火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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7.室内訓練

『なあ思うんだが』

 

 貴樹は火守女の姿を眺めていた。

 

(どうした)

『これから、おれはお前と一蓮托生なわけだ。相棒だな』

(下僕の間違いだろ)

『どちらにせよ、おれにはしかるべき名前が必要だと思わないか』

(無いのか?)

『ああ。おれはもともとちゃんと実体をもった存在だったらしいが、あいにくその記憶がない。お前の目的にはもちろん協力する。でもおれは自分が何者なのかも知りたい。まずは自意識を養うために、名前が必要だと思うんだ』

(ほう)

『かっこいいの、頼むぜ』

(うーん……、あっ! ノミっていうのは?)

『さも、良いのを閃いたみたいな態度なのは意味不明だが。ただの悪口だよね。しかもさっきの会話から流用したろ、なあ』

(でもバカとかカスとかアホじゃありきたりだろ)

『お前の語彙は罵倒しかないのか。頼むから普通のにしてくれよ』

(お、始まるみたいだ)

 

 昨日も通った、列席場への大扉が開いていく。篝火の周囲に集まっている者達の注目を一斉に受け、一組の男女が出てきた。

 男の方が生徒達を眺め、豪快に笑う。

 

「全員集まっているな。ハッハッハ、広場がこれほど人であふれるのは初めてだ。若々しい気が、こちらにも伝わってくるようだな」

 

 丸い凹凸が重なる、まるで三段腹のように膨らんだ鎧を着た珍妙な姿に、生徒達は反応を返せなかった。太い眉、彫の深い口に添える程度の髭、少し赤茶けた肌。この男の方こそ、周りを圧倒するエネルギーにあふれている。

 

「私はジ―クバルド。カタリナのジ―クバルドだ。不肖ながら、太陽の戦士の長を務めさせてもらっている。君らとは、近接戦闘を師事する面で関わることが多いだろう。よろしく頼む。ところで、酒の類は楽しむかね? よかったら今度の歓迎祭で一緒に飲み明かそうじゃないか。故郷の酒を私なりに改良したものなんだが、これがまたなかなか…」

 

 まだまだ続きそうな話を、女が前に出て遮った。

 

「その話はまた別の機会にしたらどうだ」

 

 エナンと呼ばれる円錐形の黒帽子を目深にかぶり、見るからに魔女然とした人だった。彼女が帽子を上げてみせると、蒼色の瞳で血のように濃い唇をした情熱的な顔が出てくる。

 

「カルラだ。主に呪術、魔術の担当をする。全員がこの男のように口数が多いとは思わないでほしい。貴公達の才能に期待している」

 

 生徒達の反応を確かめた後、ジ―クバルドがまだ開いている扉の方を手で示した。

 

「実は、これは予定のなかったことなのだが。話をしたいという、男がいる。既に君らにとっては面識がある。まあ、ちゃんと聞いてやってくれ」

 

 次の瞬間、巨体が姿を現した。

 

「ひっ……」

 

 女子生徒の一人が、押し殺した悲鳴を上げた。ほとんどの生徒が、恐怖で固まり、無意識に半歩後ずさっていた。

 

(ちっ、ガキ共が。気に入らねえな)

『まあまあ、無理もないだろ』

 

 怯えた多くの視線の先で、グンダは真っすぐ前を向いて歩いてくる。猛威をふるった斧槍は持っていない。生徒にはもう死ぬ心配もない。それでも、殺された時の感情を無視できるほど、彼らは場慣れているわけでもなかった。

 

(やられたのは、自分がカスだからだろ。まだ命があるだけ感謝しとけよ)

『おれがいなかったら、お前もそうなったんだけどね』

(ノミ、お黙り)

『その名前で確定なんだね…』

 

 グンダは篝火付近まで来ると、その場に座りこんだ。胡坐をかき、腕を組んで、何の害意もないことを示した。その周囲はぽっかり空間ができ、男子の中には剣を抜いている者もいる。

 

「許しを請うつもりはない。お前達を殺す命令を受け、我輩は納得した上で行動した。だが、ある種の決着をつける必要があると感じた。互いにわだかまりをなくしたいのだ。今からしばらく、我輩は何もしない。この体勢のまま一切動かないと約束しよう。好きなだけ、攻撃をするといい。かまわないな、ジ―ク」

「友の決めた事だ。口出しはすまい」

 

 それだけの会話が交わされ、場に沈黙が落ちた。

 

(真面目すぎ。むしろ一時でもゴミ掃除してくれて感謝したいくらいだ)

 

 なかなか一歩を踏み出そうとする生徒はいなかった。近づくことすら嫌だと考えている者もいるはずだ。たとえグンダが無抵抗を断言しても、彼らの中で報復を恐れる心はある。またそれ以上に、誰が最初にやるのか、牽制し合っている部分もあった。

 

(自分で手を下すこともしない。フワフワした精神の塊みたいだな。グンダが少しでも傷つくのは、避けたい事態だからいいけど)

『いや、一人やるみたいだぞ』

 

 集団の中で一本、伸びた手から青白い光の矢が飛び出し、グンダの腕に衝突した。それでも彼は顔を微動だにせず、目の赤い光を横に向ける。今度はその顔に矢が刺さり、鎧に包まれた肩が上下した。

 驚いて振り返った生徒達の間をかき分け、新宮が前に出てくる。

 

「確か、」

「あなたは何という名前なんですか」

 

 普段のいつも微笑んでいるような緩い表情は消えている。

 

「グンダだ」

「グンダさん。確認ですが、あなたは先生以外全て殺したんですね」

「そうだ」

「この、私の後ろにいる子も?」

 

 実織を指差した。

 

「最後まで我輩に抵抗する意志を示していた。勇気ある女性だ」

「そんなことを訊いているんじゃありません」

 

 新宮がかざした手から、何本もソウルの矢が発現する。それらはいっぺんにグンダの鎧に殺到し、傷一つ入れられずに消滅した。カルラが感心したような表情で息を漏らした。

 はっきりとした怒りを宿し、新宮はグンダにどんどん近付いていった。

 

「これで、おあいこになるわけない。いくら本当に死ぬことはないとわかってても、実織を殺したことは、絶対に許さない。 他の皆だって、苦しんでた。もう戦う気すらなくして逃げる人達をわざわざ追いかけて、当たり前みたいに殺したあなたと、わかり合えるとは思えないです! こんな自己満足するためだけの場を用意して、私達が納得するとでも思ったんですか?」

 

 彼女の言葉と矢をどれだけぶつけても、グンダは無言で座していた。

 

「そうだよ…」

 

 ぽつりと、生徒の一人がつぶやく。新宮の訴えが引き金となり、本心をせき止めていたものが決壊する。

 

「これでチャラになるわけがねえ」

「そうだ。俺達が逆らおうとしたら、また躊躇いなく殺すに違いない」

「騙されるな!」

「今なら、やれるぜ。手にした力があれば、こいつに負けることはない。全員でかかれば楽勝だ」

「ていうか、今ならここから出て行くこともできるんじゃないか。死ぬことはないんだし」

「その前に、そいつを殺せ」

「好きに攻撃していいんだろ。遠慮なくやってやろうじゃん」

 

 血気盛んな男子達に影響されて、離れていた女子達もグンダへ疑心の目を向ける。ジ―クバルドはどうしたものかを腕を組んだ。

 

「流れがおかしくなってきたな」

 

 カルラが面倒そうに、掌を生徒達の方向へと向ける。

 

「落ち着きのない子供だ。黙らせる」

 

 その彼女の手を、貴樹が(さえぎ)った。

 

「少し待っていてください。何とか収めてみます」

「遅れてきた奴だな。誰だ?」

 

 カルラによく見えるように腹筋を割り、精一杯格好つける。白く輝く生え揃った歯を見せ、人の良い笑みでアピール。なぜか彼女は一歩下がった。。

 

「彼らの担任です」

 

 貴樹は浮足立っている生徒達の間を通り抜け、さらにソウルの矢を放とうとしている新宮の手首を掴んだ。それだけで、周りは静まる。

 

「先生…」

「もう十分だろ。やめなさい」

「でも」

「この人は、進んでやったわけじゃない。僕達を試そうとしていただけなんだ。こんな、リンチまがいのことをしていいはずがない」

「み、皆あれに殺されたんですよ? 先生だって、見ていたはずです。むごたらしく殺されたのを、全部無しにしろっていうんですか」

 

 宇部が、唾を吐く真似をする。

 

「偽善者め。自分だけ生き残ったから、そんなこと言えるんだよ」

 

 グンダへの悪感情は、一転して貴樹へと向かっていた。優しさも、場合によっては臆病とも捉えられる。この担任教師に対して失望した空気が広がっていた。

 新宮が信じられないという顔で、彼を見つめる。

 

「先生は、これを憎いとは思わないんですか?」

「今騒いだところで何の意味もない。グンダさんも含めて、ここの方々は僕達を曲がりなりにも保護してくれたんだ。目的と、住む場所を保証してくれた。無暗に反抗しては、互いに溝が広がるばかりだ」

「だからなかったことにしなきゃいけないなんて、おかしいよ。先生は、私達のこと、そんなに軽く考えてたの? 仕方ないですませるような、存在だったの?」

 

 瞬間、貴樹は彼女の体を引き寄せた。それから周りで聞いている生徒達をぐるりと見回し、目を潤ませて叫んだ。

 

「そんなわけ、ないだろうが!」

 

 担任として、何よりも大人として、常に冷静に対処しなければいけなかった彼でも、思う所はある。異常な状況でも何とかやってこられた精神が、今揺らいでいる。という設定で、彼は全力で演技していた。

 

「僕は教師だ。お前達の担任で、二年も過ごしてきた自負は当然ある。それ以上に、照れくさいけど、守ってやりたいとか、そういう情がわいてる。平気なわけないだろ。お前達が酷い事になっていくのを見て、どんな気持ちになったか。想像できるか?」

「あ…せんせ…」

 

 新宮の頭を、両手で思いっきり撫でてやる。こぼれそうになる涙を、彼女の肩口で拭うふりをする。鼻をすすって、ゆっくりと彼女の元から離れた。

 

「グンダさん、立ってください」

 

 静かに、座っている巨体と向き合う。

 

「この子の言うとおりです。あなたの気持ちはありがたいですが、何の解決にもなりません。自分の身を差し出すのはやめてください」

 

 グンダの手を掴み、立つように促した。貴樹達の三倍近くある図体が上がると、新宮が圧倒されたように固まる。彼女を安心させるように肩を叩いてから、貴樹は決然とグンダを見据えた。

 

「正直、あなたを完全に信用するのは、まだ時間がかかりそうです。それでも、僕達に対して何か思う所があるのなら、一つ約束してください。彼らをできる限り、守ってやってほしい。本来、それは僕の責任なのですが、今の僕には何の力もない。だから代わりに、あなたにお願いしたいんです。わだかまりをなくしたいのなら、行動で示してくれませんか」

 

 淡々としているようで、かすかに悔しさを滲ませる。自分にスポットライトが当たっているイメージで、表情と声の調子の上げ下げで些細な感情も表現する。大げさな身振り手振りはいらない。伝わる人にだけ伝わればいい。

 

「了解した。我輩は、灰達が危機に陥れば必ず助けると誓おう」

 

 グンダは屈み、貴樹に向かって大きな手を差し出してきた。その圧力に動じることなく、貴樹は頷いて握手を交わす。その光景で、毒気を抜かれたように生徒達は落ち着いた。少なくとも彼に対する尊敬の念は保てたどころか高まったと言えるだろう。

 まだ葛藤がある様子の新宮には、もちろん忘れずにフォローを入れる。

 

「昔から、紗奈は妹と仲良くしてくれたもんな。納得できない気持ちだって、すごくわかる。申し訳ないけど、ここは抑えてくれると助かる」

 

 下の名前を呼ばれて、新宮は瞬きし、それから懐かしそうに笑った。

 

「ずるいよ。先生が我慢したなら、私もそうしなきゃってなっちゃうよ。久しぶりに、名前呼んでくれたね。昔みたいに貴樹お兄ちゃんって呼んでいい?」

「先生と生徒の距離感は大事だ。駄目に決まってるだろ」

「は―い」

(う―ん。この笑顔ぶん殴りてえ)

『あ、お疲れ様です』

 

 無駄に長い茶番は終わったようである。

 

(このメスガキ、グンダさんを攻撃した罪は重いぞ)

『でもお前もグンダに殺されかけたよな。そこはムカつかないの?』

(俺とあの人は戦いで絆を結んだ。俗人共の尺度で考えるでない)

『そうすか』

(それにしてもイラッとくるわ―。ガキ共邪魔にしかならんから消えてくんねえかな)

『というか、あそこまで格好つける必要あったか?。嫌いなら、放っとけばいい。自滅してくれたのに。生徒達と組織側が対立してもお前一人が後者に付けばいい話じゃん』

(確かに、あいつらの存在は塵以下だ。だがあいつらからの賞賛は別だ。俺の価値をさらに高みへと押し上げる礎となる。端的に言うと気持ちいい)

『うわあ、見栄張るのもここまで来ると清々しいな』

(こういう印象付けはすげー大事だぜ? 日々の積み重ねが生きてくる。それは自尊心のためだけじゃなくて、自分はこういう人間ですよ―、と周りに先入観を与えられる。これから先この人間像を正直になぞるか、裏切るかは俺の自由だ。上手く利用すれば、さっき言った目的の完遂に大いに役立つ。痴呆(ちほう)共を翻弄(ほんろう)するのは快感すぎてハマるんですよ)

『うん、結局一つ前に言った事と同じだね』

(ノミ、おすわり)

『実行する体すらないわ』

 

 彼が脳内でくだらない会話をしていると、ジ―クバルドが呼び止めてきた。

 

「待ってくれ。貴公にはやってもらうことがあるんだ」

「何ですか?」

(わ、ジ―クさんと初会話)

 

 火守女に次いで好きなキャラクターとの絡みに、生徒達に対する不愉快も薄まった。まさに夢見ていた所にいるのだから、それを全力で楽しもうと心を入れ替える。

 

「昨日の件のせいで、タカキだけソウルの器を見ることができなかった。今一度この場で確認するために、時間をいただきたい」

(呼び捨て…。おい、もう距離が縮んだよ)

『お前が名前しか教えてねえからだろ』

「構いませんけど、そのソウルの器というのは?」

「説明する前に、やって見せた方が早いだろう。火守女のそばにひざまづいてくれ」

 

 ついに再び彼女と接触する機会がやってきたと、貴樹は既にマークしていた火守女へと、軽い足取りで近づいていく。

 

「先生もあれするんだ」

「ソウル量、どれくらいになるだろうね」

「絶対、多いはず」

(生徒達はもう終えている様子。それに、さっき高原が話していた凄い力って言葉を考えると、やっぱりゲームと同じく火守女がレベルアップさせてくれるのか? あるいはまた違う何かが得られるんだろうか)

 

 あれこれ考えながら、火守女の前で膝をつくついでにそのボディラインを舐めるように視線で確認する。本当はもっと直接的な行動に出たくてたまらないが、さすがに人目が多すぎる。本能を優先させて、ジ―クバルド達の印象を下げるほど、愚かでもなかった。

 

「…もう少し、離れていただけると」

「こうですか?」

 

 貴樹は顔を上げ、火守女の口元を見た瞬間、それに触れてみたいと強烈に思った。好奇心旺盛な子供の気分で、右腕が動く。もう片方の腕は、実に自然な動きで彼女の腰を抱こうとしていた。

カルラが彼の両肩を抑えた。

 

「妙な動きはするな。全くユリアの言った通りだな」

(はっ)

 

 否、彼は本能をまるで御しきれていなかった。

 

「指示に従って、もう二、三歩離れるんだ」

「ああ、すみません。ぼうっとしてて」

 

 そして位置についても、カルラは手をどけない。

 

「あの、」

「カルラ、そう警戒するな。彼が危険でないことは、もう確認されただろう」

「いや、私が言っているのはそういう危険ではないんだが。何かあったら、責任を取ってくれるか?」

「ハッハッハ、大げさな。離してやれ。困惑しているぞ」

 

 ジ―クバルドに諭され、渋々貴樹から身を引いた。

 

(えっと、カルラさんは俺に惚れているのかな)

『おれが全部ツッコむと思ったら大間違いだからな』

 

 衆人監視の中、頭を垂れて膝をつく彼に、火守女が手をかざす。これは、ゲームでもよく見られた光景だ。彼女がプレイヤーの中にあるソウルに触れ、強化を行う。画面上で散々してきた作業だとしても、実際に体験するとなれば感慨もあった。

 彼女がぼそぼそと詠唱し出す。それから貴樹の体に光が現れるであろうことは、生徒達も彼自身も当たり前のように予測していた。はずだった。

 古いブラウン管のテレビの電源が突然消えた時のような、短い切断音が響き、次の瞬間には貴樹と火守女両者が互いに正反対の方向へと弾き飛ばされていた。何の前触れもなく、またあらゆる抵抗を無視する強い力だったので、彼は受け身すら忘れていた。が、素早く反応したジ―クバルドが着地点に走り、衝撃を完璧に殺す形で受け止める。

 

「あ、ありがとうございます」

「危なかった」

 

 一方の火守女は、飛んでくるとは予想もしていなかった一人の男子生徒がクッションとなり、怪我を免れていた。

 

「申し訳ありません…! お怪我はありませんか?」

「こ、こちらこそ。すすぐ離れます」

(下田アアアアアアアアアアアアアアア! 貴様なます切りにするぞおおおおおおおおおおおおおおおおっ、ひもりんの体を全身で味わいやがってえええええええ)

『いや、そこじゃなくね?』

 

 始終を見守っていたカルラが、どちらともなく投げかける。

 

「何が起こった?」

「急に見えない力で押されたような。よくわかりません」と貴樹。

「器自体を見ることはできたのですが、測ろうとした途端に同調自体が拒絶されました。原因は未熟ながら検討がつきません」と火守女。

「再度、試すことはできそうか?」

 

 火守女は貴樹を一瞥した後、首を振った。

 

「おそらく同じ結果になると思います。私自身、こんなことは初めてで」

「確かに前代未聞だぞ、これは」

(あれ? あれ? 嫌な空気になってない?)

『他の皆はできたみたいだしな』

(お前、何かしたろ。ひもりんの干渉をはじいたな?)

『そんなことした覚えはねえ。…ただ、おれ自身の存在が原因になっている可能性は十分にある。そうだったらごめんなさい』

(死ねええええええええええええええええ!)

 

 カルラがはっきりと、警戒の目を向けてくる。

 

「この男だけ、どこかおかしいぞ。妙な呪いも持っている。本当に灰の一員か?」

(ほら、早速疑われているじゃねえか。どう責任とってくれるんだよ)

『おれだって知るか。一応、土下座します』

(謝って済むのはガキまでなんだよぉ)

 

 またも場を諌めてくれたのは、ジ―クバルドだった。

 

「そう事を荒立てようとするな。彼に悪意がないことくらい、わかっているだろう。この場でははっきりと決められないが、今度イリ―ナにも試してもらおう。それまで彼をどうこうする意味はない」

「…私は知らないぞ」

「全責任はこちらで持とう」

 

 カルラを説得した後、ジ―クバルドは火守女に顔を向けた。

 

「心配するな。貴公に何か至らない点があったとは思っていない。気負うことなく、これからも責務に励んでくれ」

「はい。戦士様の配慮に感謝いたします」

「ところで、器は見れたと言っていたな。どんなものだった」

 

 意外なことに、ここで彼女は口ごもった。貴樹にとってはよく意味の取れない質問だったが、さして抽象的でもない。見た事をそのまま答えればいいだけだ。しかし、火守女は自身の中で抱いている回答が真実かどうか判断に困る様子を見せ、ジ―クバルドが撤回する直前にようやく言った。

 この瞬間彼女の顔に初めて浮かんでいた明確な感情に、貴樹は強く惹き付けられた。

 

「小さな、とても小さな器の中に、鮮やかな炎が揺れていました」

 

 焦がれるような、表情に。

 

 

 

 

 紆余曲折あったものの、訓練と称されるものは始まった。男子はジ―クバルドとグンダに連れられ、外へ。女子に加えて下田は、カルラの案内でさらに地下にある広大な練術場に向かった。貴樹は直前まで迷ったが、女子達の方へ付いていくことに決めた。その理由は、至極単純なものだ。

 

「話があると言われてみれば、それは一体どういうつもりだ?」

 

 カルラの呆れた視線の先で、彼は頭を地面に付け、相手に対してあふれんばかりの誠意を示そうとしていた。土下座である。生徒達の目がない場所で話しているので、保つべきプライドなど存在しない。

 

「お願いがあります。僕を、貴方の弟子にしていただきたいのです」

「断る」

「もう少し考えてみては? 即断はいけませんよ。あの子達と一緒の枠で構いませんから」

「教える相手を選り好みするつもりはない。全く素養のない者を、他者のための時間を割いてまで相手をする必要を感じないだけだ」

 

 彼は土下座を解き、立ち上がって彼女の目を覗き込むように顔を近づけた。今までこういった行動に対しての女性の反応は照れながら目をそらすか、緊張して魅いられてしまうパターンしかなかったが、カルラはどこまでも冷めた様子だった。

 

「そんなの、どうしてわかるんですか? もしかしたら、才能に満ち溢れているかも」

「実際に目で見て納得したいんだな」

 

 カルラは短い一音を口から発すると、指先を貴樹の肩に当てた。そこから青白い光が灯り、掌へと移動する。

 

「呪術、魔術、奇跡の全てに通じる素を、無理矢理体内に入れた。その光っている手を上に向けて、一本の矢を想像しろ。明確な形ができたら、放てと念じろ。三術に共通するのは、後天的に素養を得ることがないという点だ。できなければ、一番初歩の術でさえ習得は不可能になる」

 

 いよいよ体験できる期待で、彼のテンションは否応なく高まった。

 

(ふう…)

 

 高校の、弓道部で使っている練習用の矢を思い浮かべる。なるべく殺傷力のあるものだとか、そんな欲は抱かない。木作りの、矢先が丸まっている、最も身近な矢を目の前に浮き出るほど念入りに想像した。

 深呼吸し、鼓動を落ち着けてから、裂迫の気合いで心中叫ぶ。

 

(でやああああああああああああ放てええええええええええええい!)

『楽しそうだな』

 

 百八十後半に届く長身を一本の糸のように伸ばし、さらに上へぴんと張った腕の先、震えるほど限界まで広げた掌からは、残酷な無反応が返ってくるばかりだった。

 カルラは冷静に、その哀れな姿を眺めている。

 

「納得したか?」

「そうですね、ちょっと魔力の素が足りなかったみたいです。今度はたくさん注ぎ込んでくれませんか」

「問題はそこじゃない。そもそもお前の場合穴が閉じているんだ」

「確かにまだそういう経験はないですし、したいとも思いませんけど」

「そうじゃない。精神的なものだ。これが開いていないと、師事する以前の問題だ。つまり、才能がない」 

「意外とそういう知識は持ってるんだ。今の話で察したということは」

「…尻の話から離れろ。戻るぞ」

 

 踵を返そうとする彼女に向かって、彼は悲痛な声を上げる。

 

「お、お待ちを。どうか、どうか機会をください。後生ですぅ!」

 

 姿勢を低く、甲子園決勝点を賭けた球児のヘッドスライディングを凌駕する見事な飛び込みで、彼女の足につかまった。膨らんでいるローブの見た目とは裏腹な、モデルのような細さをついでに堪能する。

 

「離せ」

「せめて、たった一言、一言で良いんです。俺を、馬鹿弟子と罵ってください。少し悪戯っぽい表情でお願いしますっ」

「何なんだ、お前は。ジ―クとグンダはなぜこんな奴を」

(これ、下のひらひらで顔が包まれて、エロくていいな)

 

 カルラに触れられて舞い上がり、当初の目的すら忘れた彼は、彼女の焦った蹴りを股間に受け、転げ回る羽目になった。そんな彼の姿には目もくれず、彼女は足早に生徒達の待つ区画へと向かっていく。

 

(なんでや)

『がっつきすぎじゃね。引くことも覚えろよ』

(非人間的存在に言われたくないんじゃボケえええええ)

 

 カルラ以外爆散してくれないかなと願いつつ、貴樹は隅で悲しく訓練の始まりを見るしかなかった。

 

「既に紹介はしたが、カルラだ。まず初めに言っておく。貴公達は敵の刃にかかって死ぬことは許されない。そんな状況になるということは、前衛の戦士たちが崩れたか、己の役割すら理解できずに前へと出ようとした馬鹿がいるからだ。私達は、後方での援護、治療を担う。自分の力で敵陣中へ飛び込みたいのなら、今すぐここから出て行くといい。私達が崩れれば、戦う者達は窮地に陥る。何よりもまず、自身が生きることを優先しろ」

 

 と言われても、一般的な女子高生が何かしらの反応を返せるわけがない。戸惑う空気の中、それを気にする素振りも見せずに、彼女は続ける。

 

「グンダの報告で上がっているが、既にいくらか使える者がいるそうだな。心当たりがある者は、前に出てきなさい」

 

 初めに実織が、少し遅れて、新宮と下田も続いた。下田はこの場では貴重な男成分だが、横に並ぶ二人の女子のすらりとした体型のせいで、あまり変わらないのが切ない。

 

「なるほど。ちょうど綺麗に分かれている。呪術寄りがお前で、その隣が奇跡、最後に魔術というわけか」

 

 当てられて、実織が驚いた様子で目を見開く。

 

「よく、わかりますね」

「経験だ。得意不得意は、その者の雰囲気で判断できる。例えばその白いローブのお前は、私のよく知る奇跡の使い手の女性と似ている。おおらかな女だと言われたことはないか」

 

 少し得意げに話しているカルラに、下田が申し訳なさそうに手を上げる。

 

「僕は男です」

「そうなのか? フードを取ってみろ」

 

 言われたとおりにした下田は、いきなりカルラが近寄って来たのでうろたえた。頬を触られたり、前髪をかきあげられたりしても、なすすべなく黙っている。

 

「本当だ。すまない、よく顔が見えなかったから、勘違いをした。珍しいな、男で奇跡使いか」

「ええ、その、あの」

 

 ぷにぷにと唇まで撫でられ、さすがに下田は固まった。そんな様子を見かねて、実織が止めに入ってくる。

 

「困ってますけど。やめてあげたらどうですか?」

 

 その言葉を無視し、十秒ほど彼の頭を撫でてから、カルラは話を再開した。

 

「では、そうだな。女二人、名前は?」

「実織」

 

 素っ気ない挨拶の後、新宮が頭を下げた。

 

「紗奈です。よろしくお願いします」

「ミオリに、サナか。独特の名だな。二人には、今から自分の全力の一発を私にぶつけてもらう。もっと正確に言えば、この的にだ」 

 

 カルラの指先から、内側へと反り返った半透明の板のようなものが発現した。極小さなサイズから瞬時に拡大され、ちょうど彼女の全身を覆う大きさになる。

 

「別々にするのも面倒だ。同時でいい。狙いくらいはつけられるだろう?」

「いいんですか?」

 

 新宮が尋ねても、平然と頷いた。その防壁の層の厚さは数ミリしかない。指で突いただけで穴が空きそうだった。

 

「躊躇わなくていい。まさか私が怪我をするとでも思っているのか? 絶対にないから安心しろ」

「じゃあ、遠慮なくいきます」

 

 右手に火をともした実織に続いて、新宮も構えた。炎の塊と光の矢が完璧な軌道を描き、同時にカルラの魔力盾へと直撃する。

 

(改めて、お粗末な呪術と魔術だよな)

『わかんの?』

(ゲームのエフェクトと比べてだけど)

 

 貴樹の予想通り、カルラは相も変わらず佇んでいた。その防壁には、傷一つついてはいない。

 

「こんなものだな。次は、お前だ。奇跡と言っても、種類はある。何が使える?」

 

 実織が悔しそうにしているのを気にしながら、下田は答えた。

 

「傷が、治せます」

「回復系だな。どう試そうか。では、こうしよう」

 

 彼女は右手をもう片方の手の指先に当てた。何をするつもりなのか訝しがる下田は、次の瞬間叫び声をあげた。

 当たり前のように、その人差し指と親指をを針ほどのソウルの矢で削ぎ落し、下田に向かって掲げて見せる。少なくない量の血が石造りの地面に落ち、彼女の頬には跳ねた返り血がついていた。一歩後ずさった下田に遅れて、女子達がざわつく。

 

「治せ」

「え、え?」

「指も残っている。接合できる条件は揃っているぞ」

 

 一度実織の傷を治している経験を持っていたとしても、血に染まる欠損した手を見せられて、彼は混乱に陥っていた。

 

「僕、そんな、治せるかどうかなんて」

「かなり痛いんだかな。早くしてくれるか?」

「だ、誰か、人を。人を呼ばないと」

 

 助けを求めて左右を見回した後、腰が抜けたのか糸が切れたように座りこんだ。カルラはそんな下田の様子をしばらく眺めていたが、やがて溜息一つつくと、取れた二本の指を元の部分に押し付け、無事な方の手でゆっくりと撫でた。

 白く、淡い光が丸く広がり、以前下田がやってみせた時とは二回り以上も大きなものとなり、痛ましい傷を包み込んだ。皮膚がかすかに泡立ち、継ぎ目が塞がれていく。そして光が消えてから、くっついた指をぎこちなく動かし、彼女は小さく頷いた。

 

「一応、成功はした。二、三週間もすれば、調子よく動かせるようになる」

「すごい。本当に治った」

「何を言っている? お前はこのくらいのこともできないのか?」

「わ、わかりません。傷を治したのは少しだけで」

「私に言わせれば、こんな粗末な奇跡など恥だ。実際に治療に赴いている者達は、片腕がもぎ取れても、数秒で治し、通常通りの機能を取り戻させる。私の専門は奇跡ではない。応急処置程度にはなればいいと、片手間で身に付けたものだ。これ以下の代物など、回復と呼ぶのもおこがましい」

 

 重い沈黙が下りた中、下田と、後方で集まっている白いローブの集団を見据える。

 

「今、訳あって奇跡を担当するはずだった者がいない。門外漢の私が断言するのもはばかられる。が、これだけ言っておく。能力的に足りないのはまだいい。実戦において最も足手まといなのは、怖気づいた者だ。血をいつまでも恐れるな。これから先嫌というほど見ることになる。治す側の者は、どんな陰惨な傷でも向き合わなければならない」

 

 生徒達は、神妙に聞いている。ただ、全てに納得しているわけではないようだ。学校で、教師の説教を受けている感覚。適当に相槌を打っていればそれで終わる。と考える者もいるだろう。それだけ彼女の語った価値観が、今まで触れてきたものと離れているのだ。

 どこか真剣ではない空気は、当然カルラも感じ取っていただろう。彼女はあえてそこを突く真似はしなかった。たっぷりと黙って間を空けてから、むしろ、薄く笑顔を浮かべる。

 

「初回から、刺激が強かったか? 色々と偉そうなことを話したが、伝えたかったのは一つだ。今の段階で貴公達の実力はほぼ変わらないということ。この三人は、偶然とっかかりを掴む機会があったにすぎない。私は、全員の能力向上を任されている。自分に自信が持てなくなったら、周りの仲間や、もちろん私にも気兼ねなく話していい。私達は同胞だ」

 

 出るタイミングを失くした貴樹は、カルラという人物の印象を決めかねていた。

 

(なーんか、違和感があるんだよな)

『何がよ』

(カルラは、こういうことを言える人だったかなと。確か足が不自由で、立つことすらできなかったはずなのに。今は健常者だ。顔から受ける印象も、随分と違う)

『ゲームとごっちゃにするのはやめにするんじゃなかったのか』

(いや、こういう感覚は大事にすべきだと思ってる。この世界が創作とどう違うのか、一刻も早く全貌を理解しないと。情報が乏しい今は、推測を広げていくしかない)

『妙に意識高い時あるよなお前』

(元々、有能な人間なんで)

『ほ―ん』

(ん? 何だ?)

 

 カルラが手招きしているのに気がついた。ようやく出番が来たかと、髪を思わせぶりに撫でて向かう。

 

「僕に、手伝えることでも?」

「あまり気乗りしないが、お前ならかかりやすいだろう。これから皆に教える呪術、魔術は実に多岐に及ぶ。その中には、ただ敵を葬るためだけではないものもある。これからこの男と、誰かもう一人に体験してもらう。危険ではないから、安心してくれ」

(都合の良いモルモット扱いっすか。興奮するわ)

「もう一人の方は誰にしますか?」

 

 尋ねられると、彼女は思わせぶりに口元を緩めた。

 

「できるなら、この男と親しい奴がいい。誰か、我こそはと思う者は?」

 

 この時、目を光らせた大勢の女子の誰よりも早く、新宮が手を上げた。

 

「この、私の隣の子がいいと思います」

「は? ねえちょっと」

「ミオリ、だったか」

「実はこの子、貴樹先生の妹なんです。これ以上の適任はいないですよ」

「なるほど。家族ならいいかもな。面白い」

「私、やるって言ってないんだけど」

 

 実織の文句は全て無視され、貴樹と彼女二人だけが、皆の前に立たされた。なぜか少し、カルラは楽しそうだ。

 

「これは、精神操作系の呪術だ。多少、様子がおかしくなるかもしれないが、変に騒ぎ立てることはしないでくれ」

 

 言い終わると同時に、彼女は貴樹をまっすぐに見つめてきた。目と目を合わせ、少しもそらすことなく近づいてくる。口は何かの文言を刻み、瞬きを一切しない。

 

(ちょっと勃起してきた)

『変態か』

(いやでもこれ、絶対キス待ちだろ。やっちゃっていいよね)

『もがれるぞ。さっきの指みたいに。どこがとは言わんが』

(それは嫌だ)

 

 鼻と鼻がくっつきそうな距離のまま数秒経過し、カルラは笑みを消して顔を離した。

 

「終わりですか?」

「お前、なんともないのか」

「えっと?」

「私に対して、何か思う所は」

 

 妙な質問だったが、貴樹は胸を張って即答した。

 

「素晴らしい女性だと思います」

「…」

「…」

 

 カルラは困惑を隠しきれない表情で、首を傾げた。

 

「効いていない?」

「何がです」

「そういう質問ができる時点で、私がかけようとした呪術が失敗に終わったという事だ」

「えっ、何かしたんですか」

「もういい。お前は下がれ」

(ちょっ、もう終わりかい)

 

 貴樹の代わりに、同じ男という点で下田が選ばれた。全く覚悟もしていなかった彼は、直立不動のままカルラを顔を合わせる。

 

「あの、近」

「そう緊張するな。力を抜け。そう、ゆっくりと。息が荒いぞ」

 

 吐息がかかるほどの近距離で、カルラは優しい口調を崩さない。下田の童貞らしい反応も、どこか微笑ましそうに対応している。

 

(俺の時と態度違くない?)

『純粋さが透けて見えるんだな』

「この呪術は、対象の目を見なければ発動できない。だがそれだけ、かかれば強力だという事だ。では、いくぞ」

 

 先ほどと同じように、カルラの口が動く。その直後、下田は脱兎のごとく彼女から離れた。呼吸はさらに荒くなり、頬に赤みが差している。最も特徴的なのは、彼が自身の高揚にまるでついていけていないことだった。

 

「あれ、顔が熱、なんで」

「どうした。照れるな。もっと近づいてこい」

 

 両手を広げ、下田を促す。少し内股気味になりながらも、まるでカルラの言葉が抗いようのないものであるかのように、一歩、また一歩と足が動いていく。耳まで真っ赤になり、彼女を見つめる視線は完全に潤んでいた。

 

「思いっきり飛び込んでこい」

「は、はい」

 

 何かに突き動かされ、下田はカルラに抱きついた。女子達の間から、きゃあと歓声が上がる。肩元に顔をうずめている彼の首筋を優しく撫でた後、彼女は講義のように淡々と話した。

 

「この魅了の呪術は、対象に自分の存在を強く認識させて、愛情、忠誠心等の感情を引き起こさせるものだ。上手く敵にかかれば、どんな命令でも聞く。同士討ちさせることも可能だ」

 

 下田の顔を両手で包みこむと、愉快そうに尋ねる。

 

「私のことを、どう思っている?」

「好きです! あ、えっと、違、僕初対面の人になんてこと、い今すぐに離れます」

「ん―? この手を離してほしいのか?」

「嫌だ。ずっとこうしててくださいっ! 大好きです、愛してます」

「よしよし」

(くっそ、こいつまたしても。こういうことなら、かかったふりしとけばよかった)

『お前がああいう醜態をさらしてたら、さすがに吐くわ』

 

 下田の変わりように呆気にとられていた実織は、自分の結末にも思い当ったのか、半笑いで後ろの集団に戻ろうとする。

 

「よくわかりました。試すのは一人で十分ですよね。うん、参考になった」

「この呪術の良い所は、間接的にもある程度効果があることだ」

 

 カルラの手から、淡い桃色の細い光が伸びる。残像が出る勢いで実織の頭に殺到し、その中に入り込んだ。途端に彼女の動きは止まり、ぼうっとカルラの方を向いた。

 

「お前も、側に来ていいぞ。もう一人分くらいは空いている」

「で、でも」

 

 実織は既にカルラにくっついている下田を気にする。

 

「なんだ、まさか二番目だから遠慮しているのか。安心しろ、平等に相手してやる」

 

 もじもじと指を合わせていた手を解き、実織は満面の笑みになった。いつもは少し吊り気味の目尻がだらしなく垂れ、童心に還った声を上げる。

 

「わぁい」

 

 さらに女子達が騒ぐ。一番大きく喜んでいたのは、新宮だった。自分も混ぜてほしいと、必死にカルラへアピールしている。

 

「ちょっと、もっと端に寄ってよ。くっつけないじゃない」

「実織さんこそ大きい顔しないで。ぼくが最初に、この人に求められたんだから」

「順番は関係ないもん。平等だって、言ってましたよね?」

「もちろん」

「ほらあ。そっちこそいばんないでよね」

「そんな。か、カルラさん、ぼくはぼくは?」

「何を言ってる。お前も大事だよ」

「ぼ、ぼくもカルラさん以外の事は考えられません」

「え―、ねえわたしは」

「フフフ、可愛いよ」

「やったあ」

 

 新宮が鼻血を吹き出しそうなほど真っ赤になっていた

 

(何だこれ)

 

 人間二人に抱きつかれながら、カルラは説明する。

 

「これだけでも十分恐ろしい術だと理解できるだろうが、実はまだ応用の仕方がある。経験を積めば、魅了における感情の方向を操作できるようになる。私は二人から好意を向けられ、大変困った状況だ。だが、こうすれば上手く解決に至るだろう」

 

 もはや心も体も陥落した二人の頭に手を乗せる。そしてまた意味の取れない呪文を呟き、それぞれの頭から桃色の光糸を取り出し、一つに混ぜ合わせた。

 直後、強くカルラにしがみついていた彼らは、我に返ったように離れた。

 

「え、あ」

「二人共、やっと落ち着いたか。暑くてかなわなかったよ」

「すみません。ど、どうかしてました。僕、」

 

 言いかけの言葉を飲みこんで、下田は固まった。まるで初めて出会ったかのように、隣の実織を見ている。彼女もまた、胸を抑えてちらちら下田の方を確認していた。

 

「大丈夫? 実織さん、苦しそうだけど」

「よ、寄らないで!」

 

 彼の伸ばしかけた手を、強く払う。あ、と二人は同時に辛そうな声を上げた。片方は拒絶されたことに対して、もう片方は拒絶してしまったことに対して、傷ついているようだ。

 

(だから何だよこれ)

 

「ごめ、んなさい。その、急に来たから、びっくりして」

「う、うん。別にいいよ。それは、つまり照れたってこと?」

「…言わせないで」

「いや、可愛いよ。すっごく。なんだろう、今までもそう思ってきたけど、今が一番可愛い」

「やめて。恥ずかしいから。皆見てるし」

 

 下田が実織の手を掴み、ゆっくりと立たせた。彼女は小さく抵抗しているが、まんざらでもない様子だった。もうすっかり立ち上がっているのに、二人は絡んだ指を解こうとしない。

 

「どうして、こんな気持ちになったのか、よくわからないんだ。でも、やっぱり」

 

 人差し指が彼の口に当てられる。し―、と実織はほとんど泣きそうな目で微笑む。

 

「私、私ね。こういうのって、自分から言いたいタイプなんだ。普通は男の人から言うべきだって、わかってるんだけど」

「うん」

「きみのこと、すごく好き。気持ちがどんどんあふれてくる」

「僕もだよ」

「ほんとに? 証明できる?」

「どうやって?」

「じゃあ、こうして」

 

 両目を閉じ、彼女は唇を少しだけ前に出した。その意図を理解はしたようではあるものの、なかなか思いきれない下田は、彼女の両肩を掴んだまま途方に暮れた。すると急に実織は彼の首にしがみつき、顔を近づけた。鼻先同士がかすかに触れ、また元の位置に戻る。

 

「今のが練習。ちょっとは慣れた?」

「何というか、あ―、実織は可愛いだけじゃない。とても綺麗だ」

「お世辞は終わり。ほら、行動で示してよ。彰浩」

 

 先ほどカルラが指を落とした時よりも、ある意味重い静けさが辺りを包んでいた。野次馬達は息を飲んで、二人の間にできあがった世界を注視している。一方の貴樹は、耳をほじくりながら斜め上を眺めていた。

 

(ガキ同士が乳繰り合うのを見ても、何の生産性もないな)

『あれほど強力なら、お前に効かなかったのは尚更不思議だ』

(俺はひもりんを一番に愛しているからな。でも正直、さっきはカルラがかなり魅力的に思えたぞ)

『まさかあれか。勃起のことか。それですませられるのも、なんだかなあ』

(勘違いされたくないから、ここで言っておく。俺は別に出てくる女性キャラクターなら誰にでも欲情してるわけじゃない。そりゃあある程度のスキンシップはしたいけど、本気で抱きたいと思うのはひもりんだけだ)

『なるほどなるほど』

 

 十分アウトである。

 例の二人は、ほとんど体を密着させ、徐々に互いの顔の距離を縮めていた。本当にするのか、しないのか、妙な緊張が高まってくる。女子の中には両手で顔を隠している者もいたが、指の隙間から抜け目なく見ている。

 そして唇が重なる寸前で、カルラは柏手を打った。

 

「と、例のようにこれは耐性の低い者なら、簡単に操り人形にしてしまう恐ろしい術だ。貴公達に教えるつもりは毛頭ない。こうして見せたのは、相手が使ってきた時のために心構えをしておいてほしいからだ。自分の中で最も愛する者をちゃんと認識しておけ。強くその人の事を考えれば、惑わされる可能性は格段に減るはずだ」

 

 下田と実織はそれを合図にして、その場に座りこんだ。惜しい、と誰かの声が響く。二人は周りの反応を気にすることなく、まだ意識が現実に戻ってきていない様子で宙を眺めていた。

 

「あの、これって大丈夫なんですか」

 

 興奮の残滓なのか頬を薄く染めたままの新宮が、不安そうに尋ねる。

 

「術後はしばらく強い疲労感が伴うだろう。お前、二人を個室にまで連れて行け。今日は休ませる」

 

 暇そうにしていた貴樹が指名された。

 

(ゴミ二人の世話とか、こりゃあご褒美がないとやってられないよなあ)

「わかりました。で、カルラさんは僕に何をしてくれるんでしょうか」

「お前の一物に矢でも刺そうか」

「冗談です。さっそく連れて帰りましょう」

(こんなやり取りでも興奮できる俺は天才か)

『筋金入りだな』

 

 実は体のいい厄介払いを受けたとしても、彼の一日はそこで終わるわけではない。前後不覚の実織達に彼らの部屋をやっとの思いで聞き出し、ベッドに放り込んだ後、意気揚々と今度は屋外に向かった。

 

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