炎強化フィールドを張り、パトリシアと組んで場を火炎地獄に変えるエルフの王族。
それでいいのか緑の民よ。
人間界において、最も繁栄を謳歌している種族は人間である。
文明を築き、糧を己自身で育てる術を編み出し、獣の爪や牙よりも鋭く硬い武具を振るうことで、魔物が野を闊歩するこの世界においてもその勢力圏を維持し続けている。
とはいえ、油断などできよう筈もない。
只人が不用意に人の手の及ばぬ自然の中を出歩けば、その慢心は命という代価を以て支払うこととなるだろう。
そう、只人であるならば。
「―――アシュリー=アルヴァスティ参るッ!!」
「裂かせ、散らせ、枯れ朽ちろ……汚い花だがな」
「よっこいしょ、っと!!」
地を飛び跳ねる軟体生物は人の胴体程の体積と重量があり、その全力の体当たりを喰らえば只人であれば運が悪ければ即死だ。
だが、『白銀の疾風』の異名を負う女騎士が振るう剣はその名に恥じぬ速さで以て繰り出され、避けるべくもない空中に跳ねたところで無残に両断されるだけのこと。
ならば空を己の意思で進むことのできる巨大な蟲はと言えば、その人間の腕ほどもある太さの針を飛ばす凶悪さも相まって只人では逃げることもできないだろう―――が。
眼帯で右目を覆い隠した黒衣の巫女がその俊足で散々に追い立てた挙句、両手持ちにした水晶の大刀で金属質な翅を叩き切る。
そんな幼き巫女の大刀を操る怪力は大したものだが、そもそもの重量という点で彼女を轢ね飛ばしてしまえそうな大猪の前では、只人は腰を抜かして祈るしかないだろう。
その全力突進の鼻っ柱に真正面から戦斧を振り下ろし、頭部を圧壊させながら地に沈めるは剛力無双のダークエルフィン。
その三人が三人とも、ただでさえ常人の枠を超えた戦士が世界樹の種子の力で強化されているために、襲い掛かった魔物が逆に一方的に狩られるのはむしろ当然の成り行きであった。
そんな旅の一幕の話。
「皆さん、お疲れ様でした。お怪我はありませんか?」
「ふん、誰にものを言っている?」
「お前だジェニファー。必要なことだと分かっているし、実力も知ってはいるが……片目を隠してしかも二刀使いが一本を封印して戦う時点で危なっかしくて仕方ないんだぞ」
「ああはいはい、もう何回も聞いたよアシュリー」
「先輩を付けなさい」
「あしゅりーせんぱいっ(きゃるん☆)」
「っ!!?………そ、それでいいんだ。素直なのはいいことだぞ!」
「「「いい(の/んです)か……」」」
戦闘終了後、緊張で張りつめたスイッチを切り替えるのを兼ねたやり取りの中で、明らかにふざけたジェニファーがわざとらしく愛嬌たっぷりに呼びかけると、まんざらでもない緩んだ顔でアシュリーが笑う。
痛々しい厨二の精神が混入しているとはいえ、黙っていれば確かにジェニファーは人形のような整った愛らしさを秘めた顔の造りをしているし、銀髪紅眼、さらに眼帯の下は虹色の瞳という辺りで神秘性もそこはかとなく出ていなくもなくもない。
ただ、外見がどうこうというより、体育会系気質のアシュリーにとって後輩が出来たというのが大きな要因なのだろうが。
クリスは聖樹教会のエリート神官様だし、ソフィは年齢げふんげふん、純粋に舎弟というか舎妹というか、そんな扱いが出来るのは目下ジェニファーだけだ。
ジェニファーも独特の振る舞いとは裏腹に付き合いが良い方で、朝夕はアシュリーと寮舎付近の敷地を走り回ったり剣を合わせる光景が良く見られている。となれば、初めて出来たアイリスの後輩として、それなり以上に可愛がられていた。
「でもアイリスもちょっとずつ人数が増えてきていい感じですね!」
自分やユーが魔物に追っかけ回されることもなくなってきたからねえ……。
「それについては我が身の未熟を恥じるばかりです。しかしジェニファーにソフィが居て、これからはそうそう前衛を抜かせるようなことはありません!」
「む。主上の旗下として、相応の働きをするに吝かではないが……」
しみじみと呟く冥王に、アシュリーが気負う一方、そんな先輩騎士やソフィ、クリスと順に視線を移しながらジェニファーが口籠った。
以前冥王とユーとアシュリーだけで種子集めの旅をしていた頃は、アシュリーが出くわす魔物の群れを斬り伏せる間に、その内の一部の注意を惹きつけながら冥王とユーが必死に逃げ回っていたことも珍しくなかった。
その頃に比べれば、前衛が三人に増えて王を危険に曝す賭けも減ってはいるのだが。
「前衛がナイト、ダークナイト、バーサーカーなのはいいとして―――、」
「ジェニファー様?自覚はあるのですがそう直球に形容されると些か傷付くものが……」
「後衛がクレリック、キング、観葉植物というのがな」
「せめてマスコットって言ってくれませんかジェニファーさん!?」
ソフィとユーの抗議をスルーして、眼帯幼女はからっとした笑みで願望を吐き出す。
「次のアイリスはメイジかアーチャーか。援護射撃をもらえると非常にありがたいな」
「それは、確かに……だが無い物ねだりをしてもしょうがない」
「私も、得意ではないですが攻撃魔法の精度を上げられるか頑張ってみます」
理に適った意見ではあるが、適当に放った戯言であるのはいつも通りのこと。
アシュリーとクリスが現実的な意見を述べてその場は終わりだった。
だった、のだが。
―――という訳で期待の後衛アイリスが来てくれました!
「セシル・ライ―――あわわ、セシルです!よろしくお願いしますっ!」
「あらあらまあまあ」
「来てくれたっていうか成り行きでくっついて来たというか」
フルネームを告げれば結婚しなければならないという「お前美少女で良かったな」な掟を持つハイエルフィンが、冥王相手に一度やらかした事故紹介を繰り返しかけ、ダークエルフィンのソフィが形容しがたい感情をなんとか収めた感じの笑顔を浮かべる。
その後ろで世界樹の精霊が渇ききったジト目を浴びせていた。
今回の旅の目標は使役精霊の淡い光にエメラルドの髪を輝かせている、この小さな姫君に宿る世界樹の種子だったので、彼女がそういう経緯でアイリスに加入したことで余計な戦闘やトラブルにならないことはある意味で救いと言えば救いではあったが。
「冥王様と、こ、婚約…っ。私はどうすれば……!?」
「婚約指輪を渡す代わりに真名を教える、か。なかなか経済的だな」
「ジェニファー、その考え方が割と最低なのは私でも判るぞ………」
冥王を慕う乙女達――約一名はなんか違うが――の心情を考慮に入れなければ、の話ではある。
更に言えば、アイリスの至上命題は種子の回収。
宿っている相手次第では力づくで奪うということも考えなければならず、また探索そのものにも魔物や盗賊との戦闘など危険が伴うことが多い。
戦力にならない者を無理に迎え入れる余裕も、また興味半分の半端な覚悟で付いて来る戯け者を無理に引き立てる余裕も、実働四人という現状では存在しない。
故に、彼女の力量を知る機会がまず設けられたのも当然であった。
整然と丈を揃えて刈り込まれた芝の生えた広場。
普段アシュリーが懸命に鍛錬に励む姿が見られ、またソフィの加入時にも激しい打ち合いを演じたこの場所で、その女騎士と褐色エルフが肩を並べる。
対するは、眼帯巫女と少女神官という相性の悪い二人に加えて新入りの王族エルフ。
これから模擬戦に入るのだが、少しは慣れたとは言えクリスは邪教の巫女の近くでやりにくそうな表情をしているし、セシルはぽややんとした顔を引き締め過ぎて全身ごとガチガチに固まっている。
三対二という数の有利が生かせるかどうか、アシュリー達の方が心配になるくらいだった。
「よ、よよよろしくお願いしま!」
「はいよろしくお願いしま。―――クリス、場合によっては眼帯を外す。一応備えていろ」
「ッ……、はい」
「冥王様冥王様、やっぱり組み合わせ変えたほうがいいんじゃ……」
いや、これでいい。
ジェニファーも眼帯を付けていれば力が制限され、外せば味方のクリスに攻撃する可能性があるという問題を抱えている。
不安そうに眉を顰めるユーをなだめながら、冥王は開始の合図を叫んだ。
「さあ――魅せてやろうか、我が刃の輝きを!」
「来い、ジェニファー!!」
セシルの実力を測ることが目的とはいえ主上の御前試合―――水晶の大刀を構えたジェニファーが揚々と躍り出る。
それを迎え撃つアシュリーも、騎士として主の見ている前で下手を曝す気は全くない。
猛然と突き出された透き通る切っ先を弾き、すぐさま斬り返し、それを潜り抜けた幼女の繊手が鎧を掴もうとするのを全力で飛び退って回避した。
何故―――その体躯に全く見合わぬ馬鹿力で以て、鎧を掴まれたが最後投げ飛ばされて地面に叩きつけられるからだ。
重量のあるフルプレートの鎧を身に着けている分、その衝撃が生半可では済まないことは経験済み。鍛錬とはいえ一度それで苦い敗北を喫した経験により、わざわざ剣戟を示唆する童女の小賢しいブラフに引っ掛からずに反応しきった。
とはいえ、人体の構造上後ろへの跳躍は大して距離を稼げる訳ではない。着地したその先も未だ大刀の間合いの内―――。
「せぇのっ!!」
「……ぐ、このっ…!」
ソフィが眼帯の死角となっている右側から躍り出て、その戦斧を大上段から振り下ろす。
咄嗟に得物で受けながら歯を食いしばる幼女の足元、芝生の地面が堪え切れずにへこむ。
間髪いれずに体勢を立て直したアシュリーが攻めかかってくるのを、ジェニファーは戦斧を受け流しその幅広の刃を間に挟むことで牽制した。
そのまま長柄を掴んでソフィの手から斧を抜き取ろうと手癖の悪さを発揮しようとするが、咄嗟に手元に引き寄せた彼女の反応に潔く諦めて二人から間合いを取る。
「油断も隙もありませんわね」
「えーくれてもいーじゃん。かわいいやしゃごのおねだりだよ?(超ロリ声)」
「だ・れ・が、ひいひいおばあちゃんですか………ッ!!」
「………す、すごい」
「すごい、じゃないです!援護をっ!!」
豪快に重量武器を振り回す戦闘スタイルと裏腹に、ジェニファーの本領は守りの戦いだ。
ぞろぞろと湧いて出る教会騎士達に冥王の祠を破壊されない為に戦い続けたジェニファーにとって、背水の陣で多対一の不利など常のこと。
眼帯でジェーンの闇の力を封じていようと、アシュリーとソフィが二人掛かりで攻めれば容易く陥とせるなどという程甘くはない。
クリスが神聖魔術を飛ばし、負荷の掛かった足首や手首の痛みを癒しながら幼女の身体を活性化させる。
その感触に口元を笑みに変えたジェニファーが駆け出し、その背の小ささとすばしっこさでアシュリーとソフィの連携を乱しながら翻弄する。
その様子を後ろから見て、ようやく為すべきことを思い出したセシルは深呼吸して精神を集中した。
「お願い、《イフリータ》……!!」
ジェニファーの戦いぶりは確かに見事だが、今この場で示すべきは自身の力なのだ。
自分はあんな風に剣で切り結ぶ身体能力はない、森の奥で他人に傅かれて育った世間知らずの箱入り娘だ。
だが、王族たるハイエルフィンとして―――炎の上級精霊と契約した精霊魔術は生半可な威力ではない。
セシルの背丈を優に倍する炎が象る巨人。それが繰り出す火炎放射は、全てを焼き尽くさんばかりの熱量と規模を以て前衛で立ち回る三人に降り注ぐ。
そう、三人に。
「ちょ、これが正真正銘フレンドリファイア!?」
あ、ユー上手い。
「止めてくださいセシルさん!ジェニファーさんが巻き添えになって―――」
「あ、ああ………っ!!」
そうだった。せっかく契約した上級精霊も、その威力に振り回されまだちゃんと制御できている訳ではない。
未熟なのは自覚していた筈なのに、無思慮に最大火力の魔法を発動させてしまったと気づいたのは取り返しのつかない段になってからだった。
緊張していたことなど言い訳にもならない、灼熱の業火がまず味方である筈の幼い少女の背に襲い掛かり。
「――――灼焔装刃【エンチャント・ブレイズ】」
後ろ手に振りかぶった水晶の刃にその魔力を行き渡らせ、刀身を染めて紅玉と為す。
黒衣を翻し、銀の髪と装飾が舞い、暁の地平線を思わせる優しい赤が―――光と闇を分かつ絶対の時を暗示するかのように、真一文字に横薙ぎの軌跡を残した。
「“崩炎のインフェルノ”」
「……きゃっ!?」
「……くぅ!!?」
アシュリーの剣が、ソフィの戦斧が、その一閃を迎え撃とうとして。
稲妻よりも迅く伝導した炎熱が、その掌を焼いた。
咄嗟に得物を手放した二人の反応は最適解。本来なら生半可な守りを一切合切溶かし斬り、瘡傷から敵の全身を沸騰させた後消し炭と化す技だ―――模擬戦で仲間を殺す気など毛頭ないジェニファーは、そうなりそうなら当然すぐに技を止めるつもりだったが。
とはいえ、未だ紅の輝きを宿す刃を振るう幼女を武器を失った二人が徒手で止められるかと聞かれればその場の誰もが首を横に振るだろう。
故に、立会人として冥王はジェニファー・クリス・セシル組の勝ちとして決着を宣言した。
「未熟……っ」
「私もまだまだですね」
勝負が終わった後に悔しそうに呻く二人を煽る趣味もないジェニファーは、無言で振り返ってセシルの元まで歩いていく。
自分の元に近づいてくる、盛大に誤射した相手である眼帯幼女にびくつきながらも、エルフの姫は泣きそうな声で謝罪の言葉を送ろうとした。
「あの、ご……ごめんなさ……」
「ちょっと掌をこっちに向けて、顔の高さまで上げてみろ」
「えっ?こ、こうですか?」
素直に、というより反射的に従ったセシルの柔らかい掌を、豆が潰れ切って硬いジェニファーの平手が思い切り叩いて乾いた派手な音を鳴らす。
「痛っ~~~!!?」
「ハイタッチ。“仲間”と共に掴んだ栄光を喜び合う合図だ」
「~~~、――――え?なかま??」
「最初に負けるところから始めたくはなかっただろう?
我が名はジェニファー=ドゥーエ。冥戒十三騎士が終の一騎にして、黒の剣巫。共に轡を並べる朋輩として、改めて以後よろしく頼むぞ“セシル”」
「あ―――、はいっ。よろしくお願いしますね、ジェニファー様!!」
手に襲い掛かった痛みにこれが罰かと思いながら悶えていた緑髪の姫は、銀髪の巫女のひねくれた歓迎の言葉にぱっと顔を華やがせる。
仲間と認められた―――対等の相手と話した経験も殆ど存在しないセシルにとって、ひどくこそばゆくも心が温かくなる感覚。
それに満面の笑顔で喜ぶ彼女の後ろで、クリスの苦笑が覗いていた。
「もう、ジェニファーさんったら……」
「さりげなく不器用ですよねー」
「わっ、ユーさん!?」
「勝利おめでとうございますクリスさん」
「ありがとうございます。でも、その言葉はセシルさんと、ジェニファーさんに掛けるのが一番いいのではないでしょうか?」
言ってはなんだが、たかだか模擬戦で何故ジェニファーが眼帯を外し、リスク覚悟で本気を出すことも視野に入れていたのか。
多数の有利が機能しているとは全く言えない状態のチームで、何故彼女は達人級の前衛二人相手に一人で果敢に攻めたてたのか。
『最初に負けるところから始めたくはなかっただろう?』―――ジェニファーなりに、歓迎の印としてセシルに花を持たせたかったということ。
そんなさりげない不器用幼女はと言えば、ハイタッチがお気に召したのか何度もせがむセシルに律儀に付き合っていた。
その様子をクリスと共に、冥王とユーが温かい目で見守っている。
「冥王様は、はじめからこうなると思ってチーム分けをしたんですか」
計算したわけじゃない。でも、ジェニファーは優しい子だからもしかしたら、とは思ってた。
「優しい子……」
幾千年の時を生きた冥王が、ジェニファーという人格の何を読めているのかはまだクリスにもユーにも分からない。
今はっきりしていることは―――、
「ジェニファー様、手の感覚がなくなってきました!えへへ、もう一回お願いします」
「はしゃぎ過ぎだ全く。これで最後にしておけよ?」
「はーい!」
ぱんっ、と二人で高く打ち鳴らす柏手は、無事セシルがアイリスの一員として加入できたその証明だということだった。
他のアイリス同様、ジェニファーの使う武器にも名前は付いている。
じゃあ何故使わないのか、って?
背中が痒い――――のもあるけど、下手に地の文で人名以外の固有名詞増やすとファルシのルシがコクーンでパージすることになるから。