ある意味勘違いもの。
もう、終わってしまっているのだ―――。
名も知らぬ幼女(ジェーン・ドゥ)の肉体に入った時点で“彼”はそう理解していた。
心象にこびり付くのは信仰の大義の下に殺戮と略奪の限りを尽くされる、両親をはじめとする一族“だったもの”の姿。
美しく愛情に溢れた母は、汚らわしい男達によってたかって犯された。
少し頼りなくも優しい父は、母に精が吐き出される度に体の一部を切り取られる残虐な遊びの玩具になった。
最近意地悪をしてくる兄は、逃げる背に矢を浴びせられた。心臓に当たれば十点、頭蓋に刺されば二十点、なんて余興の出汁にされながら。
いつもにこにこして可愛がってくれた隣の老婆は、想像すらしたことがなかった苦悶と嗚咽に歪んだ表情で生首を曝し。
ついひと月前に巫女として結婚を祝福し、幼心に憧れた新妻―――彼女が大事にしていた婚姻の首飾りを、血が付いたと愚痴りながら戦利品として懐に仕舞う盗人は下卑たにやけ面を曝す。
宗教に『それは正しい行いだ』と言ってもらえるだけで、人間とはあそこまで醜くなれるものだと一目で分からせてくれる。
その光景の断片だけでも彼女の境遇を推し量るに十分だったし、辺境に追いやられた少数宗派の巫女でしかなかった幼女の心が壊れ、肉体が生きているだけの怨霊になったことも納得がいった。
微かな救いがあるとすれば、家族のせめて死後の安寧だけでも冥界の王に祈る哀悼の心、それが残っていたことぐらいか。
故に“彼”は、彷徨の果てに見つけた冥王の祠を護る番人となることを己に課した。
人気のない辺境の祠すらもわざわざ破壊しに来る異端審問の教会騎士、それを復讐心のままに嬉々として狩り尽くす宿主(ジェーン)をほどほどになだめつつ。
いつか来る破綻までは彼女の死者への祈りだけは絶やすまい―――そして討ち果たされる時が来たならば、一緒に冥界への死出の旅に付き合おう、それなら寂しくはないだろ、と。
世界の片隅でそのような “墓守”となることを“彼”に決めさせたのは、なんということはない、他にやることがなかったというだけだと本人は思っている。
一度魂だけになったせいか、幼女の強烈過ぎる悪夢に圧し潰されたのか、“彼”が『ジェーン・ドゥ』の肉体に入るまでの生前の記憶はほぼ全てが損壊している。少なくとも、居た筈の家族のことも思い出せずそれを悲しく感じることすらないくらいには。
一度死んだ身で、別人の体で生きられるからと言って特に何かしたいと思うこともなければ、ぽっと湧いて出た第二の生にしがみつきたいとも思わなかったのだ。
ただ唯一、『ジェニファー・ドゥーエ』という女のことだけは詳細に至るまで完全な形で記憶していた。生前恋人かなにかでよっぽど未練だったのか、魂に刻み込まれたかのように、文量にすればA4ノート丸々一冊分ほど。
胸の内に宿る何かにより肉体能力を超活性化させる光の力と、宿主の復讐心により深淵から湧き出でる闇の力がそれに符合していたこともあり、立ち居振る舞いや風体、名乗りや喋り方は折角なのでその女のものを借りることにしたのだった。
うわああああああああぁぁぁぁやめろやめろやめろやめてくれええええぇぇぇぇ~~~~~~ッッッッッ!!!!
不慮の交通事故に遭い、詰めに煮詰めたオリキャラ設定の黒歴史ノートを処分していなかったことを思い出して今際の心残りになってしまったとある男が知れば、文字通り魂の叫びを上げたその暴挙を止める者は、当然ながらいなかった。
………。
「ん……、?」
「あ、ジェニファーさんが目を覚ましましたよ!!」
もはや二度とないと思っていた――いや、まさかの三度目という可能性もあったが――覚醒に左の紅眼だけを開いた幼女の視界に映ったのは、今の自分の肉体より一つか二つ年上くらいの、尖ったエルフ耳の幼女だった。
透き通るような白く長い髪に、各所に花や蔦があしらわれた可憐なドレス姿のその幼女は、両目の紅眼を嬉しそうに輝かせると少し離れた場所で話していた三人を呼びに行く。
その間に何故か突き刺すような胸の痛みに意識をはっきりさせながら、自分が見慣れた冥王の祠の祭壇に寝かせられていたのだと認識する。
下に敷かれた布はアシュリーとの戦いで吹き飛ばされた外套であり、切り裂かれた箇所は結んで折りたたまれている。
そこから女騎士との戦いを思い出し、ジェニファーはこみ上げてくる何かを抑えきれなかった。
「くっ、ふふふ、あはははははっ……ああ、くたばり損ねたのか、我は。まったくもって度し難い」
「そういうことを言わないで欲しいな」
「言いたくもなろう。勘違いで戦いを挑み、我が半身の手綱を離してあのような姿を見せた挙句、その相手に生きたまま沈められる醜態だぞ?
………ああ、騎士だったら『くっころせ』と言う場面か?」
「気持ちは分からなくもないが、どこの流儀だそれは……」
優しい声音で心配そうにこちらの様子を観察するアシュリーに、顔を赤くしながらも冗談を飛ばす程度の余裕を示すジェニファー。
(あの子本当に子供なんですよね?それにしては、こう……)
(ユーさん、言いたいことは分かりますが、ご自身の外見を顧みましょう?)
後ろで精霊と神官がこそこそとやり取りをしているのをスルーして、黒髪の青年が膝を突きながら上体を起こしたジェニファーの顔を覗き込んできた。
調子はどう?と間近でこちらの反応を観察する視線に邪気はなく、真摯さと暖かみを感じる。
不思議な男―――少なくとも記憶にあるどんな相手とも違う、というのが第一印象だった。
「我が半身も落ち着いている。少なくともこの場でまた暴れ出すようなことはないと誓約しよう」
そういうことじゃないんだけど……まあ問題はなさそう、か。
ジェニファー自身へと向けられた心配を意図的にはぐらかしながら、少しだけ気になったことを尋ねる。
「ところでだが、汝らはこんな所で何をしに来たのだ?」
こんな辺境の外れにあるものなど、それこそ邪教の産物とされている冥王の祠しかない。
勘違いした自分を正当化する訳ではないが、最寄の町まで歩いて丸一日程度は掛かるような場所、今まではそれこそ祠を破壊しに来た狂信者どもしか来なかったのだ。
そんなジェニファーの問いに、青年はそれなりに女の子にきゃーきゃー言われているだろう――少なくとも連れの女三人は確定だ――切れ長の精悍な顔立ちを真剣に整え答えた。
――――君に逢いに来たんだ。
「笑うところか、それは?」
真正ならばむしろありがとうございますといった感じのその視線を青年はへらりと笑って躱して、唐突に世界の命運に関する重大な話をし始めた。
二年前に炎上した世界樹。
当然ながらその下手人ではない冥王はむしろ全力で消火にあたり燃え尽きるのを食い止めたのだが、世界樹の魂の輪廻と転生を司る力は現在ほぼ機能停止している有様なのだという。
死んだ魂は永遠に現世を彷徨い、新たな命も誕生しなくなってしまった以上、やがてこの世界は滅びに向かう一方ということになる。
だが、希望が残っていた。
燃えゆく世界樹は自身の存在を数多の種子に託し、世界中に飛ばした。
それを集めて世界樹に返せば、再生し世界は元の生命の循環を取り戻せるかもしれない。
種子は流星のような形で各地に降り注ぎ、その場にいた人間に宿る。
そして種子の宿った人間は生命の力、常人離れした才能や能力を得ているというのが今までのパターンだった。
「………つまり、我に逢いに来たのか」
そういうこと。
彼ら彼女らから種子を“譲ってもらう”――場合によっては力ずくでも――か、あるいは種子集めに協力してもらうか。
青年一行はそんな旅をしていて、この時ジェニファーの前に現れたということだった。
“常人離れした”馬鹿力で大刀二振りをぶん回す幼女は、話を咀嚼すると同時に深く嘆息する。
「………汝らに借りがあるというのを差し引いても、我に選択肢は無いな。種子を抜き取られ放り出されれば、幼いこの身は野垂れ死にが関の山だ」
いや、流石にそんなことはしないけど……。
「ハッ。そうやって己の意志の及ばぬ事象に祈り縋っていれば、それで安寧の明日が約束されるのか?
少なくとも此処は、そんな優しい世界でないように思うがな」
「………ッ!!」
「故に“契約”だ。先の醜態を挽回する為にも、そこらの傭兵よりは役に立ってくれよう。
―――我のこの光と闇の力、しばし預けるが……その対価は如何に?」
瞑ったままの右目を掌で覆うようにしながら、尊大に見返りを要求する幼女。
精霊も女騎士も、せめて弱みを見せまいとしながら幼子がこんな達観したことを言うことに、そうさせてしまった世界の在り様に、痛ましげな顔をする。
何より己の古巣がこのような子を作り出してしまったことに、意識が遠のきそうなほどの衝撃を受けているのが神官クリスだった。
なお、本人的にはなんとなくかっこよさそうな言葉で分かった風な台詞をそれっぽく言っているだけである。
肉体(ジェーン)の生い立ちがクッソ重い為に謎の説得力が発生しているが。
そして、軽い気持ちで言ったが故のカウンターを厨二銀髪オッドアイ幼女は喰らう羽目になる。
――――なら、冥王ハデスの名において誓おうか。
「………今、何と言った?」
ん?自己紹介。
唖然とする幼女を、その信仰対象だと名乗った青年は楽しそうに見つめる。
冗談にしては性質が悪すぎる。だが、先ほどの暴走時の力を見ておきながら、目の前の幼子を激怒させればどうなるか分かっていながらあまりに気負いのない姿は却って真実味を伴っていた。
何より表情は微笑んでいながらも視線は真剣にジェニファーだけを見据えている。
強く。強く。底が知れないほどの存在感が、彼女と正面から向き合っていることに、確信を持たざるを得なかった。
―――約束しよう。君の力を借りる対価として、君の同胞の魂は必ず在るべき輪廻に導くことを。
―――苦しみも未練も洗い流し、芽吹いた次の生を精一杯生き抜くことができるように。
必ず、と。冥界の王は約定する。そして………。
―――だからもう救われていいんだ、“君たち”は。
「あ……」
アシュリーの訴えに同期するような、主従揃っての優しい言葉。それに触発されたように『ジェーン』の、暴走の反動で閉ざされたままだった右目が開く。
その虹色は輝きを取り戻し、そしてあふれ出した涙できらめく。
一族を滅ぼした聖樹教会の者達を恨む程度に元気のある『ジェーン』が、それでも心が壊れていた理由。
みんな辛い思いをしたのに、死んでも死にきれなかった筈なのに、自分だけが生きていてしまってごめんなさい―――理不尽なる生存者の罪悪感。
それを解き放つことが出来る唯一の存在が目の前に立ち、そして必要な赦しの言葉を投げかけたこの現実は、どれほどの可能性の果ての出来事だったのだろうか。
【ありがとう、冥王さま】
「今…?まさか、ジェーンッ!!?」
たった一言だけ幼女の口から感謝がこぼれたのは、果たして。
その意味は今右の目から流れる涙が証明するものと考えてきっと間違いはない。
そして遅れて左の紅眼からも涙が流れる。心の壊れた相棒に訪れた奇跡の欠片を寿いで。
もらい泣きでもしそうになったのか、瞳を潤ませたアシュリーが預かっていた水晶の大刀をジェニファーに手渡しに来る。
受け取ったそれを地面に突き立て、黒銀の巫女は冥王に跪いた。
「約定を此処に、確かに契約は成った。
冥戒十三騎士が終の一騎、『黒の剣巫』ジェニファー=ドゥーエ。
我が意志、我が憎悪、我が剣の全てを貴方様に預けよう―――いと尊き主上たる、冥界の王よ」
零れる涙を拭わぬままに、ジェニファーは見上げる主に忠誠を誓う。
肩書も振る舞いも、その名すら仮初に過ぎずとも、確かに騎士としての気概を以て。
そんな幼子の想いを、冥王はただ静かに頷いて受け入れるのだった。
これが、“彼女”が《種子》を宿し芽吹きを待つ者―――《アイリス》として冥王と共に世界を救う冒険の旅に出るまでの物語。
混沌と調和が織り為す
もしその語り部がいるとすれば、それはきっと……。
つまり作者は、あいりすペドフィリア。(タイトル回収)