大地を覆う戦死者の血を洗い流すかのように、水飛沫が舞い散る。
無尽蔵に襲い来る水流の魔の手から、異形の幼女がその俊足を以て逃れ続けていた。
思い通りに行かずに焦れた表情になってきた天使と裏腹に、冷静沈着な光を宿した左の紅眼はその動きに思惑があることを示唆している。
「このッ、さっさと、呑まれろぉっ!!」
「……来たッ!」
ジェニファーが狙っていたのは、幾重にも分岐した水流のうち最も太い筋が、空中に昇ったリディアとを結ぶ対角線上に在る瞬間。
基本的に水が供給されるのは彼女の周囲からなのだから、回避に徹しながらでも狙うことの出来る状況なのは当然のこと。
「黒キ凍汽【アビスフリズド】―――ッ!」
黒い靄で再現した魔の冷気によって水流を長い長い氷の道に変え、幼女がその上を疾走する。
自重に耐え切れず氷の道は容易く崩壊するが、伝うジェニファーがリディアの下に辿り着くまでの方が早い。
そして、水を操るのに戦槌の能力を割り振っているリディアと、そうでなくとも真っ向から圧倒できる今のジェニファーならば、たったの一合で狙った結果をもぎ取るのに不可解なことは何もない。
「このっ、近寄るな……!」
「安心しろ。一瞬だけ“遠ざけて”やる」
時計回りにフルスイングされた戦槌をひらりと避け、飛翔する天使の更に上方を取った幼女がその金髪の脳天に―――踵落としを叩き込む。
重い大刀を用いなかったのは体勢の都合と攻撃速度を優先しただけのこと。ただしその小さな足にどれ程の脚力が秘められているかは今更語ることでもないだろう。
天使が、墜ちる。墜ちて自分の撒き散らしてきた水によって泥になった地面に突っ込み、その神々しさを茶褐色に塗れさせる。
「くくっ。頑丈頑丈」
「~~~許さないッ!!」
頭蓋骨どころか城壁すら砕けるような威力の蹴りを受けて地に叩きつけられながらも、側頭部の出血でツインテールの片方がぐちゃぐちゃになっているくらいで、元気に起き上がって睨み付けてくる天使(ヒトナラザルバケモノ)。
一拍遅れて舞い降りて来たジェニファーの二刀とかち上げた戦槌が再び激突し、単純な幼女の軽さ故に今度は二刀が弾き飛ばされる―――とは、ならなかった。
黒衣の巫女が右半身に纏う黒い靄が収束し、その斬撃に生半可ではない加重を与える。
水の天使もまた泥を弾き飛ばす勢いで白翼を輝かせ、それに真っ向から対抗する。
「無様だな天使サマ。あははははははははッッッ――――!!!」
「調子に乗るなああぁぁぁぁっっ―――――!!」
「うわっ!?」
「っ……神話の戦いを見てるのか、俺たちは……?」
「ジェニファー、行ッけえぇぇぇーーー!!」
轟、と激突の余波で衝撃波が周囲に伝わり、アシュリーが押し止めていた帝国兵達が次々と腰を抜かす。
戦場において集中力は切らさないながらも、足に力を込めて踏ん張る紫髪の女騎士は、声援を張り上げた。
黒と白の競り合い。その中に均衡が生まれ、邪気と聖気が唸り乱れて戦場の空気すらも異界に塗り替える。
その中で、オッドアイ幼女は一つだけ問うた。
「それで、天使が人間に紛れ込んで……種子を集め、帝国を操って何を企む!!?」
「ふん。ゴミに教えることなんて何一つない、わよッ!!」
「よく言う。―――人類絶滅だろ?ありきたり過ぎて欠伸が出る動機だな」
「なっ……!?」
勝ち誇って慢心している状況ならぺらぺら話したかも知れない事情を、しかしぶち撒ける前から言い当てられて意識を乱したリディアが均衡を崩す。
互いの衝突の中凝縮されていたエネルギーが全て彼女の体に逆流し、負荷に堪えられなかったのか全身至る所が裂けて鮮血を撒き散らしながら吹き飛ばされた。
「うあああぁぁぁ~~~~ッ!!??」
「……そういえば天使の流す血も赤いんだな」
「ジェニファー!どういうことだ?天使が、人類絶滅を企む……!?」
すたっ、と今までが嘘のように軽い着地音を立てて地上に復帰したジェニファーに、アシュリーが驚きも露わに問う。
ジェニファーはそれに対してつまらなさそうに―――それでも“周囲の帝国兵達に聞こえるように”答えた。
「どういうも何も。親切面した超常存在が人間の争いに介入してやることなんて大抵パターンだ。
人間の根絶か、家畜化か、人の生き死にを餌にしてエネルギーを生み出し利用するか、あるいはただ単純に愉悦の為か」
そこに血塗られた侵略主義に走った帝国の動き、リディアの人を見下しきった態度と『気色悪い、見てて不快』という言葉から推察すれば選択肢は相当絞られる、と。
神の依怙贔屓と身勝手で人間の運命が玩弄される各種神話。
孵卵器と書いてマスコットと読む宇宙生物。
勇者と魔王の宿命を弄ぶ精霊神。
ロウ属性のペ天使。
記憶はなくともそうした創作物の鉄則に慣れ親しんだ転生幼女の感覚からすれば、この世界の天使の思惑など別に驚くようなことでもましてや考え付かないことでもない。
あくまでジェニファーからすれば―――だが。
「そんな……!」
「嘘だッ!邪教徒に惑わされるな!!」
「畏れ多くも天使様に向かってなんてことをっ!?」
「………でも、おかしいだろ。人間を見守ってくれる筈の天使が何でこんな殺し合いさせるんだよ」
「何だとッ!?」
「仲間が大勢死んだ……あんな化物のガキに殺されて!でも元々はあの指揮官の、皇帝の命令のせいだろ!?」
「馬鹿かてめえ、その化物の言うことを信じるのか!?」
純粋に衝撃を受けるアシュリー。
信仰心に凝り固まり全く信用しない者―――はむしろ少数派。
正体を偽って指揮官をやっていた天使に半信半疑になる者も多く、その疑念を実際に口に出す者も居た。
俄かに騒然とし始める周囲。もはや敵である筈のジェニファーやアシュリーに襲い掛かることも忘れて混乱し始める帝国部隊。
そして、こうなったらいいなー、と思いつつも本当に都合良く行くとは思わないままぺら回し、今更「戯言ですの☆」とは言い出せないいつも通りの厨二幼女。
このまま場をかき乱して適当に離脱するのでもいいが、あわよくばこの会戦の大義を挫きパルヴィン王国の防衛を決定的な物にできないかと、行き着くところまで行くべくよろよろと戦槌を支えに立ち上がったリディアに水を向けた。
「それで、実際のところどうなのかな?おしえてほしいですのー、て・ん・し・さ・ま?」
「………許さない。許さない許さない許さない許さないッ!!
穢れた地上を醜くはいずり回る人間が、天使に逆らって!?
無節操で無軌道で、秩序ってものを全然理解しないゴミが!大人しく粛清されればいいのにっ!!」
「………くくっ、あはは」
「何が可笑しい―――!!」
「天使さ、ま……?」
「それが貴様らの本音か……!」
いつものロリ声による煽りが効いたのか、単純に沸点が低いのか。
面白いようにジェニファーに都合のいい本音を大声で喚いてくれた天使が滑稽過ぎて、むしろ愛おしいくらいになってしまった。
笑いごとで済ませられるのは邪教の巫女くらいのもので、教典により天上人や天使を信仰している者からすれば茫然とするしかないが。
だがアシュリーが怒っている以上、そして元々つまらないとは腐したが人類根絶なんて許すつもりもないジェニファーは、再び“黒”の切っ先をリディアに向けた。
「で。まだやるか?」
「……~~~~っ、覚えてなさい!?」
「………捨て台詞まで完璧とはな。困った、一発かました分怒りも恨みも湧きにくくなるだろうが」
深手を負ったまま今のジェニファーとやり合うのは分が悪いことは流石に思い当たったのか、戦槌を振って霧を爆発的に発生させるリディア。
それがジェニファーの一振りで断ち割られる僅かな間に、あの翼で飛んで逃げたのだろう。
「すまないアシュリー先輩。逃がした」
「いいさ。許せはしないが、お前の言う通りすかっとはしたからな。
それより、これからどうする?」
未だに周囲を敵兵で囲まれている状況ではあるアイリス二人。
当然やることは決まっている、とばかりに笑うジェニファーに、アシュリーは呆れ混じりの溜息を吐いた。止めもしなかったが。
そして、次々発覚した衝撃の事実に打ちのめされた帝国兵達向けて、悪魔の讒言が響き渡る。
「―――帝国兵諸君。教典によると優しく人を導き見守ってくれる天使サマは、その邪悪な本性を現した挙句諸君を見捨て逃げ帰った!!」
「「「………っ」」」
容赦なく現実を突きつけ、逃避を許さない第一段階。
「信仰はただ虚しく裏切られるだけのものだった。天使に踊らされるまま始められた帝国の侵略もまた然り。
――――貴様らの為した所業になんら正義はなく、故に貴様らの存在もまた、無価値!!」
「ぅ、ぁ………あああああっ!!」
煽り過ぎない程度に人格否定し、心を弱らせる第二段階。
「それでも報われぬ信仰に馬鹿の一つ覚えで殉じるのもいいだろう。あくまで帝国に忠誠を誓い戦い続けるならば、この剣を以てその無価値に終焉をくれてやってもいい。
だが!!無価値な生故に、貴様らの死にも価値は無いと知れッ!!」
人格否定を重ねつつ、一つの選択肢を提示しながらも選ぶことが馬鹿らしいと思わせて潰し、より消去法的思考で望む方向に誘導しやすくさせる第三段階。
どう誘導するのか?そんなものは決まっていた。
「―――それでも、その無価値な命に縋っていたいなら、それもまた良し。
諸君らの命は、天上人に利用されるために与えられたものではない。
諸君らの生は、皇帝の財産として使い潰されるためのものではない。
武器を捨てよ!無用な争いに、その命を投げ捨てる気がないのなら投降せよ!!
この『黒の剣巫』ジェニファー=ドゥーエが、ルージェニア・ハディク・ド・パルヴィン王女殿下の名の下に、諸君らの命を保証する………!!」
最終段階。黒い靄を解除しながら愛らしい幼女に戻り、今更聖女面。しかも王女の名前を勝手に利用。
突き放してからの優しい言葉で絡め取る手口は、まるで離婚されないギリギリを見極めるDV夫のよう。
だが、それでも今の帝国兵達には甘い蜜に映ったのか。
あるいは、幼女の戯言を超えて戦い続ける気力が湧かなかったのか。
誰かが剣を取り落し、それを皮切りに次々と兵士達が武装を投げ捨てて膝を突く。
彼らの表情に覇気はなく、ただ虚しさのみが支配し、ジェニファーとリディアの声が聞こえないほど遠くにいた兵士達にまでそれが蔓延して戦闘が止まっていく。
「―――成った、か。正直賭けでもあったが……」
「お前がアイリスで良かったよ、本当に…。お疲れ様、ジェニファー」
斯くして圧倒的兵数を誇った筈の帝国軍の侵略部隊は、まさかのパルヴィン王国への投降という形で幕を閉じる。
滅びると思われていた下馬評を引っ繰り返した王国の奮闘は周辺諸国の反帝国の機運を一層高め。
また、ただの賞金首の仇名に過ぎなかった『銀髪鬼姫』が、正体が幼女であるという実像と合わせて『黒の剣巫』として周辺諸国に名が知れる切っ掛けとなるのであった。
第三章、とりあえず完。
あ、プリシラはちゃんと種子宿してアイリス入りするのでその辺含めて次回幕間です。
ジェニファーみたいなのがあと十二人も居る修羅の世界である(勘違い)冥界におっかなびっくり着いていくプリシラの見たものとは―――?
ていうかこの幼女ほんとタチ悪いんですが。
その気になれば全滅させるまで無双ゲーできるくせにぺら回しで状況を終わらせるあたりが。
…………でもナレーション抜けばそこそこ英雄ムーブだったりする?