火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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71.存在を賭けた戦い

「だから、こっちに来いって」

 

 確かに、時間はかかった。ぎりぎりだった。

 貴樹はゆっくりと、広場の中央を見上げた。

 ずっと直視していると、目に光の残滓が残るようだ。組み上げられた篝火が、煌々と周りを照らしていた。眩しいことは眩しいが、どこか優しい光だ。彼にとっても、どこか安心できるようなものだった。

 

「おい、もういいだろ。無視するな。何度も謝っただろ」

 

 他の者達は思い思いの形で残りの時間を過ごしているようだ。と言っても、ほとんどが準備をしていた。これから始まろうとしている戦いに備えている。

 一番派手にやっていたのが、下田だった。素早く飛び回りながら、ジークバルド達を同時に相手している。祭祀場のほとんどと戦っていた。模擬戦ではあるものの、両方ともそれなりに本気だ。イリーナがはらはらしている様子で控えていた。

 少し、皮肉なものを感じた。別にこの世界のことをもとから知らず、好きでもなかった下田が、一番彼らと結びつきを得ている。余計な言葉を交わす前に、自分達の力をぶつけ合って理解し合おうとしているのが、その証だった。だが、羨ましいとは思わない。

 

「いいかい、車というものがあって」

「それが、あちらでの移動手段なのですね。 タカキ様も、持っているのですか?」

「許可証のようなものが必要なんだ。もちろん持ってるよ。良い景色が見れる場所を知ってる。今度一緒に乗って行こう」

「はい」

 

 数秒目を合わせると、貴樹の方が耐えられなくなった。にやにやしながら、火守女の手の方へと視線を移す。

 

「おい、助けてくれ。どうにかしてくれよ」

 

 せっかく彼女との時間を大切にしたかったのに、邪魔をされた彼は舌打ちをした。先ほどから騒がしかった。めんどくさそうに、ノミとヨルシカの方へ向き直る。

 ヨルシカは目をつぶって耐えているようだった。あまり、この時間を気に入っていないらしい。肩に置かれているノミの手を振り払いたくてたまらないと言った様子だった。彼女と同じ側に、クリムエルヒルトが座っている。ノミの方を愉快そうに見ていた。

 ノミは、宙を見ながら言う。

 

「プリシラ。悪かった。全部おれの責任だ。…あ? なんだよ。それは違くねえか? なしで。あ、おい! 拗ねるな。こっちを向いてくれ。わかった。認める。おれは間抜けだ」

 

 貴樹はほとんど興味もなかったが、ノミが責められているのは面白かったので、特に邪魔をせずに座っていた。

 

「でも、わかるだろ。お前も狙われてるんだ。おれの方に移った方がいい。ヨルシカに危険が及ぶのを避けられる。そうだろ?」

 

 しばらく間が空いた。ノミは息を吐き出してから、首を回す。

 

「元の状態に戻るだけだ。それに、寂しいからな。おれ一人だと」

「出ましたよ」

 

 クリムエルヒルトが即座に割り込んだ。

 

「プリシラ様、騙されないでください。前に、私にもそう言っていました。呆れた旦那様です」

「は? 一体どんだけ昔のことを…、いや、違うんだ。そういうつもりで言ったんじゃない。違うって。お前のことだけを愛してる」

 

 さらにぐだぐだと会話が続いたが、結論は良い方向に進んだようだった。流れがあり、プリシラがノミの方に移ったということを確信した。

 彼は、感慨深そうに空を見上げた。

 

「懐かしい」

「そういえば」

 

 貴樹は、少し期待をこめて尋ねることにした。今まで自分が知ることのできなかった設定を、拝めるかもしれない。

 

「お前の元の名前って、何なんだ? 憶えてるのか」

 

 ノミは顔だけを横に向けてきた。

 

「おお、興味があんのか。光栄だな」

「お前にはねえよ。無名の王という設定に、興味があるんだ」

「意味わからん。別にいいけど。まああるな。忘れてもいねえ」

「さっさと教えろよ」

「やだね」

 

 鼻で笑う。

 

「お前に素直に従うのは嫌だ」

「どうせ皆に忘れられてるくらいだし、うっすい名前なんだろ」

「そういうわけじゃねえよ」

 

 ノミは、戦っている下田の動きを目で追っている。そこには、どこか自身の影を重ねているような感じがした。

 

「言っても理解できないかもしれない。お前は大丈夫かもしれんが」

「どういうことだよ」

「俺の名は、剥離しているからだ。この世界から」

 

 今度は、何もない空中を眺めている。どうやら、プリシラと目を合わせているようだった。

 

「地球に来るよりも前の話だ。おれは、巻き込まれる形で、プリシラの能力を利用することになった。下田と同じだ。何度も失敗した。勝てない敵に挑んでは、死にかけて、戻った。ざっと、二百万くらいかな。今よりもずっと、彼女の能力は未熟だった。だから、限界も早く来たんだ。おれの存在がなくなりかけて、結局諦めることになった。…いや、そんな顔をするな。おれはとっくに納得してる」

 

 貴樹は下田の記憶を見ていないので、よくわからない部分もあった。だが、過去に何度も戻れる力のことは把握している。つまり、運が良ければ下田もそうなっていた可能性があったのだ。惜しい、と真剣に思った。

 大きな気配が、近づいてくる。立ち上がると、ちょうどグウィンが口を動かそうとしていた。

 

「時間だ」

 

 空を観察する。周りの明るさとは対照的に、段々と雲が見えなくなってきている。侵食が、かなり進んできているのだ。作戦を立てた時から、三日が経とうとしている。

 腕を、火守女がつかんできた。本当ならここに残るか、彼女を連れていきたいくらいだが、どちらもよくない結果をもたらすだろう。それに貴樹はたいして真剣になっていなかった。さっさと終わらせて、戻ってくればいいと考えている。

 

「なるべく中央にいて、皆を盾にするんだ」

「タカキ様も、無事を願っています」

「すぐに終わるよ。待ってて」

 

 彼女は抱き着いてくると、頬に口づけをした。それからゆっくりと目を見てきながら、離れていく。ぎりぎり、平静を保つことができていた。まだ唇にされると厳しいが、これには慣れてきていた。

 

「マジでやれよ。勝利がかかってるからな」

 

 ノミは貴樹に力強く言った後、グウィンの方を向いた。

 

「あんたには、別に言うことはない」

「…他人の言葉など、余計なものだ」

「そうだな。タカキの中で、散々言い合った。もう十分だ」

「己の責務を、全うしろ」

「へいへい」

 

 貴樹は会話が終わる前に歩き出していた。自分だけでも、できると思っている。その自信は大した根拠もないのだが、望みを成就し、これからの幸せを考えると何でも乗り越えられる気がしていた。

 彼とグウィンは、中央の篝火から離れていく。その歩む先には、狭間があった。光と闇の境界線。先の闇が渦を巻いて歓迎しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 断続的な水音が、耳の近くで聞こえている。熱のこもった吐息も相まって、下田は何とも言えない気分になっていた。

 正面に座っているちとせが、気にしていないふりをしながら時折顔を向けてくるのがわかる。その度に自分がとてつもないろくでなしになっているような気がしたが、強引に押しのけるわけにもいかなかった。

 ぢゅうううと、派手に吸われる。それは呼吸が続く限り終わらない。その段階まで来ると、もはやちとせは繕うことをしなかった。頬を赤くしながら、主に下田の方をきつく睨みつけてくる。

 

「おい」

 

 背中を叩いた。華奢ではあるが、身の丈は下田よりも大きい。こうして正面から掴まれていると、まるで捕らわれているように感じる。そしてそのまま貪られるような。 

 声をかけても、ヨルシカは動かなかった。正確には、口以外。一度離した後、下田の肩についた噛み跡を舐め始めた。さすがにそこまでくると、思う所はある。

 

「おい、もういいだろ。時間がない」

 

 今度は、より首に近い方に牙を立てた。少々の痛みを感じた後、ヨルシカの生暖かい唇、揺れる舌の感触がはっきりと伝わってきた。深く吸いついて、傷口から流れ出る血を一滴も逃さないとばかりに音をたて始める。

 

「あんたを、殴ればいいの? それとも混ざればいいの?」

 

 ちとせははっきり下田に向けて言っているようだった。彼としては、納得できない部分もある。自分だけが悪いわけではない。

 最後の、模擬戦を終えた時だった。祭祀場の者達全員と同時に戦う。それは何度もやって来たことだが、心構えが違うだけでその内容は一変した。数日で、彼らとの連携に何とか慣れることができた。最初の頃は、気まずい分もあったのだ。それでもましにはなってきていた。

 その中には当然ヨルシカも混ざっていたわけだが、今回はより彼女へと当たりを強くした。一番期待しているが故だ。多少の怒りは受け止めるつもりだったが、彼女が選んだ行動は予想から外れていた。急に下田を市街の一角へと連れていき、わけのわからないことを言ってきたのだ。

 下田のソウルをもらうには、どうすればいいかと。

 思えはその時点で、あまり正気ではないのは察せられた。それに悪乗りする形で、しっかりついてきていたリリアーネが提案をした。最初の案が受け入れられないのなら、代わりの方法があると。

 血にも、ある程度のソウルが宿っていることはわかっていた。だがまさか、それを摂取するなどという馬鹿げた案をヨルシカが採用するとは思わなかった。ちとせが憤慨して止めようとしたが、他の女性に腕力で全く敵わないために、押さえつけられた。

 もちろん下田も抵抗はした。だが、ヨルシカは受け入れないとこの先戦わないと宣言したのだ。無理矢理従わせることもできたが、彼女の戦力は貴重なので、一応気を遣う必要がある。

 

「しょうがないって、思ってるんでしょ。そういう顔してる。言っとくけどそれ、普通の感覚じゃないから。浮気されるのって、こういう気分なんだね」

 

 ちとせはそんな下田の逃避を正確に見抜いている。

 背筋の痺れる感覚がなくなる。

 口を完全に離したヨルシカは、大きく喉仏を上下させた。かなり含んでいたらしい。少し膨らんでいた頬がしぼんでいく様は、なぜか熟れた果物を思い起こさせた。

 

「何をほうけているのですか、はやくはなれなさい」

 

 先ほどからずっとそうしようとしている。だが、無理だった。言葉とはまるで反対の意思を伴って、彼女の両腕が下田の体を拘束し、さらに引き寄せようとしている。彼女は再び目をつぶり、口を大きく開けた。

 

「そんなに、良かったんですねえ」

 

 リリアーネの言葉で、その動作は途中で止められた。

 

「はい?」

「言葉、少し溶けてますよ? すっかり参っちゃったようで。お勧めした側としても喜ばしい限りです」

「ふざけるのも大概にしなさい」

 

 下田は軽く突き飛ばされる。その直前で、見ていた。ヨルシカは自らの口の周りを舐めてから、ごくりと嚥下の音を鳴らす。

 

「私も試してみたくなりました。シモダ、まだ時間あるよね」

 

 リリアーネが近づこうとしたが、白い手によって遮られる。

 

「よしなさい。やめておいた方がいいでしょう。良くない影響があるかもしれません。それに何か勘違いしているようですが、決して良いものとは言えませんでした。不味くてしょうがない」

「あー」

 

 リリアーネは反応に困るようなそぶりを見せてから、引き下がった。口の端はずっと上がっている。下田としても今のヨルシカの言葉に説得力があるとは思えなかった。本当にそう思っているのなら、十秒以上すすろうとはしないからだ。

 ちとせは何かが吹っ切れたような顔で、言ってきた。

 

「あっそ。それでも私はいいかな。アキ、がんばるから。私にも舐めさせて」

「頭の足りない、愚かな娘ですね。やめなさいと言ってるのです」

「不味いんでしょ? それを他人がどうしようがいいじゃない」

 

 また事態が進行しかけた所で、あからさまな咳払いが聞こえてきた。横を見れば、通りの外からノミが覗き込んできている。

 

「盛るのはいいが。もう来るぞ。全部終わってからにしておけ。…あ? 良くない? いいだろ、こいつの選択なんだから。いや、おれは関係ないだろ。ごめんって…」

 

 何やら一人で会話をしている彼について、下田達は広場に戻った。

 ほぼ全員が、そろっていた。一部の者達、フィリアノ―ルとシラなどは屋内に入っていた。少しでも危険を減らすためらしい。下田としては、中でも外でも関係がないような気がしていた。相手の規模を考えれば、おそらく辺りは派手に破壊されることになる。建物の中にいる方が危険な可能性もあった。

 

「一つ、訊きたい」

 

 のそりと、大きな影が下田に近づいてきた。見上げようとすると、狼はその場に座り込んだ。前足に顔を乗せて、深い瞳を向けてくる。

 

「私の子孫へと伝えられた、御剣はどこにある? お前から、その残滓を感じる」

 

 ちとせがその毛の中に埋まってみたいと言いたげな顔をしていたが、あまりお勧めはできなかった。あのシフィオールスの祖先ならば、ろくな存在ではないことは伺い知れる。

 

「破壊されました。僕のせいではありません。そちらの騎士の方に訊いてみればいい。彼の方が、よく知ってると思いますよ」

 

 オーンスタインは、言われても顔を向けてはこなかった。シフの視線を受けても、その集中を乱していない。大狼は鼻から息を吹き出してから、アルトリウスの側へと戻っていった。

 下田は集団の前に出る。

 別に、何かを言う気はなかった。ただ、自分を見てくる者達の顔をそれぞれ確認していく。

 ジークバルドは、静かに見つめ返してきている。

 フォドリックは大剣の柄に触り、シーリスは大きく頷いた。

 カルラは、何かを言おうと口を開けたが、結局やめていた。謝罪なら、ここ数日で何回も聞いた。下田としては、共に戦ってくれることだけを望んでいた。彼女は、もう前に進むべきだ。そのためにも、この戦いの勝利は必要なのだろう。

 アンリとホレイスは、やや緊張を高めているようだった。事前に打ち合わせていたことだ。彼女達の復讐を成就させる。そのための時間が間近にまで迫っているので、集中している。

 ホークウッドとミレーヌは、やや不安げだった。彼女達もまた、あの女の恐ろしさを味わった。気持ちはわかる。

 グンダは、新宮と何かを話しているようだ。だが、その内容までは分からない。彼女の顔からして、グンダが緊張を和らげようとしているのはわかる。

 イリーナ、火守女、クリムエルヒルトらは篝火の周辺で座っていた。既に祈りに入っている。なるべく、篝火の勢いを維持するためにだ。もちろん限界はある。いつまでもそれが燃え続けていられるわけではない。

 そして彼女達を守るように、イーゴンが構えていた。一番内側の守りを、何も言わずにやっている。彼とはほとんど言葉を交わさなかったが、戦いの中でおおよそは理解していた。それだけで、十分だった。

 

「篝火の、側にいて」

 

 ちとせは離れる時も、彼の手を強く握りしめた。その感覚は、戦うべき理由の全てを担っていると言っても過言ではない。実織の隣に座り、深呼吸をしていた。

 

「認めたわけではありません」

 

 フリーデが、歩いてきていた。下田の側に立っている妹達を見てから、腕を組む。

 

「私の目には、貴方は女を誑かす存在に思えます」

「違うよ、姉様」

 

 リリアーネが微笑んだ。

 

「シモダは、私達を誑かしてるの。見境がないわけじゃないよ」

「それが良くないと…」 

「もはや姉上には、関係がないとも言えるが」

 

 ユリアとフリーデが視線を合わせると、やや冷えた空気が漂った。

 

「黒教会を抜けた身に指図されるのは、我慢ならない」

「当然の意見ですね。わかっています。私は、貴方とリリアーネが納得しているのなら、それでいい。シモダアキヒロ。かならず、責任を全うしなさい。あれこれと理由をつけて逃げるのであれば…、容赦はしません」

 

 それから表情の質が一変し、薫が表に出てきた。先ほどまでとは違い、素直に苦笑している。

 

「内心ではすごく喜んでるの。すぐごまかすんだから。フリーデは。下田君、私も全力で頑張るから。君も自分の女達くらいは守りなよ」

 

 そうして彼女が離れていく間の空気を、どう表現していいのかわからなかった。何やら自分の意思とは関係なく、外堀が埋められてきているようだ。勝手に責任とやらがどんどん背に乗せられている。

 横に並んだヨルシカは、特に言うこともないようだった。前までの状態も落ち着いているように見える。

 

「やるぞ」

「私は、貴方の部下ではありません」

「頑張ろうってことだよ。頭回ってないな」

「今、すこぶる体調がいいです。そんなわけがありません」

「血を、飲んだからな」

「…もし、たくさん働いたら」

「あ?」

「一度、限界まで貪ってあげます。光栄に思いなさい」

「お前、やっぱり酔ってるだろ」 

 

 下田は、意識を切り替えた。

 反応がある。ぎりぎりまで広げた探知の一番外側に、何かが集まってきていた。ちょうど、光が届かなくなる境界の部分だ。それほど大きくはない。だが、動きが妙だった。正常な生き物の進み方ではない。

 

「なあ、おい」

 

 ノミもまた、気づいているようだった。全員の雰囲気が張り詰める。既にほとんどが武器を抜いていた。

 遠くで、何かの吠える声がする。それほど威圧感があるわけでもない。だが、建物の一部が壊されているのを、確かに知覚した。

 そして、さらに聞こえてくる。

 

「敵は、五体じゃなかったのか?」

 

 最初は、黒い点でしかなかった。しかも途中で止まっている。だが徐々に、それらは進む距離を稼いでいた。一番先頭部分の個体が、全員にもその姿がわかるほど近くなってきていた。

 続く点達も段々と大きくなってきている。先に探知で数を正確に把握していた下田は、槍の符呪をした。

 

「警戒すべき対象が、それだけです。あとのは、なんとかなるんじゃないんですか」

 

 呻き声が、合唱の形になって響いてくる。亡者とは少し違った。干からびてはいない。人間の成れの果てであることは確かだが、全ての個体のどこかには必ず、膿がこびりついていた。闇の方へ寄っているせいか、こちらに近づくほど進行は遅くなっている。中には途中で倒れている個体もいた。

 そうだとしても、数は優に二百は超えている。正気を失った人間の群れ。まともだったころの服装が、よりその異常性を際立たせている。

 後ろからは、気配はない。全方位を囲まれたわけではないのだろう。

 そう思った瞬間、下田は叫んだ。

 

「でかいのが来ます!」

 

 羽ばたく音が、響いてきた。

 上空の闇から、二つの影が飛び出してくる。それらは別々の屋根に降りていった。が、建物が支えきれず、ほとんど押しつぶすような形で着地する。

 下田はすぐに詠唱を始めた。初めが肝心だと思ったからだ。ほとんどの者達が、気圧されている。さすがにグウィンの騎士達は慣れたものだが、そばのヨルシカでさえ動揺を隠しきれてはいないようだった。

 

「よおし、開戦だ。やれ」

 

 ノミに背中を叩かれて、下田は即座に雷の槍を作り出した。一度、膿に侵食されていた時、感覚はつかめていた。完全に術を成功させるための道筋。それをしっかりと思い描き、実際に形として示していく。

 結局、四つ目の意識は必要なかったということだろうか。下田は、ウミの声を思い出す。いや、違う。経験が大事なのだ。初めの一回だけは、あれの助けがなければできなかった。

 雷に、詠唱を混ぜる。干渉する。留まるよう、強く命令をした。そうすることで、下田の腕が焦げることはなくなる。何一つ犠牲にせず、完璧なものを放てるようになる。

 どちらを狙うかは、たいしてこだわらなかった。どうせ、かわされるに決まっているからだ。

 投げられた雷槍が、黒い翼へと疾走する。

 カラミットは既に飛び上がっていた。閃光が足の部分へと到達したが、効いている様子はない。下田の目は確かに、その黒竜の足の先に黒い靄のようなものが漂っているのを視認していた。

 咆哮が、空気を振動させる。もし一人だけだったなら、それだけで戦意をなくしていただろう。体全てが押されているような感覚は、すぐに収まった。

 すでに下田は、その竜に背を向けている。相手の注意が向かってきているのは確かだが、すぐに逸らされるだろう。

 前の方からも、派手な音がした。牛の頭を持つ、筋骨隆々の化物が打ち上げられている。あんな敵もいるとは思っていなかった。が、既にそれが息絶えていることは確認できる。

 どうやら貴樹達も、戦いを始めたようだ。彼とグウィンに頼り切ることはできない。彼らの戦場は、もっと先だ。

 ノミ達が反対側へと走り出したと同時に、下田も戦闘を始めた。

 前線は、もっと上げる必要がある。あまり篝火に近いと、取りこぼしがあった時に危険だからだ。ちとせ達に、敵が向かう恐れがある。

 一番先頭にいた、もはや人間ではなくなった敵の頭を槍でもぎ取る。

 嫌な呻き声だった。否が応にも、あの闇の世界のことを思い出させる。それでも、恐怖はなかった。

 ヨルシカが、一度に複数の個体の首を狩っている。

 リリアーネは確実に相手の急所を潰して回っていた。

 ユリアは、背後からの攻撃にも魔術で対応できている。 

 彼女達を確認してから、下田は浅く息を吸い込んだ。槍を長めに持って、素早く横に薙ぎ払う。遠心力が維持されるよう、足を軸にしながら回転した。

 刃先の手応えが、持続している。囲もうとしてくる膿の人間をまんべんなく断ち切っていた。ヨルシカの血によって増幅された力が、切断を容易にしている。

 奥の方の一匹が、妙な動きを見せた。体にまとわりつく膿が大きく動いている。

 その一番近くにいるシーリスまで、下田は疾走した。

 

「気をつけて!」

 

 彼女はすぐ反応してくれた。下田の方を見ながら、身を低くする。

 ソウルの太矢を、二本放つ。相手の頭と右肩に正確に直撃した。

 よろめいたところを、同じく察知していたフォドリックがとどめを刺す。敵が息絶えるとともに、膿も消失していった。

 彼らと言葉を交わす間もなく、次の場所に向かう。見た所、苦戦している者はいないようだった。亡者よりは手強いとはいえ、理性がほとんど失われている相手だ。数を生かした連携も満足にできない。数だけでは覆せない、実力の差があった。

 下田は、感覚した。

 そろそろだとは思っていた。この戦況を利用しないはずがない。

 アンリとホレイスは周りの敵を一掃して、少しの休みを取っていた。彼らへと向かう呪術に、途中で割り込んでいく。対して時間も掛からずに分解すると、前の屋根から這い出てきた者達を視認した。

 坊主頭の三人が、最初に出てきた。深みの主教達だ。

 続いてさらに膿から戦士達が出てくる。大きな大剣を抱えた男、棘だらけの鎧を着た戦士。

 彼ら全員、憶えがあった。忘れることのできない相手だった。

 

「半信半疑だったけど、見違えたねえ」

 

 最後に現れたエルドリッチは、既に弓を持っていた。

 アンリとホレイスが、身構えた。

 ヨルシカが横に並ぶ。

 

「ワタシの一部が、随分と世話になったね。今度は、アナタを取り込んであげるよ」

「そろそろ、滅びていいぞ。人食らい」

 

 転移した下田は、槍の石突の部分に魔術を纏わせた。

 そして、暴発させる。

 把管によるスムーズな移動、それに魔術の暴発の勢いが加わり、今自分ができる最高速の刺突を放った。

 主教の一人、クリムトの頭がはじけ飛ぶ。 

 他の者達が一呼吸する間に、下田は雷を放っていた。同時に、不可視化させておいたソウルの弾丸を拡散させる。

 マクダネルの胸に穴が開き、ロイスの体が穴だらけになった。

 

「やるな」

 

 特大剣を持つゾリグが、楽しそうに突進してきた。その攻撃をかわして、反撃で首をかき切ることくらいはできる。だが、彼は理解をしていた。

 屋根から飛んで、アンリ達の方へと戻っていく。先ほどまで下田がいた場所には、紫色の光球が収束していた。少しでも遅かったら、逃げ場をなくされていた。また、転移を使わざるおえなくなるところだった。

 倒れた主教達はすぐにエルドリッチの膿へと飲み込まれる。数秒もしないうちに、完治した彼らが、別の場所から這い出てきた。

 

「なるほど、エルドリッチ様、理解をしました」

「警戒をなさる理由がこれですね」

「やり方を、変える必要がある。容易な接近は悪手のようだ」

 

 予想通りだった。守り手たちは、ある意味不死身だ。エルドリッチの制約によって、縛られている。魂があるべきところへ帰るのを、捻じ曲げているのだ。つまり、エルドリッチ自体を殺さなければ終わりがない。当然彼らも、それは理解している。守りを固められれば、多少面倒なことになる。

 

「周りは、私達が」

 

 アンリが力強く言う。既に彼女も、自らの剣に符呪をし終えていた。

 

「お前は…、人食らいを狙え。とどめくらいは残してくれると助かる」

 

 ホレイスは斧を構えながら、促した。彼がはっきりと喋るところは初めて見た。やはり、祭祀場にいた時よりもどこか違っている。本人の気質がどうであれ、貴樹が彼らと行動を共にしたこと自体は、悪かったことではないかもしれなかった。

 下田は呪術の炎を広げた。相手の数と同じ分の弾を作り、即座に打ち出す。それが合図だった。アンリ達も同時に走り始めて、人食らいの勢力へ向かう。

 

「訳のわからない男だな」

 

 棘鎧の男、カークはこちらを嘲笑っていた。彼は五本指の一員だったはずだが、貴樹から逃れて今ここにいる。最初から、どちらとも誓約を結んでいたのだろう。悪党らしい、身のふり方だと思った。

 

「その女は、俺やロイスと一緒に、殺して回ったんだ。哀れな、異界の弱者共をな」

 

 想像はできる。祭祀場が襲撃された時、生徒達の居住区は地獄になった。カークやロイスだけでは短時間で殺しきれないと思っていたが、やはりヨルシカも生徒達を虐殺していたのだ。

 彼女の方を見ることはしなかった。

 

「許されないことだ」

 

 相手の剣を流しながら、肩の隙間に刃を滑らせる。

 

「僕の側でずっと償わせる。そう決めた。お前も、死んで償え」

 

 ヨルシカの短剣が、カークの後頭部に差し込まれる。体勢が崩れた所を、下田は一突きにした。死んでいるかどうかは確認しない。どうせ、蘇るからだ。

 他の者達の協力もあってか、エルドリッチは孤立していた。ヨルシカと一緒に近づく。少しの間お互いに視線を交わして、陽動と本命の決定をした。

 先のエルドリッチは、まだ笑っている。

 

「興味深い。ヨルシカ、新しいお兄様を、見つけたんだね」

「馬鹿言わないでください」

 

 彼女はファランの速剣を伸ばした。

 

「この男は、弟です」

「微笑ましい限りだよ」

 

 二人の目の前に、無数の光球が出現した。そのせいで、立ち止まらざるおえなくなる。両者へ均等に狙いが定められ、一斉に向かってきた。

 構造は、既にわかっている。その術は魔術の中に、わずかに呪術の要素が組み込まれている。だから、色が紫になっているのだ。その性質も、単純な魔術よりも固いものになっている。だから、ただ防壁を張った所で容易く貫通される。

 下田は、反詠唱を何重にも並列させた。彼にとって、理解のできる術はもはや裸同然だ。向かってくる全ての光球が、分解されていく。軌道や形自体は単純なものなので、今ままでよりもずば抜けて難しいということはなかった。

 ヨルシカの方も、速剣でほとんどを斬り落としている。対応しきれなかった分は彼女の体をえぐっていくが、無問題だった。すぐにできた傷はなくなっていく。

 安心はできなかった。

 むしろ何かが来るという確かな予感がして、下田はヨルシカを突き飛ばす。

 彼女の唖然とした顔は、すぐに固まった。

 下田の下半身がもぎ取られていく。光の奔流が、彼の体を破壊していた。その形は、矢にも似ている。異常なのは速度だった。下田の目は、まるで追いついていない。

 

「どちらも、嫌いではないんだけどねえ」

 

 エルドリッチは、弓を上に構える。

 

「いい加減、滅んでくれると助かるよ」

 

 連続で、いくつもの矢を放っていく。すぐにその矢達は、できた黒い輪の中に消えていった。その流れを、正確に感知する。奇跡のそれとは違うが、転移の術の一種だ。どこに向かっているのかは、考えるまでもなかった。

 下田は即座に詠唱しながら、神の怒りを行使した。

 己の周りを飛び交う矢が、全て吹き飛ばされていく。

 すぐに視線をずらし、ヨルシカへと奇跡を放った。彼女への攻撃はまだ続けられていたが、治療が始まったことにより、体の再生の方が勝っていく。とはいえ、彼女は既に顔をのほとんどを潰されていた。視界が失われているせいで、もがくだけに終わっている。

 下田は走りながら、彼女に転移の光を纏わせた。自分の腕の中に座標を指定する。

 

「暴れるな」

 

 抱きかかえながら言うと、彼女はおとなしくなった。両腕と目が完治すると、すぐに離れていく。

 転移しても、矢はずっと追ってきた。かなり厄介な攻撃であることは確かだ。速度もさることながら、落とすか、受けないと終わらない。

 魔術の防壁を七つ重ねて、迫る光の矢を受け止めた。ほぼすべてを貫かれたが、ぎりぎりで体に到達するまではいかない。何とか、反応はできるようになっていた。オーンスタインの雷と比べれば、まだ余裕はあるような気がする。

 エルドリッチは、常に移動をしていた。こちらに近づく気は毛頭ないようだ。遠くから弓を使っているのが一番嫌がられると理解をしている。

 だが、少し理解が足りていないようだ。下田とヨルシカだけが、その首を狙っているわけではない。

 見えない体を解除したフォドリックが、エルドリッチの背中に大剣を突き刺す。加えてジークバルドが、弓を持っている方の腕を斬り落とした。

 彼らはとどめを刺そうとしているが、下田が直前で止める。

 

「離れてください!」

 

 エルドリッチの下半身部分の全てを覆っている、膿が弾けた。ぎりぎりでジークバルド達は離脱に成功していた。もし遅れていたら、全身に膿を受けていただろう。彼らにとっては、致命的な毒になる。

 だが、エルドリッチはさらなる動きを見せた。膿の部分がさらに蠢き、何かを吐き出すような仕草を見せた。

 

「な…」

 

 マクダネルの呪術を交わしたアンリが、思わずと言った形で注意を向ける。

 エルドリッチは、両の足で立ち上がった。

 

「ああ、いい気持ち」

 

 声の方は、膿から出ている。グウィンドリンの部分と完全に切り離されても、つながりは残っているようだった。

 頭から、膿の一部が飛び出してくる。太陽を模した冠は、黒く汚されていった。どうやら、人の形の方にも、入り込んでいたらしい。見た目は中性的な男だったが、覗く邪悪な表情は人食らいの性質をしっかりと表していた。

 蠢く膿の方からは、黒い手が持ち上げる。そして、鎌のようなものを作り出した。

 人の方は、再び弓を持ちだす。斬られた腕は、奇跡によって再生されていた。

 下田は、驚愕をすぐにひっこめた。そして嘲笑を浮かべる。

 

「何だい?」

「お前って、馬鹿だな」

 

 放たれた矢は、空気を裂くのみだった。

 エルドリッチは背後に数度射る。しかし予測していた下田は魔術の塊を踏んで、もう側面にまで回っていた。

 中段の蹴りで、相手の体を飛ばす。すぐに下田は移動をして、ホレイスが相手をしていたカークの首を飛ばした。

 ホレイスと、フォドリックに叫ぶ。

 

「ついてきてください!」

 

 クリムトの飛ばしてきた炎を避けて、膿の塊に近づいた。

 誰も、近づけないようだった。それも当然だ、触れればそれだけで終わる可能性もある。全身が、毒のようなものだ。

 だが、それは下田以外にとっての話だった。

 迫る鎌を弾いて、接近する。飛ばされた膿の一部が腕についたが、それでも止まることはなかった。

 

「お願いします」

 

 フォドリックとホレイスが、膿の中に剣を差し入れる。彼らへの攻撃は全て、下田が無効化した。

 狙ってはいたことだった。エルドリッチには明確な弱点がある。膿の部分は炎で滅ぼすことができる。今までは人の体の部分が懸念となって実行できなかったが、相手から分離してくれたので、楽になった。

 下田は操作し、両者の中にある残り火を開放する。炎が走り、膿全体へとすぐに広がっていった。

 

「ぐうううう」

 

 ヨルシカとジークバルドが相手をしている人の方も、苦しみだした。その隙を逃すことなく、アンリが首を斬り裂く。

 

「苦しみながら、死ね」

 

 下田はすばやく三十ほどの矢を作り出し、邪魔をしようとしてくる守り手たちを迎撃した。もはや主教達などは血相を変えて少しでも接近しようとしているが、ユリアとリリアーネによって妨害されている。

 徐々に面積を小さくしている膿は、まだ余裕のある声を出していた。

 

「この戦いを始めたことを、すぐに、悔やむようになる。偉大なる深淵の御方は、アナタ達を滅ぼすだろう」

 

 声の出ている部分を、ホレイスが突き刺した。

 同時に、転がり回っているかつてグウィンドリンだった体を、アンリが斬り刻んでいた。

 下田は、最後まで見ていた。膿が完全に消えるまで。人の方が、動きを止めるまで、まだ、何をしてくるのかわからなかった。

 確認をしてから、残りを殺していく。逃げる間も与えなかった。ゾリグは特に戦意を失っていないようだったが、それで何かが変わるわけでもない。下田はその胸に槍を指した後、上に斬り上げて、体を縦に裂いた。

 

「ありがとう、ございます」

 

 主教のとどめを刺したアンリが、頭を下げてきた。

 

「貴方がいなければ、復讐を終えることができませんでした。感謝します」

「まだ、終わったわけじゃない」

 

 下田はすぐに、篝火へと向かおうとしている膿人を数匹仕留めた。

 

「これからです。協力をお願いします」

「もちろんです」

 

 最後まで動かなかったのは、ヨルシカだった。彼女は本当の意味で亡骸になったグウィンドリンの体を身下ろしている。 

 下田が横に来ると、顔を上げた。

 

「とりあえず今は、放っておく。あとで埋めよう。墓くらいは、作らないと」

「グウィンドリンは、とうの昔に死にました。必要ありません」

「いや駄目だ。必要な事だと思う」

 

 ヨルシカは鼻で笑った。じっと、視線を合わせてくる。

 

「嫉妬しているのですか?」

「はあ?」

「安心してください。もう…、未練などありません」

 

 のぞき込んでくる瞳は、どこか澄んでいた。それだけではない、決して気のせいで済ませることのできないくらいの熱が、含まれている。

 彼女の白く細長い指が、下田の肩に触れてくる。

 

「誰かに塗り替えられましたから。約束しなさい」

「…」

「私が死ぬまで、死ぬことは許されません。責任を、取りなさい。何かに依存しないと何もできない女。そう罵ったのは、貴方でしょう?」

 

 下田は彼女から離れて、無言のまま歩き始めた。呪術を弾けさせ、エルドリッチの体をついでに燃やす。全てが灰になるまで、持続させるつもりだった。

 

「ノミの方へ向かわないと。ここらで残りを処理をしててくれ」

 

 何やら色々と言ってくるが、聞こえないふりをした。言葉では家族だ何だと表現したものの、未だにどのような対応をすればいいのかわからなかった。通り過ぎる時、ちとせは安堵とは別の何かも向けてきていた。彼女の気苦労は、わかっているつもりだ。

 そして下田は、さらに苛烈な戦場へと向かった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

「我々にとって、一番の誤算は何だったか、わかるか?」

 

 貴樹は腕の筋を伸ばしながら、薄い闇の中を歩いていた。完全に真っ暗というわけではない。日が沈む直前程度の明るさはまだある。それに、今の彼にとっては、単純な闇が戦闘を妨げる要素にはなりえなかった。

 

「お前は、選ばれたわけではない。プリシラによって偶然助けられたその他大勢。それだけの存在のはずだった」

 

 グウィンは突進してきた相手の角をむしり取っていた。山羊頭のデーモンが呻き、手に持つ巨大な包丁のような武器を振り回す。もう片方の武器は、貴樹に向けられていた。

 同時に両腕をへし折られて、デーモンは消失していく。首にかけられたいくつもの骸骨だけが、からからと虚しく地面に転がった。その全てが、人間のものだった。  

 

「だが、それは間違いだったな。タカキ。お前の存在が、いや、お前という存在が祭祀場の中の存在を愛したのが、一番の誤算だ。修正には多大な苦労が伴った」

「まあ、一目ぼれみたいなものなんで。しょうがないとしか」

『でも、本当にそうかあ?』

(黙れ)

 

 貴樹は横の顔を殴り飛ばした。だが、実際の感覚はない。貴樹と全く同じ顔をした何かは、けたけた笑いながら消えていった。

 と、思えば、前方に再出現する。

 

『お前みたいなろくでもない奴が、誰かを愛せるわけがない。断言するぜ。もうそろそろ、飽きる頃だ。今までよりはもった方だがな。地球に戻ったら、すぐどうでもよくなって捨てるぞ?』

 

 向かってくる亡者もどきを倒すついでに、その憎たらしい口調の幻を燃やし尽くした。

 現れるようになったのは、残り火の力を開放してからだ。輪の都で会談をする前に、ノミが話があると言ってきた。グウィンより分けられた最初の火のソウルには、まだまだ引き出せていない領域がたくさんあるのだという。貴樹なら、もっと多くを得られるかもしれないと。

 実際、それは当たりだった。もっと深く向き合えばいいというノミの言葉の途中で、既に全てを終えていた。

 どうやら、精神的な試練が多く課されるらしい。自分とそっくりの男が表れて、それらしいことを言ってきたが、男の話を聞く趣味はないし、自分という存在は一つしか許されていないので、即座に殺した。これが正解だったのかはわからないが、今こうしてかなりの強化につながっている。

 だが幻が完全に消えることはなかった。貴樹が少しでも冷静でなくなると、先ほどのように揺さぶりをかけようとしてくる。それでも言っていることはまるで彼の思考とずれているので、相手にする価値すら感じていなかった。

 貴樹は額の汗を拭った。そう、今の自分は冷静ではない。

 グウィンは横にいる男の妙な様子にも当然気が付いているようだったが、指摘してくることはなかった。これまでの戦いで、問題がないことはわかっているのだろう。事実、ここまで来るのにそれなりの数を倒してきたが、何一つとして相手にはならなかった。

 

「じゃあ、俺が右に」

「そうだな」

 

 グウィンも、理解をしている。

 予備動作を最小限にして、両者は左右に飛んだ。地面から高速で飛び出してきた手は、空を切っている。

 黒い毛で覆われている、肥大した手。

 下田の言葉と一致している。

 

(ふう…ふ、ふ、ふ)

 

 心の中で深く呼吸をして、大角の怪物と相対した。

 

「ごきげんよう」

 

 怪物の横に立っている女は、貴樹が今まで見た中でも最高峰の美しさを持っていた。そしてそれはこのような沈んだ重い雰囲気のなかでこそより引き立つものだった。だが、そんなのはどうでもいい。彼にとっては些事だった。

 

「神を気取る傲慢な大王。全てを見下す傲慢な人間。前座としては、及第点でしょうか」

 

 ウーラシールは目を開けた。  

 

「油断はするな」

 

 グウィンが、大剣を構える。今まではどこか力を抜いていた彼も、張り詰めたものをその気迫に含ませる。闇の中でこそ引き立つ炎の輝きが、いっそう強まった。

 貴樹も二本の大剣を持ち上げる。双剣での戦い方を頭の中でなぞろうとした。

 

「はい。確実にいきましょう」

(これ終わったらひもりんとえっちこれおわったらひもりんとえっちこれおわったらひもりんとえっちひもりんとえっちひもりんとえっちひもりんとえっちひもりんとえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっちえっち)

 

 少しだけ前かがみになりながら、もはや眼中にない敵と戦おうとしていた。

 

  

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