火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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61.撤退戦

 目の前の、ただ一人の女性だけが映っている。

 この感覚は、自分では形容が難しかった。

 今まで、なかったからだ。四六時中思考にこびりつくほど、大事に思う存在を持ったことは。それが二度と手の届かない場所に行ってしまい、他全てがどうでもよくなるほどの喪失感に襲われたことは。

 彼女と出会ってからは、何もかもが初体験だった。新鮮な気分で常にいられた。

 猛進している意識が我に返ったのは、目の前に腕が放られた時だった。

 

「せんせえっ!」

 

 叫びと共に、光が出現する。

 あらかじめ予想していたことなので、貴樹は冷静にかけた両腕部分を前に出した。その傷口にぴったりと、奇跡の光に包まれた腕から先の部分が密着する。下田による治療は、一瞬で完了された。神経の接続さえも容易に成功した。

 貴樹は、右の指先を動かした。そして、左の指先をぶらぶらさせる。確認はそれだけで十分だった。足は変わらずに前へと進み続けている。

 もう一つの奇跡の光が、貴樹の右目を覆った。潰れていた視界が明るくなっていく。

 

『返事はするな。おれが一方的に話す。グウィンに聞かれるからな』

 

 内部から聞こえてくる声は、荒くなっていた。

 

『時間はあまりかけないでくれ。おれは無限にあの爺を抑えてられるわけじゃない。とにかく目的の完遂だけを心掛けろ。お前が冷静でなくなると、それだけ失敗の可能性が高くなる。グウィンに付け込まれる隙は作るな』

 

 ごきりと、指の骨を鳴らして返事をした。

 頭の血管をぶち切れさせながら、大口を開ける。

 

「離せやああああああああああああああ!」

『あの、ぼくの言ったこと聞いてました?』

 

 平常心を保てという方が無茶だった。

 今の貴樹は、ただ目標に向かって駆けることしか考えていなかった。

 橙の閃光が視界を埋める。

 進行方向を瞬時に直角に曲げ、恐るべき速度の雷が通り過ぎていった。一瞬だけその術を観察する。かなり、見覚えのある術だ。ゲームとしてこの世界を楽しんでいた時、何度もお世話になった。条件さえ整えれば、ボスをも一瞬で屠る強力な術。

 だから、それを使ってくるような相手に対しては、それなりの警戒を持った。

 拳を、振りかぶる。

 肩甲骨の筋肉が盛り上がる。

 放たれた刺突に合わせて、拳を撃ち込んだ。

 固いもの同士が激突するような鈍い音と共に、火花が散る。先に逸らされたのは、オーンスタインの槍の方だった。横に宙返りをして、その黄金獅子の腰から弾ける雷を避ける。

 二、三度フェイントを入れてから、上段の蹴りを相手の側頭部に直撃させた。オーンスタインは体勢を崩さないが、受けた槍ごと飛ばされる。

 後ろの方で興奮したような叫びが聞こえた。

 無視する。

 左右に反復横跳びをしながら進んでいき、飛んでくる大矢をかわした。その内の数本は、殴り落として完膚なきまでに破壊する。魔術もいくつか飛んできたが、今の研ぎ澄まされている貴樹にとっては、相手にする価値もない攻撃だった。

 火守女を抱えているキアランは、彼女を振り落とす。貴樹に向かって戦闘態勢を取る。だが彼にとっては構えた敵よりも、乱暴に扱われた火守女のことで頭が一杯だった。顔がかっと熱くなった後、一気に冷やされていく。

 光が走った。

 その影に、銀の刃が潜んでいる。

 貴樹は両手を滑らかに動かした。

 

(お、なかなか良い武器じゃねえか)

 

 黄金の残光。

 暗銀の残滅。

 初代の作品でかなり有名だったらしいその二つの武器を、知識としてだけ知っていた。

 両の刃をつまみながら、観察をする。纏っているソウルだけを考えても、素晴らしい意匠の作品だ。どうせ使えはしないが、展示用として確保するのもいいかもしれない。

 キアランは身を引こうとした。しかし、貴樹は当然相手の武器を離さない。指先だけで相手の動きを制限している。彼女は予備動作も見せずに、体を回転させた。足の先から出したソウルの刃を、貴樹の喉元へと疾走させる。

 そういった動きを全てなぎ倒すようにして、全身を殴り飛ばした。一瞬にも満たない攻撃だったが、キアランはしっかりと受けている。その武器にも、損壊は見られなかった。軽く殴ったくらいではびくともしない程度の耐久はあるようだ。そして上手く後ろへと飛び、衝撃の緩和と離脱を同時にやった。

 間隙を狙ってきたソウルの矢を全て破壊し、半身を起こそうとしている火守女を見た。

 

「手を」

 

 彼女は片側にある貴樹の瞳を揺らしながら、口を数度開け閉めした。喉の先まで声が出かかっているが、最後の段階を超えられないといった感じだ。言われて反射的に伸ばしかけた腕を止め、いけないことであるかのように自身の胸元へと戻した。

 が、その動作が完了する前に、貴樹が掴んでいた。

 

「あ――」

 

 火守女の口が動くが、言葉は途中で切れた。

 肌が鳴る。

 彼女は何度も瞬きをしながら、自分の頬に触れた。

 そして緩く叩いてきた貴樹の手を見る。

 彼の表情は何とも言えない罪悪感で歪んでいた。彼女へと、たとえ戒めのためだとしても、衝撃を与えるのは嫌だった。この瞬間だけ、泣きそうになるほど胸が張り裂けた。

 

「灰様、」

 

 またも彼女は最後まで言うことができなかった。

 火守女の顔は貴樹の肩に押し付けられている。

 

「やっと…」

 

 首を曲げて、相手の頬に自分の顔を擦りつける。彼女の吐息が肌の表面を撫でていった。それも含めたあらゆる感触を、心に刻み込む。永遠に忘れないと決めた思い出の一部へと含める。ほとんどキスするようにして、口を白い耳に付けた。

 

「やっと、君を抱きしめられた。長かった。凄く、遠回りをしてきたような気がする」

 

 それまで少し抵抗するように動いていた相手の腕が、止まった。力が抜けたように垂れ下がり、貴樹の腰あたりに落ち着く。

 

「灰様、私は、決めたのです。己の使命を果たすと。ですから、もう…」

「認めない」

 

 貴樹は満面の笑みを向けた。

 

「君が優しいのはわかってる。だから、一生のお願いだ。俺の全てを懸けた頼みだ。ずっとそばにいてくれ。拒否はできない。権利もない」

 

 彼女のソウルが、震え出すのがわかる。きっと今もし自分にも瞳があったのなら、彼女の目と一緒に混ざり合っていっただろう。視線が合わさり、一つになり、どこまでも溶けていったのがわかっただろう。どこまでも深く。

 

「いいか、これは確定事項だ。君は、俺のもにょ」

 

 首を前に曲げる。

 大剣が、彼の後頭部を狙って突き出されていた。

 

「あ?」

 

 振り向くと、アルトリウスがさらに刃を動かしたところだった。大剣がいくつもの軌跡を描き、貴樹の体に多数の攻撃を加えようとする。それは目も止まらない連撃だった。並の戦士なら何をされたのかもわからず、細切れになっている。そういう、完璧な攻めのはずだった。

 

「今…」

 

 だが、それは成功しない。大剣は地面に抑えつけられていた。その素早い流れを断ち切るようにして、貴樹の足が動いていた。 

 刃を踏みつけながら、貴樹は優しく火守女を離す。

 

「俺と、全宇宙一可愛い生き物がいちゃいちゃしてる所だろうがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 彼の連打は、全て流される。

 アルトリウスは的確に刃を動かし、相手の力を逃がしていた。間に緩急をつけて放った蹴りも、大盾で完璧に防ぐ。

 兜の青い房が、横目を通り過ぎていく。

 貴樹はのけ反ったが、鼻先に大剣がかすっていった。振り切った後の隙も最小限で、返す刃が向かってくるのだろうと予想する。

 だが、相手にとっては貴樹だけが標的というわけではなかった。アルトリウスの攻撃は火守女の首を狙っている。この状況においては、彼女を生かす余裕もないのだろう。不確定要素を削りに来た。

 その刃を蹴って、軌道をずらす。

 同時に迫ってきた大盾を受けて、多少押された。

 回避に意識を向けている場合ではない。すぐに体勢を整えなければ、火守女が殺される。ほとんど猶予はなかった。キアランの曲刀が振るわれる。

 だが、その直前で目の前を光が覆った。一瞬の空白の後、目の前に石像が現れる。広場の中心にあったものだ。いつの間に移動したのだろう。

 というより、自分が移動させられたのだとすぐに気がついた。

 下田が、向かってきた雷を撃墜する。

 

「大丈夫ですか?」

 

 それ別に、貴樹へ向けられたものではない。彼のすぐ横で膝をついている、火守女への言葉だ。彼女は無傷のようだった。それを確認して、貴樹は下田を見る。相手もまた、じっと視線を合わせてきた。

 

「おい、手を出せ」

「はい?」  

「気持ち悪い膿がない方な。さっさとしろ」

 

 下田は不思議そうにしながらも、右手を伸ばしてきた。

 間髪入れずに、その手を思いっきり叩く。とはいえ、本当に本気でやると普通にへし折ってしまうので、手加減はした。

 さらに怪訝そうな目になった下田に対して、真っすぐ言う。

 

「よくやった!」

 

 基本的に、地球産の存在に対しては何の価値も抱いていなかった。同じ人間としては全くとらえていない。しかし、下田が今まで持ちこたえていたことに関しては、それなりに驚いていた。相手の力量を考えると、奇跡と表現してもまだ足りないのだ。だから、一応の礼儀として称賛してやることにした。有用な道具に対するものでしかないが。

 だが、その言葉は深く下田の心に刺さったようだ。目を大きく開いた後、そこから大粒の涙がこぼれ始めた。口をわなわなと振るわせて、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど膝を曲げる。嗚咽を漏らしながら、何度も頷いた。

 

「僕、僕は、頑張ったんです。だから、こうして…。ううう。今までのことは、ずっと戦ってきたのは、無駄じゃなかった。無駄じゃなかったんです」

(え、よく見たらこいつ、なんで凄く気持ち悪い構造になってんだ?)

 

 貴樹はすぐに先ほどの言葉を撤回したくなった。

 

「あ、ああ。まあ、間に合ったのは俺が頑張ったおかげだったけどな」

「間に合った?」

 

 下田は動きを止めた。

 

「ん、そうだろ?」

 

 その表情を感覚する。

 下田の顔はどろりと溶けていた。目は貴樹の全身を満遍なく撫でていき、呼吸もまた荒くなっているようだった。その舐めるような視線は、盲目の貴樹にも嫌というほど感じ取れる。思わず一歩下がった。

 

「そう、ですね。ぎりぎりでした。間に合って、良かった」

(気色悪っ)

 

 背筋がぞわぞわしていくの感じて、貴樹はさらに距離を取った。

 

「それと、もうわかってると思いますが。ちゃんといますね」

「あいつを集中的に狙うか?」

「いえ、他を全部殺してからにしましょう。念のためです」

「…そうだな」

 

 体を敵へと向けると、ちょうど火の粉の舞う騎士が手を振ってくるところだった。その見た目は、明らかに王の化身と酷似している。ダークソウルⅢにおける最終ボス。多彩な攻撃をしてくる。

 しかも、そのソウルの構造は異様だった。多数の命が無理やり一つに押し固められているような醜悪さ。王の化身というのは、歴代の薪の王の思念が積み重なって誕生したという考察もある。それならば、その構造にも納得がいく。

 

「やあ、ようやくまともな話ができそうだ」

 

 貴樹はかなり驚いた。あのかつて大苦戦したラスボスが、優男風の声だったとは。

 

「話せるんですね」

「そりゃあ、恩人の君とはちゃんと言葉を交わさないとね」

「? どういうことですか」

「声で気づかない? 俺だよ。ウィンさ」

「は?」

「元ハリウッド俳優。今は、そうだね、救世のために奉仕している感じかな」

 

 貴樹は耳をほじくった。

 

「誰だよ。そんな奴いたか?」 

 

 自分に尋ねてきたのだと、下田は少し遅れて把握したようだ。

 

「いや…、先生が助けたんじゃないんですか? 絵画世界とかいう場所で」

 

 さらに数秒ほど怪訝そうな顔をした後、ぽん、と手を鳴らした。

 

「ああ~、いたわ。いたいた。どこのゴミかと思えば。でも、おかしくないか。あいつ、見た目変わってるんだけど」

「僕が殺しましたからね」

「死んでねえじゃねえか」

「一応、内臓とかはたくさん引きずり出したんですけど、上手く逃げられましたね。多分、体という概念にあまり固執していないんだと思います。かなり、しぶとそうです」

「おいおい、ちょっと待ってくれよ」

 

 ウィンは軽く笑った。兜から覗く目は冷えているままだ。

 

「まるで、俺を殺す前提みたいな話になってるじゃないか。やめてくれ。俺は、交渉がしたいんだ。君達にとっても、有意義なものになるはずだ。そうだろう?」

 

 そして、貴樹と下田がいる場所とは別の方向に顔を向ける。

 

「カオル」

 

 言われた彼女は、ちょうど実織を抱きしめている所だった。ウィンの声がかかると、大げさなほどに肩を震わせる。実の妹に再会できた涙が、今度は別の意味に思えてくるような怯え方をしていた。

 

「酷いな。本当に。君は凄く頑張ったはずなのに、結局全てを無駄にするのかな。俺や仲間たち全員を犠牲にして得た約定を、無下にしてしまうなんて。傷つくよ。正直な所。無力感で一杯だ」

「わた、私は…」

「聡明な君なら、わかっているはずだ。まだ、機会は残されている。一時の気の迷いくらいなら、当然許そう。我等に弓引く行為を、流すこともできる」

「その、声と……」

 

 彼女は、さらに強く実織を引き寄せる。一見知らない修道女に抱き着かれている実織は、今もまだ訳が分からないという顔をしていた。相手の腕力に抑えつけられていなければ、とっくに離れていただろう。

 

「喋り方を、い、今すぐ、やめて。貴方みたいな存在が、ウィンを真似ないで。おぞましい。吐き気がする」

「いやはや。全く」

 

 困ったように、王の化身は自分の頭に手を当てた。それだけの動作で、腕から揺らめいている炎が舞った。

 

「タカキ、君ならわかるだろう? みんな冷静ではないんだ。俺達は何も、好きでこうしているわけじゃない。できればこれ以上、無辜の命を失いたくはないんだよ。だから、合理的な話し合いをしようと言ってるんだ」

「何のために話し合うっていうんだ?」

「当然、戦わない道を見つけるためさ」

 

 ウィンは大剣を下ろし、指を二本立てた。その間、他の騎士達は黙って佇んでいる。大狼の傍で、アルトリウスとキアランが何かを話していた。ウィンの方へと、視線を向けながら。

 

「わかるかい。現状、我々が対立してしまっているのは、二つの譲れない問題があるからだ。使命と、罪。俺が提案するのは、そのどちらもまとめて解決できる道なんだよ」

 

 貴樹は無言で先を促した。

 

「今、タカキのほとんどの生徒達には、もう薪がない。グウィンが回収したからね。だから、火継ぎのために身を捧げてもらう必要はないんだ。これで大体のわだかまりは無くなったと思う」

「は?」

「うんうん。わかるよ。タカキにとっては違うね。そも、君が今ここでこうしている原因は、ほとんどが火守女のためだろう。彼女の中にある薪の存在は、確かに君と我々の対立点になってしまっている。でも、安心してほしい。俺は、薪を別へと移すことができる。そのやり方を十分に心得ているんだ」

 

 そして、下田を指差す。

 

「二つ目は、ほとんどこちら側にとっての譲れない点だね。我々も和解を望んでいるが、それにしたってけじめというものは必要だ。彼は、駄目だ。手遅れなんだよ。許しがたい罪を犯した。我々に差し出してほしい。しかるべき処分を与える」

「具体的には?」

「火守女の薪を、シモダに移すんだよ。彼は元から、グウィンを殺した時に生徒達の薪の一部を回収している。全て含めれば、最後の薪の王が誕生するというわけだ。生まれて間もなく、捧げられる運命を持つ王が」

 

 貴樹は顎に指を当てて、下田を一瞥した。下田の方は肩をすくめて、口をすぼめる。

 

「どうだい? 良い案だと思わないか? 彼一人の犠牲で、全てが救われる。これ以上の解決策は、ないよ」

 

 少しの間誰も言葉を発しなかった。思考するような時間。ほとんどの視線は、下田に向けられている。注目されている彼は、穏やかな表情をしていた。膿が浸食している外見を含めると、そういう印象はほとんど薄れてしまうが。

 貴樹は、呆れたような顔をしている。

 

「うーん」

「結論は出たかな」

「まずお前、交渉の意味わかってるか?」

「どういうことだい?」

「交渉ってのは、対等な立場の者同士がやって初めて、まともに機能すると思うんだが」

「そうだね。だから、相当に譲歩してるのは理解してくれるかい? 俺は血も涙もないってわけじゃないから」

「わかってないな」

 

 下田は言って、にやりとした。

 貴樹も、さらに邪悪な笑みを浮かべた。手に、力を籠める。

 

「俺達の方が立場上に決まってんだろ。雑魚共が」

 

 貴樹は下田の首をもぎ取った。

 司令塔を失った体が、ゆっくりと後ろへ倒れていく。返り血をたくさん浴びながら、貴樹は吐きそうな思いでその体を蹴り飛ばした。無残なそれは勢いよく転がっていき、広場の長椅子に激突する。

 そして首を強く握りしめて、ウィンの方へと放った。

 一連の行動を、生徒達や彼と共に篝火から転移してきたホークウッド達が、衝撃を受けたかのように見ていた。

 ウィンは足元に転がる下田の首を一瞥し、肩をすくめる。

 

「これは、どういうことかな」

「別に首だけでも、薪として機能するんだろ? あとはそれに彼女の薪を移せばいいわけだ。はい、和解成立」

 

 貴樹はおどけて掌をかざした。

 

「何というか、君の精神性には驚かされる」

「最低限の損得勘定をしただけだ」

 

 重い静寂が、一瞬この場を支配した。

 貴樹の本性を多少なりとも知っている者達は、こういうことになるとほとんど予想しながらも、そうして欲しくはないという思いもあっただろう。それが打ち砕かれ、何とも言えない複雑な顔をしていた。

 彼の表面的な優しさを本質だと信じ込んでいた者達の衝撃は、とてつもなく大きい。彼を茫然と見つめる目には、裏切られたという思いが多分に含まれているだろう。

 

「それじゃあ、早速始めよう。火守女をこっちへ」

「わかった」

 

 彼女を立たせる。その瞳は戸惑うように向けられてきていた。彼女に優しく触れ、大丈夫だと安心させるように頷く。彼女の手を握り数度振った後、離した。

 そしてウィンの背後に出現した貴樹は、思いっきり拳を振るった。その殴打は正確に相手へと直撃し、体を武器ごと吹き飛ばす。

 

「なわけねえだろばああああああああああああか!」

 

 ウィンが吹き飛んだ先には、既に転移し終えている下田の首がいた。一瞬で全身を回復させて、下田はファランの速剣を振るう。鎧を貫通し、見事に腹に青白い光が刺さった。瞬間、多量の膿を流し込む。スモウが倒れた時の五倍はあった。

 が、倒れはしない。

 異変が起きたのは下田の方だった。彼の体の方へ、膿を伝って炎が流れていく。危険をすぐに察知して、彼は消失した。

 直後、ウィンは手を伸ばすと、何かをつかむような仕草をする。そして思いっきり引っ張る動作をすれば、下田が出現し、その足元に転がった。彼の首に向かって、大剣が振り下ろされる。

 貴樹がその側面に走り込んでいた。

 今度はウィンも把握していた。貴樹の拳を後ろへと飛びながらかわす。

 下田は立ち上がると、笑いかけてきた。

 

「うまく合わせてくれて、助かりました」

「楽勝だ」

 

 貴樹は心の中で舌打ちした。

 

(思ってたのと違う…)

 

 隙をついて相手に攻撃するところは、彼も考えていた。しかし、ついでに下田を本気で排除しようとしたのも事実だ。気がついたらウィンの背後を取れていたので、流れのままに何となく殴ったら、何だか協力する筋道が立てられていた。

 下田のような存在が、自分と肩を並べて曲がりなりにも戦えている状況が、不快だった。ゴミは、ゴミのままでいてほしい。相手の油断を誘う使い捨ての道具にするくらいがちょうどいいのだ。

 

「結局、どちらもまともじゃなかったってことか」

 

 ウィンは悲しそうにつぶやいた。

 

「タカキ、君はもう少し賢い人だと思ってたよ。彼我の戦力差を、把握できるくらいには」

「してるだろ。死ね」

「…仕方がない」

 

 ウィンの横に、騎士達が並んだ。

 大狼がうなり始める。

 剣槍の男は一番後ろで静かに佇んでいた。

 

「無理だよ。無理…」

 

 貴樹は振り返る。薫は既に実織から離れて、こちらに近づいていた。彼女の顔にははっきりと恐怖が浮かんでいる。

 

「すぐに殺される。どうにかして、逃げないと」

「おかしいな」

 

 耳にまた指を入れて、ほじくった。

 

「なぜか、ゴミが喋ってるんだが。そうするだけの脳味噌はあるらしい」

「私は、真面目に言ってるの。いくら貴くんが規格外の力を持っていようと、相手はもっと常識から外れている。私はかつて、それを身をもって思い知らされた。だから」

「おい、アバズレ」

 

 まだ続けようとする彼女の顔を、掴む。少し握る力を強めて、口をふさいだ。本物の姉の体だったら、そんなことはしなかっただろう。気持ち悪くて、直接触れることすら躊躇われるから。

 

「どの分際で、口出ししてんだ? 今、殺されないことを幸運に思うんだな。黙ってろカス」

 

 離された後、少しの間息を整える。貴樹の方を処置なしと言いたげに見つめてから、今度は下田の方に視線を向けてきた。

 

「一度、ロスリック城で会ったよね。君なら、わかるはず。奴らの強さが」

「それは、」

 

 下田は倒れているリリアーネと、ユリアを指差した。

 

「薫さんだけの意見かもしれません。フリーデさんに訊きます。自身の妹たちを傷つけられても、何も感じないんですか? 黒教会の三姉妹の繋がりは、その程度のものでしかないんですね」

 

 驚いた顔は、やがてフリーデらしい表情に変わっていった。

 

「タカキから聞いたのですね。ですが、私もカオルと同じ意見です。抗うと考えることすら、愚かでしょう。今は、私たち全員がこの場を脱する方法を考えなければ」

「駄目ですよ」

 

 下田は自分の肩に生えている顔を撫でた。その口からは涎が滴り落ちている。膿の怪物と同じように、唇の端を吊り上げた。

 

「殺さないと。奴らにはそれだけの罪がある。その死体も入念に辱めないといけません。そうするべきだからです。手伝う気がないのなら、下がっててください。邪魔です」

「貴方達は…」

 

 貴樹と下田は前へと進み始めた。一度も振り返ることはせずに。 

 ウィンが、首を傾げる。

 

「二人だけで向かってくるつもりかい?」

「二人?」

 

 下田が鼻で笑った。

 

「冗談でも面白くないですよ」

 

 彼らの横に、数人が出てきた。

 ウィンは肩をすくめる。

 

「いるだけだろ?」

 

 ホークウッドは、じっと大狼の方を見つめる。それはミレーヌも同じだった。彼らはどちらも相反する感情が混ざったような微妙な表情をしていた。憎むべきなのか、喜ぶべきなのか。

 アンリとホレイスは、静かに剣を抜いていた。その顔達は一度貴樹に向けられてから、よどみなく敵へと据えられる。そこには、次元の違う相手に対する戸惑いや怯えはない。貴樹をかなり信じてくれているようだった。

 

「やっぱり、あの時殺しておけばよかった」

 

 クリムエルヒルトはウィンを睨んでいた。それから下田の方へと顔を向け、妙な顔をしてから、逸らす。

 

「何ですか?」

「…いえ、何も」

 

 下田は軽く笑ってから、固有能力を発動させる。瞬時に自身の周りに五体の分身を作った。その瞬間だけアンリ達の反応が乱れる。

 

「慣れてくださいね? 貴方達一人一人に付けますから。適当に利用してください」

 

 同時に分身達が思い思いの挨拶をした。それを見て彼らはさらに複雑そうな表情になった。一番衝撃が大きそうなのは、アンリだ。彼女がまだ祭祀場にいた頃の下田を考えれば、そうなるのも当然だろう。

 

「皆さんは、あの後列にいる男と、大弓の巨人に対処してください。できれば、狼も抑えてくれると助かります。特に」

 

 下田は一人を指差す。

 

「クリムエルヒルト。貴方が要です。僕との転移線を上手くつなげるのは貴方だけだ。全体の状況を見て、動いてください」

 

 彼女は挑戦的に笑った。

 

「太陽の長子と、鷹の目を同時に相手しながら?」

「いや、その必要はない」

 

 貴樹はやや早口で割り込んだ。

 

「戦うな。クリムは、篝火の復活に集中してもらう。イリーナさんと、ひもりんの三人で協力してくれ。なるべく早くできるように」

「旦那様、それは」

 

 敵達は既にゆっくりと動き始めている。とはいえ、武器を動かす気配は全くない。貴樹達の行動を待っているかのように。

 

「俺達が時間を稼ぐ。撤退戦だ」

 

 貴樹は手をさりげなく口に持っていき、誰にも気づかれないようこぼれだした血を拭った。ノミの荒い息遣いが一瞬だけ聞こえたような気がする。それの限界が迫っていることは確かだった。刻限が来れば、耐久値の有無など関係なくなる。

 貴樹と下田が、突出して進み始めた。同時にウィン達も歩みを速める。ゴーが弓を引き絞り、相手の集団へと向ける。その矢が放たれた瞬間、既に両方の先頭が激突していた。

 アルトリウスの大剣と、貴樹の拳がかち合う。お互いがお互いを弾いた間隙に、下田が割り込んだ。両手から速剣を伸ばし、アルトリウスを狙う。

 が、その行動を直前で止め、疾走する雷を同じもので相殺した。オーンスタインはすぐに次の手を打ってくる。槍を構えながら、鋭く突進してきた。

 貴樹が、その頭を狙う。同時に下田も呪術の発火をかぶせてきていた。

 呪術をウィンが分解し、貴樹の蹴りはキアランの一撃によって軌道を逸らされる。

 ウィンの背後へと移動した下田は、その首を狙って膿を放つ。が、アルトリウスが盾でそれを押し出し、地面に落ちた。

 声が重なる。

 一つは、下田。もう一つはウィンのものだ。

 そのどちらも、貴樹にとっては聞いても意味がわからないものだった。今までの経験で、術を発動させるための言葉が存在することはわかっている。しかしよほど単純なものではないと、その細かい性質を理解するに至らない。

 だから、結ばせる前に突っ込んだ。

 オーンスタインの刺突をかわし、キアランの光を避ける。

 が、既にウィンは詠唱を止めていた。大剣に炎を纏わせ、貴樹の攻撃に合わせようとしてくる。

 直後には、そこから離れた場所に立っている自分を自覚した。

 首を狙うアルトリウスの剣を殴りつけ、自らと入れ替わった下田と目を合わせる。いつの間にか、彼との間に妙なつながりができているのが感覚できた。白いつながり。奇跡の光とよく似ている。

 下田はウィンの大剣で腕を飛ばされると、すぐに口を動かした。同時に貴樹は、何もないはずの所に向かって拳を向ける。

 再び両者の位置が転移によって交換され、貴樹の放った殴打は正確にウィンの側頭部を捉えていた。だが、別に相手の意表をつけたわけではない。

 大剣の刃を斜めに傾けて、ウィンは攻撃を流していた。拳が滑らされ、振り切った貴樹の体へと複数の刃が迫る。どれも、決して侮ることのできない強さを持っている。

 意識を、深く沈みこませていく。流れを感じるように。

 向かってくる攻撃は四つ。

 難しいことはない。

 その内の二つに、対応すればいいだけだから。

 オーンスタインの槍を、拳でかち上げる。

 キアランの曲刀を蹴る。

 一方で、上に出現した下田が、貴樹の頭に手を置いて体を回転させる。足の先に出した呪術の塊と、太腿から伸びるファランの速剣でウィンとアルトリウスを退けた。

 貴樹の殴打をかわしたキアランが、着地した下田の肩に短剣を突き刺す。一瞬で抜いて、うなりをあげて迫ってくる回転蹴りから離れた。

 血を吐きながら、下田は腕を上げる。そこから輪のように炎が噴き出していき、貴樹と彼自身を覆う防護のような形になった。

 それでも構わずに、ウィンが切り抜けてくる。彼が手をかざすと炎の輪は呆気なく消えていった。

 その大剣を、下田の魔術が相殺した。派手な爆発音を響かせて、その軌道がやや上へと逸らされる。そこの隙を狙おうと貴樹は地面を蹴ったが、直後に両手で頭を庇わなければいけなかった。

 アルトリウスの一撃が、両腕に炸裂する。自分から思いっきりのけ反るような体勢になって、衝撃を最大限に殺した。それでも足が数歩分後ろへと擦れていき、腕の痺れも少しだけ残った。これでも片手で振るわれている武器の一撃だ。

 追撃をしようとしたアルトリウスは、何かを察知したかのように自らの後方へ盾を構える。そこへちょうど、瞬間移動してきた下田の刃が激突した。群青の騎士の腕に力が籠められる。攻撃が当たった瞬間は引き気味に盾を移動させ、直後に強烈な勢いで押し出した。

 体勢の崩れた下田の首がオーンスタインに飛ばされる。

 その口は、既に詠唱を終えている。

 目の前に出現した首を、貴樹は即座に掴み、全力で投擲した。血をまき散らしながら、下田は瞬きの間に全身を再生させる。さらに魔術の爆発で加速しながら、周囲に膨大なソウルの弾丸を弾けさせた。

 貴樹は疾走する。 

 アルトリウスは盾で完璧に防いだ。

 ウィンは向かってくる全てを分解し終えている。

 オーンスタインはそもそもかわす必要がない。装甲が魔術の悉くを通さない。

 だから、最も隙が生まれた相手に向かった。

 キアランは一撃目をかわすことができた。左の正拳突きも、曲刀で流した。反撃としての短剣をぎりぎりで避けた貴樹は、彼女の懐へと潜り込みながら、腕を掴んだ。強く引き揺さぶってから、足払いをかける。相手の体が浮いたのを確認し、己の体を支点にしながら背負い投げをする。

 相手が叩きつけられる予定の地面には、既に下田の呪術が設置されていた。キアランが近づくのを感知し、火柱が立つ。

 それがキアランに直撃する前に、大盾が降ってきていた。吹き出す炎と激突し、それでも勢いを失うことなく地面まで押し付けられる。

 膝をついたアルトリウスへ、下田の足が向かっていた。そのつま先から、ソウルの剣が飛び出している。正確に相手の喉を狙っていた。

 が、ウィンの呪術がそれを阻止した。一連の行動の間に、アルトリウスはキアランの腕を掴み、自分側に引いた。貴樹の拳が彼女の顔すれすれを通り過ぎていく。

 アルトリウスとキアランは一瞬だけ互いを見合った後、貴樹へと同時に接近した。

 黄金の曲刀を、二本の指でつかむ。

 貴樹はそのまま横に回転しながら跳び上がり、大剣の薙ぎ払いを避けた。キアランの武器を掴みながら縦横無尽に動き回り、彼女の体勢を崩そうとする。

 だが、不動。

 キアランは掴まれた曲刀を少しもずらされることはなく、また、体幹を崩してもいなかった。その華奢な体格からは考えられないほどの筋力。

 ぐい、と貴樹は何かに引かれる感触を覚える。

 気がつけば、キアランの顔が目前にまで迫っていた。彼女に引っ張られたのだと理解した瞬間、大盾が彼の側面にぶつかってくる。

 辛うじて防護のない顔は避けたが、それでも生まれた隙をカバーしきることができなかった。転がりながら体勢を整えようとしたところで、オーンスタインに背中を突かれる。固いもの同士がぶつかった時の、鈍い音が響いた。

 

「顔か」

 

 オーンスタインは指先から雷を顕現させ、凄まじい速度で放つ。それは明らかに貴樹の顔面に向かっていた。さすがにここまで戦えば、弱点を看破されるのも当たり前だろう。 

 獅子と貴樹の間に出現した下田が、一瞬で雷の線を形作った。それは見事にオーンスタインのそれと合わせるような軌道になっており、狂いなく相殺される。

 直後、ウィンのファランの速剣が下田の頭を貫通した。

 その血が貴樹の顔面にもかかる。

 吐きそうな思いになりながら、地面に手をついた。綺麗な逆立ちをして、足を広げながら回転をする。

 受ける選択をしたのは、アルトリウスだけだった。

 歯を食いしばる。

 踵が大盾に食い込み、それでも勢いが止まらなかった。今までの比ではない轟音が鳴り、彼の蹴りが盾ごと相手を押し込んでいた。

 わずかな変化だった。それでも群青の騎士は、少し意外そうに構え直す。その盾の装飾に、ひびが入っていた。おそらく、内部にまでは全く到達していない。表面が剥がれそうになっているだけだ。

 もっと変わっていたのは、アルトリウスの腕だった。盾を持っている方の手甲が割れていた。その隙間から血が流れ出している。

 他の騎士達も下がって、やや戦闘に間が空いた。

 貴樹は拳の骨を鳴らす。

 

(なんだこいつら。まさか俺が、今まで本気を出してやってるとでも思ってたのか?)

「最高、ふふふ。これこれ。最高だ…」

 

 隣の下田は不気味に笑っている。ちらりと視線を投げると、晴れやかな表情になって言ってきた。

 

「先生は、何個くらい意識を増やしてるんですか。五つはありそうですね。もしかして、六つ目もあるんですか? ふふ、やっぱり違うや」  

(こいつ、何言ってんのかさっぱりだぞ。なんで俺はこんなキチガイと一緒になってるんだ…)

 

 アルトリウスをじっとりと観察する。その鎧を特に入念に見た。形、施されている装飾。懐かしいようでいて、たった今出会ったかのような新鮮さも感じる。その騎士自体のことは、たいして知らない。とても有名なキャラクターらしいが、初代の作品をやっていない彼にとっては思い入れも浅い。

 だが、その装備は違った。彼は幾度となく、アルトリウスの一式装備を利用していた。一番気に入っていたと言ってもいい。そしてよくよく見てみれば、オーンスタインの見た目にも非常に馴染みがあった。貴樹としても、相手側の方が外見において圧倒的に勝っているのは肯定できる。

 

(ただし俺の顔が一番整ってるけどな)

 

 さりげなく後ろを確認する。

 三人の火守女が、篝火に明かりを戻そうとしていた。見た所、作業は半分に到達しかけているようだ。ここにやってくる際、無理やり繋がりを辿ったせいで、かなり篝火に負担を強いてしまった。おかげで何とか間に合ったのだが、そのしわ寄せが今やってきている。

 ホークウッド達は、全員で剣槍の男を囲んでいた。問題なく戦えているようだが、巨人の放つ弓矢がそれを絶妙に妨害している。下田の分身が対応しているが、その分だけ責める手数も少なくなるので、拮抗した状況が続いていた。

 こちらとは、大違いだ。

 貴樹は首を曲げて、さっと素早く額の汗を拭った。

 

(さてと、どうやってひもりんと一緒にバックレよっかな)

 

 その思考は、もう逃げの一手に染まっている。

 

(強いな。一匹くらいぶっ殺すつもりでいたが。勝てねえ)

 

 本当なら腕どころか全身を粉々に破壊するつもりだった。今まではずっとそうなってきていたのだ。だが今は相手の体も、その盾でさえもほとんどダメージを与えられなかった。明らかに違う。これまでに戦ってきた敵とは。

 

『ぜえ、残り、五%だ。くそ、こっちも限界が近い。答えなくていいが、まじでやばい。やばすぎる』

 

 黙れ下僕、と深層の方で思考する。そんなことは、感覚としてもわかっていた。既に胸の中がずきずきするほど熱くなってきている。いつ血を吐いてもおかしくはない。

 もちろん、追い詰められていることなどおくびにも出さなかった。不敵な笑みを浮かべながら、貴樹は前へと進む。同じくにやにやしている下田には、今の状況が理解できているのだろうか。とち狂っている頭の中など、興味はない。

 

「怖いのか?」

 

 初め、それがアルトリウスの声だとわからなかった。聞こえてきた方向からして、明らかにその青い房の付いた兜から発せられている。

 

「は?」

 

 貴樹は首を傾げてみせる。

 続きは、高速で迫る刃だった。

 縦の軌道。

 それだけを感知し、体を横にずらす。

 気がつくと、音が遠くなっていた。

 かつて、ゲルトルードによってもぎ取られた右耳。それに加えて、もう片方の耳が今まさに地面に落ちていた。頬を血が零れ落ちていく。とっさに手で出血を抑えようとしたが、そういうことをしている場合ではないと気がついた。

 アルトリウスは小さく踏み込んできて、大剣を弾けさせた。

 今度は横の軌道。 

 今までと違うのは、速度だ。

 アルトリウスは両手で武器を握っている。盾は既に捨てていた。腕一本分の力が新たに加わったくらいで、何かが変わるわけではない。

 というのは、常識の範囲内だけだった。

 しゃがむか、跳び上がって避けるべきなのはわかっていたが、その思考をした時点で既に刃が首に到達しようとしていた。桁違いの剣速。肌に食い込み始めるのが、極限にまで引き伸ばされた感覚の中でくっきりと理解できた。

 そして大剣を下田が蹴り上げたことは、遅れて認識した。

 彼は器用に体を曲げて、もう片方の足をアルトリウス本人へとふる。その足の先から、膿の混じった魔術剣がうなりを上げていた。

 相手が離脱したのを確かめてから、下田は振り返ってくる。

 

「ぼうっとしてたら、殺されますよ」

 

 貴樹は片目で、下田を観察した。

 

「お前、見えてたのか?」

「はい?」

「あいつの攻撃だよ」

 

 少し照れたように頭をかく。

 

「かろうじてですけど。さすがに奴らの速さにも慣れてきました」

「死ね」

「え~」

 

 ぎりぎりと、歯を鳴らす。

 あってはならない。

 認めるわけにはいかないのだ。

 貴樹は自分を至高の存在だと微塵も疑っていなかった。外見、性格、そして強さ。全てにおいて最高に位置するのだと認めていた。だから、下田の方がより早く相手に適応しているなどと、考えるのも馬鹿らしい。

 両手を動かし、拳同士をぶつけた。

 まだまだ自分は本気を出していない。そう言い聞かせた。

 その動作の一部始終を見ていたウィンが、大剣を地面に向けた。

 

「頃合いかな」

 

 貴樹は後ろへ飛んだ。矢が風を切る音がしたからだ。

 実際、大きな竜狩りの矢が突き立った。間違いなくゴーが放ったものだ。それは明らかに一つの事実を示していた。

 横を見る。

 兜が飛んでいる。

 腕を抑えながら、顔を晒したミレーヌがホークウッドに引っ張られている。彼女のいた所に、巨狼の牙が通り過ぎた。

 ゴーの蹴りをかわし、アンリは自分の刃を伸ばして何とか顔を狙おうとするが、その前に剣槍の男に吹き飛ばされる。ホレイスが彼の背後を取り、攻撃した。振り向いて男は対応し、やや体勢を崩す。

 その隙をクリムエルヒルトが突こうとするも、ゴーの弓によって阻止された。彼女の片手が飛ばされたが、すぐに奇跡を発動させる。

 そこへ、巨狼が突っ込んだ。が、既にクリムエルヒルトの姿はなく、彼女は貴樹の側に再出現していた。やや息を荒げている。

 

「手伝わせてください。篝火の方は順調に進んでいますから」

 

 視線は剣槍の男に鋭く向けられてから、四騎士を順々に廻った。そのたびに、瞳にこもっている憎悪の炎が、手に持つ呪術に反映されていくようだった。

 

「その赤毛、憶えがあるね」

 

 ウィンは腕を組んだ。その時だけは、彼自身の雰囲気から少しずれていた。まるで、別の誰かの記憶を身に纏っているかのようだ。

 

「思い出したぞ。竜の娘に魅入られたイザリスの」

 

 彼女は誰の声を聞くこともなく、前へと飛び出そうとした。

 しかし、もうその必要はなくなっている。彼女の目の前まで、オーンスタインが飛んでいた。相手が反応する間もなく、槍が振るわれようとしている。

 だが、竜狩りは途中で武器の軌道を変えた。 

 それが、クリムエルヒルトと位置を交換した下田にとっては、不意を突かれた形となる。彼の放った呪術が見事に避けられて、槍の刺突が彼の喉を潰した。

 魔術の爆発で下がった彼は、慌てて近寄ってきた彼女を手で制した。

 

「治療を…」

「いい」

「だけど、」

 

 下田はかっと目を開き、叫んだ。

 

「手伝うつもりなら、前を見ろ。集中しろ!」

 

 彼と貴樹が同時に、腕を振るった。

 キアランとアルトリウスの一撃とぶつかる。

 その間隙に割り込もうとしたクリムエルヒルトは、ウィンに殴り飛ばされた。追撃の炎の斬撃は、下田によって分解される。

 その隙を狙われて、彼はウィンに両腕を斬られた。

 飛んだ肉片が、ゴーによって射止められる。

 貴樹は目の前のキアランを殴りつけようとしたが、その前にのけぞった。アルトリウスの大剣が顎を削り取っていく。痛みなど、気にも留めていなかった。ただその顎に向けて槍の底が直撃した瞬間だけは、目の前が激痛で眩んだ。

 脳もまた、大きく揺らされているのが分かる。誰かの叫び声が聞こえるが、意味を認識することができない。剣の腹がぶつけられ、鼻の骨が粉砕する。既にこの瞬間には貴樹の意識はほとんど飛んでいたが、腕は平常時と変わらない速さで動いていた。

 その殴打を、アルトリウスは正確に受け止める。刃が揺れるのを見て、少しだけ頷いた。最後の力を振り絞った強者に感心するかのように。

 

「旦那さ」

 

 クリムエルヒルトは助けに入ろうとするが、強くオーンスタインに喉を掴まれる。そして地面に叩き付けられると、一度大きく呼吸してから、目を閉じた。

 その黄金の鎧へ、大剣が振るわれた。

 オーンスタインはこともなげに槍を振り、弾く。

 

「あな、貴方は、見たことあるわ」

 

 ミレーヌは喘ぎながら、相手を睨みつけていた。

 

「たくさん、たくさん、人を殺していた。見たの。見てたんだから…」

 

 答えず、竜狩りは指先で雷を操った。その全てを破壊する光は、狂いなく彼女へと向けられている。ホークウッドは助けに入ろうとして、うなりを上げる矢をかわすのに精いっぱいだった。

 決定的な一撃が放たれる前に、オーンスタインの腕を誰かがつかむ。黄金色の兜が、怪訝そうにアルトリウスを見た。

 

「何だ?」

「待て」

 

 アルトリウスは、ミレーヌを観察しているようだった。特に、顔の部分に注意が向かっている。

 

「な…に……」

「…」

 

 返答を得る前に、ミレーヌは膝をついた。元々傷ついていた彼女は、そのまま倒れる。ちょうど巨狼の突進で、アンリとホレイスが廃屋に激突したところだった。

 

「最初の作業を、終えてしまおう」

 

 下田を喉ごと瓦礫に魔術で縫い付けた後、ウィンは楽しそうに手を打った。そのまままだ暴れている貴樹に近づくと、腰を下ろす。彼の胸に手を当てると、何かしらの操作を始めた。

 瞬間、あの焦がすような苦しみが強烈なほど酷くなった。胸の開いた穴に直接焼き杭を打ちつけられているような感じがする。

 たまらず何度も咳き込み、口から大量の血を吐いた。もはや、ノミの声は全く聞こえてきていない。もしもう既に消えているのなら、全てが終わる。ウィン側から、引力を感じた。己の熱い何かが、引っ張り出されようとしている。

 

「俺の時間も、終わりだ。まあまあ楽しめたよ。ありがとう」

 

 ウィンは兜の中で笑ってから、がくんと首を垂れた。

 同時に、貴樹の全身の力も抜けていく。熱の移動は非常に速やかに完了された。

 王の化身は静かに顔を上げる。兜を外していく。

 出てきた相貌は、初老の男のものになっていた。

 ゆっくりと、そして丁寧に周りの騎士達は膝をついていく。その視線は一瞬化身へと向けられた後、すぐに地面に落とされた。

 貴樹はごほごほと咳き込みながら、まだ鼻につくような笑みを維持していた。

 

「ジジイが…」

「最後まで、退屈をさせてくれない男だ」

 

 グウィンもまた笑っていた。こちらは、讃えるような意味合いが込められているようだった。あるいは、貴樹に対する突き抜けた呆れも含まれている。

 

「常陽の民よ。我らはお前達を忘れないだろう」

「ちく、しょう」

「恐怖することはない。皆、同じところに行ける。罪を犯した者、罪に巻き込まれた者。そこに差分はない。苦しませることもない」

「くそが…」

 

 我慢ならなかった。

 だが、認めるしかない。

 この時だけは、頼るしかなかった。自分の力だけでは、打開することができない。もとから練っていた作戦とはいえ、貴樹はほぼ自分で状況を乗り越えるつもりでいた。だから、これは、嫌々やることなのだ。決して本心ではない。利用できる道具の一つとして、この絶好の機会にぶちまけるだけだ。

 貴樹は、血の混じった叫びを上げた。

 

「やれ、下田アアアアアアアアアアアア!」

 

 復活したグウィンの頭上に、肉片が出現した。まだ抵抗してくるとは思っていなかったのだろう。その場にいる敵は全員、やや反応が遅れた。

 下田は片手を優先的に再生させる。伸ばされた腕は、まっすぐグウィンの背中に向かっていた。

 だが、到達する前に切り落とされる。アルトリウスはさらに追撃を行おうとする。

 だが、実体の腕が本命ではなかった。透明な手がすでに、目的のものをかっさらっている。

 今、このタイミング。貴樹の中にいたグウィンが外に出たときでなければ、成功はしなかっただろう。それを出そうとしても、早すぎればグウィンがくっついてきてしまっていたから。

 だが、もう違う。グウィンが体を得た影響で、同じく貴樹の体にいた別の魂が、表に漂ってきていた。

 下田は消失し、標的の背後に回る。同時に貴樹の体を白い光で覆い、自分の側にまで引き寄せていた。

 剣槍の男はかなり遅れて反応していた。

 元から、挙動はおかしかったのだ。貴樹も、その男のことをよく知っている。かつては、ラスボスよりも苦戦した相手と言っても過言ではなかった。それも含めた諸々の事実を考えると、明らかに、弱すぎるのだ。

 下田が相手の背中に手を突っ込む。その時点で、既にすべては完了されていた。

 その男は動きもぎこちない。それも当然だろう。おそらく、器だけで動かされていたも同然だったのだから。操作をしていたであろう王の化身はたった今状態が大きく変化した所だ。それを止める時間もなかっただろう。

 豊かな白髪が、ぶるりと震えた。

 

「戻った気分はどうだ? 無名の王」

 

 またの通り名を、太陽の長子。

 嵐の王。

 立ち上がった貴樹の声に、落ちくぼんだ目が動いた。

 かなり楽しげに。

 

「もう、その呼び名は正しくねえな」

 

 そしてにやにやと唇を吊り上げる。それは、正直今までその男が漂わせていた風格とはかなりずれていた。明らかにそぐわない俗物的な表情だった。

 

「おれは、ノミだ。そこんとこよろしくううううううういやっほうううううううううううううううううう! ひさびさのシャバの空気だあああああああああああああああ!」

 

 ぶんぶん振り回される剣槍の先から、雷が派手に弾けた。

 

 

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