火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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70.戦争準備

 ホークウッドは、辛うじて冷静さを失わずにすんだ。一致している。声自体はミレーヌと同じだが、その雰囲気は違っていた。色を含んでいるようでいて、伝わってくる感情には冷たさしかない。鳥肌が立つような声だった。

 おまけに方向からして、ミレーヌの口から発せられたものではないことは明白だった。

 すぐに距離を取って、壁に立てかけてあるファランの大剣を抜く。

 

「まあ、つれないのね。それとも好みではないのかしら?」

「ミレーヌ、離れろ!」

 

 彼女の横から、手が生えていた。真っ白な手だ。決して戦いには向かない体をしていると、それだけでもわかる。だが、なぜかとても危険な気がしていた。

 ミレーヌが驚いたようにベッドへと寄っても、その手は宙に浮かんだままだ。口までが出現しているわけではないのに、声は相変わらずはっきりと聞こえてくる。

 

「ホーク、そんな顔をしないでください。貴方にそういう感情を向けられると、落ち込んでしまいます。もっと穏やかな顔をお願いします」 

 

 ミレーヌの判断は、ホークウッドよりも早かった。彼女はすぐに手を伸ばす。何度か見たことのある予備動作だ。インベントリを使う動作。そして何もない所から、自分の武器を取り出すのだ。

 だが、彼女はすぐに妙な顔をした。

 引っ張り出されたのは、大剣ではない。彼女の腕に絡みつくようにして、女性の手、そして腕、肩が出てくる。ミレーヌが異変に気付いて離した時には、その全身が露わになっていた。

 

「あぁ…、ここは本当に眩しいですね。目が、焼かれてしまいそう」

 

 先ほど感じたものよりもずっと強い感情が、ホークウッドを少しの間支配した。あまりに、似ているのだ。肩を超え背中を流れる綺麗な金髪、こちらへと向けられる穏やかな微笑み。何もかもが、火継ぎから解放された時、初めて会ったミレーヌに酷似していた。

 だが、あくまで似ているだけだ。同じではないと、すぐに感じた。それは相手の黒いドレスのせいでも、温度の無い表情のせいでもない。もっと根本的な何かが、食い違っているようだった。本能が、女を忌避している。

 

「何なの…」

 

 ミレーヌが刃を向けるが、その先は震えている。彼女の衝撃は想像もつかない。

 女はドレスの裾を掴むと、丁寧なお辞儀をした。

 

「改めてこの出会いに感謝を。私は、偉大なる主に仕える者。ウーラシールと、呼んでくださいまし。姫君でもよろしい」

 

 ホークウッドは、警戒を一気に引き上げた。それは、先ほどまでここにいたアルトリウスの話で出てきた名だ。国の名前のはずだった。さらに、その言葉を別の者から聞いたことがある。

 下田が漏らしていた名を、確かに憶えていた。あの時はミレーヌに向かって穏やかではない態度を取っていたので、印象に残っている。彼の説明にもあったはずだ。深淵の勢力には、女がいると。金の髪の女が。

 今すぐにでもここから出て、貴樹達を呼びに行こうかと思った。しかし一方で相手の狙いがまだわからない以上、余計な行動をしない方がいいという考えもある。

 ウーラシールは、にこにこと言葉を続けた。

 

「ご安心ください。参上したのは、重要な話があるからです。決して貴方達に害をなそうとしているわけではありません」

「信用できないわ」

 

 ミレーヌがさらに視線を鋭くする。

 

「まずどうやって来たのか、教えなさい。この祭祀場に、深淵の侵入を許す隙があるはずがない。貴方が、ただの幻で、私達をよくないことに巻き込もうとしていることも考えられる」

 

 言われた瞬間、ウーラシールは無表情になった。正確には、被っていた皮をはがしたという方が正しいだろう。その無機質な目を向けられたミレーヌは、一歩後ずさった。

 

「姿形だけではなく、その思考も、まがいものにふさわしい愚鈍さですね」

「なに?」

「穴は、あります。私の目の前に立っているではありませんか」

 

 相手が示しているのは、間違いなくミレーヌのことだった。

 彼女は当然、冗談でも聞いたような顔になる。

 

「訳がわからない。ホーク、私が抑えておくから、皆を呼びに行って。早く」

「貴方のインベントリに接続しただけですよ。簡単なことです」

 

 静まり返った空間の中で、ウーラシールは首を傾げた。

 

「あら、まさか…。その能力がどのような仕組みになっているのか、今まで一度も考えたことがないのですか? ならば私が今ここにいるという事実の原因は、貴方の怠慢ということになります」

「ホーク!」

「おやおや、可愛らしい。そうやって困ったらすぐに彼へとすがるのですね。憎たらしい。わかっているんでしょう? 奪った立場に居続ける気分はどうですか? 本来なら、ホークの隣にいたのは私だったのに」

 

 最後の方は、まるで幼い子供のような調子だった。小さな少女が拗ねているような。

 

「お前は、何を言っている?」

「どうか、聞いてください。私は、かつて、とてつもない悲劇に遭いました。馴染みのある故郷を滅ぼされただけではなく、この身を闇に囚われたのです。最も、代わりに助かったそれにとっては、喜劇かもしれませんが」

 

 指が、ミレーヌを示す。まるで断罪をするかのように。向けられた彼女は、明らかに困惑しているようだった。

 ウーラシールは、その顔の様相を変える。淑女のそれだった表情は、獣じみた憎悪で歪められていた。直接向けられていないとしても、ホークウッドはぞっとした。

 

「哀れな姫君。ウーラシールの宵闇よ。罪を認めなさい。ずっと彼を騙し続けた事実を、受け入れなさい」

「貴方、気でも狂っているの?」

「狂っていますとも。嫉妬でどうにかなってしまいそうです。言ったでしょう。本来、シフに保護されるのは私の方だった。ホークと一緒にいるのは私のはずだった。貴方は地球の人々を滅ぼした勢力にいたのにもかかわらず、私のふりをして生き残った。醜い、姫です」

 

 ミレーヌは既に剣先を下げていた。告げられた事実に対して、たじろいでいる。それはホークウッドも同じだった。働かない頭が、数秒遅れてその意味を理解する。

 同時に同じことを、ウーラシールは続けて言った。

 

「私こそがミレーヌです。その女は、ウーラシールという深淵に滅ぼされた国の、住人」

「嘘よ」

「地球に住んでいた事実などない。そう思いこんでいるだけ」

「ふざけないで、騙そうとしているのね」

「ミレーヌ・キャンベル」

 

 息を呑むような音が聞こえた。

 

「アメリカ合衆国ルイジアナ州の街の一角に住む、キャンベル家の次女として生を受ける。二歳の時に、両親と兄弟が飛行機事故により死去。親戚に引き取りを拒否された私は、孤児院に預けられました。そこで十歳まで育った後、侵略が起きます。私はトミズカオルという新進のハリウッド女優が率いる集団に保護されて、しばらく行動を共にした。ですが途中でさらわれて、大狼により残酷な提案を受けたのです」

 

 彼女は、ドレスの裾を揺らした。

 

「そこの高貴な姫君の身代わりとなって、深淵の主に嫁ぐ。もちろん抵抗はしました。ですが無駄だった。十歳の少女に、自らの運命を否定するだけの力があるわけがない。何千年もの間、闇と過ごすことになりました。わかっていただけますか?」

 

 ウーラシールの顔が緩められる。ホークウッドは衝撃を受けていても、最後の一線だけは越えなかった。なぜなら、向けられる笑顔は空っぽだからだ。

 

「今更どうしろとは言いません。ただ知ってもらいたかっただけです。貴方にだけは、わかってもらいたかったんです。これから戦う相手は、単純な、滅ぼすべき敵ではないと。私は、警告しに参ったのです」

 

 ゆらりと、彼女の影が近づく。ほぼ反射的に後ずさっていた。それに悲しそうな目をしてから、彼女は表情を引き締める。そういうふりをしているようだった。

 

「このままでは、貴方達全員が殺されます。敗北が決定している」

 

 沈黙から、疑惑を感じ取ったのだろう。分かっているとでも言いたげに彼女は頷いた。

 

「考えうる限り最高の戦力がそろっているのは確かでしょう。貴方達はできるだけのことをした。ですが、それでも、届きません。主は、あのマヌスは強大です。さらには油断もしていません。謀略を既にめぐらせている」

「何が言いたい?」

 

 ホークウッドは、ミレーヌのそばに寄った。彼女の腕を見せつけるように握る。縋るような目が横から向けられるのがわかったが、今は応えるわけにはいかない。少しでも目の前の存在から目を離せば、何が良くないことが起こると直感していた。

 

「戦いの途中で、裏切りが起きます。致命的な裏切りが。それによって、貴方達の希望はほとんど潰えるでしょう。どちらの命も消えます。全員が死にます。ですが、貴方達が協力してくれれば、変わる可能性がある」

 

 少しだけ、不服そうな顔になる。

 

「私の恨みも、今は忘れましょう。警告します。既にトミズタカキは深淵に寝返っている。しかるべき時に、貴方達へ牙をむくでしょう」

「…」

 

 ホークウッドは深呼吸をした。どうなるにせよ、重大な決断を迫られているのは間違いない。冷静になることが先決だ。

 

「あいつが?」

「ええ」

「ありえない。そんなはずがない」

「本当に、そう思っていますか?」

 

 見られていると、まるで自分の心の奥底まで覗かれている心地になった。それでも、顔を逸らすことはしない。

 

「今までの、あの男の行動を見てきたでしょう。本当に、裏切らないという保証はありますか? わかっているはずです。彼は、他人を物のように扱う。己の利益のためならば、他の全てを犠牲にすることも厭わない」

 

 隣のミレーヌは、揺れているようだった。確かに最近、そんな貴樹の一面が出た時があった。ノミの報告でしか知らないが、ミレーヌの中にある薪を、大王に捧げることも提案したらしい。もちろん知った瞬間は嫌な気分になった。彼への不信が全くなかったといえば、嘘になる。

 だが、ホークウッドはさらに彼女を引き寄せて、ウーラシールから庇うようにした。

 

「嘘だな」

「根拠は?」

「知らん。そんなものはない」

 

 ウーラシールは瞬きをした。

 

「だが、わかる。あいつはそれだけはしない。できないんだ。火守女がいるから。だから、お前の言っていることは嘘だ」

「信じるのですか? もしかすれば、彼女の命を条件に寝返った可能性もあります」

「それでも信じる」

 

 ホークウッドは揺るがなかった。

 

「なぜなら、タカキはちゃんとした男だからだ。そりゃあ、利己的になる部分もあるかもしれない。だが、お前らよりはましだ。誰かを、自分の命と同じくらい大事に思えている時点で、そいつは立派な男だよ。十分すぎるくらいだ」

 

 大剣を、ウーラシールに向ける。彼女は目を見開いたが、そういう反応にはもう惑わされなかった。

 

「それに、お前がミレーヌだとも思わない。というか、関係がない。俺は、この女を大事にすると決めた。それだけだ。今さら、何も響かないぞ。お前の邪悪さは、シモダを通して知っている。内から乱そうとしても無駄だ。どうせ、助かりたかったらこうしろと指示でもしてくるんだろう? お前の目当ても、よく理解しているぞ」

 

 ミレーヌが、強く手を握り返してくる。そこから伝わる暖かさこそが、本物の証だった。信じるべきものだった。決して、相手の言葉に乗るような心情にはなれない。

 ウーラシールは俯いた後、しばらくして顔を上げた。

 涙を流しながら、笑っている。ホークウッドにはもうわかっていた。白々しい。薄ら寒い演技でしかないのだと、理解していた。

 

「フフフ」

 

 ウーラシールは口元に手をやった。

 

「想像よりも、良い殿方になったのですね。でも…考えなかったのですか?」

「なんだ」

「私の言っていることは全て嘘です。認めましょう。ならば、私が貴方達に害をなさないというのも、偽りだということになりますね」

 

 おそらく彼女は、前へと飛んだだけだった。足を使って進んだけ。それでも異常な圧を感じて、ホークウッドは自分の感覚のままに大剣を振るった。確実に、相手の首へと食い込ませるつもりで。

 だが、刃は予想よりも遠くへ伸びていた。いや、もはや飛んでいる。

 少し遅れて、自分の大剣が壁に当たったのに気がついた。そして、自分の右腕が根元ごとなくなっていることにも。

 ミレーヌが、自分の名を読んでいる。彼女はすぐにこちらへ駆け寄ろうとしたが、その前に華奢な足によって蹴り飛ばされた。

 

「中の上といったところでしょうか」

 

 女は口を濡らしていた。他ならぬホークウッドの血で。その大きく裂けた口へと腕が飲み込まれていくのを見て、さらに意識が遠くなっていく気がしていた。

 

「ですが、足りない。まるで達していない。ああ、やはり…」

 

 ウーラシールは焦がれるように息を吐き出した。

 同時に、入り口の扉が吹き飛ばされる。

 

「貴方でなければ。アキヒロ」

 

 彼女は少し首を傾けた。それだけで、短剣の刺突を避けている。

 下田は止まることなく、さらに追撃を仕掛けた。体を回転させながら、足の先から青白い刃を発生させる。

 動きにくい服装にも関わらず、女は俊敏に飛び上がった。

 直後、胴体が斬り裂かれる。

 

「まあ」

 

 アルトリウスは、壁に着地した。大剣をうならせ、再度ウーラシールへと肉薄する。同時に、下田も突進を始めていた。

 彼女は瞬時に二等分されたが、それでも笑っていた。

 

「こんなものですね。時間が来てしまいました。それでは、三日後。楽しみにしています」

 

 キアランの投擲した銀の短剣が、相手の首に直撃する。しかし、その時にはもう、ウーラシールは消えかけていた。

 誰も、その消失を止めることができなかった。ホークウッドは、腕に柔らかい光を視認する。焼けるようだった傷口が、あっという間に再生されていくのがわかった。すぐに駆け寄ってきた下田は、さらに自分の手から奇跡の光を発生させる。

 

「他に、何かされましたか?」

「いや…」

「間に合って、良かったです。あいつが侵入しているなんて」

 

 ミレーヌが、何かを言いたげだった。だが、ホークウッドの方を見て止める。その判断を責めることはできない。おそらく、彼女自身でもわかっていないのだ。下手に報告をすれば、どんなことになるかわからない。

 治療をしている男を、観察する。あのアルトリウスと短く言葉を交わしていたが、最後には小さく舌を出していた。あっちへ行けと言わんばかりに、手を振っている。

 随分と、図太くなったものだ。その過程を散々見させられた側にとっては、複雑な思いがある。

 

「多分、本体じゃない」

「あ?」

「あれのことです。異常なほど反応が悪かった。本物なら、僕も無事じゃなかった」

「そう、だな」

 

 ホークウッドは、完治した右手を動かした。何の違和感もない。

 その様子を見て、下田も立ち上がった。

 

「ミレーヌさん、付いてきてください」

「なに?」

 

 彼女は少し驚いたようだったが、続く言葉で不思議そうにした。

 

「広場で、大事な話があります。地球の人達にとって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 全員、と強く言い含めておいたのは、それなりに効果があったようだった。

 篝火前の階段に座っている高坂が、腕を組んでいる。

 

「ここで、結婚式でもやるつもりなのか?」

 

 その声は明らかにからかう調子だった。下田も、そう思われて仕方がないと思っている。結局は自分のせいだと思っているので、受け入れるしかなかった。

 ちとせは見せつけるように下田の腕を抱いている。上機嫌な様子だった。この状態になるまでそれなりの過程があったのだが、下田の努力という言葉で片付けられる。

 

「式開くとしても、あんたは呼ばないかもね」

「気の早いことで」

 

 実織が、苦笑いをしている。その隣の新宮も、にやにやと下田達を眺めていた。

 好意的な反応を返しているのは、ここまでだった。残りの者達は、別のことを気にしているようだ。下田がなぜこの集会を開いたのか、知りたがっている。

 ちとせの肩を叩いた後、下田は立ち上がった。声を張ろうとしている自分を客観視する。この場所で、大勢に向けて喋る機会は何度かあった。それらには、共通点がある。決まって終わった後に、戦闘が始まっているのだ。だが今回は違う。おそらく、そういうことにはならない。

 この中で一番不安そうなのは、ミレーヌだろう。直前のこともあってか、何か責められる可能性を危惧しているのかもしれない。彼女一人だけを行かせるのは不安だったのか、ホークウッドもいた。そして、どういうわけかアルトリウスとキアランもついてきている。正直出ていってほしかったが、それを強制するため労力を考えるとうんざりした。

 

「あの、ちょっとごめん」

 

 おずおずと手を挙げたのは、由海だった。

 

「タカキさんは? あの人もいた方が」

「声はかけようとしたけど」

 

 下田は微妙な顔になる。

 

「先生は、今眠ってる。事情はもう聞いてる。まあ、大丈夫だよ。きっと起きてたとしても、来なかっただろうし」

 

 それに、意味もなかっただろう。これからする話の内容を考えると、どう転んでも彼にとっては些事だ。聞く価値も憶えておく価値もないと即座に判断するに違いない。ここに来る暇があったら、貴樹には別のことに時間を割いてほしかった。

 まだあまり納得をしていない様子の由海。彼女の達の周りにいる集団を見る。彼女達は、今のところ一番こちらに関心を向けていない。そもそもここに来たくはなかったという様子だ。

 歩き始めると、アリーがイアンを庇うように体を動かす。もう彼女は完治しているようだ。

 下田は彼らの前で、座り込んだ。

 本題に入る前に、済ませておくべきことがある。

 

「こんな後になってしまって、すみません。貴方達の感情は理解できます。僕を、許すことはできないでしょう。ランドンさんとファエラさんに、最低のことをした。報いを受けるべきだと思ってます。ですが」

 

 拳を床について、頭を下げる。

 

「今だけは、協力してください。全てが終わったら、僕を好きにしても構いません。都合の良い頼みだとはわかっています。それでも、お願いします」 

 

 しばらく、頭を上げなかった。下を向いていても、自分に視線が刺さってくるのが分かる。

 今はもう、人肉への渇望は全くない。まさにあの膿が引き起こした狂乱だった。だが、そんなのは相手にとって関係がない。犯した罪は、決して消えない。

 

「こちらを、見てください」

 

 柔らかい女性の声がかけられた。

 首を動かすと、アリーが穏やかな表情で視線を合わせてきている。

 

「確かに、シモダさんのしたことは、許されないことです」

「はい」

「ですが、それは私達も同じ。貴方を責められる立場にはありません」

 

 既に知っている。彼らもまた、禁忌を犯した。

 

「夫とファエラは、最後まで、私達を守ろうとしてくれました。ですから、償いをしようというのなら、彼らの意志を継いでください」

「わかりました。貴方達を、全力で守ります」

「お願いします」

 

 彼女はそう言いきると、しがみついてくるイアンを撫でた。彼は下田に何とも言えない表情を向けてから、アリーの肩に顔をうずめる。

 

「そっちのことは、凄いと思ってるよ」

 

 少し間をおいてから、ジアンナが喋りかけてきた。彼女はもう悪感情の宿っていない目で、下田を捉えている。

 

「できることがあったら、何でも言って。私達、それなりには役に立てると思うから」

 

 幸成も、頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

 内心では、下田は冷静な計算をしていた。彼らにできることはほとんどない。あまりインベントリを使わせてはいけない気がした。杞憂に終わるかもしれないが、念のためだ。

 下田は再び立ち上がり、一度周りを見渡した。少しの覚悟をする。これで誰かに嫌われても、いいように。

 

「僕達の最終的な目標は、一致しているはずです。地球に、帰る。ですが、既にある意味その望みを叶えていると言ってもいいでしょう。そのことについては、既にわかっていると思います。ですが、本当に戻りたいのは、他の人間が、数多く暮らしていた故郷です。けっしてこのような、滅びた残骸のような場所じゃない」

 

 意識的に目に力を込める。

 

「方法があります。僕がかつて散々利用していた力、それを使って、故郷に戻る。勘違いしないでもらいたいのは、過去の地球ではないということです。何の侵略も起きなかった、別の可能性の地球。それを作り出します」

 

 その違いを、彼らのほとんどが理解しているようだ。こういう時は、自分の記憶が共有されていることに感謝を覚える。でなければ、かなり時間がかかっている所だった。

 

「ダークソウルという、規格外の塗料も利用すれば、可能ではあります。ですが、まだ、足りません。描ききるためには、皆さんの協力が必要です」

「俺達のか?」

 

 高坂が首をひねった。

 

「そう。作業には、かなりの精度が要求されます。その成功率を少しでも上げるために、皆さんの記憶に頼りたいんです。地球にいたころの記憶。風景の記憶。それも加えれば、より綿密な絵画ができあがる」

 

 薫が、何かを理解したように眉を動かした。

 

「でもさ」

 

 ちとせが不安そうに言う。

 

「記憶っていっても、何でもいいの?」

「そういうわけじゃない。できれば、直前のものがいいんです。僕達が、この世界で目覚める前の記憶です。侵略される直前まで、どのように過ごしていたのか。はっきりしているほど、齟齬が少なくなります」

「でもそれは、厳しいんじゃないかな」

 

 由海が言ってくる。その意見にほとんどの者が賛成のようだった。下田もだ。

 まだ、大きな障害が残っている。彼自身も含めて、ここにいる地球の者達の記憶には、穴があるのだ。ちとせの礼で言うと、死んだ母親のこと、そして生徒達全員に当てはめれば、過ごしていた学校のことが、抜けてしまっている。

 下田も、母親のことは憶えていたが、手術の日や直前に交わした会話のことは何も覚えていなかった。それは膨大な繰り返しを経ていたとしても、おかしいことだ。

 

「ですので、まずはこれから、僕達の記憶を取り戻します。すぐに終わると思いますよ」

「じゃあ、連れてくんのか?」

「ん?」

 

 高坂もまた、不思議そうな顔を返してきた。

 

「いやだってよ。つまりそういうことだろ? 俺達の記憶は誰かによって操作されてる。明らかだよな。ここの、祭祀場の奴らが細工をしたんだ。俺達に、疑惑を抱かせないように」

「うん」

 

 その理論で行くのなら、中途半端な記憶の欠損にも説明がつく。例え学校や家族のことを忘れていたとしても、この場にいる者達のことはちゃんと覚えている。理解できている。明らかに作為的だった。偶然では決してあり得ない。

 

「ヨルシカが、全部知ってるだろ。お前が頼めば、すぐに何とかしてくれるんじゃないか?」

「いや、それはないと思う」

「でもお前なら…」

「そこじゃないんだ」

 

 下田は誰とも顔を合わせなかった。否定し、沈黙を作る。できればこの空気で相手がぼろを出してくれればいいと思ったが、その気配はない。

 そこで彼も覚悟を決めた。このまま隠し通そうとする腹積もりなのだ。ならば、容赦をするべきではない。

 静かに、それでいてはっきりと、彼は説明を始めた。

 

「多分、意味はない。ヨルシカは一部の鍵を持たされただけだ。僕に関することだけを。残りはきっと、他の誰かが持っている」

「祭祀場の他の奴らか」

「違うよ」

 

 高坂もそうしてはっきりと否定されたことで、理解したようだった。下田は、もったいぶっているのだと。このまま話を続けるのに乗り気ではないのだと。だからこれ以上疑問を重ねることもなく、高坂は聞く体勢に入った。

 

「思えば、いくつか手がかかりはあったんだ」

 

 下田は徐々に視線を動かす。

 

「でも、確信できたのは、多分ありがたい偶然のおかげだった。先生のおかげだ。あの人が、墓所で一番最後に目覚めてくれたおかげで、気がつくことができた」 

 

 静寂が、先を促している。

 本来は、ただの些事として忘れているはずだった。もし、貴樹が途中で目を覚ましていたら。生徒達全員が棺桶から出て、不安げに担任の目覚めを待っていなかったら、きっと気がつくことができなかっただろう。

 だからこそ、多少は印象に残ったのだ。ついに貴樹が出てきて、全員が注目をする。それまで好き勝手に喋っていた者達も、少しは静かになる。下田は憶えている。口数の多かった草野も、貴樹へと注目しだした。

 その状況でなされた発言というのは、普通の会話の中で聞くよりも記憶に残るだろう。

 

「指示は、祭祀場だと思う。だけど、実際にやったのは、僕達の頭をいじったのは、別の誰かです。推測でしかないですけど、記憶の取捨選択というのは繊細な作業なんだと思います。全く僕達に関係のない誰かがやろうとしても、かなり非効率的になる。地球出身じゃないヨルシカ達には、難しいことだった」

 

―――どこなんですかね、ここ。

 

 指を、突き付ける。大勢の前でさらけ出すことになるのだと、相手にわからせる。

 

―――高校の近くに霊園がありますけど、雰囲気が違う気もします。かなり不気味、ですよね。

 

 対象の彼女は、まだ、平静を保っているかのように見えた。

 

「新宮。不思議でしょうがない」

 

 言われても、ただ戸惑うように瞬きを早くした。他の者達も一斉に、新宮へと視線を向ける。そのほとんどが、下田の告げたことを信じていないようだった。まだ。

 

「どういう、気持ちだったんだ? 初めから全部わかってて、僕達と一緒に過ごすのはどうだった? 演技の才能があるよ」

「待ってよ」

 

 実織が声を上げる。予想通りだった。

 

「急に、そんなこと。わからない。冗談だよね」

「どうしたの、下田君」

 

 新宮もまた途方にくれているようだった。その様子にままならないものを感じる。こうして説明をしていくことは気が乗らないが、望みは叶えてやらないといけない。

 

「君は、学校の場所を知ってた。真偽はわからないけど、僕達はそもそもそれすらも忘れていたんだ。多分、新宮だけは記憶を残されたんだろう。祭祀場の駒として、不都合がないように」

「そんなこと言われても…。私には、偶然としか言えないよ。欠落には、個人差があるんだと思う」

 

 彼女は、あえてその言葉を選んでいるようだった。ついに気付いた実織が呆然と新宮の横顔を見つめる。

 

「そっか。でもだったらなんで」

 

 下田は視線を鋭くした。

 

「前に訊いた時、嘘をついたんだ? 僕達で一度、話し合う機会があったよね。地球でのことをお互いに確認し合った。その時、新宮は確かに断言したんだ。学校のことは、何一つとして憶えてないって。立地を知ってるのなら、どうして、あの時言わなかった?」

「それは…」

「まだ、あるんだ。実は墓所でのことは一番最後に思い出した。君を疑うきっかけは、別にある」

 

 彼女は目を斜め下に向けて、戻した。下田を、何とか見上げようとしている。未熟な態度だった。既に逃げきれはしないと、薄々理解している。

 

「何だっけ、君の固有能力。教えてくれない?」

「…」

「思い出した。詠唱を奪う。かなり強力なものだ。でもちょっと、おかしいよね。詠唱。君はその言葉に、ひっかかりを感じなかったの? まだその時は、術にとって言葉が重要な要素になっていたなんて知らなかった。もちろん、観察することで予想はできたはずだけど。それならなんで新宮は、僕達に教えてくれなかったんだ? 祭祀場の人達がわざと隠している事実を、知らせてくれなかったのはなぜ?」

「違う…」

「当然、まだ確定していることじゃない。僕の意見は荒唐無稽な言いがかりだという可能性もある。もし間違っていたら、ちゃんと償うよ。否定するならしてもいい。ちゃんと、ヨルシカに確かめてから」

「やめて」

「何をやめてほしい?」

「もう、これ以上はやめて」

 

 下田は準備をした。

 

「そうか。じゃあ、手っ取り早い方法にしよう。本当にごめん」

 

 彼は詠唱を紡いだ。右上にソウルの矢を一本出現させる。瞬間、場の雰囲気が緊張に包まれた。彼がただの脅しで出現させたわけじゃないのは、明らかだったからだ。

 それは、はっきりと新宮に向けられている。

 

「わかるよね?」

「下田!」

 

 実織が割り込んでくる。懇願するような顔になっていた。

 

「待ってよ。結論を、急ぎすぎじゃない? それに確かめようたって、ヨルシカは嘘を言うかもしれない。自分の都合の良いように、無実の人に罪をかぶせようと…」

「新宮、聞いてるか?」

 

 実織に庇われている彼女は、蒼白になっていた。呼吸が乱れている。体を動かそうとしているようだが、力が抜けてできないようだった。目が赤くなってきている。

 

「君は、良い友達を持った。だから、こうしよう」

 

 矢の先を、ずらす。

 新宮は息を呑んだ。

 標的は変わり、ソウルの矢の狙いは実織に変わっていた。

 

「やめて!」

 

 無視をして、矢を放った。軌道はほぼ完璧だった。直撃すれば、間違いなく実織の首に穴が開く。殺す攻撃だった。少なくとも、客観的にそう見えるようにはした。

 だが、攻撃は完了されなかった。下田の矢は消失している。一度消えてから、移動させられていた。

 新宮の、側に。

 

「見事な反詠唱だと思うよ」

 

 彼女は歯を食いしばってから、術を消した。そして実織に一瞬目を合わせてから、俯く。実織の方は、何を言えばいいのかわからない様子で固まっていた。

 

「紗奈…」

 

 下田が、祭祀場への反逆を開始した時、グウィンが半端な形で復活した。その時彼は、生徒達の能力を消したはずだった。インベントリも同じく。

 

「元から、二つあったんだね?」

 

 彼女は否定も肯定もしない。 

 

「グウィンに奪われたのは、別の方だった。詠唱を奪う能力は、今もそうして新宮に残っている。いや、あるいはこうも考えられるね。君はそもそもその技術を習得していた。僕達よりも早い時期に、目覚めさせられたから」

 

 あふれるほどではない。それでも、やるせない思いはあった。

 

「おそらく祭祀場側は、僕達全員を騙すことはしなかったんだ。誰か一人を、間諜に仕立て上げた。記憶を操作させるという、罪を犯させて裏切らないようにした。考えそうなことだ。たちが悪い。それでも」

 

 新宮の顔を、下からのぞき込む。

 

「許せない部分はある。わかってるだろ? 気持ちはわかるよ。そうそう、耐えられるものじゃない。どこか、楽になりたいと思っていた。だから、わざわざ言ったんだ。そもそも何も余計な事を喋らなけれよかったのに、君はあえて学校のことを最初に話した。皆が注目する中で」 

 

 気づいて、という思いがあったのだろう。現に今の新宮は、どこか気が抜けていた。ずっと詰まっていたものがなくなったようだった。下田でも、誰でもいい。とにかく、こうして暴かれることを期待していた節もあったのだ。そのための手かがりを、自分から明かして。

 

「だったら、初めから全部言えばよかった。結局自分の身が一番可愛かったんだろ?」

「もう、やめてあげて」

 

 いつの間にか、薫が側に立っていた。新宮の横に腰を下ろすと、震える彼女の肩を抱きしめる。

 下田は無視して、続けた。

 

「なるほど、これで確定しました。共犯というわけですね。貴方達は、祭祀場に協力する代わりに、実織の命を助けようとした。他の人達を踏みにじってまで」

「シモダ」

 

 割り込みの多い日だと思った。一応広場にはあまり来ないよう言ったはずだが、篝火の側に大きな体が近づいてくる。

 グンダは膝をつくと、下田に向かって深く頭を垂れた。

 

「責めないでやってくれ。全てはこちら側の責任だ。サナは、そうするしかなかった。吾輩達が、脅したのだ」

 

 新宮はその時初めて、予想外の表情をした。ただ目を大きく開いて、グンダへと顔を向けている。驚きと、別の複雑な感情が混ざり合っているようだった。

 

「別に今更、どうこうしようとは思ってませんよ。ただ、できれば二度と僕の視界に入らなければ、それで」

 

 下田は別に、かわそうともしなかった。ただ真っすぐ立って、頭に衝撃が来るのを待つ。実際に叩かれても、痛みはなかった。ただ、自分の中にある勢いはそがれたような気がした。

 さらに頬を人差し指でつついてきてから、ちとせはため息をついた。

 

「あんたって、随分とひねくれたよね。。ま、そこも好きだけど」

 

 目を細めて、下田に近づいた。

 

「つまり今の話を総合すると、公開処刑って感じ? それも必要のない。紗奈には、二つの固有能力があったと考えていいんだよね。詠唱云々と、記憶の操作をする力。後者が、グウィンに回収されたってこと」

 

 彼としては、黙っておくしかできなかった。

 

「だから、私達の記憶を取り戻すことにおいて、紗奈は関係ない。彼女はもう、力を持っていないから。初めからグウィンに頼みに行けばいい話だった。こうしてわざわざ、事情を細かく皆の前で言う必要もなかった。でしょ?」

 

 少し間を変えてから、両手を挙げた。

 

「…うん」

「それでもこうしてるのは、あんたが納得できないから。でもさ、ちょっと反省してみて。程度の差はあれど、アキも黙ってたでしょ。祭祀場から出る時、何の説明もしなかった。あたし達を脅して動かそうとしていたのは誰?」

「まあ、そうなんだけど」

「なら、単純でしょ」

 

 ちとせは、下田の手を取った。そしてずんずん歩いていくと、座り込んでいる新宮の手も持ち上げる。そして両者のそれを、軽く打ち合わせた。

 

「どっちも悪い。これで終わり。紗奈、あんたのしたことは駄目なことだったけど、もう気にしない。皆被害者だよ。それだけは確か」 

 

 強引な気もしたが、もはやはっきりと反論する気にはなれなかった。元より、そこまでこだわっていたわけではない。ただ戦いを前に、わだかまりを全て消しておきたかったのだ。だが、それも彼女の話を聞いているうちに消えていくのを感じていた。

 だが、相手の方は違ったようだ。新宮は急に立ち上がると、洞穴に向けて走っていった。制止の声が上がるが、止まる気配はない。一人になりたいという気分はわかる。だが、それを許さないように実織が後を追いかけていった。さらに、グンダもついていこうとしている。

 残された下田は、眉間を揉んだ後、再び声を張った。

 

「とりあえず、移動しましょう。これから、もっと大きな集会が開かれます。全員に、関係することです。輪の都に向かいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮殿内に着くと、周りの者達の緊張はさらに増したようだった。この街自体は初めてではない者もいるだろうが、さらに奥の本拠地となると身構えるのも当然だろう。

 ちとせは、ずっと手を握ってきていた。寄りすぎて少し歩くのに不自由しているが、良しとする。

 

「先生」

「どうした下田くん」

 

 思わずぎょっとする。振り向いてきた貴樹の顔が、緩んでいたからだ。今まで見たことがなかった。正直気持ちが悪い。彼の本質を知った後だからこそ、拭いきれない悪寒がした。

 今度の貴樹は、鎧姿ではなかった。薄い赤のローブに、浅めの三角帽子。いかにも術師然とした外見になっていた。

 それに関してはまだいい。いちいちその奇行に付き合っていると、身が保たないからだ。おかしいのはその表情と、それに反した状況だった。

 彼と火守女は、一定の距離を置いて歩いている。普通なら密着していてもおかしくないのに、そのスペースは驚くべきことに貴樹から開けているようだった。火守女は時折、彼の方を見ている。どこか不思議そうに。そして彼は意識的にその視線から逃れようとしているようだ。

 

「えっと、場所はちゃんと考えた方がいいかなって。この人数なので。前の場所だと、明らかに狭いと思うので」

「そんなことよりお前、高原とどこまで行ったんだ?」

 

 肩を組みながら尋ねてくるので、数秒呆気に取られた。

 

「は?」

「どうせ手をつなぐまでだろ。ん? それくらいが似合いだよ。お前らはまだ、ガキだからな。くく、そこまでにしておけ」

「もしかして、舞い上がってるんですか?」

「あ?」

「そして緊張もしていると。火守女さんとキスしたから、恥ずかしいんですね」

 

 貴樹は大声を上げた。先を進んでいたノミ達が、ぎょっとして立ち止まる。彼はちらちら何度も火守女の方を伺いながら、さらに口を耳元に寄せてきた。

 

「声がでけえよ馬鹿。聞こえたらどうすんだ」

「ちょっと、過剰じゃないですか? 彼女、不安そうですけど」

「あえてだよ。慣れの時期も必要なんだ」

 

 こうして恥ずかしげもなく自慢してこようとしてくるくせに、彼女とまともに話すことができないほど照れている。そんな貴樹の様子で、少し張り詰めていたものが緩んでいった。戦いが迫っているというのに、いつも通りの男もいる。

 

「じゃあ、言っておきますけど。今までの先生の言葉の中で、どうしても納得できないものがあります」

「なんだよ」

 

 相手がその気なら、こちらも攻勢にでよう。

 下田は堂々と叫んだ。

 

「全宇宙一可愛い生き物は、ちとせです」

 

 扉が開かれる。

 すぐに反応することができた。地面を蹴り、顔を手で押さえているちとせを抱え上げる。彼女が悲鳴を上げると同時に、横へとさらに飛んだ。

 結果、降ってきた大槌をまともに受けたのは、貴樹だけだった。

 

「小童」

 

 スモウは笑っている。素直に喜んでいるようだった。下田との再会を喜んでいる。

 

「すぐに地下へ来い。前の続きをする」

「んなわけねえだろうがあああああああ!」

 

 貴樹が大槌を殴り返す。受けた衝撃を、スモウは後ろに飛ぶことで上手く殺していた。それに追撃をすることはなく、下田を睨みつけた。

 

「てめえの目は節穴か?」

「それはちとせへの侮辱ですか? さすがに怒りますよ」

「ちょうど良い。どちらもまとめて潰してくれる」

「お? じゃあ決めようぜ。勝った方の女が可愛いってことで」

「え~、もう認めちゃってるみたいなもんですよそれ。火守女さんが可哀そう」

「今ここで始めた方が良さそうだ。構えろ」

「死ね」 

「やめろ」

 

 ノミが腕を組んでいた。既に宮殿内が見えている。中から、シラが厳しい顔で彼らを見つめてきていた。

「遠足かよ。暴れるのは戦いが始まってからにしろ」

 前の会議室とは、別の場所に通されるようだった。進んでいる途中、グウィン直属の騎士達も合流する。広間内で、多くの足音が響いていた。確かに、人数だけなら遠足としても成立するだろう。すこしも心は休まらないが。

 

「貴様の処遇は、まだ決められていない」

 

 諸々を考えると、結局ちとせとは離れなければならなかった。彼女は実織の隣から、こちらを少し心配するように伺っている。

 

「深淵を退けたのち、再び裁きが下るだろう」

「直接手を下してくれる。待っていろ」

 

 金色に挟まれて、下田はめんどくさそうに聞き流していた。オーンスタインは下田の背にある槍へと関心を向けてくる。

 

「それは何だ? おかしな筒が付いている」

「そろそろ、到着しそうなんじゃないんですか」

 

 騎士達のほとんどが、彼を囲んでいた。どうやら警戒されているらしい。どう考えても貴樹の方が注意すべき存在だと思うのだが、やはり一度殺し合っていると、ままならないものもある。下田としても今戦いを始めて生き残れる可能性がどれだけあるか、計算していないと言えば嘘だった。

 集会場所に使われるのは、地下らしい。螺旋階段を下っていき、廊下をさらに進んだところで、かなり開けた空間に出た。

 そのほぼ真ん中で、グウィンが腰を下ろしていた。大王は集団を認めると、手を伸ばして、己の周囲を示してみせる。

 

「始めよう」

 

 まずは、片付けておくべきことがあった。話し合うよりも前に、記憶のことだ。

 思っていたよりも手早く作業が進んでいった。彼の方も、最初にそうするつもりだったらしい。修正は、すぐに終わった。

 聞いた話を頼りにすれば、おそらく前にも同じ状況になったことがある。下田はその場にいなかった。自分の記憶を、ノミが広めた時と同じだそうだ。

 確かに、良いものとは言えなかった。今まで不透明だったものが明瞭になっていく。それ自体はいいとしても、結局明かされるものによっては、正解だったかどうか判断がつかない。

 日本は、初めに壊滅した。しかし、下田達の高校に関しては違っていた。プリシラによって、守られていたのだ。だが、グウィン達の襲撃により、その守りも崩されることになる。そして最中にノミが助けに入って、それでも結局失敗した。彼とグウィン、そして騎士達は殺し合い、最後はほとんど相討ちのような形になった。

 下田は、目を開けた。同時に、生徒達全員が顔を向けてきているのを知った。

 

「僕が…、やったのか」

 

 本来は、プリシラの仕事だった。だが、そうする前にヨルシカが邪魔をしたのだ。ミサとしての生を終わらせられた彼女は、下田に移った。そしてグウィンから一部の王のソウルを奪い取り、全員に分け与えた。

 思い出しても、起こったこととして受け入れるのには時間がかかりそうだった。操られていたようなものだったからだ。

 

「なんで、私達は…ずっと」

 

 由海が一人の女性に駆け寄った。涙で顔を濡らしながら、今までの埋め合わせをするかのように、抱き着いた。

 

「薫さん。ごめんなさい…」

 

 そしてその場には、由海達もいたのだ。彼女達は、アメリカからはるばる日本にまでやってきていた。滅びが進む世界の中を、進んできた。前に薫から聞いた話と一致している。彼女がいたからこそ、彼らは今ここにいるのだ。

 薫は、囲まれて少しだけ困っているようだった。だがそれよりも、嬉しさの方が勝っているらしい。飛びついてくるイアンをしっかりと受け止めた。

 それだけではない。彼女は、下田達の生存にも貢献していた。プリシラと一時協力して、守ってくれていた。だが最後まで目的を全うすることができず、グウィンと約定を結ぶことになる。妹を守るために。そしてずっと一緒だった仲間達の命を救うために。

 新宮と、目があった。彼女もまた泣いていた。下田が頷くと、そのまま実織の肩に崩れ落ちる。

 確かに辛くはある。滅びたのだという実感がわいてくる。今までだったら、もう自分の家に帰ることができないと絶望するだけだっただろう。

 

「時間はない。次へ進もう」

 

 グウィンの言葉に、下田は頷いた。消えてしまったもの、失ってしまったものを取り戻すために、これから頑張らなければならない。いつまでも悲しみを引きずっているわけにはいかなかった。

 重く沈んだ空気の中で、会議が始まった。

 

「警戒すべき敵は、おそらく五体」

 

 下田が話し出すと、貴樹がわずかに不満そうにした。どうやら、出しゃばってきているとでも思われているらしい。どうしてこんな時でもそういうことを気にしていられるのか、その精神の図太さが羨ましいと思った。

 

「まずはマヌスとウーラシール。そして、二匹の竜」

「本当か?」

 

 オーンスタインが、疑問の声を上げた。

 

「残っているとは思えない。脅威になるような成熟した竜は、全て屠ったはずだ」

「いや、実はそうじゃない」

 

 下田に代わり、ノミが説明をする。

 

「一匹は心当たりがある。黒竜だ。名は、カラミット。そうだろ」

 

 下田は頷く。

 

「知ってるんですね」

「ああ。それなりに。おれが唯一、負けた竜だ」

 

 オーンスタインが否定を求めるかのようにノミを見ていたが、結局それで言葉は終わっていた。下田もまた脅威の内容を再確認する。印象通りだ。あの竜は、おそらく同族の中でも抜きんでている。そして隠れていられるだけの知能もある。

 

「もう片方は、ミディールという名前です。ウーラシールの言葉が正しいのなら」

「そいつは知らねえな。オーンスタイン。覚えはあるか?」

「いえ、記憶にはございません」

 

 比較的新しく生まれた個体だということだろうか。しかし下田には油断はなかった。あの時見た姿は、鮮明に憶えている。カラミットに引けを取らない大きさだった。翼の形状にも、気になる点があった。

 

「そして最後が、エルドリッチです」

「ふむ」

 

 グウィンが顔を上げた。

 

「奴のことは信用していなかったが…」

「貴方達との縁を切って、あちら側についた可能性が高いでしょう。というより、元の鞘に戻ったという方が正しいかもしれません。あの人食らいもまた、侮れません」

「で、どうするんだ」 

 

 敵の予測がついたところで、貴樹が声を出した。先ほどから会話に加わりたくてたまらないという気持ちが透けて見えていた。

 

「攻めるのか、守るのか」

「深淵の闇は、こちらのほとんどにとって、致命的な毒です。わざわざ相手の土俵に踏み込む必要なんてない。迎え撃ちます」

「守りは悪手かもしれん」

 

 グウィンが顎に指を当てた。

 

「全てが闇に覆われるまで、奴らは何もしてこない。最初の火が消える前に、場所を突き止め、攻め入らなければ。戦う前に戦力のほとんどが消失する」

「それは多分、ないと思います」

「なぜだ?」

 思い返す。

「そう考えているのなら、一切僕達との接触をしない方が良かった。でも、相手はわざわざある程度の危険を冒してまで、祭祀場に侵入した。奴らは必要のないことはしない。戦う日を指定までした。何か、刻限がある。奴らにもある程度急ぐだけの事情がある」

「憶測だけだ」

「ですが、攻める方がはるかに困難なのは確かです。正直、奴らがどこにいるのか見当がつかない。もしかすれば、たどり着けない場所かもしれません」

 

 あの空間を、今までは思い出すことを避けていた場所を頭に浮かべる。あそこには、地球の建物の残骸がいくつもあった。推測でしかないが、おそらく今の時間軸にはない隔絶された場所だ。おまけに闇も濃い。全員が引きずり込まれれば、それだけで終わる可能性もある。

 

「防衛戦か。とはいえ、どこを守るんだ?」

 

 貴樹の質問も予想ができていた。

 

「ここです」 

 

 下田は両手を広げて見せる。

 

「本来は祭祀場の方が安全ですが、狭すぎる。相手の大きさを考えると、この都市に腰を据えた方がいい。あの広場あたりで、篝火を組み直します。あらゆる火を注ぐ。祭祀場にある、三体の薪の王が捧げられた火、ファランの城塞にある篝火。そして、大王。行き方は貴方が知っているでしょう。最初の火が灯っている所から、全て集めます。ここには、複数の火守女がいる。何とか間に合うはずです」

「そうしてできた篝火が、おれ達の生命線だな」

 

 ノミが、理解したように言った。かなり、大きな火になるはずだ。それこそ都市のほとんどを照らせるような。これで、中心部までマヌス達が侵入してくることを防げる。

 だが、例外もいる。

 

「エルドリッチの勢力は、止めきれない。中にまで入り込んでくるでしょう」

「竜共も同じだ。奴らは闇の住人だが、炎の光を苦手にしているわけじゃない。篝火まで容易に接近してくる」

「なるほど、分担の必要があるのだな」

 

 グウィンは、下田の考えていることを正確に把握しているようだった。それは、ノミも同じだ。彼らは数秒お互いを見合った後、何事もなかったのようにグウィンの方が喋り始めた。

 

「シラ」

 

 言われた彼女の行動は素早かった。既に用意していたのか、一メートル四方くらいの紙を皆の中心に広げる。

 

「この円が、篝火の領域だ」 

 

 大王の言葉に沿って、シラが描いていく。ちょうど紙の中央に、精巧な円ができた。光がある領域。だが、固定はされていない。時間が経つにつれて、火は弱まる。徐々に狭まっていくことは予想できる。

 

「マヌスとウーラシールは絶対に入り込んできません。ウーラシールは活動できるのですが、大幅に弱体化します。勝つ気があるのなら、この円の外で状況を観察している」

 

 下田から見て奥の方、円の外側に、点が二つつけられる。

 

「こちらも、時間が惜しい。できれば戦力の分散は避けたいのですが、攻める役割も必要です」

「奴らも光の中で行動できる二匹の竜、そしてエルドリッチを指し向けてくるだろう。面倒ではあるが、同時にチャンスだ。マヌス側が手薄になる。奴らは闇の中でさっさと仕留めた方がいい」

「で、誰が行くんだ?」

 

 貴樹は尋ねてから、注目されていることに気がついた。

 

「は?」

「いやだって、そうだろ。この中で最も深淵に強いのは、お前だ。前代未聞だ。お前は大王よりも、火のソウルの力を引き出せている。奴らにとっては天敵みたいなもんだ」

「待て待て。俺は防衛側につくぞ」

 

 貴樹の視線ははっきりと火守女に向かっていた。その心情は理解できる。なるべく、彼女とは離れたくないのだろう。

 ノミが、懇願するような口調で言う。

 

「いいか、お前のような戦力を固定させておくのは、惜しいんだ。深淵の主を倒せば、一気に勝ちへと傾く。お前は攻めの要だ。最強のな」 

「まあ、俺は確かにそういう役目にふさわしい。やってやらないこともない」

 

 さすが、それなりに長く貴樹の体の中に住んでいた存在だった。おだてられた彼は、すぐに考えを変えていた。

 

「独りでは足りないだろう」

 

 グウィンが面白そうに貴樹を見ていた。

 

「責任もある。私も行こう。その方が早く終わる」

「俺一人でも楽勝ですが、ありがたいですね」

 

 これで、マヌスとウーラシールの相手は決まった。紙に、大きな点と小さな目に見えないほどの点が矢印で伸ばされて、円の外に向けられる。

 

「お待ちください」

 

 オーンスタインが声を上げる。彼は少しだけ不安そうに、己の王へと目を向けていた。

 

「我らは、大王様に命を預けると誓った身。おそばにいられないというのは…」

 

 他の騎士達も同じ意見のようだ。彼らは、暗にグウィンの統率が必要だとも示してきている。確かに、彼らが下田の指示におとなしく従うことは想像できなかった。

 

「その必要はねえ」

 

 ノミが、騎士達を見据えた。

 

「お前達にも、やるべきことがある。タカキとグウィンが向かう間、他の敵が邪魔してこないはずがない。特に竜共は手強い。そっちにも対応する」

 

 オーンスタインが、何かに気付いたように目を見開いた。

 

「では…」

「オーンスタイン、アルトリウス、キアラン、ゴー。お前達はおれの指揮下で動いてもらう。難しいことじゃねえ。前もやっていた。今度も、竜を殺すだけだ」

「は…」

 

 即座に手をついたオーンスタインとは違い、他の騎士は動いていなかった。その視線を受けて、ノミは薄く笑う。

 

「無理もない。一度は殺し合ったんだからな。だが、固く考えなくていい。おれはたいして命令するつもりもない。協力をするだけだ。竜狩りをまた、この面子で行うだけ。信じられないっていうのなら、別に好きに動いてもいい」

 

 間が空いたのは、数秒だけだった。最初にアルトリウスルが動き出し、続いてキアランとゴーが膝をついた。

 

「従います、長子様」

「わかったわかった」

 

 五つの点が、入り込んできた巨大な影の側につけられた。

 ノミはどこか懐かしそうに彼らを眺めてから、下田を見てきた。正確には彼の周りにいる生徒達、そして祭祀場の戦士達にも向けられている。

 

「わかるな?」

「はい」

「二つの前線がある。だが外の方のは、気にしなくていい。このコンビなら、心配はいらない。お前が支援をするべきなのは円内の方だ」

「僕は、篝火の側にいるべきですね」

「いや、お前の奇跡は貴重だ。そして、最も使い勝手がいい。おそらくお前が一番、動くことになる。お前が倒れれば、戦線は崩れかける。戦う者全員の状態を把握して、助けろ。恐ろしく疲れることになるだろうが、平気だろ?」

「わかりました」 

 

 下田は身を引き締めた。つまり守りの要というわけだ。自分が頑張らなければ、ちとせ達の命はない。

 

「だから、祭祀場の奴らの指揮は、お前がするんだ」

 

 それは少しだけ、予想外だった。反射的に振り返ると、ジークバルドと目が合う。

 

「文句は言わせない。適任だ。お前は誰よりも、こいつらのことを知ってる。何度も、戦ってきた。統率するのにふさわしい」

 

 誰も反論はしなかった。だか、内心はわからない。今一度、ジークバルド達と話をする必要があった。これから共に戦うのならなおさらだ。

 

「最後の確認をする」

 

 グウィンが、立ち上がった。

 

「我々が、最も守らねばならない存在が、二つある」

「そうですね」

 

 下田は、画家の少女を見た。

 

「彼女がいなければ、先の目的の達成ができなくなる。絶対に、守ります。もちろん、フィリアノ―ルさんのことも」 

 

 にわかに、場が静まり返った。言われている彼女は一番奥の方で静かに座っている。ずっと目を閉じたまま、今までの会話を聞いていた。

 グウィンが目を鋭くして、下田を見下ろした。

 

「わかるのか?」

「はい。初めから、おかしいと思ってました。大王、貴方はともかくとして、他の騎士達が何千年も力を保ったまま生きていられるはずがない。今、彼らのソウルの流れはほとんど止まっています。つまり、時間を固定したんですね?」

 

 できるとは思っていた。ありえる。下田の、進化する前の固有能力も似たようなものだった。つまり、プリシラだけではないということだ。王の一族には、規格外の力を持った娘がもう一人生まれた。

 

「フィリアノ―ルさんが殺されれば、おそらく四騎士も終わる。そうですね? 確かに避けなければいけません」

「この情報を、利用しようとは思わないのか」

「共存を持ちだしたのはこちら側です。無駄にしたくはない」

 

 もちろん、下田の中の優先順位は違っていた。同じ、地球の者達の方が大事に決まっている。しかし、そうとは言い切れない部分もあった。決して見ないようにしていたが、ヨルシカの方はじっと視線を向けてきている。リリアーネとユリアも、全て従うと言いたげな態度で、側に控えていた。

 たとえ違う世界の住人だとしても、融和ができると思うのなら。この戦いでも示さなければならない。なるべく、全員を生かす。終わった後のわだかまりを少しでもなくしておきたい。

 だが、どこか胸がすっきりしていなかった。

 それはその考えを不満に思っているからではない。何か、見落としていることがあるような気がしていたからだ。その考えはそのまま、先の戦いの不安へとも繋がっていた。

 確かに、相手は強い。だが勝てるはずだ。

 下田は何度か、自分にそう言い聞かせた。

 

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