土日しか執筆時間が取れにゅ。
「あんたにこれ言うの、ほんとダメだってのは重々分かってるつもり。
―――そこを押してお願い、ジェニファー。その《深淵》の力、研究させて」
エルフィンの森での冒険を終え、冥界に帰り着いたラディスは一言目にそう言ってジェニファーに頭を下げて来た。
今回の冒険でもアイリスとしての種子集めという目標は無事に達成。下手人こそ取り逃がしたもののエルフィンのみでどうにもできなかった異変を解決したアイリス達の活躍を評価し、そして引き続き次期女王であるセシルの面倒を見て成長させてあげて欲しいと授業料代わりに森にあった種子を全て冥王に預けてくれた。
また、その際に女王アナスチガルはダークエルフィンも等しく森の仲間として扱うことを宣言。表向きは異変解決に最も貢献したのは魔法陣を破壊したソフィであるという理由にしていたが、女王自身ダークエルフィンの扱いに納得していた訳ではなかったと直々にソフィに謝罪があった。
ソフィは当然のように笑って許した―――が、いくら女王の声明とはいえエルフィンの差別意識もそれを受けてきたダークエルフィン達の蟠りも容易く姿を消しはしないだろう。“それでも”現在と次代の女王が揃ってダークエルフィン擁護の立場に立つことで、いつかは肌の色の垣根なく全ての森の住人が笑い合える日が来るかも知れないという希望を持てた。
セシルとティセ、そしてソフィ―――あの森を故郷にするアイリス達も、どこか肩の荷が下りたような晴れやかな顔で学園に凱旋できている。
そして、対照的なのが師匠の変貌を目の当たりにしたラディス。
慕っていた師匠が魔物を大量発生させ、世界樹を《深淵》などという不吉な闇の力で染めようとしているなどと聞いて心穏やかで居られる筈もない。
ナジャを見つけ出し、とっ捕まえて正気に戻す―――その為に邪教の巫女の凄惨な過去に触れると認識しながらも、その未知の力を解析するべくジェニファーに協力を依頼した。
一歩も引かぬとばかりの真剣さで頭を下げるラディスにその本気を見て取った銀髪幼女はその要請を承諾。週末は魔術塔のナジャの部屋に手がかりを探しに行きつつ、授業がある日は放課後にジェニファーと学園に籠る日々が始まるのだった。
学園のカリキュラムに魔術の授業が含まれているため、校舎の一角に設けられた工房。
各種触媒や魔力結晶、魔法陣の描かれた羊皮紙などがベアトリーチェの管理で棚に整頓され、また壁に埋め込まれた結界が多少の魔力の暴走程度ならびくともしない程に補強している頑丈な設計の部屋だ。また、隣には同様の設計で試射を行える射撃場も備えられている。
その中で簡易ベッドに腰掛けたオッドアイ幼女が《深淵》を纏った右手で色とりどりの鉱石を握っては置きを繰り返している。
そしてジェニファーが握った後の鉱石を、ゆっくりと回転する魔法陣に乗せては、それらが仄かに輝いたりばらばらに崩れたりするのをメモを取りながら観察するラディス。
「これは何を目的とした実験だ?」
「ん?簡単に言えば、エテルナの指向性と形象崩壊までの臨界値について《深淵》っていう要素がどの程度噛んでくるか比較検証してるの」
「………全く簡単ではない気がするが、要は火や水などの属性魔術が深淵の影響下でどの程度機能するかという話か?」
「それは調べたいことの一つでしかないけど、おーむねそんな感じ?」
いつもは要点を押さえた説明をする彼女らしからず理系がよくやるような専門用語混じりの言葉をなんとかジェニファーが解釈するが、思考に没頭しているのか返って来たのは生返事だった。
手元で朱色の鉱石がくすみながらも光を発する様を検めつつ、独り言を繰り返しながら仮説と反証を繰り返すラディスの様は紛れもなく研究者そのもの。
「複合エレメントほど綻びが速いかっていうとそうでもなさそう。単属性の魔晶石がこんなにぼろぼろ崩れるとか……いや待て、“浸蝕”と“同化”ってそういうこと?そもそも指向性どうこうじゃなくて、エテルナそのものを変質させてんの?でも、ん~~~なんかしっくり来ないっ」
(――――、――暇)
【………(がんばっ)】
授業があった日なので互いに制服姿なのは当然として、ラフにやりたいのかツインテールを解いた金髪をくしゃくしゃとかき回しながら思考も回すラディス。
彼女が完全に熱中しているのは分かるし、邪魔をする気などさらさら無いが、その分手持無沙汰になるのはジェニファーだ。
暇つぶしに脳内彼女、もとい脳内幼女と対話しようとしても未だ《ジェーン》はまともに受け答えできるほど回復できている訳ではない。
小さな拳をぎゅっと握ってエールを送ってくれるイメージはありがたいし可愛らしいが、正直それだけでは眠くなってくる。
口には出さないが―――精神的に疲れるのだ、《深淵》をあまり多用するのも。
共に沈もう。懊悩から解放されよう。一緒に……救われよう。
《深淵》の呼び声は甘く優しい。もう何も考えなくていいんだよ、と静かに包み込もうとしてくる。そこに悪意は感じられない。
(――――五月蠅いんだよ……)
それでも、ジェニファーはもはや苛立ちすら起こらなくなった心でそれら全てをねじ伏せる。“彼”が幼女の肉体に宿って以来、幾度も幾度も繰り返した行為だ。
「深淵がエテルナの変導ベクトルをゼロに戻す作用があるとして、剥がれた術式と魔力は……っ、そっか、つまりそれがジェニファーのエンチャントの―――ジェニファー?」
ちょうど意識が厨二幼女の技に焦点が向いたのもあってか、気だるげな雰囲気に気づいたラディスが不審そうに声を掛ける。
茫洋とした意識の中を叩き起こし、一拍遅れてそれに応えた。
「………どうした、ラディス」
「ジェニファーは、さ。大丈夫だよね?あんたまでナジャみたいにならないよね?」
「そのつもりは無いな」
「信じて……いいんだよね?」
半ば懇願のような問いかけには、押し隠せぬ不安が滲み出ている。
喧嘩別れで飛び出したとはいえ、人格者という意味ではラディスはナジャ以上の相手を知らなかったのだ。
出会いは疫病に蝕まれた寒村。そこに訪れたナジャは玄関ににんにくを吊るすなどの迷信に縋っていたラディス達村人に、井戸を浄化し、病人に接触した者は特に清潔を心掛け、といった正しい感染症への備えを教え施したのがきっかけだ。
あの時のナジャはそれまでの風習にこだわる頑迷な老人達に粘り強く付き合い、心ない言葉を浴びせられても決して一方的に“正しさ”を押し付けようとしなかった。
エルフィンの森の例を引き合いに出すまでもなく、それがどんなに面倒で手間のかかることか。そして結果として疫病が去っても見返りすら求めなかった彼女の在り方にこそ着いて行きたいと思って弟子入りを請うた。
種子を宿したことで舞い上がって彼女の下を離れたが、それでも師匠が彼女でなければもっと傲慢で自分本位な嫌な魔術師になっていたことは間違いない。その場合、旅の最中《アイリス》の勧誘を拒みジェニファーに斬り伏せられる結末もあったのかも知れない。
そんな風に思って感謝もしていた師匠が《深淵》に呑まれたのだ。
………無力感、罪悪感、絶望。殺意、悪意、憎悪。深淵の源がそういう負の感情であるとジェニファーは言った。
聖樹教会が邪教の巫女に対して行った仕打ち。それを直接受けた人格ではないとしても、仲間への悪意には存外敏感なジェニファーが半身とまで呼ぶ相手の憎き仇。
善なる道を信じたいと嘯きながら、人と世界の悪意を見切り冷笑する戯言使い故にこそ、ナジャが堪えられなかったものをジェニファーが堪えられるというのはラディスには確信できなかった。
ナジャに対する美化も入っているのかもしれない、というのは多分に自覚していたが。
そんなラディスに対して、当然ながら安心させる言葉を言えるジェニファーではない。
『心の闇には絶対負けない!』なんて清らかさ全開のセリフが似つかわしくないことなど百も承知。
ただ、自分なりの理由だけは持っていたのでそれを明かすことは出来る。
「―――意地だよ」
「意地?」
「汝の師匠は、あるいは優し過ぎたのかも知れないな。《深淵》そのものに悪意は無いんだよ、起こす結果が『浸蝕と同化(はた迷惑)』というだけで。
こいつらはただ―――寂しいのは嫌だ、って彷徨っているだけだ。だから仲間を作ろうと目星を付けて群がる。“自分と同じモノ”が増えたところで、その孤独が解消されることはないと気づくこともなく、な」
「それじゃナジャは……《深淵》とも正直に向き合おうとしてしまったから?」
「それが全てとは言わんがな」
精一杯好意的な解釈をしてみたが、これが当たっているかはやっぱり戯言(しらない)。
だがラディスへの慰めにはなっただろうか。彼女の反応を待つことなく己の理由を曝け出す。
「記憶がない、過去もない。名と肉体ですら借り物。それが我だ。
なのにこの魂すら明け渡せば―――一体何が残るという」
「………っ!」
何を失っても、魂だけは己のモノ。それは何も持たずにこの残酷な世界に放り出されたジェニファーの、唯一残されたちっぽけなプライド。
それを聞いたラディスの目から―――ふと、涙が一筋零れた。
「何故泣く?」
「分かんない。分かんないけど!」
二人きりの静かな工房で、ラディスの震える声が反響する。
魔術師の中に、焦燥とも衝動ともつかない急き立てる何かが生まれる。
何か言わなければ―――探す言葉は吟味するより早く口を突き。
「ジェニファー、あんたはあたし達と、今を精一杯生きてるだろ……!?
そうやって駆け抜けた今が過去になるんだ。想い出になるんだ。
何も残らないなんて悲しいこと、言わないでよ……ッ!!」
「――――」
「もういい。あんたがいつか闇に呑まれても、ナジャ共々あたしが引き摺り上げてやる。
あんたは勝手に一人で可哀相ぶってろ、ばーか、ばーかッ!!」
そう吐き捨てて、ラディスは実験道具を全て床にぶちまけ工房を走って出て行く。
取り残されたのは、ただ目を見開いてぶつけられた言葉と想いを受け止めるしかできなかったジェニファー。
それがゆっくりと意味を飲み干し――簡易ベッドにごろんと背を倒した。
おもむろに制服の袖で目元を隠しながら、口から零れたのは癇癪を起した仲間への苦言。
「……好き勝手、言ってくれる」
けれど制服の袖は、ゆっくりと温かい何かで濡れていくのだった。
ちょっとシリアス続きだからそろそろネタに走らないと死んじゃう病が……。
まあ次回第六章でみんなのアイドル、スゴイ筋肉の人たち登場だしね。
ふわふわ幼女には何事もなかったかのように一緒にはっちゃけてもらいましょう。