あいりすペドフィリア   作:サッドライプ

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緑の家族たち4

 

「右眼が疼く―――」

 

 空気が不味い。生ごみを限界まで腐らせて化学薬品にぶち込んだような汚臭がオッドアイ幼女の肺腑を汚す。

 そこらの木の葉や草の緑が毒々しく視界を遮り、その右眼の虹色は呼応するようにして仄かに光り輝いていた。

 

 アイリス達がエルフィンの聖域を進む中、不快そのものといった風情で表情を歪めるジェニファーに同意するように、背負った斧をいつでも振るえるように手を柄に添わせたソフィが真剣な顔で呻く。

 

「おそらくジェニファー様ほどではありませんが、私も感じます。この先におそらく、途轍もなくおぞましい何かがある」

「………私も同意見です。皆さん、気を引き締めてください」

 

 世界樹の種子の探索にその感知能力が欠かせないユーが僅かな沈黙を挟んで同意したことで、アイリス達は軽口を叩くこともなく精神を切り替えて聖域の中心へと向かっていた。

 深部へ向かうに連れ、面々の誰もが実感できるほどに森に充満した黒い瘴気。その不吉な禍々しい黒は魔物の発生源と即断してしまって構わないであろうほどにおぞましく―――しかし、アイリス達にとってはある意味見慣れたものでもあった。

 

「これって、ジェニファーの……?」

「ジェニファー様、右手の黒い剣がっ!?」

 

 コトが代表して疑問を小さく呟くと同時に、セシルが驚きの声を上げる。

 それにつられて皆がジェニファーの方を振り向くと、彼女の握る“黒”がその形状を鋭く凶悪な刃へと変えているのが目に入った。

 

「っ、“共鳴”したか……!」

 大丈夫、ジェニファー?

「問題ない。流石にこの場に聖樹教会絡みの何かがあれば危うかったかも知れんがな」

 

 この場に『銀髪鬼姫』の異形化状態を間近で見たことがあるのは冥王とユーのみ。その瘴気が微かに漏れ出た雰囲気を感じて冥王が真剣な表情で気遣った。

 

 

「ごめんジェニファー、今まで敢えて避けてたんだけど、必要な情報かも知れないから訊くね。その黒いの――っていうかここらに蔓延してる嫌なモノ、一体なんなの?」

「……“力”だ。そして“嫌なモノ”でもある。我が半身が抱いた無力感、罪悪感、絶望。そして肉親と一族を凌辱と略奪の上惨殺した仇である聖樹教会への殺意、悪意、憎悪。

 それに呼応するようにして、この闇の力は湧き上がっている」

「「「………っ」」」

 

 ラディスの問いかけに、邪教の巫女は言葉に躊躇いながらも素直に答えた。

 それに対して薄々と最年少アイリスの悲惨な過去を察していた者もそうでない者も、皆一様に言葉が見つからずに顔を伏せる。

 

 だが、この場で必要なのは愁嘆場でも同情合戦でもない。そう言わんばかりに淡々と歩みを止めないまま分析した限りを話すジェニファー。

 

「この闇の力そのものには悪意は無い。だが、自己保存と自己増殖……生命の本能のような何かを感じる。先ほど言ったような強烈な負の感情、それに同調し、共鳴し―――浸蝕して仲間を増やす。否、“同化”する」

「そんな!?それだったらジェニファーさんは、いえ、ジェーンさんは……っ」

「我が半身は、我が護る。易々と闇に呑ませたりはしない。

 だが、そうだな。そこらの動物がこの濃度の闇の力に触れれば、魔物にでもなるかもな?」

 

 相変わらず仮定形で仮説を投げるだけ投げる悪癖を披露しながらも、この森での魔物の大量発生原因を言い当てつつ、確かに仲間を案じて忠告することには。

 

 

「冥王、世界樹の精霊、《種子を持つ者(シーダー)》。この闇の力にどこまで抗することが出来るかは未知数だが、言えることは一つ。

 己を見失うな。たとえ何を失くしたとしても、魂だけは己のものだ」

 

 

「――――くすくす。なるほど、結論は気に入りませんが、なかなか的確な分析です。

 それに関して一つ提案が。私はこの闇の力に《深淵》と名付けました。次からはどうぞそのように呼んでくださいね?」

 

 

 話しながらも聖域の中心――世界樹に続く道である聖扉に辿り着いた一行を待ち受けていたのは、一人のドワリンだった。

 意匠を凝らした上品なワンピースに、先端が二股に分かれたとんがり帽子、艶めいた長髪、病的に透けた肌、その全てが黒白のコントラスト。濃密な瘴気―――《深淵》の向こうに輝く金の瞳はどこか不吉な黒猫を思わせる。

 

 彼女の姿は、ここに居る面々の内三人は映像越しに覚えがあった。

 そして一人は、共に暮らし毎日―――。

 

「ナジャ……ナジャ!?あんたなんでこんなとこに居るの?あんたがいなくなったって魔術塔は大騒ぎ―――痛っ!!?」

「悪いが再会の喜びを分かち合う心境ではなさそうだな、向こうは」

「いえいえ、嬉しいですよ?久々にラディスのその間抜け顔を拝めたことは、素直にね?」

「………ナジャ?」

 

 咄嗟に駆け寄ろうとした金髪の魔術師を、これまた咄嗟にジェニファーが肩を強く掴んで引き寄せる。

 一瞬後に、そのままであればラディスの頭部があったと思われる位置の空間が歪み空気が破裂する音が響いた。

 

 何が―――その聡明さを発揮することもできずに茫然と師匠の名前を呟くラディスを庇いつつ、《深淵》使いの幼女は同類と思しき外見幼女に問いかける。

 

「無駄と分かっているが一応聞こうか。……貴様、正気を保っているか?」

「正気。正気?ふふ、あはは!何を言っているのですか、私はこの上なく正気ですよ?」

 

「私でも判ります―――こいつは、正気じゃない」

「「「同感(です)」」」

 

 ティセの警戒心が滲み出るセリフに全員が同調する。

 それに心外と言わんばかりに、見下した表情で嘲笑を浮かべながらナジャは語る。

 

「愚かな者達。自分の理解は及ばないモノを異端と排斥し、見ないふりをする。

 《深淵》もそう。これは私達のすぐそばに、いつだってそこにあるというのに、誰も気付かない。見向きもしない。

 だから私は一人の真理の探究者として、矮小な人々に啓蒙を授けるという崇高な使命を帯びているのです!」

 

「………分かりやすく闇に呑まれているな。それを言わせているのが《深淵》なのか自分の意思なのかも理解できていないのだろうよ」

「ナジャ、あんた変わったよ。以前なら、あたしの村を救ってくれた時だって……どんな馬鹿相手にも見下すことなく、対等に向かい合って一緒に真理を探してた。自分がどれだけ優れた知識を持ってても、それを理由に誰かの上に立ったなんて思い上がり、絶対にしなかった。それが浸蝕されて同化された結果ってか。

 我執に呑まれるなとか言っといて、当のあんたはそのザマかッ!?」

 

 世界樹に続くとされる道、その扉に設置された歪んだ幾何学紋様。そこに濃縮され集められた《深淵》の密度は世界すらをも浸蝕するのではと危機感を覚える程度には濃い。

 既にエルフィンの森の魔物被害が深刻なことも含め、これをやっているのがナジャでないとも、その目的が善なる理由だとも、そう信じられる程の能天気はここにはいない。

 

 ようやく理解が追いついた結果、師匠への信頼がそのまま失望に転換され、激情のままに糾弾する弟子の声にも、邪悪に堕ちた魔導士は一切動じることはなかった。

 

「おや、その言葉が出るということは、私の部屋に残してきた試練は突破できたようですね?成長しましたね、ラディス」

「「………、……」」

「……ふっ。で、貴様の目的はなんだ?啓蒙とやらの為に、世界樹を深淵で汚染しようとでも?」

 

 幼女は不敵な笑みで誤魔化して話題を変えた。

 

 露骨な話題転換だったが、聞き逃していい内容ではないのは確か。

 わざわざ人間界で世界樹に最も近い場所での企みということで、容易く推測できる類の目的ではあったが―――。

 

「汚染だなんて人聞きの悪い。世界をあるべき姿に……全ての魂の輪廻に深淵を。もっと深く、もっと強く。この真理に気づかぬふりなどもはやできない程に、ね」

「それはそれは。さぞ不気味で醜悪な世界になりそうだ」

「私から言わせれば《深淵》から目を背けた今の世界の方が不気味で醜悪です。それに、あなたが言うのですか?殆ど深淵に浸かり切った無垢な魂を内に抱えているあなたが」

「………」

「他には、……そう」

 

 意味深な笑みと共に冥王、ユーと視線を移して行き、最後にソフィに目を止めるといやらしい口元をさらに歪めた。

 そしてナジャが指を差すと、ソフィ目掛けて闇の奔流が収束していく。

 

「――――、いやああああぁっっ!!?」

「ソフィ様!?」「フィーッ!!」

 

「ダークエルフィンの魂なんて、すっごく深淵に染まりやすい。

 ねえ、憎いでしょう?あなたを穢れたモノとして森を排斥し、放浪の旅に追いやった元同族が。この森が!深淵はあなたの苦しみを理解し、包み込んでくれる。

――――さあ、その魂を沈めましょう?深淵は至上の安寧を約束してくれます」

 

 森の不可触民を包み込む繭のように、絡みつく瘴気。

 その褐色の肌を舐めるように漆黒の闇が纏わり、彼女の肉体を、心を、魂を侵していく。

 

「うぁ、く……っ!!」

 ソフィ、聞くな。ジェニファーが言っていただろう、己を強く持てって!

「フィー。確かに私はあなたの苦しみをちゃんと理解してあげられなかったかも知れない。でも、それでも闇に負けないで欲しい。一緒に森を守ろうとか、いきなりどこかに旅立ったとか、もういいの。貴女が無事でいてくれるなら、元気でさえいてくれるなら、それだけでいい。どれだけふらふらしてても、心配かけさせても……だから負けないで!!」

「ソフィ様、がんばって」「負けるなー!!」

 

 冥王が、ティセが、そしてセシルやユーも必死にソフィに声を掛けていく。

 だが闇は執拗にソフィに迫り、そして暴走ジェーンと同じように肌にどす黒い脈線が走っていく。

 

「「―――っ」」

 

 万が一の時に穢れ役をする覚悟を、コトとベアトリーチェが決めてそっと刀に手を掛ける中。

 その光景に高みの見物を決め込むナジャが、嘲りの言葉を投げかける。

 

「感動的ですね。でも無意味です。誰かが誰かの苦しみを真に理解することなど出来はしない。

 所詮人は、他人を傷つけることしか知らない生き物なのですから!!」

 

 

「――――それが貴様の心の闇か?」

 

「何?」

 

 

「傷つけ傷つけられて、もういいと人を見限ったか?

 闇ばかりに目を奪われ、光から目を逸らす自分を誤魔化して。

 深淵がどこにでもあるというなら―――同じように希望もそこら中に転がっているだろうに」

「……戯言ですね。子供らしい綺麗言」

 

 アイリス達の意識がソフィに集中する中で、ジェニファーだけはナジャに言葉を投げる。

 いつも通り、なんとなくかっこよさそうな言葉で分かった風な台詞をそれっぽく言っているだけの戯言を。

 

 ラディスと違い、ナジャにとって初対面の赤の他人の自分の言葉が届くなんて思ってはいない。彼女に刺さる言葉なのかそうでないのかもどうでもいい。

 ただ――信頼していた師匠の変貌に傷付いただろうラディスに代わり、何かを言わなければ気が済まなかったのと。

 

 

「ああ、戯言だ。でも綺麗事だからこそ、叶って欲しいと願えるし―――、」

 

 

「エンチャント……アビスーーッッ!!!」

 

 

「な…ッ!!?」

 

「――――叶った時は、最高に嬉しいんだ」

 

 

 アイリスになる前ならいざ知らず、今のソフィが深淵に負けることなどないと、信じていたから。

 

 大地裂く牙。木々を根こそぎ粉砕し走った闇の斬閃。

 それは確かにダークエルフィンを排斥した者達の聖域の森に、無残な破壊の爪痕を刻むが―――同時にナジャの設置した魔法陣を露とし、一帯に漂う瘴気ごと吹き散らした。

 その起点たる一角で、汗だくのソフィが黒い残滓を残す斧を振り下ろした体勢で膝を突き、荒い息を切らしている。

 

「―――ふ、っつ……ジェニファー様の真似っこしてみましたけど、やはりきつい、ですね…!」

「当然だ―――が、スカッとしただろう?」

「それはもう、うふふ」

「ソフィさんその爽やかな笑顔が怖いです」

「でも良かった。本当に焦った―――」

 

 アイリス達がそれぞれ安堵に相好を緩める中、唖然とした様子でナジャが呻く。

 

「馬鹿な……何故…」

「おあいにくですが、私の夢は、私と、私のかけがえのない仲間達とで見ると決めました。

 深淵だかなんだか知りませんが、差し上げる魂など一片たりとも存在しないのですよ」

 

 今の一撃で実は精魂使い切ったソフィが、それでもやせ我慢の笑顔で勝ち誇る。

 その前を通り過ぎながら、あとは任せろと言わんばかりにアイリス達が散開し、八方からナジャを囲んだ。

 

「さて、……次はあんただ、ナジャ。いっぺんぼこぼこにして、正気に戻す方法もきっと探してやる」

「お優しいラディス。ですが魔法陣が破壊された今、もう私があなた達に付き合う理由はありません。

 あーあ、あと少しだったのに」

「――、待てっ!!」

 

 さっと腕の一振りで《深淵》がナジャの体を包み、そして森の景色に霞んでいく。

 あまりに素早く発動した転移魔法で逃げに徹されて、それを妨害することすら能わなかった。

 

 ぎちりと歯を鳴らしながら、ラディスがナジャの消えた景色を睨み付ける。

 

「……弟子のよしみだ。絶対にあたしが、あんたを止める……!」

 

 その誓いは、静謐を取り戻した森の木々の奥へと消えていくのだった。

 

 

 





 はい、第5章完。

白狼「きゅーん……(出番……)」

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