内部で脳味噌をずたずたに破壊する予定だった。

 が、途中で消える。跡形もなく。

 その時、下田には妙な線が見えた。温度のない線。それが弾丸に絡みついて、無理やり引っ張りこんだように感覚した。

 ゆっくりと、無表情で振り返る。

 

「何してる?」

 

 問いかけても、新宮は黙っていた。さらに警戒するような表情になって、一歩下田から離れた。その手には、弾丸が浮かんでいる。彼の術だ。奪われたのは、もう確定したと言ってもいいだろう。

 沸々と、腹の底で熱が沸き上がってきた。

 

「質問してるんだ。答えろ。どういうつもりだって、訊いてるんだよ。おい!」

 

 近づこうとすると、両手足にいきなり縄が巻き付いてきた。バランスを取れなくなり、前のめりになってから、転ぶ。

 初めは、衝撃の方が大きかった。こんなことをしてくるなんて、想像もしていなかったからだ。予想外にもほどがあった。

 

「ちとせ…?」

 

 生徒達は、全員、穏やかではない様子だった。ちとせはそこらに転がっている死体を見て、青くなった顔を下田から逸らし続けていた。

 

「ほどいてよ」

 

 頭の異物感が強くなる。気持ちの良い痛みが脳を覆っていく気がする。代わりに、どこまでも体が沈み込んでいく心地になる。

 

「ほどいてよ、ねえ。時間がないんだ。早く殺さないと」

「お前……」

 

 高坂は何かを言いかけて、やめた。

 その続きを、実織が引き取る。

 

「何、してるの」

 

 全身が、冷えた。

 我慢をしながら、下田は自分の身体を魔術で斬り刻んだ。夥しい量の血が流れだし、意識が遠のいていく。まだ足りないと言わんばかりに、体を傷つける。それだけ、死に近づいている気がするから。よりその感覚を強められるから。

 ちとせの縄は、生きて動くものにしか効果がない。下田が生死の狭間で揺れ動いていると、徐々に緩んでくるのがわかった。あまり時間をかけずに、拘束から抜け出す。

 即座に奇跡を使ってから、ヨルシカへと疾走する。

 その歩みは簡単に止まった。

 既にグウィンが、下田の胸に剣を突き刺していたからだ。

 頭の痛みが増す。

 膿の蠢きが大きくなる。

 同時に、力が抜けた部分もあった。何かはまだよくわからないが、今までの積み重ねの中で保たれていた何かが、崩れたような気がした。

 下田は、考え得る限りの呪詛を周囲に向かって吐き散らした。

 

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