火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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69.母親

 話しかけられた時、下田は未だに体が強張ってしまうのを抑えられなかった。

 

「本当は、こうして話をする資格もないかもしれない。それでも、聞いてほしいの」

 

 ミレーヌは真摯に語りかけてきている。その耳にかかる金髪のせいで、落ち着かない気分が続いていた。

 彼女は下田だけではなく、ちとせや実織、高坂などの生徒達全員にそれぞれ話をして回っているらしい。

 

「何も、しなかったことを謝りたい。祭祀場にいた時から、全てわかっていたのにも関わらず、貴方達には何の警告もしなかった。あの時は、自分の使命の方が大事だったから。同じ故郷を持っているのに、見捨てたの。許せとは言わないわ。でも、本当にごめんなさい」

 

 彼女が地球人であることは、今更知った。どこか違っているとは思っていたが、今まで確認をする余裕がなかった。

 

「顔を上げてください」

 

 ちとせが、優しく言った。下田も彼女と同じ気持ちだ。

 

「仕方がない部分もあったんだと思います。それにどうせ、最初の頃に何を言われても、結局あたし達は信じなかった」

 

 ミレーヌは言われて、ほっとしたような笑顔になる。下田は少し見とれている自分に気がついた。顔の作りこそあのウーラシールと同じだが、まるで違う。だから自分の怯えは不当なものだと、内心反省する。

 

「ありがとう。償いはもちろん、するつもり。これからは、貴方達を守るために戦うわ」

「はい、よろしくお願いします」

 

 下田は微笑んでから、彼女と握手をした。今日何度目かわからない。アンリやホレイスにも同じような事を言われたし、祭祀場の戦士たちのほぼ全員とも会話をした。その全てが、下田達に対する謝罪と約束だった。

 これで、完全にわだかまりが解けたとは言えない。特にフォドリックは警戒もまだしてきている。シーリスを、彼女の意思に反してあまり近づけさせようとはしない。当然だと思っていた。彼らの死体を何回、踏みつけたかわからない。

 下田は椅子に座り直そうとして、いつもと違う香りをかいだ。ここは自分の家でもないが、もはや日本の部屋よりも長い時間使っていると言える。そしてそういう所には自分自身の香りが染みつくのだと、今実感していた。

 

「それで、どうなんですか?」

 

 ちとせが真面目な顔から一転、好奇心の含まれた表情になった。

 

「なに?」

「あの人、ホークウッドは、あの後…」

「ええ。心配はいらないわ。ついさっき、目を覚ました。正常よ」

「よかったですね」

 

 ミレーヌは入口の方を見やってから、ベッドに腰かけた。そろそろ話も終わって出ていくのかと思っていたが、まだ何かあるらしい。依然として部屋内の密度は高く、下田は別の緊張を強いられていた。

 実際に、鼻が感覚しているわけではないのだろう。ただ自分の脳が、視覚からの情報に惑わされて、そういう錯覚を与えているのだ。

 

「それで…ちょっと、相談なんだけど。ホークのことで」

「面白そうになってきた」

 

 リリアーネが枕に耳をつけながら、寝返りを打つ。 

 

「貴方は関係ない」

「まあまあ、お互いよく知らないわけだし。判断が早いよ」

「でも、貴方からは、この女と同じにおいがする」

 

 ミレーヌに指を指されたクリムエルヒルトは、意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「心外ね。どうして亡者もどきと一緒にされないといけないの?」

「また、両手を失いたいの? 姉さんも見張ってるから、いくら声を上げても逃がさないからね」

「残念。別に私は、貴方達ほど暇じゃないの。また今度の機会にね」

 

 ユリアは既に、警戒するように扉の方に佇んでいた。できればそのまま出ていってくれないかと思ったが、下田と視線が合うと、また近くに戻ってきた。

 

「何か、ありましたか?」

「いや、別に」

「何なりと申し付けください」

「じゃあちょっと、離れた所で座ってて」

「わかりました」

 

 ユリアがベッドの端に腰かけた所で、ミレーヌは渋々話し始めた。

 

「何というか、あー、彼とね、大事な話をしないといけないの。だけど、問題があってね」

「あら、とっくに終わってたとばかり。彼、情熱的に言ってたじゃない。愛してるって」

 

 きっとクリムエルヒルトを睨みつけてから、耳にかかる髪を触った。

 ちとせは、目をきらきらさせている。

 

「もう、ほとんど解決してるじゃないですか。まだ、何か?」

「私は、そう思ってたんだけど。どうやら、意識のすれ違いがあるみたいで」

「具体的には?」

 

 ミレーヌは少し恥ずかしそうに俯いた。

 

「私は、うん。そういう、感じなんだけど。ホークは、まだ、ええと、私のこと小さな子供だと思ってる節があって」

「えー、全然違いますよ」

「そう思うでしょ。でも、彼は確かにあ、愛してるとは言ってくれたけど。多分それは、きっと、家族とか、親子みたいなもので」

「なるほど」

 

 リリアーネがベッドの上で大きく伸びをした。

 

「つまり男女として見ているのか不安というわけだね。いや、全然わかんないけど。彼さ、本当は不能なんじゃない? どうしたら、そういうことになるんだろう」

「多分、よくわからないだけ、なんだと思う。だから、どう伝えたらいいのか」

「簡単よ」

 

 まるで些事だと言わんばかりに、クリムエルヒルトは余裕の笑みを漏らした。

 

「わからせてあげればいいじゃない。男なんて、欲にうったえかければすぐに変わるんだから」

「つまり?」

「今すぐに部屋へ行って、行動しなさい。まずは…そうね、自分が先に服を脱いだら? その方が興奮してくれると思うわ」

「いきなりそんな」

「時間はあまり残されてないからね。後悔のないようにすれば?」

 

 そろそろ本当に、下田はここにいる意味が分からなくなっていた。しかし出ようにも、元々ここは彼の部屋だ。少し眠るつもりだったので、今更どこかへ用事があるわけでもない。それに、彼にそれを許さないような雰囲気があった。

 ミレーヌは立ち上がってしばらくうろうろと考え事をしてから、早足で出ていった。しっかりとインベントに衣服をしまってから。彼女は、ホークウッドと会う際の服装を決める段階から、悩んでいたようだ。

 話が一区切りついてから、下田は発言をようやくした。

 

「僕、ちょっと休みたいんだけど」

「何を言っているのですか?」

 

 隣の椅子に座っているヨルシカが、目を細めている。

 尻尾が壁に当たり、それからくるくると丸まった。

 

「話があると言ったのは、アキヒロでしょう。どうしてそのような勝手な事をしようとするのです」

 

 ちとせが眉を曲げ、今の言葉のおかしな所について追及しようとしたようだが、その前にクリムエルヒルトが声を出した。

 魔女の目は、下田とヨルシカに向けられている。やや、きまずそうだった。

 

「正直、どう話したらいいのか。ヨルシカ様…」

 

 ヨルシカは、つまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「どうでもいいです。貴方のことなど憶えていません」

「私は、その、ずっと愚かなことを。謝りたくて」

「侍女風情が、何かを変えられると思ったのですか? それに、貴方は当時、ずっとあの女の背中を追いかけてばかりだった。心底どうでもいいです。謝る必要もありません」

「はい…。償いきれないのは、わかっています。もう何も言いません」

 

 それから、クリムエルヒルトは下田に顔を向けた。直後、彼女はさらに自責の念を深めたのか、苦しそうに目を閉じる。そして、下田の手を持ち上げると、自らの額に当てた。

 

「前の、無礼をお許しください。まさか、奥様に縁がある子だとは。それに私のせいで、貴方は多くの苦しみを背負うことになりました。私は何も知らなかった。ただ、あの方の役に立つことばかりを…」

「僕も、ヨルシカと同意見です」

 

 下田はゆっくりと彼女の手を解いた。

 

「謝られても、困ります。本当は、こうして面と向かって話したくもなかったくらいでした。貴方が今まで何をしてきたのか、わかってますよね。僕は、忘れません」

 

 ちとせもまた、厳しい目を向けていた。

 クリムエルヒルトはさらに深く頭を下げる。

 

「わかっています。言い訳など、できません。貴方達の一人を殺したこと。エルドリッチの思惑に加担したこと。この命一つでは決してあがないきれませんが、どうか、貴方の手で」

 

 少し前までなら、目の前の魔女の喉を裂いていたかもしれない。しかし、隣の気配が否定をしていた。おそらく彼女を殺せば、プリシラは悲しむだろう。

 

「嫌です。勝手に楽になろうとしないでください。生きて、行動で示せばいい。貴方の力も、この先の戦いで必要です。それでいいですから」

 

 ばっと顔を上げて、近づいてきた。下田の両手を包み込み、嬉しそうに笑みを向けてくる。

 

「ありがとうございます。私も、お役に立てるように全身全霊で頑張ります」

 

 下田は、間近にあるローブの胸部分のふくらみが気になりはじめた。ともすれば、この中では一番かもしれない。段々とそういうこと考えるようになっているのが、自分の限界を示しているような気がした。

 複数の視線が刺さってくる。それが彼の胃をさらに収縮させた。

 クリムエルヒルトは当然、下田のそういう念を理解しているようで、微笑みがややその性質を変えた。

 

「困っておられるのなら、解消できるかもしれませんが?」

「はい、終わり。話は以上。出ていって」

 

 ちとせの声に追われながら、彼女はここに来た時よりも幾分か楽しそうに出ていった。ただ、下田の方は逆の気分だ。彼女が最後に少しかき回していったせいで、場の空気はさらに苦しくなっているように思えた。

 ちとせはため息をつく、まだ出ていこうともしていない残りの女達をそれぞれ見てから、最後に下田を見据えてきた。口を開こうとする。

 

「本題に入りましょうか」

 

 だが、直前でヨルシカに遮られた。それだけで、さらに重い雰囲気が漂い始める。リリアーネはただ面白がるだけで、何のフォローもしなかった。

 

「は? ねえちょっと」

「できれば関係のない方々は出ていってほしいのですが、仕方がありません。貴方はそれで構いませんか?」

 

 下田は宙を眺めてから、頷いた。

 

「いいよ…」

「それでは、肩に。妙な真似をしようとしたら、殺しますから」

「するわけないだろ」

 

 指先を、ヨルシカの肩に触れさせる。彼女の方が高い位置にあるので、やや腕を上げなければいけなかった。だが、すぐにそんな面倒な気持ちは消えてなくなる。

 今の段階で、ヨルシカに宿っている存在が、目の前に立っていた。

 プリシラはどう話したらいいのかわからないように、視線をさまよわせる。

 

『彰浩、ごめんなさい』

「うん、これでだいたいわかった」

『えっと?』

「ちゃんと、聞こえるってことだ。悪いのは、そっちじゃなかった。僕はずっと、現実から目を逸らしていたんだ」

『…仕方のないことだった』

 

 あの、繰り返しの初期、下田はプリシラとの会話が成立しなかった。思えば、あの時はもう、それなりに精神をおかしくしていたのだ。到底受け入れられないことを、感覚から排除するのも朝飯前だっただろう。

 その声は、もちろん違っていた。だが、想起させる。無視することはできない。

 下田は自分がどういう表情をしたらいいのか、久しぶりに迷っていた。

 

「貴方は、母さんなの?」

『…』

「違うなら、違うって言ってよ。覚悟はできてる。真実を知りたい」

 

 プリシラは俯きながら、少しの間黙っていた。

 次に顔を上げた時には、悲しそうに笑っている。

 

『夜泣きをやめたのは、一歳を過ぎた時』

 

 下田は目をつぶる。

 

『初めて近くの公園に連れ出しても、彰浩はずっと砂場で何かを作っているだけだった。周りの子たちに馴染めないんじゃないかって最初は心配したけど、杞憂だった」

 

 後半から、段々と震えが混じるようになる。

 

『好きな食べ物は、ロールキャベツ。嫌いな食べ物は、ピーマン。トマトもそうだったけど、私が工夫したサラダで、大丈夫になった。小学生になる時も、中学生になる時も、本当に、嬉しかったんだけど…。ちょっと、悲しくもあって』

 

 鼻をすするような音がする。

 

『貴方が成長していく姿を、ミサが見られないのは、やっぱり、辛かった。もしかしたら彼女の幸せを奪ったんじゃないかって』

「でも…、約束、したんでしょ」

『ミサには、たくさん迷惑をかけたから。彼女の思いを無駄にはしたくなかった。それでも、結局、貴方にはとてつもない苦しみを』

「ほんとだよ」

 

 下田は、眉間を手で押さえた。我慢ならないような息遣いが聞こえて、プリシラの体が覆いかぶさってくる。実際の感触はない。彼女はあくまでソウルだけの存在だった。だが、彼には感じる。体温があるのだと思える。懐かしい感覚がする。

 

「ずっと、会いたかった。何度も思ったんだ」

『ああ、彰浩…』

 

 下へと、雫が落ちていく。視界が濡れて、抱いてくる彼女の腕さえもぼやけていくのが嫌だった。だがそれよりも、相手の声が近くで響いているのが大きな充足感を与えていた。感覚がないとしても、十分すぎるほどだった。

 涙交じりの声で、訴えかける。

 

「死んでるって聞いた時は、ほんとに、消えてしまいたくなった。もう二度と、話ができないだって、そう、思ってて」

『ごめんね、ごめんね』

「僕も、色々酷いこと言って、ごめん」

『いいの。全部私が悪いから』

「でも、母さんは…」

『まだ、そう呼んでくれるの? 私なんかに』

 

 ぽたぽたとこぼれ、ヨルシカの膝が濡れている。それでも彼女は、何も言ってこなかった。横から、ちとせがハンカチを差し出してくる。今は照れくさく思うこともなく、受け取って涙をぬぐった。

 

「うん。わかるから。姿と声は違っても、母さんは、母さんだよ。忘れない」

「そろそろ、いいですか?」

 

 しんみりとした空気を破って、ヨルシカが口を開いていた。彼女はプリシラの方を見ることはなく、下田を睨みつけている。

 

「十分でしょう。早く、アキヒロの方に移ってください。邪魔ですから」

『ヨルシカ』

 

 かすれた声で名前を呼ばれると、彼女はすぐに身をよじった。プリシラの手が、空を切る。はっきりと拒絶されたことを理解したプリシラは、ただただ申し訳なさそうにしていた。

 

「従わないのなら…」

『そうね。私が、今更』

「消滅させます。今すぐに、出ていきなさい」

『でも、謝らせて』

 

 涙の跡ががたくさん残っている顔を、ヨルシカに近づける。今度は、動かなかった。まるで逃げたら負けだと思っているかのように、ヨルシカはプリシラを直視していた。

 

『貴方を、独りにしてごめんなさい。何度も後悔していたわ。でも、無理だった。分かってほしいとは思わない。でも、私は本当に』

「一つだけ、教えてください」

 

 プリシラの懺悔を断ち切り、ヨルシカは視線を鋭くした。だが、下田にはわかっている。彼女の瞳が揺れている。

 

「私は、生まれてきていい存在だったのですか?」

『…』

「大勢が、言っていました。私は、生まれるべきではなかった。本来なら、すぐに殺されてもおかしくなかった。誰からも、愛されていなかったのだと」

『ヨルシカ、違うわ…』

「何が違うんですか?」

 

 その肩に触れている下田は、感覚した。力が入っている。目に見えるほどではないが、わずかに震えている。顔を見ても、からかう気分にはなれなかった。下田が泣いた時、ヨルシカは何も言わなかったからだ。

 

「証明してくれる者は誰もいませんでした。親もいませんでした。すぐに私を、捨てましたからね。それでどう、自分を肯定すればいいのですか? 貴方の都合などどうでもいい。今すぐに、消えなさい。二度と、視界に入るな」

「母さんに、手を出すな」

 

 下田が止めると、ヨルシカは顔を歪ませた。

 

「ほら、プリシラ。よく見てください。貴方の子が頑張っています。今度は上手くいったみたいですね。失敗から学んだ。でも、どうせそのうち捨てるんでしょう? そしてまた、別の子をより愛するようになる。素晴らしい母親ですね。まさに」

『事情があったの』

 

 ここでずっと置物のようだった画家の少女が、歩いてくる。彼女もまたヨルシカの体に触れて、プリシラを認識し始めた。

 

「お母さんは、戻りたくても戻れなかった。黒竜に体を滅ぼされたせいで。だから…」

「まだ、あの男と子供をこさえていたようですね。満足ですか? 子供達に庇われるのはさぞ、心地がいいことでしょう」

『違うわ。私は、本当に、貴方を愛してた。今も変わらずに』

「黙りなさい!」

 

 吠える、と表現してもいいくらいの大きさだった。下田はそこで改めて、ヨルシカの口を認識する。小さく尖っている牙が、今やむき出しになっていた。

 

「たくさんです。聞きたくない。今更、どうしろと? 私などに、構わないでください! おぞましい、生まれるべきではなかった捨てられた存在に、情けはいらない。吐き気がします。殺してくれれば、良かった。その方がよっぽど…」

「そんなこと、言うなよ」

 

 下田は手を伸ばし、ヨルシカの口を塞いでいた。涙の線が潰されて、すぐに掌の上を伝い始める。彼女は首を後ろへと動かそうとしたようだったが、もはや壁際まで下がっていることに気がついたらしい。濡れている目で、下田を捉えた。

 

「僕の記憶を見たなら、わかってるはずだ。母さんは、プリシラはずっと、争うことを諫めていた。僕がいくら憎しみを滾らせようと、絶対に、お前との殺し合いを望まなかった。長い間、側にいたからよくわかる。彼女には後悔と、不安の混ざった愛情しかなかった。わかるだろ」

 

 ヨルシカの手が、上がり始める。

 

「少なくとも僕は、思ってなんかいない。お前は、頑張ったんだろ。途中で逃げることもできた。それでも、周りの圧力に屈しきることはなく、課せられたものを全うしようとしたんだ。戦い続けたんだ」

 

 肌が大きく鳴る勢いで、手が払いのけられた。ヨルシカはかなり力を入れたらしい、下田は自分の手首がおかしな方向に曲がっていることに遅れて気がついた。骨が完全に折れている。

 空気が、今までとは違う緊張で張り詰める。

 ヨルシカは挑戦的に笑った。

 

「嘘が下手ですね。私のこれまでを、大仰に罵っていたのは誰ですか? 危うく、忘れかけるところでした。今ここで…始めてもいいのですよ?」

 

 下田は奇跡を発動させる。我慢する必要はなかった。ここにきてより深く、自分の変化を実感していた。

 彼が微笑むと、ヨルシカは虚を突かれたように瞬きを細かくした。

 

「お前、自分の言葉を忘れたのか? 僕はもう、できない。お前を殺せない。家族にどうして、殺意を抱けるっていうんだ」

「でまかせを…」

「決めたんだ。グウィンにも宣言した。共存を目指す。お前も例外じゃない。だけど、許したわけじゃないからな。お前に、楽な逃げ道なんて用意してやらない。ずっと、僕が生きる限り生き続けるんだ。見張っている。僕が死ぬ時、その前にお前を殺してやる。それまで、待ってろ」

 

 誰かの息遣いが聞こえた。

 下田はそこで、何やら妙な感じを覚える。実際、彼もまた冷静ではなくなっていた。自分がした発言を振り返る間もなく、全員が注目してきているのを今更強く感覚した。

 たん、たん、たん。

 叩くような音が聞こえる。下田の前からだった。

 ヨルシカは身じろぎし、手を動かして抑えようとしているが、結局止まらない。

 たん、と尻尾が壁を叩き続ける。しばらく揺らされている。早くなったり遅くなったり、そのペースは一定ではなかった。不安定ではあるのだが、ちょっとした法則性はあった。ヨルシカが歯を食いしばる度、急に早くなる。

 

「この、」

 

 彼女の片手に、青白い光が宿った。何をしようとしているのか理解した下田は、すぐに反詠唱を行う。それでファランの速剣は跡形もなく消えていった。尻尾へ到達する前に。

 

「何してるんだ、やめろ!」

 

 リリアーネが、吹き出した。それだけでは止まらず、腹を抱えて笑い始める。下田は一瞬、本気で彼女のことがわからなくなった。やはり狂っている部分もあるのだろうか。先ほど共存を口にしたが、早くも自信がなくなってきた。

 下田はさらに何かをしようとするヨルシカの手首をつかんだ。自分側に引き寄せて、言う。

 

「癖になってるみたいだけどな、良くないぞ。僕が見てるうちは、尻尾を傷つけるな。そこまで、気にすることはない」

 

 言いながら、違和感が大きくなってきていた。リリアーネが異常だと思っていたが、何か違うような気がする。画家の少女はかすかに苦笑いをして、ベッドに戻っている。ちとせは、どこか警戒するような瞳を、ヨルシカにじとりと向けている。プリシラは、困ったように宙を見つめていた。

 

「どうせ」

 

 ヨルシカは振り向くと、鼻を鳴らした。

 

「貴方も、これを醜いと思ってるんでしょう? わかっていました。貴方のお世辞には、うんざりしていましたから」

 

 下田はやや話の流れがおかしいと思ったが、とにかく首を振った。

 

「いや、そんなことはない。前に、言ったとおりだ。本心だった。綺麗、だとは思ってる。普通の人間には出せないような何かがある」

 

 たん、たん。

 同時に、リリアーネのこらえるような笑いが重なっていた。

 何かがまずい感じがして、彼はすぐに付け加えた。

 

「中身の酷さを知ったら、尚更だよ。ほんと、お前ってちぐはぐだよな」

「貴方は、どちらも褒められたものではありませんね」

 

 ヨルシカは深く息を吐き出した。それまで逸らしていた目を、下田に合わせる。その光には、今までの揺れが完全になくなっていた。真っすぐ、向かってきている。

 

『…私のことは、いくら嫌ってもいい』

 

 プリシラが、静かに言う。

 

『でも、他の子達とは、仲良くしてほしい。それだけが望み』

「指示には従いません」

『ええ、そうね。心配はしてないわ。もう大丈夫』

 

 そう言って、最後に下田と画家の少女に手を触れた後、プリシラは消えていった。結局移動はしていない。まだ、ヨルシカに宿っているままだ。それでも、文句は出なかった。ヨルシカは下田を見つめている。

 何だか気まずい気分になって、彼は咳払いをした。一応これで、当面の用事は片付いた。休まなければ、後から始まる色々な事についていけなくなるだろう。

 椅子から立ち上がろうとしたところで、腕を掴まれた。

 

「待ちなさい」

 

 ヨルシカの顔は、固いままだった。だが、変化しているような気もする。ただ具体的にどのようなものかはわからなかった。彼女の長い睫毛が揺れているように見える。

 

「あは、く…、ヨルシカ様ったらかーわい~」

 

 リリアーネは言うと同時に腕をぶれさせていた。彼女の短剣と、飛ばされたソウルの矢が衝突する。矢は軌道をずらされ、壁に穴が開いた。

 下田は状況を理解できないまま、ヨルシカに向き直る。

 

「本気ですか?」

「なにが」

「先ほど言ったことは、本心なのかと聞いているのです。ならば、証明してください」

「はあ?」

「触りなさい」

 

 いつもよりも、大きく目を開けている。

 

「私のここに、触れてみなさい。綺麗だと思っているのなら、平気でしょう?」

「え、でも」

「無理なら、今までの貴方は全て嘘だったことになります。愚かなままでいるのですか?」

 

 むしろ自分の方が、おかしくなっているのかと思った。あまり論理が理解できなかった。一体彼女はどのような考えで尻尾をかざしているのか、理解に苦しむ。白い尻尾の先は、まだ上下に揺れていた。

 

「ちょっと」

 

 ちとせが、腕を組みながら言ってきた。

 

「意味わかんないんだけど。もう、いいんでしょ? アキはちゃんとお母さんとも話せたし、あんたの役目は終わったの」

 

 ヨルシカは、ちとせに顔すら向けなかった。

 

「アキヒロ、そうなのですか? 私は、これで終わり?」

「お前さ、さっきから何言ってるんだ?」

「気になってたんだけど」

 

 ちとせは立ち上がり、ヨルシカと下田の間に割り込んできた。そしてヨルシカの手を強引に下田から離す。 

 

「それ、どういうわけ?」

 

 ヨルシカもまた、ちとせの睨みに同じものを返した。

 

「はい?」

「だから、名前。なんで呼び捨てになってんの? いつの間に」

「言っていたではありませんか。耳が腐っているんですね」

 

 下田の腕を、掴み直す。

 

「この男は、私を家族と言いました。上の名でいつまでもというわけには、いかないでしょう」

 

 なぜかちとせは、下田に顔を近づけてきた。

 

「やっぱり、おかしい。ねえ、あっちで何があったの? 何かあったんでしょ」

「貴方には、関係ありません」

「またそういう話? ならさ、はっきり言ったらどう?」

 

 ヨルシカは、眉をひそめた。

 

「つまり、アキのことどう思ってるのかってこと。最初から、わかってたんだから。今ので確信した」

「一人で勝手に話を進めないでください。意味不明です」

「そう? 本当にわからない? ごまかしても、無駄だから。だってあんた、みっともなく喜んでるんだもん。そんなに嬉しかったんだ」

 

 人差し指を、ヨルシカの尻尾に向けた。

 

「犬みたいに、ぶんぶんしちゃってさ。わかりやすいよ? 感情がそこにはちゃんと表れてるんだね」

「…口を、裂いて」

「ほら、今にもまた動きそう。竜の尻尾も、好きな男の前では形無しだね」

「醜く、縫い直しましょうか?」

「は、はーい。終わり終わり」

 

 リリアーネが手を叩くと同時に、ユリアが画家の少女を持ち上げた。なぜか少女だけが部屋の外に連れ出されていく。ユリアも少し扉から出たが、少女に何かを言い含めた後はすぐに戻ってきた。がちゃりと、扉が閉められる。

 

「じゃあ、場も整ってきたようだし、前の続きをしよっか」

「待て」

 

 ここにきて、さすがに下田も気付いていた。いつまでも、受け身でいるというわけではない。度を超えて鈍感でいられるほど、年月を重ねていないわけでもなかった。

 下田はしっかりと、一人の女性に体を向ける。本当は、外野がいる状態で話したくはなかった。だが、仕方がない。

 

「色々言われても、困るんだ。僕は、心に決めている」

 

 正面にいるちとせは、両手を膝の上に置いた。

 

「ちとせが、好きなんだ。ずっと。だから、リリアーネの考えには従わない」

 

 先ほどまで厳しい顔だったちとせは、息が詰まったような表情になった。それから強がるように口をとんがらせた後、すぐに緩める。

 

「そう。じゃ、あたし達、両思いってわけ」

「でも、どうなんだろう」

 

 下田はそこですまなそうにした。

 

「ちとせはさ、きっと、同情の部分もあるかもしれない。だから、その、もっと冷静に考えても…」

 

 直後には、一人分の体重を膝で感じていた。

 抱き着いてきたちとせは、素早く顔を動かすと、下田の口をついばむ。そんな浅い接吻をして、真っ赤になりながら鼻と鼻を合わせてきた。

 

「これで、わかった? 安心できる?」

「うん、うん…」

「もっとする?」

「そうしたい、かも」

「はーい、中断ね」

 

 リリアーネが軽々とちとせを抱え上げ、ベッドに戻す。その衝撃でぎしぎしと土台部分が軋んだ。ちとせは少し体を跳ねさせて、不服そうにリリアーネを見上げる。

 

「別に、いいんだけどさ。やる前に訂正の必要があるかなって」

「や…」

「チトセも、わかってるでしょ? シモダは、凄い男なんだよ。そうだよね? 一人の女性だけを娶って満足できるような器じゃない」

「あんたも、頭おかしいんじゃないの?」

 

 リリアーネは肩をすくめた。

 

「事実に基づいた提案だよ。薄々気づいてるよね? チトセ、君だけで彼を支え切れると思う? 彼の苦しみ全てを、癒してあげることができる?」

「頑張るから」

「でもさ、見たでしょ。シモダって、結構ねじ曲がってるとこもあるからさ」

「それは、確かにそうだけど」

「あれをこうしてとか、できる? 私でもちょっと引いたくらいだけど」

 

 ちとせの顔が熱せられたようになる。

 

「後ろから云々とか…」

「口に、出さないで」

「妄想の中だからいいけど、全部チトセが相手役だったよね。できるの? わりと厳しいような」

 

 途中から、下田は耳を塞いだ。無意識に避けていたことかもしれなかった。自分の記憶を、彼女達にはほとんど全て知られてしまっているのだ。考えたことも。つまり、何もかもがさらけ出されたということだった。下を向きながら、現実逃避をする。自分の性癖の数々が声に出されるのを耐え忍ぶ。

 両腕を、誰かが引っ張ってきた。ユリアは下田の背後に回り、彼の手を下の方にずらしていく。彼女は真面目な顔をしているが、やっていることはただのいじめだった。

 

「もう言うな!」

「え、無理? もう耐えられないの? やっぱりチトセだけじゃ無理ってことじゃん。私は、できるけどね。満足させられる自信はある」

「そういう、問題じゃない。さっきの見たでしょ。私とアキは、そういうことだから」

「もちろん尊重はするよ。初めても譲るから。むしろそれが一番だと思ってる。まぐわいに対してシモダが抵抗を感じなくなったら、私と姉さんも受け入れてくれるだろうし」

 

 ちとせが投げた椅子を、軽々とリリアーネは受け止めた。

 

「まだ、わかってないの? あんた達のこと、別にアキはどうとも思ってないの! でも、あたしとだけなら、その、キスとかもしたし。つまり、格が違うってわけ」

 

 どうやらこの部屋の中で一番冷静ではないのは、ちとせのようだった。彼女はおそらく自分の発言を後で振り返った時、あまり良くない精神状態に陥るだろう。聞いている下田も、段々と脱出を図りたくなってきた。

 少し前からつまらなそうに聞き役に回っていたヨルシカが、ここで立ち上がった。はずみで尻尾が椅子へとぶつかり、倒していく。

 

「私も、しました」

「は?」

「口吸いをです。かなり長い時間だったと思います。ですので、チトセの言っていることは荒唐無稽な嘘です」

 

 ちとせの視線を、下田は何とか無視しようとした。

 

「そんなくだらない嘘で…」

「あ、そういうことなら、はーい」

 

 リリアーネが狙っていたかのように、手を挙げた。ちとせとヨルシカを挑発するように胸を張る。そして、己の体をゆっくりと手でなぞっていった。

 

「何なの?」

「接吻くらいでどうこう言ってるけど、私だけだよね? シモダに裸を見せたの。記憶の中でちゃんと見たよ。しっかり抱きしめてくれた。こう、私の胸の間に顔をうずめてさ」

 

 下田は天井を仰いだ後、扉の前に移動していた。部屋の外に出た彼は、すぐに走り始める。中からはまだちとせの大きな声が響いていた。数瞬後には、全員が下田が瞬間移動したことに気がつくだろう。

 

「どうしたの?」

 

 どこかへ向かっていたらしい、画家の少女が足を止めて振り返っていた。そこに追いつくと、彼は深呼吸をする。

 

「避難してきた」

 

 再び歩き始めると、少女も横に並ぶ。

 

「ありがとう」

「ん?」

「お母さんと、話をする機会をくれて。必要なことだったから」

「いいよ。それよりも、ごめん」

「?」

 

 頭を下げると、少女は一瞬だけ不思議そうにした。

 

「ゲールさんを、助けられなかった。もっと、良い方法があったかもしれない」

「お爺ちゃんは、すごく喜んでた」

 

 少女は前を見続けている。

 

「わたしをちゃんと守ってくれる人が現れたんだって、安心してた。だから、いいの。お爺ちゃんは、満足していた、と思う。兄さんは気にしないで」

「誓うよ」

 

 強がる素振りすら見せない彼女に向かって、下田は宣言する。

 

「君を守る。これからの戦いで、どんなことがあっても」

「…ありがとう」

 

 一番最初に下田の繰り返しを理解してくれた相手は、彼の指の先を握ってきた。彼もまたしっかりとそれに合わせて、固く握りしめる。

 

「まだ、するべきことはある」

 

 少女は少しだけ気が進まない様子だった。

 

「うん」

「わかってると思うけど、まだ、足りない。地球への帰還には、まだ必要なものがある。地球の人達全員の、協力がいる。そしてそのためには、大きな問題が残っている」

「そうだね」

 

 そろそろだと、下田も考えていた。あまり、いい方向には進まないだろう。だが、事実をいつまでも暴かないままでいることはできない。

 裏切りはまだ、終わっていない。

 

「とりあえず、皆に集まってもらおう。広場でいいかな」

 

 早速全員を呼びに行こうと歩きかけた所で、下田は止まらざるおえなくなった。なぜなら、少女はまだ手を離していなかったからだ。

 

「君も行くの?」

「ううん」

 

 少女はあくまで、静かな瞳のままだった。

 下田は信じられないという顔をしてから、俯いた。

 

「じゃあ、ええと、離してくれない?」

「だめ」

 

 後ろの方の扉が、勢いよく開かれる。前は壊していたが、さすがに多少は気を遣ったのだろう。だが、彼女達は穏やかではないようだった。特に先頭の茶髪の女性が。

 少女は目を細める。表情はほとんど変わっていないが、少しは感じ取れるようになっていた。今彼女は間違いなく、笑っている。

 

「駄目かな」

「逃げちゃだめ。わたしのお父さんはそれでお母さんに嫌われてる。男の人は、ちゃんとしないといけないと思う。かいしょう? を持たないと」

「この場合、関係あるんだろうか」

「がんばって」

 

 少女の手を無理やり振り払うわけにもいかず、下田は頭をかいて振り返った。

 どうちとせに説明をすればいいか、頭を捻りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

「バックスタブ~」

 

 ダークレイスの背後に回り、白い刃で突き刺した。傷口がわずかに凍り、どす黒い血が流れ出してくる。それを浴びないようすぐに離れてから、頭を蹴り飛ばした。

 何度目かの遭遇戦を終えて、貴樹は火守女と手をつなぎ直す。彼女の方も、あまり不安がってはいないようだった。事実この周辺に彼を脅かすような存在はいない。

 

「また、つまらないものを斬ってしまった…」

 

 イルシールの直剣を、鞘に納める。今回の旅で採用した武器だ。ヨルシカから強奪した。その性能は申し分なく、既にそれなりの数を斬り伏せているが、刃こぼれする気配もなかった。

 貴樹が両手を広げると、火守女は少しだけ申し訳なさそうにしながら、しがみついてくる。彼女の腰にしっかりと手を回して、移動を始めた。

 既に、深みの聖堂が視界に入っている。もし、不死街から向かっていたらかなり時間がかかっていた。だが、篝火はファランの城塞側にも設置されている。そちらから向かえば、大幅な時間の節約になった。

 向かってくる亡者などは全て無視し、聖堂内に入る。それなりに懐かしい気分だった。前は、彼女の瞳を求めていた。今は、別の目的がある。残り物を処理するようなものだが。

 巨人は、相変わらず鎖でつながれていた。彼らを起こさないようにしながら、上に向かう。主教の部屋に行くつもりはない。その集団は、おそらく屋根裏を拠点としているから。

 天井の部分を蹴りこわし、火守女が怪我しないよう気をつけて中へと入り込んだ。

 すぐに攻撃しようとして来なかったのは、意外だった。

 

「何の用だ」

 

 五本指の一人、レオナールが武器を抜いている。その横のヘイゼルもまた、魔術を構えていた。

 貴樹は鼻で笑う。相手の方もわかっているはずだ。何の意味もない行為だということに。

 

「安心してください。戦うつもりはありません。貴方達の、誓約主に用があるだけです」

 

 カークは既に横に退いていた。棘の生えた兜からは表情をうかがい知れないが、彼が一番自分達の立場を理解しているらしい。自らの剣に触れようともしていなかった。

 屋根裏の空間は、それなりに広い。席もかなりの数が横並びになっていて、集会でも開かれていそうな場所だった。

 それらを過ぎて、さらに奥。この部屋にはややそぐわない。大仰な柵が並ぶ。その真ん中が開いていて、その向こう側に、大きなベッドが置かれていた。

 彼女は、その上に座っている。

 生まれ変わりの母、ロザリア。

 その顔は被り物に隠れてよくわからない。だが、その華麗な装飾が施された衣装や、白く照る肌が、どこか気品を感じさせた。ただそういった印象は下半身を見るとすぐに失われていく。規格外の大きさの白い蛆虫のようなものが、彼女の足の代わりとなっていた。まるで何かの代償であるかのように。

 火守女の手を握りながら、その前に立った。

 

「一応、報告をと思いまして」

 

 彼女の腕を上げてみせた。

 

「貴方の娘が生み出した素晴らしい存在と、婚姻を結びました。その感動、察するに余りあります。どうぞ、誇りに思っていただけても構いません」

 

 相手は、指を少し動かしただけだった。

 貴樹は笑みを深くした。

 ゲルトルードの母、ロスリックの王女は、娘の惨状を苦にして出ていったとされている。だが、どうやら彼女なりに娘を戻す方法を探そうとはしていたらしい。不死へとも繋がる、転生の儀を求めたのだ。その結果は、あまり良くなかったらしいが。

 

「何よりです。さて、挨拶は終わりにして、本題に入ります。僕は、貴方の協力を望んでいる。その力、生まれ変わりを利用したい」

 

 レオナール達は、黙って眺めている。

 

「僕に、術の素養を授けてほしいんです。中にいた邪魔な存在が去っても、残念ながら、魔術等を使うことができていません。もったいないと、思いまして。僕のような頭脳の持ち主が、術を使えばどれだけの可能性が開けるか。わくわくしてくるでしょう?」

「主は、不可能だと言っている」

 

 レオナールが代弁をした。

 

「で?」

「お前の中にある、ソウルが邪魔なのだ。我らに全て捧げるのなら、そうすることも考えると」

「なるほど」

「もう一つ条件がある」

 

 レオナールの剣先と、ロザリアの指が同じ対象を示した。

 

「化物を渡せ。主はその命を望んでおられる」

「あ、そうだ。僕ももう一つお願いがあったんですよ」

 

 既に頭の中で結論は出ているが、あえて先延ばしにした。ほんのわずかだが。

 

「彼女、僕の妻ですが、普通の人間にしてほしい。天使の力をなかったことにすれば、彼女は本当に唯一無二になる。今でも十分、愛らしいですが」

 

 火守女は、ロザリアに固定されていた視線を、貴樹に向け直した。

 同時にロザリアの指が、軽く曲げられる。

 青白い光が、目の端に入った。

 

「貴様は、面倒な存在だった」

 

 貴樹は欠伸をする。

 レオナールが、刺突剣を構えていた。ヘイゼルはつるはしを肩に抱える。カークは含むような笑いを漏らしてから、足に力を込め始めた。

 

「どちらも生かしては帰さないとの命令だ。おぞましい存在を、滅してくれる」

 

 こういう状況でなければ、小躍りしている所だった。ようやく自分の頭の中だけのものだったあらゆる剣技を、存分に試すことができるのだ。

 それに、前から決めていたことだった。火守女を苦しめた、ロスリックの血筋は絶対に絶やすのだと。逃げて半分怪物になり下がった王女も、もちろん例外ではない。

 火守女はわずかに切なそうな目をしてから、その場にしゃがみ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 篝火への移動中、彼女はずっと黙っていた。

 その心情を、細かくは知ることはできない。なるべく配慮したのだが、結局彼女の顔の一部に血がこびりついてしまった。舐めてぬぐい取りたかったが、そういう雰囲気でもないことはさすがに察していた。

 城塞の篝火に到着すると、火守女は身じろぎした。ゆっくり降ろされた彼女は、静かに貴樹を見上げてくる。

 

「これで、良かったのでしょうか」

「俺は、そう思ってるけど」

「彼らに、はっきりと罪があったわけでは…」

 

 貴樹は思いきって、彼女を抱きしめた。

 

「君の幸せを脅かしたというだけで、処刑されるべきだったんだよ。君が、悩む必要はないんだ。俺が背負うから。ただ辛くなったら、慰めてほしい。俺達は支え合うべきだから」

 

 もぞもぞと顔を動かしてから、彼女は貴樹の肩に頬をつける。

 

「できれば、救われてほしかったんです。ゲルトルードも」

「彼らが憎むべきは、歴史だった。大きな仕組みだったんだ。君という存在を蔑ろにした時点で、こうなることは決まっていた。自業自得だよ」

「タカキ様」

 

 彼女は腕を伸ばして、少し体を離した。彼女の手が両肩を掴み、少しだけ背伸びをしてくる。

 

「支え合うべきというのなら、私もこれから役に立たないといけません」

「ん?」

「貴方は、私の力を、あまり良いものとは思っていないようですが。これからの戦いで、きっと、使うべき時が来るはず」

「いや、いいんだ」

 

 貴樹は火守女の頬を撫でる。

 

「あれは、あんまり頼っちゃいけないと思う。大丈夫だよ。そんなに心配しなくても、頼もしい奴らがたくさんいる。勝てるから」

 

 そう言いきっても、彼女の顔は晴れなかった。

 その不安を取り除くように、微笑んでみせる。

 

「じゃあ、一個だけ。俺のためにしてほしいことがある」

「はい」

「全部終わったら、君を抱く」

 

 彼女は言葉を聞き終わってから、目を伏せた。

 

「それは…」

「意味は、わかるよね」

「本当に、私でいいのか」

「君じゃなきゃ嫌だ。駄目なんだ」

 

 既に想像してしまっている。それだけでもう、卒倒してしまいそうだった。だが、再三彼女の前で情けない姿をさらすわけにもいかない。

 

「駄目かい?」

 

 何か考え事をしているようだったが、やがて再び目線を上げてきた。その瞳は、いつもよりも輝いているような気がする。

 

「そう望んでおられるのなら」

「うーん。弱いな。いいかい、君自身は、どう思ってる?」

「私…」

 

 それから彼女は、控えめに口を緩めた。しっかりと、視線を合わせてくる。

 

「そうしたい、と思っています。貴方をお慕い申し上げていますから…、んむっ」

 

 頭の中で小爆発が起こり、理性が働く前に彼女の口を奪っていた。相手は最初固まっていたが、すぐに力を抜いていく。舌の先が触れあって、お互いの体温を交換していた。ぐるぐると回るような心地がする。今なら、姉であってもハグできるような気概でいた。

 彼女がこちら側に寄りかかってくる。

 が、すぐに驚いたような声を漏らした。それはおそらく、あまりに抵抗がなかったからだろう。彼女を上にして、二人はそのまま地面に倒れた。

 口を離した火守女は、慌てて彼の顔を確認する。

 

「タカキ様?」

 

 貴樹はだらしなく涙を流しながら、気絶していた。

 彼にとって本当の天敵は、火守女なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 腹の部分を確認すると、確かに変化を実感できた。

 傷は残っている。狼の血を入れられたとき、派手に裂かれたのだ。だが、そこから広がるようになっていた蝕みは、綺麗に除去されている。

 ベッドの縁に腰かけながら、ホークウッドは振り返っていた。

 全ては、ミレーヌのおかげだ。彼女がいなければ、とっくに死んでいただろう。いや、もっと悪い結末になっていたかもしれない。ただひたすら使命から逃げ続けて、生きながらえるだけの存在に成り下がっていた。

 だから、彼女の幸せを第一に考えるべきなのはわかっていた。

 戻ってきたミレーヌは困惑しきっている。

 

「見間違えるはずもありません」

 

 膝をつき、彼女へ完璧な礼をしている男は、今にも彼女の手へ口づけをしそうだった。はっきり言って、ホークウッドでも見とれそうなほどの顔だ。しかも、その地位、実力も伝説になっているときている。

 貴樹達が交渉して同盟のような感じになったとは聞いていたが、それで正解だと今改めて思った。争うことになっていたらと思うと、ぞっとする。

 アルトリウスは、ミレーヌをじっと見ていた。大事なものに対する情に溢れた視線だ。

 

「だから、その、よくわかりません」

「姫君。どれだけ探したことか。私の無能をお許しください。貴方をこの手でお救いすることができなかった」

 

 人違いなのではないか、と指摘することもできた。だが、それすらもはばかられる空気だ。その一部を担っているのが、部屋の隅で腕を組んでいる女騎士の存在だった。

 もし今立ち上がったら、成すすべなく膝から崩れ落ちてしまうかもしれない。それだけ、アルトリウスと、その女性、キアランが発する威風は凄いものだった。一目で理解できる。彼らはまさに、神のような騎士達だ。

 

「勘違いです。私は、そんな大それた存在ではありません」

 

 言葉の合間で助けの目を向けてくるが、勘弁してほしかった。どうしろというのだろう。自分達の偉大なる祖先を相手に、強気で出れるはずがない。

 

「ですが、そのお顔を、間違えるはずがございません」

「違うって、言ってるでしょう。私は、そのウーラシールとか何とかの国とは関係ありません。私は、アメリカで生まれて、色々あって、この人に助けてもらったんです」

 

 ミレーヌがはっきりとホークウッドを指差すと、少しだけアルトリウスは目を向けてきた。鋭い感情は含まれていないはずなのに、たじろぐ。

 

「この男が、何かをしたようなら…」

「ふざけないで」

 

 ホークウッドとは違い、彼女はあまり臆していないようだった。きっとアルトリウスを睨みつけて、握ってくる手を強く振り払う。

 

「彼を、侮辱したら許さない。どう思ってるのか知らないけど、貴方なんて知らない。一度も会ったことなんてない」

「……」

 

 しばらく、ホークウッドにとってはひりひりするような静寂が続いた後、黙っていたキアランが前に出てきた。

 

「君らしくもない。冷静になるんだな。よく見ろ。あの方とは似ても似つかない。顔の造作だけでは、決して成ることはできない。彼らに、あまり迷惑をかけない方がいい」

 

 と、諫めている割には、ミレーヌへの感情はどこか鋭いようだった。彼女の方も敏感に察知しているのか、負けじと相対している。

 さすがに自分も何かを言わなければならないと思い立ったとき、アルトリウスが立ち上がった。彼はおいていた兜を身に着けると、戸口の方へ体を向ける。扉の前で立ち止まると、静かに言ってきた。

 

「邪魔をした。どうやら本当に間違いだったようだ。すまない」

 

 彼に伴って、キアランも出ていく。ホークウッドは恐る恐るそれについていき、彼らが洞穴の奥へと消えていくまで見ていた。それから、ほっと息をつく。

 ミレーヌが憤慨したように鼻息を荒くした。

 

「何なの。まるで私に気品がないみたい」

「すまん。助けてやれなくて」

 

 ホークウッドが謝ると、彼女は何かを思い出したかのように目を揺らした。手を組み合わせては離し、足を踏み出そうかと迷っているような感じだ。

 

「ううん。いいの。災害みたいなものって思うことにする。それよりも、体は大丈夫?」

「ああ。おかげさまで」

 

 隣に、腰を下ろしてくる。鎧を脱いだ彼女は、どこか懐かしさを感じさせた。淡い緑色のひとつなぎの女性服。彼女が言うには、ワンピースと言うらしい。印象としては、再会した時のミレーヌを思い出させた。焼かれる苦しみから目覚めて、最初にはっきりと視認したもの。

 

「よかった。もし治らなかったら、あの狼を斬ってたわ」

「やめてくれ。あれは、シフィオールスどころの話じゃないぞ」

「大きかったね」

「確かに」

 

 数秒ほど、沈黙が続いた。足をぱたぱたとさせて、彼女は前を向いていた。その横顔を見ていたホークウッドは無意識に声を漏らす。

 

「何だか…」

「うん?」

「あ、いや。よくわからない」

「変なの」

「気が、抜けてるのかもな。これからだっていうのに。皆準備をしてる。だが俺は、腑抜けになっちまってるようだ。行動する気が起きない」

「いいんじゃないの? ホークはさ、ずっと頑張ってきたんだから。少しくらい、休んでもいいと思う」

 

 言うと同時に、彼女もこちらを向いてきた。その顔はやや固い気もする。

 

「ねえ」

「どうした?」

「時間はあんまりないけど、しなきゃいけないことはあると思う」 

「俺が協力できるなら、嬉しい限りだ。何でも言ってくれ」

「ほんと?」

 

 一瞬だけ、彼女の瞳は子供の頃のような輝きを含んだ。それをじっと眺めていると、いつの間にか視界における彼女の部分が大きくなってきている。

 

「ホークは…」

「ミレーヌ?」

「ホークは、どう、思ってる?」

「何が?」

「私のこと。私は、好きだって思ってる」

「俺もだよ」

 

 ホークウッドはとんとんと、彼女の肩を叩いた。

 

「家族みたいなもんだ。それはずっと変わらねえ」

「家族かあ」

「おこがましいかもしれないが、娘みたいに思ってる。そうだな。休んでばかりもいられない。先の戦いで、ちゃんとお前を守れるようにしないと」

 

 頬に、吐息がかかった。

 目の前を、金の髪が通り過ぎていく。わずかな弾力のある音と共に、肌に柔らかい感触がした。

 

「ちょっとちくちくしてる。髭また伸びたね」

「ミレーヌ…?」

 

 彼女は、かなり恥ずかしげにしていた。耳の方まで赤い色が広がってしまっている。その紅潮を認識して、ホークウッドもまた腰が浮き上がるような心地を覚えた。

 

「私の好きっていうのは、こういう好きなんだけど。どう思う?」

「ああ……あ?」

 

 ワンピースの裾に手をかけている。その指を見る。どこか現実感がなかった。彼女は少し呼吸を乱した後、全身を密着させてくる。ホークウッドがその勢いで後ろへと倒れていかなかったのは、まだ思考が停止していない証だった。

 

「と、止まらないつもりだけど。抵抗するならしてよ」 

「いや、ちょっと、待て。わけが…」

「知らないんでしょ? 私もないけどさ、頑張って、成功させるから」

 

 彼女は首筋に唇を当ててきた後、耳元に寄せてきた。

 

「お願いがあるの。できるって信じてる」

 

 その声には、いつもとは違う何かがあった。切羽詰まっているような、溶けているような。とにかくそれは正常ではないのだとわかった。

 だが、ホークウッドはその暖かさに委ねかけていた。彼女の鼓動と体温は、たとえあともう一回火に捧げられなければいけなかったとしても、その苦しみを代償に味わいたいくらいのものだった。そんな感情に自分でも戸惑う。また、彼女に変えられてしまっているのだと実感した。

 

「私達で一緒に、ここの皆を殺しましょう?」

 

 艶やかな声の振動が、鼓膜を撫でた。  

 

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