あいりすペドフィリア   作:サッドライプ

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注)詠唱に意味はありません。




豊穣の大地4

 

 パルヴィンの大平原を、鉄の鎧が埋め尽くす。

 

 かたや飛ぶ鳥落とす勢いのグラーゼル帝国の圧倒的な兵数を誇る軍勢。

 かたや姫の号令の下士気軒昂のパルヴィン王国兵。

 

 残念ながら、というべきか―――むしろ士気だけでもなんとか張り合えていることを幸いと見るべきか。

 戦勝を重ね帝国兵達も士気は高いし、実戦経験を積んだ兵が多く練度もあちらが上。

 

「そこは軍師の腕の見せ所。事前の打ち合わせ通りによろしく!」

「ここが祖国の存亡を懸けた大一番ですわ。このルージェニア、皆様の奮戦を期待します!」

 

 王女姉妹が強張った表情をなんとか繕いながら、戦況を把握できるよう小高い丘の上に張られた本陣から号令を掛ける。

 内心で、事前に巡らせていた策略が上手くはまってくれることを必死で祈りながら。

 

 

 さて、軍と軍のぶつかり合いに知略が絡む要素があるとすれば、いかに敵に遊兵を作らせるかにかかっている。

 極論、兵隊達がぶつかり合ったとして、二人がかりで一人に襲い掛かれば一人の側が為す術なく殺される場合が殆ど……つまりいかに味方を二人の側に立ち回らせ、敵を一人の側へ誘い込むかが鍵である。

 一人で三人も四人も斬れるような精兵を優れた将が率いるならばまた話は別なのだが、パルヴィン側が練度に劣る以上なおさら軍師の知略が求められるところ。

 

 陣形、奇襲、騎馬による撹乱―――およそ兵道に語られる代表的なこれらの策は、結局のところ如何に多くの敵と戦わずに自軍戦力を有効な位置に投入できるかという視点で構築されているものだ。

 今回プリシラが採った策は、地の利を生かした火計。

 

(工兵は無事、動けているようだな……)

 

 アイリスとしては一人本陣に待機するジェニファーの眼下で、突撃してくる雲霞のごとき帝国兵の進路上で一斉に炎の壁が噴き上がる。

 燃料は収穫直後で大量に排出された藁。この時期この平原を一定の方向に吹き抜ける乾燥した風を利用し、風下の帝国兵達の多くを熱で炙って足止めする。

 

 一般的な火計と違い敵や敵の物資を焼失させることはできないが、兵が盛大に炎上している藁束を突破することもできないため、相手はこの文字通りのファイアウォールを避けて進軍しなくてはならない。

 他にも落とし穴などの罠や河川などの地形を生かして敵の進撃ルートを限定することで、用意された狭い道に現れた敵の最前衛を自軍で袋叩きにする。

 

 敵の兵数が十倍だろうが、二対一を二十回やれば勝てる。残り十九には徹底的に遊兵と化してもらう。

 これが軍師王女プリシラが立てたこの会戦の基本戦略だった。

 本来は籠城戦でやるべき策なのだが、逗留した農村を見捨てることになる兵の士気への影響を憂慮したことと、そもそも圧倒的兵数相手にそれが行えるような高度な防衛拠点が王都くらいしかない事情により野戦で実行するという博打を打っている。

 

 懸念点は二つ。

 

 一つは、火付け役として選ばれたのはこの地を知り尽くした現地徴用の農民兵であったこと。

 正規の訓練を受けていないだけに本番できちんと動けるかは不安だったが、ここで王国が敗北すれば蹂躙されるのは真っ先に自分の村という危機感、そしてクレア達アイリスがそれぞれフォローに入ったことで無事役目を達成することができたらしい。

 

 いつもの黒衣に着替え直し、“水晶”も持ち込んで予備の武具と一緒に箱に立て掛けている―――誰も気にしている余裕がなかったのか、武器にも格好にも、そもそも何で幼女がまだこんなところにいると指摘されることもなかった―――ジェニファーは、とりあえず第一関門は突破できたことに深く息を吐く。

 

 だが、もう一つの懸念点がある。

 それは、果たして戦局が決するまで火が燃え続けてくれるかということ。

 燃料となる藁や木材は冬の備えまで吐き出す勢いでパルヴィンの兵と民がありったけをかき集めたが、それが尽きるまでに帝国兵の数を十分に減らせなければ、遊兵は正面戦力へ姿を変えて多数の有利で磨り潰しに掛かってくるだろう。

 まして燃料だけの心配ではない。プリシラの策以上に有効な手立ては考えつかず、ノイズにしかならないと判断して伝えてはいない情報ではあるが、帝国には………。

 

 

「王女殿下!火の壁の一角が、急に消滅しました………!」

「嘘っ!?こんな戦場で、あれだけ燃えてた火を消せるだけの水を、この短時間に用意できる筈が………!

 くっ。伝令急いで!このままだと前線が横殴りを喰らって崩壊する!」

(やはり“居る”、か――)

 

 

 一瞬茫然としていたが、すぐに持ち直して矢継ぎ早に指示を出すプリシラ。

 だが順調に行っていた筈の当初の予定が崩れたのが影響してか、王国軍は混乱の中じわじわと浸蝕されるかのように分断されていく。

 

 なんとか陣形を組み替えて連携を保つプリシラだったが、相応に無理をした動きだったのを突いて、前線を無視して回り込みつつ本陣に攻め込もうとする敵兵の動きが生まれる。

 元々の兵数の違いのせいで、それは戦力分散というよりは王国軍全体を半包囲するような形になりかけていた。

 

 それでもまだまだぶつかっている兵の数としては同数。王国兵達も互角に善戦しているが―――“互角”ではまずいのだ。この戦場に、帝国の圧倒的な余剰戦力が在る限り。

 それを証明するように、時間が経過するにつれ疲弊し討たれていく王国兵と対照的に次々と増援が投入されていく帝国軍の勢いが止まらない。穴の空いた堤防が、ほどなく決壊に追い込まれるかのように。

 

 プリシラもなんとか食い止めようと頭脳を目まぐるしく回転させるが、そも一度正面決戦にもつれ込めば軍師の差配できる領域はそう多くない。

 そのことは早い段階で頭の良い彼女自身も認識していた。

 

 だからこそ―――。

 

「お姉様。もしもの時は、ボクが殿(しんがり)をするから、お姉様だけでも逃げ延びて」

「プリシラ、そのおねだりはさすがに聞けませんわ」

「おねだり……?ふざけてないで聞いてっ!お姉様さえ無事なら、希望は残るの。そうだ、その世界樹の種子があるのなら、《アイリス》の仲間にだって……!」

 

 

「聞けませんと言ってるでしょう、この分からんちん!」

 

「は、え……?」

 

 

 最悪を想定したプリシラの発言に、ルージェニアは全く聞く耳を持っていなかった。

 それが個人的な感傷によるものならば、王女の責務を説いて、仮にパルヴィンがこの戦争で滅びてもいつか再興ができるように生き延びる必要があるのだと梃子でも動くつもりはない妹姫だったが、尊敬する姉の表情はどう見てもそういう悲壮なものではなかった。

 

 それどころかその青い瞳には未だ希望を宿し、視線を向ける先は―――幼女。

 

 

「昨日の約束、お願いできるかしら?」

「――――是非もなし」

 

 

 眼帯と共にこれまで被っていた愛嬌たっぷりの仮面を外し、ルージェニアの依頼を受けたジェニファーは“水晶”を左手で振り上げて肩に担ぐ。

 

「え、ジェニファー…?力つよっ、っていうか何を!?」

「草刈り。……子供でも出来ることをしに行くだけですの」

「ええ、行ってらっしゃい」

 

 大刀を片手で軽々と扱う幼女に目を白黒させるプリシラを置いて、にこやかに手を振る太陽姫に背中越しで右手を上げ答えたオッドアイ幼女。

 そしてその右手に―――黒い靄が纏わりつき、もう一振りの大刀がその姿を現す。

 

(なあジェーン。そろそろいいんじゃないか?自分の為じゃない、誰かの為にこの力を使うのも)

【………】

(ここでパルヴィンが敗ければまたルージェニアが泣く。そして略奪される民衆たち―――またあの光景が繰り返される)

【―――、それは、だめッ!!】

(………ならば征くぞ、我が半身)

 

 ジェーンの心の傷を引き合いに出すことを申し訳なく思いながらも、己の半身の成長を信じて更なる力を引き出そうとするジェニファー。果たして正統なる冥王の巫女は、半身の信頼に応えてその憎悪を預け委ねた。

 

 故に、黒い靄は大刀を顕現させるのみに止(とど)まらない。

 

 

「【我、冥戒十三騎士が終の一騎、『黒の剣巫』が名の下に―――】」

 

 

 本陣を抜け、王女直衛の兵士達に呼び止められる暇もなく矢の様に駆け出した銀髪幼女の“黒”が、触れるだけで斬り刻まれそうな禍々しい形状にその刃を変形させる。

 

 

「【五臓六腑を穢れで充たし、冥府の闇を血に注ぐ者。

 而して千(アマタ)の死を以てして、万(ヨロズ)の命を砕く者】」

 

 

 変形は刃だけではない。柄が膨張しながらぐずぐずに溶けてジェニファーの右手と一体化する。

 そのまま彼女の神経を浸蝕し、どす黒い脈線が腕から肩、右頬にまで伸びてその白い肌に痛々しく走る。

 

 

「【朽ち錆びよ鉄鎖。駆ける一陣、怨讐の風】」

 

 

 大の男でも泣き叫び悶えるような激痛が浸蝕された箇所を襲うが、墓守時代に慣れたものだ。

 表情一つ変えることなく、むしろジェーンと共に正の方向へ向かって戦える喜悦に唇を歪ませながら、黒衣の幼女は王国兵達の間を縫って疾走する。

 

 

「深淵装血【ブラッディエンチャント・アビス】

―――“殲獄の”…、“黄泉比良坂”ァァァッッ!!!」

 

 

 それはアイリスがアシュリーとクリスしかいなかった頃に、冥王一行が相対した異形の姿。違いがあるとすれば、右眼が虹色のまま輝きを保っていること。

 そんな異様な童女が両軍ぶつかり合う戦場に舞い降りるが、殺し合いの狂気の中で彼女に注意を向ける者は居ない。―――居たとして、果たしてその動きを目で追えたかは大いに疑問であったが。

 

「“黒キ輝電【アビスサンダー】”――――“裂けろ【バースト】”」

 

 黒外套が翻り、黒い電光を帯びた幼女の矮躯が雷速に霞む。

 何の前触れもなく帝国兵の腕が、首が、胴が宙を舞うようにしか傍目には見えない。

 

 あまりに自然過ぎて、斬られた帝国兵と相対している王国兵が両者とも幾合かそのまま斬り合いを続けようとして、倒れ伏す帝国兵達の異様さにようやく異変に気付いた程。

 

「“黒キ凍汽【アビスフリズド】”――――“睡れ【バースト】”」

 

 王国兵達を助けたジェニファーは、加速が解けてもなおそのまま敵兵の間を駆け抜けながら、“水晶”の刀身に纏った黒い冷気を撒き散らかす。

 

 直接刃に触れた敵は勿論、その冷気を僅かに吸い込んだ者すらも傷の多寡に拘らずぱたぱたと斃れていく。非致死性の冷凍催眠で済ます理由もなく、その死に顔は最後まで寒気に凍り付いた苦悶の表情だった。

 

 

「“黒キ灼焔【アビスブレイズ】”――――“崩れよ【バースト】”!!」

 

 

 そのまま敵陣を深く、深く。消火された炎の壁の隙間を抜けてきた敵兵の流れを縦に裂くように、目の前の敵全てを斬り捨てながら走る。

 友軍が巻き込まれない場所で冷気を炎に切り替え、鎧や地面にすら燃え移る黒い火炎で意趣返しとばかりに焼き払いながら。

 

 バラバラ死体、凍死体、焼死体、失血死体。

 もはや魔剣(エンチャント)に頼る必要すらなく、黒い靄でその威力を十二分以上に再現して。

 幼女の通り道に折り連なるは屍達と、豊穣の大地をどす黒く染める血の川。

 

 その生産が一瞬でも止まったのは、跳躍したジェニファーの着地点にちょうど手頃な獲物がいない空白地帯だったから。

 

「ひぃ……なんなんだよ、何なんだよこのガキ!!?」

「銀髪、鬼姫……!!こいつが!?」

 

 訳も分からないまま同朋を虐殺された帝国兵達が戦慄と恐慌も露わに、それでも聖樹教会最悪の賞金首を取り囲んで武器を構える。

 己を取り巻く白刃達は、しかし両の手に構える黒炎を纏った“水晶”と“黒”に比べなんと脆く映ることか。

 

 凶悪な笑みを浮かべたまま、黒衣の幼女は猛る。

 

「刈らせてもらうぞ、雑草共。

―――汝ら輪廻断たれし惨めな魂となり果て、この殲獄(ウツシヨ)を永劫彷徨うがいい!!」

 

 

 

 ジェニファーが戦場に作り上げた“屍と血の川”。それを己の望んだ結果として真剣な顔で目に焼き付けるルージェニア。

 それと対照的に、プリシラは先程までただ愛くるしいマスコットのように思っていた幼女の凶行に、驚き嘆き怒り唖然としもはやどんな顔をしていいかも分からないと言わんばかりの表情でただ震えるだけ。

 

「ねえお姉様、“これ”、知ってたの?」

「ええ。ここまでとは、思っていませんでしたけれど」

 

 どういう感情を表に出せばいいのか分からないながらも―――明晰なプリシラの頭脳は、本陣を去り際のジェニファーの詠唱に、その可能性を思い当たってしまった。

 願わくばそんなことはないと言って欲しいと、無益な望みを姉に託しながらそれを口にする。

 

 

「ジェニファー、自分のこと『冥界十三騎士』って言ってたよね?

 冥界には、あんなのがあと十二人も居るの………ッ!!?」

 

 

 





注)居ません。

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