あいりすペドフィリア   作:サッドライプ

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※詠唱に意味はある―――と思う。




無垢の光翼7

 

 散々幼女に引っ掻き回され、混沌としてきた帝都決戦。

 もしその有様を俯瞰して見ることができたなら、奇妙な兵士達の動きに首を傾げることだろう。

 

 両軍の動員されている兵数が多すぎて、城壁の上や内側に収まり切らないで野戦が起こっているのはまだ分かる。

 城壁の上から高さを生かした弓や投石で以て押し寄せる諸国連合兵を牽制し、何より帝国軍側には硬い陣地が背後にあっていざとなればそこに逃げ込めるという意味では、折角の城壁の外側で兵を競うというのもあり得ないという程の軍略ではない。

 

 逃げ場所がある―――心の弛みとか甘えとか言えば聞こえは悪いが、特に徴兵されただけの末端の兵卒や傭兵などはそういった保証がない限りまともに戦ってくれはしない。背水の陣とは本来愚策なのだ。

 

 問題は、帝国のこれまでの所業とたった今映像で見たばかりの教会騎士の所業を知る諸国連合の兵達が『ここで負ければ自分と故郷の家族もああなる』と確信してしまっていること。

 精神的に背水の陣が成立している―――そうなれば躊躇・容赦の無さや暴力性・反応の速さでどちらの軍が優位に立てるかは、兵数や城壁の有無の差を十分埋める現状から見てとれる。

 

 そしてこの戦場の奇妙な点。それは、各部隊の多くが本来精強で恐れられる筈の教会騎士達めがけて殺到すること。

 

「この不信心者どもめがっ、破門……がはっ!!」

「ほざけ屑がッ」「首を落とせ!!」「殺せ!殺せぇ!」

 

 最早この戦場において教会の威光に欠片ほどの価値もない。

 幼女の煽動でひとたび正面から衝突し、そして早くも少なくない屍を大地に曝している教会騎士達。たとえ聖樹教会への畏敬を未だに残すような人間であっても、こうなってしまって今更刃を向けることに躊躇いが生まれよう筈もないのだ。

 

 群集心理。いわゆる「赤信号みんなで渡れば怖くない」。まして幼女が率先して先陣を切って首を狩っていく光景を見ておいて、自軍が熱狂してそれに続き、そんな中で嫌だ怖いなんて言っていたら「お前はあんな奴らを庇うのか!」なんて理屈で味方に殺されることすらあり得る。臆病さは裏返って狂暴性へと転化し、はけ口となる聖樹教会に襲い掛かる。

 

 もはや狂奔となった連合兵は、勢いは最高潮な一方で明らかに陣形が歪んでいて、戦争を仕掛けた当事者なのに『黒幕』の登場により半ばスルーされ始めている帝国軍が横腹を突けば手痛い打撃を喰らうだろう。だが、帝国軍はこの好機に積極的に動こうとしなかった。否、動けなかった。

 

 一つ、野獣と化した連合兵を下手に刺激してこちらにも矛先を向けられたら怖い。折角教会騎士様達が身を呈して犠牲になってくれているというのに。

 一つ、あの『可哀相な美少女』の告発によれば皇帝を誑かしてこの戦争を起こしたのは聖樹教会という話ではないか。そんなものに付き合って命を懸けるのは馬鹿馬鹿し過ぎるし、ここで連中を助けたくもない。滅ぶなら勝手に滅べ。

 

 《ジェニファーの告発》が始まるまではむしろ心強い味方として頼もしく思っていた教会への熱い掌返しである。煽動幼女の所業はこちらにも影響を及ぼしていた。

 

 無論この戦場で負ければ帝国は敗戦国となり、今までの蛮行のツケを払う羽目になる。それにここで教会を助けるのは、腐っても最大主教なのだから政治的に大きい意味がある。

 そう考えられる冷静な人間も多い。だが殺し合いを冷静な判断だけでやれる人間などほぼいない。まして自分達は邪魔さえしなければ標的じゃないからとボイコットし始めた兵卒達を鉄火場に駆り出すなど、ジェニファー以上のアジ能力が必要だろう――あんなのが二人も三人もいてたまるか。

 

 こうして時に目の前の帝国軍をスルーしてでも教会騎士達の首めがけて殺到する連合軍と、それをハンカチでも振るかのようにただ見送る帝国軍と、そして草刈り場の雑草と化した聖樹騎士団という、世にも奇妙な俯瞰図がここに完成したのだった。

 

 だがそれは帝国軍にとっても分かっていても避けられぬ破綻の始まりでもある。

 何せ幼女のアジとゲリラ上映が起こるまでは『頼もしい味方』だった大陸最強の聖樹騎士団だから、城壁の防備なども重要な箇所を任せている。そこに執拗なまでの集中攻撃が加わり、なのに援護がないという状況が続いたとしたら?

 

 どのみちこの時点でもう趨勢は見えていたのかも知れない―――。

 

 

 

 だから、という訳でもないが。

 

―――やるかー。

「この地上においても僅かながらその御力を取り戻したこと、祝着至極に存じます。どうか御主人様の御心のままに」

 

 この戦場に限らず、世界各都市の幼女のゲリラ映像を見た者達に少なからず発生した聖樹教会への幻滅。また完全とはいかないまでも真犯人を突きだしたことによる『世界樹を焼いたのは冥王ではない』という冤罪の解消。

 これらは直接冥王への信仰心に結び付く、という訳でもない。

 

 だが信仰なんて曖昧な概念だ。なんなら、『冥王の巫女の悲惨な境遇への同情心』だって、強弁すれば冥王に対する信仰と言い張れなくはない。

 そしてどさくさで前線の兵士達に布教し始めた巫女幼女。磔にされながら、教義は捨てないまでもその深い祈りを捧げる対象は愛する冥王である聖神官。

 

 彼女達の後押しを以てすれば、地上でも人々の信仰によって権能を振るうことが可能な冥王ハデスが奇蹟を起こすのに不足はない。

 地上の営みは地上の者達だけで、極力介入しないというのが冥王の信条ではあるが……。

 

 

―――クリスは返してもらう。

 

 

 ジェニファーの弁舌によって牽制されてはいるが、クリスの足元に藁束が積まれ火刑の準備が万端であることに変わりはない。そして追い詰められた聖樹教会が自棄を起こして彼女を殺す可能性だって十分あり得る。

 それが許せないくらいには、冥王ハデスの信条を曲げるに足るくらいには、――クリスティン=ケトラは冥界の愛し子である。

 

 

―――春の夜の夢よ、鏡像の永遠よ。冥王ハデスの名において、ここに現出せよ。

―――逆しまの輪廻は此処に新たな法を布き、大いなる理はここに蚕食せり。

 

―――《死生転遷・有為消還(リンカーネーション・バニッシャー)》

 

 

 騎士団の一翼を壊滅させたアイリス達が舞い戻って侍る中、その主である黒髪の美青年が大鎌を翳す。

 艶やかな黒で覆われた貴族服を纏った腕を前方に突き出し、掌を拡げるとそこにはひとひらの白い花びら。それが舞い上がって不意に塵となって空に消えたと思った次の瞬間。

 

 

 帝国が誇る巨大城壁が、一瞬の内にその欠片に至るまで全て花びらと化して爆ぜる。

 

 

 舞い散る花吹雪というより、あの大質量が全て変換された花弁の枚数を考えると最早瀑布と言い表した方が的を射ているだろう。

 教皇達や帝国兵で城壁の上に居た者達は、それらの花びらがクッションになったかのように怪我一つなく低くなった柔らかい足場でへたり込んでいて。

 

「ぁ、……冥王、様?」

 

 そして戒めを解かれたクリスは、空間転移した冥王の腕の中で姫抱きに受け止められていた。

 白の花びらが舞い狂う中、突然の神業に現状把握する間もなく……だが、美しい光景の中で愛する人が顔を触れ合わせるような距離に居るという事実だけで、乙女は条件反射的にきゅうとその身を摺り寄せた。

 

 戻って来るって約束。忘れた?

「~~~っ、ごめんなさい、ごめんなさい冥王様!!」

 

 冥王が信条を曲げてまで助けに来てくれた。危うく約束を破るところだった。なのに何かを成し遂げられた訳でもなかった。認識が追い付くにつれて泉のようにたくさんの感情が次から次へと湧き上がる。

 

 でも―――命を長らえたこと、まだこの人と一緒に歩めるのだという歓びが何よりもに優先されて。

 

 磔にされても毅然とした態度を崩さなかった神官少女が、その小さな顔を泣き笑いに歪めて冥王の懐の中で改めて希(こいねが)う。

 

「冥王様、どうかこれからも私を御傍に置いてください。ずっとずっと、貴方の近くで、貴方に祈りを捧げたいのです」

 もちろん。手放す気はないよ。

「ありがとうございます……っ!」

 

 そして冥王はクリスを抱えたまま、悠然と元いた場所に歩いて帰っていく。

 その歩みを阻もうとする者は居ないから。

 

 クリスの処刑の際、無理難題な難癖を付けた者達も、まさか本当に冥王ハデスが奇蹟を起すことなど考えてもいなかった。それも結界で補強された巨大城壁を、一切合切花と散らして。

 どういった魔術でなら同じことが出来るのかなど考えることすらバカバカしい、まさに奇蹟の御業。

 

 少女神官の熱が籠った言動を信じるなら、そのハデスが眼前に居るというのだ。自ら助けに来るほどクリスを可愛がっている元天上人が、そのクリスを処刑しようとした聖樹教会の者達の前に。世界樹を燃やしたなどという口にするのも憚られる侮辱的な冤罪を着せた聖樹教会の者達の前に。

 

 教皇など、露骨にガタガタと身を震わせていた。彼女の内心は、次の瞬間には自分の肉体も花びらに変えられ屍すら残せないかも知れないという恐怖一色だ。

 まあ彼女は知る由もないが、冥王にその意思はない。仮に真っ向から仕方なかったからだなどとほざこうが、別にいいよと許しただろう。

 

 甘いからとか優しいからとかではない。

 人の罪は人が裁くものだと、今回のように“余程の事情”がなければ冥王として口を出す気はないと、ただそれだけの話だからだ。

 

 だから。

 

「隙あり、王手詰み(チェックメイト)だ」

 

「ぐぎぃっ!!?」

「「教皇様!?」」

 

「………さようなら、先輩」

 

―――人の罪を人が裁くことにも、冥王として口を出す気はない。

 

 左肩の関節から嫌な音が鳴り、暴れ回る激痛。それを斟酌する理由もなく、絶えず引っ張られる左腕に吊られて教皇の身体が浮遊する。

 黒髪銀メッシュ幼女はいつぞやのユーにしていたように重力操作を教皇には掛けておらず、彼女は左腕一本を牽引綱にされている形だ。

 

 同じように動揺していた近衛の騎士達は反応することすら出来ず、護るべき至高の教皇様は脱臼した左肩を吊られる激痛に苛まれながら空を不自由に飛ばされている。

 あまりの苦痛に絶叫する様をまずクリスに見送られ、眼下の騎士達に聞かせながら、数分も経たない内に――彼女にとっては数分間ものあいだ、だろうが――放り出されたのは公国軍の本陣。

 

「ぁぁ、あああふべッッ!!?」

 

 飛行幼女が軽やかに着地する一方で、足をあらぬ方向に捻りながら着地に失敗した教皇は地面に頭から突っ込みその綺麗な顔の半分を擦過傷で血化粧していた。

 その辛うじてヴェールが引っ掛かっている後頭部を小さな足で踏みつけ、ぽかんと口を開けているゼクトにジェニファーは告げる。しれっと。

 

「公、悪の親玉はひっ捕らえた。連合の発起人として、帝国軍及び聖樹騎士団に降伏勧告を」

「あ、ああ……皆、この戦争を煽っていた教皇はこちらに捕らえた!!お前達も、これ以上無用な血を流すこともない!!」

 

 ゼクトがその鋼の肉体に似つかわしい大音声で叫ぶ内容は、城壁が一瞬で消し飛んだ今しがたの冥王の御業に心折れたのもあってか、敵兵達が元々低い士気を失って次々聞き入れられていく。

 

 帝都決戦が無事反帝国連合の勝利に終わり、ついでに教会騎士団が大打撃を受けたことを確認し、いつのまにか銀髪眼帯に戻っていた幼女が口元を歪めながらその場を立ち去ろうとした。そこをゼクトが呼び止める。

 

「ジェニファー殿、君はこの教皇が憎いのではないのか?」

 

 その問いの意味は、まあ深く詮索するまでもないだろうが。

 とはいえ、ジェーンの悲劇の一端は教皇が冥王に冤罪を着せた宣言が負っているし、あの外道騎士共は『教皇の名において』活動する存在である以上責任が帰結する。

 復讐鬼としては斬って当然の相手だけれども、ジェニファーは多少手荒に扱う程度で命まで奪うつもりはなかった。

 

「駄目だな、そこの女には生き恥を晒してもらった方が都合がいいだろう、お互い?

 迂闊に死なれたらこいつ一人に責任を擦り付けて聖樹教会が生き残ろうとする可能性がある。

 それよりはこいつがのうのうと教皇として生きている限り、聖樹教会の悪評が薄まらない時間が続いた方がいいだろう」

「…………」

 

 痛みのあまり気絶した教皇を地面に放置したまま、ゼクトが複雑そうな表情で眼帯幼女の言葉を咀嚼する。

 領地を治める為政者としては、治療院や孤児院、街によっては学校などの役割を果たしていることもある聖樹教会を全面的に否定することも難しい。だが他国ですら我が物顔で振る舞う騎士団の蛮行や、権益絡みで戦争に加担した――幼女の吹かしではなく、今回の参戦に対してだ――上層部の腐敗ぶりを考えると、このまま民衆が無条件に信仰する宗教団体として残しておくのは不安過ぎる。それに治めるべきは聖樹教会を信仰する者ばかりではない以上、『信じない者を救わない』聖樹教会の優遇をあまりすべきではないとも言える。

 

 思い悩むゼクトに、ジェニファーは何かの条文のようなものを喋り出した。

 

 教会の一定以上の役職に就任するためには、各国代表で構成される管理委員会の承認を得ること。特に教皇の任命は委員会の全会一致とし、否決された場合は空位とすること。

 免税特権の廃止。他国で活動する際において領主の定めた法に服すること。経理帳簿の公開。教会領の縮小及び遷都、――場所は極寒の地ドワリンド北方危険地帯・通称『エンデュラシアの絶望』。

 

「なんてな。色々と要調整だろうし、まだ終戦が確定していない今は取らぬ狸の皮算用だろうが、公におかれては戦後処理を考えても良い頃合いだろう?」

「………それを、俺に聖樹教会に対して突き付けろと?」

「任せるさ。選択肢を示しただけで、所詮子供の戯言だ」

 

 下手をしなくても後世の神学者や宗教家に指弾されるこれらの条文は、結局教会騎士団の定員上限・遷都後の聖都の各国共同統治を含めた『8か条の起誓文』としてほどなく教皇により署名が綴られることとなる。

 政教分離・中立原則を掲げ、特にそれができない時代には教皇空位という事態を頻繁に引き起こしたこの法は、しかし民衆の中で穏健な宗教勢力として聖樹教会が再生するにあたり一定の信用を保証し続けたとして評価する声もある。

 

 発案者は《樹炎戦役》を終戦に導いたゼクト一世とされている―――。

 

 

 





※ゼクト公と話している間の多重人格幼女の内心

【~~~!!~~、~~~?~~~~♪♪♪】
(右眼と右腕の疼きがもう、限界……!ああもう、主上の奇蹟の御業を見て盛り上がるのはいいが、今だけ落ち着いてくれ我が半身っ!!)

 言うだけ無駄です。あとテンション最高潮なので教皇は無事(?)生き延びました。
 冥王様が奇蹟起こしてなかったら彼女の首も普通にすっ飛んでました。


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