火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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66.真実とこれから

 ノミが屈んで、べちべちと頬を叩く。

 

「まって…、あと十分……。とりあえずあしゃごはんは、昨日の残りでいいや…」

「きっしょ。こいつ、おれのことお前だと思ってるな」

 

 視線を受けた火守女は、申し訳なさそうに貴樹の顔へ触れた。

 

「タカキ様、すみません。起きてください」

 

 彼は迅速に再起動した。

 正確には、「タ」の音で足が跳ねあがり、「様」で一旦区切りがつくまでに天井近くまで飛び上がった。馬鹿にしたような顔でのぞき込んでいたノミが、その動作に巻き込まれて後ろへ転がっていく。貴樹の頭が激突した顎を、手で押さえていた。

 貴樹は着地すると、火守女をぼうっと見つめた。

 

「あ、おはよう」

「はい…」

「まだ、君の瞳を戻す作業がまだだったね」

「はい?」

 

 周囲を彼は見回す。そして二人の女性に隣を挟まれてげっそりしている下田を発見。ぞんざいに手招きする。

 

「ちょうどよかった。おい早くしろ。ひもりんの瞳を早く」

「えっと、もう終わってますけど」

「はあ?」

「彼女の顔をよく見てください。それでわかると思います」

 

 未だ夢見心地らしい彼は、火守女の顔をじっと見る。そうして、徐々に目が大きく開いていった。ふらりと、後ろに足をずらす。

 

「え、じゃあ、あれは。都合のいい夢とかじゃなく?」

「あの、そうです。私は、貴方の瞳も分けてもらいました」

「え、え…」

 

 下田は嫌な予感がして、席を立とうとした。しかし、静かに膝へと女性の手が添えられる。横を見ると、リリアーネは無表情で首を振った。もう片方の腕もユリアに捕まえられているので、全く動けない。そしてその状況を、一席分離れた所からちとせが眺めている。さらに離れた壇上から、フリーデが腕を組んで見ていた。

 

「じ、じゃあ、あれも? ほ、頬のあれも…」

 

 火守女はそこで不安そうにした。

 

「はい。タカキ様がよく私になさっていたので。お返しできればと。不快な気分にさせてしまったなら、もう二度といたしません」

 

 貴樹はもんどりうって気絶した。

 首をほぐし終わったノミが、腕を組みながら歩いてくる。

 

「今度はぶん殴って起こすぞ」

 

 その後再び火守女の呼びかけによって、彼は目覚めた。察するに、彼女と何かがあったのは確からしい。明らかに雰囲気が変わっている。常に浮ついている感じだ。素直に下田が微笑ましい気分になれないのは、自分の事で精一杯だからだ。 

 貴樹が椅子に座ったのを確認すると、ノミが話し始める。

 

「まずは、おれから言っておくことがある」

 

 下田や、他の生徒達に向かって、頭を下げた。

 

「申し訳ない。謝ってもしょうがないだろうが。おれは、数千年前、失敗した。そのせいで、お前達の種族は滅んだんだ。そればかりは、言い訳のしようがねえ。おれとプリシラは、できる限りの抵抗をした。侵略のきっかけを作った償いのつもりでもあった。だが、失敗した」

「ちょっと待って」

 

 実織が話を止める。彼女だけではなく、他の生徒達もほとんどがまだ納得できていないようだ。

 

「受け入れきれてないけど、下田の記憶でわかってきた、とは思う。でも、どうして私達だけ? 私達のクラスが、残ったの?」

 

 それは、下田もわかっていないことだった。あの深淵の主の中に取り込まれてから見させられたものの中にも含まれていない。

 

「それは、わからん」

「は?」

 

 下田は思わず声を上げた。

 ノミは考えるように上を向く。

 

「おれは、実際に見てないからだ。どうしてお前達が助かって、棺桶に入れられたのか。詳しく説明はできない。だが、推測の範囲で話すことはできる」

 

 指で、生徒の一人一人を示した。

 

「そもそもがおかしいと思わないか? 地球で科学に頼って過ごしていたお前達が、どうして急に術を扱えるようになったのか。ただ何千年も眠らされていただけで、身につくわけがない。だが、それを可能にするものがある」

 

 下田も、結論に行き着いていた。

 

「王のソウル。薪と言い換えてもいい。おそらく、グウィン由来のそれが何分割もされて、お前達全員に宿ったんだ。あれの力は凄まじい。器自体に影響を及ぼす。長い期間体の状態を保全することも容易だろう」

「まだ、答えになっていない」

 

 下田は自分でも考えながら言った。

 

「どうして僕達だけにそんなものが? 理由も意味も分からない」

「それは多分」

 

 ノミが、何か含みのある視線を、下田へと向けた。

 

「お前だ」

「え…」

「お前がいたからだ。多分あいつは、プリシラは、他の全員も見捨てられなかったんだろう。だから、大事なお前と一緒に助けた。いや、結果的に正解だったのかはわからんが」

「何を言ってるんだ」

「シモダミサは死んでいる」

 

 言葉が、耳の中で異様に反響した。

 

「それは確かだ。動かしようのない事実。だが、お前の認識とはずれている。彼女は、ヨルシカに殺されたんじゃない。もっと前に、死んだ。侵略よりもおよそ十七年前に。お前を、産んだ時にだ」

 

 今だけは、リリアーネの密着も気にならなかった。聞いたことの整理をつける前に、ノミはさらに話を続けた。

 

「彼女は体が弱かった。出産に耐えられなかったんだ」

「だって、僕の母さんは、ちゃんと……」

「おれとプリシラだけは、早めに来てたんだ。ちゃんと準備をして、親父達の計画を阻止するつもりだった。でも事情があってな。どちらもその時は、まともな体を持っていなかった。おれは彼女に助けられる形で、魂だけ地球に飛ばされたんだ」

 

 ノミは頭を手で押さえた。後悔するかのように。

 

「しょうがなかった。動くためには、体が必要で。おれは、適当な地球人の男を選んで入った。その時は、必死だったからな。無理矢理乗っ取った。精神を破壊して、成り替わったんだ。だが、プリシラは違った。あいつも余裕がなかったはずなんだが。大きく、心境が変化していたらしい。宿った女と、友好な関係を築いていた」

「嘘だ…」

 

 下田は自分の推測が間違っていることを願った。

 

「だからあいつは、その女性が死ぬ間際で、願いを聞き取った。子供を、託されたんだ。やがて試練の時が来るとわかっていながら、限られている時間の一部を、親友の息子を育てることに使った。ミサの体と同化してまで」

 

 いつの間にか、自分が立ち上がっていることに気がついた。今度は誰にも止められない。彼は一歩ノミへと向かおうとして、思い直した。

 

「騙そうと、しているのか?」

「おれにそれをするメリットがない」

「でも、お前の、言ってることは、何もかもおかしい」

「何の、心当たりもないのか? お前は自分の母親がどこか、普通とは違うと一度も思わなかったのか?」

「ない」

「本当に?」

 

 出産してから、母親はどこか変わった。

 というのは、近所のおばさんの話だ。

 下田を産む時、少しの間、心臓が止まったらしい。その時は、場にいた医師達はほとんど諦めていた。だが、やがて鼓動が戻ったという。出産自体もぎりぎり成功した。

 それからだ。彼女は親や親戚との折り合いが悪くなっていったという。仕事も変えた。そんな苦労している時期を支えてくれたのが、そのおばさんだった。最初聞いた時は素直に感動し、もっと母親のためになることをしようと思った。だが、今は。

 

「想定外のことは、必ず起こる。最初、あいつは自分で何とかしようと思ったんだろう。何とかできるだけの能力は持っている。だが、無理だった。要因はいくつかあるだろうが…」

 

 ノミはちらりと、黙っているヨルシカを見た。

 

「とにかく、あいつはおそらく最も頼りたくなかった手段をとることにした。自分が育てた子を、利用する。仕方がない部分もあったんだろう」

 

 拳を固く、握りしめる。

 

「だが、最悪なのは確かだ。あいつは、あらゆる苦しみを、お前に背負わせた。状況がくそったれになってから、お前に丸投げしたんだ。そこだけは、わからねえ。あいつに同情してやることはできない」

 

 静かな雰囲気の中で、下田は視線を左右にさまよわせた。だが別に、何かを探しているというわけでもない。その視界にはまともにものが写っていなかった。考えることはたくさんあったが、今は深く思案できる状態ではない。

 今まで様々な事実を聞かされてきた。その度に一度は拒絶したり、話した者に怒りを向けたりした。だが、もうこれ以上繰り返すほど、下田は未熟ではない。受け入れまいとする混乱した思いはすぐに消え去り、落ち着きが戻ってきた。

 整理を試みる。

 

「お前は…」

 

 ヨルシカは、声をかけられても下田の方を向こうとはしなかった。

 

「知ってたのか? 知ってて、殺したのか」

 

 少し間をあけてから、片目だけ合わせてくる。

 

「ええ。そうです。全部わかっていて、あの女を殺しました。全く後悔はしていません。少しも情はありません。…いえ、後悔はしていますね。もっと、念入りに殺しておけばよかった。あの女がまだ生き残っていたなんて」

 

 最後まで言い切った時には、体全体を下田の方に向けていた。表情は不敵な笑みになっている。挑発するようにして、指先で蒼白いソウルを弾けさせた。

 だが、その指が小さな手によって掴まれる。

 

「そう。だから」

「な…」

 

 画家の少女はヨルシカを引っ張りながら、下田のところまで来た。ヨルシカは、なぜかあまり抵抗していない。いや正確にはしようとしているのだが、ノミが睨みをきかせている。

 下田の方へと、少女は空いている手を伸ばした。何をしようとしているのかはまるでわからなかったが、その真摯な目には抗いがたい何かを感じた。

 彼が動かないのを見て、少女はさらに近づいてきた。力の抜けている下田の手を握ると、引き寄せる。こうして彼女は、下田とヨルシカの間に挟まる形になった。

 

「お願い。もう戦いはしないで。二人は、たとえ直接血がつながっていなくても、兄さんと姉さんだから。私達は、同じ母親を持っている。だから、こうした方がいいの」

 

 下田は、ヨルシカと顔を合わせた。

 彼女も、呆然としているようだ。少女が二人の指先をちょんと合わせた所で、ようやく振り払った。

 

「おぞましいことを言わないでください。くだらない…」

 

 下田も同じ気持ちだった。

 だが、もう少し時間が経っても、そうだと言える確証はなかった。なぜなら、答えが示されてしまったからだ。墓所でヨルシカを殺せなかった理由。戦いの中で感じたソウルが、似通っていたのだ。なぜか、母親を思い出させた。その原因が解明されたとしても、すっきりとした気分にはならなかった。

 そういう思いもまた、持続していくかはわからなかったが。

 

「彼の言ってることは、事実かもしれない」

 

 静かに聞いていた修道女が、ぽつりと言った。今は、薫のようだ。

 

「私も、日本で見た。明らかに普通の女性が、術を使っている所を。多分、下田君のお母さんだったと思う。抗がん剤、使ってたんでしょ」

「ああ、そういえば」

 

 ここで今までの流れを断ち切るかのように、貴樹が両手を打った。その目は冷たく薫へと定められる。

 彼女もまたゆっくりと、向き直った。

 

「忘れてた」

 

 貴樹は火守女から離れると、めんどくさそうに歩き始めた。何かを確かめるようにして、手の指を何度も開閉させている。

 ある程度まで薫へと近づくと、彼女へ指を突き付けた。

 

「これからの戦いの中で一番排除すべきなのは、信用できない味方です。皆も下田の記憶の中で知ったかもしれないですけど、この女は危険です。一度裏切った奴は、また繰り返す。俺は正直、許すつもりはない。早急に殺すべきだと思っています。というか、今この場で殺すつもりです」

 

 下田は内心かなり引いていた。不思議には思っていたのだ。貴樹の性格的に、どう考えたって薫の生存を容認するはずがない。なのに見逃して、今まで放っておいた理由が今わかった。

 貴樹は厳しい表情をしているが、実際は愉悦に浸っているのだろう。つまり、より彼女が苦しむように工夫をしたということだ。こうして実織に再会させて、一旦安全だとなった段階で、突き落とす。彼はもう戦闘の準備を終えたようだった。拳から、炎を弾けさせる。

 薫もまた、それを薄々予期していたらしい。驚く様子はなく、手元に鎌を出現させた。何かを言おうとする実織を止めて、苦笑する。

 

「いいの? 私を殺すってことは、フリーデの体も…」

「喋んなくていいつったろ。じゃあな」

 

 下田の両隣りが、動いた。

 貴樹も踏み出そうとする足を止める。

 リリアーネとユリアが、薫の前に並んだ。

 

「なんだ?」

「タカキ、それは認められないかな」

「なるほど」

「我ら黒教会を敵に回すのは、愚かだぞ」

「ユリアさん、それ本気で言ってます?」

 

 彼女達は、下田に視線を向けてきた。

 まさか、と下田は嫌な感じを覚えつつ、歩き始める。彼らが殺し合うのは、確かに避けたい事態だ。どちらの味方だと、はっきりとは決断できない。だが、自分の発言の責任は取るべきだった。リリアーネ達に与えた影響の責任も。

 彼女達の前に立つと、貴樹の表情はさらに鋭くなった。つまり、もっと喜んでいるということだ。

 

「まいったな…」

「先生。ちょっと、我慢してくれませんか?」

「これじゃ、俺が悪者みたいじゃないか」

 

 貴樹は両腕の筋を伸ばし始めた。こちらへと向けられる敵意は少しも鈍っていない。つまり、止まるつもりがないということだ。下田の説得にも応じるような相手ではない。思わずノミに助けを求める目を向けたが、彼は黙って座っていた。まるで必要がないと言わんばかりに。

 控えめに、貴樹の前へと女性が出てきた。

 火守女は、手と手を下で合わせている。

 

「ひもりん? 危ないよ、そこにいると」

「タカキ様、あの」

 

 名前を呼ばれただけで、彼の雰囲気が一気に柔らかくなるのが分かる。下田は何やら光明が見えてきたことに気がついた。

 

「どうか、ここは収めていただけませんか? カオル様は、貴方の家族です。あまり争うのは、良くないと思います」

「でも、よく考えてごらん。その女は、君が殺される要因を作ったんだ。一緒に行動しているときからずっと、俺達を騙していた。許されることじゃない。また、君が傷つくかもしれないと思うと、ちゃんとけじめはつけておきたいんだ」

「そのような考えは嬉しいのですが、やはり、良くないと思います。私は、この方が自分からあのような行動をしたとは考えられません。仕方がない部分もあったんです」

「いいのかい? 君は、彼女を恨んでないの?」

「はい」

 

 火守女は振り返って薫を見た。その答えは明瞭としていた。

 

「そっか」

 

 貴樹は思案するような動きを見せた。腕から吹き出そうとしている炎の勢いが、徐々に弱まっていった。そして落ち着いた様子で椅子に戻っていく。

 

「わかった。じゃあそうする」

 

 あまりに急の心変わりだったので、下田は彼が嘘を言っているのだと一瞬考えた。しかし、その注意が薫から火守女へと移ったのを確認して、改めて理解する。自分の考えている以上に、彼は火守女を尊重しているということだ。

 火守女がさらに何かを言おうと、下田達の方へ向き直った。だがその言葉が発せられる前に、薫が動く。とても素早い動作だった。

 下田も思わず止めかけたが、すぐにその必要はないと判断する。薫は相手に勢いよく抱き着くと、存在を確かめるように顔へと両手を触れさせた。

 

「あの…?」

 

 薫は、涙を流し始めている。貴樹もまた腰を上げかけていたが、その様子を見て首をひねっていた。

 

「ずっと、誤解をしていた。貴方と初めて会った時、正直憎んでたの。だって、貴くんが誰かを愛するなんてありえないはずだったから。きっと、中にいたグウィンが自らの都合の良いように操作したんだって。だから、とても嫌だった。貴女を殺したくなった」

 

 薫は自分の頬を、火守女の顔に擦りつける。

 

「でも、違ったんだね。貴方は…、誰にも成しえないことを、やりとげた。本当に貴くんに愛されているんだ。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。私が、こんなこと言う資格なんてないだろうけど、ありがとう。彼がちゃんとした人間だと証明してくれて。嬉しい、とても、嬉しいの…」

 

 本来ならば湿っぽい空気が続くはずだった。

 だが、そういう流れをまるで無視するようにして、貴樹が口を動かす。

 

「待って。もう解決したみたいに言ってるけど」

 

 全員の視線を受けても、堂々としていた。

 

「無条件で許すと言っていない。いいから、さっさとひもりんから離れろ」

 

 薫はすぐに指示に従うと、目を拭った。

 

「うん、わかってる。どんな罰も受けるつもり」

「いや、お前はもう関係ないから」

 

 おそらく彼以外の全員が、最初話の流れを理解できていなかった。どうやら貴樹は、もう薫への制裁に全く関心を払っていないらしい。視線から、全てがわかった。彼の目は熱をもって、火守女へと縫い付けられている。

 

「君の言い分はわかった。従うのにも異論はない。でも、条件がある」

「私、ですか?」

「うん。俺は姉さんのことを許す。その代わりだ」

「何でも、申し付けてください」

「じゃあ、あの、あのさ…」

 

 貴樹は照れたように顔を俯かせた。

 

「さ、さっきのやつ」

「何ですか?」

「さっきの、ほっぺのちゅう、もう一回やって!」

 

 自分で言い終わった後に、わーっと小さく叫んだ。どたどたと足を交互に床へ打ち付ける。言われた火守女は、明らかに今までよりも戸惑っていた。

 

「今、ですか…?」

「そう」

 

 彼女は多少周りを気にしてから、恥ずかしそうに彼へと近づく。

 

「おいおい、待て」

 

 ずっと見ているだけだったノミが、周りの言葉を代弁した。

 

「話が逸れすぎたな。いちゃいちゃは後でやってくれ。まだ本題にも入れてねえじゃねえか」

「あ? なに邪魔してんだ虫けら。あんまり調子に乗ってるとぶっ殺すぞ」

「いや、なんというか…」

 

 困ったように腕を組んでから、全員を今一度見回した。

 

「なあ、わかってるか? 状況はあんまり好転してねえぞ。このままだと、おれ達全員死ぬ確率が高いんだ。ほぼ確実に、全滅する」

 

 おそらくノミがしたかった話はこれから始まるのだと、下田も理解をした。

 

「何言ってんだ。グウィン達に負けるってか? は、かの長子様も弱気だな」

「そっちじゃねえよ。タカキ、わかってて話そらしてるな? 一応、お前の意見が頼りなんだ。わかるだろ?」

 

 もちろん、下田にとっても他人事ではなかった。今までは、そうだったのだが。途中で死ぬつもりでいたから、後は全て貴樹達に丸投げするつもりだったのだ。だが、もう違う。

 ノミは笑みを引っ込めて、引き締まった表情になった。

 

「火継ぎを止めるつもりなら、避けては通れない問題がある。今のままだと、おれ達は深淵に勝てない。いや、勝ち負け以前の問題だ。タカキ、お前は最初の方からずっと、それをどうにかすることを考えていた。おれの知らない範囲で、何か思いついたのなら言ってくれ」

「簡単な事だろ」

 

 貴樹はたいして深刻に考えていないようだった。

 

「最初の火を奪えばいい。それを使えば、退けられる」

「そんな簡単な話じゃねえ。あれは、薪が全て捧げられた上で、ようやく機能するんだ。つまり、火守女や生徒達を犠牲にしないといけない」

「薪は移せるんだろ?」 

 

 ノミは首を振った。

 

「そんな方法は、存在しない。いや、意味がないと言った方が正しいか。薪というのは、最初の火の糧になるのにふさわしい、ソウルの量と格ををもった存在のことだ。つまり、グウィン達にとっては、今の状態が最善だということ。資格を別の誰かへ移させる気なんてない。もう今の段階では、薪になれる存在なんて限られてるからな。奴らは、自分たちがその役目を担うつもりはないってことだ」

 

 ウィンの言葉を思い出す。確かにこれ以上面倒を避けるなら、彼やグウィンが薪になるという選択肢もあった。かつては、そうしていたのだ。だが、下田にその役割を担わせると提案した。

 貴樹もまた、理解したように言う。

 

「つまり、ひもりんから別へ移そうにも、方法だけじゃなく候補もいないってことか。そりゃああいつらに押し付ければいい話だけど、絶対に納得はしないだろう」

「つまり鍵はそこにあるんですね」

 

 下田が確認をすると、貴樹は怪訝そうな顔になった。

 

「は?」

「いや、だから。これからグウィン達と戦って、無理やりその要求を呑ませればいいわけですよね。どちらにしろあいつら全員殺さないといけないんですし。薪のあれこれも尋問して聞き出せばいい」

「お前…、何言ってんの?」

「え?」

 

 貴樹は、まるで狂人を見るような目つきで見てくる。

 

「どうして、そんな話になるんだ?」

「でも…」

「まず確認したいんだが、深淵っていうのは、明確な何かなのか? それとも、ただのたちの悪い闇ってだけなのか。それで色々変わってくる」

 

 貴樹以外の全員が、それを思い浮かべたようだ。ある者は恐怖し、ある者は耐え切れず途中で考えるのを止めた。下田はその両方に当てはまっていた。

 

「おそらく、元締めはいます。僕は、それを実際に見ました。戦おうとも、しました。ですが、そんなのは全くの無駄で…。あれには、勝てません。誰も」

「ちゃんと表現しろよ。具体的にはどんな奴だ?」

「奴らです」

 

 説明をする。本当はあまり思い出したくなかったが、唯一理解をしていない貴樹に向かって、その脅威を示した。大角の怪物、女、二匹の竜。聞いていても、相手はほとんど表情を変えなかった。少しも、怯えることはなかった。

 

「ふーん、じゃ、何とかなりそうだな」

「どこが?」

「そいつらをぶっ潰せば、生き残れるってことだろ。簡単じゃねえか」

 

 下田は首を振る。

 

「でも、僕らじゃ勝てません」

「確かに、厳しそうではある。でも、心強い戦力がいる」

 

 段々と、貴樹の言いたいことが分かってきた。

 下田は信じられないと言いたげに眉をひそめる。

 

「嘘ですよね?」

「なあ、そもそも俺はノリで戦ったから、ずっとわからなかったんだが。どうして、グウィン達と敵対しなきゃいけないんだ? もう確信したぜ。あいつらと一緒に深淵を退治すればいい」

 

 貴樹は当たり前のように続けた。

 

「お前はこれから戦いに行くと勘違いしてるみたいだが、違う。俺達は話し合いをしに行くんだ。そのための準備期間として、三日を提示した。相手も意見を整理する時間が必要だろうからな」

 

 平然と話している顔が理解できなかった。彼は淡々と説明しながら、色々な事を否定していた。下田達がこれまで抱いてきた思いを。

 

「何を、言ってるんですか!」

「うるせえな」

「あいつらは、あいつらが、今までどれだけのことをしてきたのか、わかってるんですか? 地球の人達を大勢殺して…、滅ぼしたんだ。許されるはずがない」

「で?」

 

 貴樹は、話している途中から横を向いていた。どうでもいい雑談を聞いていると言わんばかりに。本当に、つまらなそうだ。

 

「それが、一体なんだっていうんだ?」

 

 彼の性格を考慮しても、受け止め切れない返事だった。他の生徒達もまた、貴樹の正気を疑うように見ている。

 

「だから…」

「だから、何だ? 奴らとは手を結べないってか? お前さ、そろそろ前向いて歩こうぜ。過ぎたことねちねち言うのって、ださいぞ」

「は…」

 

 下田にも、忍耐の限界はある。いくら貴樹とはいえ、そんな発言は容認できなかった。

 ノミが、立ち上がって二人の間に入ってくる。

 

「おい、タカキ。それまでにしとけ」

「ちょっと待て、他の皆も、これくらいしか方法がないってわかってますよね?」

 

 誰も反応は見せなかった。

 貴樹は鼻で笑う。

 今までとは違うということを、下田は認識していた。もう、学校で被っていた仮面をほとんど彼は脱ぎ捨てている。繕う必要がなくなったと思っているようだった。

 

「今と、先のことが一番大事だろ。まあ正直、交渉がうまくいく可能性は少ないから。ぶん殴って言うことを聞かせる可能性もあるけど」

「先生、本気ですか?」

「あ? 自分の命にも関わることだろ。どうして、そんなこと訊く?」

「先生は…」

「むしろ、俺は感謝してるけどな」

 

 貴樹は、意地の悪い笑みを浮かべた。それは下田に向けられているようでいて、実は違っているようだ。それは生徒達全員に対してでもあり、またはもっと大きい枠組みに対しての、表情だった。

 

「あいつらのおかげで、たくさんのゴミが処理されたんだ。より良い世界にしてくれた。さすがは、火の大王だ。これまでにないほどの、偉業を成し遂げた」

「おい」

 

 ノミが、下田の側に立った。

 

「随分と人前でも吹くようになったな。これ以上は、許せねえぞ」

「お前こそ、羽虫の分際で言うようになったな。おい、下田。てめえ、自分が随分と都合の良いことを吐いてるのに、気がついてるか?」

 

 貴樹は、ヨルシカを指差した。

 

「報いを受けさせるつもりなら、その女だって例外じゃないよな。意見を通すつもりなら、今すぐにそいつを殺せ」

 

 言われても、下田は黙っていた。

 

「どうした。憎いんだろ? さっさとやればいいじゃないか」

「うるさい…」

「無理だろうな。もう、色々知っちまったもんな。そんなもんなんだよ。憎しみなんざ。すぐに変わっていく。いいか、よく考えろ。別に奴らと手を握りながら仲良くしろって言ってるわけじゃない。状況を理解するんだ。正しい選択肢を取り続けなければいけない」

 

 その違和感に、気づき始める。冷静になって観察すると、貴樹は注意を下田とは別の方向に向けているようだった。

 

「お前の周りにいる、大事な人を考えろ! 本当はこんなこと言いたくないんだが、気づいてほしいんだ。今、こだわっている感情を捨てるだけで、全部守れる可能性が出てくるんだぞ。俺はもう吹っ切れた。だから、お前もそうしろ」

 

 激しく言う貴樹とは対照的に、下田は段々と内心呆れてきていた。一瞬だけ、その視線が火守女に向かったのが分かる。どうやら途中で、自分が行き過ぎた発言をしていることに気がついたらしい。だからこうしていい感じに締めることで、軌道修正を試みている。印象の回復も。

 

 ノミも同じことに気がついたようで、腕を組みながらため息をついた。

 

「まあ…、お前の言ってることには賛成だ」

「旦那様?」

 

 クリムエルヒルトが、驚きの声を上げる。

 ノミは力が抜けたように笑っていた。

 

「わかってたことだ。俺とプリシラもそうだった。ずっと、そうできればと思っていた。だが、ずっと失敗してきたんだ。おいタカキ、お前には自信があるんだな? 親父達を説得できるだけの」

「もちろんだ」

 

 貴樹が胸を張ってそう言った時には、下田も完全に落ち着いていた。確かに、言っていることは正しくもある。だがやはり、確実性に欠けていると思った。まだ反論できる余地があるのではないのかと、他にもいい方法があるのではないかと、思考を進める。

 その途中で、誰かが控えめに手を挙げた。

 

「ちょっと、いい?」

 

 下田は、わかっていても、反射的な恐怖を抑えられない。ミレーヌはミレーヌだ。いくら姿が瓜二つとはいえ、あの化物女と同じなわけがない。

 彼女の方も、下田の怯えに気が付いているようだった。それに少しだけ微妙な顔をしてから、続きを話し出す。

 

「私も、タカキに賛成。正直、あいつらを許すつもりはないけど、そうも言ってられない」

 

 今まで他のことに振り回されていたせいか、下田はここで始めて気がついた。彼女の横にいつもいる、ホークウッドの姿がない。

 

「ホークは今、苦しんでる。治すためには、狼血の誓約を結び直して、ちゃんとした形で破棄しなければならない。だから、あの狼と交渉したいの。納得できない人もいるかもしれない。それでも、お願い。彼らと戦う選択肢は選ばないで」

 

 これで下田も反論をする気はなくなった。時間がないのも、確かだ。まともにグウィン達と戦えば、勝敗はとにかく絶対に大きな被害を受けることになる。それが完全に回復しないまま深淵と対することになったら、最悪だ。

 感情以外の全てが、納得すべきだと言っていた。そして貴樹に指摘されたことも鑑みると、これ以上食い下がる気もなくなってくる。

 下田は渋々頷いた。

 

「わかりました。先生の提案に乗ります。ただ、僕には話し合いが成功するような案なんて全く思い浮かばないので、本当にお願いしますよ」

「大丈夫って言ってんだろ。任せろ」

 

 貴樹が胸を叩いた所で、これからどうするべきなのかは決まった。後は、細かい所を考えていかなければならない。

 ノミが、再び椅子に座る。

 

「でだ。期限が来たらあっちに行かないといけないわけだが。どういうメンバーで行く?」

「戦争を仕掛けに行くわけじゃない。あんまり大勢で行くと、相手を刺激することにもなる。最低限でいい」

「なら、」

 

 ノミは貴樹と下田を手で示した。

 

「お前らとおれの、三人でいいな?」

 

 クリムエルヒルトが前に出る。

 

「私も…」

「駄目だ。万が一決裂したら、結局は戦うことになる。誰かを守りながらなんて余裕はない」

「でも、三人じゃ少ない気もします」

 

 下田は既に思考を切り替えていた。感情はどうであれ、試みが上手くいくための道を模索している。

 ノミが首を傾げた。正直、その動作は気持ち悪かった。

 

「って言っても、どうすんだ? 自惚れるわけじゃねえが、おれ達の戦いにまともについてこられる奴が、いるのか?」

「それは、これからの修行次第です」

 

 下田に見られると、ヨルシカは目を見開いた。

 

「冗談ですよね?」

「そう思えるんだったら、お前のセンスは壊滅的だな」

「私が、貴方達と一緒に行くと思いますか?」

 

 彼女の厳しい顔に、ノミも気が進まなそうに頷いた。

 

「おれも、なんだ、賛成はできないぜ。シモダ、お前が一番わかってるはずだろ。そいつは、無理だ。確かに期待できる戦力ではある。でも、まだ…」

「少なくとも」

 

 不本意そうな顔で、下田はヨルシカを指差した。

 

「僕なんかより、よっぽど才能がある。比べるのもおこがましいくらいだ。残り二日くらいでも、成長できる余地がいくらでもある」

 

 文句を言おうとしていた彼女は、その途中で固まった。怒っているの戸惑っているのかわからない表情で、下田を見ている。

 ノミは面白そうに腕を組んで、尋ねてきた。

 

「言い分は分かったが、誰が鍛えるんだ?」

「僕がやります。一応、どうするべきかはわかっていますから」

 

 ヨルシカはおぞましいと言いたげに首を振った。

 

「ふざけないでください。誰がやると言いました? 貴方なんかの…」

「お前、自分の状況を理解しているのか?」

 

 下田は雷を鳴らした。ヨルシカを睨みつける。

 

「どっちにしろ、奴らの方に戻ることはできないだろ。処分を受けて、最悪殺される。いいか、お前はもう、反逆者の一員なんだよ。相手はそう認識してる。なら、腹を括って、できることをしろ」

「貴方に、協力なんかしません」

「知るか。お前の意思なんてどうでもいい」

 

 その言葉を聞き終えると同時に、ヨルシカは席を立った。この場にいることに耐えられなくなったらしい。誰にも目を向けることなく、列席場から出ていった。下田は、別にそれを追うこともしない。やり方はいくらでもあると考えていた。

 

「話は終わったか? 俺も戻りたいんだが」

 

 貴樹は何かにうずうずしているようだった。おそらく、火守女との時間を大切にしたいのだろう。先ほどの続きをしたくてたまらないに違いない。

 ノミが今気づいたと言わんばかりに、貴樹に話し始めた。

 

「なあ、ずっと疑問だったんだが。お前、いつまで下着姿を押し通すつもりなんだ?」

「…はあ?」

 

 何を言っているのかわからないという顔をする。下田も良く理解をしていなかった。そもそも、貴樹が常識で言えば異常な格好をしているという意識も、いつの間にか消えていたのだ。もはや彼が服をまともに来ている姿の方が、おかしいような気がしていた。

 

「何言ってんだお前」

「だからよ。もう別にいいんだぞ。お前が今まで武器も持てず、鎧も着れなかったのは、中にいたグウィンのせいだ。お前に生き延びられると都合が悪かったんだろうな。だが、奴はもう外に出ている。だからもう…」

 

 床が割れる音がして、既に貴樹の姿は消えていた。音を追って見れば、入り口の扉が吹き飛ばされるのがわかる。少しして、ヨルシカの驚いたような声が聞こえてきた。どうやら、貴樹に追い抜かされたようだ。

 下田は顔をノミに戻した。

 

「あの人ほど、変わっている存在には会ったことがありません」

「おれもだ」

 

 話が終わりかけた所で、誰かの手が上がった。

 見ると、画家の少女が歩いてくる。壇上にたどり着くと、残っている全員を見回した。

 

「今のうちに、いい?」

 

 彼女は貴樹が出ていった方を意味ありげに確認していた。話がありそうな素振りだが、まるで今の状況でしかできないような雰囲気だった。

 

「どうしたの?」

「言っておきたいことがある。多分、大王との交渉にも関係があること。そして、私達全員の未来にも」

 

 少女は少しの間口ごもってから、続けた。

 

「ダークソウル。私達には、それが必要になる。全員が生き残るためには」

 

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