あいりすペドフィリア   作:サッドライプ

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豊穣の大地3

 

 模擬戦の結果無事実力が認められ、パルヴィン王国と協力して国土防衛戦に当たることとなったアイリス一行。

 戦争に参加するのであればもう少し人数を連れてくるのだった――という後悔はちょっとあるが、現状の人員でも問題なく遊撃部隊として機能していた。

 

 『白銀の疾風』アシュリーと『エルハイムの鋼壁』クレアという武名を馳せた二つ名持ちとその支援を行う神官・魔術師・錬金術師が、世界樹の種子を宿した状態で組めば帝国の一般兵をかなりの時間大勢食い止められるし、疲労や負傷の程度によってはベアトリーチェとファムが交代要員としてサブに控えている。

 第二王女プリシラも軍師を名乗るだけあって、アイリスの奮闘で歪みが生じた敵の陣形の脆い場所を鋭く自軍に突かせるのが上手い。第一王女ルージェニア共々姫君御自らが前線に出陣しているとあって兵達の士気も高く、帝国の先遣隊との緒戦はパルヴィン優勢で推移していた。

 

 現在領内に入り込んだ敵兵は粗方掃討し、帝国の本隊が来るまでのしばしの猶予の間、ルージェニア率いる王国軍及びアイリス一行は逗留する村にて収穫の手伝いをしているところである。

 

「みなさーん、タオル新しいの持ってきたですのー!

 汚れたのは洗うからこのかごに入れるですの」

 

「うふふ、お疲れ様、ジェニファー」

「ちょこまかしてて可愛い……」

「ジェニファーちゃんは働き者だべ」

「重くはないかえ?まったく、うちの悪ガキもこれくらい真面目に手伝ってくれりゃあ」

「そんなことないですの。まだまだがんばれますの!」

「いい子だな……」

 

(パルヴィンの皆さーん、騙されてますよー)

 

 王女や兵士、農民達に愛嬌を振り撒いて歓心を買う紅眼幼女を相変わらずアイリス達は何とも言えなさそうな目で見たり見て見ぬふりしたりしていた。

 その気になれば自分の身体より大きい水瓶なみなみだろうが平然と担げるジェニファーだから、本来なら大人以上の重労働をさせても問題ないと言えば問題ない―――幼女を酷使する絵面がヤバいというただ一点を除けば。

 

 まんまと厨二幼女に懐柔されたパルヴィンの皆様の不興を買わないためにも、前線にも参加することなくルージェニアの周りで小間使いをやっている―――小間使いしかやっていないジェニファーは暗黙の内にスルーされていた。

 

(ねージェニファー。ところで、その“ですの”って語尾なんなの?)

(便利ですの。ちょっと荒い言葉遣いしそうになっても誤魔化せますの)

(………いやまあ。そういうことなら止めはしないけど、さぁ……)

 

 ちなみに口調については興味本位でラディスがこっそり訊いてみたところ、こんな感じの理由らしい。

 ある意味合理的と言えば合理的だが、そのせいで素のジェニファーを知るアイリス達にとって変な笑いを誘う一因になっていたため、それを聞いた魔術師の表情がなんとも言えないことになっていたのは致し方ないだろう。

 

 それでもなんだかんだで、全員が一丸となって農村の収穫作業を、自分達の背後に在り守っているものを改めて実感する中で、ほぼ全員が自然な笑顔を共有していた。

 

 

 ただ一人を除いて。

 

 

(帝国の本隊――ルージェニア姫が世界樹の種子を有している以上、次はあの女が来る可能性は低くない……ッ)

 

 

 雪辱を晴らす時が近いのを感じ、一人鬼気迫る表情で農作業に参加せず剣の素振りをしていたアシュリー。

 汗に濡れて乱れた髪を払うこともせず、その下に埋もれた目つきは危ういほどに険しい。

 そんな彼女にぱたぱたとわざと重心の安定しない子供っぽい走り方で近づくと、ひょいっと素振りの斬閃を掻い潜りながら下から見上げるジェニファー。

 

「アシュリーせんぱいも、むっつりした顔ばっかりしてたらだめですの。

 ほら、剣ばっかりじゃなくて、たまには鋤とか鎌とか振ってみたら面白いですの」

「………放っておいてくれ」

「つれないですの。……むむ。

――――ですのですのでーすーのー。ですのーとデースのー」

「……ぶっ」

 

 ででーん。ベアトリーチェ、あうとー。

 素気のないアシュリーに対し、頬に人差し指を立てたあざとい仕草で一発ギャグに走ったのが、何故か流れ弾となって教師メイドが吹き出してしまう。

 

 その一方で、目前である意味ウザ絡みされた女騎士の反応は――――。

 

「――――煩い」

「……の?」

 

 

「邪魔だ!私はお前みたいに遊び半分でアイリスをやっているわけじゃない!!」

 

 

「………そう、ですの」

「~~~ッ、………ぁ」

 

「「「………」」」

 

 唐突に青空の下響いた罵声は、その場にいた全員に聞こえるほどに大きく。

 そして一瞬目を大きく開いたジェニファーが、笑みを愛嬌から自嘲に変えたところで、アシュリーは自分が何をしたかに気づく。心配して話しかけてきた子供相手に喚き散らしたことに対して周囲から批難の視線を向けられていることにも。

 

「違っ……そんな、つもりじゃ…」

「あはは…ちょっとふざけすぎましたの。いたずらしてごめんなさいですの」

 

 アシュリーを庇うように、自分の責任ということにして謝ってくるジェニファー。

 天真爛漫な子供の仮面は外れなくとも、アイリスで最も付き合いが長く深いアシュリーには分かった。分かってしまった。

 自分の言葉がジェニファーの痛い部分を悪戯に傷つけて、そして普段不敵とか皮肉とかそんな笑みで理不尽を受け流す彼女が―――“初めて”目に見えた悲しみの表情を浮かべたことが。

 

 だがそれに対して掛ける言葉が咄嗟に思い浮かばず、逡巡している間に。

 

 

――――斥候が、国境から進軍する大部隊の報を携えてきた。その数、パルヴィン側の十倍の兵数だと。

 

 援軍の見込みもなく、後退して砦で籠城戦をするより野戦で迎え撃つことをプリシラは選択。罠や戦術の仕込みで俄かに皆が慌(あわただ)しくなり、そのままアシュリーはジェニファーに話し掛ける機会を逸するのだった。

 

 

 

 

…………。

 

 これまでの前哨戦とはまるで規模の違う大一番の会戦。それが近いとはいえ、いやむしろ目前に迫っているからこそ、戦士達は身体を休めなければならない。

 そういう訳で、夜半過ぎ、国境近くの農村に築かれた野営地は一部の哨戒を除いて静まり返っていた。

 

 りんりん、とこれから迎える冬を越せぬ寂しい虫の声の方が、人いきれよりも遥かに遠く響く秋月の下。

 護衛の兵士の目を盗んで天幕を抜け出し、農具入れの納屋の傍、刈り取られたばかりの藁束に身を沈めて物思いに耽る少女がいた。

 

 優しい月の光にその美貌を浮かび上がらせたルージェニアは、昼間に快活な笑顔で周囲を鼓舞する姫君とはまた違う神秘的な様相を見せている。

 そして、それに物怖じしない子供が一人、彼女に静かに話しかけた。

 

「ルージェニアひめさま、眠れないですの?」

「見つかってしまいましたわ。でも、もう少しここにいさせてくださる?」

「なら、わたくしとお話するですの」

「……ええ、喜んで。こちらに来てくださいな」

 

 赤髪の姫君は、ナイトドレス姿のままジェニファーを手招き……というよりむしろ、腕を拡げて至近距離まで抱き込むようにして幼女との距離を近づけた。

 

 何かの琴線に触れたのか、初めて見えた時以来後ろからジェニファーを抱っこするのが彼女のお気に入りになったらしい。

 胸に張りのある美少女のスキンシップが嬉しいという男性的な意識はもはや失って久しいが、別に不快ということもないので拒むこともしない。

 お姫様の機嫌を取れるなら―――とここ数日はこの体勢で他愛のない話をする時間も多かった。

 

 けれど、この日のルージェニアの様子はいつもと違って。

 

「……~~~っ」

「!泣いて―――」

「見ないで!……振り向かないで、ください……」

 

 年端もいかない子供がぬいぐるみに縋るように、きつくジェニファーを抱えながらすすり泣く声が聴こえる。

 

(無理もない―――か)

 

 戦場にあってなお朗らかに笑い、周囲に希望をもたらす太陽姫――だがその評価は、本当なら恋に恋するような年頃の少女が、国が亡びるか否かの瀬戸際で全ての民の、兵の、そして誰より可愛い妹の期待を一身に背負っているという重責の裏返しでもある。

 冥王という邪神――世間的な意味では――に魂を差し出してでも勝たなければならない状況の中、誰に吐き出すこともできずに、今まで溜め込んでいたものが溢れてしまったのだろう。弱音を吐いていい相手なんて、それこそこんな本来縁も所縁もない異国の子供くらいしかいなかったのだから。

 

 背中に感じる震えが収まるまで、ジェニファーはただ黙って彼女に抱かれるがままになっていた。

 やがて落ち着いたルージェニアが、それでも腕の中の体温を手放すことなく声を上げた。

 

「みっともない所を、見せてしまったわ……」

「みっともなくなんてないですの。ルージェニアさまはがんばってますの。えらいえらい、ですの」

「……っ。ありがとう。あなたは不思議なひとね、ジェニファー。

―――こんなおてんば姫のお守りなんて、本当に大変でしょうに」

 

「――――。いつから?」

「最初から、ですわ」

 

 まだ涙ぐみながら、ジェニファーの慰めに返した声は暖かくも。

 省略した言葉に様々な意味を込めて、この幼女が見た目通りただ愛くるしいだけの存在ではないことに気づいていたことをルージェニアは明かした。

 

 これまでジェニファーが無邪気な子供の振りをしていたのは、別に冥王の悪ふざけという理由だけではない。

 ルージェニアは此度の防衛戦において王国軍の精神的支柱。彼女が死ねばほぼそれはイコールでパルヴィンの滅亡と同義である。ましてや種子持ち、心強い戦力であると同時に、以前の帝国の女指揮官のような種子を狙う者に襲われる危険もある。

 もしもの事態に備えた、隠匿性の高い戦力札が今回のジェニファーの役目だった。

 

 それを最初から気付いていて―――だからこそルージェニアは、アイリス達の手を借りることを決断したのだという。

 

「あなたの手。毎日毎日剣を振って、全部すり切れた硬い掌。

――――遊び半分なんかじゃ、こんな風にはならないもの」

「必要に駆られていただけだ。誇れるものでもない」

「あら?うふふ。それがあなたの素の話し方?」

「さあどうかな………ですの」

 

 優しくジェニファーの手を握り、穏やかな声で会話を交わす二人。

 後を追いかけてきた人影が納屋の死角から様子を窺っているのに気づくことなく、これまでと異なった隠しごと無しの話題を展開した。

 

「ジェニファー。あなたみたいな子供が、どうして戦っているの?危険な旅なのでしょう?」

「…………そうだな。切っ掛けは、確かに成り行きだった」

 

 姫君の問いに真摯な答えを返すべく、旅立ちの日の出来事を脳裏に浮かべるジェニファー。

 あの日、何かを決意した訳ではない。何かを覚悟した訳でもない。あの日彼女“達”は、ただ救われた側だったのだから。

 

「だが。ああ、そうだ。“救われた”んだ、我等は」

 

 今思い返せば、あの時救われたのはジェーンだけではなかったのだと思う。

 

 全ての記憶を失い、ジェニファー=ドゥーエという他人の名前と人格を借りるしかなかった魂。

 それが見てきたのは、ジェーンに降りかかった悲劇と、それを信仰の下に恥じるどころかこちらを断罪しようとしてくる傲慢な聖職者。幼子を手に掛けることを正義と信じる唾棄すべき聖騎士達に、復讐者と化してそれを物言わぬ屍に変えていく宿主。

 

 ジェニファーが生まれ変わったこの世界に、美しいものなど何一つ無かった。

 世界は優しくない。仁義も慈愛も何もかも、人の善性を期待できることなど何もない。

 そもそも何も期待し得ないが故に、絶望すら生まれない。

 

 一人の少女の心を染めた冷たい憎悪に寄り添ったまま、ただ惰性の果てに、いつか訪れる復讐の破綻の結果として死を待つだけだったのに。

 

 

「『私が剣を執るのは、子どもを化け物扱いして斬り殺すためなんかじゃ断じてない』

――――そう言ってくれた人が居たんだ」

 

(………ッ!?)

 

 

「もしかして、それがアシュリー?」

 

 ルージェニアの問いに曖昧に笑いながら、ジェニファーはなお語る。

 

「ただその一言だけで救われたんだ。人が人たる為に歩むべき道を、まっすぐ往ける人も居るのだと。

 ならばせめてこの血塗られた刃は、そういう人達のために振るいたい。

――――なんて、な。心の奥底で、人間という種を信じていない我が言ったところでただの戯言。遊び半分と言われても何も反論できん」

「そんなこと……っ」

「いい。―――所詮は余禄。我の様な半端者は、いずれ持て余した力に振り回されて自滅するのがお似合いだ」

 

 全ては戯言。語るべき芯も信も真もどこにもない。

 この想いがどこまで純粋なものか、自身ですら分からない。

 

「アシュリー先輩は、ちょっと心に雨が降っているだけだ。いつか傷付いた心が癒えたら、また真っ直ぐに歩き出せる人だ。

―――それでも、あの人を傷つけた帝国には言いたいことが我にはある。ぶつけたい想いが、我にはある」

 

 それでも、これは戦うに値する理由で然るべきなのだ。

 

 

「―――『誰の先輩に上等くれていやがる。落とし前は払ってもらうぞ木偶の坊』」

 

 

 そんな厨二病の戯言を―――パルヴィン王国第一王女ルージェニア・ハディク・ド・パルヴィンは頷いて肯定する。

 色々と理屈を捏ね回してはいるが、結局それは大切な人を傷つけられた怒り。人が人たる為に、決して捨ててはいけない大切な想いなのだから。

 

 

「例えあなた自身が否定しても、私はその想いが尊いものだと信じます。

―――今、私たちが戦うべき敵は同じもの。力を貸してくださいますか、ジェニファー=ドゥーエ。親愛なる小さな騎士よ」

 

 

 冷涼たる月光の下、平原を吹き抜ける風が草の匂いを流していく中で。

 『黒の剣巫』は、不敵に微笑んで姫の手を取った。

 

「ふっ。当然―――ですの!」

 

 





 二人は気付かない。

―――酷いことを言ったのに。
―――散々無様な姿を見せて、当たり散らしたのに。

―――それでもこんな自分に救われたと。そう言ってくれるのか。

「まだ私は、お前の先輩でいいのか?なあ、ジェニファー……っ」

 その問いは、本人に投げるにはあまりに卑怯だから。
 物陰に息を潜めていたアシュリーは土に涙を落としながらも、二人がその場を立ち去るまで、胸の奥に生まれた熱い何かをただじっと抑え込んでいるしかなかった。


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