火守女と灰と高校教師(完)   作:矢部 涼

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8.屋外訓練

 祭祀場から外に出ても、男子達の姿はなかった。どうやらかつてグンダがいた広場でやっているようだ。確かに祭祀場周辺も広い敷地が広がっているものの、墓が並んでいて気軽に走り回れる環境ではない。

 それでも、貴樹は周囲を一通り見て回った。

 

『何をそんなに探してるんだ』

(確認だ。亡者もアイテムも全く見つからない。構造自体は変わんないが、広いな。見張り台も新たに建てられてる。やっぱりちゃんとした人数が結束すると、環境も整うわけだ)

『楽しいか?』

(それなりに。だが、段々と怖くなりつつある)

『なんで?』

(自分で考えろや)

 

 嫌な予感を言葉にすることはせず、細部にまで記憶している光景との相違点を確認していった。しかし、祭祀場横の塔は探索しなかった。単に入口が錠で閉じられているだけなのだが、今は無理にこじ開ける必要はない。中に何があるのかは知っていたし、それを見たいとも思えなかった。

 訓練場に着くと、まともに立っているのはグンダとジ―クバルドに、顔を見るのは二度目になるシ―リスだけだった。彼女に会釈をすると、やや戸惑いながらも礼を返してきた。その素直さに癒される。

 

「皆、すごく疲れてるみたいですけど。何をしていたんですか?」

「鍛錬の前の、準備運動といった所だ。単なる走り込みだよ。彼らの基礎体力も見るつもりではあったんだが、どうやら課題はあるようだ」

 

 ジ―クバルドは苦笑して、周りの惨状を見下ろした。

男子達は着ていた鎧を脱ぎ、汗だくで地面に転がっている。誰もが呼吸するだけで一苦労のようだった。最も見るに堪えないのは丸戸で、頬をはち切れそうなトマトにしながら、滝のような汗で肌着をコーティングしている。こいつの側にだけは近付かないと、貴樹は固く決めた。

 

「ちなみに、どれくらい走ったんですか?」

「ここの周囲を六十周ほどだな。私達のように前線に出なければならない戦士たちは、毎日していることだ。灰達の中には脱落者も出たが、ちゃんと全員達成させた」

(えげつねえな)

「持久力は、一番重要だと言ってもいい。私とグンダはまだしも、並走していたシ―リスにも大差をつけられるようではまだまだ」

(なに? シ―リスちゃんも走ったって?)

 

 思わず彼女に目を向ければ、刃先を潰した刺突剣を握っている姿が映る。そこから鋭敏な突きの形に移行し、とてもハーフマラソンを超える距離を走った後には見えなかった。

 

(つまり、今近づけば汗の香りを堪能できるってことかな)

『キモすぎかな』

 

 たぎる煩悩を抑え、貴樹は隅で見学することにした。喘いでいた男子達はまともに話せるようになった所で木剣を配られ、グンダとジ―クバルドの前に並ばされる。彼らの顔は、これから二人と模擬戦をすると聞かされて、さらに白くなった。

 

「そう怯えるな。もちろん一対一ではないぞ。この、私の伸ばした手より左の集団はグンダと、残りは私と戦ってもらう。時間内に貴公達がこちらに膝をつかせれば勝ち。そうでなければ、三十周追加だ」

 

 それに対する反応は二種類に分かれた。絶望と歓喜。グンダを前にした生徒達が前者で、ジ―クバルドの方が後者だ。グンダの実力は、嫌というほど知られている。一方で、ジ―クバルドの印象は珍妙な鎧姿のせいで、玉ねぎでしかない。

 始めの合図で、勢いに差があるものの、それぞれの集団が二人の戦士に向かっていった。

 貴樹は主にジ―クバルドの動きに注目している。

 

(カス共が蹴散らされてく光景は見てて飽きない)

『こうして外から見ると、笑えるほどの実力差だな』

(当たり前だ。あいつらはまるで連携ができてない。波状攻撃が基本だってのに、ただ闇雲に数で攻めてるだけ。あれじゃただの乱戦だ。ジ―クさんからしたら、一対一の時よりも楽だろ)

『よくあの重そうな鎧ですいすい動けるもんだな』

(それでも限りなく手加減してるだろ。苦笑いしてるよ。有用な情報は取れそうにねえな)

 

 グンダの方は、そもそも近づこうとする者がほとんどいない。国広だけが突出し、もはや集団という前提が消失している。グンダから向かおうとしても、背を向けて逃げる者もいる始末だ。

 

『お、でもやる奴もいるじゃん』

 

 ジ―クバルドが時折振るう剣に唯一対応できているのは、宇部だけだった。

 

(目で追ってるだけだろ。少しでもフェイントを入れられたら、ほら)

『あらら』

 

 見るに堪えない一方的な光景に興味を失くし、彼は立ち上がる。

 

(祭祀場に戻って、ひもりんと話してる方がいいな。初日はこんなもんだろ)

『あの中に混ざれば?』

(あほか。まだ残り火の力も戻ってない内に、目立つ真似なんてできるわけねえだろ。これから数日は、ひたすら裏方に回るんだ。雌伏の時だよ…)

 

 立ち去りかけた時、澄んだ女性の声で呼びとめられた。

 

「少しよろしいですか?」

 

 長身が揃っている祭祀場の女性陣の中では比較的小柄で、まだ少し幼さを残している。抜けるような肌の白さとは対照的に、耳の上にかかるほどの髪の少し汗に濡れている所が、健康的な爽やかさを感じさせた。

 

「えっと、確か一度」

「はい。列席場で初めて会いました。私は薄暮の国のシ―リス。かつて神に、仕えた者です。お互い使命のある身、そして使命とは孤独なもの。私達は関わり合うべきではないのでしょうが、火の無き灰の方々に一度は挨拶をと思いました」

「丁寧にどうも。貴樹と言います。これからよろしく」

 

 例によって手を差し出すと、シ―リスはじっとそれを見つめた。

 

「手甲の上からでも構いませんか?」

「大丈夫ですよ。ただの挨拶代わりだから」

「国の宗教の関係上、異性とみだりに肌を触れ合うことは禁じられているんです。こればかりはどうしようもないので、すみません」

(それ、完全に男慣れしてない前フリでしかないよね。興奮するぅ――)

 

 軽く握手して、貴樹は手ごろな岩場に座った。自然な動作で、シ―リスがそのすぐ隣に腰掛ける。

 

「灰の方々にも、それぞれ名があるのですね」

「どういう意味です?」

「火の無き灰というのは伝承で何度も触れられているのですが、抽象的な記述ばかりで。国によっては姿形もバラバラで、名無しの不死人とも表現されていることがあるんです。だから、私達とそう変わらない部分もあると知って、純粋に驚きました」

「伝承って、それはまた大きく出たな。僕があまり言えたことじゃないんだけど、あれを見れば、そんなに大げさな存在とは思えない」

 

 苦笑いして男子生徒達があしらわれている様子を指差すと、彼女も追随して小さく笑みを浮かべた。

 

「あの人達は、完成された戦士です。祭祀場の誰もが二人の経験と力量に信頼をおいていますから。たった一日で超えられるとは思えません」

「でも、ルドレスが火の無き灰は常識を超えた力を持ってるって言ってたけど。それを聞いてからのあれじゃ、話が違うってならないかな」

「灰の特性は、亡者になることのない不死性と、ほぼ無尽蔵のソウルの器だと聞いています。つまり、成長の速度が私達とは桁違いになると思います。もう少し長い目で育てていくのではないでしょうか」 

「なるほど。そのうちあいつらも、ジ―クさん達に匹敵するようになるのか。想像がつかないな」

「…貴方が言うのですか?」

 

 含んだ言い方に横を向くと、シ―リスが覗き込むように見つめてきた。

 

(シ―リスちゃん、想像の三倍くらいグイグイ来るな)

「グンダさんと互角以上に戦ったのは、貴方ですよ」

「その話、信じている人はほとんどいない」

「そうですね。おそらく、単純な力勝負ではなかったんでしょう。武器を持たず、まともな防具すらつけていない人が抗し得るとは、私でも信じられません。それでもあの人を認めさせる何かが、貴方にはあったということ」

(とりあえず、良い感じに誤解してくれてるな。助かるわ)

『悔しくならないの?』

(もっと考えて質問したまえ。今の段階では侮られるくらいが丁度いいんだよ)

『へえ。お前はもっと、自尊心の塊だと思ってたよ』

(場合によっては謙虚になるさ。そうすることによって大きなアドバンテージを得られる時とかな)

「それで、過ごし辛くはないのですか?」 

「えっと?」

「ずっとそういった格好だと、不便も大きそうだと思いますが」 

(ああ、これね。慣れたわ)

『露出狂の誕生である』

 

 シ―リスは貴樹のさらされた肉体を直視しようとしていない。彼女の貞操観念が躊躇わせるのだろう。現代日本においても異常なのだから、彼女が受けるカルチャーショックたるや想像につくし難い。彼女の反応に内心興奮している貴樹もまた、救い難い男だった。

 

「正直困ってるんですけどね、不可抗力で」

「何かを着ようとすると、激痛がはしる呪いでしたか。聞いただけでは信じられないものですね。自分の常識で貴方達をとらえてはいけないと、わかっていますが。灰の方には試練も同時に課されるということでしょうか」

「僕だって、治せるならそうしたいよ。こうして真面目な話をしていても、傍から見れば別の意味に思われがちになるから」

 

 一瞬話がわからなかったのか、彼女は不思議そうに瞬きした後、気まずく咳払いをした。

 

「…例えば、何かを羽織るだけでも駄目なんですか? 普通の衣服ではなくて、ただの布を巻いてみるとか」

「実は、もうあらかた試してはみたんだ。二度と味わいたくない体験だったよ」

「難儀なものですね…」

(うーん)

『どうしたん?』

(シ―リスちゃんの様子がおかしいような。本題に入ろうとしてできない奴特有のもどかしさを感じる。彼女、今までの会話の内容なんて心底どうでもいいと思ってるな)

『そんなにわかるもんなのか。エスパーかよ』

(ふっ、経験の賜物だよ)

 

 とはいえ彼の方から踏み込むことはせず、何となく会話がなくなって生徒達の方を見ると、既に追加された三十周をこなすべく必死に走っていた。体力的に限界を超えた彼らの激励をしていたジ―クバルドが、歩いてくる。

 

「もう話をする間柄になったのか。私から紹介しようと思っていたんだがな。タカキ、貴公もなかなか隅に置けんな」

「彼女みたいに若い戦士もいるんですね」

「歳だけなら灰の者達とほとんど変わらないだろうな。だが一人前の戦士だ。あらゆる心構えにおいても、敬意を表するにふさわしい」

 

 シ―リスは大きな瞳をさらに見開いて、何度も首を振る。

 

「ジ―クさん、私はそのような」

「そして何よりも、若い女性の存在は我々の心を癒してくれるのだ。真に素晴らしい」

 

 いくらか気恥ずかしげだった彼女は、すぐに冷めた表情になった。

 

「…結局それですか。前にも同じことを話してましたよ」

「ワハハ、そうか? 酒の席でのことは、何もかも曖昧になるな」

「貴方の事はもちろん尊敬していますが、その酒とやらの趣向だけは理解できません」

「手厳しい」

 

 口髭を一撫でし、ジ―クバルドは不思議そうに貴樹を見た。

 

「何か、嬉しいことでもあったのか。口元が緩んでるぞ」

「そうですか?」

(やっぱり、感動だよなあ。一切関わり合いがなかった人達がこうして話してるのは。これからも珍しい組み合わせがたくさん見れそうでわくわくする)

 

 ゲームでは味わえなかった新鮮な気分を楽しんでいる貴樹と、シ―リスを何度か見比べて、ジ―クバルドは何かを思いついたように手を打った。

 

「シ―リス、そろそろ貴公と模擬戦をする時間だが、たまには相手を変えて行うのもいいのではないか?」

 

 彼女は貴樹を一瞥して、やや困惑気味に頷く。

 

「ええ、いつも貴方の時間を取らせるのは申し訳ないと思っていましたが、まさか?」

(は、いつの間にか、変な方向に話が)

「タカキと一戦交えてみてはどうかな。私としても、彼の実力だけはまだ正確に推し量れていない。ユリアとのことは、条件が特殊だったからな」

「しかし、彼には呪いが」

「相手と同じ条件に合わせれば、成立するものではないかな? 徒手での戦いを知らぬわけではあるまい。貴公の師は、どんな状況にあっても最後まで戦い抜く技能を叩き込んだと聞いている」

 

 ジ―クバルドの後半の言葉で、シ―リスは表情を引き締めた。自らの中にある誇りを刺激されているようだ。帯びていた模擬剣を置き、身軽になるよう鎧を脱ぎ始めた。

 あまり望んでいない事態の進行を、貴樹は少し焦って止めにかかる。

 

「待ってください。僕の意志も聞いてくれたら嬉しいんですけど」

「見るに、貴公は相当鍛えこんでいる。当然、徒手のおぼえもそれなりにあるんだろう?」

「そこを否定はしませんが、僕にはそんなに大それた力はないんですよ」

「ウーム、もっと奮い立たせる何かが必要だということか。では、こうしよう。先日、貴公が言った願いとやら。もし勝てたら、彼女に効力があることにしてもいいぞ」

(ほ?)

 

 思わずシ―リスを見やると、彼女は逡巡してから、俯き加減に頷いた。

 

「何かを賭けて、ほど良い緊張感の中で行うのは良い事です。ただし受け入れられる要求にも限界があるので、そこを配慮してくださるなら…」

 

 ユリアに言った、自分のものになれという願い。それがシ―リスに対して向かうということになる。早くも訪れた二度目のチャンスに貴樹は、

 

「なるほど、模擬戦はどんなふうにやるんですか」

 

 乗らないわけがなかった。

 

 

 生徒達が空を仰ぎながら足をただ前に出す機械と化している中、かつてグンダが座していた中央の草地で、両者は向かい合う。

 告げられたルールは簡単なものだった。腹か背中が地面につく、あるいは円状の草地から外に出てしまったら負け。首から上と、急所への攻撃は無し。そんな条件付けをされていなくても、貴樹はシ―リスの顔を殴る等の行為は決してしないだろう。過去に本気で顔パンしたくなった女性は、実姉と実妹の二人だけである。ゴミである。

 

「ところで、対価を払うのがシ―リスだけでは公平な勝負とは言えまい。タカキが負けた場合のことも考えなければ」

「当然の意見ですね」

 

 ジ―クバルドは底の見えない笑みを浮かべた。

 

「貴公が負けた時には、死んでもらおう」

 

 数秒の間があった後、貴樹は頷く。

 

「わかりました」

「やけに物分かりがいいな。恐れがないのは、不死が見せる余裕か。この条件はただ貴公を追いつめるためだけのものではない。私も既に二回、命を失くす場面があった。復活できる回数が定められている我らの不完全な不死性と、灰達のそれを比べるまでもないが、どちらも共通するのは、初めての死が、最も印象深いということ。他の灰と同じように、貴公にもそれを乗り越える機会を与える必要がある」

「死に、慣れろということですね。僕らの価値観とはえらくずれてますが」

「気が乗らないのなら、もちろん降りてくれてもいい。これは貴公が選ぶことだ」

「やりますよ。一つだけお願いしたいのは、痛みのない介錯です」

 

 問題ない、とジ―クバルドは大口で笑みながら離れていった。

 

「あなたも、遠慮はしないでくれると助かるよ」

「無論です」

 

 シ―リスが、初めの礼をした。貴樹も返し、とりあえずは一番慣れ親しんだ柔道の構えを取る。

 

『おい』

(んだよ)

『まさか、忘れてんのか。お前は不死になってない。エスト瓶を飲み損ねたんだろ。最悪、一度死んだらそれまでの可能性だってあるんだぞ』

(わかってる。リスクは大きいな)

『だったら、今すぐに事情を説明して終わらせた方がいい。お前が死んだら、おれもそこでお陀仏だ。一蓮托生の身なんだから、無茶は困る』

 

 ジ―クバルドに条件を出された瞬間は、彼もそう考えていた。

 

(いや、駄目だ。周りには、俺がエスト瓶を飲んだと思わせておく)

『おいおい、また見栄張りか』

(何となく、違和感があるからだよ。今はとにかくそっち方面の話題は掘り返さない。嫌な予感がする)

『お前の勘で、全て上手くいくとは限らないぞ』

(あのな、俺が死ぬのはシ―リスに負けた時だろ。なら勝てば全部丸く収まるじゃねえか)

『勝算があるのか? 今のお前は、残り火の力を使えないただの一般人だぞ』

(二つ、根拠がある)

 

 貴樹はもはや、内心勝ったつもりでいた。

 

(一つ、シ―リスは登場するキャラクターの中で、最弱に位置する。祭祀場の中で最年少であり、女だ)

『ゲームの情報ではな。二つ目は?』

(おいおい、俺の記憶を見たお前なら、わかってんだろ?)

 

 貴樹は腰をさらに低く落として、頭の中にあるいくつもの型を総ざらいした。

 

(徒手の経験は、それなりどころじゃねえんだよ) 

 

 まずは互いに距離を取り、出方を探る段階だった。ある程度ルールで縛られた環境の中、相手を倒すか押し出せば勝利が確定する。道場で習う類の武術にとって、まさにおあつらえ向きの条件である。さらに彼は数種類の武術を修めていたので、攻め方、あるいは終わらせ方を何通りにも組み立てることができた。

 

「さあさあ、積極的に行け。大事になったら、暗月の術士を呼ぶからな」

 

 ジ―クバルドの一言で、シ―リスが動いた。真っすぐに距離を詰めてくる。

 

(あらあら、そんなに近付いていいのかな? 投げちゃうよ投げちゃうよ?)

『おお、なんかおれも行けそうな気がしてきた』

 

 シ―リスの上着の、手ごろな襟へ狙いをつける。相手の側面に回り込み、腰を起点にする回転投。柔道の技の一つである大腰を選択したのは、過程で相手の体と密着できるからだ。そんな下心満載の動きで、まずは襟を掴もうと彼も前に出た。

 彼女の足が、こちらのバランスを崩そうと動く。先読みしてかわした貴樹は、さらに肩へと向かってきた拳をいなして、予定通り彼女の薄い生地でできた肌着の襟を、そして脇下の両方を掴むことができた。

 そこからは、彼にとって無意識でもできる動作だった。相手の重心を見抜き、体を前後にゆすぶって崩し、早いというよりも滑らかに身を翻す。彼女の一瞬驚いた顔が目の前を通り過ぎ、次の瞬間にはその体が彼の腰に乗せられていた。左で握る脇の方を外し、後は投げ下ろすだけという段階で、彼女は両手を強く貴樹の肩について逆立ちの体勢になる。襟の拘束も無理矢理剥がし、曲芸じみた動きで一回転して、地面に降り立った。

 

「面白い技術ですね」

 

 右手をさすってから、貴樹は再度構え直した。

 

『惜しいな。でも大丈夫だろ。まだ他に打てる手はあるんだし』

(……)

『タカキさん?』

(あれ~? これ無理かも~)

『おいおいおいおい』

 

 今まであった彼の余裕は、跡形もなくなっていた。

 いつもの展開である。

 

『一体お前に何があった』

(うんとね、柔道の技って綺麗に決められちゃうと、途中で抜け出すなんて芸当は不可能なのです。まして五段の俺の大腰を、柔道のじも知らない状態で、完璧に崩されたのにも関わらず、それをやってのけたシ―リスちゃんは、どんな身体能力してんだって話なんだよちくしょおオオオオオオ!)

 

 達人に技をかけられた素人は、必ず何をされたのかわからないという感想を抱く。貴樹のそれも、限りなく洗練されたものだった。

 

(これを初見でかわされたということは、もう他の技も対応される。出の早い崩しならまだ通用する可能性もあるかもしんないけど、不安要素がまだある)

『まじかよ』

(いなした右手が、まだ痺れてるんだ。シ―リスちゃんの腕、細いけどパンチがゴリラ並みだ。頭おかしいだろ、もうやだ)

『つまり、頼みの腕力も負けるってことか。いくらなんでもそれは』

(思うに、異常なのは俺の方だ。この世界に来てから、どうにも動きが鈍く感じる。残り火状態の時との落差を考えると尚更だよ。明らかに全部の筋機能が低下してる)

『え…やばくね? シャレにならねえ。やっぱり事情を話して降参するべきだ』

(いやだ。みっともない姿をさらして俺の評価が下がるくらいなら、死んだ方がましだ)

『どっかの武士かおめえはよおおおおおおおおおお! わかる? だからお前が死んだらおれも消えんの。こんな何でもない場面で終わってたまるかああああああ』

(まあ待て。まだ起死回生の策がある)

『信用できませぬ』

(こうなったら、ある程度の恥は偲ぼう。要は、彼女の動揺を誘い、集中を乱して、勝利をもぎ取れればいい)

『それで?』

(あのおっぱいをつかんで揉めば男慣れしてないシ―リスちゃんのことだ、絶対に)

『おい前に注意しろ』

 

 脳内会話に夢中で動かない貴樹に向かって、シ―リスは再び接近してきた。先ほどの投げを警戒してか、彼の手が届きそうで届かない範囲で立ち止まる。脇をしめ、両手を前に構えた、防御態勢だ。積極的に攻めて来ない様子に安心し、貴樹は代案を考える。

 

(くそ、見れば見るほどつけいる隙がないように思えてきた。不用意に相手の懐に入るのは下策だな。ちくしょう)

『頼むから下半身で物事を考えないでくれ。お前、ただ胸触りたいだけだろ』

(なら、一番やりたくなかった作戦にするしかない。素早く俺が下着を脱ぎ、息子をさらす。初々しいシ―リスちゃんのことだ、目の前の光景に思考が停止し、うおっ)

 

 彼女の姿が視界から消えたかと思えば、左の脛に衝撃が走った。骨にまで響く痺れでバランスを崩し、さらに腕を掴まれて半回転させられ、膝から折れるようにうつ伏せに倒れる。

 

(あ)

 

 背中をつけまいとその時点で反応し、身をよじろうとするも、シ―リスがすぐさま組み伏せにかかってきて、彼女の腕が首に回る感触に力が抜けた直後、貴樹は草むらの上で仰向けに固められていた。

 

(……ふぅ。シ―リスちゃんの髪が頬に擦れてこそばゆいな)

『ぎゃああああああああ! てめえふざけんなああああああっ』

 

 流れるようなローキックと、崩し技に、貴樹は現実逃避も込めて心の中で称賛した。

 ジークバルドが、どこか納得がいかない様子ながらも、終了を宣言する。

 

「随分と呆気ない幕切れだったな。だが、興味深い技もあった。後で、教えを乞いたいものだ。シ―リスも良い動きだったぞ。やはり新しい刺激は必要だな」

 

 貴樹から離れた後、彼女は気遣うように手を差し伸べてきた。その手を借りて、貴樹は清々しい表情で立ち上がる。

 

「少し、本気になってしまいました。痛めてませんか?」

「大丈夫。すごいな、これでも結構自信あったんだけど」

「途中から、集中が途切れているようにも見えました。まさか手加減を?」

「逆です。攻める手立てがなかなか見つからなくて。完敗だよ」

「私の修練に付きあってくれて、ありがとうございました」

「こちらこそ、ためになりました」

 

 腕を軽く回し、祭祀場の方を向くと、ジ―クバルドがその視線を遮るように立ちふさがった。

 

「では、賭けの件だが」

「ええ、もちろん。ジ―クさんがやってくれるんですか」

「それくらいの責任は果たさせてくれ」

「じゃあ、お願いします」

 

 既に準備していた真剣を抜き、ジ―クバルドはその場に座るよう、促してきた。

 

(おい、おいノミ。命令だ。今すぐ残り火をよこせ)

『無理でんがな』

(一週間のクールタイムが必要だとか、そんな建前は良いんだよおおおおおお、俺が、この俺が死ぬとか、ないないないないない。早く適当に覚醒してよこせやあああああ!)

『男らしく、誇りに殉じろよ。ま、巻き込まれるおれは可哀そうな被害者ですけどね』

(他人事みたく言いやがって。誇りだの、プライドだの、そんなの豚にでも食わせとけ。自分の命が一番大事にきまってんだろがああああああああああ!)

『言ってること無茶苦茶じゃん。あれだな。結局お前を選んだおれが悪かったんだ。まさかこんなくそどうでもいい所でゲームオーバーとは。困っちゃいますね(諦)』

(諦めんなああああああああああっ、お前はまだやれるぞおおおお!)

 

 自分で掘った墓穴にもぐりこもうとしている彼は、グンダの時とは違い人生を振り返る余裕もなかった。首筋に当てられる刃を感じても、逃げることや、説明することを選ぼうとしない。見栄か命かの選択を、この期に及んでもせず、どっちつかずを保つ男であった。二兎追う者云々という言葉がふさわしい人生の終わりを迎えようとしている。 

 ここで声を上げたのが、シ―リスだった。

 

「待ってください。賭けは、双方対等であるべきではないですか」

 

 ジ―クバルドが、剣を下ろした。

 

「どういう意味かな?」

「タカキさんが勝ったら、私に何でもお願いできるということなら、逆に私が勝った時も、貰えるのは彼の命ではなく、そのお願いの権利でもいいと思います」

「ウーム」

「死という経験は、確かに貴重です。でも今である必要はどこにもないでしょう。この方は、他の灰達の信頼を多く集めているようです。私は、彼らと不用意な衝突はしたくありません」

「一理ある。彼女はこう言っているが、どうかね」

 

 ふられた貴樹は、しばらく口を小さく開けたまま固まった後、力が抜けたように微笑んだ。

 

「あ、じゃあ、それでお願いします。正直、頭真っ白で」

「ハハハ、よかったな。私もできれば同胞を手にかけることはしたくなかった。彼女に感謝しているなら、その願いを真摯に聞いてやることだ」

 

 何でもなかったように剣を鞘に収め、ジ―クバルドはへばっている男子生徒を起こしにその場を離れていった。現実感を失った感覚でその後ろ姿を眺めていた貴樹は、シ―リスに手招きされる。

 

「頼みごとを話したいので、墓地の方へ戻りませんか」

「ええ、もちろん」

 

 表情をどことなく引き締めた彼女の横に付いて、人気のない場所へと歩いていく。

 

『これぞご都合主義。何とかなったな』

(いや、これは、うん。ハメられたな)

『ん?』

(多分、これから話すことが、彼女の本題だったんだ。今の方向にもっていくために、ジ―クさんが協力していた可能性が高い)

『おいおい、最初から仕組まれてたってことかよ。なら普通に話せばよかったじゃねえか』

(そこまでは知らん。俺が断るとでも思ったんだろ) 

 

 祭祀場近くの、名前すら刻まれていない欠けた墓石群のさらに端の方、切り立った崖の縁で彼女は立ち止まった。

 

「手間を取らせてしまってすみません。ですが、これから話すことはできる限り秘しておきたいんです。共に私の祖父、フォドリックを捜してほしい。それが、お願いしたいことです」

 

 貴樹は強張りそうになる顔をごまかそうと、やや俯きがちになった。

 

「祖父は私が最も敬意を抱く戦士であり、掛け替えのない家族であり、頼もしい師でもあります。しかし、十日ほど前に不死街へ向かったきり、帰ってくる気配がありません。捜索の許しを何度も得ようとしたのですが、祖父に限って大事はないと皆言うばかりで。私一人で捜しに行くにしても、恥ずかしながら単独行動ができるほど周りに実力を認められたわけではありません。そこであなたの協力が欲しい」

「…具体的には?」

「今より五日ののち、灰の方々の鍛錬の一環として不死街に巣食う亡者の掃討及び呪腹の大樹の討伐が計画されています。その時、貴方だけは別行動を願い出て、その護衛に私を指名して欲しいのです」

「与えられた職務の上でなら、納得してもらえるってことですね」

「少々、というよりかなり無茶を強いてしまう形になってしまいますが、どうか私の助けになってくれませんか?」

 

 縋るように言われて、彼は内心焦りに焦っていた。

 

(くそ、このタイミングでこうなるのは非常にやばい)

 

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